<   2010年 05月 ( 15 )   > この月の画像一覧

 医療にまつわる様々な偽善を現役医師が看破する。
「患者様」「セカンドオピニオンのせいで患者と医者が疲弊する」「インフォームドコンセントは本当に良いことか」「有名人の癌闘病記は間違いだらけ」「病院ランキングは有害である」「安楽死を殺人扱いするな」――。このような、現代医療を取り巻く通説、特に官僚とマスコミが医療の立場を無視し、彼らが主導して「医療改革」を行った結果が、何だったのかを明らかにする。
 小生の知り合いの医師が、下町の都立病院に勤務したとき、患者を「患者様」と呼ぶ事とされ、その通りに、○○様と言ったら、下町のオッサンだったが、「オレを馬鹿にするのか?」と言われたのにショックを受け、それ以降は○○さんと言うようになった。まさに本音の事だなと思った。里見氏は病院勤務の中から、患者が陥り易い医療への期待とか、医療側の過剰な対応、特に、現場の経験の無いマスコミや役人の考えた「医療」の現実を極めて常識的に取り上げ、問題点を指摘、本来のあり方を語る。
 医療の世界は一般の患者、門外漢には分りにくい。医療側にも実像を知らせる努力が無かったこともある。情報の非対称は診療の時だけではない。このことが、様々な誤解を生んで来た。現場を知らないマスコミと厚生労働省が、誤解まじりの医療改革を行って来た。インフォームドコンセント、セカンドオピニオン、ランキングといった横文字は皆アメリカで行われている手法である。しかし、アメリカの医療は必ずしもお手本とするには相応しいものではない。お手本になるのは社会保障制度の中にある、イギリスやフランス、スイス、ドイツといった諸国の制度である。国の置かれている基盤が違うのに、ビジネスに影響されたアメリカ中心主義が間違った政策を生んでいる。
 病院ランキングは確かにアメリカでは有効だ。保険会社や患者もこれを頼りに病院を選定する。ところが、これを行わねばとんでもないことになる。保険会社の選定したランキングに合わない病院には当然行けない。無理にやむなくランクの高い病院に入院すれば、支払いきれないほどの医療費を請求され、患者は破産してしまう。そんな医療制度を知っている人は良いとは誰も言わないだろう。命に値段のある国の制度である。また、病院のランクと、医師のレベルも大体一致し、医師資格試験の成績は病院の採用条件になるから、ランクの高い病院には成績の良い医師が行く。ところが、アメリカ程、医療事故の多い国は先進国ではないのだ。一部の金持ちは世界的な高度医療を受けられるが、一般にはたいしたことが無いし、病院には行けない人が沢山いるのがアメリカである。そうした、過酷な医療環境にある人が対抗措置として行っているのがセカンドオピニオンであり、横文字のシステムである。

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 介護にょる患者の健康改善は、住生活とも関係がある事について医療においても、福祉においても、残念ながら優先事項ではない。日本の都市生活は何といっても住宅が狭い事が問題で思うようなスペースが取れないからである。しかし、東京や大阪と違い、地方では結構大きなスペースが得られるから、介護環境は都会よりよいのだろうか。療養病床の介護、あるいは居住はその狭さが問題である。在宅介護は、その居住との関係が深い。そこで大切な事は、介護される側に立って考えると、個室に入れる場合は、空間的な環境、特に採光、換気、風通しのよい位置を確保する必要がある。介護度が高い場合、できるだけ、リビングに接するか、または、リビングそのものを介護室にすることが望ましい。要するに、介護される人と家族とのコミュニケーションが取り易い位置であるべきだ。一方、介護する人に対する独立した居室も必要であり、これは対になっている事が大切である。被介護者を個室に入れる事が隔離のようになってしまうことが、良い結果をもたらさないからだ。被介護者が孤独にならないよう精神的な配慮が無ければならない。一方介護する方も、毎日要介護者と接することで、精神的な重圧が蓄積するから、これを個室で開放することも同時に行わなければ、介護者の疲労が蓄積し、され得る側にも悪い影響がある。要するに、介護と言うのは、介助作業ということと併せて当然の事だが、人間関係を伴う。より良好な人間関係の中で介護が行われるような居住環境でなければ、その効果は上がらないだろう。
 今、介護施設や病院においても、個室化が時代の流れであるが、狭小なスペースを敢えて作り、隔離的な環境はかえって好ましくない。居室面積は、患者さんの居心地にも関係ありますが、現行の病院では一人の病室の居室面積は4.3平方メートルですからおよそ2m X2.15mしかないことになります。療養病床は6.4平方メートルですから2.5m X2.5m位で一般病床に比べてかなり広くなっているが、この狭さは殆ど、刑務所の独房クラスではないか。
 慶応大学の渡辺先生の調査における、興味深い結果が参考になる。慶応中学や麻布中学などの、いわゆる小学生「お受験」の名門校に合格した児童の家で、個室を与えられて勉強していた児童は殆どいなかったのである。要するに、そのような学校の問題は難問というより、大人の思考方法を必要とするものが多く、これは塾のテクニックでは解けないものが多い。だから、子供の日常の教育という事のみならず、日頃、教養のある父兄との会話や学習する雰囲気が大切である。こどもはそれに応じて、自分の学習環境を作っている。それはリビングのテーブルであったり、親と一緒にいる空間の一角である事が多いのだ。子供を孤独にすると、勉強の能率も上がらない。これからヒントを得て、介護スペースはできるだけ、家族との触れあいの取れるところが望ましいと思うのである。実際、ALSや末期がんの患者のベッドはそのようにリビングにしばしば置かれる。
 リビングは家の中で一番環境の良い位置にあると言う事もある。このことは未だ研究をさらに進めるべきことである。少なくとも10〜20平米/室の空間が必要だと思う。これは施設介護ではなかなか取れない面積である。しkし、子供達が生育した後の高齢者の住宅を改造すれば可能な広さである。今日、介護のできる施設としての老人ホームの充実が叫ばれるが、実態として、急激な増設は無理である。介護保険の関係で、各自治体が施設介助への系譜負担を嫌い、増設を認めたがらないし、用地確保も難しい。在宅の充実が高齢者にとっても、居住域の拡大において優位なのにも関わらず、行政の個人女性に関しては財布のひもがキツい。ここが問題である。
 
 
 
 
 
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現在、日本のキリスト教学校に学ぶ学生、生徒、児童、園児数は60万人近い。キリスト教学校教育同盟では100法人、約270校で約35万人(除幼稚園)、日本カトリック学校連合会では約300校、約15万人(幼稚園児75,000人含む)。
東京、神奈川周辺のプロテスタント系各学校の創立年と学校名を記す。宣教師達は女子教育に力を注いだ。
明治21年までに作られた女学校の6割がミッション系であった。
 明治学院(1863年文久3年)
 フェリス女学院(1870年明治3年)
 女子学院(1870年明治3年)
 横浜共立学園(1871年明治4年)
 立教学院(1877年明治10年)
 横浜英和学院(1880年明治13年)
 関東学院(1884年明治17年)
 東洋英和女学校(1884年明治17年)
 頌栄女子学院(1884年明治17年)
 搜真学院(1886年明治19年)
 普連土学園(1887年明治20年)
 香蘭女学校(1888年明治21年)
 津田英学塾(1900年明治33年)
 聖学院(1903年明治36年)
 ルーテル学院(1909年明治42年)
 東京女子大(1918年大正7年)
 日本聾話学校(1920年大正9年)
 自由学園(1921年大正10年)
 恵泉女学園(1929年昭和4年)
 東京神学大学(1943年昭和18年)
 桜美林大学(1946年昭和21年)
 国際基督教大学(1949年昭和24年)
 横須賀学院(1950年昭和25年)
 玉川聖学院(1950年昭和25年)
 草苑学園(1954年昭和29年)
 などである。これは東京周辺であって、各地方には多くのミッションスクールがある。山梨英和、静岡英和や雙葉がある。関西学院、同志社、福岡には福岡女学院や福岡雙葉、熊本では九州学院、鎮西学院、鹿児島にはラサール高校、四国には愛光学院など、いずれも名門校だ。
1858年(安政5年)日米修好通商条約が締結され、10年後、徳川幕府が瓦解、1868年明治維新となった。1872年(明治5年)学制が制定された翌年、明治6年にキリシタン禁止高札が廃止されて、キリスト教が解禁された。その以前からすでに宣教師達が学校を設立していたのである。
当時の宣教師は、維新の志士に影響を与えたフルベッキやローマ字で有名なヘボンである。彼らは幕末から日本に来て宣教の機会を伺い、教育の中で静かにキリスト教を教えていた。ヘボンは明治学院を創設した。特に、女子教育に関して、熱心であった。カトリックも明治5年(1872年)サンモール修道会(現幼きイエス会)会員5名がフランスより来日、布教と教育慈善活動を横浜で開始。明治8年(1875年)東京築地に「築地語学校」を開校。語学等の教育と同時に、孤児や身よりのないない老人の世話等のボランティア活動も開始。これが雙葉学園である。
 だから、少なくとも、毎年、60万人もの学生がキリスト教に接している。しかし、今日プロテスタント信者の数は20万人、カトリックは60万人ほどだ。キリスト教に嫌悪感がある人なら、ミッションスクールには行かないだろう。しかし、教会には行かない。これは一体何故そのような事になるのか。教会とか宗教が嫌われているとしか思えない。
 何故このようなことになるのか、誰も答えてくれない。戦前ミッションスクールは国家からの弾圧や嫌がらせを受けて来た。明治初期にこれだけ教育に貢献したにも拘らず、各ミッションはスクールは大学の認可や徴兵猶予などの一般の公立学校が受けている特権は与えられなかった。戦後も、宗教教育には国は小学校教育などで無宗教性を強めて来た。しかし、その事だけではないだろう。我々日本人はキリスト教を学ぶものという意識が強い。高校までは日曜学校等学ぶものとして受け止め、卒業後はキリスト教も一緒に卒業してしまう。教会の責任は、そうした日常生活や仕事と信仰の関わりに関してあまりにも対応していない。カトリックはその点西欧社会における長い伝統があり、社会的な調和が巧みである。このあたりが信者数の差になっていると考えられないだろうか。教育においては母親の影響が強い。母親がミッション系の卒業生であった場合、子供はキリスト教に好感を持つ人も多いだろう。ところが、子供が就職し,母親離れすると教会に行かなくなるということも影響しているだろう。

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 昨年はメキシコ発のインフルエンザが日本にも伝染し、水際での防疫は失敗した。高校生等学校で流行、スポーツ大会で伝染したりした。しかし、危惧された程の犠牲者は出なかった。タミフルの不足が懸念されたが、大量に余ってしまった。一般にはタミフルがインフルエンザの特効薬であると思われている。ところが、タミフルは何もウィルスを殺す力は無いということは知られていない。実際、インフルエンザの感染による症状が抑えられ、人間が本来もっている治癒力、抵抗力を回復するのである。熱や咳が感染者の体力を低下させ、肺炎等の合併症を引き起こすことが危険なのである。だから、インフルエンザでも、静かに体力を落とさないように、身体を休めているだけでも治癒する人は多いのだ。熱が上がれば解熱剤の投与は必要だろう。何もせずとも良いと言っているのではなく、必ずしも、タミフルは無くとも良いのである。
 そもそも、薬と言うのは、効く人と効かない人がいる。そして、副作用もある。仮に60%の人に効くとすると相当に効果のある薬である。もちろん数種類から効くものを選べばよいのである。しかし、40%の人に効かないのだ。また、治験という薬の効力を実験する場合でも、プラセボという全くの偽薬を与えたひとでも、必ず効果が出る。この不思議はいまだに解明されていないが、素直に考えれば人間には本来、病いと戦う力があり、精神のありかたによって強められる時には病原菌にたいしても攻撃力を増す。しかし、その力はしばらくすると何も治療していないから消えて行き、症状が出てしまう。半分以上の人に効けば,その薬は認可される。抗がん剤などはもっと効きが悪くても(効奏率)20%が効けば認可される。効いたからといって癌を根治できる事は殆どない。増殖が抑えられ現状維持であれば成功である。乳がんには未認可のアバスチンは、末期がんによく効くといわれているが、延命効果は半年〜1年である。その価格の高さと副作用にも悩まされる。小生の母親の場合、あと3ヶ月の末期で、寝たきりになり、頭ももうろうとするぐらいに弱っていた。入院をとても嫌がっていた。入院せずに在宅でケアする事になり、訪問医療の先生と気が合ったせいか、とたんに起き上がり、それから7ヶ月も頑張ってくれた。末期がんで高齢だったから全く薬を使わなかった。1,000人に1人くらい、末期に近い癌から生還した人がいる。癌が消えたのだ。奇跡としか言いようが無いが、実際、医者も理由が分らず、本当は癌ではなかったという主張される方もおられる。勿論、癌で亡くなられる方は殆どだが、生還した方に共通しているのは、精神の力と,生活習慣を変える意志の力である。食生活を全員が変え、白米食を止め、玄米食にしている。それなりに努力している。要するに、全員が生に執着し、諦めていない。これは重要な事だ。アウシュビッツで生き残った精神医フランクルも言っている。常に希望をもち、助け合った人しか生き残れなかった。
 何を言わんとしているかというと、癌に対しても、精神力の影響は大きいと言う事だ。そもそも、ストレスや不安感が、人間の持っている抵抗力、免疫の力を削ぎ、癌の発生に関わっていることは立証されたわけではない。しかし、免疫力が落ちた時に癌細胞が活性化することは知られている。また、癌が転移、拡大するにつれ、患者の免疫力が失われ、結局、最後は感染症とか、衰弱に寄って患者は死亡するのである。今日緩和ケアが普及し、痛みによる衰弱期間が短くなりつつある。だから、かなりの人が亡くなる直前、数ヶ月から数日前まで元気で過ごす事が出来るようになった。痛みによる生きる力が失われたり、衰弱が命を奪わないようケアするようになり始めたことは結構な事だ。だから、ほんの2年程前は緩和ケア病棟はホスピスと同じように見られていたが、近年は縋のすまいではなく、社会復帰を前提とするようになった。勿論、病状によっては短期間で亡くなる方もいるが、これからはどんどん生存期間が延びるであろう。
 食生活の改善、禁煙、禁酒などから、玄米食や野菜中心のメニューで生活を改善、無理をしない生き方に変えるだけでも、抵抗力は向上する。これまでの医療は、いかにして死亡率を下げ、伝染病をはじめとする病気との戦いであったが、新たな視点として、人間の本来持っている生命力を高め、癌などの免疫力との関係の強い病気に対して病気を叩くのではなく、共存しながら、軟着陸する方法もあるのではないかと思う。今後こうした方法におけるEBMが明らかになって来る事を期待したい。末期がんの方が、毎日、「癌よ去れ」と100回唱えて暮らすのと、抗がん剤で治療するのとどちらが延命できるか、研究する人はいないのだろうか。自分はそれほど違わないかもしれないという願いを持っている。
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 朝鮮半島の哨戒艇撃沈事件は、全く理解に苦しむことだ。ただ、黄海では数年に1度南北海軍の衝突が繰り返されている。テロの場としては民間人がいないだけに最も収束し易い方法かもしれない。韓国軍の自作自演にしては犠牲者が多すぎる。哨戒艇を爆破したのはアルミニウムとマグネシウムを含む爆雷魚雷といった不明な兵器システムである。しかし、ドイツ製の魚雷で同様のものを韓国が持っているらしく、北朝鮮は韓国の自作自演説をアピールするためにこれを使った可能性もある。中国製という結論が出たという情報もある。火薬の特定は出来たようでトリメチレントリニトロアミン(RDX)というもので魚雷に使用されるもの。人間魚雷の実験を兼ねたテロという説もある。哨戒艇はスピードが早く、人間魚雷を命中させるのが難しいから、至近で爆発させるようになっているのだ。http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/169966
北は金一族のコントロールが効かないところに来ているのだろう。彼が出来るのは平壌にハンバーグショプを開く事ぐらいだ。
 北朝鮮の攻撃とするにはその目的が不明だが、内部事情とすれば分かり易い。テロはしばしば内部抗争の中で実行される。北朝鮮はデノミ政策の失敗やらもあり、経済政策に対する大幅な転換を図らねばやって行けない事は金総書記も認識している。北朝鮮は強固な官僚制で金一族もその上に祭り上げられているだけで、何ともしがたいのだろう。かつての日本軍も自分勝手な先がけを行っていた。謀略専門のかつては拉致を仕切っていた部門も、偵察総局という形で新たな緊張を起して、組織の存在価値をアピールしようとする。先日工作員が北朝鮮亡命幹部、黄長元労働党書記(87)の暗殺を企て韓国に潜入し、逮捕された。彼は日本にも来て拉致問題に助言している。金一族にとっていまいましい裏切り者の人物で、この暗殺などは金総書記の指示がなくとも結果で判断される事だ。
 原因が明らかになれば、むしろ、これは軍事対応は形だけで、演習を行えば良い。政治的にアメリカは沖縄米軍基地温存に利用してくるだろう。国際的な陰謀としてアメリカが仕掛けたという考えもあるだろうが、アメリカはそんな事をしなくとも沖縄には居座れるだろうし、中国海軍の増強対策でそれどころではない。
関連記事以下の通り
http://mainichi.jp/select/world/news/20100512k0000m030039000c.html
http://jp.reuters.com/article/JPNKorea/idJPJAPAN-14925120100421
http://www.asahi.com/international/update/0515/TKY201005140659.html
 鳩山の国際情勢を読む政治家としての能力は0、小澤も無い。タイ情勢にしろ、ギリシャ
初のユーロ危機にも政府は無力。口蹄疫についてはとっさに動けば失地回復のチャンスだった鳩山首相は国内問題にも政治家として無能さをさらけだした。政治家は東大出れば出来ると言うようなものではない。出来るのは唯一、国会での言い逃れ。それを追いつめられない谷垣自民党も腰が砕けている。最悪の事態だ。韓国は軍艦が沈没したが、日本は国が沈没する。鳩山氏ができることはお母様への言い逃れ、カアーチャン俺やってないよと言うことばかりだ。
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 現代社会は人の死を目の当たりにする事が少ない。自分の親でも80過ぎまで健在の事が多いし、若くして亡くなる人は昔よりずっと少なくなった。子供が出会う死はペットくらいだろう。しかし、19世紀まで、大体同世代の半分は20歳までに死んでいた。12才までには2割以上が亡くなっていたから、元服というのは家族にとってお祝いすべき喜ばしい事であった。人生の途中で生命を断たれることは交通事故とか、風呂場の転倒、殺人、医療事故など不慮の事故であり、現代では自殺が多い事が問題になる。実は合計すると7万人程で、我が国でも、驚く事に、同世代の10人に一人は畳の上で死んでいない。
 5月13日警察庁が発表した自殺者は12年連続3万人台、昨年は1.8%増の3万2,845人だった。しかし、これは警察が不審死として検死した人の数であって、自殺未遂やこれがもとで後日病院で死んだ人の数は入っていない。世界で自殺の多い国は、東欧諸国やリトアニアなどであるが、これを人口比、あるいは同一基準で見ると、日本は世界一の自殺国となる。死者の男女比はほぼ同数である。これをどのように見たらよいのか。他の事件や国の事例と比較するのがよいだろう。
 イラク戦争開始来、米軍の死者は4399人だ。アフガンでは1050人で約5000人の犠牲者数。
 世界最悪の犯罪による死者がでているのが、南アフリカだ。毎日50人(’07年)が犯罪で殺されている。南アフリカ政府はワールドカップでの世界の評判を気にして、最近の数字を隠している。これは人口が7倍のアメリカ合衆国が15000人だから、確率は丁度アメリカの7倍、日本はその5分の1で、日本の35倍だ。南アフリカの統計は05年のものだ。南アフリカの人口は日本の3分の1だから、これを単純に3倍すると、年間3万人と言う感じだろうか。我が国の自殺者はいまや南アフリカの犯罪死者数に匹敵する。実際はこれらの犯罪はヨハネスバーグなどの都市に集中するから、都市の危険度はもっと高いのだが。
 これを日露戦争で比較しよう。日露戦争では85,082人が戦死した。この数字に脚気が原因で死んだ2万7000人は入っていないだろう。単純に計算すると、3年に1回日露戦争をやているようなもの。戦争の場合、20歳から30歳の働き盛りの男子に集中するから、社会的損失は大きい。当時の日本の人口は今の3分の1ほどだから、今の25万人の男子死者に相当する。要するに、社会損失としては10年に一度日露戦争しているに等しいわけだ。実際、25%が30歳代以下だから、男子の自殺者は4,000人程だろう。戦争のダメージがいかに大きいかがわかる。
 しかし、残された家族の悲しみは同じだから、世代別に分ける事は適切ではないだろう。何ごとも産業社会を基準に考えれば、高齢者が、過半数で、自殺多発地は山梨、秋田、青森、高知などで、産業的に後発地帯だから、見過ごされ易いということだ。特に、死者数は2000年に入ってから急増している。日本の経済がバブル崩壊し、目標を失ったときからだ。社会に未来を感じさせる指導者がいなくなり、企業も年功制などのこれまでの安定した雇用維持に代えて、派遣などの勤労者の不安定要因を経営に取り入れてからだ。企業や官僚は栄え、それを支える人々が割を食う世の中ということである。 
 自殺というのは孤独のうちに死を迎えるという点で悲惨である。悲しい出来事である。自分がたった一人であるという孤独な思いが死を誘うのである。人は何処から生まれどこに行くのか。という命題に答えてくれる言葉がここにある。問う事は易いが、真理を一言でいいあらわす事はとても難しい。しかし、誰もが自己の存在に意味を見出したい。これを否定された人が自殺するのである。家族か、友人か、仕事の関係か、そうした自己の存在が否定される事はつらいことだ。しかし、我々はイエスの十字架に購われ義とされたということは、すなわち意味を与えられたのである。これを信じる事の恵みをこのローマ人への手紙で述べている。クリスチャンはイエス様が共にいてくださるがゆえに孤独ではないし、自殺する必要はない。どんな試みもクリスチャンを絶望に陥れる事は無い。これは主がその一人子をこの世に賜り、我々が十字架にかけ、それを復活の出来事において許されたという福音の故である。この福音によって我々は神の側に立ち、義とされ、勇気づけられるからである。多くの先人が、殉教の死に向かう事が出来たのもこのこと故である。
聖書が書かれた世界においては死は日常であり、当時のクリスチャンは常に迫害などにより、死の危険に曝された。そこでの霊の存在や、復活の希望はまさに日々の生活に密着したものだった。
彼らは求め、そして与えられた。
 聖書には我々の常識や理性で理解できない事がたくさんある。キリストが、この葡萄酒は自分の血であり、これを記念せよという。カトリックでは聖餐式のたびに目の前の葡萄酒とパンがキリストの身体に変化するというのである。しかし、理性ではこれを受け入れるのは難しいだろう。この箇所はやはり、文字通りではなく、ある種の象徴とか、隠喩として解釈すべきだと理性的には考える。では、そんなことを言うなら、キリストが死の三日目に復活して天に昇ったというのはやはり、何かの隠喩か?いや、そうではない。これこそ真理であり,理性を越えた事だというのだろうか。正餐は隠喩で復活は聖書は理性の及ばぬ真理で信じることだからだというのだろうか。しかし、聖書はそんなことを言ってはいない。パウロはコリント人への手紙において、何故復活を信じるのか、そしてその信仰によって何が与えられるのかを答えている。それは愛である。ローマ人への手紙において、主の十字架が我々が神と共にあり、神が我々とともにあると宣言している。そして、これは誰も引き離す事のできない愛だとも繰り返し言うのである。
 パウロはローマ人への手紙で自らの神学論を展開した。ローマ人への手紙とコリント人への手紙で、パウロのキリスト観が分るというより、新約聖書の内容の根幹が理解できる。何故キリストが十字架に架かったのか、そして復活は事実か。我々の罪が許され、神との関係が正されたということである。神の愛とは何かである。霊の働きによって神は我々と共に常におられる。このことこそ、我々最大の恵みである。我々は孤独ではない。しかも、キリストの十字架によって罪が許されている。十字架のキリストによって、人の罪は購われた、神がその一人子を我々のためにこの世に遣わされたという事実こそ神の愛である。このことによって、どんな力も。我々を神から引き離す事は出来ない。いかなる苦難にあっても、共にいて下さる存在として、主はおられるということである。これほど力強い愛はあるだろうか。兄弟愛、親子の愛、友情も大切である。しかし、神の愛を知る事によって、愛の最も崇高な働きを知る事が出来る。どんな時にも共にいてくださるのがイエスキリストであり、そこにおける霊の働きである。
 旧約の時代から、神への信仰は周囲の無理解と迫害、死の恐怖と戦わなければならなかった。パウロの時代、ローマ帝国のキリスト教徒への迫害が始まり、さらに、イエルサレムの神殿はローマ軍に攻撃され、多くのユダヤ人が虐殺された。その信仰は常に危機の中にあった。しかし、そうした艱難にあって、キリストの愛と復活の信仰はますます固く、燃え盛ったのである。屠られる子羊とはクリスチャンであり、また、イエスキリストであり、また旧約の詩編にある神に忠実な人々の事である。
 我々は詩編に書かれているように、屠られる子羊であり、その中で恐れおののく中においても、神と我々を引き離す事が出来ない。艱難の時も、神は現実に自らを現わし、その状況を変えてくれる訳ではない。しかし、最も我々が必要としていることは、自らの行為としての状況の改革は我々の仕事である。しかし、霊の働きは、常に神が我々とともにおられるという確信を与えてくれる。そこにおいて我々が罪から開放された現実を教えてくれるのである。
 死において、また、我々が運命に翻弄され、また、艱難の中にあるとき、最も恐れる事は、我々が罪の中にあるということである。加賀乙彦氏が死刑囚と交流したときに、最も彼らがつらいのは、罪の中にあって死を迎えなければならないということであったと加賀氏はいう。これ以上の人生の屈辱はないというのである。愚かな我々は、自らの罪に気がつかない事もある。しかし、一旦これに捕われた時、その心は一体どうしたら癒されるのだろうか。救われない気持ちの泥沼から引き出されるのは霊の力によってである。私達は主イエスの血の購いによって義とされたのです。主イエスこそ愚かな我々を支えてくださいます。屠られるなかで、人々に見られ、辱められ、絶望に打ちひしがれたイエスキリストに思いを寄せるならば、その愛が私達と共にあることを感じ、どんな権威も、高いものも低いものも、我々を引き離す事はできません。罪の縄目の苦しみから、十字架にあって全てを神に委ねエロイエロイレバサバクタニと叫ばれたイエスキリストこそ我らとともにおられ、愛の勝利を宣言されたのである。

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 堺屋太一氏が、小説に書いたことで、定着した昭和22年から3年間程の間に生まれた世代の呼び名が、団塊の世代だ。しかし、その後2年程も多く出生しているから、5年くらいを対象にしても良いだろう。現代の出生数の2倍以上になる。小生もこの世代だ。最初の受験地獄世代だった。しかし、これは高校受験までであって、実は、今に比べると、女子の進学率が低く、大学進学率も15%くらいだったから、厳しかったのは、一流大学であって、他はそれほどでもなかった。今の学生の方が、人気のある学校の受験競争は激しい。

団塊の世代の実態はどのようなものだろうか。今や還暦を過ぎ、定年を迎え、企業の役員になった勝ち組も退職し始めている。定年延長で、65才まで勤められる人もいる。しかし、この世代に対する周囲の目は厳しい。
 もはや30−50歳台の現役バリバリ層とは競合しなくとも、意外に本来20歳台に割り振られるべき水準の仕事に「定年後の団塊の世代がしがみ付いて席を譲らない」という直接の競合関係は(知らず知らずに)現実にあるかも知れない。

一人当たり金融資産の指標(40〜49歳=100)で比較すると:

29歳以下   2
30〜39歳 42
40〜49歳 100
50〜59歳 158  ← 団塊の世代(2007年当時)
60〜69歳 293
70歳以上  250

(50〜59歳台と60〜69歳台で大きな差が出るのは生涯給与の後払いである
「退職金」を受け取ったか否か、のタイミングという要素もある。人生のキャッシュ
フローの分水嶺。)

実際、「インフレ時に人生支出モデルでピークアウト、同時にインフレで資産形成
し、現在デフレで安く暮らして逃げ切った」のは我々より少し上の世代(戦争の影
響で同期の人数も少なかった)
日本の個人金融資産1544兆円の世代別ディストリビューション(2007年の推定
数字がベース):

29歳以下 0.6% 9.3兆円
30〜39歳 5.6% 86.5兆円 
40〜49歳 11.1% 171.4兆円
50〜59歳 21.4% 330.4兆円  ← 団塊の世代(2007年当時)
60〜69歳 32.0% 494.1兆円
70歳以上 29.3% 452.4兆円

以上のように

現実には、団塊より上の連中が日本の個人金融資産の6割強を支配しているのが実態。(そうはいっても「団塊の世代」だって若い世代よりは相当恵まれていて、これまでに退職金貰った団塊も入れれば現在は「60歳以上の金持ち老人層の金融資産」は比率でもっと膨らんでいるだろう。)

20−30歳台の若い人たちの反感だけでなく、職場では苦しい経営環境と闘いながら、現在の給与伸び悩みの中、デフレ下で子育てに(デフレ下で一番価値ある)キャッシュをつかわされ、しかも資産形成のために(最悪期に)借金を強いられる40〜49歳台の前で、「第二の青春だぁ!」なんて空気読まずにハシャイでいるジジババは嫌われる訳だ。「団塊の世代」かどうかは正確には分からない訳だが、目障りな「無駄に元気な年寄り」を括るには、勝ち逃げしたと誤解されてる「団塊の世代」は「便利に使われてる」面もある。

「何時の時代も通過する社会に無理(良かれ悪しかれ)を強いて来た団塊の世代」は、いずれ「社会保障のコスト面で大きなお荷物」というテーマも浮上して来るのは間違いない。

しかし、これを払える金融資産を持ってるのは実は「年寄りだけ」。現状の「社会保障制度」が今のような「世代間扶助(今収入のある現役世代が、同時代の収入のない(?)退役世代を支える)」のままになってるのは間違い。早晩「世代内扶助」に切り替えざるを得ないだろう。

「世代間扶助」なんてものはデモグラフィー上の「貢献世代の不自然な膨らみ」があった「時代限定」の仕組みだったんで、同じような背景の「終身雇用」が崩壊した以上成立する基盤が既にない。「資産課税導入(金持ち狙い撃ち)」とか「相続税の捕捉率向上(薄く広く)」とか、税
制の抜本改革やらない限り制度を回すのは無理だろう。

今の鳩山首相が団塊の世代代表だとすると、とんでもない迷惑だ。こんな無責任な首相を生んだ世代は、あの団塊ということになって、現役世代から袋だたきという図式もある。
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 連休前、朝起きたら肩のところが痒い。何か虫にでも食われたか?ブツッと発疹のようなものが3カ所程できている。しまった、家の猫にダニでも湧いたか、と思った。掻いてみると何だか痛い。数日放っておいたら肩から肘が痛くて仕方が無い。ひょっとすると狭心症の症状かもしれないと思い、1年前を思い出した。その時は左肩が痛かったが、今度は右だ。普通は左だから変だなと思っていた。今日から上高田剣道クラブの合宿だが、土曜日だったので、何か起きると日曜日には医者がいない事が気になった。合宿参加は止めることで清水先生に連絡し、三井記念病院の循環内科に行って、心電図や血液検査、血圧計ったけれども、何も異常はないとのこと。日曜になっても痛いので、神経痛かなと思い、風呂に入った。すると、腕にも何か吹出ものができている。掻くと痛い。ありゃ!これはヘルペスじゃないかと思った。というのは35年前に背中にヘルペスが出来て痛かったことを思い出したからだ。

 ヘルペスは水疱瘡のウィルスが神経にそって増殖することから発症する。一般的には水疱瘡は子供の頃に罹り、免疫が出来ている筈であるが、これが、何かの原因で体力が低下し、免疫力が落ちた時に自分の体内にあるウィルスが増殖することで日和見感染し、発症する。神経組織に沿って症状が出る。帯状疱疹という名前もあり、背中、胴回り、腕、足、顔に発疹が出る。陰部にできるものは性病として伝染するが、普通はうつる事はない。怖いのは喉など脳に近いところで出来た時に髄膜炎になることで、時には死亡する。痛みは人によって程度が異なる。何年も痛む場合があるが、発疹が治まると何ともなくなる人もいる。

 中野総合病院に行った。受付事務員に症状を言うと内科ではなく皮膚科でしょうという。医師に見せると、案の定、ヘルペスというご診断。医師は、入院して点滴を受けた方がよいという。まさか、入院するとは!一瞬たじろいだが、いろいろWEBで調べると、神経痛が何年も続く方もいるという。こりゃ大変と、素直に応じ、午後入院することにした。皮膚科で入院する人はこの病院では殆どヘルペスですという。1週間ということで相部屋だった。この病院、昔は汚かったが、いろいろ経営努力から、事務員や看護師の数も増え、応対にも余裕がでてきた。忙しすぎると患者に対する言葉遣いもキツくなるが、一点は改善されている。そして、内装が清潔になったし、匂いも少なくなった。食事はご飯の量が多い。おかずの内容不足をご飯で補おうとしているのか、一病院、昔の貧乏性が抜けない。でも全部食べてしまった。
 担当の女医、H先生はマスクをしていると目鼻立ちが美しい方で、超美人に見える。マスクを取ると、まあ、親しみのある雰囲気だが、本人マスク姿が気に入っていると見え、いつもこれを外さない。素直に入院の薦めに従ったせいか、あるいは、皮膚科で入院する人は珍しいのか、とても親切で、腕の発疹に丁寧に薬を塗って包帯を巻いてくれた。

 入院日の夜、また腕の痛みに加えて、耳の後から側頭部がズキッと痛い。家にいた時よりも酷くなってきた。ロキソニンを飲んでも柔いだ感じがしない。ロキソニンは以前手術後によく飲んだ薬で、その効果は知っていたが、この種の痛みには効きが悪いのか。睡眠導入剤レンドルミンを飲んで眠っても、3時間程で目が覚めてしまう。肩の痛みは薬のお陰で和らいだが、頭は少しも良くならないので、看護師を呼んでアイスノンで頭を冷やすと気持ちがよかった。どうもこのウィルスには冷やすより温めた方がいいらしい。でも、気持ちがいいのでやはり冷やした。1日3回、抗ウィルス薬の点滴を受けるが、痛みは止まらないまま4日目になった。気を紛らすためにテレビを見る事にした。それまで痛くてテレビを見たり本を読む気にもならなかった。発疹はさらに肘の上にも出来て、さらに進行しているのかと思ったが、肩の方は乾燥してきた。5日目、巡回のH先生は良くなって来たというが、痛みは止まらない。やっと5日目になって頭痛は治まってきた。今度は腕が神経痛のようにうずく。6時の食後にロキソニンを飲むと6時間後に効果が消えるので11時過ぎに飲む事にした。結局1週間点滴を続け、8日目に退院することができた。退院しても1週間は痛みが続き眠れない日が続いた。とにかく、痛い2週間であった。今はかなり和らいだが、それでも時々肩の神経痛が続いている。毎日メチコパールの錠剤をのんでいるが、これはビタミン剤で、神経の回復を促進するビタミン剤だそうだ。この感染症はどうも、効く薬が無い感じだ。確か、雅子妃もヘルペスになったことがあると記憶している。きっと自分のようにじっとベッドに横になって、「うんうん」していたのかしら。入院中、時間がたっぷりあったお陰で村上春樹の1Q84ーNo3を読む事が出来た。

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  悪名高いムガベ大統領のいる国、ジンバブエではついに食糧難で軍隊でも象の肉を食べはじめた。そう言えば、人類があの、氷河期をしのぐ事が出来たのはマンモスのお蔭という気もするが、当時のシベリアは今よりも温暖で、巨大なマンモスが成育できる気候だったはずだ。マンモスが滅びたのは氷河期での食料難に加え、別の理由があるのかもしれない。悲劇というのは二つ以上の原因が作用して生まれる。あれほどの巨体を維持するには、氷河の上では無理だ。氷河期の厳しい食料事情に加えて、人間に食べられてしまったことが原因ではないだろうか。
 象は、アフリカからアフリカ象、インド象、そしてマンモスと分化した。原始人にとって、マンモスの肉はごちそうだった事だろう。もっとも、クジラはカバが進化したと考えられている。かつて、日本人もクジラの肉で終戦直後の飢餓状態をしのいだ。今から思い出すと、大して旨くもなかった。竜田揚、大和煮、醤油と生姜を利かせて調理しないと独特の風味があって、どうしても食べたいものではなかった。渋谷に「くじら屋」という専門料理店があるが、美味しいのは鯨の尾の身だけであった。竜田揚げ、はりはり鍋など、いくらやっても、ビーフには敵わない。豚、鶏、牛、羊の下だ。では象の肉はどんなだろう。意外に旨いのかもしれない。

 彼等が象を食べてしまうシーンがブログにあった。ご参照ください。衝撃的。
http://bokyo-qualia.com/archives/4964
ジンバブエでは10万頭の象がいて、飽和状態だからというのが理由だが、10万%のインフレを放置する、アミンの次に悪辣と言われる大統領の国のこと、そんな統計信用できる訳が無い。まもなく、ジンバブエの象—国際保護動物は消滅するに違いない。
参照;http://www.africa-j.com/search/2009/08/post-243.php
 しかし、伝統的にアフリカでは象や河馬は食べられて来た。余談だが、日本ではカバさんは動物園の人気者だ。しかし、アフリカでは、ライオン以上に凶暴で恐れられている。カバにやられた死傷者は動物被害数の中では一番多い。アフリカ象も従順なタイやインドの像とは違い凶暴である。オリンピックの陸上競技でアフリカ系が強いが、これは当然だ。彼らのご先祖は走るのが遅ければライオンに食われている。鹿とか猪を追いかけ、狩りに失敗したら生き残れない。適者生存のきびしい世界の生き残り、DNAが我々とは違うのだから、元々勝負にならん。
 森の民、ピグミーはコンゴに4〜5万人いると言われるが、その他中央アフリカ諸国で、独特の集団で狩猟生活を行い、他の地域の実態は不明である。象狩りが得意である。彼らの狩りの対象は、草原の象ではなく、森に居着くタイプの象である。ピグミーは、小柄で、有名である。身長は1.5mくらい。森の中で象に踏みつぶされる寸前まで近づき、時には象の身体の下にもぐりこむ。そして、平たい葉っぱのような穂先の槍で腹を突き上げる。すると、象は痛がって走り出す。その時に踏みつぶされる奴もいる。でも、命がけで狩りをする価値がある動物である。象は腹に刺さった槍を抜く事が出来ずに森の中で暴れ、更に槍が食い込んで悶死する。そこをピグミーが部落ごと集まって来て、周りに葉っぱで家を造る。象の肉を解体し、また葉っぱで包んで保存し、近くの町の市場で彼らの欲しい生活必需品と交換する。残りの肉は平等に分け、たき火を囲んで皆で歌え踊れの大騒ぎパーティとなる。とにかく、象狩りは勇者の象徴で、単独で命がけで象の腹の下に滑り込む。群をなして皆で象を狩るのではないからである。成功した時は大喜びで、狩猟者はピグミーの野営集落に駆け込む。ところが、報告する時に、実に申し訳なさそうに、遠慮しながらその場所や状況を話す。要するに、自分が得意になって話すことは後で嫉妬される。この仲間の反応を恐れているようで、コミュニティ内の調和を乱さないよう配慮した結果なのである。彼らの生活は徹底した平等主義。これは研究家によると、日本人が企業で何か業績を上げた時に、こっそりしている人が多いのに良く似ているという。
2010年5月6日

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 アフリカ諸国は1980年代までに植民地からの独立を果した。ところが、今日のその政治経済は目を覆うような状態だ。長い植民地時代が人々にとっては大きな負の遺産となった。社会的責任感、公共の精神といった近代国家に必要な政治的基盤を育てなかった。だから、国の形はあっても、国家の指導者も国民も部族社会の慣習から抜け出せない。さらに困った事に、帝国主義によって、部族が列強の勝手な国境線によって分断され、国によってフツ族とツチ族といったアンバランスな少数民族比率で部族対立を煽る結果を残した事だ。特に、政治指導者が育っていない。特徴として、次の4つが上げられる。

 (1)政府が順調に国づくりに取り組んでいる。(2)近代国家の形成に努力するが、運営技術が未熟でなかなか達成できない。(3)国の指導者や幹部が利権を追い求めるため国づくりが遅れてしまう。(4)指導者が利権にしか関心が無く、国づくりへの意欲が全く無い。(1)の順調な国はボツワナくらいで、(2)はガーナやウガンダ(3)が一般的で南ア、ケニア(4)は多く、ジンバブエやスーダンなどだ。これをなかなかジャーナリストも公に出来ない。アフリカ諸国から人種差別主義者という非難攻撃が浴びせられ、取材できなくなる。彼らは、今日の混乱を全てかつての宗主国、イギリス、フランス、ドイツ、ベルギーなどの欧州各国のせいにする。しかし、それだけでは無い事が明らかだ。

 かつての植民地宗主国はなかなか有効な支援もできなくなりつつある。当時の社会的インフラが破壊されているからだ。今年サッカーワールドカップが開かれる南アフリカはアパルトヘイト時代とはいえ、治安を守る実効的な仕組みがあった。治安の維持は国の基幹であり、献身的で優秀な警官を育成する仕組みもあった。ところが、今や殺人事件の起訴率は01年で25%、05年には1日50人の殺人事件で、毎年50〜60人の警官が殺された。警官の給料は一向に上がらず、命をかけて公務に就こうと言う人材は毎年減少し続けている。サッカー大会に向けてこうした状態が改善されたという統計を政府はなかなか公表しない。今回の大会が最も危険な大会であるという理由である。マスコミもなかなか言いにくいのだ。隣国の悪名高いムガベ大統領にジンバブエ、モザンピークから、不法移民が流入し、彼らが都市に集まり、犯罪の温床を形成する。
 
 アフリカは資源の宝庫だ。しかし、石油等の天然資源でGDPは上がってもその収益は民衆に還元されずに、一部の幹部が握り、しかも、その金は海外に逃げてしまう。最近、津波のように中国人がアフリカに進出し、資源を抑えている。ところが、その条件になる援助は中国企業が請負い、労働者も中国人で、支払った賃金も皆本国に還流されて地元に何も残らない。まるで、イナゴの大群のような彼らに対して、政府幹部は賄賂をもらい何の対応もしない。安価な中国商品を大量に送り込んで現地の市場を独占してしまう。
 西アフリカのセネガルでは旧宗主国のフランスが援助の名目で「コーペラン」という行政顧問を送り込んだ。現地の官僚は彼らに頼り切り、行政は実質彼らの主導権のもとにある。そこにフランス企業が乗り込み、行政情報を先取りして、全ての果実をさらっていく。フランス語圏はアフリカに14カ国あり、新たな植民地政策をたくらんでいる。フランスには多くのアフリカ人が移民し、低賃金労働から抜け出せない。
 アフリカに必要なものは、先は自立心であろう。所謂、奴隷根性、植民地根性を捨てる事であり、その土地の本来の知恵を回復する事だ。商社マンの話しでは、現地従業員はとにかく責任回避が実に巧みで、ミスを認めないとか、他人のせいにすることばかり考える。それは白人支配の中で懲罰をおそれ、また、彼らも人材を育てる事を故意にしなかった。それでは責任感ある企業人は育たない。
 さらに都市の形成が不十分で、下水や都市インフラが不足している。都市生活の中で、学校や道路、広場や公園等公共の共有資産があることで、国づくりへの精神が育つのだが、これが出来ない。南アフリカでは義務教育を実施しても教材を買えない生徒がどんどン脱落し、その対応も政府はしない。公共の精神が幹部にも無く、マンデラ氏の元夫人はダイヤモンドの買い付けにその旅費を国に負担させたことがバレて請求を受けた。国は単なる搾取の仕組みに過ぎない。南アフリカは未だ良い方だ。国づくりに対する意欲はある。こうした国に対して、ODAが国対国の関係で行われ、砂漠に水をまくような結果を招いて来た。国が最も危ないのだ。

 しかし、自分達の統治を自立した姿で成功した例がソマリランドである。北部のソマリアは人権侵害や内戦により荒廃した。しかし、ソマリランドは部族長が戦争停止を呼びかけ、武器の回収に成功し、平和を回復した。
今回、南アフリカでワールドカップが開かれる事になったが、不安要素を暴露することよりも、彼らの願いに耳を傾けることも大切だ。彼らはスポーツを通じて、子供達の健全な成長、学校に戻ってくること、治安の向上を祈るような気持ちで、その効果を期待している。実際スポーツにはそうした力がある。南アフリカの成功が、アフリカの人々に自信と希望を与える事が21世紀のボトルネックを打開するかもしれないのだ。
 
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