<   2010年 01月 ( 13 )   > この月の画像一覧

歴史ある先進諸国は国歌以外に愛唱される歌が2つ以上ある。アメリカ合衆国はAmerica The Beautiful が第二国歌的によく使われる。イギリス人はエルガーの威風堂々を歌い士気を高め、大いに盛り上がる。労働者の音楽の祭典プロムナードコンサート(プロムス)では統べよ!ブリタニア」(Rule! Britannia)」と最後の威風堂々を会場全員で大合唱し、興奮は絶頂に達する。そんな国民の皆が愛する愛国歌が日本にはないのか。君が代は曲のトーンも盛り下がる感じで、志気が上がらない。今の若者が歌わない訳だ。歌われないような曲を国歌にせざるを得ない日本が情けない。相撲のときだって歌詞すら覚えていない連中が多い。実は小生剣道の大会が年に3回はあってその度毎に歌っている。剣道家はしっかり歌っている。
その点、軍艦マーチは素晴らしい。パチンコ屋でガンガンならすと日本人はやたら気持ちが高揚するのだ。北朝鮮系の多い連中に利用されるのは悔しい。小学校の運動会でも行進のときや競技中は鳴らしている。リズム感といい歌詞といい勇ましく沈滞日本を盛り上げるし、我々の感性に最もあった曲である。日本人のこの軍艦マーチを第二国家として大いに歌いたいものである。第二国歌に関しては青い山脈とか、リンゴの歌とか言う輩もいるが、ナンセンス。全く植物的で気が抜けてしまう。しかし、この行進曲の歌詞を覚えている人が一体どれだけいるか。実に素晴らしい歌詞ではないか。アメリカ合衆国や大英帝国の第二国歌に比べて全く引けを取らない堂々たる歌詞だ。

「軍艦行進曲」(1897年)鳥山啓作詞 瀬戸口藤吉作曲。

守るも攻めるも黒鉄(くろがね)の
浮べる城ぞ頼みなる
浮べるその城日の本の
皇国(みくに)の四方(よも)を守るべし
真鉄(まがね)のその艦(ふね)日の本に
仇なす国をせめよかし

石炭(いわき)の煙は大洋(わだつみ)の
竜(たつ)かとばかり靡(なび)くなり
弾撃つ響きは雷(いかづち)の
声かとばかりどよむなり
万里の波濤(はとう)を乗り越えて
皇国(みくに)の光輝かせ

アメリカではこれだけの歌詞を子供でも歌い、市民のイベントでは大いに盛り上がる。
Oh beautiful, for spacious skies,
For amber waves of grain,
For purple mountain majesties
Above the fruited plain!
何と美しいのだ 広大な空よ
琥珀色に波打つ岩肌よ 荘厳な深紅の山々よ
果実をもたらす平原の上に!
America! America!
God shed his grace on thee,
And crown thy good with brotherhood,
From sea to shining sea.
アメリカ!アメリカ!
主は汝に恩恵を与えたもう
冠を頂きし同胞達との幸福
太平洋から大西洋へと広がりゆく
Oh beautiful, for pilgrims' feet
Whose stern, impassioned stress
A thoroughfare for freedom beat
Across the wilderness!
何と美しいのだ 先人達の歩みよ
揺るぎ無き熱情に満ちた奮闘よ
荒野に渡る自由への轍(わだち)よ!
America! America!
God mend thine ev'ry flaw;
Confirm thy soul in self control,
Thy liberty in law!
アメリカ!アメリカ!
主は汝の傷を癒したもう
汝の魂はもはや束縛されることなく
汝の自由は法に刻まれたのだ!
Oh beautiful, for heroes proved
In liberating strife,
Who more than self their country loved
And mercy more than life!
何と美しいのだ 英雄達の自由への奮闘よ
自らを犠牲にして祖国を愛する人々よ
そして命をも厭わない慈愛よ
America! America!
May God thy gold refine,
'Til all success be nobleness,
And ev'ry gain divine!
アメリカ!アメリカ!
主が汝の黄金を精錬されんことを願わん
全ての結果を崇高ならしめ
全ての収穫を神聖ならしめるまで 
Oh beautiful, for patriot's dream
That sees, beyond the years,
Thine alabaster cities gleam
Undimmed by human tears!
何と美しいのだ 愛国者の夢よ
幾年にも渡り 白くきらめく街
涙で濁ることなきその輝きよ!
America! America!
God shed his grace on thee,
And crown thy good with brotherhood,
From sea to shining sea.
アメリカ!アメリカ!
主は汝に恩恵を与えたもう
冠を頂きし同胞達との幸福
太平洋から大西洋へと広がりゆく

「威風堂々」
希望と栄光の国(Land of Hope and Glory)
作曲:准男爵エドワード・エルガー
作詞:アーサー・クリストファー・ベンソン
1番 [編集]
Dear Land of Hope, thy hope is crowned.
God make thee mightier yet!
On Sov'reign brows, beloved, renowned,
Once more thy crown is set.
Thine equal laws, by Freedom gained,
Have ruled thee well and long;
By Freedom gained, by Truth maintained,
Thine Empire shall be strong.

愛でるべき希望の国、汝は戴冠せり。
神は汝を偉大にしたり!
愛され、偉大なるその君主たる額に
いまひとたび、汝が冠を戴け。
自由のよりて得たる、汝の等しき御法よ、
そは汝を良く、長く統べたり。
自由により得られし、真実によりて、保たれし、
汝の帝国は強盛となるべし

2番 [編集]
Land of Hope and Glory,
Mother of the Free,
How shall we extol thee,
Who are born of thee?
Wider still and wider
Shall thy bounds be set;
God, who made thee mighty,
Make thee mightier yet
God, who made thee mighty,
Make thee mightier yet.

希望と栄光の国
其は自由の母よ
汝をいかに称えようか?
汝より生まれたのは誰であろう?
広く、一層広く
汝の土地はなるべし
神、汝を偉大たらしめし者
もっと、汝を偉大にせよ
神、汝を偉大たらしめし者
もっと、汝を偉大にせよ

3番 [編集]
Thy fame is ancient as the day
As Ocean large and wide
A pride that dares, and heeds not praise,
A stern and silent pride
Not that false joy that dreams content
With what our sires have won;
The blood a hero sire hath spent
Still nerves a hero son.

汝の名声は時の如く古く
海の如く巨大にして広大なり
恐れず、賞賛も求めぬ誇
厳格にして無口な誇り
父祖が勝ち得たものの夢で満たされる
偽りの喜びにあらず
英雄たる父祖の流した血は
英雄たる息子を元気付ける
e0195345_13365218.jpg
e0195345_13432555.jpg

[PR]
ヒトラーの秘密図書館  ティモシー・ライバック著

 ヒトラーが超越した読書家だったことは知られている。彼の2万冊以上にわたる蔵書はソ連軍や米軍に持ち去られ、散逸した。ところが、アメリカのブラウン大学図書館に約1200冊が保管されており、その内容が、ヒットラーが愛読していたものなど、密度の濃いものであった。 人の精神の軌跡は読んだ本で分かるという。ヒトラーが画家志望であった時代から第一次世界大戦に従軍した時に読んだ本ーベルリン、ブリュッセルの観光案内からはじまり、我が闘争を執筆したときのもの、反ユダヤ思想を形成した時代、オカルトに凝ったころ、総統就任時代、最後は大戦末期に地下総統本部で読んでいたフリードリッヒ大王伝等、どのような内容を彼が政治に反映させたかが語られている。本書はそうした著作やその書き込み、傍線などから、彼の思想形成の遍歴を探るものである。また合衆国連邦議会図書館などにも「我が闘争」の初版本等初期のヒトラー蔵書が存在する。中には書き込みや線が引かれたものもありあり、彼の思想形成を辿る事が出来る貴重なものである。ヒットラーは特にユダヤ人に対しては偏執狂的な狂気を持った人物と思われるが、同時に、彼を後援したエッカートやH.フォード、グラント著「偉大な人種の消滅」の本の影響を受けた思想性の高い政治活動であった。また、当時のドイツ人の気風を反映したものであることが明らかにされる。この本をヒトラーはバイブルと言って著者に賛辞を送っている。ヒトラーの人種政策が、当時黄禍論に揺れ、優生学や人種差別に大きく振れたアメリカ人、独断と偏見に満ちたグラントに源を発していた。1933年以降ヒトラーが独裁体制に入る頃、レーマンの贈呈したラガルドのドイツ論を丹念に読んでおり、既におなじみの攻撃的な民族主義の形が出来ていたことがわかる。これらの読書が、政権を取った後のナチスの政策に見事に反映されたのである。

 彼の青い目に見入られるとその魅力に取り付かれるという。これは、よく、精神病院などで、医師や看護師すら、精神病患者に取り込まれる、独特の雰囲気だ。彼が狂っていたとはいえ責任能力はあったから免罪にはならないが、それだけに異常なまでに卓越した記憶力で膨大な情報を処理する能力があった事も確かだ。優秀だからといって歴史に良い結果を残せる訳ではないし、かえって幸福とは無縁だが、当時のナチスの首脳はゲッペルス、ボルマン、ゲーリングなど知能指数が高かったことが知られている。ヒトラーは一日1冊こなす程の読書家で、最後に愛読していたのはゲッペルスに贈呈されたフリードリッヒ大王伝だったという。最後のベルリンでもフリードリッヒ大王の奇跡的逆転を夢見ていた。彼は学齢が無かったため、学問の国ドイツの学者に対して猛烈な競争心とコンンプレックスを抱いていた。学歴の無い創業者にはそうしたコンプレックスを学識への情熱に昇華させ、猛烈な読書欲を持った人が時々いる。関学の教授をしていた小生の叔父が松下幸之助の書斎を見てその蔵書の幅の広さとスケールに驚いていたのを思い出した。ヒトラーの読書傾向も同様、バーナードショウとシラーを比較した独特の理論を展開し、ゲッペルスをして「この男は天才だ」と言わしめた。軍事に関しては、特に戦車に大きな関心を寄せ、当時の軍事のエリートである参謀達を凌駕する知識を持っていた。しかしながら、彼は、スターリングラードの敗北以降は全く意欲を失い、彼の主張する作戦はかえって軍を混乱させた。独裁者による統治の限界が分かるが、一人の人間のエネルギーの凄みを感じさせるものでもある。
 
 ナチスの思想的背景となったのは国歌社会主義の理念に通じる、フィヒテ、ニーチェ、ショーペンハウエルであった。しかし、ヒトラーがこうした思想書から影響を受けたり、これらの哲学者に心酔した形跡は無かったようだ。哲学者の言葉を演説に引用したり、俗物根性を隠すために、これらを読むふりをしていたようだ。それよりも彼の偏見を増幅させるようなえせ科学の人種論とか、ナチス御用出版社から送られた図書、特に「ドイツ民族の人種的類型学」といった本である。H.S.チェンバレン、リヒャルト・ワーグナーー芸術家、思想家、政治家としてのドイツ人、A.M.ファン・デン・ブルックの第三帝国にも影響された。 彼はドイツの思想家、カント、ヘーゲル、ニーチェなどの古典をどの程度きちんと読んでいたのかは良くわからない。むしろ、こうした本をきちんと読むのはあまり好まなかったのではないか。彼自身の偏屈な理論を強化する材料にならないものは、適当に読み飛ばしていたのではないだろうか。それよりも彼が熱心に読んでいたのは軍事関係の本で、シュリーフェンの著書にはいたくご執心だった。彼の軍事関連の蔵書は7000冊にも及び、特に年鑑のようなものは常時読んでいて、戦争初期の参謀との議論においてその知識をひけらかしては軍の首脳を悩ませていた。かれは膨大な知識はあったが、残念ながら戦略を実行する際のリスクの取り方、指揮を取る厳しい訓練などは分からなかった。彼の伍長としての見識を振り回すことは参謀達には障害となった。だから、初期においてもダンケルクの撤退を許すなど決定的なチャンスを逃している。ハルダーら参謀達はヒトラーの意見を無視する事が多かった。彼の命令は本による知識が多く、それらは敵も読んでおり、作戦には危険だったということもある。ただ、初期の段階では、ヒトラーの理論を越えた決断は相手の意表をついたし、彼の博打的な判断が結果的に成功した事から、彼の主張も通ったが、スターリグラード以降は無能力状態だった。ヒトラーは最後まで参謀達の決断には不満を持ち続けた。1944年のシュタウフェンベルグ等の暗殺未遂事件以降、参謀の体制は崩壊し、一気に破滅の道を辿るのである。
 ヒトラーを特徴づけるのは、彼の思想や政治家としての実像、国家社会主義ではない。彼のような思想を持った人は当時たくさんいたのだ。子供達からはヒットラー伯父さんと優しい人柄の側面も見せた普通の人が突如として残忍な殺人者になるということである。ヒムラー、ハイドリッヒのような人物が周囲に沢山いたのは彼の人格の反映である。どんな読書もかれの精神を高める事が出来なかった。彼は権力と恐怖を人に与えるために膨大な軍事図書を読み、その知力は噓や詭弁のために使われたのである。
e0195345_20335546.jpg

[PR]
生物と無生物のあいだ
講談社現代新書 福岡伸一著

 分子生物学の基本が難しいところをその発見のスリリングな過程を説明するなかで、シロオトにも分かり易く語られて行く。福岡氏のこれまでの学究生活がちりばめられ、興味津々の分子生物学の研究世界がその姿を現す。ゲノムの二重螺旋構造が発表されてから50年以上が経った。その間、この分野は大きく成長した。人間のゲノムは既に解析された。今日、スーパーコンピューターも動員し、癌の原因究明に、また、新薬の開発にゲノムの解析と、その成果の活用は欠く事の出来ない技術である。
 
 生命の根幹をなすゲノムの構造は4種の塩基、ヌクレオチドというアミン(A)チミAン(T)グアニン(G)シトシン(C)の組み合せ、A—T 、C—Gが対応した形ではしご型で螺旋状に水素結合したものである。この螺旋型のはしごが、ジッパーのように分かれて、それぞれの対応塩基を引き寄せて複製し、タンパク質の鋳型となる。DNAがRNA(tRNA、mRNA、rRNA)という3種のRNAを複写、これがアミノ酸を材料にプリントし、20種類のタンパク質を合成する。タンパク質はさらに様々な組み合せで、立体的に組み合わされ2万種類以上にのぼり、生物の形を形成する。この生成過程において様々な酵素が働きかけ、塩基やアミノ酸の結合を促進する。この理論の発見にいたる様々な登場人物がドラマのように登場する。
 
 DNAが遺伝情報を担っていることを突き止めたのはロックフェラー大学研究所の地味な研究者エイブリーであった。DNA構造はロザリンド・フランクリンという女性研究者がX解析によってその基礎資料を積み上げていたが、これを読み取ったJワトソン、Fクリック、Mウィルキンスが二重螺旋構造を解明した功績でノーベル医学生理学賞を取り、同じく、彼女のデータを見る立場にあったMペルーツはタンパク質の構造解析の功績で化学賞を取った。しかし、フランクリンはX線にさらされた研究が彼女の命を縮め、彼らがノーベル賞を取る4年前に若くしてこの世を去った。ゲノム解析のためにはまとまった量のDNAが必要だが、このゲノム複製促進装置を作ったのがKマリスであった。これらの研究者達のドラマが語られる中で、ゲノムの性質が分かり易く説明される。
 
 こうした、現象の根本が、原子の性質であるブラウン運動によってはじまり、エントロピーの拡大という作用、さらに平衡状態の維持という物理法則を基盤に様々な反応が起きる。DNAを複製することが出来るようになったために、僅かなDNAが大量にコピーされ、犯罪捜査等に利用されるようになったのである。

[PR]
 1.ウイルスとDNA

 生命の誕生はいまだに再現されていない。オパーリンがコアセルベートを発現させたように、アミノ酸の合成は条件を整えれば意外と簡単だというのが分って来た。二酸化炭素、一酸化炭素、窒素、水からなる原始大気から、小惑星の衝突、放射線。落雷などのショックによる原始生命、アミノ酸が誕生し、さらに宇宙から飛来した宇宙線とか、海底の熱水など、何かが作用して核酸塩基、脂肪酸、糖などが作られ、原始生命を形成したと思われる。ウイルスというのは不思議な存在だ。自分内部にはDNAかRNAしか持っていないが、生物の細胞内部のメカニズムを使って増殖する。生体内で自分のDNAを使って生体内のアミノ酸から自分のタンパク質を作ってしまう。ウイルスは生命発生時の、進化の過程から生まれた鬼っ子か、あるいは生命体の生まれたときに出来損なった半端な物質にも見える。DNAがアミノ酸を合成するメカニズムを築く前に既にウイルスというものができていたのか、同時に変異体として不良品のような形で生まれたのか。そもそも、遺伝子が一体どのような順序で形成されるようになったのだろうか。二重螺旋構造が4種類の塩基A,C,T,Gによって組み立てられ、遺伝子の言語となっている。この仕組みがいかなる作用でどのように生まれたのか、不思議を全て解明できれば癌等の難病が治療できるようになるところまでになる。人間の遺伝子は既に解読された。生物の進化は自然淘汰と突然変異、環境の変化によって構成される自然現象である。これに神の設計図だとか、天地創造の物語、これですべては説明できない。

 2. ウィルスのRNAが取り込まれる

 時事ドットコム(1/22); http://www.jiji.com/jc/zc?k=201001/2010010700074
によると
「ヒトの全遺伝情報(ゲノム)の中に、RNAウイルスの遺伝子が取り込まれていることを大阪大の朝長啓造准教授らが発見した。4000万年以上前に感染した痕跡とみられ、ウイルスと人類が互いに関連しながら進化してきた謎を解明する手掛かりになるという。7日付の英科学誌ネイチャーに発表した。生物は感染したレトロウイルスの遺伝子を取り込み、自らのゲノムを多様化させてきた。現在まで残ったこれらの遺伝子は「ウイルス化石」と呼ばれるが、レトロウイルス以外は見つかっていなかった。朝長准教授らは、RNAウイルスの一種で脳神経細胞に感染しやすいボルナウイルスの遺伝子の一部が、ヒトやアフリカゾウ、マウスなど哺乳(ほにゅう)類のゲノムに存在することを新たに発見。ヒトの祖先が枝分かれした4000万年前までにこのウイルスに感染し、ゲノムに取り込まれた可能性が高いことが分かった。」
これは進化の過程において遺伝子が重要な役割を演じていることを物語っている。この遺伝子を変異させる様々な要素放射線、宇宙線、自然の変化(旱魃、飢餓)などがある。今回の発見はウィルスが取り込まれた事を意味しているが、そもそも、生命の発現時においてもウイルスの誕生とどこかで同じ道を通っていのではないか。ウイルスがRNAの変異体として、生命体としても進化してきのたかもしれない。ウイルスが遺伝子の突然変異に絡んでいるという説は日本で盛んだ。例えば、O157にはファージウイルスが入り込んでいる。強制する事もあるのだろう。しかし、ウイルスというのは生体に対して敵対的な存在である。一方では生体のメカニズムには最も近い物質でもある。しかし、一般的にはウイルスが人間のゲノムに有用な、対立しない要素である事は全くなかった。そのような変異体は死滅するはずなので、その辺りの説明がなされておらず、ウイルス突然変異原因説はエセ科学という批判もある。

 3.神の支配

 自然現象は全て神の支配にあり、神の計画の中にあるものなのだろうか。あるいは、自然とともにある我々の心の中にに宿っているものなのだろうか。生命の起源をアダムとイブに求めるのは科学ではなく、信仰の問題であり、物語としてメタファとして描いたのが創世記である。そうでなければ、自然の中にある残酷な現実、あるいは歴史における無慈悲な人間の体験、アウシュビッツの悲劇や中世の残酷な魔女裁判が説明できないだろう。人間が引き起こした事はあくまでも人間のせいだし、自然界で起きている事はその法則の中で完結している。神は愛であるならば、なぜそのような結果を導くのか。神の意図があるというのがキリスト教的な考え方だが、世の苦しみというものは我々の心の外にある現実から由来するものであって、そこでは冷徹な自然の摂理が絶えず働いている。この自然をも神は支配しているとするならば、人間を救う愛をもった神と、冷徹な現実という二重の人格をもつことになるのではないか。あるいは我々人間は、周囲の世界としての自然と人との関係について神の支配を認めれば良いのだろうか。これも又、信仰の問題 である。

 「自然は絶え間なく無目的に動いている。そこには目的も方向性も無い。そこにあるのは動的な循環とバランス、つまり平衡だけがある。(福岡伸一青山学院教授)」しかし、人間という関係がそこに入った場合それでよいのか。核兵器を開発した人間が核のバランス論に終始していては平和は遠ざかり、地球の滅亡までの時間が進むことになる。人間は草食動物に肉の入った餌を食べさせて狂牛病を生み、過剰な消費で炭酸ガスの排出を増やし、大気の循環を壊している。一方で、人間もその身体そのものが自然の一部である。平衡という考え方だけで、自然に対して強い欲望を抱く人間の精神を制御できるのだろうか。神というより強い存在がなければ、傲慢な人間はその動きを止める事は無い。
 DNAの働きや酵素の役割、免疫系などの働きを知れば知る程、その精緻なメカニズムに驚く。生殖細胞(精子・卵子)を形成するときに何故遺伝子が2つに分かれるのか、受精時に遺伝子の数が倍にならないようにきちんと半分になるようになるのはまさに設計図があるように見える。これが単に自然淘汰によって決定されたとは到底思えない。神の支配や計画という世界もあるのかもしれないと思う程である。そういう意味において、自然の持つ我々の知を越えた壮大な世界がある事に畏敬の念を持たざるを得ない。神を、偉大な存在というならばその通りではないか。その意味において、進化や適者生存などの出来事も神の領域の世界といえよう。しかし、自然を神によって説明しようとするのは、やはり控えた方がよい。人間の世界からみた自然、あるいは自然の恵みを受け、
自然の一部になる人間という枠の中で、信仰の世界がある。我々が「死」という現実を前にした驚きや戸惑い、恐怖というものが自然に受け入れられる人は少ない。人間の心の世界、さらに道徳や倫理に関して科学は説明できない。もし、科学者の子供が犯罪を起こしたり、殺人事件に巻き込まれたら、その人は自然現象だとか、平衡によって解決するとは言わないだろう。我々が人と人との関係のなかにあって感じる驚きや感動の世界こそ宗教の世界だと言う事である。

このT4ファージウィルスが宇宙から飛来して来たとしか思えない形をしているのに驚くが、逆に自然を月面着陸船はコピーしたとも言える。



e0195345_2072198.gife0195345_2074930.jpg

[PR]
 直心影流法定にこの1年取り組み、基本の法定、春夏秋冬の形を学んだ。この法定は形という意味で、日本剣道形の「形」と同じ意味である。テレビで背伸びダイエットというのを見たが、大きく背伸びを毎日3分朝昼晩3回行ったら、体重が減ったという。この事に関連して、法定の事を思い出した。この動作が法定と同じなのである。自分はこれまで週1回の稽古のみであったが、少なくとも3回背伸びと呼吸をすれば変化があるかもしれない。

 法定に一生懸命取り組んでいる方はスレンダーな人が多い。大先輩の星野七段、大谷七段も熱心に法定に取り組み、日々竹刀剣道や居合に加えて稽古をされているが、枯れているというくらいに身体に贅肉が無い。竹刀剣道においては結構大先生でも肥満体、メタボな方が多い。法定は大きく上半円を木刀で背伸びをする中で描く動作が多い。このことはまさに背伸びダイエットと同じである。この、上半円という動作は日頃、竹刀剣道や日本剣道形になじんだ剣道人には戸惑う動作である。

 しかし、相撲の仕切りや土俵入りを思い起こしてみると、これが江戸時代以前は身体で示す言語のように、意味する事が普通の人でも理解できたのではないか。要するに大きく天に向かって両手を広げる事が天を意味し、下に拡げれば地を示すということを。動作を始めると同時に、大地から、大気の全てを吸い込む気迫で息を吸うということである。相撲の土俵入りも両手を開きながら大きく息を吸い込み、気を整えるのである。
小生もかなりメタボであるが、これを解消すべく、法定において実験台となって大いに背伸びをして実証したい。
e0195345_11385787.jpg
e0195345_1420561.jpg

[PR]
1.理不尽な後期高齢者医療制度への攻撃

 08年、後期高齢者医療制度は長寿医療制度と名前も変え、不評のうちに開始された。いかにも官製おしつけという名称に反発があったのだが、この制度は高齢者の意見に耳をかけていないし、広報に失敗した。75才以降の高齢者を後期とすることにマスコミが旗を振り、高齢者を侮辱しているとか決めつけて、制度を批判の波にさらした。それまで、高齢者の医療保険の構造的な危機を取り上げた事も無かったのにである。この制度は10年をかけて厚労省や医療関係者が練ってきたが、事前のPR不足が祟った。一定の所得の少ない高齢者に関しては、経過措置的な減額措置、所得分類があり、内容が複雑で覚えきれない。不評に対応するために泥縄式に付加されたのである。マスコミはもっとこの制度の本質を研究し、積極的な提案も含めて、その必要性、問題点を訴えるべきだ。ところが、制度を分かっているはずもないお年寄りにインタビューし、「年寄りを死ねというのか」と言わしめ、排撃した。自分のような、医療や高齢社会問題に関心があり、研究もした人間ですら分かりにくい制度に対して、そのような明快な発言が出るわけがない。インタビュアーはそれなら何故そう思うのか、何処まで理解して発言したのかを聞き返すべきである。何故殺されるのか、年金からの控除が負担なのか、自分は低所得者だから、1割の自己負担も出来ないのか、毎月高額な治療費、例えば抗がん剤を使っていて、負担できないと死ぬのか、良くわからないのだ。ただ保険料負担がいやなのか。これまで被扶養者として保険を払わなかった高齢者は負担が増える。しかし、低収入の方は保険料の減額もあり窓口負担も1割だ。保険料は、所得による応能負担50%と均等割負担50%の割合で個人ごとに算定され、広域連合区域内同一保険料が適用され、2年毎に見直される。民主党議員は「高齢者を殺す気か!」と叫び続けていたが、本質ではない党利党略のアジテーションであって、何ら根本的な対策にもなっていない。こうしたアジテーションをテレビで聞いた高齢者がおうむ返しにインタビューで答えただけではないか。マスコミは高齢者医療のために拠出金負担に耐えられずに解散を余儀なくされ、政府管掌保険に移行せざるを得なくなった勤労者の保険こそ殺される側ではないのか。自民党でも、この問題に精通した人は少なく、官僚任せ。官僚支配と議員やマスコミのポピュリズムが日本の将来を危うくしている。

2.高齢者医療の無駄を省く
 
 厚生労働省の試算では、2008年度の制度発足時には月額6200円程度(全国平均)になる見通しで発足したが、現在は4500円程度で、徴収は各市町村が行っている。なお、配偶者や子供の扶養家族となっているため保険料を払ってこなかった方は、激変緩和措置として2年間半額。 強制的な掛け捨て保険のようなものだが、これまで、保険料を払ってこなかった一人暮らしの年金生活のお年寄りには月3000円も厳しい負担かもしれないが、何も分からずに殺す気か!と言うような人に限って、薬を飲んだのを忘れたり、無くしたり、必要も無い医療サービスを受けている輩ではないのか。薬には分りづらい事が多い。タケプロンという胃薬は胃の副作用対策に使われるが、別の病院で、風邪をひけば、風邪薬の副作用対策でパリエット、あるいはセルベックスが処方される。これらは重複する必要がないが、処方を医師が書いたときに75過ぎの高齢者が気付いて申告する事は医療関係者でも難しい。自分の飲んでいる薬の名前を全て言える人がどれだけいるだろうか。成分効果が同じで名前の違う薬は無数だから医師でも大変なのである。ところがこうした無駄が実は膨大なのだ。だからこそ主治医制度なども考案されたが、一体どう決めたら良いのか分からない。制度のPRのみならず、中途半端な体制なのである。英国ではGPという診療医師を通さなければ病院や専門医には診てもらえない。ドイツでは保険者が厳しくチェックする。患者側の医療の無駄、重複を防ぐ仕組みが整備される。システムという発想が我が国には乏しい。サービスと規制がバラバラに設定されるから効果が上がらない。

3.社会保障は国家の品格

 高齢者医療制度は国民皆保険の制度を維持するために、勤労者の多い65才までの体系と切り離し、最も利用者の多い高齢者にも負担してもらい、消費税による財源ができるまでは保険制度で対応するものである。保険という仕組みは始めから負担と給付の比率で保険料が決められ、利用率が高くなれば保険料は上がるから、高齢化が進む中では運営内容は悪くなる一方であろう事は簡単に理解できる。しかし、消費税を上げるわけにはいかない。組合健保が解散し続けているような状況では従来の制度は維持できない現実について説明が足りない。経済成長が止まり、また、物価も下がっているデフレ下では付加価値税は政治的にも無理である。しかし、医療費というのは無駄を廃しつつも単なるバラマキではなく、必要不可欠な待った無しの支出であるということである。手術が必要な家族がいたら、余程の事が無い限り費用を惜しんで病院に行かない人はいないだろう。国民皆保険の維持をどうするかという事なのである。命に不公平の無い社会を目指すなら税制的な優先順位が高い。財政的見地から医療福祉費を抑制して行く財務省の考え方が、日本の医療を貧困なものにしている。医療従事者の増員、介護事業者の育成など、今後の体制をOECD諸国並みにするという目標に向けて財政的にも見直すべきである。
 そもそも、国民の税負担は所得税が重い我が国では10%を越える消費税は導入に景気の回復など環境が整っていないと難しい。デフレ下では付加価値税は景気を冷却してしまう。もちろん先進国では全ての国が付加価値税は10%を越えているのである。

4.医療と福祉の垣根の見直しーー制度設計の変更で良くなるのか

 政権交代を経て、厚生労働省は今、高齢者医療制度を廃止し、新しい制度を検討中である。保険制度という枠組みを採る限り、また、民主党というシロオト集団が主導する限り従来の制度を越えるものは難しいであろう。折角、高齢者を分類して、所得に応じて保険料負担を分けて行く仕組みも作り、地域に保険者機能を持たせたという構造を反古にするのはどうかと思う。75才以上の高齢者の病気には高血圧や糖尿病、心臓病、癌といった慢性病が多い。しかも、80も過ぎれば治療に寄って完治する事は難しい。しかし、認知症も含めれば、こうした高齢者を苦痛から救い、介護する家族への施策は介護保険施行後も貧困だ。この分野を医療で全て解決しようと思えば、莫大なコストがかかり、財務省の言う通り財政は破綻する。しかし、福祉を充実させ、医療と緩和ケアも含み介護との垣根を低くして、日常的な看護を医療から外し、在宅や施設介護に力を入れるべきである。これが小生の提言だ。日本の病院入院日数は100日を越え、先進国の中では突出して高い。しかし、これは高齢者の長期入院が数字に含まれているからだ。海外では入院は治療のためであって、療養は別の施設が整備されている。在宅訪問看護、医療も含めてこれらは病院の入院日数に数えられていない。

5.景気の回復こそ急務

 社会保障と税負担は相関性がある事は当然である。世代間で対立的な政策を採りたくないのは分かるが、殆どの政治家や、官僚は消費税によってしか、これからの福祉は維持できないと思っているのである。637兆の国債残高9.8兆/年の利払いという財政的重圧はあるが、これは対外債務ではない。景気が回復しなければ税収は増えない。景気の後退期こそ財政出動が必要だが、効果を上げるような策が無い事が問題なのである。効果が上がるというような自然現象的なものではない。たとえば、教育給付金を全世帯にということか、所得制限かとおうような平等論ではなく、第二子から、また第三子の場合は増額といった差別化がきめ細かく行われなければ効果は一時的である。問
題の核心を改革する政治が行われるのはいつの事だろう。日本航空の破綻が日本の未来を物語っている。

[PR]
 ジェームス・キャメロン監督のアバターを見た。3DでダイナミックなSF映像が評判だが、今回は2Dで見た。J.キャメロン監督はタイタニックで有名だが、CGを使ったダイナミックな映像で、普通の視点では見る事が不可能な世界を描くのが得意だ。

1.舞台

 アルファケンタウルは地球から4.4光年、この星の衛星パンドラに冬眠装置で、5年半かけてやってきた元海兵隊員ジェイクは、自らの分身となる“アバター”を操り、先住民ナヴィと交流する。やがてナヴィの部落の地下に眠る鉱物資源アンオブタニウムを巡って勃発する人間とナヴィとの戦争に巻き込まれていく。主人公ジェイク(サム・ワーシントン )は元海兵隊員で、脊髄損傷で下半身不随となっている。急死した双子の兄の代理としてアバター計画に参加しパンドラに渡る。グレイス博士 ( シガニー・ウィーバー)はアバター計画を率いる植物学者。自然の破壊された地球に見切りを付けて長年パンドラの生態系研究に従事している。自らもアバターとなってナヴィとの融和を計る。マイルズ元海兵隊大佐(スティーヴン・ラング)は鉱物採掘会社RDA社の傭兵部隊を率い、ナヴィ制圧に手段を選ばず、アバターをそのために利用する。アルファケンタウルは地球から一番近い恒星で、太陽に似た二連星であり、周辺にはいくつかの衛星が確認されている。光速ロケットが22世紀に開発されるとは思えないが。

2.パンドラの世界

 彼はナヴィの女性ネイティリと出会う。彼女は若く勇敢な戦士であった。ジェイクは彼女のもとでナヴィとして生活しながら、森に住む多数のすばらしい生態系、同時に危険なものに出くわす。そして息をのむほどに美しいパンドラの自然に魅せられ、それと共存することの尊さを学んでゆく。このあたりのパンドラのCG映像が素晴らしい。パンドラは炭酸ガスが多く、人はマスクをつけなければ生きて行けない上、星の生物は危険で人を寄せ付けない。DNA操作によって人間の意識を共有するクローンを人工的に作ったナヴィの姿をした生物がアバターである。このあたりの因果関係が最初は良くわからないが、物語の進展と共に理解できるようになる。人間はアバターと交信システムを通じ意識を共有し、ナヴィに接触する。アバターが行動している時はジェイクは動けない。また、ジェイクが装置から出るとアバターは動かなくなる。異星で進化した不思議な植物や生物の生態系が見事にCGで作られている。深海の発光クラゲ風の空を漂う生物体とか、空を飛ぶ竜、バンシー、馬のようなダイアホース、ライオン狼のヴァイパーウルフなど、奇妙な生物が跋扈している。ナヴィは青い犬のような鼻の形で、身長が3mあり、尾もある。星の磁力に反発する鉱物のために空中に浮かぶ山や流れ落ちる滝が異次元世界を見せてくれる。空には巨大な土星のような惑星と衛星が幻想的な景色を見せる。

3.3Dの衝撃と2D

 3D版を見た方のWEBでの評論を読むと、画面が暗く、眼鏡が重かったり期待していた程の映像ではなかったという。しかし、空中シーンやバトルシーンでの迫力は3Dで見たい。映像テクノロジーの進化には感嘆する。かつて総天然色、シネマスコープの映像に驚いた時を思い出す。映像の美しさはむしろ2Dの方が良いという記事もあり、時間の都合で2Dになった今回の鑑賞機会に自分を慰める事が出来た。カール爺さんの空飛ぶ家では映像、特にカラーが美しかったが、こうした実写、かつ暗い夜光シーンが多いと見えにくいかもしれない。しかし、このテクノロジー進歩により画像を3D化し易くなったという事で今後、アクションシーンや空中などの空間を表現するための技術はどんどん進む。しかし、脚本はコンピューターでは作れない。昔の映画を3D化出来るようになるとリメイクも面白い。3D版メンフィスベルなんかも出来るだろう。

4.脚本は後半に難

 CGの精緻な技術に対して、脚本は後半荒っぽいところがある。人間との対決が全面戦争のような形に発展していく過程が単純、戦い方がいかにも古く、騎兵隊のインディアン部落の攻撃と部族の対決のような描き方しか出来ていない。超未来の割には人間の戦術が19世紀である。異星人ナヴィの描き方が、最初は違和感があるが、主人公と共にその自然観とか心優しい共同体の姿、生命観に触れて次第に親しみを持てるようになるところが見事だ。星の原住民はまさに、アメリカインディアンとダブって見える。アバターを送り込む人間はアメリカを開拓した白人そのものであるし、攻撃する兵器と姿が今のイラクやアフガニスタンなど低開発国で繰り広げられる世界の紛争に介入するアメリカ軍にも見える。アメリカ人の平均的なセンスはあんなところかもしれないが、あまりにも図式的なことが残念だ。

5.アメリカインディアンへの贖罪

 かつて、アメリカ大陸には6000万人のインディアンが住んでいた。今はどうだろう、アメリカ合衆国の2000年の国勢調査で「自分はアメリカインディアンまたはアラスカの先住民」と申告したアメリカ人は、247万人という。南北でみれば南米はスペインの略奪と奴隷労働で3,000万人以上が死亡、北アメリカは200万人が19世紀末には25万人に合衆国の西部開拓等で減少、有史上の大虐殺が行われていた事になる。白人の侵略方法は武力だけではなく、懐柔策も狡猾だった。遊牧民の彼らには農地が与えられたが、結局はだまし取られ、彼らの共同体は教育やキリスト教化によって消滅する。多くのインディアンが、移住地の環境悪化と病気、移動、殺戮で亡くなった。この歴史と二重にイメージを築いたアメリカ人J.キャメロン監督の贖罪の気持ち溢れる作品である。彼は、次には広島長崎の原爆に関する映画を構想中という。
e0195345_192848.jpg
e0195345_22512499.jpg

[PR]
1.ヒトラーの経済政策 武田和弘著 祥伝社新書

 戦前ドイツ、ナチス時代の経済政策は、その結末が破滅的であった故に封印されてしまった。ドイツ国民を熱狂させる何かがあったからこそナチスは強圧的な政治も行うことができた。階級的社会であり、古い支配階級の多いヨーロッパの閉塞感を打破し、ドイツは世界を破壊するまでの活力を得た。その部分に光を当てたのが、「ヒトラーの経済政策 武田和弘著 祥伝社新書」である。これまで、専門書以外はドイツ側の政策の優れた点をあげた内容の物は少なかった。ほとんどがナチスの無謀と強圧的な政策の悲劇、軍事的失敗、ユダヤ人の絶滅政策を描いたものである。ナチの経済政策は一言で言えば借金財政である。その少子化対策やオリンピック等は見事である。軍備増強から開戦になると破滅するのは帝国銀行総裁シャハトには分かっていた。大衆の人気を得るために大判振る舞いをして結局、その返済に困って押し込み強盗になって破滅したようなものである。Adam Tooze著『The Wages of Destruction』(2006年)に詳しいというblog記事があったのでいつか読んでみたい。

2.ヒトラーの巧みな民心掌握

 ところが、史上最悪の政治家と言われるヒトラーだが、彼が政権を取り、国民を戦争に導くまでの彼の政策には実に示唆に富んだものが多い。民心を把握しなければあのような大規模な軍事侵攻も、ドイツを見舞った失業者の群と不況からの脱出は無かった。ところが、その政策の中にあった、自給自足、ドイツ生存圏の地政学的思想、超国家主義、民族主義は自らを崩壊させた。一時的な繁栄に至った軌跡の中には、現代の社会を予言するようなものが満ちている。1933年に政権を取ったときの第1次4カ年計画において、ドイツの失業問題解消、福祉事業とアウトバーン等のインフラの整備にヒトラーは力を注いだ。軍事支出は38年に急増し、42年にイギリスを追い越すまでは財政政策の重点は労働者のための国民の格差解消のための政策を行っていた。中高年の優先雇用、大規模店舗の規制による商店街の小売店保護、中小企業に対する信用保証による融資制度の充実などをきめ細かく行った。農家の保護も積極的に行った。特に、作物の価格変動に弱い弱小農家の保護を債務の肩代わりを行い、ドイツの38%の農地は世襲となって食料生産基盤を確保した。中高年優先雇用によって職を失った若者は毎年10万人が半年間援農に行き、給料も出た。ヒトラーの経済政策を支えたのは、ドイツの超インフレを抑えた財政の達人、シャハトであった。

3.シャハトの経済政策

 ナチスの指導部は実は全くの経済音痴でシロオトだった。そこでヒトラーはインフレ対策に功績のあった彼に全てを任せたのである。ヒトラーは自己の金銭には無欲で、自分にかかる費用は愛人の小遣いもボルマンが握っていたくらいであった。ヒトラーは経済は分からなかったが、計算能力には長けていた。オリンピックスタジアムの予算は2.8千万マルクだったものを7千7百万マルクに増やしたが、しっかり5億マルクの外貨を稼いだ。アウトバーンの建設で20億マルクかかってもそれが5億マルクの失業対策費の減額になることを見越す直感的な計算能力があった。ゲッペルスを使ったPR作戦、テレビや映画など現代につながる技術の開発を行い大衆を味方に付けた。これまでブルジョワや貴族の特権だった旅行を大衆化し、今のパック旅行の元祖として歓喜力行団という団体旅行を編成し、専用の客船を多く建造した。タバコの害につていはドイツはいち早く気がつき、親衛隊や総統の官邸は禁煙を命じた。シャハトは金の保有量の少ないドイツの財政を様々な債券の発行で補った。企業の労働力を担保に労働手形を創設、納税の代わりになる租税債、軍事債であるメフォ社債(年利4%)、1933年に創設したニュープランと言われる貿易代金清算方式である。帝国銀行が全て決済するもので、旅行者用には旅行マルク、ドイツの投資やドイツ商品の購入にはレジスターマルク、ドイツ国内の人や党の支援にはアスキマルクと行った具合に金のないドイツは外貨の代わりに特別マルクを発行して対応した。このさじ加減をシャハトが巧みに操作し、対外債務も強引に削減する事に成功した。しかも、財政の大型出動に対して、インフレが起きなかった。これはナチスの市場統制の力が働いたのである。シャハトはナチスの統制力を経済にも利用した。貿易の収支均衡に務めた。「もし、ドイツがこのまま輸入をせずに輸出ばかりを続けていれば国内に流通するマルクは増え続け、物は増えないために物価は高騰してしまう」と貿易黒字の危険性を主張していた。今の日本が学ぶ事はまだあるのだ。ナチスの経済政策のみならず、文化や製造業の20世紀の課題を全て提示したといってよい。

4.巧みな財政と産業政策

 ドイツの兵器産業は輸出産業でもあった。輸出の代金は債権で払い、これを帝国銀行が換金する仕組みを採った。ヒトラーの最終目標はベルリンを世界首都にする都市改造であった。敗戦直前には現代のミサイルやジェット戦闘機の原型も作り上げた。原子爆弾ももとはと言えばカイザーウィルヘルム研究所で核分裂が発見された事から出発している。アインシュタインなどの科学者がユダヤ人だったために、多くがアメリカに渡り、マンハッタン計画はこのときの人の利を得て成功した。石炭の液化は戦時には350万tで天然石油より多かった。これは流石に採算が合わなかったため、コーカサスの油田を狙い、スターリングラードで敗北、ドイツ軍崩壊の端緒となった。

 この本はヒトラーとナチスの経済政策は結局、自給自足を目指し、植民地争奪を正当化、ユダヤ人を排除した事によって自壊した過程を描いている。ユダヤ人を排除したために、国内の有力なユダヤ人は国外に逃亡し、侵略した国も含め、貧乏なユダヤ人ばかりを抱え込む事になった。最終的解決方法が絶滅収容所であった。ユダヤ人の0みならず、お荷物となったソ連兵の捕虜やロマなどユダヤ人以外の犠牲者も膨大だったことを忘れてはならない。ヒトラーは製造業においてはアルベルトシュペアに采配を振るわせ、成功したが、戦争と軍拡に反対したシャハトを追放後、ヘルマンゲーリングに任せた後は失敗し続けた。ヘルマンゲーリング製鉄という国営製鉄所の失敗が典型である。ドイツの経済の成功はヒトラーの経済政策としては、ひとえにシャハトとシュペアーという個性によって支えられたといってよい。民主主義の政策実行機能は独裁制より劣る。しかし、多くの制御装置がついている事が利点なのである。ドイツの生産力は44年になっても連合軍の爆撃を受けながらかなり維持された。ヒトラーの地域分散の産業政策が功を奏したのだ。末期になっても巨大な戦車タイガーとかV2号を作り続けたのである。もちろん大量の捕虜や強制労働に支えられて成し遂げた事ではあった。

5.破滅に向かわざるを得ないナチスの政策
 
 だから、この本の題名はヒトラーの経済政策というよりシャハトとシュペアーの産業政策というテーマの方が似つかわしい。シャハトは戦争政策に異を唱え、最後にはヒトラー暗殺計画に加担したと疑われて投獄されたため、戦犯にはならなかった。ナチス協力者として労働奉仕に3年程服した後、アフリカやインドネシア経済復興の助言者として貢献し、天寿を全うした。実に賢明なバランス感覚である。これが無かったらニュールンベルグ裁判で死刑になってもおかしくはないくらいにナチの繁栄に貢献した。ナチスの失敗はヒトラーの極端な性格と一か八かの冒険主義、排外思想によって自滅した。結果的には彼の著作、「我が闘争」のなかに全ての破滅の種は潜んでいたのだ。シャハトはドイツ経済の再興をナチスを利用して果そうとしたが、その暴力性を制御できなかった。また、当時のドイツで国民の総意となったドイツ生存権とか、自給体制はナチスの絵に描いた餅であり、ヒトラーの経済知識の欠陥から生まれたことである。ナチスは様々な誤りを犯して崩壊したが、成功したアメリカが正しい経済政策だったかといえば、大なり小なりドイツとそれほど違わない。結局戦争に勝利し、アジアの市場と石油利権を手にした事で勝てば官軍となっただけである。第二次大戦後イギリスもフランスも結局植民地を失った。ナチスの経済政策は資本主義と社会主義の中間を揺れ動く修正資本主義である。歴史というのは後で振り返れば、反省すべき事が見出せるが、実際は過去からの連続性の中にあって、当時の前提条件の中では選択肢は限られ、余儀なくされた政策も多い。しかし、ナチスの極端な民族主義と手前勝手な自給自足の生存権主張が国を破滅に導いたことは確かである。

            左:シュペアーとヒトラー              右:シャハト
e0195345_10293041.jpg
e0195345_10311291.jpg

[PR]
『モンスターズ・インク』のピート・ドクターと『ファインディング・ニモ』の脚本家ボブ・ピーターソンが共同で監督を務める3Dアニメ。3Dの効果は、空を飛ぶシーンでフルに発揮される。この空というテーマは宮崎駿の作品に大きな影響を受けている感じがする。雲や空を飛ぶ時の飛翔感覚である。冒頭にカール爺さんの人生の軌跡が語られている。カールフレデリクセン爺さんは妻エリーと冒険家にあこがれていた。この冒険家チャールズマンツは30年代ギアナ高地で謎の鳥を発見した事が捏造と訴えられ、姿を消す。妻との別れがあり、これが結構泣かせる。ほんの10分程でカール爺さんの70年程の人生が語られる。ギアナ高地の冒険旅行を幼い頃から連れ添った妻と夢見て来たカール爺さんは悲しい事に妻に先立たれてしまう。偏屈な年寄りとして周囲と心の壁を作って思い出に浸り続ける。カール爺さんの家は周囲を再開発の工事に囲まれ、立ち退き交渉も始まる。そこで、建設会社の社員と起こしたトラブルで老人ホームに行く事を裁判所に命令される。老人ホームの迎えの車が家に着いたその時、カール爺さんの仕掛けた風船が家を空高く上昇させ、この何千もの風船に持ち上げられた家はギアナ高地に向かう。ところが、その家に、一人の少年が乗り込んでしまう。その少年は両親が離婚し母親に引き取られた孤独な少年だが、元気だけは人一倍の冒険少年であった。東洋系の少年はグラントリノの少年を思い起こさせる。二人の旅はギニア高地に向かいテーブルマウンテンに到達する。そこで、謎の鳥に出会うが、その鳥を追い続けているかつての探検家マンツにも出会う。チャールズマンツは競争相手の探検家を始末し、功績を独占しようとするとんでもない野心家で悪党。巨大な飛行船を所有し、たくさんの犬をハイテクで手なずけていた。謎の鳥はカール爺さんになつき、これを標本にしようとする探検家とのバトルが始まる。カール爺さんは風船の家は夢見た通り高地の滝のほとりに置いて、探検家との戦いに勝利、彼の飛行船に乗ってアメリカに戻る。同乗の少年と楽しく暮らすというストーリー。ピクサーのテクノロジーの面目躍如ともいうべき精緻なグラフィックで3Dの効果が最大限に発揮される。トーイストーリー3も3Dとなる。アバターなどが今話題になっているが、CGものは急速に3Dが主流となるだろう。人生の幸せとは何か、遠い世界への冒険ではなく、少年とのふれあい、愛しい妻との思いで、そして現在をいかに楽しく生きるかであるというテーマも重く訴えかける。アバターが環境問題やインデアンへの贖罪に正面から取り組むのとは対照的な小市民的な幸せのストーリー。しかし、ストーリー展開やダイナミックなアクション、映像の美しさ等、アバターに引けを取らない。
e0195345_14294129.jpg
e0195345_14332995.jpg
[PR]
イングローリアアスバスターズで堪能したタランティーノワールドに浸ろうと、キルビル2を見た。キルビル1はとにかく、B級映画として見たが、その小気味よい場面展開とリズム、ユマサーマンの個性的な美、彼の日本贔屓のようなヤクザ映画、女子高校生、服部半蔵なる怪しい日本刀と子づれ狼のパクリである殺陣で楽しませてくれた。マンガ、アニメに出てくる日本のサブカルチャー満載の前作に比して、主人公ブライドのビルへの奇妙な恋愛を描く。むしろ日本は殆ど出てこない。中国カンフー映画のパクリが多い。前作と2作合わせて世界で3億3200万ドル(約330億円)を稼いだ大ヒットシリーズ。「キル・ビル」 には栗山千明、千葉真一、北村一輝といった日本人キャストも出演し、西欧人の誤解に満ちた日本や中国の世界を映像美にすり替えてしまう。 B級映画を芸術の域の一歩手前に押し上げてしまう、彼の映画製作手法には驚く。キルビル2は前作に続くユマサーマン演じる復讐劇だが、最初は派手なアクションも交え、キルビル1を彷彿とさせる緊張が続くが、後半は復讐とラブストーリーの怪しい展開となる。タランティーノは3を構想中とのことで楽しみである。
[PR]