<   2009年 12月 ( 12 )   > この月の画像一覧

 アンジェイワイダ監督のカチンの森が岩波ホールで上映されている。
 ワイダ監督が何をこの映画で訴えたかったのか。彼は地下水道、灰とダイヤモンド、ポーランド自由化の直前の作品、鉄の男、大理石の男、さらには最近のコルチャック先生、聖週間など、第二次大戦から共産党支配に至るまでの祖国ポーランドの苦悩を描き続けた。この映画は一言で言えば、「もう終わりにしよう」、ということだろうか。カチンの森事件は既にロシアから真相が公表され、ネタバレのマジック見せつけられた感じもある。ワイダ監督はポーランドが新しいい時代に移りつつ去る中、祖国の悪夢とも言う歴史を鎮魂のためにフィルムに刻みたかったのであろう。共産主義もナチスも悪の世界遺産として映画で保存されましたということでもある。あの灰とダイヤモンド冒頭シーンにかつての将軍邸が反共レジスタンス、ニエ機関のアジトになっていたが、その際形見のサーベルが強調されていた。このモチーフはワイダの祖国へのオマージュか!クラクフはKGB元祖チェルジンスキーの生地。京都のようなところで、街は世界遺産だ。大学にはかつてコペルニクスがいたところ。シンドラーのリストの舞台。カチンの森で殺された航空士官の妹が戦後の共産党政権下、地下牢に連れて行かれるシーンがあった。リトアニアのヴィルニスにはKGBの建物が博物館として保存され、彼らの本拠にはどんな施設があったかが公開されている。KGB本部の下に無音室とか水牢があった。そこでは壁を防音処理した部屋があり、真っ暗闇の中に拘束着で無音世界だと普通は1時間で参る。水牢は小さな台の上にしゃがまされ、暗い中で拘禁され、寝込むと冷たい水に落ちてしまい長時間いたぶり続ける。ポーランド人は良く知っている怖いところであろう。カチンの森はワイダの最後の作品になるかもしれない。将校銃殺のシーンは目を覆う。重たい重たい映画である。人間の嫌な面見せつけた不快な部分もあるが、さすがに巨匠、緻密な構成で力作。映画は必ずしも娯楽ではないということだ。20年前なら映画賞総ナメだろうが今はどうだろうか。
 ワイダの過去の抵抗3部作はあの戦後体制イデオロギー当局の「勝手な都合のいい誤解」を逆手に取るような狡猾かつ強引で新鮮な映像手法であったが、これはそうではない。理由の一つはワイダの年齢のこと(黒澤明の晩年然り)。二つには今の最新鋭撮影機材では「他の映画と似たように余計な色彩・ディテールまで写り込んでしまう」ことによる。しかし、今の自由ポーランドでは「体制の拘束衣がない結果」皮肉な面もある。昔の作品には体制の制約と彼の映像による籠抜け的な作法が全編二重写しになり、効果となってポーランド映画らしい陰翳になっていたからだ。しかし、ワイダとしては、この件は父親の死とも関わり、撮らずには悔いが残るのだろう。実は「カティンの森で起こった虐殺」自体より寧ろ、戦後の社会主義体制下で「あの森で起こった真実」が「政治的リトマス試験紙」としてどう利用され、祖国と生き残った人々の人格がどう無残に引き裂かれたかを記憶せよ、備えよ、と言っている。「あの森の犠牲者たち」は「政治的必要に応じ何度でも殺された」。ワルシャワ蜂起に生き残った勇気ある人々ですら、戦後の「偶然にも生き長らえた何物にも代え難い命」と新生活の前には、苦悩の中で「死者たちへの裏切り」に走らざるを得なかった。ああいう罪を何度でも「冒してしまいがちな誇り高く勇敢な我が民族」への警告としての遺言。悲劇に巻き込まれた亡き父へのオマージュ。しかし、主題の背景である「カティンの森で起こった事実」は描かなければならない。だから映画のシークエンス(時間経過の設定)を逆にして、原因だった「果てしない銃殺シーン」が映画の最後としてある。然も特殊効果も含めこれ以上ない「細密かつ即物的リアリティ描写」で描いて見せた。そのことが「あのように殺されなければならなかった人々」へのレクイエム。しかし、あの無残なインパクト自体はこの映画の主題ではない。


600年続いたポーランドの古都クラクフの広場と教会、フロリアンスク通り
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 自由聖餐の問題は、我が国の社会の中では、あまりにも小さな出来事。当の求道者は何が何だか分からないだろう。プロテスタントの信者が20万人とすろと、日本の人口の極めて少数の人達の問題だ。ところが、これが16世紀のヨーロッパでは血を血で洗う抗争となる。再洗礼派に対する既存教会の弾圧は過酷だったため、新大陸へと多くが移民していった。洗礼と聖餐は教会が命がけで守って来た事だ。自由聖餐を行った牧師を解任した総会に関して教団の教会会員は関心を持っているのだろうか。毎週の礼拝を守り、牧師を擁して経常経費を確保する事で四苦八苦している。学生の求道者獲得に対しても、人数うう減少は否めない現実だ。彼らに理解が得られ、受け入れられるような内容の礼拝が何処まで出来ているのか自信が無い。若者というのは一概には言えないが、本当に納得してもらえれば、素晴らしい力を発揮できる。ところが、欲望、良く言えば未来に向かう力がとてつもなく大きい。彼らが好むのは食欲、音楽、現代は笑いだろう。福音を理解する方法に関して、更なる研究が必要。真理は常に隠されている。それを示すためには様々な方法で、時には彼らの好みに合わせなければならない。関心を持ってくれなければ何も始まらない。御言葉の素晴らしさを、時には楽しい集い、音楽、冗談などで包みながら、伝えていきたい。今の教会は若い人が来ないのではなく、彼らにとって魅力が無いだけなのである。自由聖餐の問題は出来るだけ矮小化したほうがよい。もっと大きな問題が控えている。青少年に対する伝道という課題だ。どうすれば魅力的な礼拝になるのだろうか。
 かつての若者の好みはスポーツと合コンだった。最近はスポーツが盛んではない。冬のスキー場はガラガラ。ゴルフは石川遼君でやっと息をつないでいる。相撲は上位陣がモンゴル人や東欧系で溢れている。今の子供は相撲を取らなくなった。相撲取りになるのは限られた地域の、余程の相撲好きの親でもない限り練習する機会が無い。スポーツが商業化する程クラブ組織や親の期待は先鋭化する。子供達が青年期になるころにはプロとシロオトの差がついてしまうから、彼らにはスポーツは見るだけのものになってしまう。従って、大学の体育会では、既存スポーツは人気が低迷する。ラクロスとか、アメリカンフットボールといった子供の頃からトレイニングする人が少ない分野に人気が集まるのだ。今の若者は観客化している。女性の婚期が遅くなり、限られた期間に異性を求める必要が無い。だから、敢えて集中した交際の機会を作る必要は無くなった。恋の世界も観客として眺める。草食系という言葉が賑わう訳である。

 真面目に取り組む事の中には柔軟性という事も大事だ。四角四面では伝えたいことが伝わらない。そこで何が彼らへのプロトコルになるかを考えよう。一つは音楽である。音楽は世界共通の言語である。教会に来る人々にとって、賛美歌がどれだけ神との交わりの機会を作っているかを考えれば分かる。説教がつまらなくとも気持ちは満たされる。もう一つ、これは難しいのだが、笑いとユーモアである。M1グランプリや吉本興行のタレントがこれだけマスメデイアに出ている中で、笑いが無い世界は彼らには苦痛なのではないか。牧師は深刻な顔つきは葬式の時ぐらいで、もっと笑顔とユーモアが必要だ。カトリックの神父はそのあたりを工夫している。信徒に対しての気遣いを心がけている人が多いような気がする。何も信者をお客様扱いしろといっているのではない。ユーモアある言葉づかい、若者への接し方という生活の知恵を身につける事は、信者一人一人が心がける事で教会の雰囲気が良くなるはずである。要は、教会が美しい音楽と笑顔、ユーモアに包まれているならば、若者のみならず、高齢の方々だって楽しく、人が集まらない訳が無いという単純な事なのではないか。それが、出来なくなっているならば、そこに問題がある。今日教師の教育レベルがから考えるべきである。
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 近年、聖餐の乱れということがキリスト教会で問題となっている。その乱れというのは洗礼を受けていない礼拝参加者がパンと葡萄酒のサクラメント(秘跡)に預かる事を認める教会の事である。横浜の教会の牧師が開かれた聖餐ということで、受洗者との区別無く聖餐を行い、又、教団にこれを主張したため、教団総会で戒規違反で退任勧告されたことが知られている。この教会は、どのような経緯かは分からないが、未受洗ということで聖餐を受けられなかった中学生のことから、教会全体で自由聖餐をすることにしてしまった。その間一体どんな議論があったかは分からないが、何ともしまらない話だ。さらに、議決を導いた教団議長も乱暴な感じだ。一体今の教団の指導者の組織運営メンタリティはどうなっているんだろうか。牧師をもっと説得する過程があってもよく、そのような手段でしか教憲教規、聖餐を守れないというのは情けない。牧師はともかく、その教会員はどうなっても良いと言うわけではないだろう。また、その教会内部での議論の中で解決すべきだった。いくら何でも、教団の規定に違反している事を総会に持って来ても認められる訳が無い。皆で民主的に決めたからといって明らかに、憲法違反の事であれば、議会に出す前に罰するか、防止するのが組織というものではないでしょうか。
 日本ではクリスチャンは少数で、初めて礼拝に参列した方は聖餐の中で戸惑うのである。だから、この区別を厳格にしない教会は、不思議に礼拝出席者が多い。未受洗者にとって聖餐というのは差別されているような感じがあり、居心地の悪いものなのである。しかし、この部分は教会にとって妥協できない事であって、これを曖昧にした場合、礼拝の意味が損なわれ、おそらく、教会には未来が無いだろうと思う。キリスト教が2000年続いてきたことはまさに、この洗礼と聖餐を核に礼拝が守られて来た事による。原始キリスト教団の時代から、聖書正典が成立する以前から洗礼と聖餐は行われてきた。イエスキリストがまさにその秘儀において教会において臨在し、この体験よって信仰が守られているからである。洗礼と聖餐を曖昧にしている教会は長期的には信徒を失い、禍根を残すことになるだろう。確信を持ってその根本を踏み外す教会を導けないという教団の弱点を露呈したのではないか。その議論に関して、以下に整理する。




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抗がん剤の効力は、多くて50%、認可条件は20%で、ぎりぎりのものも多い。だから、もし効いたとすると運がよいという事だ。乳癌の場合、最初に使うのがファルモルビシン系の抗がん剤であるが、これは古典的でそれなりの効果がある。しかし、骨髄抑制という骨髄への副作用が強く白血球や血小板減少という結果が出ると中止する。4〜5クールで中止する事が多い。5FUとの併用も行われる。進行性の場合はHR2陽性の事が多く、ハーゼプチンとアロマターゼ阻害剤によるホルモン療法が行われる。しかし、HER2陰性の場合、タキソールによる治療が行われる。このタキソールはアルコールを溶剤とするため、これに耐性の無い人は使えない。そこで、ドセタキセル(タキソテール)による治療となる。自分のところは、T4N2M1レベルでリンパ転移など転移が進んだためナベルビンやゼロ―ダが使われ、3年しのいできた。近年TS1とCPT11(カンプト)の併用による効果が期待されている。しかし、これが乳癌に効くかどうかは、やはり確率的な問題があり、20%とすると、抗がん剤の切り替えも難しいところで、新しい薬が効かなければ、その間全く薬がなかったと同じで、癌細胞を時限爆弾とすると、時計の針は確実に進んでしまう。そこで、慌ててもとの薬に戻っても、肥大化した癌の勢力はかつての勢力より強くなっており、それをキャッチすることは難しくなるだろうから一種の決断である。だから、抗がん剤の場合、今使っている薬が、明らかに聞かなくなった段階を見極めてからでも遅くはないし、むしろ安全だともいえる。抗がん剤が効いているか、そうでないかを見極めるのは結構難しいのである。恐らく、抗がん剤というのは、一種のブレーキみたいなもので、ガン細胞の増殖がスピードアップするとだんだん止める事が困難になるのである。戦争で言えば、抗がん剤というのはお城の堀みたいなもので、癌という敵軍が堀を乗り越えてしまうと、次の防壁をどう用意するかで、これには時間がかかる。お手上げになる前に、新しい薬が内側に何処まで用意され、二重三重に防壁がどこまでよう出来るかにかかっている。乳癌の場合ありがたいのは城を防備する材料が、他の癌よりは数が多いという事である。最後の防御タワーがアバスチンなのだろうか。それも1年から半年と言われている。
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クリスマスを考える

 人生においては様々な選択の機会があり、若い人はこれらを明日に向かって多く体験することができる。還暦過ぎの自分には羨ましい未来というものだ。老人は過去を語る事が出来るが残された時間は少なく、未来に出来る事はわずかになる。残された時間を静かに過ごすか、これまでの活動の延長で一気に駆け抜けるかである。人は生まれ、そして死ぬ。クリスマスはイエスキリストの誕生を祝う日であると同時に、その死と十字架、復活を思うことにもなる。
 新約聖書に記されているイエスの誕生は、必ずしも現代の出産のような祝福に満ちたものではない。生と死が交錯した、恐ろしい歴史の中にある。ヘロデの命じた幼児殺害という事件の起きたおぞましい時代であった。福音書は何も歴史書ではない。2千年前の人々が残した信仰の書である。マタイ伝のマリアの懐妊の物語やザカリアとエリザベツのヨハネ誕生物語などが福音書に記されている。このことを伝えられたのはマリアとイエスの兄弟だけである。また、ヨセフとマリアも人口調査のためにエルサレムに向かうが、当時の荒れ地を行く旅は、妊婦に取っては命がけのことであったろう。クリスマスは美しい星空や馬小屋で動物達に見守られた幼子イエスの姿を思い起こすが、それは死と生の緊張した世界であった。ローマの支配より、ローマから統治をまかされていたユダヤの王の方が危険で恐ろしい存在であった。ローマはアウグスチヌス帝の治世でパックスローマーナという平和と空前の繁栄を始めるのである。その巧みな間接支配下にあったユダヤの地の片隅に起きた出来事である。
 教会は、この死について、そして、生きている我々の生について、いかに日々の営みを過ごし、人と関わるかを学ぶところだ。何故人は生き、死ぬか、何処から生まれ、どこに行くのか。日本人は仏教を通じ、これらを理解しようとする。ところが現在については仏教は諦観的になる。だから、都合良く、そこは仏教では考えずに、道徳で説明しようとする。その道徳は過去の習慣から生まれた善であり、今日の時点では常に違和感がある。忠とか孝では今の若者には日々の生活が乗り切れないだろう。かつてのユダヤ人パリサイ派とはそのような人達であった。戒律と道徳こそ神の示した道と考えた。かつて、日本では四書五経を暗記し、心学とか儒教が人々の生活尺度であった。今は家庭でも学校でも教えられる人はいない。学校で人生の知恵を教えようにも、現代の高速変化の前では学校の教師には荷が重い。学生や生徒の反論に上手く答えられる教師がどれだけいるだろうか。今の若者の人生にこの部分が空白となっている。真実とは何かを誰も教えない時代なのである。
 聖書において、イエスキリストは我々に福音という形で真理を述べた。霊のはたらきや、死後世界、神との関係など、これらは全てたとえ話で語られる。イエスはメタファー(隠喩)として自分の生を捧げた。これ以上の真実があるだろうか。福音書はイエスの生涯を4人の記者の観点から描いている。イエスが最も強く訴えたのが愛である。そして、神が人間にあたえたものこそ、イエスという愛の具体的、歴史的事実である。クリスマスは人間に愛というものの価値を世界に教えたイエスキリストの誕生日である。
 


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1.寿司の旨い店
 鮨は大好物で週1〜2回は食べる。とにかく低カロリーだが、日本酒、ビールが加わるとダイエットにはならない。鮨ばかりではないが、外食というのはその価格と美味さには相関性がある。高い価格だと味は良くても当たり前で、要求も厳しくなるから、結局高い割りには・・・ということになる。要はポケットマネーで負担にならない範囲で思いのほか美味いとなれば成功である。会社の接待費で高級店に行った時もその場では美味いと思うが、たいてい同伴客がいるからそちらが気になってしまう。高級店は味については美味いのが当たり前で、結局印象に残らない。思わぬところで旨い思いをするのがミソだ。回転寿司でも結構旨い店がある。松戸の八柱霊園のそばにある松寿司は結構行ける。マグロなどは青森大間産もでてくる。
 地方に出かけると、お国柄の食材と組み合せで楽しめる。北海道ではアワビやミル貝などの貝にバラエティが豊富だ。ウニやいくらは邪道。何といっても博多や大分等九州の寿司は白身がうまい。烏賊も味の点では青森や函館に勝るというのが自分の見解。博多駅の中でも旨くて安い。西鉄線井尻駅近くの「寿司虎」は隠れた名店、大分空港3Fの「海甲」は、関サバ、関鯵は正真正銘の本物。寿司店にはミシュランの三ツ星もあるが、値段を聞いただけで食欲を失う。自費で行ける店が原則だ。築地の寿司岩も立派な握りを出すが、自分には敷居が高い。日本橋の「蛇の市」とかは今でも昼のランチを食べにいく。しばらく行っていないが、神田小川町の佐助は大好きな店だ。年金生活になった今、夜のカウンターには行かない。小川町の「佐助」とか、室町の「矢の根」はたまに会社の交際費でごちそうになる程度で殆どご縁がない。赤坂の一ツ木通りやTBS周辺には最近新店舗が多く、寿司屋の激戦区だ。しかし、皆同じ味に感じていく気がしない。握りは親父のキャラクターも大切な要素だ。中野では近所の寿司屋が続々と廃業している。中野警察の隣にある「三楽寿司」の親父は剣道談義が好きで話し相手になってくれるので一人で行く店だ。東中野の正寿司は昼の定食が800円と安くてきちんとした握りが出る。築地の場外にある寿司屋も旨いが、わざわざあそこまで行かずとも旨い寿司はいくらでもある。吉祥寺の成蹊大学前にある「寿司勘」は値段は高いが立派な寿司だ。庶民のハレの味覚で蕎麦、天ぷら、鰻があるが、鮨は国際化もあり、年々進化している。鰻等は変わらないことが誇りのような感じだが。

2.寿司の食べ方
 最近はカロリー制限もあるから、トロは食べない。その代わり赤身の味が分かるようになった。価格もそう高くないから怪我の功名だ。手順はいつもコハダや鯵等の光り物から始め、赤身、白身と淡白なものに進み、赤貝かトリガイとすすむ。アワビは財布と相談だが、蒸したものの方が旨い。海老、烏賊、蛸のいずれかで口をさっぱりし、最後はカンピョウで閉める。このカンピョウに差が出る江戸前、そして烏賊は墨烏賊が本場。烏賊はその土地ごとに旨いものがある。青森はヤリ烏賊、九州はミズ烏賊、大阪は紋号烏賊だ。蛸は最近輸入物が殆どだが、吸盤の小さなやつは国産で見分けがつき、この方が旨い。卵類はイクラとかは食べないが、卵焼きはその店の味だから頂くようにしている。縁側も旨いが、もっと優先したいものがあるから最近は殆ど食べていない。白身は鯛、平目、ハマチ、ヒラマサなどが良く、ヒラメも最近は養殖ものが多く、見分けがつかない。青物は夏のシンコと寒サバが季節に応じて楽しみ。春は鳥貝、赤貝、ミル貝。平らぎは腹が膨れてしまいそうで旨いが敬遠している。二艦づつ食べるから、せいぜい10種類が限度。昔若い頃、腹一杯食べ、巻物も三種類ぐらいは行けたが最近は一種類になった。
 最近鮨の華、黒マグロの絶滅が危惧されている。取れる場所は限られる。一つの地域が世界の需要に応えられるわけがない。確かに黒マグロは旨いが、寿司の良さはネタの種類が豊富だという事だ。マスコミも超高級なマグロばかりにこだわってその美味を喧伝するのはやめてもらいたい。新しい食材の発掘も大事な役割だ。赤身やずけもとても旨い。特に江戸前はトロの歴史はそれほど古くはない。日本人が肉食をするようになったため、脂身のうまさに気づいた為にもてはやされるようになった。好みもメニューも歴史的なものだ。もともとは20世紀初頭、新橋の立ち食いで三井物産の社員が好んで食べたのが発祥である。最近はアボガド巻きだとか、新種も出ているがやはり、他のネタを食べる余裕も必要だからクラシックに食べたい。

3.アメリカの寿司
 海外では20年前ロサンジェルスのダウンタウンの寿司屋が結構旨かった。10年前行ったロス郊外の寿司屋は酢飯が本格的な辛口で日本人客が多い店だったが、駐在員に連れて行ってもらったので場所も名前も覚えていない。全く日本にいるのと同じかそれ以上のものが出るようになった。シアトルではヒルトンの地下にある寿司屋で食べたが、飯が甘くて旨いと思わなかった。結構ハイクラスのアメリカ人が得意になって食べていたのが笑えたが、アメリカの寿司はネタが結構良いのに驚いた。今やヨーロッパでもロシアでも寿司は大人気だ。ドイツのドレスデンで寿司屋の看板がでていたが、入る時間がなかった。海外ではロサンジェルスが最初に寿司が根づいたところだ。これにはいろいろな逸話がある。アメリカ人に寿司を旨いと思わせたのは、ひとえに、金井紀年さんという日本人の功績である。彼は、学徒動員で送られたビルマ戦線で軍司令官に逃げられ、苦心惨憺して日本に帰ったが、そのときの凄惨な記憶から逃れるように渡米し、共同貿易という貿易会社の経営に携わった。彼は日本の食文化をアメリカに定着させる事を目標にビジネスを展開し、成功した。それまでのロサンジェルス日本人は関西系が多く、寿司は限られた層の食べ物、大阪の箱寿司しかなかった。米国の日本人移民社会での小さなマーケットだけを相手にしていた日本食をアメリカの巨大な市場に展開することは大きな挑戦であった。江戸前の寿司を定着するには、醤油、日本酒、酢、味噌などの日本の発酵食品を米国で流通させなければならない。気候風土の関係でこれが米国の乾燥した風土では変質してしまう。また、刺身、マグロや貝等の生ものを市場に持ってくる事、特に冷凍技術を活用するなどを基本に味の質を確保できなければならなかった。それらを一つ一つ根気よく解決していき、米も優良なカリフォルニア米の開発も相まって、アメリカでの寿司の普及につなげたのである。彼は今年の11月、在外邦人として2度目の叙勲、旭日小綬章を受けている。寿司文化を定着するには単に寿司職人をつれてくれば良いという訳ではないのである。自分も20年前サンディエゴで形のすぐ崩れるのり巻きを食べた記憶がある。トロントで飲んだ味醂のような奇妙な日本酒もあった。しかし、ロスでは立派な寿司屋が既に経営されていたのである。

4.すし屋の常識・非常識 (重金敦之著 朝日新聞出版)
 著者 重金敦之氏は元朝日新聞の記者であり、多くの参考文献が巻末に記されている。すしに関する全てと行って良いくらいであり、そうした調査、研究の上に本書が書かれたことがわかる。古今の作家や俳優など、鮨に関するエピソードも豊富である。志賀直哉の小僧の神様の鮨屋が屋台であったが、当時の描写に始まり、池波正太郎や子母沢寛など、多くの小説家の鮨談義も豊富である。マグロやコハダなど鮨ネタに関するエピソードから、鮨と酒、他の鰻や蕎麦、天ぷらとの比較も興味深い。


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 今年の名言で一番は、2月15日にイスラエル賞の授賞式で村上春樹のスピーチである。
 ブログで翻訳されたものを紹介したい。http://ahodory.blog124.fc2.com/blog-entry-201.html参照 

別のブログでの記事も下記にコピーさせて頂きました。
 
これだけの内容が、マスコミでは不思議な事にあまり話題にならない。新聞では勿論報道されたが、内容としては鳩山総理の国連演説などより遥かにレベルが高い。
村上春樹は今年イスラエルで公演を行ったが、そのときイスラエルはガザ攻撃に
よって大きな犠牲をパレスチナにもたらした直後だった。彼は”Always on the side of the egg”
『常に卵の側に』
So I have come to Jerusalem. I have come as a novelist, that is - a spinner of lies."
 今、僕はエルサレムにやって来ました。小説家、すなわち嘘の紡ぎ手として。

Novelists aren't the only ones who tell lies - politicians do (sorry, Mr. President) - and diplomats, too. But something distinguishes the novelists from the others. We aren't prosecuted for our lies: we are praised. And the bigger the lie, the more praise we get.
 嘘をつくのは小説家だけではありません。政治家も——失礼、大統領閣下——外交官も嘘をつきます。でも、小説家は他の人たちとは少し違っています。僕たちは嘘をついたことで追及を受けたりしません。賞賛されるのです。しかも、その嘘が大きくて立派であるほど、賞賛も大きくなります。

The difference between our lies and their lies is that our lies help bring out the truth. It's hard to grasp the truth in its entirety - so we transfer it to the fictional realm. But first, we have to clarify where the truth lies within ourselves.
 僕たちの嘘と彼らの嘘との違いは、僕たちの嘘は真実を明るみに運び出すためのものだ、ということです。真実をそっくりそのままの形で把握するのは難しいことです。だから僕たちはそれをフィクションという形に変換するのです。でもまず手始めに、自分たち自身の中のどこに真実が潜んでいるかを明らかにしなければなりません。
Today, I will tell the truth. There are only a few days a year when I do not engage in telling lies. Today is one of them.
 今日、僕は真実をお話ししようと思います。僕が嘘をつくことに従事しないのは年に数日だけですが、今日はそのうちの一日なんです。

When I was asked to accept this award, I was warned from coming here 
 受賞の申し出を受けたとき、僕はエルサレムへ行かないようにという警告を受けました。

 村上さんは、警告の内容が、村上作品のボイコット予告であったことを明らかにします。そしてそのような事態の理由として、老人や子供を含む一千人以上の非武装の市民がガザでの激しい戦いで命を落としたという国連のレポートについて触れます。

I asked myself: Is visiting Israel the proper thing to do? Will I be supporting one side? and that I endorsed the policy of a nation that chose to unleash its overwhelming military power.
 僕は自問自答しました。イスラエルに行くのは適切なことだろうか? 当事者の一方を支持することにならないだろうか? そして、圧倒的な軍事力を解き放つという選択を下した国家の政策を是認することになってしまわないだろうかと。

I gave it some thought. And I decided to come. Like most novelists, I like to do exactly the opposite of what I'm told. It's in my nature as a novelist. Novelists can't trust anything they haven't seen with their own eyes or touched with their own hands, so I chose to see, I chose to speak here rather than say nothing. So here is what I have come to say.
 考えた末に、僕は来ることに決めました。たいていの小説家と同じように、僕もまた、人から言われたのと正反対のことをするのが好きなんです。やれやれ、これは小説家としての性みたいなものですね。小説家というのは、自分の目で見て、自分の手で触れたものしか信じることができないんです。だから僕は、自分の目で見ることを選びました。黙っているよりも、ここへ来て話すことを選びました。

 ここへ来たのは、ダイレクトな政治的メッセージを伝えるためではない、と村上さんは述べます。なぜなら、自分は超現実的な物語を表現手段とする小説家であり、物事の正邪の判断は、他の人々が、おそらく歴史がするだろうから、と。
 そして、「個人的なメッセージ」を伝えたいと前置きして、次の話を始めます。


It is something I keep in my mind, always keep in my mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall, rather it is carved into the wall of my mind. It goes something like this-
 それは、僕がいつも心に留めていることです。小説を書くとき、いつも心に留めているのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはありませんが、僕の心の壁には刻まれています。言ってみれば、こういうことです——

"If there is a hard, high wall and an egg that breaks against it, no matter how right the wall or how wrong the egg, I will stand on the side of the egg”
『硬くて高い壁と、そこにぶつかって行く一個の卵があったとしたら、たとえ壁がどんなに正しくても、卵がどんなに間違っていたとしても、僕は卵の側に立つ』


「壁」の側に立って書く小説家がいたとして、その作品に何の価値があるだろうか、と村上さんは問いかけます。また、「壁と卵」という比喩には、「爆撃機や戦車やロケットや白燐弾」は「壁」であり、「それらによって打ち砕かれ焼かれてゆく非武装の市民」は「卵」であるという意味もあると言います。さらに、この比喩にはより深い意味もあるから、以下のように考えてみて欲しいと呼びかけます。僕らはみんな、一人ひとりが一個の卵なのです。壊れやすい殻に入った、唯一無二の魂なのです。僕らはみんな、高い壁に立ち向かっています。壁とはつまりシステムのことです。しばしば一人歩きを始めて、私たちを殺したり、冷たく、効率的に、システマティックに他人を殺すように、私たちに仕向けたりするシステムのことです。
I have only one purpose in writing novels. That is to draw out the unique dignity of the individual. To gratify uniqueness. To keep the system from tangling us. So - I write stories of life, love. Make people laugh and cry.
 僕にとって、小説を書く目的はひとつだけです。それは、個人が持つ独自の尊厳を引き出すことです。独自性を満たし、システムにからめ取られないようにすることです。だから——僕は、生命の物語を、愛の物語を、人を笑わせ、泣かせる物語を書くのです。
 ここで村上さんは、昨年90歳で亡くなられたお父さんのエピソードについて話し始めます。
 元教師であり僧侶でもあったお父さんは、中国戦線に出征し、戦後ずっと、毎朝必ず仏壇に額づいて敵味方双方の戦没者のために祈りをささげていらっしゃいました。戦後生まれの村上さんは、祈るお父さんの後姿の周りに漂う「死」の存在を感じたそうです。それは村上さんがお父さんから受け継いだ数少ない、最も大切なもののひとつでした。
 それから村上さんは、「皆さんに伝えたい、ただ一つのこと」として、私たちはみな人間であり、国籍や人種や宗教を超えた個人であり、壁に直面した卵なのだと言い、以下のように言葉を続けます。To all appearances, we have no hope...the wall is too high and too strong...If we have any hope of victory at all, it will have to come from our utter uniqueness.
 見た限りでは、私たちには希望が無いように思えます。壁はあまりに高く、あまりに強い。もし私たちに勝利への何らかの希望があるとすれば、それは私たちの完全なる独自性を信じることと、魂を結び合う温もり※から来るものでなければならないでしょう。
※ハアレツ版に基づいて補足しました。
 Each of us possesses a tangible living soul. The system has no such thing.We must not let the system control us - create who we are. It is we who created the system.
 私たちひとりひとりには、形ある、生きた魂があります。システムにはそんなものはありません。システムに私たちをコントロールさせてはいけないのです。システムが私たちを作るのではありません。私たちがシステムを作ったのです。
 I am grateful to you, Israelis, for reading my books. I hope we are sharing something meaningful. You are the biggest reason why I am here.
 イスラエルの皆さん、僕の本を読んでくださったことに感謝します。僕たちが意義のある何かを共有できていれば嬉しいです。あなたたちこそ、僕がここへ来た最大の理由です。
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 中央線沿線の居酒屋で、よく語られるのが、井伏鱒二だ。彼は阿佐ヶ谷の住人で、駅周辺の飲み屋に出没していたという。彼が有名だったのは昭和30年代で、太宰治、火野葦平、三好達治、伊藤整といった戦後活躍した文豪達が、阿佐ヶ谷会という会合を持ち、彼の周りに集まった。井伏は将棋が好きで、へぼ将棋を打ち合ったり、古美術鑑賞、飲み、また、文学談義に花を咲かせた。焼き鳥屋も好みだったが、それらのお店はもう残っていない。阿佐ヶ谷会が開催されたのは、駅北口のピノキオという中華料理店、これはもう無い。阿佐ヶ谷は彼の住まいのあったところだから、必ずしもここばかりで飲んでいたばかりではない。井伏鱒二は大久保から中野、阿佐ヶ谷にかけての居酒屋によく独り酒を飲んでいた姿が目撃されている。平成5年に95才で亡くなるまで、生涯酒を愛し続けた。遺骨は天沼教会に納骨されているが、クリスチャンという話は聞いた事が無い。ノミスチャンなら分かる。井伏の行った大久保のくろがねは、大久保通り沿いの春山外科の先、中野北国は南口ロータリーから丸井側の路地の一角。大久保の新宿よりの路地には立ち飲みカウンターの店などもあって、5年程前よく行った。
 今は血糖値が高いので日本酒は控えている。中野坂上の立ち飲みワインバー、プチ小西には週2〜3回行く。ここは大体3〜5千円、時々1万円前後の良質のワインをグラスで飲ませる。一本買うと一人で早く飲まなければならないので、自分にはちょうど良い。特に発泡性のシャンパン一本丸ごとは今の体には良くない。
 ここの社長の戸谷さんはワインやチーズの専門家とも親交が広く、時々セミナーなども開いてきた。4年程前、シチリアワインの会と、マディラワインの会に行ってから気に入って通っている。体調を2年前に崩してからはワインは赤白2杯で打ち止め。その代わり味わって飲んでおり、フランスワインの葡萄品種は分るようになって来た。連続してピノノワールを飲み続けた。赤のガメイとかメルロー、シラーは分かり易い。シャルドネ、リーズリング、ゲブルツトラミネールの白も容易に分かる。イタリアワインのサンジョセーベとかも味分けられる。スタッフのNさんはフランスのワイナリーに1年間修行し、フランスワインには詳しい。チーズは何種類も食べたが昔から知っていたもの以外の銘柄を覚えない。
  三台目のシェフはフレンチが専門。パルマ産やイベリコ豚の生ハムもあるが、凝ったフレンチの惣菜が出る。甘鯛の塩竈焼きとか、鴨のコンフィなど、家では作れない品々で、季節の素材を調理してくれる。チーズは7〜8種から3品選ぶか1品かだ。木曜日などは奥の立ち飲みバーが満員になる。いつも奥のカウンターで席を作ってくれる。閉店間際に入り、最後に店を出る事が多いのでスタッフにはご迷惑だろうが、いつも気持ち良く送り出してくれる。もう4年くらい通っている。
美味しかったワインと、シェフ
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 中野はラーメン激戦区である。荻窪も有名だが、荻窪では13件くらいが駅周辺にある程度。中野は何とブロードゥエイ周辺で32軒もある。これらの3分の1が何年かで入れ替わっている。荻窪は丸長、大勝軒など、蕎麦屋から転向した店や、新たに進出した店が入り乱れている。醤油味のクラシックな店が多い。つけ麺なども蕎麦屋文化からの延長である。中野はそれを発展させ、青葉のカツオ出汁と豚骨の混じったコッテリしたスープを売り出し、さらにはつけ麺など、新しいラーメン文化の集積を生んだ。このこったス―プは近年の傾向で、新宿の武蔵さんどもその線上だ。一体何故こんなにラーメン屋が集中したかはよくわからないが、多分、ここに集まる若者の影響だろう。大学生や専門学校生が中野、荻窪に乗降する他、サラリーマンも途中下するのであろう。何故か永福町に大勝軒というラーメン屋があって、これはとにかく盛りが多い。あれは若い時でないと敢えて食べにいこうという気にはならない。今から30年以上昔でまだ、ラーメンがブーム以前でこれが荻窪ラーメンへと転移していったのだろうか。
新宿などは賃料も高く、駅から近いところは空室も少ない。その点中野や荻窪は有利である。それぞれ東西線や丸の内線のターミナルということで、これが阿佐ヶ谷や高円寺、西荻窪と違う。吉祥寺は渋谷からの井の頭線も来ているから、昔から都市形成のスケールが違う。駅付近は大きなビルになっており、途中下車して立ち寄る雰囲気ではない。
 ラーメンはレストランや和食に比べて、食材の種類が少ないし、食器や厨房設備が比較的小規模で投資も少なくてすむのだろう。食材も仕入れ先を厳選することは必要だが、麺、出汁用の食材で卵、鳥や豚の骨ガラ、ニンニク、ネギ、煮干しやカツオ、焼豚用の豚肉など7〜8種類くらいでも可能だろう。あとはメンマとか、薬味くらいで、中華を始め他の分野よりはるかにシンプルである。仕込みで切り刻めば、後は煮たりアレンジするだけだから従業員もそれほど必要なく、人件費効率も良い。リーダーに味覚へのこだわりさえあれば顧客はついてくる。特に、行列を作ってくれれば空腹も手伝い、味も数倍良くなる理屈。ラーメンの持つそのような形式的な面での一定のルールみたいな様式が、比較しやすく、いわゆる偏差値世代には受けるのだろう。
 学生や専門学校生が多い割には、ラーメン650とか850円、更に高級となると1,000円クラスになるのは昼食レベルでは高い。だから、むしろ、夕食等の主食になっているのだろう。昼間はコンビ二や路上販売の弁当、牛丼など500円前後で済ませ、夕食は豪華にラーメン+餃子+ビールのパターンではないかと推測する。カウンター10席、テーブル10席で一日5回転すれば100食で7〜10万円売上げ、材料原価は30%とすると5万円/日の粗利だ。従業員4人で人件費3万円、賃料光熱費1万円で1万円の純利益となる。純利益10%というのは悪くないが、これ以上は難しいから、投資としては規模の利益が少ない。後は行列させて効率を上げるしか無い。問題は競争が激烈ということ。この点結構厳しい商売だというのが印象。
 蕎麦屋、鰻屋、寿司屋と同じように、これも皆さんご贔屓がある。自分はやはり、家に近い、安い、待たないという3要素を重視したい。待ち時間が長いと、空腹のあまり、味あうより掻き込む感じになる。家の近所に雪だるまというラーメン店があり、ここのネギラーメンを結構気に入っている。ネギの量が多い。辛くて、豚肉も入っている。あまり清潔とは言えない店だが、夜食によく食べた。青梅街道沿いの天鳳のつけ麺も気に入っている。東京だから仕方が無いが九州ラーメンの美味しい店が少ない。スープが豚骨の良い出汁をだしたものでも、麺が太麺だったりする。その逆で細麺、お代わりありと言ってもスープが淡白すぎてお代わりしたくない。じゃんがらラーメンはやはり博多の味とは違う。東京で味わう地方ラーメンは、まともなのは東京で栄えた喜多方ラーメンぐらいで、後は皆亜流だ。札幌ラーメンでも本場の味とは違う。多分、手を入れて凝れば凝るほど違ったものになってしまうのだろう。
 最近見つけたラーメン店は東中野の新宿寄り改札口から線路(駅)沿いに中野方向に駅に沿った道が南側にあるが、その中程を南に30mほど入った角に、好日ラーメンというのがあってお気に入りだ。自然食という看板に引かれて入ったが、スープはあっさり味、面はやや太麺だが味は良い。店の雰囲気がこざっぱりしていて、どうもお店は女性だけで切り盛りしているみたい。突出しのようなモヤシの惣菜がついてくる。値段は850円でこぎれいなテーブルの感じが気に入っている。特につけ麺はさらりとしておすすめ。

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 ウォリアークイーン Boudica (2003)という映画をDVDで見た。

 2005年、4月、イギリス、ノーフォーク州のある農場の地中から、金と銀で作られた見事な古代の首飾りが。 鑑定の結果、40年前に発見された首飾りの一部で これが今から2千年ほどの昔、ブリテン島の残忍な支配者、ローマ帝国に敢然と戦いを挑んだ古代ケルトの女王ブーディッカが身に着けていたものであった。我々には、なじみがうすいが、その名は、古代ケルトの誇り高い女王として、多くの人々に知られている。ロンドンのウエストミンスター橋近郊に二人の娘とともにチャリオットに乗る女王ブーディッカと王女の像を見る事が出来る。ブーディッカは英語のVictoryの語源と言われている。イングランドは後にローマ皇帝ハドリアヌスが長城を築く等ケルト族の攻撃には悩んだが、長期にわたる支配が行われた。その理由が、この女王の戦いで、ブリテンが完敗した事だった。

 そんな歴史的な実在の女王の史劇スペクタクルということで、評判は大したことなかったが、見てしまった。ケルトの諸部族がブーディッカの下に集結。冷静沈着な将軍スエトニウス・パウリヌス率いる最新装備のローマ軍団の組織的戦術に、昔ながらの部族の戦い方で挑んでゆく…。また、子供がゲリラとしてローマ軍に挑んでいくシーンが独特だが、演出は見事に失敗しており、まるで鬼ごっこみたいにしか描かれていない。戦闘に際して髪を銀色に固めたり、目の周りを黒く染めたり、顔や体に青い色の渦巻きを描いたりするボディペインティングなど考証努力も伺えるが中途半端。ヘビメタ風やプロレスラー風の域を出ずに想像力不足で底が浅い。現物が博物館で見られる金属製の武器や装身具は再現容易だが、衣服は色彩に乏しく単調で、制作者に時間がなかったのであろうことが推察できる。ケルト人がまるで石器時代人のような未開人風。実際に発見された装身具は渦巻きの模様や金の金具など民族的な面白さ、さらに重厚さもある。ケルト人が独特な文明をもった民族であったことは殆ど描かれていない。今のイングランド人はノルマン、サクソン、フランスの混血で民族的には日本人とアイヌ人以上の差があるから、ケルトは未開人barbarianとして描くのだろう。

 ローマ軍との戦い方は、ただ攻めて行くだけで単調すぎる。ローマ軍の戦いを決したのは重装歩兵の盾を3段に使った巧みな運用と投げ槍だったが描かれていない。ただ、びっくりするのがスヴェトニウス役の顔が、実際の石像とそっくりだった事だが、映画とは関係ないことで、凝り過ぎというか、妙なところにこだわって、これもちぐはぐ。10万に膨れ上がったケルト軍団を1万で撃破した立派な戦績を残した司令官スヴェトニウスは当時の最高の軍人だった。
 ケルト軍は緒戦では大いにローマ軍を震え上がらせ、特に、ロンドンを廃墟と化したローマ人諸都市での攻撃は残虐の限りを尽くした。このことは描かれていない。ローマの神殿が地下の基礎を崩して倒壊させた状況も、何が何だか分からない。
 捕虜は取らず全員皆殺しにし、ロンドンのローマ人の上層部の婦人は体を刻まれたり串刺しになったと言われている。自陣に幌馬車を並べ、女子供の兵士の家族が戦いを観戦していた事をタキトゥスが記している。この家族の応援をもってケルト人は勇敢に戦った。ところが、10万の大軍を効果的に運用する戦術を彼らは持っていなかった。ローマ軍が投げ槍で反撃し、総崩れになった。ローマ軍は歩兵の標準装備の槍にソルフェルルム(別名サウニオン)、ピルム、ハスタの3種類があり、いずれも投槍である。この投げ槍はローマ軍のお家芸で、敵の盾に突き刺さると槍先の付け根が曲がって、槍を投げ返す事も出来ず、盾も使えなくなってしまう。そこを、ローマ軍のグラディウスという70㎝の短剣が肉薄するのである。実際には映画のような入り乱れての白兵戦は滅多に無かった。映画では仕方が無いが、重装備ではあのよな剣戟は10分ともたない。実際は追撃戦で虐殺が行われた。ケルト軍が退却するときに、この馬車が混乱の原因となり、結果的に、9万の死者を出してブーディカ軍は壊滅、ローマ軍は400人の犠牲しか出していない。ローマ軍の歴史的完勝であった。これはアウグストゥス時代に、ゲルマンにトイトブルクの森でローマ軍が2万の死者を出して完敗した事と対照的であった。このトイトブルクの森の戦いにヒントを得て女王は戦いを挑んだという説もある。ケルトをいかにまとめたかが本当は知りたいところだが、女王の手腕も描かれていない。

 無名の俳優が多かったが、主役の女王役はアレックキングストンという女優で、一人熱演だったが、何せ、周りの俳優も大根ぞろい。ネロ役もチンピラ風で、母親アグリッピナ役も、中途半端な変態親子になっている。イギリス映画はスペクタクルは苦手と見えて、時代考証、ローマ帝国の描き方など乱暴なところがあって頂けないシーンが多かった。公開当時、お笑いだ、ジョークだと酷評されている。調べてみると、この女優、どこかで見た顔だなと思ったが、それもそのはず、『ER緊急救命室』には第4シーズンから第11シーズンまで女医役でレギュラー出演していた。さらに、彼女は渋い演技で最近光っているレイフファインズと結婚していて、4年で離婚した。
この映画は、2004年に公開されており、恐らく、短期間で企画されたものと思われ、丁度、9.11後のアメリカとイギリスのイラク侵攻に呼応したものと考えれば、製作の荒っぽさが理解できる。スペクタクル映画というのは結構その時代の政治と結びついていることがある。イギリス人のナショナリズムを高揚させる必要があったのであろう。効果があったかどうかは分からないが、ケルト人の女王を設定し、イギリス人の祖先が命を惜しまず、名誉のために戦ったという姿を見せたかったのである。
 思いがけないローマ帝国とイギリスの歴史にふれることができた。
 下の写真はロンドンのウエストミンスター橋の女王ブーディッカ像
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