カテゴリ:書評( 114 )

姜尚中著 「心の力」「続悩む心」を読む

 姜尚中氏が続悩む心に続き、現代人の生き方を問う著作である。何故、今日このような問いかけに人々が答えを求めているのだろうかと思うところから読んでみた。姜尚中氏は自分より3年年下である。団塊の世代からは少し遅れ、全共闘の学生騒乱の時代を眺めてきた。彼の時代を読む目はひとつは日本の敗戦後の平和と高度成長時代、そして、全共闘の騒乱時代、そして、3.11東日本大震災後の時代認識の変化に注がれている。
 悩む力において、彼はマックスウェーバーと夏目漱石を取り上げ、二人の共通性、また、何を問題にしたか、をあげながら現代社会の傾向に関して新しい視点を提供しようとしている。自分は夏目漱石も、マックスウェーバーも読んだのは50年も前のことで、すっかり忘れていた。改めて読んでみようかなという気にもさせられた。「続悩む力」では、ウェーバーから、さらに漱石が学んだとされるウィリアムジェイムスを取り上げている。さらに、イギリスの無心論者ドーキンス、経済学のシューマッハ、夜と霧を書いた精神分析学者フランクルにも枝を広げている。悩みを求める人間の究極の答えは、フランクルにあるようだ。フランクルが人間の価値として1.創造、2.経験、3.態度 にその真価があるとしている。幸せをつかむ道である。人間はいつかは死ぬ。その中で幸せとは一体何かである。楽観論も悲観論も受け入れて、死や不幸、悲しみや苦痛、悲惨な出来事から目をそらざず、だからこそ、過去を大切に人生を存分に生きる道筋を真面目に考え、示すことが存分に生きる道であることを姜氏は伝えようとしている。「心の力」ではトーマスマンの魔の山の主人公ハンスと夏目漱石のこころの後日談として先生の相手役、私こと河出育郎の後日談として、二人が日本で出会うという著者の創作小説を組み込み、トーマスマンと夏目漱石の見た時代と現代を対比させながら、「心の力」に必要なものは何かを追求している。トーマスマンやマックスウェーバーが置かれた時代環境と、夏目漱石の時代の日本、そして現代が非常に似ているという。第1次世界大戦前の教養主義的世界をトーマスマンは魔の山のサナトリウムで小宇宙のように描いている。夏目漱石は日露戦争後の日本、さらに姜氏は「心」の後日談として戦中戦後の日本を河出育郎を、また、魔の山のハンスがワイマール時代からナチス時代を生き抜いた人物として日本の箱根で出会わせる形で小説タッチで描いている。「語り継ぐ」ということで心の先生の万年筆を、また、ハンスの記憶にある代々伝わる銀の洗礼盤を象徴として悩む力から心の力を得る道を説いている。
 東日本大震災と原発事故は日本人のこれまでの時代観を先の見えないものにしてしまった。先の見えない生きにくい時代である。科学や市場経済8への不信、さらにはイスラム世界の悲劇を名度を前にわれわれは立ちすくむ。そこに未来を切り開く処方箋として「悩む力」を心の力に振り向けることを提言している。

[PR]
 この本から、ナチズムとホロコーストの関係が鳥瞰出来る。ホロコーストと一言でいうにはあまりにも多様で、原因、その背景は様々な歴史的、地理的、国家的ひろがりがあり、何処から手を付けて良いやら分からなくなる程、20世紀の大きな出来事であった。ホロコースト・スタディーズ ダン・ストーン著(白水社)はホロコーストの研究がどのような地平に至っているかをみることが出来る貴重な著作である。

  ドイツにおいて、かつて、多くのインテリがナチ党員であった。特に、医師が多かった。ナチの理論を支えたのが優生学であった。この研究者から、アウシュビッツの恐怖の医師、メンゲレも育った。
優生学と人種衛生学の概念が最もよく当てはまるのは、ナチにより「障害者」「よそもの」「反社会的」とされた人々であった。ドイツ国民の福祉のために「障害者」「常習的犯罪者」娼婦、同性愛者、浮浪者、そして「ジプシー」がターゲットになった。医師の45%がナチ党員、25%が突撃隊員で二番目に多かった弁護士の25%が党員であった事を超えている。 180p ナチス時代の医学とは、常に、何よりも、選別を意味していた。生物学的に劣等なものは民族体から排除されねばならず、そうすれば民族のより良い将来が約束された。個人は意味をなざず、無慈悲に断種され、安楽死され、医学で殺された。アウシュヴィッツは医学による選別の最たるもので、決して医学からの逸脱ではなかった。だから、医師達が台に立ち、50才以上の男性、45才以上の女性をガス室へと選別したのだ。ヨーゼフメンゲレは最も頻繁に台に立った医師であった。彼はドイツ医学における選別の象徴なのである。184P
ナチスのガス室は断種と安楽死から始まった。「生きるに値しない人々:病人、老人、障害者」の殺害で始まり、ホロコーストで終わった。

緻密さとナンセンスの混合:ゲットーのユダヤ人は様々な人種が混ざっているといいながらユダヤ人は外見で分かるとしている。研究所における人類学者のリサーチは全く意味がなかった。あれほど村々を回ってデータを取ったのに、分析はほとんどなされなかった。もちろん、できるはずもなかった。ユダヤ性を測る、標準基準など存在せず、従って、形態学的な測定からいかなる結論も導く事ができないのは当然だった。仮にデータから推論できたとしても、人類学者達は最も簡単な統計処理の仕方も知らなかった。183P
T4作戦により、ドイツ国内の障がい者、精神病患者などがこっそりと殺害された。これが後にユダヤ人やロマの抹殺に至る原点である。T4作戦の意義はカモフラージュや殺害の技術にあるのではなく、周辺に押しやられた無防備な人々の殺害が、国民の大半により、公然にも、また、沈黙のうちに受容されたという明白な政治的成果であった。従って、抹殺計画が続行しても、ドイツ国民はこの政策に暗黙裡に国家の指導者が結論しても驚きではない。もし、自分の身内が殺されても講義しなかったのならば、もちろんユダヤ人やジプシー、ロシア人、ポーランド人が殺されても、彼らから抗議など期待も出来なかったであろう。P192

ダーウィン主義と人種論、さらに優生学から宗教的な神秘主義、1000年王国論などが一直線につながっているということは忘れてはならない。ホロコーストが一体なぜ起きたのかというのは、21世紀に入り、この事件を歴史的検証の領域において議論されるようになってきた。歴史の中ではヨーロッパの植民地で多くの虐殺事件があり、これとらとの連続性が検証されるようになった。「モーゼスの出発点は私がこの章の初めで述べた点にある。ホロコーストは反ユダヤ主義が原因であるという意図派の指摘は悪くはない。しかし、ヨーロッパ諸国の大半とは異なり、ドイツ版の反ユダヤ主義がホロコーストに行きつくには何かが起こったに違いない。」「1918年から1920年に植民地主義者が抱えたトラウマは、二度と内なる敵によって国家が転覆され、敗戦することがないように、ドイツ人に極端な手段へと訴えさせたのである。」現在、ホロコースト史学とジェノサイド研究が相互に影響し合いながら発展しつつある。ジェノサイド研究は歴史へと目を向け始めた。ホロコースト研究においてはこれが唯一無比であると言う主張は歴史的解釈というよりは倫理的な立場であるという認識に至った。さらにこれは比較研究の中でなされるべきなのだ。レムキンの著作は再び脚光を浴びたことと、入植地でのジェノサイドが議論されるようになったことの背景には、ある意味でのホロコーストのグローバル化がある。これは殺害の初期の段階しか当てはまらないが1941年あるいは42年の時点での東欧でのユダヤ人の殺害ー市の収容所が本格的に稼働する以前は、植民地の掃討であったという認識は西洋の歴史においてナチズムが占める位置に対する歴史家の認識を変えた。さらに一方ではユダヤ人の殺害は東欧の住人に対するジェノサイドの一部に過ぎなかったが、他方ではナチのユダヤ人に対する姿勢とスラブ人に対する姿勢とは違いがあることもわかった。ユダヤ人だけがすべて殺される運命にあったのであり、ドイツが植民した地域だけではなく、ヨーロッパ全域で絶滅される予定であった。ホロコーストはナチの空想の中の戦争であった。我々は人種科学、技術、官僚制といった近代的なテーマが、陰謀論や神秘主義、「血でものを考える」といった超越的なイデオロギー的暴力と一体化する様をみる。我々がホロコーストに恐怖を感じるのは、その手段が現代においても馴染みあるもの、人口調査、人間の分類、医療化、生権力などにあるためで、また、我々の合理的な生活が実は呪術的な考えに毒されており、状況によってはこれが悪用される事態を日常的に目にしているからだ。たとえば移民がもたらす病気を信じたり、衛生崇拝、身体文化への強迫観念等があげられる。これはロマが「破壊」を経た後も同じような体験を強いられている事実は反ユダヤ主義の否定が戦後ヨーロッパの合意の中で中心的部分をなしてきたことを思うと実に「驚くべきことだ。」285P

[PR]

 フィナンシャルタイムス 日本支社長を務めていたヘンリーストークス氏の驚きの歴史観である。氏は三島由紀夫、サイデンステッカー、ドナルドキーン氏などの親日文学者と親交を結び、日本人の名誉や誇りが、第二次大戦敗戦の結果地に落ちた事を憂う数少ない西洋人である。興味深かったのは、記者であることから、実際に多くの著名人と会った印象を率直に書いていることである。白洲次郎、安倍晋太郎、金大中、シアヌーク、麻生太郎氏の母、麻生和子氏(吉田茂の三女)、三島由紀夫など。しかし、彼はジャーナリストであって、かなり文学的な素養はあるが、外交や歴史家ではない。ところがこの本では歴史認識や外交問題の難しい部分に触れており、中途半端な知識から大胆な発言になっている。ということは、彼の様な外国人並みの歴史観、知識を持った日本人が、真に受け、喜ぶ内容である。彼は三島のような日本の著名人と親交を結んだ時にかなり視点がぶれてしまい、影響を受けすぎている感じがするし、日本で今右翼的な言動をしている人達の歴史的認識は、この程度と言える。彼は、海外のジャーナリストよりは遥かに日本通だが、敢て敗戦国の立場に立っている。ダワーの「敗北を見つめて」より独断的な解釈が多い。
 この本で書かれている事は、日本人なら誰もが思う通説の数々である。今頃何を言ってるのだろうか、30年前に言ってたら大したものだ。従軍慰安婦、南京事件、東京裁判、いすれも日本人に取って誠に切歯扼腕してきたテーマだから、特に右翼陣営には有り難い外国人である。残念な事に彼がフィナンシャルタイムズに在籍していた時にはこのような主張を海外において展開してはくれなかった。今は、引退して、言いたい事を言える立場なのだろう。日本は、こうした中国や韓国の国際情報戦争に負けていることもご指摘の通り。何故かという事をもっと掘り下げてもらいたい。海外では敵対する相手に対して、悪態をつくのは常識であるが、これを世論作りという手法にもとり込んだり、歴史教育として国民向けにも活発なプロパガンダを行なう。特に、中国や、韓国の歴史認識は日本、いや世界とも違い、学問の裏付けは無い。悪辣なねつ造や、誹謗中傷に満ちた内容を平気で載せてくる。これにどう対処したら良いのだろうか。戦前も日本は鬼畜米英などといって欧米人の人格否定を行なって来た。中国人や韓国人も、チャンコロとか、朝鮮人をチョン公とかいって馬鹿にしていた。その結果が今も尾を引いていて、中国や韓国の現在の優位にある産業などを過小評価する傾向がある。
 そうした行動は全く未来に益がなく、歴史が立証している。中国や韓国の歴史認識を正そうにも連中には聞く耳が無いだろう。それではどうしたら良いのか。それは中国や韓国が日本を非難するほど、公明正大に自国の歴史の暗部を公にしていない事を指摘するしか無いだろう。中国が南京で日本軍が不注意にも犯した犯罪や、便衣兵の射殺、さらには国民党軍が行った督戦部隊の自国兵の射殺を南京事件に転嫁したこと。慰安婦問題が事実とはかけ離れた日本人を卑しめる卑劣な外交戦術であることに対抗するには同じ方法で彼らの行為を拡大攻撃するしかない。韓国軍がベトナム戦争で何をやっていたのか、中国人が文化大革命で何をやっていたのか、光州事件、天安門広場事件、さらには文化大革命で1000万人以上の自国民を闇に葬り、チベットや、ウイグルで何をしているのか、反証する事が大切である。これを海外のメディアを使って発信する事である。政府や自国のマスコミがやっては何の効果もない。他国のマスコミを取り込んだ広報の工夫である。かつて中国国民党が南京事件をねつ造したのと同じ手口である。

[PR]
ヒトラ-とユダヤ人 (講談社現代新書) [新書]
大澤 武男 (著)

 今更ナチスの犯罪行為について何おか言わんやだが、最大の犯罪行為、ユダヤ人絶滅をドイツが国家として取り組むに至ったのかについて謎の部分が今なお多い。この偏執的な政策を誰が主導したのかは明らかにヒトラーだが、ヒトラーの政策の推移を研究し、この本で明らかにしようと試みた。ヒトラーがその人格形成で反ユダヤ思想を持つに至った過程、そして、妄想ともいえる偏った考えをさらに進め、「我が闘争」で構想した事が、世界大戦の終盤に至り、開花するまでのいきさつである。歴史は繰り返す。ヒトラーが行った愚行はユーゴスラビアや、北朝鮮、今の原理主義イスラムテロでも形を変えて繰り返されている。彼の論理は、被害者意識とか、一方的な思い込み、議論の拒絶、誤った歴史認識など現代政治の世界では存在し共通している。
第二次世界大戦はドイツでヒトラーが台頭しなければあのような形では起きなかったし、あれほど巨大な犠牲者を出さずにすんだであろう。ヒトラーという狂気の思想ー思い込みが600万人というユダヤ人の犠牲を生んだ。ユダヤ人以外にもロマ、ロシア人捕虜、政治犯の犠牲も膨大であった。ヒムラーやゲーリング、ハイドリッヒ、ゲッペルスといった取り巻きが引き起こした事の根幹をなすのがヒトラーという特異な個人であったことがこの著者の言いたかった事である。ヒトラーは政権を取った直後は反ユダヤ政策がアメリカをはじめとする諸外国からの非難を受け、経済活動、特に輸出に悪影響を及ぼす事を懸念し、むしろ、ナチス幹部からの突き上げを受け、なだめる立場であった。しかし、彼はじっとユダヤ人排撃の機会を窺っていた。

 ヒトラーも政権を取った初期においては、ユダヤ人を抹殺すべきと思ってはいたが、それはドイツをユダヤ人のいない国家にするためであって、彼らはどこか他の地域に追放すれば良いだけのことであった。実際、ポーランドに侵攻する前には、多くのユダヤ人ー特に富裕層は国外に脱出している。ところが、第二次大戦となってポーランドや東欧諸国、さらにはソ連に勢力を拡大するに至って、膨大な数のユダヤ人を抱え込むことになった。この問題を解決するために、絶滅収容所が建てられ、アウシュビッツ、トレブリンカ、ソビバー、ヘウムノといった殺人工場が建設された。ナチスの台頭でオランダやフランスに逃れたユダヤ人も行き所を失って収容所に送られた。犠牲者は行き所のない貧しい層と被占領地のユダヤ人であった。また、ドイツ軍は占領地でのユダヤ人狩りを行い、戦争遂行の妨げになると思い込んだユダヤ人を大量虐殺した。有名なのがキエフを占領し、数日でSSが3万人を銃殺したことである。さらに、スターリングラードの敗北以後、ヒトラーは敗北という悪夢に日々苛まされ、その矛先はユダヤ人に向けられていった。
 その狂気ともいえる殺戮はハイドリッヒ、ヒムラー、アイヒマンなどのナチス官僚のヒトラー忠臣グループがヒトラーの「支持」を得て行った。ヒトラーは細かい指示を敢えてお行うことなく、取り巻きの官僚達に暗示的な命令によってこれを実行した。ナチスの幹部達は結果的にヒトラーの「指示」に従ってこれらを実行した。その数は590万人〜525万人と推定される。

アウシュビッツ看守達の慰安旅行 皆20歳代の青年だ
e0195345_2253987.jpg

証拠隠滅のため破壊された死体焼却場

e0195345_228692.jpg

 一人の夢想家の邪悪な偏見から一つの民族が絶滅させられようとした。さらには、独ソ戦やヨーロッパ戦線での犠牲者をあわせると4000万人ともいえる膨大な死者を生んだことになる。戦争の歴史的意味ではむしろ第一次世界大戦が世界史の転換点だったが、その結果が大量殺戮の第二次世界大戦であった。ドイツ自身も660万人(戦死335万人)という死者を出した。特に、二十代か三十代の若い層男子が極端に減少し、女性の結婚相手がいなくなってしまった。さらに、終戦後、チェコやプロイセン、ポーランドなどにいたドイツ人は悲惨な追放と殺害によって戦後も50万人以上が殺された。悲惨な歴史となったのである。1944年7月シュタウフェンベルグのヒトラー暗殺失敗後、10ケ月の間、民間人含めて300万人が犠牲になった。そこでヒトラーが死に、戦争が終われば、助かった人々の数であり、ユダヤ人も含めればもっと多くの命が救われたはずであった。

[PR]
 ノーベル賞作家、ギュンターグラスの作品である。ナチスの「歓喜力行団」で活躍した旅客船「ヴィルヘルムグストロフ号事件」がテーマである。ギュンターグラスはブリキの太鼓で一躍世界に知られるようになった。自分は映画しか見ていない。奇妙な映画だった。東プロイセンの海辺の町に生まれた成長の止まった障害を抱えた少年の物語。ナチスの勃興に異常な興奮と警鐘のような太鼓を鳴らすシーンが印象的だった。又、近年、彼は元武装SS隊員だったことを告白し、非難を浴びていた。そのような意味からすると彼のナチス観はかなり本物だということである。ドイツはワイマール共和国から、カフカの小説「変身」に描かれたザムザ、さなぎから羽化した昆虫のように変質した。それがなぜ可能になったのか、ドイツ人が民主主義も社会主義もかなぐり捨て、国家社会主義ーナチスに共感したのか。ナチスは新しい社会を映画をはじめ、様々な仕掛けで演出した。ベルリンオリンピック、アウトバーンやフォルクスワーゲン、そしてこの歓喜力行団の船であった。ヨーロッパに根強い階級社会から抜け出す象徴が、等級の無い客船、グストロフ、そして親衛隊。ナチスは多くの底辺の人びとに、国家社会主義に未来があるかのごとく虚構を見せた。そして最後はあからさまになった出鱈目である。難民も軍人もいっしょくたに詰め込み、潜水艦対策も行わず、しかも、荒海を頼りに航行灯までつけて出港した。ベルリン攻防戦まで一直線に進んだナチスの崩壊を物語る断末魔が生まれた。日本も沖縄戦の前に対馬丸が米海軍の潜水艦に撃沈され1418人が犠牲になったが、ドイツの場合、犠牲者の数が突出している。ソ連海軍はサハリンからの避難民の船も無差別攻撃して、小笠原丸と泰東丸が沈没して1,708名以上が犠牲となった。ソ連の蛮行は許しがたい。戦争に正義など無いのである。

 大戦末期、ソ連軍は東プロイセンに侵攻し、ケーニヒスベルグなどから多くの難民がダンチヒ経由の船でドイツ本土に逃げようとした。そのときに、このグストロフ号は1万人ほどの難民を乗せ、ゴーテンハフェン港から航行の途中、ソ連潜水艦S13に発見され、3本の魚雷により沈没した。8千人を超える人々が凍てつくバルト海に沈んだ。その半数が子供だったといわれる。マイナス13度の真冬の海に沈んだ。水温は2度で、荒れた海面に沈んだ。タイタニックの比ではない、世界の海難史上最大の悲劇であった。タイタニックは大富豪や美女を乗せていたが、グストロフは疲れ切った難民、傷病兵、女子供、ナチスの海軍軍属であった。この船以外にもS31は2月にはシュトイベン号、4月にはゴヤ号と2隻の難民船を沈め、2万人以上の死者を出した。ところが、事件は東西冷戦下、ソ連によって封印された。撃沈戦果を出した船長は英雄の称号はもらえず、勲章だけを得た。あまりのひどさにソ連は封印したかったのだ。生き残った1200人ほどの人々の中に、妊婦もいた。救出時に産気づいて一人の男の子を出産した。その母親と、戦後成長して記者になったこの作品の語り部、そしてその子供が戦後3人三様の立場で、この船の遭難を語る。母親は東ドイツで指物師として戦後を生き、共産党政権下を巧みに生きる。遭難中に生まれた長男は、冴えない記者として西側に渡り、有能な妻に離婚される。長男はインターネット上で、ネオナチ的論陣をチャットする。それぞれが、戦中、戦後、現在を、行ったり来たり、蟹の横ばいのように真っすぐに真実に向かわず、過去を語って行く。ヒトラーが政権を取って、ドイツを掌握し、歓喜力行団のツアーで労働者を骨抜きにしていく。船名はスイスで暗殺されたナチス幹部の名前であった。当初はアドルフヒトラー号とする予定であったが、暗殺事件を巧みにプロパガンダに利用した。大戦末期ドイツ海軍は東プロイセンから250万人の難民を避難させることに成功したが、その陰に大きな犠牲が生まれていた。

 ソ連軍の東プロイセン侵攻は虐殺事件を生んだが、それから逃れようと200万人を超える難民が発生した。彼らは厳冬の逃避行中に女子供を含む多くが亡くなった。ようやく行き着いたドイツから船に乗ってさらに本土に行く途中に再び災難に出会ったのである。また、難民の多くがドレズデンに逃れたが、ここでも、イギリス空軍の爆撃を受け何万という死者を出した。ズデーテン地方のドイツ人も、終戦後チェコ人の迫害と逃避行で20万人と言われる多くの犠牲を生んだ。ドイツの大戦末期の犠牲者、特に民間人の死者は最後の1年間に急増した。ソ連兵の蛮行は今では知れ渡っているが、この船を撃沈した S13にはそれなりの正当性もあり、また、難民のみならず、傷病兵、軍人も乗せていたドイツ側にも非があった。潜水艦側も、船長が出航前の飲酒等の不始末を起こし、反逆罪で告訴されようとしたのを挽回しようと、積極的にドイツ避難船を攻撃したという。ギュンターグラスの視点は今になって明らかにされた第三帝国の崩壊の姿を明るみに照らし出している。

第二次大戦後ドイツ人で占領国などから追放されたドイツ民間人は1200万人でれそのうち200万人が死んだという。確かにナチスはホロコーストを生んだが、周辺諸国の報復もすざまじかった。だから、戦後ドイツの贖罪ばかりを追求することはできなかった。1986年に発表された調査 (Die deutschen Vertriebenen in Zahlen. Gerhard Reichling. 1986 ISBN 3-88557-046-7) によると、民族ドイツ人の追放は次の通りである。

1945年以前のドイツ東部から7,122,000人
グダニスク(ダンツィヒ)から279,000人
ポーランドから661,000人
チェコスロヴァキアから2,911,000人
バルト三国から165,000人
ソ連から90,000人
ハンガリーから199,000人
ルーマニアから228,000人
ユーゴスラビアから271,000人
追放された民族ドイツ人の総数は11,926,000人である。1950年には人口の自然増加によって12,400,000人になった


[PR]
 アメリカ映画などで見る「ドイツ兵」は全く見事な悪役である。彼らがいなければ戦争映画は成立しない程である。彼らは傲慢で、まるでロボットのような兵士、皆機関銃を持ち、そして、映画の主人公にいとも簡単に撃ち殺される。タランティーノ監督の「イングロリアス・バスターズ」のナチスやゲシュタポはなかなかの強力悪役だが、この映画でも、見事に屠殺といっていいようにブチ殺される。最後はナチの幹部もろとも映画館で焼き殺されるという塩梅だ。他の映画でも、ドイツ兵は無機質な秩序だけで動き、時には卑しく、助兵衛である。最近のドイツ映画ではさすがに人間性のあるドイツ兵の主人公がヒューマニックに描かれるようになった。映画U-ボートとか、ヒットラー最後の12日間、スターリングラードなどである。我々はそうした映画や、記録映画のナチス的な軍隊の行進とか、マシーンのように大砲を打ちまくったり、戦車に乗った戦争マシーンのような映像を見ることが多いのである。しかし、この本ではドイツ兵が家族にあてて送った手紙を集めて解釈し、その文章から生身のドイツ兵が伝わってくる。彼らは1944年の夏以降、急激に悪化する戦局の中で、死に直面し、家族あてに手紙を書いた。23人の元ドイツ兵の手紙である。これを見るとナチ党員だったのは6人である。彼らは戦地から検閲をくぐり、かなり自由に思いを寄せているという印象である。この中で、戦争を遂行してきた軍の責任と自分自身を明確に分けている。兵士も、その家族も被害者であって、野蛮なロシア兵から守らねばならないというトーンが行動の柱となっている。ドイツはあくまでも文明国である。そして、侵攻した国々は皆ドイツより劣っている。ロシアは不潔だし、フランスは信用ならない。イタリアはいい加減な国といった先入観から抜け出していないところが面白い。
 義務や秩序、清潔であることや精神を大切にする国民の心情が表れているものも多い。逆に、ロシア兵の野蛮さ、ロシアやポーランドを不潔で文化的に劣った地域であって、戦地にいる手紙の主が望郷の念にかられている切ない心情も垣間見ることができる。聞け、わだつみの声といった日本の学徒兵の手紙や遺書にも似たところがある。自分の故郷やその家族への愛情と、なぜ自分は戦わなければならないのか、戦局の悪化に対してどう考えたらよいのかなどは、やはり、検閲を意識しているのかもしれない。ドイツの戦地での暴力性はほとんどオブラートに包まれ、自己の正当化が強く出ており、むしろ被害者である。ロシアやイタリアなど、侵攻した土地でのパルチザンに対する戦いなども経験した兵士も少なからずいた。しかし、彼らには正当性があり、攻撃してくる連中は卑劣なギャングどもなのである。これはどこの戦争国家の国民もそうで、日本も鬼畜米英などと言っていたのだから理解できる。この本から何を読み取るかである。それはやはり、ナチスのイデオロギーが兵士たち、国民にどのように浸透し、彼らの兵士としてのエネルギーになっていたのかである。この本により見出したいのは、ナチスとは一体何かである。反共産主義、反ユダヤ、民族共同会、反女性解放、生存権、人口政策、暴力崇拝、戦友意識、ヒトラーへのカリスマ的崇拝、ナチス体制に対する主体性や心情などである。しかし、この手紙群からはそうした特徴はあまり見られなかった。むしろ、伝統的な生活信条や人種蔑視、偏見、被害者意識の方が強くでている。大戦末期の救いようのない状況を前に、「可哀そうなドイツ」を何とか守らねばならなかった。日本と違い、ドイツは国土を戦場として総力戦を戦った。その心情たるや日本と大きく違うと思いきや、意外と似通った部分が多い。この本の巻末にある整理がナチス国防軍兵士の心情を表している。「主体性の剥奪」と「過剰な主体」である。この二極の中から、あのドイツ兵の暴力性が引き出されたということである。

[PR]
 ワイナリーとフレンチレストラン「ヴィラデスト・ガーデンファーム・アンド・ワイナリー」のオーナー。こんな生活は誰もが描く夢である。お金が出来た芸能人とか、スポーツ選手が飛びつく話だが、あまり成功しないだろう。こうしたビジネスの厳しさは中途半端ではないからだ。全身全霊で打ち込まねばならない。著者はそうして成功させた。そしてこの本を書いた。玉村氏は何も、全くの無知の素人からレストランを始めた訳ではない。彼はフランス文学を学び、パリに留学した文化人である。しかし、ビジネスには素人であった。 里山の森の一角に個人で立ち上げたワイナリーとレストランが大成功した。その道のプロの誰もが無謀だと断言した理由は、その店の立地の悪さであろう。しかし、フランスにはこうした所に三ツ星のレストランが存在する。素人ビジネスとはいえ、全く日本には無かったコンセプトのお店をクリエイトしたのである。何故客を呼び寄せ成功に導かれていったのか?彼も、当初東京で小物を売る店を経営し、失敗している。ビジネス上の計算は本当に無かったのだろうか。ビジネスはやはり採算である。当時の失敗から、仕入れ、コスト意識と言った商売の基本を身につけたのであろう。やりたいことのコンセプトが明快であっても、これだけでは成功しない。里山の自然の恵みとともにある仕事をやりながら暮らしを成り立たせる、それが里山ビジネス。彼のコンセプトでユ二ークなのは拡大しないで持続するということであろう。そのためにはやはり、ある程度の利益を得なければならない。愚直で偽りのない生活とビジネスとは両立することを証明している。
 
 ワイン栽培は、日本のような風土では本当に大変な作業である。フランスやイタリア等、ワイン文化は単なる消費者のみならず、産業構造が出来上がっている。そして、ワイン作りには初期資本が5000万円以上無ければできない。酒造には様々な規制がかかっている。この本でも、様々な規制を乗り越え工夫した奮闘の跡が見られる。新潟では「深雪花」とか、カーブドッチのワイナリーなどワイン作りも近年盛んになってきたが、全て自家原料で作っているのだろうか。自分は、最近、地場産愛用を心がけているが、やはり、若い感じがして、時々フランスやイタリアの銘柄を飲みたくなる。そんな時には中野のプチ小西に行って旧交を温めている。

 今、大都市のみならず、地方都市の郊外にある中山間地が過疎化し、崩壊の危機にある。ではどこでも、里村氏のようなスタイルで取り組んだら成功するだろうか。新発田市も中心市街地が衰退し、シャッター通りである。これをシャッター通りになった店の人達に元に戻せと言ってもそれは無理だ。そうなった原因は彼らにもあるからだ。もちろん、交通網の変化、大規模店の進出も大きな原因だが、これはもうどうしようもない、所期条件である。そこで、中山間地の農産物の6次化というコンセプトが生まれた。安倍政権もしきりにTPP対応策として提唱している。中山間地の休耕地を使って、蕎麦、野菜などを市街地のレストランに直接買ってもらい、レストランは新鮮な取り立て野菜の、オーガニックなどの付加価値をつけてレシピも開発する。その土地ならではのライフスタイル、その土地でなければできないものは何か、そこに行かなければ食べられない料理などで観光を組み立てる。農業高校や、大学が市場を調査したり、マーケットの動向を情報収集するなど、高齢化した中山間地の農家の出来ない事をサポートする。もちろん、農協も関心を持っている。

[PR]
ホロコーストと“ミルトンメルツァー”の「ネバートゥフォゲット」(新樹社)を読んで。

 ナチスのホロコーストでいつも疑問に思うのが、何故、ユダヤ人はあれほどまでに、ナチスの攻撃に無抵抗だったのか。まるで、屠殺場に向かう家畜のように死に向かっていったのか。それはナチスによって巧妙に仕掛けられた罠があってなされたことである。ナチスが政権を取ってから様々な試行錯誤を経て、作り上げた殺人システムが機能したのである。この実態を平易な表現で、子供たちに聞かせるように語り継いでいる。ユダヤ人をゲットーに閉じ込め、飢餓に陥れる。絶滅収容所に送り込むためには、飢えた人々にパンを支給する事を餌に集合させ、そこから一網打尽に皆を輸送ルートに乗せて行く。巧妙な仕掛けなのである。アウシュビッツに到着しても、まさか、着いたらすぐに選別され、あっという間にガス室に送り込まれるとは誰も思わないだろう。人間は環境を変えられると判断力が低下する。そこを突いて行く。
 
 アウシュビッツの死体焼却場(クレマトリウム)は1944年に破壊され、証拠隠滅された。しかし、だからといって、ガス室がなかったとかホローコーストを否定する事にはならない。多くの証拠が有り余るほど存在する。
 
e0195345_14591958.jpg

 
 もし、ヒットラーがいなかったら、20世紀の戦争における死者の数は大きく減り、1千万人以上が死なずにすんだろう。というのは全く見当違いの推論である。そもそも、戦争の原因はほとんど、ヒットラーにあるからだ。日本でも、日独伊三国同盟がなければ太平洋戦争は起きなかっただろう。もちろん、もし、スターリンがいなければ、当時のソ連における多くの犠牲者は何千万人という単位で減る。スターリンは国内の粛清と経済政策の失敗による飢餓、民族強制移住だけで1000万以上は殺している。ヒットラー以上の殺人者はスターリンである。しかし、とにかく、20世紀最大の悪役は彼としてもいいだろう。数百万というユダヤ人の死者はヒットラーに責任がある。彼は、あの、偏執狂的な反ユダヤ思想の原点であるし、これを画策したのも彼だからだ。しかも、その反ユダヤ思想というのが、全くの誤解による、いい加減な産物だ。でたらめな人種理論により、ユダヤ人のみならず、ロマやロシア人など、当時のドイツ人から異質と思われる人々が抹殺の道をたどらざるを得なかった。この点、これほどの徹底した殺戮が行われたのは人類の歴史に例を見なかったのである。
 
 この20世紀最大の悲劇を、実にコンパクトにまとめたものが、この「ネヴァー・トゥ・フォアゲット(Never to Forget)ミルトン・メルツァー著」である。これまで、ドイツのナチスと世界大戦時の蛮行に関しては多くの研究があり、ここで取り上げるまでもない。しかし、この著者は、当時の人々、ユダヤ人やその子供たちに視点を置いて、ナチス政権がどのようにドイツを支配し、ユダヤ人迫害が始まったのか、そしてこれらは一般市民の中でどう受け取られていたのかを語っている。だから、この著書のなかで、当時の人びとの証言が多く含まれている。家庭の中、あるいは収容所の経験者、さらにそこでの子供たちの姿、ゲットーの中の生活など、あの大戦での死者の立場ですべてが語られる。もちろん証言をするのは生き残りの人びとである。ナチスによる、ユダヤ人絶滅計画の全貌が、これほど分かりやすく、歴史のまっとうな解釈により説明された著書は類を見ないだろ。夜と霧、ルドルフ・ヘスのアウシュビッツ収容所の告白記など、多くの著作や映像、さらに、シンドラーのリストなどの映画も製作された。しかし、その巨大な実像は未だに解き明かされたとは言えない。この本では、あのコルチャック先生とその孤児たちが収容所に向かう情景が描かれている。胸を締め付けられる光景が表現されている。

 ホロコーストは前段階がある。ユダヤ人の追放や差別からはじまり、水晶の夜事件、ドイツ軍のポーランド侵攻、そして、独ソ戦におけるキエフや各都市でのアインザッツグルッペンの殺戮、さらに収容所列島の発展の経緯など、ナチスのユダヤ人絶滅の作業は様々な変遷と時間的経過を経ている。そして、その実行状況は必ずしも一貫していない。それだけに、歴史の中で多くの謎が含まれる。そこを突いて、ホロコーストは無かったとか、ガス殺は無かったといった、いい加減な批判や反論がなされる。ホロコーストを知らなかった人々がその実態を知ることは容易ではない。ドイツ国民もそれを知らない世代が増えている。二十世紀は戦争の世紀といわれる。第一次、第二次世界大戦、ロシア革命、中国革命、その他諸紛争を入れて2億人以上が殺戮された稀有な世界史的な出来事があった。ものすごい数である。これだけの人びとの人生が、そして生活が奪われ、後世の人はそれを語り継がれるべきだとすれば、途方もない作業があるだろう。しかし、その仕事こそ、二度と悲劇が生まれないようにする方法なのである。死者の数が単なる統計で思い起こされるようになったとき、その悲劇は再び繰り返されるからである。

[PR]
  遠藤周作の「沈黙」に続く作品で、野間文芸賞を受賞した。沈黙があまりにも有名でその陰に隠れているが、内容は沈黙に並び立つ優れた作品だと思う。日本人とキリスト教という課題を海外の視点から語っている。かつて歴史に埋もれていた支倉常長の7年にわたる長い旅の記録である。資料は殆ど無い中、遠藤は自らの渡欧体験や海外取材で優れた描写を行なっている。

 明治になって、岩倉使節団がヨーロッパを訪れたとき、ヴェネチアで支倉が訪問していた事を知り驚愕したという記録がある。ローマ法王に謁見し、拝領した当時の法衣や教皇の肖像画、短剣が仙台に残されている。また、彼の肖像画はベネチアで発見されたのである。今年、仙台では東日本大震災で破損した復元船の改修と記念館の再開が渡欧250周年記念に併せて行なわれる。

ローマ法王に謁見した時の支倉常長像
e0195345_14354839.jpg

震災前のサンファンバウティスタ号;流石に大きい。日本でこれだけの船が建造された事が凄い。しかも、5ヶ月で完成し、スペイン人もびっくり。
e0195345_14361568.jpg


スペイン側の記録にある支倉常長の雰囲気を表していると言われる肖像画

e0195345_14363715.jpg


東日本大震災により損壊した記念館とサンファンバウティスタ号の補修工事が進んでいる
e0195345_21574940.jpg


 支倉常長の渡欧と信仰の物語であるが、この物語はべラスコという日本宣教に情熱を燃やす神父の語りによって構成される。侍(長谷倉殿)と表現される彼は伊達藩の支倉常長のことである。支倉常長は太平洋をサンファンバウティスタ号に乗って、メキシコを横断し、大西洋をわたってスペインに行き、さらにローマ法王に謁見している。彼が、日本に帰国した時は既に禁教令が出され、鎖国に向けて日本が進んでいた時であった。なぜ彼はこれほどまでの大旅行を行い、何を見、異国の地で何を考えたのか。作家の想像力を大いに刺激する歴史的な出来事であった。この物語は、どんな事情で支倉達の大旅行が7年もかかったのかを語る。彼らを待ち受けたスペインや修道会の日本に対する宣教の方針転換の時期であり、語るポーロ会(フランチェスコ会)のべラスコ修道士と彼に敵対するペテロ会(イエズス会)のヴァレンテ神父との対決に物語が進む。支倉一行は仙台藩の家臣に過ぎない。幕府が公式の使節として派遣したわけではない。しかも、幕府はキリスト教を禁止する方向にあるというのが反対派の見解である。当時は既にキリスト教が秀吉によって禁教令をだされ、殉教も始まっていた。宣教と国交ー貿易とを一体にして国交を進めるスペインの外交は、日本に対して後退期に入っていた。日本の宣教が失敗であったとされると、支倉達がスペイン国王に謁見する理由がなくなる。そこで、使節一行は洗礼を受けるのである。使節団を案内したバレンンテ神父の勝利である。彼らはスペイン国王に会うことができる。しかし、同時に、仙台藩でもキリスト教の迫害と殉教者がでたという情報が伝えられる。

 支倉達の改宗はいかなるものだったのか、という疑問が次に起きてくる。彼らのスペイン国王との謁見を実現するために、敢えて信じたくもないキリスト教の洗礼を受けたのだろうか。さらに、支倉はローマ法王に謁見することで事態を打開しようとする。しかし、1612年の禁教令により、日本はキリスト教の宣教を禁じた。ローマ法王庁も、スペインも、支倉達の国交に向けた外交交渉を行う理由を失った。彼らの渡欧の目的は失敗であった。しかし、最後に法王は支倉達一行と謁見を行う。そして、彼らは伊達公の書状を読み上げることに成功する。
 「宗教に現世の利益だけを求める日本人。彼らを見るたびに私はあの国には基督教のいう永遠とか魂の救いとかを求める本当の宗教は生まれないと考えてきた。」「日本人たちは、奇跡物語や自分たちのどうにもならない業の話には心ひかれるが、キリスト教の本質である復活や自分のすべてを犠牲にする愛について語ると、とたんに納得できぬ興ざめた顔をすることを私は長い経験で知っているからである。」これはあくまでも遠藤のキリスト教と日本人というテーマである。

 支倉は日本に帰国後信仰を捨てたということになっているが、史実はどうも違うようだ。彼の女婿や下僕等、周囲の人々がキリシタンとして殉教しているのである。彼だけが棄教したとは思えない。彼は日本に帰国後2年で病死している。遠藤は、イエスキリストの受容、さらにキリスト教の信仰が日本という土壌に馴染まない理由をこの作品の登場人物の思考を自身に重ねて語っている。しかし、史実は必ずしもそうではないようだ。常長の子常頼は1640年、禁教令を破り、斬罪に処される。召使い3人と弟常道がキリシタンであったことの責任を問われたもので、召使い3人も殉教。また、支倉の旅の報告は伊達藩から幕府に対しなされており、闇に葬られたわけではない。支倉の信仰にしても、当時の日本の対応にしても、遠藤の描く日本は矮小な感じがするのが残念である。遠藤自身の問題意識を超えた所に支倉の真実はある。
<2013-07-09 16:10/span>

[PR]
  書評 遠藤周作 「死海のほとり」 

 遠藤周作著作集の三巻に支倉常長のことを書いた「侍」を読もうと図書館から借りた。ところが、この間の半分は「死海のほとり」だった。もう、20年くらい前に読んだ本だが、憶えているかどうか、気になったので、読み始めたら一気に読んでしまった。やはり殆ど記憶になかったが、コバルスキー、「ねずみ」というあだ名の修道士のことはかすかに残っていた。遠藤のキリスト観の集大成のような作品である。この作品は主人公のイスラエル旅行と、戦中でのカトリックミッションスクール (多分上智大学) の思い出、そして聖書のイエスのガリラヤ伝道と最後の十字架の受難の物語が三層になって組み立てられている。
 主人公は大学時代、熱心なカトリック信者となった友人とイスラエルで再会する。友人は聖書学を現地で学び、国連職員として駐在している。主人公の旅の目的は、イエスの旅を辿り、イスラエルにいる強制収容所の生き残りから「ねずみ」というあだ名であったコバルスキーという修道士の消息を知る事でもあった。戸田と違い、常に迷いの中にある作者は、イエスにこだわり続け、小説家として、13番目の使徒という作品の取材に行くのである。友人の戸田はイエスを歴史的存在として調べるほど、信仰は薄れ、かつての情熱はすっかり無くなっていた。そこで、この小説では、戸田の描くイエス像に従って、主人公がイエスの受難の道を辿る物語が並行して語られる。この受難物語のイエスは、無力で、奇跡など起こす事が出来なかった、最後は周りから見捨てられたイエスである。しかし、愛の人という点では、古代の常識を超えた行動を示した姿が描かれる。この小さき者にしたのは、すなわち私にしたのである。この物語に織り込まれたイエスの受難物語は、友人の戸田から作者が受け止めた歴史的イエス像である。

 何故、主人公は「ねずみ」という修道士の最後を知りたかったのだろうか。ねずみは、修道士としては情けない、自己保身欲の強い、計算高い人物であったが、これは主人公の負の自分自身とも重ねている。そして、その対局に、強制収容所で、餓死刑を宣告された囚人の身代わりになって亡くなった「マディ」という神父の事が詳しく書かれている。この部分は実話として知られる、ポーランドのコルベ神父の話をモチーフにしている。遠藤周作は、自分自身を「戸田」と「ねずみ」を自分の分身、そして、学生時代に戸田に影響を与えたノサック神父と「マディ」神父をコルベ神父に重複させてモチーフにしている。自分のような自己中心的な人物に救いはあるのか、俗世間にいる人々にイエスの救いはどう関わるのかというテーマである。
 ネズミがドイツのゲルゼンという架空の収容所に収容され、そこでの彼の振る舞いを見せつける。コルベ神父をモチーフにしたマディ神父の逸話を対比させて我々の信仰を対比させている。
 ここでは、マディ神父や、学生時代の寮監だったノサック神父、さらには巡礼団のリーダー的存在だった大森牧師という正当派の信仰に見られる「勝利」するイエスと信仰が語られると同時に、戸田や作者、さらには「ねずみ」に代表される、敗北した信仰心、挫折と後悔に満ちた人生、無力な人間の姿である。遠藤はここで、ネズミの最後を通して、イエスは両方を支え、働きかける復活のイエスを語りたかったのである。

[PR]