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日韓悲劇の深層 祥伝社新書 呉善花 西尾幹二

日韓問題に関する両者の対談で構成されている。呉善花氏は韓国済州島で生まれ、軍勤務から東京外語大修士を経て拓殖大学の教授である。西尾幹二氏は国家論や日本文化論などに巾の広い分野で言論活動を行なっている。呉氏は客観的な事実を韓国民に理解させようとしたために親日とみなされ、故国への入国を拒否され、日本国籍を得たために、韓国からは売国奴扱いとなった。しかし、彼女は、真に日本人に韓国を理解してもらいたいという願いを持っており、それと同様に韓国にも、日本の姿や歴史的事実である日韓併合の歴史的事実や歴史学に基づく整理をした情報を伝えたにすぎない。しかし、日本では桜井よし子や産経グループの日本政府、安部政権派の論壇に取り込まれている。この事が、韓国からは警戒されている。西尾氏も歴史教科書問題で、新しい歴史教科書を作る会の初代会長だが、右翼グループの参入に嫌気をさして脱退した。しかし、彼は東京裁判に基づく歴史認識を自虐史観とし、慰安婦問題、南京事件、日韓併合などは政府や右翼とも同様な立場を取っているため、修正史観といわれても仕方が無い。西尾氏は日本人として当然の立場人に立って常識的に発言している言論人であると自分は思う。

この本では韓国人のものの考え方、歴史観、朴槿恵大統領の考え方などが、日本人と比較しながらよく語られていると感じる。しかしながら、安部政権の日韓問題や竹島領有権に関することに関してはあまり触れていない。呉氏によると、韓国人の反日の根拠は次の通り。日韓併合により韓国人は土地を収奪され、日本語教育を強制された、独立を主張して殺害された、拷問を受けた、強制徴用されたと知らされていく毎に心にやってくるのは、自分自身の身を汚されたかのような、いいようのない屈辱感であり、そこから湧き起こる「決して許せない」「この恨みは決して忘れてはならない」という、ほとんど生理的な反応といえる怒りであった。「日帝の民族抹殺計画」として挙げられているのは、皇国臣民化の名の下に、韓国人を日本人にして韓民族をなくそうとした、韓国語を禁じ日本語の使用を強要した、韓国の歴史の教育を禁じた、日本式の姓と名の使用を強要した、各地に神社を建てさせ参拝させた、子供にまで「皇国臣民の誓詞」を覚えさせた、というものだ。これらに関して、この本ではいちいち反論を行なっているわけではないが、それらの歴史的捏造がどのような韓国側の歴史、社会的文化的背景から生まれており、今の政策となったかが明らかになっている。

呉氏によると、韓国人は日本人と違い、先は理念とか原則によって価値判断を行い、日本人は考え方の軸が多様で韓国人からは捕らえようが無いということを指摘しています。この本で、呉氏が指摘しているのはまさに、韓国人としての呉氏の一種の韓国的観察によって反日の裏返しの親日的な見方を理念的に物語っており、その分、我々には心地よい。一種の日本人論、韓国人論である。しかし、よく考えると、今の日韓関係がそのような文化的な違い、歴史の差から暗礁に乗り上げたことばかりではない。安部政権の本質や、背後にいる右翼グループなどのリスクに対して反応していることもある。この本を韓国人が読んだら、恐らく、的を突いた部分もあって非常に嫌な気分になるだろうなとも思う。そして日本人として、これだけ差がある両国はどうやったら歩み寄れるのか途方にくれてしまうだろう。確かに、現在の韓国の日本に対する様々ないやがらせ、歴史の捏造には憤りを持つが、これが韓国人の性癖なのですよというのはあまり説得力が無い。呉善花氏はこうした文化的、精神的な違いを乗り越えて、親日になったし、韓国人に警鐘を鳴らしているのだと思うが、文化論や精神論による指摘は多分力にはならない。差ばかりが強調されるからだ。普通の韓国人は慰安婦のことなど本当は興味ないだろう。日々の暮らしに追われているだろうから。今求められていることは両国の共通項を捜し求めねばならない時だからだ。しかし、その作業において、相手のことをよく知ることは大切である。その意味において貴重な意見だと思う。

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「西洋史学の先駆者達」土肥恒之著 中公叢書 を読んで

 日本人が何故西洋史を学ぶのか。特に学問としては研究しようにも日本には資料も乏しいし、語学の壁も厚い。日本の歴史研究は主としてドイツで学んだお雇い外国人教授からスタートした。その意味においては日本の歴史研究は欧州の研究から始まっており、今の中国や韓国の歴史家と違い、西欧的思想を基盤としている。日本の歴史学は学問的な普遍性をもっていると思うが、韓国や中国はどうであろうか。外交において歴史認識という言葉がしばしばキーワードとなる。日本の歴史学を概観するこの本によると、日本の西洋史研究は東京大学に招聘された、ドイツ人歴史学者ルードウィッヒ・リースから始まった。彼は近代史学の祖、ランケに傾倒し、厳密な資料批判に基づくランケの政治史学を基に弟子を育てた。その教え子達は坪井九馬三、村川堅固、幸田成友、坂口昴であった。日本では実証的資料が西洋史を研究しようにも乏しく、欧州留学における研究は無理と思っていた。当初は外交史、交流史から出発し、キリシタン研究、江戸時代の漂流譚、大黒屋光太夫に関する研究からギリシャ史、ヘレニズム研究など文献研究から始まった。 後に歴史を政治史から経済、文化へと幅を広げていく過程において、経済史は東京商科大学と慶應義塾大学理財科によって開花した。福田徳三は経済学のみならず、歴史学にいたる巾の広い見識をもち、両校の教授として後進を育てた。慶応義塾では最初にドイツで社会政策学会のシュモラーに学んだドロッパーズから始まり野村兼太郎の英国経済史研究で花開いた。一橋では福田徳三がブレンターノに師事し、その流れを汲んだ坂西由蔵と野村と同じイギリスのアシュリーに学んだのが上田貞次郎であり、福田門下がイギリスの産業革命を軸に研究を展開した。国立の一橋キャンパスに彼の銅像があるが、自分の学生時代は何をなされた方か知らなかった。第一次大戦後はロシア革命の影響で京都大学では河上肇がマルクス経済学を経済史の1ページに加えた。文化史においてはブルックハルトがイタリアルネッサンス研究で君臨したが、東北大学では大類伸が中世史をリードし、東大の堀込庸三に引き継がれた。マキャベリ研究、ダンテ、ルネッサンスを中心とする中世史を柱となした。大類は京都帝大でも講師を務め、彼の薫陶を受けた学者は多かった。ルネッサンス研究で会田雄次、ホイジンガの中世の秋を翻訳した塩見高年に受け継がれ、京都帝大と東北帝大がルネッサンス研究の拠点となった。東大では羽仁五郎が大内兵衛などとマルクス史観によるマキャベリ研究やルネッサンスに関する歴史学の重鎮であった。羽仁から刺激を受けた東京大学の教授は多く、明治維新研究の遠山茂樹、家永三郎などが出た。一橋は商法講習所が起源だが、大学として、リベラルアーツ的な教育と、哲学や歴史学、思想史、経済史の研究が盛んであった。特に、アダムスミスやマックスウエーバーについては学生は必ず学んでいた。

 当時のウエーバー研究の第一人者は東大の大塚久雄であり、あたかもウエーバー教の使徒のような位置にいた。この本の第4章は上原専禄、5章は大塚久雄を軸に展開している。上原は東京商大で三浦新七の弟子として、師と同様、ウィーン大学でランブレヒトやドープシェに師事した。ドイツ史を軸に西洋史においても原史料主義を基盤に史料批判という歴史学の方法を示した意義は大きく、この方法論は今日においても、阿部謹也などにも受け継がれた。上原専禄は日本の歴史学のバッハのような地位にいて、一橋の史学研究の礎であった。 自分が学生時代に、西洋史の増田四郎先生や、ビザンチン経済史の渡辺金一先生、日本史の永原慶二先生など、歴史学の巨匠が多くおられたが、大学紛争の渦中で講義を聞く機会が殆ど無かったのは残念であった。上原氏もまだご存命であった。当時の一橋は経済学は近代経済学が主流だったが、マル系の先生もおられ、東西冷戦時でもあり、民青学生のみならず、マルクス系の史学も盛んに勉強する学生がいた。この本にも出てくる三浦新七や上原専禄についてはこの本でその業績を知った。戦前の歴史研究は殆どがドイツに留学し、ドイツのウェーバ、マルクス、ブルックハルトなどの影響を受けた。実際は、20世紀に入り、フランスのアナール学派等の歴史学潮流があったのだが、帝国大学の研究者はドイツに向かった。ブローデルなどについて全く触れていないのは残念だ。この本では大塚久雄の功績を詳しく述べている。彼の学問の発展とウエーバーとの関係を簡略に整理し、大塚久雄の著作を読んだことの無い自分にも分かったような気にさせてくれる。大塚の師は本位田祥男であった。多くの学者が戦前ドイツで研究者となったが、当時起きていたナチスの勃興に関しては「無関心」だったが、日本が三国同盟を結び軍国主義化するにしたがって疑問を持ちながら取り込まれていったといってもよいだろう。1920~30年代にウェーバーは紹介されてきた。ドイツはまさに超インフレからの脱却に苦しみ、失業やナチスの全体主義に入ろうとしていた。大塚が株式会社の起源やイギリス毛織物工業の勃興を研究している間に、世界は軍需産業や鉄鋼業が全体主義と共産主義の勃興を生んでいた現実に目を背けていたように見える。日本もまさにその時代で、マルクシズムが弾圧され、軍国主義に突入していた時であった。世界の歴史を支配していたのが「暴力」であったことに全く触れずに経済のみを見ていたことが当時の歴史学の限界であろう。歴史学の先生方はそれに眼を背け、象牙の塔に籠った研究であれば自分も安全で良かったのである。大塚の師である本位田も、元官僚であり、大政翼賛的な経済統制の政府委員などもしており、体制批判は無理としても、全体主義に関しては肯定的であった。大塚史学とウエーバーの理論が敗戦日本の前近代性を克服する理論、民主的市民社会のエートスとして社会に受け入れられることになり、1970年まで日本の史学を支配した。特に、1962年に出された西洋経済史講座は40人の学者が加わり、高橋幸八郎、松田智雄と共に編纂されたもので一時代を画した。大塚史学はその後、マルクス系史学の立場から服部之総、イギリス経済史からは矢口高孝次郎、大塚の英国国教会とピューリタンの解釈から批判され70年以降精彩を欠くようになったが、日本の経済史に果たした功績は大きかった。
 日本の歴史学が今日的問題を読み解く形を取ることができるかは重要な問題点だ。戦前の軍国主義の嵐の中で、歴史学者がどのような立場をとったかについて、上原や大塚も又、日高六郎などの若手も戦時体制に本音を語れない。皇国史観からみて西洋史の立場は弱かった。帝大の史学科でも戦争を賛美し戦果を誇る新聞報道とさしてかわらぬ風潮があり、世界史的観点から発題した日高は追われる立場となった。イギリス殖民地政策の批判も行なった信夫清三郎の「ラッフルズ」も発禁となった。
 当時の西洋史も、イギリス帝国の没落や、植民地主義批判など敵国のイギリスを批判し、ドイツのヒトラー政権に対する評価を与えた「ナチス国家の基礎、構成、経済秩序」三巻の翻訳刊行で、「新独逸国家体系」は日独防共・文化協定による国家事業であった。上原はドイツ史のホッペの著作をナチスのドイツ政治との「幸福なる有機的調和として肯定的に評した。また、大東亜共栄圏の必然性を説くなど、戦争体制に沿った理論構築を行なった。彼の西洋史家の指導者としての立場は戦後、暗部となったが、彼は世界史という観点から歴史を述べる立場を展開した。歴史家としてはドイツの歴史の汚点であるナチスの暴力性を見抜くことは出来なかった。最初に登場した大類伸は91歳の長寿で、戦争中も文化史の重鎮として、西田直次郎と大政翼賛的な政府の学問統制に協力した。また、京都帝大講師も勤めた関係で、日本諸学振興委員会委員として活躍した。特に、京都大学の国史学者や西田幾太郎など京都学派哲学の重鎮と結びついた鈴木成高は「ランケと世界史学」を著し「民族」や国家の世界史的な意味を大東亜共栄圏の理論と戦争の意味を述べた。日本における西洋史の出発点に戻ったのだろうか。高坂正暁といった、今から見ると右翼歴史家の部類だが、当時としては世界史という観点から歴史を捉えた哲学的視野をもっていた。ランケ選集にも加わり、対談も出した東大の林健太郎は時勢に迎合的であった京都学派と一線を画した。戦時下を体験した歴史学者達は、自分が学生時代の70年代は当時まさに日本の学問の重鎮であった。全共闘運動はまさにそうした学者達のベトナム戦争や安保に関する学生の情念、意識に対する無理解への反発が大きかった。今日、イスラム圏で起きていることやテロリズムなど、まさに世界史的転換点にいる我々が歴史学者に耳を傾ける時代が来ている。

 あの東大紛争で総長を務め、運動鎮圧に功績があった、林健太郎元東大総長は東大紛争後どのような意識の転換をされただろうか。歴史を学ぼうとする多くの学生が失望し、大学を去ったのではなかったのか。その後遺症は今あるのだろうか。大塚久雄におけるマルクス史観からの批判とマックスウェーバーの近代資本主義の発展への史的洞察が70年代も論争が続いていたことを思うが、当時は大学も騒然とし、史学の先生たちも沈黙していたように思う。今ではあの大塚史学も輝きを失ったようである。 
大塚先生もICUに去り、沈黙してしまったように見える。あの大学紛争の影響は大きかったのだろう。その後30年の間、ベルリンの壁解体やソ連の崩壊、イスラムの混乱など新しい世界史的事象に今の歴史学はどこまで関わることができるのかが今後の歴史研究の方向を決めていくのであろう。残念ながら、21世紀の歴史学に関してはこの本は語っていない。

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スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ著
「戦争は女の顔をしていない」群像社版
を読んで感じたこと

偶然この本を昨日読み終えたら、彼女のノーベル賞文学賞が決まった。著者はノーベル文学賞最有力候補に村上春樹と共に名前が上がっていたベラルーシの(首都ミンスク)の作家である。第二次世界大戦独ソ戦において100万人のロシア女性が最前線で戦った。その体験を手記にまとめたのがこの本である。10日前、新潟日報に大きく紹介されていたので、図書館に問い合わせたら、この本だけあった。恐らく、本屋では慌てているだろう。あまり売られていない。1948年生まれで彼女は戦争を体験していない。しかし、数百人の戦場に行った女性にインタビューし、その過酷な体験を次の世代に伝える役割を果たした。ソ連体制崩壊前、30年前にかかれたもので、彼女たちはただ激戦の様子を語るだけではなく、女性らしい感性で、戦場の色や感情、倒れて苦しむ馬や、衛生兵として負傷者を救出したり、死にゆくドイツ兵や捕虜のことを語っている。小説家の手法として膨大なインタビューをまとめた作品では村上春樹のアンダーグラウンドを思い起こさせる。これは地下鉄サリン事件の被害者を取材したものだ。戦争では何十万人と言う単位で犠牲が生まれる。しかし、それぞれに人生があり、悲しみも喜びもある。これを統計的数字から開放して、人々に語りかけるようにする。スターリンは「ひとりの死は悲劇だが、集団の死は統計だ」と言ったとか、ホロコーストの実行者アイヒマンが言ったとか諸説あるが、良くわからない。レマルクが長編黒いオベリスクという小説に「でも確かにそうですよ、一つだけならいつでも死だが、二百万となると常に統計なのだから・・・・と書いている。(Aber das ist wohl so, weil ein einzelner immer der Tod ist — und zweiMillionen immer nur eine Statistik)われわれ証言集ではその一人ひとりの体験がつづられる。言論統制の厳しい当時のソ連で、当初は放置されていたこの本は、彼女がチェルノブイリ原発事故被災者の証言集「チェリノブイリの祈り」を出した後評価が高まった。
 目撃した者、経験した者はその恐怖をかたり続けなければならない。統計的な数字に凍結された一人一人の死、生き様、物語を解凍し、再現する。原発事故で多くの動物が処分され、村や森が埋められた。これは戦争体験にも通じる。恐怖や友の死、死線を彷徨した体験は忘れられないが、語れない。
 自分も同世代として多くの人生の先輩から戦争中の話を聞いた。戦争の愚かさ、国家が語る戦争と犠牲になった人々、戦場で体験した恐怖、物言わぬ死者、犠牲になった子供や弱い立場の人々、馬や犬、魚に至る生とし生けるものの立場に立てば戦争は絶対悪である。政治や歴史のなかで無味乾燥に消毒済みとなった現実を真実の姿に再現することが証言であり、文学の力である。
 団塊の世代である昭和22年生まれは第二次大戦が終結して二年後に生まれた。戦中派が自分の親や叔父叔母の時代で、子供の頃、親類の集まりや、戦中派の教師などの大人達の会話から戦時中の体験を漏れ聞いたりした。自分の両親も戦中派だったが、子供に戦争中のことを敢えて語ろうとしない場合も多い。つらかった時代を忘れようと懸命に働き、高度成長を実現した世代は、辛かった時代を思い出したくない。戦争は不条理な体験を強いる。体験者も整理がつかないこともあるのではないだろうか。リベラルアーツ教育は教養教育と一言で言っても何のことか分からない。しかし、自分は、経済学、法学といった統計や規則を学ぶことから、もう一度人間のレベルに立って、心を持った一人ひとりを思って物を考えることだと思う。そこで隣人のこと、地域のこと、人を愛することから戦争とは無縁である。平和主義も生まれるのである。 
 この本で印象に残った部分は多々あるが、あるエピソードを紹介しよう。戦後も彼女たちは英雄的な体験しか話せなかった。しかし、彼女たちの心の闇を語らせることに成功した。壮絶な独ソ戦の戦場。これは沖縄でも同じだろうが。看護婦エリンスカヤの話。「戦闘を覚えているわ・・・、その時沢山のドイツ人捕虜を取った。中には負傷者がいて私は手当てをしてやったけど、負傷者は味方の青年たちと同じように呻いていました。ものすごい暑さだった。水を飲ませてやった。見通しの聞く場所で、銃撃に晒されていた。直ちに塹壕にたてこもって、カモフラージュせよとの命令。私たちは塹壕を掘り始めた。ドイツ人たちは見ている。私たちは身振りで彫るのを手伝えと命令した。何をしろと言われて、捕虜たちはパニックに陥ったわ。穴が掘りあがったら、その縁に自分たちは立たされ銃殺されるんだと思ったのね、覚悟をしていました。どんな恐怖にとらわれて穴を掘ったか見たものしか分かりません。あの顔を・・・私たちが手当てをしたり、水を飲ませてやったり、彼らが掘った塹壕に隠れろと言ったとき、彼らは我に返ることが出来ず、とどまっていました・・・一人のドイツ人は泣き出したほどです。もう若く無い人で隠そうともせず手放しで泣いていました。」「戦争の本って嫌い・・・、英雄たちが出てくる本…私たちは皆病人だった。咳をして、寝不足で、汚れきっていて、みすぼらしい身なり。たいていは植えていて、それでも勝利者」   


3:3 預言者イザヤによって、「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と言われたのは、この人のことである。  
 

 (エピソード1)                                                          自分の父親は戦時中、三井鉱山の社員で、召集も受け、徴兵検査の後九段の近衛師団に入営したが結核痕があったので即日帰郷となった。1945年に朝鮮で半年の兵役があっただけで戦地には行かなかった。父の会社には社宅があり、友人宅に遊びにいくと、戦地帰りの方もいて、将校だった人が多かった。短剣や将校用の装具、刀なども持っていて、子供ながらに、何で自分の父親は持っていなかったのか、気になってよく聞いたものだ。その父も朝鮮から引き上げる時には引き揚げ船が沈没しそうな海域を通ったり、友人が帰国直前に病死し、遺体を荼毘に付した時の辛い気持を語ったのは2004年に82歳で亡くなる1年前であった。軍人の勇ましい行進や戦闘シーンの陰に多くの不条理な悲劇が起きていた。日本が東京裁判で裁かれたことは戦勝国の横暴で、裁判の形をした見せしめに過ぎないとする論はあるが、あのナチスドイツと三国同盟を結んでしまったことは戦争犯罪の片棒を担いだとみなされても仕方が無い。ドイツのホロコーストの犯罪も全貌は不明なことが多い。強制収用所のことは歴史的に証拠の多い犯罪であるといわれている。しかし、膨大な事実を前に、ソビブル、ヘウムノ、トレブリンカのことはあまり分っていない。ニュースや映像には載らないむごたらしい話も含めてである。特に、第二次大戦以後も戦火は続き、朝鮮戦争、ベトナム、イランイラク戦争、バルカンの紛争、アフリカの内戦や中東戦争で軍事行動の周辺に何十万人もの市民の犠牲が生まれるようになった。多くの人々の死、離散、生活苦、自由の束縛など悲惨と苦難の時代を戦争は生み出してきた。戦後生まれだが、団塊の世代である自分の記憶にある戦争を描き出してみよう。戦場では不衛生、感染症などの病気、寒気、雨や雪も敵である。太平洋戦争でも、実際に戦場で戦死した軍人より、餓死、病死、輸送船の沈没による水死が多かった。亡くなった方々は無念であったろう。戦争では思いがけない死が迎えに来る。

(エピソード2) 
 自分が会社に入ったとき、人事部長のWさんは中国で終戦を迎えた。彼は杭州付近で駐屯し、中国人の民家で暮らしていた。その家の娘と恋愛関係になり、家族からも信頼されていたが、突然転戦命令が来て、移動となった。中国人の家族は自分の後を追い、1日かけて見送ってくれた。凄惨な話の多い中国だがそんな戦地もあった。ところが、ある日山地を行軍していると、銃声がして皆もの陰に隠れた。突然、斜面にいた自分に向かって石ころのようなものが投げ込まれ、コロコロころがって爆発、手榴弾だった。気がつくと腹から血が出ている。やられた、と思ったが身動きできず担架で病院に運ばれた。何週か治療で寝ていると、部隊が中国から離れ、船で出発して取り残された事が分かった。ついていないと嘆いたが、後にその船はフィリピンに向かい、途中で撃沈され、部隊は全滅した。運が良かったのである。戦場は理不尽がつきものである。戦争体験者は運が良かった人々に語られるのである。

                                                                  
3.世の中は詭弁や誤解にもとづく通説が満ちている。 
 人は毎日の生活はいちいち原点に戻るまで深く考えて行動しているわけではない。習慣や通説に従うことが多いだろう。そこを悪賢い政治家や経営者は利用してくる。政治家は人々の心を盗むのが上手である。彼らにかかると、人間の内面にある、暗いものもたちどころに説明のつくものになってしまう。恐ろしい事は偉大な事になる。
 聖戦という言葉はあるが、それは国家や為政者が民衆を巻き込むための方便に過ぎない。永遠のゼロが人気だったが、ドラマにおいて、血まみれになった兵士や黒焦げになった戦闘機搭乗員がいたのかは描かれない。武士道精神とか飛行機のメカニズム、マッチョな特攻に隠された真実は殆ど隠されて若者に訴えかけられる。
 詭弁に気をつけなければならない。リベラルアーツというのはまさにそれを見抜き、真実を見抜く力を養うことが目的である。その為には数学や音楽も学ばねばならない。積極的平和主義とは何だろうか。これは安部首相の方便だが、この言葉は軍事的均衡による平和主義ということで、この言葉が持つ本来の意味ではない。 日本において、「積極的平和主義」という言葉の初出は、国際政治学者で、日本国際フォーラム理事長の伊藤憲一『「二つの衝撃」と日本』(PHP研究所刊)の一節「消極的平和主義と積極的平和主義」(pp.117-120)であった。この著作で伊藤は次のように述べている。「わたくしは、憲法は日本の積極的な国際的貢献を禁じているどころか、むしろそれを求めていると考える。憲法はその第九条で「加害者にならない」ための禁欲的自己規制(すなわち消極的平和主義)を打ち出す一方で、前文のなかで「貢献者となる」ための利他的自己犠牲(すなわち積極的平和主義)を宣言している。憲法解釈のあるべき姿は、この両者の均衡と調和のなかにこそ求められるべきであろう。(p.118)」これが、何と野田政権から安部政権に移る間に今日安部首相が唱える形に変わってしまった。安倍政権が多用する「積極的平和主義」。実は平和学では「積極的平和」とは、有名なコンセプトで「積極的平和」とは、貧困、抑圧、差別などの「構造的暴力」がない状態のことをいい、決して「テロとの戦い」に勝利して、脅威を取り除くようなことではない。この「積極的平和」を提唱したのは、平和学の第一人者で世界的に「平和学の父」と知られるヨハン・ガルトゥング博士である。彼は安部の積極的平和主義は自分の盗用であるといっている。積極的平和とは戦争によらない和平を前提とした平和のことである。実例ではかつて、キューバに侵攻しようとしたアメリカが、ローマ法王の仲介によって、カストロと和解することで平和を守るということであり、イランの核開発をIAEAの交渉とアメリカの譲歩によって止めさせることである。人は通説によって生活する。だから、世の中のずるい人は古典の名説を換骨奪胎して自分に都合よく解釈して人を説得する。
 カエサルのものはカエサルにというイエスの言葉は何もクリスチャンは政治には関わらず、愛と平和を語っていればよいということではない。新発田の生んだ大思想家大杉栄は海老名弾正が日露戦争を肯定したこと、また、カエサルのものはカエサルにという言葉にイエスの民衆に対する裏切りと断じて教会を去った。しかし、それは誤解である。当時のイエスの活動を何とか妨害しようとパリサイ派の祭司が仕組んだ問である。イエスに皇帝に税金を払うことの是非を問い、払うべきではないという当時のユダヤ人の心情に沿えばローマ帝国に反逆したことで告訴し、払えといえばユダヤ社会の心情に反したということで宗教指導者から葬り去ろうという陰謀でなされた質問に答えた知恵である。 何も政治に関わらなくともよいといっているわけではない。 似たような詭弁は多い。市場主義を肯定するために、利己心を持った人々の経済活動は神の見えざる手によって程よいバランスでよき方向に向かい均衡すると言う主張をアダムスミスの言葉として正当化しようとしたが、彼は全くそんなことを言っていない。むしろ経済活動は、道徳的行動であり、諸国民がWINWINの結果を相手の立場に立って達成することが善であると、道徳情操論という著書で語り、その各論として国富論を書いた。相手の富や資源を収奪し、貿易と輸出によって富を得ようという重商主義を批判したものであった。身近なところでは、胃がんになる確率は喫煙と飲酒だという通説があった。これはタバコを吸う人は飲酒をする人が多かったので、飲酒も原因になったのであって、飲酒はしてもタバコを吸わない人の胃がん確立はずっと低いのである。タバコを吸っている人は肺がんになりやすいというが、あの80歳の老人は毎日タバコを吸っているではないか。これはコホートによって分けた曝露試験によって証明される。ヘビースモウカーは80になるまでの間に肺がんとか動脈硬化で亡くなられてタバコを吸っている人は生き残りに過ぎないということだ。そのような誤った説明はバイアスがかかったデータ分析から生じるのであって、これは理科系の学生なら皆知っていることである。         
 
 多少脱線したが、世には詭弁家がうようよし、物事がゆがめられる。当時の宗教政策によって苦しむ人々をヨハネは救おうとし、イエスはそれをさらに推し進めた。ヨハネが荒野で呼ばわるものの声がする、「主の道を真っ直ぐにせよ」というのはまさにそうした当時の社会への警告なのである。私たちは平和や戦争を語るときはそうした世の荒波にさらされた荒野の叫びに耳を傾けること、それがリベラルアーツの知恵であると思う。平和について考えるとき国連を研究したり、戦記を読むこともある。しかし、紛争地帯にいた人間や難民の叫びが必ずあり、ここをを原点としなければならない。本学が一人ひとりの学生を大切にしようという努力の出発点である。先に触れた村上春樹のアンダーグラウンドにしても、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ著「戦争は女の顔をしていない」にしても、あなたがそこにいたらどうしますか?という問いかけを常に感じる。

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姜尚中著 「心の力」「続悩む心」を読む

 姜尚中氏が続悩む心に続き、現代人の生き方を問う著作である。何故、今日このような問いかけに人々が答えを求めているのだろうかと思うところから読んでみた。姜尚中氏は自分より3年年下である。団塊の世代からは少し遅れ、全共闘の学生騒乱の時代を眺めてきた。彼の時代を読む目はひとつは日本の敗戦後の平和と高度成長時代、そして、全共闘の騒乱時代、そして、3.11東日本大震災後の時代認識の変化に注がれている。
 悩む力において、彼はマックスウェーバーと夏目漱石を取り上げ、二人の共通性、また、何を問題にしたか、をあげながら現代社会の傾向に関して新しい視点を提供しようとしている。自分は夏目漱石も、マックスウェーバーも読んだのは50年も前のことで、すっかり忘れていた。改めて読んでみようかなという気にもさせられた。「続悩む力」では、ウェーバーから、さらに漱石が学んだとされるウィリアムジェイムスを取り上げている。さらに、イギリスの無心論者ドーキンス、経済学のシューマッハ、夜と霧を書いた精神分析学者フランクルにも枝を広げている。悩みを求める人間の究極の答えは、フランクルにあるようだ。フランクルが人間の価値として1.創造、2.経験、3.態度 にその真価があるとしている。幸せをつかむ道である。人間はいつかは死ぬ。その中で幸せとは一体何かである。楽観論も悲観論も受け入れて、死や不幸、悲しみや苦痛、悲惨な出来事から目をそらざず、だからこそ、過去を大切に人生を存分に生きる道筋を真面目に考え、示すことが存分に生きる道であることを姜氏は伝えようとしている。「心の力」ではトーマスマンの魔の山の主人公ハンスと夏目漱石のこころの後日談として先生の相手役、私こと河出育郎の後日談として、二人が日本で出会うという著者の創作小説を組み込み、トーマスマンと夏目漱石の見た時代と現代を対比させながら、「心の力」に必要なものは何かを追求している。トーマスマンやマックスウェーバーが置かれた時代環境と、夏目漱石の時代の日本、そして現代が非常に似ているという。第1次世界大戦前の教養主義的世界をトーマスマンは魔の山のサナトリウムで小宇宙のように描いている。夏目漱石は日露戦争後の日本、さらに姜氏は「心」の後日談として戦中戦後の日本を河出育郎を、また、魔の山のハンスがワイマール時代からナチス時代を生き抜いた人物として日本の箱根で出会わせる形で小説タッチで描いている。「語り継ぐ」ということで心の先生の万年筆を、また、ハンスの記憶にある代々伝わる銀の洗礼盤を象徴として悩む力から心の力を得る道を説いている。
 東日本大震災と原発事故は日本人のこれまでの時代観を先の見えないものにしてしまった。先の見えない生きにくい時代である。科学や市場経済8への不信、さらにはイスラム世界の悲劇を名度を前にわれわれは立ちすくむ。そこに未来を切り開く処方箋として「悩む力」を心の力に振り向けることを提言している。

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 この本から、ナチズムとホロコーストの関係が鳥瞰出来る。ホロコーストと一言でいうにはあまりにも多様で、原因、その背景は様々な歴史的、地理的、国家的ひろがりがあり、何処から手を付けて良いやら分からなくなる程、20世紀の大きな出来事であった。ホロコースト・スタディーズ ダン・ストーン著(白水社)はホロコーストの研究がどのような地平に至っているかをみることが出来る貴重な著作である。

  ドイツにおいて、かつて、多くのインテリがナチ党員であった。特に、医師が多かった。ナチの理論を支えたのが優生学であった。この研究者から、アウシュビッツの恐怖の医師、メンゲレも育った。
優生学と人種衛生学の概念が最もよく当てはまるのは、ナチにより「障害者」「よそもの」「反社会的」とされた人々であった。ドイツ国民の福祉のために「障害者」「常習的犯罪者」娼婦、同性愛者、浮浪者、そして「ジプシー」がターゲットになった。医師の45%がナチ党員、25%が突撃隊員で二番目に多かった弁護士の25%が党員であった事を超えている。 180p ナチス時代の医学とは、常に、何よりも、選別を意味していた。生物学的に劣等なものは民族体から排除されねばならず、そうすれば民族のより良い将来が約束された。個人は意味をなざず、無慈悲に断種され、安楽死され、医学で殺された。アウシュヴィッツは医学による選別の最たるもので、決して医学からの逸脱ではなかった。だから、医師達が台に立ち、50才以上の男性、45才以上の女性をガス室へと選別したのだ。ヨーゼフメンゲレは最も頻繁に台に立った医師であった。彼はドイツ医学における選別の象徴なのである。184P
ナチスのガス室は断種と安楽死から始まった。「生きるに値しない人々:病人、老人、障害者」の殺害で始まり、ホロコーストで終わった。

緻密さとナンセンスの混合:ゲットーのユダヤ人は様々な人種が混ざっているといいながらユダヤ人は外見で分かるとしている。研究所における人類学者のリサーチは全く意味がなかった。あれほど村々を回ってデータを取ったのに、分析はほとんどなされなかった。もちろん、できるはずもなかった。ユダヤ性を測る、標準基準など存在せず、従って、形態学的な測定からいかなる結論も導く事ができないのは当然だった。仮にデータから推論できたとしても、人類学者達は最も簡単な統計処理の仕方も知らなかった。183P
T4作戦により、ドイツ国内の障がい者、精神病患者などがこっそりと殺害された。これが後にユダヤ人やロマの抹殺に至る原点である。T4作戦の意義はカモフラージュや殺害の技術にあるのではなく、周辺に押しやられた無防備な人々の殺害が、国民の大半により、公然にも、また、沈黙のうちに受容されたという明白な政治的成果であった。従って、抹殺計画が続行しても、ドイツ国民はこの政策に暗黙裡に国家の指導者が結論しても驚きではない。もし、自分の身内が殺されても講義しなかったのならば、もちろんユダヤ人やジプシー、ロシア人、ポーランド人が殺されても、彼らから抗議など期待も出来なかったであろう。P192

ダーウィン主義と人種論、さらに優生学から宗教的な神秘主義、1000年王国論などが一直線につながっているということは忘れてはならない。ホロコーストが一体なぜ起きたのかというのは、21世紀に入り、この事件を歴史的検証の領域において議論されるようになってきた。歴史の中ではヨーロッパの植民地で多くの虐殺事件があり、これとらとの連続性が検証されるようになった。「モーゼスの出発点は私がこの章の初めで述べた点にある。ホロコーストは反ユダヤ主義が原因であるという意図派の指摘は悪くはない。しかし、ヨーロッパ諸国の大半とは異なり、ドイツ版の反ユダヤ主義がホロコーストに行きつくには何かが起こったに違いない。」「1918年から1920年に植民地主義者が抱えたトラウマは、二度と内なる敵によって国家が転覆され、敗戦することがないように、ドイツ人に極端な手段へと訴えさせたのである。」現在、ホロコースト史学とジェノサイド研究が相互に影響し合いながら発展しつつある。ジェノサイド研究は歴史へと目を向け始めた。ホロコースト研究においてはこれが唯一無比であると言う主張は歴史的解釈というよりは倫理的な立場であるという認識に至った。さらにこれは比較研究の中でなされるべきなのだ。レムキンの著作は再び脚光を浴びたことと、入植地でのジェノサイドが議論されるようになったことの背景には、ある意味でのホロコーストのグローバル化がある。これは殺害の初期の段階しか当てはまらないが1941年あるいは42年の時点での東欧でのユダヤ人の殺害ー市の収容所が本格的に稼働する以前は、植民地の掃討であったという認識は西洋の歴史においてナチズムが占める位置に対する歴史家の認識を変えた。さらに一方ではユダヤ人の殺害は東欧の住人に対するジェノサイドの一部に過ぎなかったが、他方ではナチのユダヤ人に対する姿勢とスラブ人に対する姿勢とは違いがあることもわかった。ユダヤ人だけがすべて殺される運命にあったのであり、ドイツが植民した地域だけではなく、ヨーロッパ全域で絶滅される予定であった。ホロコーストはナチの空想の中の戦争であった。我々は人種科学、技術、官僚制といった近代的なテーマが、陰謀論や神秘主義、「血でものを考える」といった超越的なイデオロギー的暴力と一体化する様をみる。我々がホロコーストに恐怖を感じるのは、その手段が現代においても馴染みあるもの、人口調査、人間の分類、医療化、生権力などにあるためで、また、我々の合理的な生活が実は呪術的な考えに毒されており、状況によってはこれが悪用される事態を日常的に目にしているからだ。たとえば移民がもたらす病気を信じたり、衛生崇拝、身体文化への強迫観念等があげられる。これはロマが「破壊」を経た後も同じような体験を強いられている事実は反ユダヤ主義の否定が戦後ヨーロッパの合意の中で中心的部分をなしてきたことを思うと実に「驚くべきことだ。」285P

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 フィナンシャルタイムス 日本支社長を務めていたヘンリーストークス氏の驚きの歴史観である。氏は三島由紀夫、サイデンステッカー、ドナルドキーン氏などの親日文学者と親交を結び、日本人の名誉や誇りが、第二次大戦敗戦の結果地に落ちた事を憂う数少ない西洋人である。興味深かったのは、記者であることから、実際に多くの著名人と会った印象を率直に書いていることである。白洲次郎、安倍晋太郎、金大中、シアヌーク、麻生太郎氏の母、麻生和子氏(吉田茂の三女)、三島由紀夫など。しかし、彼はジャーナリストであって、かなり文学的な素養はあるが、外交や歴史家ではない。ところがこの本では歴史認識や外交問題の難しい部分に触れており、中途半端な知識から大胆な発言になっている。ということは、彼の様な外国人並みの歴史観、知識を持った日本人が、真に受け、喜ぶ内容である。彼は三島のような日本の著名人と親交を結んだ時にかなり視点がぶれてしまい、影響を受けすぎている感じがするし、日本で今右翼的な言動をしている人達の歴史的認識は、この程度と言える。彼は、海外のジャーナリストよりは遥かに日本通だが、敢て敗戦国の立場に立っている。ダワーの「敗北を見つめて」より独断的な解釈が多い。
 この本で書かれている事は、日本人なら誰もが思う通説の数々である。今頃何を言ってるのだろうか、30年前に言ってたら大したものだ。従軍慰安婦、南京事件、東京裁判、いすれも日本人に取って誠に切歯扼腕してきたテーマだから、特に右翼陣営には有り難い外国人である。残念な事に彼がフィナンシャルタイムズに在籍していた時にはこのような主張を海外において展開してはくれなかった。今は、引退して、言いたい事を言える立場なのだろう。日本は、こうした中国や韓国の国際情報戦争に負けていることもご指摘の通り。何故かという事をもっと掘り下げてもらいたい。海外では敵対する相手に対して、悪態をつくのは常識であるが、これを世論作りという手法にもとり込んだり、歴史教育として国民向けにも活発なプロパガンダを行なう。特に、中国や、韓国の歴史認識は日本、いや世界とも違い、学問の裏付けは無い。悪辣なねつ造や、誹謗中傷に満ちた内容を平気で載せてくる。これにどう対処したら良いのだろうか。戦前も日本は鬼畜米英などといって欧米人の人格否定を行なって来た。中国人や韓国人も、チャンコロとか、朝鮮人をチョン公とかいって馬鹿にしていた。その結果が今も尾を引いていて、中国や韓国の現在の優位にある産業などを過小評価する傾向がある。
 そうした行動は全く未来に益がなく、歴史が立証している。中国や韓国の歴史認識を正そうにも連中には聞く耳が無いだろう。それではどうしたら良いのか。それは中国や韓国が日本を非難するほど、公明正大に自国の歴史の暗部を公にしていない事を指摘するしか無いだろう。中国が南京で日本軍が不注意にも犯した犯罪や、便衣兵の射殺、さらには国民党軍が行った督戦部隊の自国兵の射殺を南京事件に転嫁したこと。慰安婦問題が事実とはかけ離れた日本人を卑しめる卑劣な外交戦術であることに対抗するには同じ方法で彼らの行為を拡大攻撃するしかない。韓国軍がベトナム戦争で何をやっていたのか、中国人が文化大革命で何をやっていたのか、光州事件、天安門広場事件、さらには文化大革命で1000万人以上の自国民を闇に葬り、チベットや、ウイグルで何をしているのか、反証する事が大切である。これを海外のメディアを使って発信する事である。政府や自国のマスコミがやっては何の効果もない。他国のマスコミを取り込んだ広報の工夫である。かつて中国国民党が南京事件をねつ造したのと同じ手口である。

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ヒトラ-とユダヤ人 (講談社現代新書) [新書]
大澤 武男 (著)

 今更ナチスの犯罪行為について何おか言わんやだが、最大の犯罪行為、ユダヤ人絶滅をドイツが国家として取り組むに至ったのかについて謎の部分が今なお多い。この偏執的な政策を誰が主導したのかは明らかにヒトラーだが、ヒトラーの政策の推移を研究し、この本で明らかにしようと試みた。ヒトラーがその人格形成で反ユダヤ思想を持つに至った過程、そして、妄想ともいえる偏った考えをさらに進め、「我が闘争」で構想した事が、世界大戦の終盤に至り、開花するまでのいきさつである。歴史は繰り返す。ヒトラーが行った愚行はユーゴスラビアや、北朝鮮、今の原理主義イスラムテロでも形を変えて繰り返されている。彼の論理は、被害者意識とか、一方的な思い込み、議論の拒絶、誤った歴史認識など現代政治の世界では存在し共通している。
第二次世界大戦はドイツでヒトラーが台頭しなければあのような形では起きなかったし、あれほど巨大な犠牲者を出さずにすんだであろう。ヒトラーという狂気の思想ー思い込みが600万人というユダヤ人の犠牲を生んだ。ユダヤ人以外にもロマ、ロシア人捕虜、政治犯の犠牲も膨大であった。ヒムラーやゲーリング、ハイドリッヒ、ゲッペルスといった取り巻きが引き起こした事の根幹をなすのがヒトラーという特異な個人であったことがこの著者の言いたかった事である。ヒトラーは政権を取った直後は反ユダヤ政策がアメリカをはじめとする諸外国からの非難を受け、経済活動、特に輸出に悪影響を及ぼす事を懸念し、むしろ、ナチス幹部からの突き上げを受け、なだめる立場であった。しかし、彼はじっとユダヤ人排撃の機会を窺っていた。

 ヒトラーも政権を取った初期においては、ユダヤ人を抹殺すべきと思ってはいたが、それはドイツをユダヤ人のいない国家にするためであって、彼らはどこか他の地域に追放すれば良いだけのことであった。実際、ポーランドに侵攻する前には、多くのユダヤ人ー特に富裕層は国外に脱出している。ところが、第二次大戦となってポーランドや東欧諸国、さらにはソ連に勢力を拡大するに至って、膨大な数のユダヤ人を抱え込むことになった。この問題を解決するために、絶滅収容所が建てられ、アウシュビッツ、トレブリンカ、ソビバー、ヘウムノといった殺人工場が建設された。ナチスの台頭でオランダやフランスに逃れたユダヤ人も行き所を失って収容所に送られた。犠牲者は行き所のない貧しい層と被占領地のユダヤ人であった。また、ドイツ軍は占領地でのユダヤ人狩りを行い、戦争遂行の妨げになると思い込んだユダヤ人を大量虐殺した。有名なのがキエフを占領し、数日でSSが3万人を銃殺したことである。さらに、スターリングラードの敗北以後、ヒトラーは敗北という悪夢に日々苛まされ、その矛先はユダヤ人に向けられていった。
 その狂気ともいえる殺戮はハイドリッヒ、ヒムラー、アイヒマンなどのナチス官僚のヒトラー忠臣グループがヒトラーの「支持」を得て行った。ヒトラーは細かい指示を敢えてお行うことなく、取り巻きの官僚達に暗示的な命令によってこれを実行した。ナチスの幹部達は結果的にヒトラーの「指示」に従ってこれらを実行した。その数は590万人〜525万人と推定される。

アウシュビッツ看守達の慰安旅行 皆20歳代の青年だ
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証拠隠滅のため破壊された死体焼却場

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 一人の夢想家の邪悪な偏見から一つの民族が絶滅させられようとした。さらには、独ソ戦やヨーロッパ戦線での犠牲者をあわせると4000万人ともいえる膨大な死者を生んだことになる。戦争の歴史的意味ではむしろ第一次世界大戦が世界史の転換点だったが、その結果が大量殺戮の第二次世界大戦であった。ドイツ自身も660万人(戦死335万人)という死者を出した。特に、二十代か三十代の若い層男子が極端に減少し、女性の結婚相手がいなくなってしまった。さらに、終戦後、チェコやプロイセン、ポーランドなどにいたドイツ人は悲惨な追放と殺害によって戦後も50万人以上が殺された。悲惨な歴史となったのである。1944年7月シュタウフェンベルグのヒトラー暗殺失敗後、10ケ月の間、民間人含めて300万人が犠牲になった。そこでヒトラーが死に、戦争が終われば、助かった人々の数であり、ユダヤ人も含めればもっと多くの命が救われたはずであった。

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 ノーベル賞作家、ギュンターグラスの作品である。ナチスの「歓喜力行団」で活躍した旅客船「ヴィルヘルムグストロフ号事件」がテーマである。ギュンターグラスはブリキの太鼓で一躍世界に知られるようになった。自分は映画しか見ていない。奇妙な映画だった。東プロイセンの海辺の町に生まれた成長の止まった障害を抱えた少年の物語。ナチスの勃興に異常な興奮と警鐘のような太鼓を鳴らすシーンが印象的だった。又、近年、彼は元武装SS隊員だったことを告白し、非難を浴びていた。そのような意味からすると彼のナチス観はかなり本物だということである。ドイツはワイマール共和国から、カフカの小説「変身」に描かれたザムザ、さなぎから羽化した昆虫のように変質した。それがなぜ可能になったのか、ドイツ人が民主主義も社会主義もかなぐり捨て、国家社会主義ーナチスに共感したのか。ナチスは新しい社会を映画をはじめ、様々な仕掛けで演出した。ベルリンオリンピック、アウトバーンやフォルクスワーゲン、そしてこの歓喜力行団の船であった。ヨーロッパに根強い階級社会から抜け出す象徴が、等級の無い客船、グストロフ、そして親衛隊。ナチスは多くの底辺の人びとに、国家社会主義に未来があるかのごとく虚構を見せた。そして最後はあからさまになった出鱈目である。難民も軍人もいっしょくたに詰め込み、潜水艦対策も行わず、しかも、荒海を頼りに航行灯までつけて出港した。ベルリン攻防戦まで一直線に進んだナチスの崩壊を物語る断末魔が生まれた。日本も沖縄戦の前に対馬丸が米海軍の潜水艦に撃沈され1418人が犠牲になったが、ドイツの場合、犠牲者の数が突出している。ソ連海軍はサハリンからの避難民の船も無差別攻撃して、小笠原丸と泰東丸が沈没して1,708名以上が犠牲となった。ソ連の蛮行は許しがたい。戦争に正義など無いのである。

 大戦末期、ソ連軍は東プロイセンに侵攻し、ケーニヒスベルグなどから多くの難民がダンチヒ経由の船でドイツ本土に逃げようとした。そのときに、このグストロフ号は1万人ほどの難民を乗せ、ゴーテンハフェン港から航行の途中、ソ連潜水艦S13に発見され、3本の魚雷により沈没した。8千人を超える人々が凍てつくバルト海に沈んだ。その半数が子供だったといわれる。マイナス13度の真冬の海に沈んだ。水温は2度で、荒れた海面に沈んだ。タイタニックの比ではない、世界の海難史上最大の悲劇であった。タイタニックは大富豪や美女を乗せていたが、グストロフは疲れ切った難民、傷病兵、女子供、ナチスの海軍軍属であった。この船以外にもS31は2月にはシュトイベン号、4月にはゴヤ号と2隻の難民船を沈め、2万人以上の死者を出した。ところが、事件は東西冷戦下、ソ連によって封印された。撃沈戦果を出した船長は英雄の称号はもらえず、勲章だけを得た。あまりのひどさにソ連は封印したかったのだ。生き残った1200人ほどの人々の中に、妊婦もいた。救出時に産気づいて一人の男の子を出産した。その母親と、戦後成長して記者になったこの作品の語り部、そしてその子供が戦後3人三様の立場で、この船の遭難を語る。母親は東ドイツで指物師として戦後を生き、共産党政権下を巧みに生きる。遭難中に生まれた長男は、冴えない記者として西側に渡り、有能な妻に離婚される。長男はインターネット上で、ネオナチ的論陣をチャットする。それぞれが、戦中、戦後、現在を、行ったり来たり、蟹の横ばいのように真っすぐに真実に向かわず、過去を語って行く。ヒトラーが政権を取って、ドイツを掌握し、歓喜力行団のツアーで労働者を骨抜きにしていく。船名はスイスで暗殺されたナチス幹部の名前であった。当初はアドルフヒトラー号とする予定であったが、暗殺事件を巧みにプロパガンダに利用した。大戦末期ドイツ海軍は東プロイセンから250万人の難民を避難させることに成功したが、その陰に大きな犠牲が生まれていた。

 ソ連軍の東プロイセン侵攻は虐殺事件を生んだが、それから逃れようと200万人を超える難民が発生した。彼らは厳冬の逃避行中に女子供を含む多くが亡くなった。ようやく行き着いたドイツから船に乗ってさらに本土に行く途中に再び災難に出会ったのである。また、難民の多くがドレズデンに逃れたが、ここでも、イギリス空軍の爆撃を受け何万という死者を出した。ズデーテン地方のドイツ人も、終戦後チェコ人の迫害と逃避行で20万人と言われる多くの犠牲を生んだ。ドイツの大戦末期の犠牲者、特に民間人の死者は最後の1年間に急増した。ソ連兵の蛮行は今では知れ渡っているが、この船を撃沈した S13にはそれなりの正当性もあり、また、難民のみならず、傷病兵、軍人も乗せていたドイツ側にも非があった。潜水艦側も、船長が出航前の飲酒等の不始末を起こし、反逆罪で告訴されようとしたのを挽回しようと、積極的にドイツ避難船を攻撃したという。ギュンターグラスの視点は今になって明らかにされた第三帝国の崩壊の姿を明るみに照らし出している。

第二次大戦後ドイツ人で占領国などから追放されたドイツ民間人は1200万人でれそのうち200万人が死んだという。確かにナチスはホロコーストを生んだが、周辺諸国の報復もすざまじかった。だから、戦後ドイツの贖罪ばかりを追求することはできなかった。1986年に発表された調査 (Die deutschen Vertriebenen in Zahlen. Gerhard Reichling. 1986 ISBN 3-88557-046-7) によると、民族ドイツ人の追放は次の通りである。

1945年以前のドイツ東部から7,122,000人
グダニスク(ダンツィヒ)から279,000人
ポーランドから661,000人
チェコスロヴァキアから2,911,000人
バルト三国から165,000人
ソ連から90,000人
ハンガリーから199,000人
ルーマニアから228,000人
ユーゴスラビアから271,000人
追放された民族ドイツ人の総数は11,926,000人である。1950年には人口の自然増加によって12,400,000人になった


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 アメリカ映画などで見る「ドイツ兵」は全く見事な悪役である。彼らがいなければ戦争映画は成立しない程である。彼らは傲慢で、まるでロボットのような兵士、皆機関銃を持ち、そして、映画の主人公にいとも簡単に撃ち殺される。タランティーノ監督の「イングロリアス・バスターズ」のナチスやゲシュタポはなかなかの強力悪役だが、この映画でも、見事に屠殺といっていいようにブチ殺される。最後はナチの幹部もろとも映画館で焼き殺されるという塩梅だ。他の映画でも、ドイツ兵は無機質な秩序だけで動き、時には卑しく、助兵衛である。最近のドイツ映画ではさすがに人間性のあるドイツ兵の主人公がヒューマニックに描かれるようになった。映画U-ボートとか、ヒットラー最後の12日間、スターリングラードなどである。我々はそうした映画や、記録映画のナチス的な軍隊の行進とか、マシーンのように大砲を打ちまくったり、戦車に乗った戦争マシーンのような映像を見ることが多いのである。しかし、この本ではドイツ兵が家族にあてて送った手紙を集めて解釈し、その文章から生身のドイツ兵が伝わってくる。彼らは1944年の夏以降、急激に悪化する戦局の中で、死に直面し、家族あてに手紙を書いた。23人の元ドイツ兵の手紙である。これを見るとナチ党員だったのは6人である。彼らは戦地から検閲をくぐり、かなり自由に思いを寄せているという印象である。この中で、戦争を遂行してきた軍の責任と自分自身を明確に分けている。兵士も、その家族も被害者であって、野蛮なロシア兵から守らねばならないというトーンが行動の柱となっている。ドイツはあくまでも文明国である。そして、侵攻した国々は皆ドイツより劣っている。ロシアは不潔だし、フランスは信用ならない。イタリアはいい加減な国といった先入観から抜け出していないところが面白い。
 義務や秩序、清潔であることや精神を大切にする国民の心情が表れているものも多い。逆に、ロシア兵の野蛮さ、ロシアやポーランドを不潔で文化的に劣った地域であって、戦地にいる手紙の主が望郷の念にかられている切ない心情も垣間見ることができる。聞け、わだつみの声といった日本の学徒兵の手紙や遺書にも似たところがある。自分の故郷やその家族への愛情と、なぜ自分は戦わなければならないのか、戦局の悪化に対してどう考えたらよいのかなどは、やはり、検閲を意識しているのかもしれない。ドイツの戦地での暴力性はほとんどオブラートに包まれ、自己の正当化が強く出ており、むしろ被害者である。ロシアやイタリアなど、侵攻した土地でのパルチザンに対する戦いなども経験した兵士も少なからずいた。しかし、彼らには正当性があり、攻撃してくる連中は卑劣なギャングどもなのである。これはどこの戦争国家の国民もそうで、日本も鬼畜米英などと言っていたのだから理解できる。この本から何を読み取るかである。それはやはり、ナチスのイデオロギーが兵士たち、国民にどのように浸透し、彼らの兵士としてのエネルギーになっていたのかである。この本により見出したいのは、ナチスとは一体何かである。反共産主義、反ユダヤ、民族共同会、反女性解放、生存権、人口政策、暴力崇拝、戦友意識、ヒトラーへのカリスマ的崇拝、ナチス体制に対する主体性や心情などである。しかし、この手紙群からはそうした特徴はあまり見られなかった。むしろ、伝統的な生活信条や人種蔑視、偏見、被害者意識の方が強くでている。大戦末期の救いようのない状況を前に、「可哀そうなドイツ」を何とか守らねばならなかった。日本と違い、ドイツは国土を戦場として総力戦を戦った。その心情たるや日本と大きく違うと思いきや、意外と似通った部分が多い。この本の巻末にある整理がナチス国防軍兵士の心情を表している。「主体性の剥奪」と「過剰な主体」である。この二極の中から、あのドイツ兵の暴力性が引き出されたということである。

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 ワイナリーとフレンチレストラン「ヴィラデスト・ガーデンファーム・アンド・ワイナリー」のオーナー。こんな生活は誰もが描く夢である。お金が出来た芸能人とか、スポーツ選手が飛びつく話だが、あまり成功しないだろう。こうしたビジネスの厳しさは中途半端ではないからだ。全身全霊で打ち込まねばならない。著者はそうして成功させた。そしてこの本を書いた。玉村氏は何も、全くの無知の素人からレストランを始めた訳ではない。彼はフランス文学を学び、パリに留学した文化人である。しかし、ビジネスには素人であった。 里山の森の一角に個人で立ち上げたワイナリーとレストランが大成功した。その道のプロの誰もが無謀だと断言した理由は、その店の立地の悪さであろう。しかし、フランスにはこうした所に三ツ星のレストランが存在する。素人ビジネスとはいえ、全く日本には無かったコンセプトのお店をクリエイトしたのである。何故客を呼び寄せ成功に導かれていったのか?彼も、当初東京で小物を売る店を経営し、失敗している。ビジネス上の計算は本当に無かったのだろうか。ビジネスはやはり採算である。当時の失敗から、仕入れ、コスト意識と言った商売の基本を身につけたのであろう。やりたいことのコンセプトが明快であっても、これだけでは成功しない。里山の自然の恵みとともにある仕事をやりながら暮らしを成り立たせる、それが里山ビジネス。彼のコンセプトでユ二ークなのは拡大しないで持続するということであろう。そのためにはやはり、ある程度の利益を得なければならない。愚直で偽りのない生活とビジネスとは両立することを証明している。
 
 ワイン栽培は、日本のような風土では本当に大変な作業である。フランスやイタリア等、ワイン文化は単なる消費者のみならず、産業構造が出来上がっている。そして、ワイン作りには初期資本が5000万円以上無ければできない。酒造には様々な規制がかかっている。この本でも、様々な規制を乗り越え工夫した奮闘の跡が見られる。新潟では「深雪花」とか、カーブドッチのワイナリーなどワイン作りも近年盛んになってきたが、全て自家原料で作っているのだろうか。自分は、最近、地場産愛用を心がけているが、やはり、若い感じがして、時々フランスやイタリアの銘柄を飲みたくなる。そんな時には中野のプチ小西に行って旧交を温めている。

 今、大都市のみならず、地方都市の郊外にある中山間地が過疎化し、崩壊の危機にある。ではどこでも、里村氏のようなスタイルで取り組んだら成功するだろうか。新発田市も中心市街地が衰退し、シャッター通りである。これをシャッター通りになった店の人達に元に戻せと言ってもそれは無理だ。そうなった原因は彼らにもあるからだ。もちろん、交通網の変化、大規模店の進出も大きな原因だが、これはもうどうしようもない、所期条件である。そこで、中山間地の農産物の6次化というコンセプトが生まれた。安倍政権もしきりにTPP対応策として提唱している。中山間地の休耕地を使って、蕎麦、野菜などを市街地のレストランに直接買ってもらい、レストランは新鮮な取り立て野菜の、オーガニックなどの付加価値をつけてレシピも開発する。その土地ならではのライフスタイル、その土地でなければできないものは何か、そこに行かなければ食べられない料理などで観光を組み立てる。農業高校や、大学が市場を調査したり、マーケットの動向を情報収集するなど、高齢化した中山間地の農家の出来ない事をサポートする。もちろん、農協も関心を持っている。

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