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ソ連 党が所有した国家 下斗米伸夫著

鉄のカーテンに閉ざされた共産主義体制の牙城ソ連の誕生から崩壊までの政治史教科書といって良い。グラスノスチにより情報公開され、ソ連の実態が明らかになった。ロシア革命は「内戦、階級闘争が逆に巨大な官僚制を作り、そのにないてになることに何の問題も感じていなかった。いな、国家の巨大化を通じて「国家の解体」と社会主義の勝利が可能であるという背理を内包していた。党は自ら組織化し、官僚制となり、その担い手を粛清した上で大衆党と化した。226p」その中でモロトフを軸にその栄枯盛衰を語っている。ソ連の出来事は新聞で断片的な情報しかなかった。ペレストロイカによってその全貌がわかってきた。第二次世界大戦でロシアの戦死者は軍人で800万人、ソ連時代に政治要因によって処断された1150万人は公式数字である。国民全体では2750万人である。
追放移送、食料の没収によって餓死や死亡した国民は1000万人は下らない。スターリン死亡時に収容所には250万人が拘束されていた。その政策のほとんどに関係していたモロトフを軸にソ連の歴史を語っている。我々の世代は資本主義国家アメリカと対立したソ連を教条的にしか学んでいない。ロシア革命は労働者の革命だったのか、1925年時点で工場労働者は191万人と人口の1%しかいなかった。ソ連は農業国だった。ボルシェビキも、SLも農地の解放を訴え、共産党は軍備のため農民の穀物を輸出のために取り上げ、何百万人もの餓死者を出した。平等な社会を標榜し、特権階級ノーメンクラトゥーラを生んだ。物資の適正配分の仕組み、ゴスプランが機能していないのに市場経済を批判した。ロケットや宇宙開発、軍備は収容所列島の強制労働によって実現出来た。そのような仕組みはどこかで行き詰まる。自壊したのも当然であった。この書ではスターリン以降も政策の中核にいたモロトフを軸に、フルシュチョフの権力闘争、ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコ、そしてゴルバチョフの政策を概観できるよう丁寧に書かれている。

ーザリ・カガノーヴィチロシア語: Лазарь Моисеевич Каганович1893年11月22日 - 1991年7月25日)は、ソビエト連邦政治家官僚ウクライナ共産党第一書記、ソビエト連邦運輸人民委員ロシア語版(運輸大臣)を歴任した。また、ヨシフ・スターリンの側近を務めていた。

ヴャチェスラフ・モロトフロシア語: Вячеслав Михайлович Молотов1890 - 1986年)は、ソビエト連邦政治家革命家。ソビエト連邦首相、外相。第二次世界大戦前後の時代を通じてヨシフ・スターリンの片腕としてソ連の外交を主導した。「モロトフ」はペンネームであった。
この2人はソビエト国家=共産党の独裁体制をスターリンと共に半世紀にわたり支えた官僚である。
ロシア革命はレーニンとスターリンによって地獄と化した。NEPと農業政策の強引な推進によって飢餓が生じた。革命時の民主的な統治や自治、組合運動は共産党一党独裁の中央集権に反する、反革命、労働者の敵とされた。革命の始まりだったクロンシュタット水兵と労働者1万5千人が殺害された。レーニンが始めた赤色テロは恐怖政治の始まりでチェカー、GPU、KGBといった秘密警察が逮捕監禁処刑を推進した。歴代の秘密警察長官は皆粛清された。輸出のための穀物調達は略奪と化した。これにより農村は数百万人の餓死者を出す。こうした施策はスターリンとその取り巻きによって実行された。その首謀者がこの2人であり、彼らはソ連崩壊直前まで生き延び、天寿を全うした。
世界はソ連で粛清によって大量殺戮が行われていることは知っていたが、その規模や過酷さはペレストロイカ後の情報公開まで知ることができなかった。ソ連の悲劇はスターリンだけではできなかった。多くの小悪魔達が仕出かしたこと。その筆頭であった2人は大量の犠牲者も革命と社会主義国家実現のため許容されるという考え方を死ぬまで捨てなかった。流石に中国共産党も日本の共産党もこうした事実は知っていたが、反スターリンの立場をとり、自らの社会主義思想を正当化していた。日本共産党の幹部の30人以上がソ連で処刑されている。野坂参三は共産党の最高幹部であったが、100才を越えて、実は日本公安のスパイであったことがソ連からの情報で明かになり除名された。こんな政党が今もなお国会や地方政治に関わっていること自体全く理解できない。彼らの人権抑圧体質は今もかわらない。彼らの社会主義が共産主義とともに破綻した考え方であることを今なお宗教のような理念として保持しているとしたら恐ろしいことである。彼らの理想とする社会は一見理想の国家、平等や人権が守られ、理にかなった統治が行われるかのように見せ、実際は秘密警察や軍隊、裏切り密告が横行する世界なのであるカルト集団のような体質を今なお持った政党がもっともらしく、時の政権に反対意見を述べ、便利なのでマスコミは流すが一体どういう了見だろうか。中国も北朝鮮も全体主義的中央集権統治であり、ナチス以上の国家犯罪を産み出す共産党、共産主義を許すわけにはいかない。




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「外套」(Шинель)は、1842年出版のニコライ・ゴーゴリの短編小説。本作は近代ロシア文学の先駆けとなり、多くのロシア作家に影響を与えた。ドストエフスキー は、「我々は皆ゴーゴリの『外套』から生まれ出でたのだ」と語ったと言われる。この短編の何が凄いのか、読んだ直後は良く分からなかった。一緒に入っていた「鼻」も読んだ。この外套の主人公も、鼻もロシアの官吏の話である。貴族や将軍の雄大な物語でもない。外套も鼻もある種の空想物語か、何のメタファか自分には見当がつかなかった。外套は糞真面目な大して給料も多くはない公文書の清書を仕事としているアカーキィ・アカーキエヴィチの物語。倹しい下級官吏が必死の思いで外套を買い、これが強奪され、そこから人生が終わってしまう気の毒な話である。取るに足らない庶民の姿をゴーゴリは愛情を持って書いている。彼の作品からはペトロクラードの寒々した街路や、うらぶれた街角のイメージが伝わってくる。鼻はある下級官吏の鼻が無くなってしまい、その鼻が一人歩きするという奇想天外な物語り。村上春樹の小説を思わせる。これが19世紀の初期に書かれたところが凄いのではないか。19世紀にはドイツではホフマン、アメリカではポーが怪奇な世界を描いている。その出発点がこの外套と鼻なのである。確かにスノビズムがあるかもしれない。サロンで話題になるような物語をゴーゴリは書いて、奇想天外な発想を読ませ、皆を唸らせたかった。ところが、そこが天才作家の凄みで、当時のロシア社会や人間の未来までも描いてしまう。外套や死せる魂にも役人や地主階級などが登場人物だが、半世紀後に凄惨なロシア革命が起きるなど予測できなかった。しかし彼はロシアの社会の行き詰まりを描き出していた。ドストエフスキーもトルストイも影響を受けた。鼻のメタファーは強烈だったのだろう。

鼻はショスタコビッチが書いた最初のオペラ。ソビエト社会主義の中で体制側としてスターリンの寵愛を受け、その批判との二枚舌に揺れた芸術家が何故これを書いたか興味深いそれまでの小説にはなかった革新性が二つの物語りの中にあるのだ。死せる魂も今読んでいるところだが、これも死んだ農奴の戸籍を集めるという奇妙な話なのである。19世紀の前半、ナポレオン戦争後のロシアは啓蒙思想や自由主義に揺れていた。ゴーゴリの生きた時代はロマノフ王朝末期のロシアである。ヨーロッパの近代化に遅れ、農奴制度や官僚制の重圧に社会は停滞する。デカブリストの乱『1825年』が鎮圧された後の、閉塞した時代をゴーゴリは生きた。近代化改革を行ったアレクサンドル2世が暗殺され、革命の扉が開く以前の古いロシア時代を生きた。官僚社会を見事に描き、それが当時の読者の共感を得たからこそ名作として残っているのである。ゴーゴリは社会改革者ではないし、フランスのビクトルユーゴのような社会批判を雄弁に語るのでもない。その時代の精神とは何か、自分はロシアの歴史や社会に関する知識もなければこれまで興味もなかった。しかし、昨年の暮れ、you-tubuでロシア映画のタラスブーリバを見て、これが昔のハリウッド映画の隊長ブーリバであり、その作者がゴーゴリであることを知って急に興味がわいたのである。ポーランドの大平原で繰り広げられる戦いの中にあって展開するコサックの父と兄弟の物語りにゴーゴリはロシアの自由な精神と大地が表現されたと思った。彼は他に名作『検察官』を書きこれも官僚制に辟易とした庶民の姿を描き喝采を受けたのだ。ゴーゴリの凄さはまさに彼の生きた時代の精神を見事に描き伝えたところにあるのではないだろうか
。話はかわるが、今なお化石のような社会主義?中央集権国家の北朝鮮の脅威が恐怖に変わろうとしている。世界から切り取られた鼻が一人歩きしてテロをはじめたとしたら。現代にも鼻は生きている。
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 この本は疑似科学、心理学、大脳生理学の集大成のような本ではないか。著者の橘 玲(たちばな あきら、1959年 - )は、日本の作家。本名は非公開。早稲田大学第一文学部卒業。元・宝島社の編集者であるが、遺伝学や優生学、遺伝学に詳しい。アメリカの実験心理学や人類学者の見解をつなげて、進化論、格差、犯罪、差別の必然性を唱えている。何も肯定しているわけではないが、現実を見よと見たくないものも見せつけられている。遺伝決定論と環境決定論の二つを組み合わせて、センセーショナルな結論を導いているのではないか。一種のアジテーションである。人間のDNAは石器時代から変化していないとか、本来人類は一夫多妻でもなく、一夫一妻せいでもなく、乱婚制だという人類学上の仮設を述べている。ドナルドトランプが聞いたら喜びそうな理論である。ナチスの優生学はそのルーツはアメリカにある。アメリカは結構露骨な人種差別の激しい国である。この本にも例として黒人やユダヤ人の話が出てくる。一卵性双生児を例に、遺伝的要素がいかに強いかを説く。そういえば、トランプは優秀な子どもを作るために、3回も結婚したのではないかと思わせるくらい、子供が優秀だ。美人は得だし、外見で人は判断する。教育でも、親が優秀なら勉強のできる子供は多い。そうした気安く口外しにくい現実をそれなりに理屈をつけ、それに反する事例はさておき偏見を裏付けた本ともいえる。
この本の論調はナチスの人種理論にもつながるのではないか。この歴史をどう考えるか。この反省に立って、遺伝学は封殺され、科学の指針も大きく変わった。まさに「言ってはいけない」独断偏見を根拠づけようとしたのではないか。

以下にナチスの行った悪行と、ヒトラーの予言についてご紹介したい。

ベルリン、ダーレムのカイザー・ヴィルヘルム協会人類学・優生学研究所所長のオトマール・フォン・フェアシュアーは、双子に関する研究を手広く行っていたが、戦争が始まると弟子のSS大尉、ヨーゼフ・メンゲレ博士をアウシュビッツに送り込んだ。彼はアウシュビッツの降車上に自ら赴いて、何千もの双子を集めてコレクションし、過酷な人体実験を行った。メンゲレは3000対の双子を人体実験にかけ生き残ったのは100名だけだった。ナチ的な曖昧な人種理論の証拠探しという側面もあった。人種が優れている、劣っているなどというのは、今日においては疑似科学であることは誰も疑わない。何をもって「優れて」おり、何をもって「劣って」いるのかなど、そんな定義が歴史上存在したことは一度としてない。にもかかわらず、ナチはアーリア人が優秀で、ユダヤ人が劣等だと決めつけた。それは政治が勝手に言い始めたことで、これを裏付けるために科学が総動員された。ナチの医学者たちは血眼になってアーリア人が優秀で、それ以外がそれよりも劣るという「証拠」を見つけようとした。それは髪や瞳の色であったり、顎の形であったり、背の高さであったりした。
ス・ドイツの「優生思想」で、障害者や難病の患者は「安楽死計画」の犠牲になった。
1939年から1941年8月までに、約7万人の障害者が「生きるに値しない生命」として、抹殺された。
「安楽死計画」の事務所(中央本部)がベルリンのティアガルデン4番地の個人邸宅を接収して、そこに置かれたことから、この計画は暗号で「T4作戦」と呼ばれた。

●かつてアドルフ・ヒトラーは次のような発言(予言)をしたという。
「“2つの極”はますます進む。人類と社会のあらゆることが、未来には、両極端に分かれてしまう。
たとえばカネだ。一方には腐るほど大量のカネを持ち、広く高価な土地を持ち、労せずして限りなく肥っていく階級が現われる。だが少数の彼らが現われる一方、他方の極には、何をどうやっても絶対に浮かび上がれない連中も現われるのだ。それはカネだけの問題でもない。より正確にいえば、精神の問題だ。限りなく心が豊かになっていく精神の貴族、精神の新しい中産階級が現われる半面、支配者が笑えと言えば笑い、戦えといえば戦う『無知の大衆』『新しい奴隷』も増えていくのだ。 〈中略〉  それは1989年だ。そのころ実験は完成する。人間は完全に2つに分かれる。そこから引き返せなくなる。」
「……人類は、完全に2つに分かれる。天と地のように、2つに分かれた進化の方向を、それぞれ進みはじめる。一方は限りなく神に近いものへ、他方は限りなく機械的生物に近いものへ。これが2039年の人類だ。その先もずっと人類はこの状態を続ける。そしておそらく2089年から2999年にかけて、完全な神々と完全な機械的生物だけの世界が出来上がる。地上には機械的生物の群れが住み、神々がそれを宇宙から支配するようになるのだ。」この予言が当たらないように人類は行動しなければならない。


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 問題は英国ではなくEUなのだ

 エマニュエル・トッド氏が、イギリスのEU離脱原因となったヨーロッパの事情、これからの世界の動き、さらにトッド氏の歴史認識と方法論に関して書かれている。今の日本が中国や韓国に気を取られているうちこの十年の間ヨーロッパでは大きな変化が生まれ、21世紀の中盤は危機を迎えようとしていることに気が付かなかった。これは警告の書である。
 彼の歴史人口学という科学的な手法による歴史解釈と世界の諸問題を洞察する力量に驚かされる。日本は戦後、地政学の視点を失った。かつては、和辻哲郎、ヒットラーの右腕学者であったハウスホーファーなどは枢軸国の理論につながったということで排斥された。しかし、今こそ地政学的な見方は重要である。世界が地理的な位置、気候、人種、家族構成、出生率などで発展に差があり、統一などという概念からは程遠いことも現実だ。しかし、フランスが18世紀に生み出した、自由や平等の概念は今日もなお生き続け、国家形成の重要な要素として尊重する方向と、中国やロシアなど、国家の維持を優先させる方向と今もせめぎ合いを続けている。
 今日、冷戦構造の崩壊以来、アメリカの一人勝ちは、今やアメリカが世界の警察官にはなり得ない状況に転じた。中国の自己主張に対して日本は苦悩してきた。21世紀の前半はアメリカ、中国、ロシア、ドイツが大国として先進国を方向付けている。そこに、フランスやイギリス、日本がどのような役割を果たせるかである。イギリスは国民投票でEU離脱を決定した。これに対して最も怒ったのはドイツのメルケルである。フランスはすでに金融面でも経済面でもドイツに従わざるを得ず、オランド大統領はメルケルにお伺いを立てる立場に成り下がっている。イギリスは自己決定権がEUの中で失われつつあり、特に重要な移民の問題ではデリケートである。当然の話である。メルケルはシリア難民の受け入れを宣言し、喝さいを浴びたが、難民はいずれ北欧やイギリスにも流れてくる。イギリスが通貨をユーロにしなかったのは賢明である。通貨が統合されると、産業の格差に応じた為替調整機能がなくなり、産業が停滞すると労働者はドイツに低賃金労働者として吸収される。ドイツではこうした労働者と、一般国民は区別され、移民は結婚も同化もうまくいかない。若者が減少し続けているドイツの繁栄はこうした移民の上に成り立つ。この構造もいつかは危機を迎えるだろう。その時は周辺国も共倒れである。これを支えてきたイギリスはこんなEUから政治的に支配されるよりは、むしろ、アメリカやカナダというバックアップの方が親近感がある。
19世紀、 イギリスは産業革命の担い手であり、議会制民主主義発祥の国である。自由と平等というフランスの伝統はむしろイギリスと結びついた方がフランスの未来を明るくするのに、統制的なドイツと付き合っている。リベラリズムはそのメリットを一部の支配階級が握るだけで国家の基盤である中産階級以下の層には恩恵がない。イギリスの離脱投票者の判断はイギリスの国家としての自立性を取り戻す行為であり、歴史の必然なのだというのが彼の主張である。
 この本の75Pから185Pは彼の歴史分析の方法とその人口学からみた2030の予測である。そして、後半は世界、特に中国の未来、多発テロに対するフランス国民の行動、キリスト教、特にカトリックの衰退とヨーロッパの近代史を解説している。内容のあつみと読み応えのある著書である。

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 著者エマニュエルトッド氏は歴史人口学という新たな視点から世界を俯瞰する。日本にはこのようなスケールの大きな学者が少ない。氏は独特の視点からソ連の崩壊、リーマンショック、アラブの春などを予言し、近年ではイギリスのEU離脱を独特の視点から予言してきた。また2015年1月に起きた出版社シャルリ・エプド」襲撃事件後の300万人のデモの正体を「シャルリとは誰か」で明らかにし、批判も浴びた。彼の鋭い視点はどこから来るのだろうか。
 歴史において経済と軍事、社会動態は重要な要素である。歴史学者である彼は、経済学とは違う視点で世界を見ている。経済の問題は軍事のように目に見えないことが多い。統計や消費、株式指標など、3か月~1年以上経ないと統計など判断材料がない。今日、グローバルな国の事情もあり、予測が困難だ。ところが、GDPや購買力実質GDP、人口動態統計、出生率、平均余命、高等教育就学率などから多くを読み取ることができる。トッド氏はフランスにおいてはカトリックの健在な都市や地域特性、家族形態と政治現象も重ね合わせ、新しいい着眼点を得ている。
 本書では今日のヨーロッパが置かれている現実が語られる。それはEU統合後のドイツの一人勝ち状態である。昨年のギリシャのデフォルト危機ではギリシャの経済統計の粉飾やギリシャ人の怠慢、お手盛り年金などが批判されたが、ギリシャの経済を追い込んだのはドイツの経済支配である。ギリシャ国内産業が脆弱になりつつあり、その真犯人はドイツであることを移民政策などから明らかにしている。ギリシャの経済指標粉飾はギリシャがEUに入るようにゴールドマンサックスが粉飾の手伝いをし、ドイツが優秀な人材を移民として吸収し、ギリシャの衰退を招いたことなどを暴露している。ギリシャが衰退することはドイツはメリットである。メルケルはギリシャの金融緩和を抑え、緊縮財政を取ることで締め上げる。
 歴史学者であるトッド氏はイスラムテロ後のフランスの軍事行動や世論が、第二次大戦時にナチスに占領されとときのビシー政権の対応と比較し、反ユダヤ感情をフランスが高め、多くのユダヤ人をアウシュビッツに送ったことを例に、反イスラム主義もカトリック信仰の空白地帯と重ね合わせてこうしたフランスの自由種主義の危機を訴えている。
 今や、メルケルは、ドイツがビスマルクによる大発展を遂げた時代と重なり、東欧、フランスを支配しつつあることを示している。イギリスのEU離脱も、イギリスの外交、経済の主導権をドイツに奪われつつあることの危機を訴えている。ドイツは出生率が日本並みに低く、人口問題を抱えているが、冷戦崩壊の後、旧東ドイツ、東欧やトルコからの移民を使い、また、低賃金の周辺諸国を下請けに、競争力ある工業製品を輸出し、ヨーロッパを支配する経済力を持つに至った。東欧諸国の人々は貧しいが移民は教育水準が高いフランスのオーランドもメルケルの顔色を見ながら追随しているのが実態なのだ。ところが、ドイツも、今回のシリア難民などや出生率sの低下によって、将来の危機を内蔵するリスクを持った国家である。ナチスの時代を生んだ下地はそうした人種差別的階層的な支配構造をもっており、統制的な政治も可能である。一方フランスは自由や平等の歴史を持っている。交通規制で警察が取り締まるときは、高速などで運転者はヘッドライトを点滅させてお互いに警戒を訴える。ところがドイツでは駐車違反をはじめ、違反があれば隣人でも警察に通報するようなカルチャーの違いがある。未来のドイツの崩壊はは即ヨーロッパの崩壊に結びつくほどドイツの影響力は巨大になっている。
 トッド氏はドイツを中心に、ロシア、アメリカの役割と可能性にも触れている。ウクライナはもともと国家基盤の弱いところであった。コサックを産んだアナーキーな地域なのである。クリミアの住民はロシアに親近感を持ち、住民投票の結果ロシアに編入する事態になったが、これをドイツを中心とするヨーロッパはかつてのナチスに重ね合わせたキャンペーンを行った。ウクライナのパイプラインはドイツが最終地点であり、新たに建設計画があるサウスストリームもドイツが支配している南欧が最終地点である。実態は日本では意識されない。氏は今、プーチンロシアはソビエト崩壊から立ち直り、また、アメリカも経済面でも復旧し始め、世界の帰趨はこの二国にかかっていることを主張している。ロシアの高等教育就学において女性は男性よりも高いということに驚く。遠いヨーロッパの出来事は日本では一部の現象しかニュースにならないが、その意味や背景はこうして語られていると世界の動きが見えてくるのである。世界の中の日本が特殊であるわけではない。移民の問題も少子高齢社会において受け入れる方向で環境を整備しなければならない。移民を多く受け入れるドイツの階層社会と統制力、かつて、ユダヤ人やロマなどを抹殺しようとしたご都合主義的なドイツをフランス人の危機感から批判的に書いた本である。しかし、ヨーロッパの危機がどこにあるのか、分かりやすく解説してくれる中身の濃い本であった。イギリスのEU離脱問題は、「問題は英国ではないEUなのだ」という著作で明らかにしている。氏の学問的方法論と世界の歴史的未来予測が語られており、別ブログで触れてみたい。
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マレーシアに旅する人、中でもキャメロンハイランドに行った方はとても楽しめる作品である。1968年に失踪した、タイのシルク王ジム・トンプソンの事件をヒントに清張は日本とマレーシアを舞台とする推理小説を書いた。物語は赤坂の骨董店を訪れた織物デザイナーが軽井沢で印籠を買うことから始まる。このエピソードとは関係がないように見えるが、軽井沢の別荘地でアメリカ人婦人の殺害事件が発生する。被害者はタイシルク王の妹であった。実際はマサチューセッツで殺された姉の事件も迷宮いりとなったが、清張はこの事件にインスピレーションを得た。作品の舞台はマレーシアのイポーに近い標高1600mの高原。キャメロンハイランドはタナラタ、ブリンチャンといった街からなり、周辺の地名が物語に出てくる。今回自分の訪れた訪問地はまさにこの小説の足跡を辿ったもの。高原名物の茶畑も謎解きの重要な要素として登場する。昭和59年に清張はこの作品を書いたが、彼は文壇の大御所となり、まさに油の乗りきった時期の作品である。軽井沢の米人女性殺人事件からマレーシアのシルク王失踪の推理へと長野県警の刑事は現地に行きさらに次々と起きる殺人事件に遭遇する。1968年当時のベトナム戦争が泥沼化しつつあった不安な時代に起きた事件。イギリス軍もまだマレーシアから完全には撤退していなかったし、ジャングルには先住民族と共産ゲリラが潜んでいた。タナラタのホテルからイギリス調のプチホテル、スモークハウス。周辺のゴルフ場から坂道を車で10分ほど登った丘の上にある月光荘は小説では南十字星荘となっている。吹き矢を使うオランアスリーは山岳民族サカイ族として登場。謎の日本人舞踏団や透視の念力、蝶の収集ツアーに加わった青年の惨殺事件を刑事の長谷部は追っていく。現地警察のオスマン警視と部下ダウドウとの情報交換がすれ違い、2つの事件のやり取りの中でドラマが進展する。デザイナー山形と美人の透視術の女助手の関係が事件の全体が見えてくるに従い明らかになる。長谷部の推理が失踪事件の謎を解き明かしていく。様々なエピソードや事件が失踪事件に集約され、奇妙な事件の連鎖が推理の中で浮き上がってくる。清張の円熟した物語展開力ガ光る。現地取材の感動が伝わってくる。熱帯雨林の描写はさすがである。ホテルでの舞踏団の公演が始まり物語はクライマックスとなり、大団円を迎える。清張ワールドが展開する。どんどん物語に引き込まれて行く。清張のジャングル描写はさすがだ。自分も山道を車で走ったときに見た光栄を次のように表現している。正にその通りだった。清張の作品としての評価は高い方ではないだろうか。

渓谷にはところどころ陽が当たっている。それは熱帯森林特有の高い樹の先についた天蓋のような葉の繁茂がきれるところからだった。多少の伐採が樹と樹の天蓋の接続を断ち切れらせているのだ。高度が上がるにつれて、樹林の様相も変わってきた。全てが棒のように高く直立した樹林と、その幹を部分的にしか露出させていない大波のような葉のうねりであった。椰子のような掌状葉から広潤葉にいたるまで、およそ何千何百種もの植物が精力的に自生しているように思われる。林の根方も下草の縺れた繁茂に深く埋められていた。その昏い奥にも、樹上にも、どんな動物がひそんでいるか分からなかった。シダも、日本で見るような地を這うような矮小なものではなく、並木のように亭々と高くそびえていて、その先に葉を傘状に四方へ広げていた。すでにシダの感じはしなかった。
(松本清張 熱い絹262pから)

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  ローマ帝国という巨大な帝国は西ローマ帝国がBC476年に崩壊するまで続いた。国家が崩壊するというのはどのようなことなのか、また、何故そうなったのかは昔、世界史の授業で習って以来学んだことがなかった。このことに関してはフランスのモンテスキューの研究、イギリスのEギボンのローマ帝国衰亡史が有名だ。これらは大著で自分のような不勉強家には到底ハードルが高い。学説も200を超えるという。21世紀に入り、こうした研究が我々にどんな意義があるのだろうか。また、研究結果も時代背景が影響したものであり、21世紀においてはまた別の解釈も生まれよう。この書は極めて緻密にこれまでの研究結果を誠実にまとめたものとして中身の濃いものである。コンパクトに学問的検証を踏まえて自分のような浅学にも丁寧に帝国の崩壊の様相を伝えてくれる。
  ローマ帝国とは何か、また、滅亡の原因となった異民族の侵入とはどのようなものだったのか。崩壊を招いた政治の混乱と、さらに拍車をかけたキリスト教はどのように作用したのかである。西はブリタニア、北アフリカ、東はシリアからペルシャに接する大帝国は285年〜
293年に皇帝ディオクレティアニスが帝国を分割し、2皇帝、2副皇帝による4帝統治に移行した。皇帝の役割と軍、国境とローマ市民権、周辺部族との関係、周辺都市の姿がどのようであったかを説明することは難しい作業である。国家、民族、部族といった概念は時代の解釈を伴う。異民族の侵攻というと、20世紀ではドイツのソ連侵攻をイメージするし、現代であれば、民族移動は難民の移動などをイメージするかもしれない。しかし、考古学的に検証すると必ずしも、我々の常識とは違った世界が見えて来る。ローマ帝国はヨーロッパで国民国家が生まれた時代のギボンがイメージしたような国家ではなかった。国境があるわけではない。ローマ軍の砦や進出地帯と都市があった。これによって地域を支配した。そして、ローマ的生活、市民文化、そして宗教がローマであった。ローマ人はズボンを履かなかった。周辺部族とは何百年も一線を画してきた。本書で南川高志氏は緻密な文献研究を踏まえながら解説を進め、信頼感ある内容となっている。ローマ帝国の歴史はアウグスチヌスが帝政を確立して以来、476年もの間継続した。分割されてからも183年も続いた。勃興しつつあったササン朝ペルシャに対抗するため、分裂ではなく、広大な帝国を一人の皇帝では支配できない状況から分担し、東西に分けたのである。
  とはいえ、ローマ皇帝は東西に皇帝と副帝がいてこれらが目まぐるしく入れ替わる。東西に分かれたといってもこれらは連携しているので無関係ではない。名前もコンスタンチウスとコンスタンチヌスといった紛らわしさがあり、誰が何をどうしたのか混乱してしまう。あまりに多くの人名が交錯する。まともな皇帝が現れても、結構非業の死を迎えていく。皇帝位がどのように継承されるのか全く、混乱の極みであるがそれを文献や史書にもとづき丁寧に整理している。これだけで大変な作業であり、政策の評価まで説明することは困難である。
 ローマ市民は一種のライフスタイル、文化を共有した概念である。社会的地位でもあり、ファッションや生活様式にも関わってくる。彼らはトゥニカという布を体に巻きワンピースしか着ない。ローマ帝国は宗教でも自由であった。キリスト教が迫害されたのは皇帝礼拝を拒んだからである。コンスタンチヌス大帝がキリスト教を公認して以来、ユリアヌス帝のように従来のローマの神々の信仰やギリシャ哲学などを復興した皇帝もいたが、のちにキリスト教の一派であるアリウス派を弾圧したり、偏狭なキリスト教徒として異教を弾圧した皇帝にローマ市民の一体感は薄れた。また、勢力範囲の辺境地には強力な軍団が駐屯し有能な将軍が部族との戦いを指揮していた。次第に彼らはこれまでのイタリア人ではなく、周辺の部族から実力を認められて取り立てられた。ローマは有能な人間はどんどん取り入れる自由な国家だった。彼らは戦いに勝利したローマの副帝や将軍を皇帝にまつりあげようととしばしば反乱を起こし、皇帝をも暗殺したりした。皇帝は暗殺や交代、不慮の死などで、統治機能は低下したが、紀元400年前半までは帝国は形を保っていた。それが、後半30年であっけなく崩壊してしまう。ローマ人が自己のアイデンティを失い、皇帝の失政、異民族部族との誤った妥協が一挙に帝国の行政機能を低下させた。崩壊の直接的原因はローマ帝国内部にあり、ローマ人という概念の崩壊が国家機能を失わせたということが南川氏の解釈である。21世紀の新しい解釈がさらに歴史を塗り替えていくのだろうか。ローマ帝国は異民族の侵入によって滅びたというより、移民を排除し、異民族を排斥、キリスト教を強要したり、有能な皇帝が潰されたことで、指導力が低下し、内部崩壊したのである。強い権力が続いた東ローマ帝国は15世紀のオスマン帝国の侵攻まで続いたのである。ローマ帝国崩壊は現代の民主主義の限界。国民国家の機能不全、国境や民族、宗教に関する我々の認識に示唆を与えてくれる。

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 日本会議という不思議な集団が、安倍政権の陰となってうごめいている。安倍総理の頭は憲法改正の仕組み作りでパンク寸前だ。日本会議は何も圧力団体というわけでもないのだろう。それほど恐ろしい動きをしているわけではないかもしれない。しかしながら、現政権の表向きの姿と違い、投影されているのは奇怪な影である。戦前の国家神道回帰の怪物の影。全くの驚きである。日本会議の価値観はきわめて古臭く、政治の世界で権力があるわけでもない。ところが、現実の政治ー憲法改正はこの思想に沿って行われている。櫻井よしこはその巫女のような存在で会を盛り上げている。山崎氏によると、日本会議と神道政治連盟との結びつきが鍵である。日本会議は38,000人の会員構成だが、300人を超える国会議員が会員である。これだけの議員が保守政治家として行政に影響が無いわけがない。彼らに共通しているのは今の日本国憲法を嫌悪し、東京裁判を否定し、戦後の歴史を自虐史と捉えている。そして、彼らが向かう方向は、何と、戦前の政治への回帰である。大東亜戦争を肯定し、敗戦の原因に対する反省が全くない。人権の尊重を国家の下に見て、個人の権利から生まれる自己主張を批判し、弱者への配慮に無神経である。ナショナリズムの世界的な潮流にベクトルが合っているようにも見える。日本人をダメにした憲法。日本人の価値観に合わない。嫌な人間像を生み出した憲法。戦後のダメな部分は全て憲法と東京裁判史観のせいであるときめつける。
 日本会議のメンバーは戦後の日本をそれほど憎むべきものと考えているのだろうか。今日我々が平和で繁栄を享受しているのは英霊のおかげだという。だから、彼らは靖国神社に参拝する。戦後日本の繁栄と平和を築いたのは英霊であろうか。戦後の焼け野原からの復興に従事した人々、戦前の軍事偏重の政策を拒否して戦後の日本国憲法下で経済発展に尽力した人々ではないか。英霊と戦後日本の平和や繁栄を結びつけるのには論理的に無理がある。もし、敗戦がなければ、北朝鮮のような偏屈な国家で貧困に苦しむ国になっていただろう。
 そんなにも、戦前の第日本帝國は素晴らしい国だったのだろうか。彼らには憲法について誤解があるのではないか。憲法は一国の法律の指針であり、国民が尊重すべき政治的価値観でもあるが、同時に、政府の暴走や専横を抑制する。戦前の人権感覚の希薄な政治リーダーが招いた敗戦や、戦時の「戦陣訓」「捕虜虐待」「民族差別」に関する反省は全くない。東日本大震災で多くの国民が困難にある同胞を支援し、若者がボランティアに駆けつけたのは日本国憲法の成果ではないのか。彼らが酷評するゆとり教育のおかげで勉強をしないでスポーツに専念できる若者が増えた。そのおかげであれだけの金メダルが取れた。戦前ならせいぜい4個がよいところではないか。
 200万人もの軍人を餓死と戦病死させ、無謀な作戦に駆り立てた東条英機が裁かれた東京裁判を国民は容認したのだ。彼らが合祀された靖国神社のような複雑な内容を持つ慰霊の場がそれほど尊重されなければならないのだろうか。天皇陛下は戦犯たちが自分を騙し、苦悩の淵に立たせたことを怒っていることを感じないのか。
自分は集団的自衛権についても容認するし、憲法も改正すべきと思っているが、このような思想と政治的背景を持つ連中の手によって改正されるのは誠に不愉快である。そして、その改正案にしても危険な香りが発散している。日本国憲法は確かにGHQが戦前の日本に戻らないようにがんじがらめに組み立てた仕組みである。だから、今日のような国際的にも重要な役割を果たすようになった我が国には不都合なことが多く見られる。ところが、彼らの改正の狙いは、国体=天皇を中心とする政治と戦後の政治は間違いというムード作り、靖国神社の国家護持、教育基本法の改正、道徳教育を通じての国家意識の高揚、個人の権利の抑制などであり、極端な歴史観、大東亜戦争の肯定、反政府活動の抑圧、軍事行動の円滑な決定の仕組み作りである。戦前の日本はその国家経営に欠陥があったからこそ、敗戦という日本の歴史が始まって以来の悲劇を生んだ。彼らの発想はそれを生み出した仕組みに回帰しようというベクトルを持っている。マスコミに対する口封じや、第二次、三次安倍内閣の成立にも関連し、今後の安倍総理の政策にも影響を増している。
 彼らに言わせれば、今の日本人は精神的に堕落しており、GHQの戦略によって腑抜けになり、家族は崩壊し、滅びの道に向かっている。戦後の平和な社会や、高度成長、世界で信頼される国としての日本はどこかに飛んでしまっている。彼らのメンタリティを理解出来ない。極論を訴えることで存在感を示したいのだろう。日本会議は神道政治連盟につながっている。山崎氏はGHQが国家神道の解体を決定づけた神道指令が日本国憲法の政教分離の根幹であり、これを骨抜きにすることが日本会議と神道政治連盟が一体になっている理由であり、彼らの運動が戦前の暴力装置の回復が狙いであることを看破しているのである。span>


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本能寺の変431年目の真実 明智憲三郎著 文芸社文庫


 この本の著者 明智氏は明智光秀の子孫にあたるそうである。明智光秀は主君に背いた逆賊と思いきや、その子孫は結構残っており、明智家の系譜であることを隠し、全国に散った土岐一族に側室の子などが匿われたという。処刑された斎藤利三の娘、後の春日の局はおそらく、長宗我部に匿われたと思われる。この本で本能寺の変のみならず、後の秀吉の秀次や利休の切腹命令といった歴史の謎が解かれてきたように思えた。歴史の謎は決定的な証拠がなければ推測の域を出ない。その時代において常識的な思考によって解釈されることは否めない。この書は歴史の解釈に新しい知見を与えてくれた。信長も光秀も世を去り、2人の間にどんな謀議や関係があったのかは闇の中である。しかし、光秀の部下や関係者の手紙などから何が起きていたかを推測できる。この著者、明智氏は過去の太田公一の信長公記、秀吉の惟任(これとう)退治記などの矛盾した記述を解き明かし、又、文書などを検証、比較し、従来の通説や戦記物にとらわれない見解をベースにしている。これまでの戦記物ではない文献を基にしていることが説得力を与えている。通説をもたらした文献の意図が、変の前、5月24日に行われた連歌の会に発句として光秀が詠った「時は今雨が下しる五月かな」という句についてである。句会は直前の28日ではなく、反乱の決意表明ではなかったことを明らかにしている。光秀が信長に対する野望と怨恨によって個人的事情から謀反を起こしたことにしたかった。秀吉はこの句を「土岐氏である自分が天下を治める5月になった」と反乱の決意を述べたものにしたかった。この日付は28日で6月2日の変の直前とした。しかし、真実は24日で自分の属する「土岐氏は今この降り注ぐ五月雨に叩かれているような苦境にいる五月である」と詠んだのであった。このために連歌会の当日は雨の日であり24日だったことを文献から3人の日記、多聞院日記、言経卿記、家忠日記を調べている。石谷文書が裏付けた長宗我部元親の記録にあるように信長の長宗我部攻撃を前に、土岐一族の苦脳を伝えたものだった。光秀は土岐一族である石谷氏、家老の斎藤利三、長宗我部と同盟を結んで団結していたのである。それが信長によって崩壊し滅亡することを恐れていた。文献による緻密な検証は本能寺の変が信長の四国攻撃に対する長宗我部の謀略の一環であったことが明らかになった。しかし、これだけでは説明しきれない部分は状況証拠しかない。著者の見解では、秀吉は光秀を腹心として信頼していた。光秀は謀略の相談相手であり全てを知っていた。その中で、信長は天下を統一した後は「唐入りー中国侵略」を計画し、外様の大名を海外侵略に使い日本から追い出そうとしていたこと、また、邪魔者になった家康を招き、本能寺で暗殺することとそれに光秀の軍団をを使おうとしていたこと、それが成功すれば次は自分が責任を取らされ滅亡につながるという苦境にあったことである。これらはあくまでも推測だが、その後の光秀の一族が徳川から重用されたことや、家康や秀吉の行動に不思議がなかったことは、十分納得できる見解である。さらに興味深いのはフロイスやオルガンチーノが信長の情報をかなり掴み、また、記録も日本に無いものが残っていることが驚きであった。信長のボディガードとして送られた彌助という黒人が生き残り、詳細な報告をイエズス会に送っていたのであった。明智氏の従来説が、時の権力者によって改竄された結果であり、国策として残されたのであろう。信長と光秀が対立した原因となった幾つかの出来事は、その後、秀吉の朝鮮出兵や、千利休切腹、秀次の抹殺などに原因を与えたことも興味深い。家康の改易、春日局の重用などの謎に解釈を与えてくれた。

明智氏の本能寺のへんに関する解釈や、信長と光秀の関係につていは今後ドラマなどで新しい作品のインスピレーションを与えてくれるものであろう。著者は「織田信長432年目の真実」という本も幻冬舎から出している。この本の内容は、当時の武将が孫子の兵法、論語、韓非子を熟読し、そうした思想を元に政治、軍事を展開していることを実例をもって示している。文献と当時の思想に立ち返って歴史を見直すと、また違った風景が見えてくる。しかし、この信長編にかかれているものは、殆どこの本能寺の変バージョンに書かれている。


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日本の国境問題 孫崎亨 ちくま新書

孫埼 亨氏は外務省国際情報局長と防衛大学教授を務めた経験、国際条約と軍事の豊富な情報を元に、国境紛争の歴史を語っている。特に、中ソ国境紛争とイランイラク戦争の現場に外交官として情報収集したことから、紛争の状況を真近にし、領土紛争が戦争に発展する危険性、何故起きるか、そして平和的解決の成功例などをこの本で挙げている。
特に、戦後、ドイツがEUを志向し、犬猿の間柄だったフランスとの敵対関係を解消したことに注目している。国境紛争が何故起きるかに関しては、為政者が国内的問題の目をそらすことや時の政権の権力闘争などが関係している。
国民国家と民族主義、民主主義と全体主義、市場経済と統制経済といった国家運営の違いを乗り越えて国境問題を解決することが出来るのだろうか。中国とロシアというかつての戦勝国であり、かつ中央集権を志向する国家が国連の常任理事国として拒否権を発動できる状態で、利害関係人が中国やソ連であった場合は国連は機能しない。国際司法裁判所も当事者国双方が調停に応じなければ調査も協議すら出来ない。日本が抱えている竹島、尖閣諸島、北方領土はいずれもこのパターンである。こうした交渉で100%一方的に認め、認められる交渉は成立しない。中国、ロシアの軍事力からみて、日本が軍事的圧力で解決することはできない。日米安保条約は国境紛争には頼りにならないと見たほうが良い。領土問題を巡る紛争の場合、軍事力に差がある場合、圧倒的に弱いほうが不利である。公平の基準は働かない。領土問題の解決策として孫崎氏はドイツのアデナウアーの手法を高く買っている。領土紛争の最も合理的解決方法は棚上げ方式である。ドイツはナチスの侵略戦争に負い目があるため、自国の領土主張は殆ど放棄せざるを得なかった。彼は国境の問題は将来平和条約の完成まで停止とした。領土を取り戻すために平和条約をしようとしたのではない。日本の場合、領土を主張し、取り戻すために日ソの平和交渉を主要な外交課題とし、他のことを行なうと領土は固定してしまうという恐怖に束縛されてきた。その為に、国民世論をどのように納得させるかに関する努力を怠ってきたといえる。国民感情ばかりを煽っては進まない。1956年の日ソ共同宣言でも、1972年の日中共同宣言、1965年の日韓紛争解決交換公文でも、領土問題はたなあげにして、他の諸条約を先行させた。このことが今日の友好的な交流の礎となっている。今も未解決になっている理由はそこにあるわけで当たり前の話なのである。紛争の原因となる周辺の事柄、例えば資源、漁業や墓参の通行の問題など、整理をして合意できるところから進めていく。解決したときの方法はそれほど選択肢が多いわけではなく、他の事例によるしかないのだろう。相手から奪い取るばかりが勝利ではない。逆に管直人のように「そもそも、領土問題は存在しない」という態度も相手を怒らせるだけだ。正解は、いろいろ問題はあるが、他の重要な問題を優先し、一時棚上げしたいという交渉を行なうべきだった。相手は押しかけてきているのだから。韓国に関しては既に貿易協定、TPPの推進、中国とはインフラ投資や高齢化対策、ロシアには医療やエネルギー、天然ガス、シベリア開発といった双方を利する要素がある。幸いにして、尖閣も、竹島も、北方領土も日本の生存をかけた重要地ではない。国民に対して交渉に望む政権に対する国民の信頼度と説明のしかたによる。勝った負けたの結果で国民に説明することは得策ではない。アデナウワアーは欧州鉄鋼共同体を結成し、領土問題を棚上げにし、EU結成のリーダーシップをドイツが取ることで実を取った。アルザスロレーヌが無くともドイツはヨーロッパの筆頭国家であり、経済力もトップである。この戦略に習うことである。ヨーロッパと違い、日本は韓国、北朝鮮、中国と近代国家や民主主義の基盤が弱いところに合わせなければならず、リードしていくだけの政府の力はまだ無い。そこを経済的、文化的にどこまで築き上げられるかである。領土紛争は武力衝突や戦争に発展しやすい問題であるだけに、何としてでも軍事弱小国であるわが国は自らの国力を経済文化面で高めていくことこそ、隣国との国境問題負担を軽くする道である。

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