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どアホノミクスの正体 (講談社+α新書) 新書  浜矩子 佐高信

大メディアの報道では絶対にわからないどアホノミクスの正体

(講談社+α新書) 新書


 テロ対策法案(共謀罪)で自民党が暴走している。一党独裁と国会の議論を民進党も一緒になって破壊している。法案の本質的なところは隠されたまま成立してしまった。金田法相のおとぼけた答弁に惑わされ、本質がそれてしまった。安倍政権が目指す一党支配、国会の無力化、安倍独裁の構造が固定化しつつある。安倍政権は新自由主義とか、アベノミクスとか、言葉によって問題の本質をぼかし、国民の目から官邸の目をそらす。そこを逃さず、浜氏はかねてよりアベノミクスには痛切な批判を展開している。浜・佐高という屁理屈、頑固、反骨が会して話すとこんな感じになるのだろう。彼女の舌鋒は鋭いというより、多少えげつないような表現もあり、これだけ徹底的にけなすことができるのもすごい。例えば住友銀行のバブル時の平和相互銀行抱え込みについて寄生虫に寄生虫がついたような状態とか、表現がすごい。こんな調子ではさすがにマスコミも出しにくいのか、当然大メディアは警戒するだろう。彼女は円高も株価も予想は外れているが、もともと、相場のことに経済学者を当てにすることが間違いであるから問題はない。「アベノミクス」が実際には「アホノミクス」どころか、「どアホノミクス」であると喝破している。経済成長2%も、GDP600兆円も目くらましであり、裏があるという。体制迎合的経済学者が多い今日、貴重である。「アベノミクス」の正体は安倍政権は、「どアホノミクス」で国民を騙しつつ、集団的自衛権、安保法制、そして共謀罪法案で、国民を監視しつつ、「戦争国家」作りを進めているというのだ。600兆GDPもその手段に過ぎない。この論法を二人で盛り上げ、マルクスやアダム・スミスを動員し、論陣を張っているが、そもまで持ち出す必要はない。安部は根底は国粋主義であり、そのバックにはさらに過激な連中がいて煽っている。彼らは人権とか民主主義が嫌いだ。天皇親政政治が好きなのだ。人脈、金権、情実が大好きである。面倒な経済は日銀の黒田にさせて、国会は官僚に事務方として対応させれば良いのだ。今日の森友学園、加計学園問題はそうした構造から生まれてボロが出てしまう。憲法問題にしても専門家の議論や党内の意見調整なぞ安倍の頭では無理。岸信介と父親の安部晋太郎の遺産で食っている。だから、民進党の理屈なんぞは聞く耳も頭もない。問題はそれを悪いとも思っていないことである

 安倍政権をアメリカのトランプ政権とも比較しながら議論している。新自由主義と称して「統制」する。働き方改革と称した「働かせ方改革」、貧者が抵抗に向かわず「独裁を支える」。政府の御用銀行ー日銀など、欺瞞的な言葉の使い方だ。この本では安倍政権の資金源ー森友学園、加計学園などの裏に資金源の流れがあることには触れていない。このあたりが教養人の限界か。

 日本銀行を完全に政権の下請機関に取り込み、大企業と富裕層だけが儲かり、99%の国民が困窮化する仕組みを作り上げた。これはドイツでかつてヒトラーがシャハトを利用し、さらにゲーリングを使ってドイツ銀行を乗っ取り、軍事費をメフォ債によって調達し、軍事国家を作り上げた手口に似ている。安倍や麻生にナチスの手口をアドバイスしている連中がいるのだ。「最も毒性の高いブレンドになってしまっている。安倍みたいな人が出現すると、そこに悪知が利く有象無象がそれぞれの思惑を持って集まってくる。」日銀は政府の借金つけ回し窓口となり、政権べったりの黒田総裁、強者の論理しか無い竹中平蔵などを強く批判している。

 安倍政権は今日の加計学園問題や森友学園など怪しい権力の行使がある。日本会議との関係も取りざたされる中、彼の思想やどこに日本を持っていこうとするのか、様々な疑惑がわいてくる。憲法改正や外交のパフォーマンスなど、彼が岸信介の考えを体現しようとしているようにも見える。随分、アナクロニズムである。彼の人柄のよさそうな風貌の裏にはいったい何があるのか、注意深く観察する必要がある。彼を誰が操っているのだろうか。彼はマスコミを取り込んでいることは衆知のことである。官僚の支配を官邸がどのように行っているのか。加計学園問題は官邸と文部官僚の抗争のようにも見える。マスコミも民進党など野党も、さらに追求すべきである。このあたりで安倍政治はストップさせねばならない。


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エドワード・ルトワック著 戦争にチャンスを与えよ 文藝春秋文庫
作者は戦争をすべきと言っているのではない。戦争を避け、平和を守るために何が必要かを述べている。大切なことは政治的なパフォーマンスとか、人道支援といったことを越えた、戦争特有の力学を述べている。中途半端な介入が問題を複雑にし、解決を遠ざけている現実を示しており、さらに、北朝鮮や中国の軍事的な動きに日本はいかに備えるべきかを助言している。歴史の教訓も必要である。戦争は戦術や戦闘より戦略によって決まる。第二次大戦の日本やドイツの敗北の理由とその結果、また、武田信玄、織田信長、徳川家康を例に比較しながら、戦闘、戦術、戦略の意味を説明し、今、日本が何をすべきかを提言している。ヨーロッパおいては1000年間帝国であり続けたビザンチン、また、今も存在感を見せるイギリスを例に戦略を語る。戦争を避け、また、勝利への道は同盟を組むことである。また、戦略というのは直線的思考の裏をかく性格があり、敵の予測不能な行動であることが条件である。戦略はパラドキシカルであるとする。以下の章だてである。
1 自己解題「戦争にチャンスを与えよ」
2 論文「戦争にチャンスを与えよ」
3 尖閣に武装人員を常駐させろ――中国論
4 対中包囲網のつくり方――東アジア論
5 平和が戦争につながる――北朝鮮論
6 パラドキシカル・ロジックとは何か――戦略論
7 「同盟」がすべてを制す――戦国武将論
8 戦争から見たヨーロッパ――「戦士の文化」の喪失と人口減少
9 もしも私が米国大統領顧問だったら――ビザンティン帝国の戦略論
10 日本が国連常任理事国になる方法


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gooblogから抜粋記事で紛争の経緯をおさらいする。
ユーゴにおいても共産党による一党独裁を廃止して自由選挙を行うことを決定し、ユーゴを構成する各国ではチトー時代の体制からの脱却を開始する。また、各国ではミロシェビッチ(セルビア)やツジマン(クロアチア)に代表されるような民族主義者が政権を握り始めていた。チトーはセルビア勢力を抑制し、民族や地域の公正な権利に目を配ってきた。ところが、第二次オイルショックの経済不況を克服できず、死去してしまった。大セルビア主義を掲げたスロボダン・ミロシェビッチが大統領となったユーゴの中心・セルビア共和国では、アルバニア系住民の多いコソボ自治州の併合を強行しようとすると、コソボは反発して90年7月に独立を宣言し、これをきっかけにユーゴスラビア国内は内戦状態となる。都市の人口構成が複雑なほど悲惨な結果であった。クロアチアのモスタルでは比較的少数であったセルビア人がクロアチア人に連合したボスニア人らの勢力によって抹殺された。連合して勢力が増すと少数派が叩かれるのであった。

91年6月に文化的・宗教的に西側に近いスロベニアが10日間の地上戦で独立を達成し(十日戦争)、次いでマケドニアが独立、さらに、歴史を通じてセルビアと最も対立していたクロアチアが激しい戦争を経て独立した。ボスニア・ヘルツェゴビナは92年に独立したが、国内のセルビア人がボスニアからの独立を目指して戦争を繰り返した。セルビア国内でもコソボ自治州が独立を目指したが、セルビアの軍事侵攻によって戦争となった(コソボ紛争)。
以上抜粋記事

モスタルの世界遺産スターリ・モストは破壊され、
スレブニツアでは8000人もの市民が射殺された。
この橋は近年再建された。平和の象徴となったが、
民族間のわだかまりは消えていない。

ボスニア紛争終結の数年後、ふたたび、セルビア系治安部隊とアルバニア系ゲリラの衝突が始まった。この紛争は、それぞれの民族に属する住民の間に深い憎悪と不信の溝を作った。紛争終結後、民族対立はいったん沈静化したように見えたが、2003年の春にコソボ全土でアルバニア系住民とセルビア系住民の間に大規模な衝突が起こり、民族融和の道が依然険しいことを国際社会に印象づけた。コソボ西部では、依然としてセルビア系住民は隔離された居住区に住んでおり、国際治安部隊に守られている。一連の紛争では20万人が犠牲となった。ユーゴ解体によって、大セルビア主義の民族主義に立ったミロセビッチ大統領のセルビア軍と各国の独立派が行ったのは戦闘だけではない。それぞれの国にはセルビア人や多くの民族、宗教が混在し、戦争の中で民族を建前に地域の他民族の追い出し、脅迫、女性への性的暴行、虐殺が横行した。他民族に恐怖を与えることにより地域を単純化しようとする民族浄化の行為が繰返され、戦争状態が容易に終わらない事態となった。各地域においては多数派の独立、少数派の抵抗、さらには主としてNATOは指示に従わないということでセルビア軍事勢力に対する爆撃を行った。

この本は1992年に書かれたので、まだコソボ紛争がおわっていない。しかし、火薬庫といわれた理由が歴史的背景から理解できる。実際民族浄化など、この後にもひどい事件が起きたのである。弱肉強食、強いものが弱いものを強いたげる、醜い争いとなった。
 20世紀末1992年から起きたユーゴスラビアの紛争は日本から遠い国の出来事であった。日本から出来ることは少ない。しかし、何が起きたかは知っておくべきだ。遠いユーゴだが、我々にもなじみの深いヨーロッパには至近なのである。民族浄化とか、イスラム教徒の集団虐殺など衝撃的な報道に驚かされた。当時の大統領ミロシェビッチやカラジッチは人道に対する犯罪行為のかどで戦犯として逮捕された。ボスニアヘルツェゴビナやクロアチアで何故悲劇が起きたか、憎悪と復讐の連鎖が止まらないのか分からなかった。パレスチナ紛争もあり、イスラム教とキリスト教、ユダヤ教などの一神教が原因であり、諸悪の根元という人もいた。バルカン半島の歴史について馴染みが薄く、分かっていることだけで評価するとその様な乱暴な理由付けになってしまう。歴史認識というのは重要である。500年にわたるオスマントルコの支配から解きはなたれた地域は過去の最大領土を自己主張しはじめる。大セルビア主義、大ルーマニア、汎スラブ主義である。民族主義を政治家が煽るとどこかで紛争になる。

ユーゴ紛争が歴史の必然のような出来事であることがこの本から理解できる。ユーゴ紛争はスロバニアとクロアチアのユーゴスラビアからの独立からはじまったが、その前に、ソビエト共産党の支配が無くなり、東欧に民主化の波が押し寄せた。ソ連の雛型のようなチトー体制で冷凍されていたバルカンに民主化と独立の波となって紛争が起きたのである。1989年12月のルーマニアのチャウシェスク政権の崩壊があった。民主化と民族自決の波が生まれた。バルカン諸国は一気に独立を目指すようになった。セルビアは従来のユーゴの中心であり、大セルビア主義の伝統から、これらに反発したのであった。というより、歴史は遡る。第一次世界大戦のきっかけとなったことだが、セルビアの青年が何故オーストリアハンガリー帝国の皇太子を暗殺したのかである。時事問題は新たな出来事に気を取られるが、歴史的背景を見て理解すべきである。その前のバルカン戦争でのロシアのセルビア支援も第一次世界大戦へと向かっていた。さらにはオスマントルコ支配やロシアとビザンチン帝国の関係で起きたことなのだ。ルーマニアのことも参考になった。古い話だがローマ帝国の支配もルーマニアには大きな影響があった。今もルーマニアはラテンなのである。
6つの共和国ースロバニア、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、マケドニア、セルビア、モンテネグロからなるユーゴスラビアの歴史的考察から見なければならない。バルカン半島は半島に沿っていく筋かの山脈が通り、民族が地理的に分断される。ところが大陸や海からは外敵が容易に侵入し、それぞれの民族が分断され、連携しにくい。バルカン半島の先住民構成から確認したい。

 バルカン半島はそもそも、ギリシャではない。マケドニアはギリシャからはスラブ人といわれ、マケドニアという名前を承認しない。スパルタはドーリス人である。トラキア人ーブルガリア、イリュリア人ーアルバニア、ダキア人ールーマニアの原住民であった。ブルガリアは4000年前から黄金文明が栄え、イリアスにも記録されていた。黒海沿岸の遊牧民ブルガル人が移動し、その後南スラブ人が定住、多数派となった。二毛作の穀物やワインの産地で豊かな地域であった。1014年サムエル帝の時にビザンチン帝国のパシレイオス2世と戦いビザンチンに敗北し、1018年に滅亡した。オスマン帝国に支配されるまでビザンチン帝国の属国であった。

 セルビアはステファン・ネマーニャ、聖サヴァが国内統一を図った。1330年ステファン・ドゥシャンがビザンチン、ブルガリア連合軍を打ち破りセルビア帝国最盛期を迎える。ところが、1389年6月28日オスマントルコにコソヴォの戦いで敗北。オスマン帝国ムラト1世対するセルビアラザル王ブルガリア、ハンガリー、アルバニア、セルビア連合は敗北、建国して60年後、セルビアはオスマントルコに支配される。バルカン諸国はかつて一度は周辺諸国を従え、帝国を築いたことがあり、それぞれの国のノスタルジーであり、大セルビア主義、大ユーゴといったナショナリズムの種となる。

1453年オスマン帝国メフメットⅡ世によってコンスタンチノーブル攻略 は完遂された。ウルバンの巨砲、軍船の陸越えによってなされた。ビザンチン帝国の支配は終わり、その後モスクワ公国が第3のローマとしてバルカンに介入してくる。オスマントルコは1529年、1683年の2度のウィーン包囲に失敗した後衰退が始まった。ルーマニアは常にオスマントルコとの抗争と妥協を繰り返した。トランシルバニア(ルーマニア西北部ーハンガリー)、モルダヴィア(東北部ートルコ支配)、ワラキア(南部ートルコ支配)である。15世紀から16世紀ミハイ王によるルーマニア統一がなされたが、ルーマニアはロシア帝国の支配下に置かれる。
 
 ボスニア紛争ではキリスト教徒とムスリムの戦いがあった。ボスニアのムスリムはトルコ系ではない。何故ボスニアにイスラム教徒が多いかーボスニアに多かった異端宗教ボゴミル(マニ教の一派、善悪元論)をカトリック、セルビア正教は布教の中で邪教として迫害したことから、反発した民衆は新しい支配者トルコのイスラム教に改宗したのであった。トルコの支配は宗教的には寛容で西欧のような宗教紛争や迫害はなかった。しかし、搾取や支配は過酷であった。例えば、デウシルメという支配の方法、トルコ支配のため、4年に1回行われるキリスト教徒少年狩りが行われた。彼らはイスラムに改宗されイスラム教育の後、トルコの精鋭部隊イェニチェリに組みまれた。オスマントルコ帝国の支配下では宗教改革も大航海時代もなく、ルネッサンス、自然科学の発達の恩恵、国民国家、産業革命などの西欧社会の発展要素が失なわれた。レハールのオペレッタ、メリーウィドウはモンテネグロがイメージされている。エキゾチックな国のドタバタ恋愛劇で多少軽蔑もある。だが、これを描いたオーストリアハンガリー帝国は崩壊する。だから、オーストリアでも、皇妃エリザベートやマリアテレジアの時代は国民の誇りで、バルカンの小国の貴族や金持ちが、ウィーンでラブゲームを繰り広げる様を上から目線で楽しんだのだ。

 オーストリアハンガリー帝国によるボスニアヘルツェゴビナ併合はその地域に多く住むセルビア人の反発を受け、オーストリア皇太子の暗殺、さらには第一次世界大戦への導火線となった。バルカン戦争によるセルビアの拡大ーマケドニアを領土化によってオーストリアハンガリー帝国との対立がピークになっていた。余談だが、トルコの改革者ケマルアタチュルクはアルバニア系トルコ人であった。
 
 オスマントルコの崩壊とトルコの近代化のため、ケマルアタチュルクは国父となっている。しかし、トルコもアルメニアの独立においては多くの犠牲があり、100万人以上が殺されたという。また、クルド民族問題は今も解決していない。このような複雑な民族と歴史においてよき指導者や、大きな権力がなければ混乱と争いは絶えない。ユーゴ紛争が国連の介入とアメリカの空爆によって収まったことは望ましいとは言えないが現実でもある。しかし、NATOの空爆によって多くの一般市民が殺戮されたこともあり、シリアの内戦などでその教訓が生かされていない。NATOの介入がセルビアの軍事的圧迫を抑制したかどうかも定かではないが、アメリカの積極介入がセルビアの軍事的優位性が崩したことが内戦の終結に向かったのではないかとも思う。しかし、、東西冷戦の体制であったNATOはバルカン紛争では機能しない。残された道は国連の地域紛争における介入ルールが実態に合ったものとなり、人道支援も出来ることと限界をはっきりさせることである。







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1994年はまだソビエトが崩壊して間もない時代だ。ソビエト共産党が活動を停止し、共産党の一党独裁が崩壊したのが1991年。この本が書かれる前に早坂氏はウクライナを旅したことになる。このころのウクライナの旅行記ということはそれだけで貴重だ。
著者の早坂氏はポーランドに留学し、東欧の歴史に関する第一人者である。ウクライナというのは当時の強国ポーランドリトアニアとロシアに挟まれ、コサックを軸に歴史を駆け抜けた。早坂氏のポーランドからみたウクライナという側面はぬぐえないが、それは時代のせいでもあろう。ソビエト崩壊後とはいえ、スターリンやナチスに翻弄され、世界史的にも稀なホロコーストの受難を持ったウクライナの歴史は資料の公開もままならない時代で難しかったはずだ。今や、ウクライナはNATO諸国とロシアの狭間で紛争地帯も包含した世界に注目される地域となった。そうした視点が欠けているのはやむを得ない。しかし、当時のウクライナ知識人の様子は伝わってくる。今や、クリミア半島のロシア併合でロシアが経済制裁を受けている状況や、北朝鮮の問題にロシアが微妙な影を投げかけ、トランプ政権の誕生など予想もつかなかった時代に書かれたことを念頭に読んだが、早坂氏のポーランドとウクライナの歴史的関係に関する膨大な知識に感服した。
普段なじみのないウクライナの歴史であるが、この本を機に自分なりに理解した内容を下に記した。

1.ポーランドとウクライナ

2014年ロシアのクリミア併合は西世界の批判と経済制裁が続いている。さらに、ロシアとの国境周辺では紛争が戦闘の形で繰り返されている。ハリコフ周辺は危険といわれている。しかし、キエフやオデッサ辺りは観光客も多く安全らしい。ポーランド映画の「火と剣」はシェンキービッチの大河小説を映画化したスペクタクル作品で、you-tubeでかなり見ることができる。英語字幕がついているものもあり、筋書きは理解できる。しかし、このドラマはポーランドとコサックの戦いが舞台となっており、コサック側にはイスラム教徒の将軍や、モンゴル人のような衣装の兵も見られ、どのような民族背景があったのか分からなかった。そこでポーランドの歴史を多少読むと、西欧中心の歴史とは別の世界を垣間見る。ポーランドにとって15世紀のポーランドーリトアニア連合国家であった時代が絶頂で、これをヴォスポスポリータといって彼らの郷愁をそそる時代のようだ。ポーランドとリトアニアの連合軍は1410年タンネンベルグでドイツ騎士団に勝利し、後にヨーロッパが30年戦争で疲弊している間、ヨーロッパ最強国であった。華やかな貴族文化も生まれた。ポーランドは貴族の天国で、農民の地獄とも言われ、自国民やウクライナを搾取した。北のロシアは農奴制が始まり、ウクライナのコサックは先はポーランドに反旗を翻すことになった。これがザボロージェコサックのヘトマン(首領)フリメニツキの反乱であった。彼はロシアと組むことでヤレウスラヴ条約にこぎつけ、ポーランドにコサックの土地所有を認めさせ、コサックの国家を作ったが、ロシアに吸収され、第二次世界大戦終結後のフルシチョフ政権まで苦難の歴史を歩んだ。ポーランドやリトアニアもそうだが、大国の間に挟まれた小国が、武力を巨大化させると、結果的には悲惨な物語になっている。これは今日のシリアの内戦や北朝鮮の事情にも繋がる。歴史は繰り返される。ポーランドやリトアニアは日本からも遠く、ウクライナも含め、無縁の世界のように見える。しかし、日本はロシアには近く、軍事上も関係があり、ロシアの国家統治の要である周辺民族国家との関係が、ロシアという国の謎を読み解く鍵でもある。今の政治状況や歴史を読み解くにあたり、ポーランドから見たウクライナ、ロシアから見たウクライナの情報はあっても、ウクライナから見たポーランドやロシアは語られることが少ない。その意味から、東京工業大学の早坂真里教授のウクライナ旅行記は貴重な視点である。

2.ウクライナ旅行記

キエフ公国が成立し、ビザンチン帝国との関係がオスマン帝国によってコンスタンチノーブルが陥落するまで、ロシアはウクライナを中心としていた。ロシアの起源はウクライナでもある。1954年フルシチョフによってクリミアがウクライナに併合された。ウクライナはそもそも共和制であったが東西冷戦下であり、ソビエト共産党の独裁下にあったし、ソ連の支配下にあった。ソ連の崩壊がウクライナをNATOに接近することはロシアには耐え難いことであろう。ヨーロッパでは、ロシアを弱体化させるにはウクライナをロシアから切り離すことが効果的であるとビスマルクは提唱していたという。ウクライナの大平原はヨーロッパの穀倉だった。ポーランドにとってもウクライナを支配した歴史がある。ソ連はウクライナを利用しつくした。帝政ロシアの騎兵はコサックであり、強力な軍事組織として露土戦争で活躍した。ところが、ロシア革命後はソ連の穀倉地帯として共産党ソビエト政権が軍備のために収穫した穀物を簒奪した。このためにウクライナの農民5の20%500万人が餓死、50万人ものクリミアタタールも餓死した。ホロムドールといわれ、世界では人道に対する犯罪行為とされている。サボロージェコサックとタタールは反革命のかどでシベリアに追放され、また、トルコに逃れた。他のドンコサックも同様な仕打ちを受けた。近年復権し、故郷に戻っている。彼らが故郷に帰れたのはソ連の崩壊後であったが、あまりにも大きな犠牲であった。

早坂氏の旅行記ではクリミヤタタールの帰還者との交流がかかれているがコサックにはあまりふれていない。ポーランドからの宗教者、農民問題研究者ヴァレリアン・カリンカの研究論文もあり、旅の目的のひとつであったようだが、何故かホロムドールには触れていない。チャイコフスキーのこと、名前が、我々には馴染みがないと思っていたが、あの大作曲家チャイコフスキーがウクライナコサックの家に生まれた人物とは知らなかった。彼女の思考はポーランド留学の経験からどうしてもヴォスポスポリータ風になるのだろう。ウクライナの歴史は彼ら自身の手によって復元するしかない。

3.コサック

コサック兵は、何百年もロシア皇帝の軍隊として兵役に就いたが、その形態は傭兵的であり、比較的解散が容易で、国庫の負担が軽い、為政者にとってはまことに便利な存在になっていった。そしてコサックの成敗に、コサックを指し向けるということが行われた。最終的には1917年の革命の際、ペトログラードのコサック兵はロシア皇帝を見限った。その後、ロシアの革命政府はコサックに独立の空約束を繰り返すとともに徹底的な弾圧と殺戮を繰り返した結果、コサックは根絶され、今日のコサックはノスタルジアの世界だけに主に存在し、軍事的な重要性はない。

ただ、「コサックをやっつけるのにコサックを使う」式の、グループ間での対立を煽る「戦争マネージメント」のスタイルは、こんにちのウクライナを巡る紛争にもハッキリと見て取れる、常套手段的なロシアの手口は変わらない。

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ユダヤ人とは誰か
第十三支族 カザール王国の謎
アーサーケストラー著 宇野正美訳 三交社

何故東欧やロシア、黒海周辺にユダヤ人が多かったのかが理解できる。ナチスも東欧やロシアに進攻したのは資源確保ばかりが理由ではなかった。
ユダヤ人の絶滅は
彼らの戦争の大義名分であった。

ユダヤ人は紀元70年ローマ帝国にエルサレムを攻略され、パレスチナから流民として脱出したが北アフリカ方向に移住したグループ(セファルディ)と北のシリアからトルコ方向からさらに黒海方向に移住したユダヤ人に分かれ、ヨーロッパにまで移ったグループがアシュケナージウムといい、シオニズムの原点となった。彼らは難民ではなく、移住した先でコミュニティを形成する。ヨーロッパではユダヤ人は迫害され、20世紀に入りパレスチナが約束の地であるとして移住したために、先住のパレスチナ人と衝突し、今日のイスラエルとアラブの対立を招いている。アラブからはアシュケナージウムのユダヤ人は、もともと、カザール国がパレスチナ人でもないのに国教としてユダヤ教に改宗し、カザール国が崩壊した後でヨーロッパに移ったものでアブラハムの子孫ではないという説がある。アシュケナージウムカザール説には無理がある。この書ではカザール国の成り立ちと滅亡の歴史を詳細に記している。カザール国がカスピ海北岸からコーカサスにかけて7世紀に栄え、ビザンチンやイスラムの狭間で緩衝地帯を形成し、巧みな国家運営を行っていた状況を古文書などを駆使して説明している。ディアスポラのユダヤ人はローマ帝国にも流れたと思われ、彼らのシナゴーグがキリスト教の発展に大きな役割を果たしていたはずだ。そもそも、北アフリカのユダヤ人も含め、イスラム教徒はユダヤ人には寛容であることが多く、中世においてもエルサレムには多くのユダヤ人が住んでいた。十字軍は彼らを殺戮した。地中海貿易においてもイスラムのオスマン帝国などにいたユダヤ人がヨーロッパに移ってきたこともあろう。アシュケーナージウムのユダヤ人がカザール国にのみ起源を持つとするには彼らの言語系からみると無理があるという。彼らはトルコのチュルク系であり、今のヘブライ語、イデッシュ語とは共通点があまりにもないからである。ユダヤ人は世界各国でコミュニティを形成し、最近ではナチスの迫害から多くのユダヤ人がアメリカに移住し、ニューヨークや各地でコミュニティを築いている。ヨーロッパにおいても少数派のエスニック集団であり続け、ユダヤ教以外には歴史や文化を共有しているとは限らない。国籍も、文化も、言語も共有していない、宗教のみが同じ文化集団であると見た方が良いだろう。アラブ側がアシュケナージウムのユダヤ人がアブラハムの子孫ではないと言い切る理由もないのである。

ケストラーによるとポーランド、リトアニアのユダヤ人はカザールの末裔であるという。ポーランドには19世紀に500万人のユダヤ人がいた。ポーランドの建国にも深くかかわっていたという。彼らはカライ派というユダヤ教の一派で、古代カザール語を話していたという。彼らが何故かこれを捨て、イディッシュ語を話すようになったかは氏の推理を聞くと、アメリカの日系3世が日本語を話せなくなるようなもので、当時の東欧はドイツの影響が強く、ドイツ系ユダヤ人の言語に切り替わったのである。

モンゴルの進攻によってカザール人は津波のように移動したのではなく、300年くらいかけて、彼らの知識や人材が東欧で重用されつつポーランド、ハンガリー、キエフなどに移っていった。彼らは金銭感覚が評価され、ポーランドでは造幣局長官、塩の専売、金融業における要職を得ていた。こうした傾向は昔から変わらない。彼らはシュテトゥルという独特の共同体村落を形成し、そこから運送業、製粉業、馬屋、職人、毛皮の取引など、カザールの時代の職種を受け継ぎ、13世紀に社会的地位を確立した。第二次世界大戦でドイツ軍がオランダなどで都市のユダヤ人を強制移住させたのと、ポーランドやロシアでユダヤ人の村を襲いアインザッツグルッペンが虐殺していったやり口は違っていた。ヨーロッパのユダヤ人がゲットーを形成したこととは異なっている。ポーランド、ハンガリー、リトアニアのユダヤ人はカザールを起源としていると言って良い。西欧のユダヤ人は当初は金融や商業に圧倒的な能力を示し、財力を蓄えたが、封建諸侯の簒奪、十字軍、ペストの流行、さらには宗教裁判などで絶滅してしまったという。しかし、財産のあまり無いユダヤ人は逃げることもできたであろう。十字軍のために殺されたユダヤ人は地理的に限られたであろう。ペストはユダヤ人に罹患者が何故か少なかったので彼らが毒を撒いたという流言飛語が原因であった。西欧のユダヤ人は多くが東欧に逃れた。このこともポーランドやハンガリーにユダヤ人が多買った理由である。フランス、イギリス、イタリアにもユダヤ人は生き残っていた。例えば、ロスチャイルドがカザール系だったのだろうか。ポーランドやハンガリーがカザール系というのは理解できる。しかし、氏の論うを全ヨーロッパに向けることは無理がある。彼の推論がイスラエルはカザールであるというアラブの批判に繋がるとすれば危険である。
  
  このアーサーケストラーの書はイスラエルでは禁書になっていると言われているが、内容としては第一部でカザール王国の交流と没落について文献学的な考察を行っている。特にアラブの旅行家イブンファドランが周辺民族と興隆する中で見たカザール国、ビザンチンの宮廷に入ったカザール人など周辺の諸国に残された文献からカザール国の隆盛を語っている。ユダヤ教を選択した経緯はケンブリッジ文書などから記録が残っている。ユダヤ教に改宗する前の南ロシアにおけるカザール国は勃興したイスラムの侵入とビザンチン帝国、さらにはカトリックに挟まれ、窮余の策としてユダヤ教を選択しバランスをとった。周辺にはマジャール人、グズ人、ペチェネグ人、アラン人、ポロベツ人などがおりこれらの民族と巧みにバランスを取りながら興隆していた。ビザンチンやオスマントルコがこうした遊牧民の侵攻に苦しんでいたが、カザールはマジャール人などを従えうまくやっていたのだ。しかし、9世紀にバイキングのルス人がノブゴロドに拠点を置き、ビザンチンと交易をドニエプル川からボルガ、ドン川を睨むサルケルに砦を築き、バイキングから10%の税金を取ることを始めた。これがルス人には邪魔になり、結果的には次にカザールが攻撃され滅びる原因の一つとなった。この本ではルス人がルーリックを頭にビザンチンと交易し、さらにキリスト教に改宗したウラジーミル公がキエフ公国を形成するに至る経緯も説明している。この流れがカザールの滅亡につながるのである。

第二部ではカザール国が滅びた後、東欧やロシアに移住したカザール系のユダヤ人の行く末が語られている。カザール帝国最後の100年についてはロシア、カザールの対立から、その滅亡に至る記録が紛失しており、分らない。そこが、ユダヤ人のヨーロッパ流入の未知なる部分で憶測を産むのである。862年のルス人のキエフ占領、さらに913年のイスラム圏への掠奪、侵攻にカザール国は税金を取るどころか、傍観するしかなかった。965年にはカザールのサルケル砦も陥落し、ルス人がウラジーミルの代にキリスト教に改宗、キエフ公国がビザンチンのキリスト教を受け入れたことでカザールの滅亡は加速した。モンゴルの進攻によってポロベツ人やマジャール人などが完膚なきまでに滅ぼされ、西方に離散、カザール国も消滅していくが、カザールのユダヤ人がハンガリー、ポーランド、ロシアのユダヤ人の起源であるということが立証しようと根拠を示し、著者の論理を積み上げている。周辺諸国の文献から痕跡をつなぎ合わせ、推定している。ヨーロッパがローマ帝国、バイキング、さあらには通牧民の移動と民族の混合によって成り立ったことがこの本からもよく理解でき、その意味において貴重な内容となっている。


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聖ロシアの惑乱 野田正彦著

プーチン政権が14年、ウクライナ領クリミア半島を武力で自国に プーチン政権が14年、ウクライナ領クリミア半島を武力で自国に編入し、東部にも軍事介入したことで、ウクライナではロシア正教会離れが急速に進んでいる。15年の世論調査によると、モスクワ系の教会への支持は20%、一方のキエフ総主教庁の支持は44%に伸びた。14年以降、60~70の小教区がモスクワ総主教庁系からキエフ総主教庁にくら替えしたというロシア正教会はモスクワに本拠をおき、ロシアにおけるキリスト教の総本山である。プーチンは熱心な信徒であることは今日よく知られている。
宗教戦争はイスラム教のISのように凄惨な大量殺戮になりやすい。ヨーロッパの30年戦争ではドイツの人口がペストの流行と相まって半分になった。ロシア革命はソビエト政権という唯物論的な共産主義活動が実は宗教改革の無かったロシアにおける宗教戦争であり、ソビエト政権は共産党の一党独裁という「無神論的」党を偶像とする一神教の布教者であった。だからこそ、3000万人もの犠牲が出た。ナチスもカルト集団であった。ウクライナはキエフを中心としたキエフ総主庁がモスクワ総主教庁からの独立を画策している。ロシアのモスクワ宗主教庁傘下の約3万の小教区の3割はウクライナにある。「伝統的な宗教と核の盾がロシアを強国にそひ、国内外の安全を保障する要だ」といっている。
ロシア正教会はプーチン政権の一機関なのである。ウクライナはキエフ・ルーシ公国のウラジミール1世がコンスタンチノーブルから洗礼を受けたことから始まるロシア正教会発祥の地である。ところが、モンゴルの来襲により、ロシア正教は本拠をモスクワに移さざるを得ず、ロシアのツァーリズムと結合するニーコン改革を行い、ロシアの支配階層としての役割を果たした。レーニンは教会を否定、フルシチョフも弾圧した。ところが、スターリンはグルジアの神学生だったこともあり、第二次世界大戦を乗り切るために教会を利用した。かつて、教会で告白するとOGPUに通報されて逮捕されたり、教会はソビエト政権とも癒着を繰り返した。今のキリル宗主教はクレムリンに公邸を構え、親欧米に転じたウクライナを邪悪な一派として闘争を呼び掛けている。
そもそも、プーチンは祖父の代からニーコン改革に異を唱えた古儀式波という家系だったこともあり、ロシア正教の一分派であっった。ロシア革命当時は1000万人の信徒と3000人の神父がいた。革命政権から厳しい弾圧を受け壊滅的な減少となったが近年息を吹き替えしてきた。分離派ーラスコリニキ、スターロオブリャーツィという。今のロシアには西欧からバプテスト、メノナイト派などのプロテスタント、アジアからは統一教会、また、新興宗教がペテルスブルグのべサリオ、キエフの白い兄弟といったカルト集団も生まれ、終末論と救済を軸にロシアにおける精神的空白に取り入っている。ウクライナ正教の分離独立はロシアの解体に繋がる危機と見てプーチンの核の使用発言があったのだ。彼らの危機感は半端ではない。ウクライナ周辺ではコサックの再興、帰還運動、又、ドイツ人コミュニティの復活など民族運動もあり、民族運動としての古来宗教行事を復活させようという偶像崇拝正教といったグループも活動している。1991年のウクライナ独立はサボロージェコサックの夢でもあった。この野田氏の著作はロシアにおける様々な宗教、民族の活動を取材し、旅行記の形でロシアの宗教的実態を我々に示し、共産党政権時代も脈々と流れ続けられたロシア人の宗教世界を見せた作品となっている。

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ソ連 党が所有した国家 下斗米伸夫著

鉄のカーテンに閉ざされた共産主義体制の牙城ソ連の誕生から崩壊までの政治史教科書といって良い。グラスノスチにより情報公開され、ソ連の実態が明らかになった。ロシア革命は「内戦、階級闘争が逆に巨大な官僚制を作り、そのにないてになることに何の問題も感じていなかった。いな、国家の巨大化を通じて「国家の解体」と社会主義の勝利が可能であるという背理を内包していた。党は自ら組織化し、官僚制となり、その担い手を粛清した上で大衆党と化した。226p」その中でモロトフを軸にその栄枯盛衰を語っている。ソ連の出来事は新聞で断片的な情報しかなかった。ペレストロイカによってその全貌がわかってきた。第二次世界大戦でロシアの戦死者は軍人で800万人、ソ連時代に政治要因によって処断された1150万人は公式数字である。国民全体では2750万人である。
追放移送、食料の没収によって餓死や死亡した国民は1000万人は下らない。スターリン死亡時に収容所には250万人が拘束されていた。その政策のほとんどに関係していたモロトフを軸にソ連の歴史を語っている。我々の世代は資本主義国家アメリカと対立したソ連を教条的にしか学んでいない。ロシア革命は労働者の革命だったのか、1925年時点で工場労働者は191万人と人口の1%しかいなかった。ソ連は農業国だった。ボルシェビキも、SLも農地の解放を訴え、共産党は軍備のため農民の穀物を輸出のために取り上げ、何百万人もの餓死者を出した。平等な社会を標榜し、特権階級ノーメンクラトゥーラを生んだ。物資の適正配分の仕組み、ゴスプランが機能していないのに市場経済を批判した。ロケットや宇宙開発、軍備は収容所列島の強制労働によって実現出来た。そのような仕組みはどこかで行き詰まる。自壊したのも当然であった。この書ではスターリン以降も政策の中核にいたモロトフを軸に、フルシュチョフの権力闘争、ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコ、そしてゴルバチョフの政策を概観できるよう丁寧に書かれている。

ーザリ・カガノーヴィチロシア語: Лазарь Моисеевич Каганович1893年11月22日 - 1991年7月25日)は、ソビエト連邦政治家官僚ウクライナ共産党第一書記、ソビエト連邦運輸人民委員ロシア語版(運輸大臣)を歴任した。また、ヨシフ・スターリンの側近を務めていた。

ヴャチェスラフ・モロトフロシア語: Вячеслав Михайлович Молотов1890 - 1986年)は、ソビエト連邦政治家革命家。ソビエト連邦首相、外相。第二次世界大戦前後の時代を通じてヨシフ・スターリンの片腕としてソ連の外交を主導した。「モロトフ」はペンネームであった。
この2人はソビエト国家=共産党の独裁体制をスターリンと共に半世紀にわたり支えた官僚である。
ロシア革命はレーニンとスターリンによって地獄と化した。NEPと農業政策の強引な推進によって飢餓が生じた。革命時の民主的な統治や自治、組合運動は共産党一党独裁の中央集権に反する、反革命、労働者の敵とされた。革命の始まりだったクロンシュタット水兵と労働者1万5千人が殺害された。レーニンが始めた赤色テロは恐怖政治の始まりでチェカー、GPU、KGBといった秘密警察が逮捕監禁処刑を推進した。歴代の秘密警察長官は皆粛清された。輸出のための穀物調達は略奪と化した。これにより農村は数百万人の餓死者を出す。こうした施策はスターリンとその取り巻きによって実行された。その首謀者がこの2人であり、彼らはソ連崩壊直前まで生き延び、天寿を全うした。
世界はソ連で粛清によって大量殺戮が行われていることは知っていたが、その規模や過酷さはペレストロイカ後の情報公開まで知ることができなかった。ソ連の悲劇はスターリンだけではできなかった。多くの小悪魔達が仕出かしたこと。その筆頭であった2人は大量の犠牲者も革命と社会主義国家実現のため許容されるという考え方を死ぬまで捨てなかった。流石に中国共産党も日本の共産党もこうした事実は知っていたが、反スターリンの立場をとり、自らの社会主義思想を正当化していた。日本共産党の幹部の30人以上がソ連で処刑されている。野坂参三は共産党の最高幹部であったが、100才を越えて、実は日本公安のスパイであったことがソ連からの情報で明かになり除名された。こんな政党が今もなお国会や地方政治に関わっていること自体全く理解できない。彼らの人権抑圧体質は今もかわらない。彼らの社会主義が共産主義とともに破綻した考え方であることを今なお宗教のような理念として保持しているとしたら恐ろしいことである。彼らの理想とする社会は一見理想の国家、平等や人権が守られ、理にかなった統治が行われるかのように見せ、実際は秘密警察や軍隊、裏切り密告が横行する世界なのであるカルト集団のような体質を今なお持った政党がもっともらしく、時の政権に反対意見を述べ、便利なのでマスコミは流すが一体どういう了見だろうか。中国も北朝鮮も全体主義的中央集権統治であり、ナチス以上の国家犯罪を産み出す共産党、共産主義を許すわけにはいかない。




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「外套」(Шинель)は、1842年出版のニコライ・ゴーゴリの短編小説。本作は近代ロシア文学の先駆けとなり、多くのロシア作家に影響を与えた。ドストエフスキー は、「我々は皆ゴーゴリの『外套』から生まれ出でたのだ」と語ったと言われる。この短編の何が凄いのか、読んだ直後は良く分からなかった。一緒に入っていた「鼻」も読んだ。この外套の主人公も、鼻もロシアの官吏の話である。貴族や将軍の雄大な物語でもない。外套も鼻もある種の空想物語か、何のメタファか自分には見当がつかなかった。外套は糞真面目な大して給料も多くはない公文書の清書を仕事としているアカーキィ・アカーキエヴィチの物語。倹しい下級官吏が必死の思いで外套を買い、これが強奪され、そこから人生が終わってしまう気の毒な話である。取るに足らない庶民の姿をゴーゴリは愛情を持って書いている。彼の作品からはペトロクラードの寒々した街路や、うらぶれた街角のイメージが伝わってくる。鼻はある下級官吏の鼻が無くなってしまい、その鼻が一人歩きするという奇想天外な物語り。村上春樹の小説を思わせる。これが19世紀の初期に書かれたところが凄いのではないか。19世紀にはドイツではホフマン、アメリカではポーが怪奇な世界を描いている。その出発点がこの外套と鼻なのである。確かにスノビズムがあるかもしれない。サロンで話題になるような物語をゴーゴリは書いて、奇想天外な発想を読ませ、皆を唸らせたかった。ところが、そこが天才作家の凄みで、当時のロシア社会や人間の未来までも描いてしまう。外套や死せる魂にも役人や地主階級などが登場人物だが、半世紀後に凄惨なロシア革命が起きるなど予測できなかった。しかし彼はロシアの社会の行き詰まりを描き出していた。ドストエフスキーもトルストイも影響を受けた。鼻のメタファーは強烈だったのだろう。

鼻はショスタコビッチが書いた最初のオペラ。ソビエト社会主義の中で体制側としてスターリンの寵愛を受け、その批判との二枚舌に揺れた芸術家が何故これを書いたか興味深いそれまでの小説にはなかった革新性が二つの物語りの中にあるのだ。死せる魂も今読んでいるところだが、これも死んだ農奴の戸籍を集めるという奇妙な話なのである。19世紀の前半、ナポレオン戦争後のロシアは啓蒙思想や自由主義に揺れていた。ゴーゴリの生きた時代はロマノフ王朝末期のロシアである。ヨーロッパの近代化に遅れ、農奴制度や官僚制の重圧に社会は停滞する。デカブリストの乱『1825年』が鎮圧された後の、閉塞した時代をゴーゴリは生きた。近代化改革を行ったアレクサンドル2世が暗殺され、革命の扉が開く以前の古いロシア時代を生きた。官僚社会を見事に描き、それが当時の読者の共感を得たからこそ名作として残っているのである。ゴーゴリは社会改革者ではないし、フランスのビクトルユーゴのような社会批判を雄弁に語るのでもない。その時代の精神とは何か、自分はロシアの歴史や社会に関する知識もなければこれまで興味もなかった。しかし、昨年の暮れ、you-tubuでロシア映画のタラスブーリバを見て、これが昔のハリウッド映画の隊長ブーリバであり、その作者がゴーゴリであることを知って急に興味がわいたのである。ポーランドの大平原で繰り広げられる戦いの中にあって展開するコサックの父と兄弟の物語りにゴーゴリはロシアの自由な精神と大地が表現されたと思った。彼は他に名作『検察官』を書きこれも官僚制に辟易とした庶民の姿を描き喝采を受けたのだ。ゴーゴリの凄さはまさに彼の生きた時代の精神を見事に描き伝えたところにあるのではないだろうか
。話はかわるが、今なお化石のような社会主義?中央集権国家の北朝鮮の脅威が恐怖に変わろうとしている。世界から切り取られた鼻が一人歩きしてテロをはじめたとしたら。現代にも鼻は生きている。
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 この本は疑似科学、心理学、大脳生理学の集大成のような本ではないか。著者の橘 玲(たちばな あきら、1959年 - )は、日本の作家。本名は非公開。早稲田大学第一文学部卒業。元・宝島社の編集者であるが、遺伝学や優生学、遺伝学に詳しい。アメリカの実験心理学や人類学者の見解をつなげて、進化論、格差、犯罪、差別の必然性を唱えている。何も肯定しているわけではないが、現実を見よと見たくないものも見せつけられている。遺伝決定論と環境決定論の二つを組み合わせて、センセーショナルな結論を導いているのではないか。一種のアジテーションである。人間のDNAは石器時代から変化していないとか、本来人類は一夫多妻でもなく、一夫一妻せいでもなく、乱婚制だという人類学上の仮設を述べている。ドナルドトランプが聞いたら喜びそうな理論である。ナチスの優生学はそのルーツはアメリカにある。アメリカは結構露骨な人種差別の激しい国である。この本にも例として黒人やユダヤ人の話が出てくる。一卵性双生児を例に、遺伝的要素がいかに強いかを説く。そういえば、トランプは優秀な子どもを作るために、3回も結婚したのではないかと思わせるくらい、子供が優秀だ。美人は得だし、外見で人は判断する。教育でも、親が優秀なら勉強のできる子供は多い。そうした気安く口外しにくい現実をそれなりに理屈をつけ、それに反する事例はさておき偏見を裏付けた本ともいえる。
この本の論調はナチスの人種理論にもつながるのではないか。この歴史をどう考えるか。この反省に立って、遺伝学は封殺され、科学の指針も大きく変わった。まさに「言ってはいけない」独断偏見を根拠づけようとしたのではないか。

以下にナチスの行った悪行と、ヒトラーの予言についてご紹介したい。

ベルリン、ダーレムのカイザー・ヴィルヘルム協会人類学・優生学研究所所長のオトマール・フォン・フェアシュアーは、双子に関する研究を手広く行っていたが、戦争が始まると弟子のSS大尉、ヨーゼフ・メンゲレ博士をアウシュビッツに送り込んだ。彼はアウシュビッツの降車上に自ら赴いて、何千もの双子を集めてコレクションし、過酷な人体実験を行った。メンゲレは3000対の双子を人体実験にかけ生き残ったのは100名だけだった。ナチ的な曖昧な人種理論の証拠探しという側面もあった。人種が優れている、劣っているなどというのは、今日においては疑似科学であることは誰も疑わない。何をもって「優れて」おり、何をもって「劣って」いるのかなど、そんな定義が歴史上存在したことは一度としてない。にもかかわらず、ナチはアーリア人が優秀で、ユダヤ人が劣等だと決めつけた。それは政治が勝手に言い始めたことで、これを裏付けるために科学が総動員された。ナチの医学者たちは血眼になってアーリア人が優秀で、それ以外がそれよりも劣るという「証拠」を見つけようとした。それは髪や瞳の色であったり、顎の形であったり、背の高さであったりした。
ス・ドイツの「優生思想」で、障害者や難病の患者は「安楽死計画」の犠牲になった。
1939年から1941年8月までに、約7万人の障害者が「生きるに値しない生命」として、抹殺された。
「安楽死計画」の事務所(中央本部)がベルリンのティアガルデン4番地の個人邸宅を接収して、そこに置かれたことから、この計画は暗号で「T4作戦」と呼ばれた。

●かつてアドルフ・ヒトラーは次のような発言(予言)をしたという。
「“2つの極”はますます進む。人類と社会のあらゆることが、未来には、両極端に分かれてしまう。
たとえばカネだ。一方には腐るほど大量のカネを持ち、広く高価な土地を持ち、労せずして限りなく肥っていく階級が現われる。だが少数の彼らが現われる一方、他方の極には、何をどうやっても絶対に浮かび上がれない連中も現われるのだ。それはカネだけの問題でもない。より正確にいえば、精神の問題だ。限りなく心が豊かになっていく精神の貴族、精神の新しい中産階級が現われる半面、支配者が笑えと言えば笑い、戦えといえば戦う『無知の大衆』『新しい奴隷』も増えていくのだ。 〈中略〉  それは1989年だ。そのころ実験は完成する。人間は完全に2つに分かれる。そこから引き返せなくなる。」
「……人類は、完全に2つに分かれる。天と地のように、2つに分かれた進化の方向を、それぞれ進みはじめる。一方は限りなく神に近いものへ、他方は限りなく機械的生物に近いものへ。これが2039年の人類だ。その先もずっと人類はこの状態を続ける。そしておそらく2089年から2999年にかけて、完全な神々と完全な機械的生物だけの世界が出来上がる。地上には機械的生物の群れが住み、神々がそれを宇宙から支配するようになるのだ。」この予言が当たらないように人類は行動しなければならない。


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 問題は英国ではなくEUなのだ

 エマニュエル・トッド氏が、イギリスのEU離脱原因となったヨーロッパの事情、これからの世界の動き、さらにトッド氏の歴史認識と方法論に関して書かれている。今の日本が中国や韓国に気を取られているうちこの十年の間ヨーロッパでは大きな変化が生まれ、21世紀の中盤は危機を迎えようとしていることに気が付かなかった。これは警告の書である。
 彼の歴史人口学という科学的な手法による歴史解釈と世界の諸問題を洞察する力量に驚かされる。日本は戦後、地政学の視点を失った。かつては、和辻哲郎、ヒットラーの右腕学者であったハウスホーファーなどは枢軸国の理論につながったということで排斥された。しかし、今こそ地政学的な見方は重要である。世界が地理的な位置、気候、人種、家族構成、出生率などで発展に差があり、統一などという概念からは程遠いことも現実だ。しかし、フランスが18世紀に生み出した、自由や平等の概念は今日もなお生き続け、国家形成の重要な要素として尊重する方向と、中国やロシアなど、国家の維持を優先させる方向と今もせめぎ合いを続けている。
 今日、冷戦構造の崩壊以来、アメリカの一人勝ちは、今やアメリカが世界の警察官にはなり得ない状況に転じた。中国の自己主張に対して日本は苦悩してきた。21世紀の前半はアメリカ、中国、ロシア、ドイツが大国として先進国を方向付けている。そこに、フランスやイギリス、日本がどのような役割を果たせるかである。イギリスは国民投票でEU離脱を決定した。これに対して最も怒ったのはドイツのメルケルである。フランスはすでに金融面でも経済面でもドイツに従わざるを得ず、オランド大統領はメルケルにお伺いを立てる立場に成り下がっている。イギリスは自己決定権がEUの中で失われつつあり、特に重要な移民の問題ではデリケートである。当然の話である。メルケルはシリア難民の受け入れを宣言し、喝さいを浴びたが、難民はいずれ北欧やイギリスにも流れてくる。イギリスが通貨をユーロにしなかったのは賢明である。通貨が統合されると、産業の格差に応じた為替調整機能がなくなり、産業が停滞すると労働者はドイツに低賃金労働者として吸収される。ドイツではこうした労働者と、一般国民は区別され、移民は結婚も同化もうまくいかない。若者が減少し続けているドイツの繁栄はこうした移民の上に成り立つ。この構造もいつかは危機を迎えるだろう。その時は周辺国も共倒れである。これを支えてきたイギリスはこんなEUから政治的に支配されるよりは、むしろ、アメリカやカナダというバックアップの方が親近感がある。
19世紀、 イギリスは産業革命の担い手であり、議会制民主主義発祥の国である。自由と平等というフランスの伝統はむしろイギリスと結びついた方がフランスの未来を明るくするのに、統制的なドイツと付き合っている。リベラリズムはそのメリットを一部の支配階級が握るだけで国家の基盤である中産階級以下の層には恩恵がない。イギリスの離脱投票者の判断はイギリスの国家としての自立性を取り戻す行為であり、歴史の必然なのだというのが彼の主張である。
 この本の75Pから185Pは彼の歴史分析の方法とその人口学からみた2030の予測である。そして、後半は世界、特に中国の未来、多発テロに対するフランス国民の行動、キリスト教、特にカトリックの衰退とヨーロッパの近代史を解説している。内容のあつみと読み応えのある著書である。

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