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物語 ポーランドの歴史 中公新書 著者 渡辺克義氏のプロフィール

1960年(昭和35年)、新潟県生まれ。東京外国語大学ロシア語学科卒業。東京都立大学大学院修士課程修了。東京大学大学院博士課程修了。ワルシャワ大学大学院修了(Ph.D.)。現在、山口県立大学教授。

ポーランドに関する歴史を概説した本は少ない。学術的な内容では幾つかあるが、地理もわからず、人名も読みにくく当惑する。
この国についてこれから学ぶ人、旅行したい人などにとって最良のテキストになると思う。

中世に隆盛を誇り、衰退し、隣接諸国による領土分割で国の独立を失ったポーランド。列強に翻弄され続けた歴史を辿る。
ポーランド史をコンパクトに、新書にまとめている。また、飽きさせない内容で一気に読んだ。通史を此れ程楽しく読ませてくれるものは珍しい。ただし、無数に出てくる人名は読みにくいし、記憶に残らない。〇〇スキーとか、ナントカシェンコとか、ジギスムントも一世から三生、ヤン〇〇世とか、こんがらかる。歴史は現代から遡って学んだ方が分かりやすく学べる。しかし、逆の順序で読ませてくれるテキストは無いように思う。自分で整理すれば良い。この本はポーランド国家の誕生から時系列で描かれている。内容は逆に現代史から順に整理されている。この構成は有難い。我々日本人にとってポーランドは遠い国である。でも、アンジェイワイダ監督の映画、特に地下水道、灰とダイヤモンド、ワルシャワ、ショパン。キュリー夫人、コペルニクスなどはポーランドと結びつく名前で知識はある。
第二次世界大戦はナチスドイツのポーランド進攻で始まった。ヤルタ会談の大きなテーマはポーランドの扱いである。共産主義国家の崩壊は連帯の決起から始まった。かつてのローマ法王ヨハネパウロ2世はポーランドの人。20世紀においても大きな役割を果たしたが、ところが、何となく貧乏な国、所得の低い、出稼ぎの多い国というイメージは残る。不思議に思う。著者は選帝侯制と貴族支配が国家としてのパワーをそいだようなニュアンスになっている。一度ポーランドに行って原因を確かめたいところだ。

現代ポーランドを新聞報道で、あるいは歴史のドキュメンタリー映像や映画でも知るが、それ以上のことは知らない。ワレサの名前は誰でも知っている。実は連帯の中の内部抗争の話は知らない。この辺りも詳細に書かれている。第二次大戦のポーランドの苦難は日本人も知っている。アウシュビッツもポーランドにある。18世紀以降分割され国家として形を失った国、しかし、中世においてはヨーロッパの中心的な大国であった。ヨーロッパの中で重要な役割を担った。この国がなぜ落ちぶれてしまったのか。そして、今どのような状況にあるのか、的を外さずに簡潔に説明されている。
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教科書としても使える精度と、読み応えのある説明が組み合わされている。特に、コラム形式の筆者の評論がユニーク。日本人にとって親しい内容は丁寧に説明されている。

コラムから
🌟ワルシャワ蜂起

第二次大戦時のワルシャワ蜂起はワルシャワが灰塵となり、20万人の市民が亡くなる悲惨な戦いであった。このことに関してコラムの形で諸説を説明している。この蜂起が英雄的なポーランド市民の戦いである、これを見殺しにしたスターリンや英米という図式であるが、実際はこの蜂起の指導者や判断に誤りがあったことで、ポーランド内部でも意見が分かれているという。そうした事実に関して詳細に述べられており、我々の認識に新たな知見を与えてくれる。ワルシャワ蜂起はイギリス人学者ノーマン・ディビス のワルシャワ蜂起1944内容によるところが多い。 彼はポーランド唯一の外国人ポーランド史研究者である。これに対してチェハノフスキの批判がある。外国人の印象特有のバイアスがかかっている。イザベラバードやラフカデオハーンの書いた日本があまりにも美しいのと同様かもしれない。蜂起の指導者オクリツキの役割に関して、開戦を主張した彼は英雄視されていた。ノーマンディビスの著作によるイメージが大きい。ポーランドの蜂起軍は悲劇の主人公で、ドイツやソ連軍は悪役。チェハノフスキによればその判断に誤りがあったために大惨事になった。元々勝てる見込みなどなかった。何の戦略もなく稚拙な軍事行動でドイツ軍の力量も分析せず、スターリンの思惑もわからず仕掛けた。オクリツキはソ連外務人民委員部に重要な情報漏洩を犯した人物。個人的名誉回復のために主戦論を展開したという解釈である。歴史というのは二面性が常に存在するが、戦争犯罪以外は一方が悪で片方が善という図式はない。日露戦争の英雄、乃木将軍も司馬遼太郎からは無能呼ばわりされる。今では司馬史観は逆に批判された。

【目次】
序章 王国の黎明期
第1章 中世の大国―ポーランド・リトアニア連合王国の隆盛
第2章 王制の終焉と国家消滅―露・普・墺によるポーランド分割
第3章 列強の支配と祖国解放運動―繰り返される民族蜂起
第4章 両大戦間期―束の間の独立とピウスツキ体制
第5章 ナチス・ドイツの侵攻と大戦勃発―亡命政府と地下国家の成立
第6章 ソ連による解放と大戦終結―ワルシャワ蜂起の功罪
第7章 社会主義政権時代―ソ連支配のくびきの下で
第8章 民主化運動と東欧改革―自主管理労組「連帯」とワレサ
終章 ポーランドはどこへ向かうのか




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ソ連の崩壊、グラスチノチとペレストロイカ、ベルリンの壁崩壊、1950年から80年代に至るまでの出来事を予測出来た人は少ない。日本の知識人で、ベトナム戦争中にソ連の解体を誰が予測出来ただろうか。スターリンの粛清や失政の規模は情報が公開されなければ分からなかった。この本はクイズや問題集を解答を見てから読む感じ。歴史の結果がわかった後で、当時の知識人の誤りをこれでもかと言うように披露してくれる。自分の間違いを正す意味でも興味深い内容である。しかし、一部を除き、ここに出ていた学者を悪魔払いで消し去るのはいかがなものであろうか。例えば坂本義和 軍縮の政治学について厳しく批判している。坂本氏は平和を重んじ、当時いかに軍縮を実現するか心を砕いていた。確かにアメリカの軍備増強には批判的で地球を何十回も壊滅させる核兵器やスターウォーズ計画に異議を唱えるのは、ソ連からの情報が公開されない時代には無理からぬことである。学者の命は理想だから。とはいえ、彼は北朝鮮の拉致問題に関しては北朝鮮の信頼される学者であった。
「『拉致疑惑』問題は、今や日本では完全に特定の政治勢力に利用されている。先日、横田めぐみさんの両親が外務省に行って、『まず、この事件の解決が先決で、それまでは食糧支援をすべきでない』と申し入れた。これには私は怒りを覚えた。自分の子どものことが気になるなら、食糧が不足している北朝鮮の子どもたちの苦境に心を痛め、援助を送るのが当然だ。それが人道的ということなのだ」と発言した[7]。この発言を巡っては拉致被害者家族会やその支援者からの反発を受けた[8]。彼はソ連の崩壊後、2002年に亡くなったが、生前の言論に関しては各方面から批判された
。(Wikipedia坂本義和より引用)朝日の御用学者の一人。


稲垣氏の論は手厳しい。「レーガン政権は坂本の主張とは正反対の行動を取った。軍備を強化し、SDIの研究開発を進め、ソ連の新しい核兵器SS20の配備に対抗して西欧にパーシングⅡと巡行ミサイルを配備した。しかし、それが、ソ連の指導層にソ連の科学技術水準ではSDIやアメリカのハイテク兵器に対抗する手段がないことを自覚させ、核軍縮のテーブルにつかせ新思考外交を生んだのではないか。戦後の冷戦の歴史を通観すると、ソ連という力の信奉者に対しては、結局、彼等にわかる論理、力の論理で対応する以外の選択はなかったのではないかと思う。それが体制の優劣を争う競争であった以上、対応を誤れば西側の体制そのものが蚕食され、崩壊する危険すらあった。進歩的文化人の説いて北ように、融和政策に徹すればソ連も変わるという期待ば幻想に過ぎなかったのではないか。軍事力のみ突出した粘土の足を持つ巨人ゴーレムを内部から 崩壊させるには鎧兜の重みに粘土の足が耐えられな以上ようにするのが、最も効果的だったと逆説的に言えるのではないか。
シュワルナーゼ、ゴルバチョフの「新思考外交」はアメリカが対ソ政策を画期的に変更したから始まったのか。それはアメリカのハト派政権の時に起こったのか。ソ連内部の変化が主因ではないのか。その変化はアメリカが宥和政策を取り、軍縮を進め、対話と交流を深めたから生じたのか、是非坂本に教えを乞いたい。 --------------
権力の自己保存本能という運動法則が働いた結果であって、西側の軍事的圧迫云々とは関係がない。坂本氏は言う「ソ連に対する軍事的な封じ込めは、むしろ逆効果であって、国内の強権体制を強化し、タカ派の立場をつよめる危険がある。ソ連という国は内部から権力や政策の正当性に対する問い合わせのメカニズムが出来上がらない限り、外から軍事的に圧力をかけても、かえって体制の軍事化を強めるだけだと思います。」力には力が常に正しいのか、今の北朝鮮にこれでいけるのだろうか。


戦後の日本は敗戦の衝撃とアメリカの占領政策の中で、言論は平和主義と東西冷戦のはざまで揺れた。進歩的知識人の多くは学者であった。日本の学者は考証学、訓詁学的で、海外の文献や学説を翻訳し、脚色して自説にすれば国民は敬意を持って信じていた。実証的な学問風土は 社会科学の分野では乏しかった。政治家からは曲学阿世の徒と罵られたりした。こうした言論を真に受けたのは中学高校の教師だった。国民も平和への願いが強く、また、社会主義や共産主義が新しい社会建設の実験を行って未来を目指しているように見えた。東側のプロパガンダや科学技術の成果を疑う情報が乏しかった。進歩的知識人への批判を弁護すれば、彼らの全盛期に面と向かって批判する人はほとんどいなかった。荒廃した日本を再建するには社会主義的な方法が優れているように見えた。
自分は幸いに、小学生の時は私立学校に通い、日教組の教師に出会わなかった。自分の父親が三井鉱山に勤務していたから、三井三池の労組について、小学生の頃から知識が世間よりあった。職員の父親が、向坂九大教授がマルクスを炭鉱労働者に講義し、現場の労働者だから容易に理解していたという新聞報道に首を傾げていし、自分の親類にシベリア抑留者がいて共産主義の情報もあり、そのプロパガンダには疑問を抱いていた。中学に入って安保改定騒動で国会議事堂にデモ隊が進入し、東大生樺美智子さんが死亡する事件もあり、世の中は反安保、反米が知識人の共通感覚だった。中1の時、昼休みに、安保賛成だと言ったら、クラスメートに取り巻かれ、理屈を、聴いてもらう間も無く総攻撃を受け、自分の周りを安保反対と叫ぶクラスメートがぐるぐる回って孤立してしまった。その後、高校に進むと日本史の教員はカチカチの共産主義者で、未来の必然的方向と言い切っていた。ソ連や、中国の正しさとアメリカ資本主義の非道を非難した。ベトナム戦争がトンキン湾事件で、アメリカ学者本格介入し正しさ時代だった。アメリカねドミノ理論とオプティミズムについて、東京神学大学の北森嘉藏教授が、教会で話した時は新鮮な感じがした。進歩的知識人がベトナム戦争を民族解放の戦いと称し、小田実の言動に心を動かされた。アメリカが対峙していたのが、ソ連や中国の支援を受けた北の正規軍だったことは知らなかったし、ポルボトの虐殺もまだ起きていなかった。歴史は後から解釈するのは可能だが、時事問題として進行中のことはなかなか見極めるのが難しい。しかし、中国の文化大革命や、ソ連の粛清、強制収容、シベリアでの過酷な民族虐殺などの情報が公開され、やはり、あの当時の疑問視は間違っていなかった。また、社会主義協会などの考え方、当時の進歩的文化人の誤りを認識できたことは、夢から醒めたような感じがした。稲垣氏の進歩的知識人の批判は小気味良い。だが、丸山真夫、隅谷三喜男の、マル経学者の学問的業績まで全て否定する訳にはいかない。ソ連崩壊の原因にはアフガン戦争やチェルノブイリの原発事故などの要素もある。そうしたことに彼は触れていない。


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元外務省次官の薮中氏がトランプ政権になってからの半年の経緯、トランプ氏というこれまでの大統領と異なる個性の持ち主がどのように行動してきたのかを整理している。日米関係の20年史といった内容になっている。正直なところ、退屈な内容。官僚の講演会がそうだが、どうしても私論が少ない。教科書を読んでいるような感じ。とはいえ、藪中氏はかなり踏み込んだ意見を述べている。日米関係のルールといっても庶民の関わるような内容ではないからだ。太平洋戦争だってアメリカとどんな交渉があったかなど、当時は知るよしもなかった。それが、とんでもない結果となった。
トランプを支える政権内部のスタッフについて解説してくれる。ホワイトハウスの権力者たちの興亡、トランプ流のやり口、トランプを産んだ国内事情、1990年代の日米構造協議など著者が外務官僚として歩んだ日米関係を振り返る。この20年の変化に驚くばかりである。変化というのは日本側の変化であり、アメリカはそれほど変わっていないのではないか。トランプ政権と中国の習近平との関係は実は緊密である。 中国人のアメリカ国内人脈 は日本の比ではない。
バノン首席戦略官やクシュナー大統領首席補佐官マクマスター、コンウェイといった耳慣れない権力内部の人物像が紹介されている。一方、ティラーソン国務長官、ペンス副大統領、マティス国防長官などの人物については語られない。マクマスター国家安全保障問題補佐官がNSCの中心として、今回の北朝鮮ミサイル問題で、日本の小野寺長官と会見している子から、彼とマティスとの連携が注目される。ロシアゲート問題ではFBI長官の解任が話題になった。そもそも、共和党はCIA.民主党はFBIを情報源としている。このあたりは構造的なヘゲモニー争いが水面下で行われているのだろう。

この辺りが外務省事務次官や北米課長を勤めた薮中氏の見方なのである。しかし、この本の題名のような新ルールといった提言には至っていない。最後に日本人として文化を大切にしようとか、藪中氏の私見述べられている。もっと外務省のの内幕を知りたいところ。この半年の新聞報道を整理した内容である。

「大統領が就任して半年、先週はヴァージニア州で白人至上主義者のデモに反対するグループとの衝突で死者が出たことや、北朝鮮の金正恩とのミサイル実験に関する応酬などで、世界に衝撃を与えている。アメリカは州によって風土、社会、経済、さらに歴史や道徳も異なる。民族構成も様々で、これらは昔からのことで、トランプ政権への反応も様々である。

6月末にはサンフランシスコ郊外のフェアフィールド市に住む友人を訪問したが、彼はトランプ大統領をアメリカの恥と言って、いつか弾劾され、4年は続かないと言っていた。西海岸はハイテクやバイオで海外との交流も盛ん。東海岸のニューヨークやマサチューセッツなどは金融や学術などで国際化が進んでいる。ところが、中西部やメキシコ国境の諸州は国内問題に悩んでおり、トランプ支持の地盤である。これらとサンフランシスコとは全く雰囲気が違うのであろう。人種平等とか、アメリカンドリームの現実も実態と理想とは異なり、格差がある。今に始まったことではない。それでも、アメリカには自由とか、合理的な生活、個人の尊重といった、アジアやヨーロッパには無い価値観が独特の暮らしやすさ、また、進取の気性を生んでいる。これが国家発展の原動力である。ところが、こうした公平、公正、自由が時に濫用や、不利益の元になっている。トランプ支持の背景にはそうしたアメリカの国家理念の恩恵を受けていない人々も多くいるということである。
西海岸に行ってみて、日本人の影の薄さには驚かされる。それに引き換え、中国人、韓国人はやたら目に付くのである。習近平とトランプの関係もこうしたアメリカの中国人人脈の層の厚さを基盤にしている。国家的な経済力、軍事力をみると日本は影が薄い。アメリカにとって25%を占める中国との貿易赤字や北朝鮮の核問題は大きな関心事だろう。それに引き換え日米の新ルールなど、仮にあってもアメリカにとって重要ではないだろう。アメリカファーストであり、アメリカ側の対日本シナリオを書く人がいないことがことが今後の問題であろう。
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アメリカファーストというのは今に始まったことではない。しかし、トランプから日米関係の構造は変わった。彼は全て自分本位、そして「反オバマ」なのがトランプ流。これまでリチャード・アーミテージ氏とジョセフ・ナイ教授が作成したレポートが日本の政策に大きな影響を与えていたが、今後日本はトランプ氏やペンス副大統領との関係を維持しつつ、新たな指針を掲げなければならない。かつてのシナリオは消え、新しいシナリオを誰が書くのか。かつて日米貿易問題や六カ国協議を担当、誰よりもアメリカを知る元外務省事務次官が、当時の経験からの教訓も交えながら日米や世界の情勢を読み解く。現実はどんどん進み、北朝鮮問題についても、中国に関しでも新しい知見を感じなかった。
【目次より】●ホワイトハウスの権力者たちの興亡 ●トランプ流喧嘩作法 ●麻生・ペンス協議メカニズム ●一九九〇年日米経済摩擦に学ぶ ●トランプ政権に対北朝鮮戦略はあるか? ●なぜ六者会合は失敗したか? ●アメリカ頼みの一本足打法からの脱却 ほか


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憲法改正」の真実 樋口陽一  小林 節  

北朝鮮のミサイルや核、尖閣や竹島問題、国際テロなど果して日本の法制は対応できるのか、疑問点が多い。自衛隊の位置付けも憲法の課題である。しかし、改正はすべきという議論において念頭に置くべきことは、どんな勢力が、何を狙って、いかなる手段で、憲法を改正しようとするか、また、国際的、歴史的、国内問題の背景があるのかである。その答えをこの対談は明らかにしている。日本を取り巻く危機に乗じ、憲法を改正しようとする連中の目指すところは何か。
改憲派の中で、一大勢力は日本会議に加わり、自分の正体を明らかにしない怪しい人々である。彼らの中には戦中に権力側にあり、戦後もエスタブリッシュメントであった連中が多く含まれる。安倍首相の一族や、国民の感覚とは遊離した、権力に繋がろうとする、森友学園の籠池氏、加計学園のオウナー、一部の官僚たちである。彼らの目指す変革は日本の歴史上最悪だった、終戦までの10年間の体制を目指している。最悪の思想なのである。これより、自由民権運動や大正デモクラシーの知識人より遥かに無教養で過去の失敗や敗戦を容認しない、とんでもない頭の持ち主たちである。
「護憲派」・「改憲派」に国論を二分して永らく争われてきた「憲法改正」問題。安倍政権が国会の主導権を握り、着々と進めてきた安保法制、憲法解釈、新自由主義が実は国民の不安を利用し、国民の願いとは別の方向性を持ったものであることを明らかにする。自民党による憲法改正草案には、「改憲派」の憲法学者も驚愕した。これでは、国家の根幹が破壊され、日本は先進国の資格を失う、と。自民党のブレインでありながら、反旗を翻したのは「改憲派」の重鎮・小林節。そして彼が、自民党草案の分析を共にするのは「護憲派」の泰斗にして、憲法学界の最高権威、樋口陽一。
 ふたりが炙り出した、自民党草案全体を貫く「隠された意図」とは何か? 一体なぜこのような奇妙な憲法案が出来上がったのかが明らかにされている。安倍首相の背後にあるものが、近年、日本会議、森友学園の籠池氏、稲田元防衛大臣の起用、また、加計学園問題への首相の関与などを産み出している。それは、戦前の日本を破滅に導いた軍部を軸に長い歴史の中で育まれてきた。地方の格差、国際化や情報社会の流れを無視。今の平和や経済の繁栄を戦後の平和、個人の尊重、平等な権利と結びつけたくない戦前のエスタブリッシュメント達の子孫が回帰しようとする世界の再現である。回顧趣味のような家族主義。個人より公益。公正より、競争。公平より情実。彼らの攻撃の対象であり、活動の原点が現行憲法であり、東京裁判であり、権威の原点が天皇制である。日本がポツダム宣言を受け入れたことは忘れている連中。自民党の改憲案は必ずしも総意ではないかもしれないが、選挙の票が絡むとなりふり構わない。小選挙制によって党の支援が無ければ生きて行けない。安倍首相を取り巻く人々が驚くほど戦前の思想に懲りかたまり、教育勅語や個人の尊重の否定、家族主義が共通項である。既に日本はテロ対策の名のもとに共謀罪を成立させ、治安維持法を復活させた。ヒトラーがシャハトを使って軍事資金を確保し、ゲーリングが軍事費を湯水のように使ったことを想わせるように黒田日銀を手先に、国家資金を安陪首相の政権維持や外交に使おうとしている。オリンピックなどはその一部である。自衛隊はアメリカ軍の下請け、二軍に従属させ、稲田を使って情報を操作し、あ支配下にしようとしたのである
。どっこい、そうはいかない。安倍一強支配の実態が明らかになった今、彼らの改憲は壁にぶつかっている。
彼らが自衛隊を国軍に位置付けたいなら、徴兵制の問題も出てくる。変革の延長戦を無視した主張は出口の無い、日米開戦と全く同じ無責任な政策である。
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どアホノミクスの正体 (講談社+α新書) 新書  浜矩子 佐高信

大メディアの報道では絶対にわからないどアホノミクスの正体

(講談社+α新書) 新書


 テロ対策法案(共謀罪)で自民党が暴走している。一党独裁と国会の議論を民進党も一緒になって破壊している。法案の本質的なところは隠されたまま成立してしまった。金田法相のおとぼけた答弁に惑わされ、本質がそれてしまった。安倍政権が目指す一党支配、国会の無力化、安倍独裁の構造が固定化しつつある。安倍政権は新自由主義とか、アベノミクスとか、言葉によって問題の本質をぼかし、国民の目から官邸の目をそらす。そこを逃さず、浜氏はかねてよりアベノミクスには痛切な批判を展開している。浜・佐高という屁理屈、頑固、反骨が会して話すとこんな感じになるのだろう。彼女の舌鋒は鋭いというより、多少えげつないような表現もあり、これだけ徹底的にけなすことができるのもすごい。例えば住友銀行のバブル時の平和相互銀行抱え込みについて寄生虫に寄生虫がついたような状態とか、表現がすごい。こんな調子ではさすがにマスコミも出しにくいのか、当然大メディアは警戒するだろう。彼女は円高も株価も予想は外れているが、もともと、相場のことに経済学者を当てにすることが間違いであるから問題はない。「アベノミクス」が実際には「アホノミクス」どころか、「どアホノミクス」であると喝破している。経済成長2%も、GDP600兆円も目くらましであり、裏があるという。体制迎合的経済学者が多い今日、貴重である。「アベノミクス」の正体は安倍政権は、「どアホノミクス」で国民を騙しつつ、集団的自衛権、安保法制、そして共謀罪法案で、国民を監視しつつ、「戦争国家」作りを進めているというのだ。600兆GDPもその手段に過ぎない。この論法を二人で盛り上げ、マルクスやアダム・スミスを動員し、論陣を張っているが、そもまで持ち出す必要はない。安部は根底は国粋主義であり、そのバックにはさらに過激な連中がいて煽っている。彼らは人権とか民主主義が嫌いだ。天皇親政政治が好きなのだ。人脈、金権、情実が大好きである。面倒な経済は日銀の黒田にさせて、国会は官僚に事務方として対応させれば良いのだ。今日の森友学園、加計学園問題はそうした構造から生まれてボロが出てしまう。憲法問題にしても専門家の議論や党内の意見調整なぞ安倍の頭では無理。岸信介と父親の安部晋太郎の遺産で食っている。だから、民進党の理屈なんぞは聞く耳も頭もない。問題はそれを悪いとも思っていないことである

 安倍政権をアメリカのトランプ政権とも比較しながら議論している。新自由主義と称して「統制」する。働き方改革と称した「働かせ方改革」、貧者が抵抗に向かわず「独裁を支える」。政府の御用銀行ー日銀など、欺瞞的な言葉の使い方だ。この本では安倍政権の資金源ー森友学園、加計学園などの裏に資金源の流れがあることには触れていない。このあたりが教養人の限界か。

 日本銀行を完全に政権の下請機関に取り込み、大企業と富裕層だけが儲かり、99%の国民が困窮化する仕組みを作り上げた。これはドイツでかつてヒトラーがシャハトを利用し、さらにゲーリングを使ってドイツ銀行を乗っ取り、軍事費をメフォ債によって調達し、軍事国家を作り上げた手口に似ている。安倍や麻生にナチスの手口をアドバイスしている連中がいるのだ。「最も毒性の高いブレンドになってしまっている。安倍みたいな人が出現すると、そこに悪知が利く有象無象がそれぞれの思惑を持って集まってくる。」日銀は政府の借金つけ回し窓口となり、政権べったりの黒田総裁、強者の論理しか無い竹中平蔵などを強く批判している。

 安倍政権は今日の加計学園問題や森友学園など怪しい権力の行使がある。日本会議との関係も取りざたされる中、彼の思想やどこに日本を持っていこうとするのか、様々な疑惑がわいてくる。憲法改正や外交のパフォーマンスなど、彼が岸信介の考えを体現しようとしているようにも見える。随分、アナクロニズムである。彼の人柄のよさそうな風貌の裏にはいったい何があるのか、注意深く観察する必要がある。彼を誰が操っているのだろうか。彼はマスコミを取り込んでいることは衆知のことである。官僚の支配を官邸がどのように行っているのか。加計学園問題は官邸と文部官僚の抗争のようにも見える。マスコミも民進党など野党も、さらに追求すべきである。このあたりで安倍政治はストップさせねばならない。


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エドワード・ルトワック著 戦争にチャンスを与えよ 文藝春秋文庫
作者は戦争をすべきと言っているのではない。戦争を避け、平和を守るために何が必要かを述べている。大切なことは政治的なパフォーマンスとか、人道支援といったことを越えた、戦争特有の力学を述べている。中途半端な介入が問題を複雑にし、解決を遠ざけている現実を示しており、さらに、北朝鮮や中国の軍事的な動きに日本はいかに備えるべきかを助言している。歴史の教訓も必要である。戦争は戦術や戦闘より戦略によって決まる。第二次大戦の日本やドイツの敗北の理由とその結果、また、武田信玄、織田信長、徳川家康を例に比較しながら、戦闘、戦術、戦略の意味を説明し、今、日本が何をすべきかを提言している。ヨーロッパおいては1000年間帝国であり続けたビザンチン、また、今も存在感を見せるイギリスを例に戦略を語る。戦争を避け、また、勝利への道は同盟を組むことである。また、戦略というのは直線的思考の裏をかく性格があり、敵の予測不能な行動であることが条件である。戦略はパラドキシカルであるとする。以下の章だてである。
1 自己解題「戦争にチャンスを与えよ」
2 論文「戦争にチャンスを与えよ」
3 尖閣に武装人員を常駐させろ――中国論
4 対中包囲網のつくり方――東アジア論
5 平和が戦争につながる――北朝鮮論
6 パラドキシカル・ロジックとは何か――戦略論
7 「同盟」がすべてを制す――戦国武将論
8 戦争から見たヨーロッパ――「戦士の文化」の喪失と人口減少
9 もしも私が米国大統領顧問だったら――ビザンティン帝国の戦略論
10 日本が国連常任理事国になる方法


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gooblogから抜粋記事で紛争の経緯をおさらいする。
ユーゴにおいても共産党による一党独裁を廃止して自由選挙を行うことを決定し、ユーゴを構成する各国ではチトー時代の体制からの脱却を開始する。また、各国ではミロシェビッチ(セルビア)やツジマン(クロアチア)に代表されるような民族主義者が政権を握り始めていた。チトーはセルビア勢力を抑制し、民族や地域の公正な権利に目を配ってきた。ところが、第二次オイルショックの経済不況を克服できず、死去してしまった。大セルビア主義を掲げたスロボダン・ミロシェビッチが大統領となったユーゴの中心・セルビア共和国では、アルバニア系住民の多いコソボ自治州の併合を強行しようとすると、コソボは反発して90年7月に独立を宣言し、これをきっかけにユーゴスラビア国内は内戦状態となる。都市の人口構成が複雑なほど悲惨な結果であった。クロアチアのモスタルでは比較的少数であったセルビア人がクロアチア人に連合したボスニア人らの勢力によって抹殺された。連合して勢力が増すと少数派が叩かれるのであった。

91年6月に文化的・宗教的に西側に近いスロベニアが10日間の地上戦で独立を達成し(十日戦争)、次いでマケドニアが独立、さらに、歴史を通じてセルビアと最も対立していたクロアチアが激しい戦争を経て独立した。ボスニア・ヘルツェゴビナは92年に独立したが、国内のセルビア人がボスニアからの独立を目指して戦争を繰り返した。セルビア国内でもコソボ自治州が独立を目指したが、セルビアの軍事侵攻によって戦争となった(コソボ紛争)。
以上抜粋記事

モスタルの世界遺産スターリ・モストは破壊され、
スレブニツアでは8000人もの市民が射殺された。
この橋は近年再建された。平和の象徴となったが、
民族間のわだかまりは消えていない。

ボスニア紛争終結の数年後、ふたたび、セルビア系治安部隊とアルバニア系ゲリラの衝突が始まった。この紛争は、それぞれの民族に属する住民の間に深い憎悪と不信の溝を作った。紛争終結後、民族対立はいったん沈静化したように見えたが、2003年の春にコソボ全土でアルバニア系住民とセルビア系住民の間に大規模な衝突が起こり、民族融和の道が依然険しいことを国際社会に印象づけた。コソボ西部では、依然としてセルビア系住民は隔離された居住区に住んでおり、国際治安部隊に守られている。一連の紛争では20万人が犠牲となった。ユーゴ解体によって、大セルビア主義の民族主義に立ったミロセビッチ大統領のセルビア軍と各国の独立派が行ったのは戦闘だけではない。それぞれの国にはセルビア人や多くの民族、宗教が混在し、戦争の中で民族を建前に地域の他民族の追い出し、脅迫、女性への性的暴行、虐殺が横行した。他民族に恐怖を与えることにより地域を単純化しようとする民族浄化の行為が繰返され、戦争状態が容易に終わらない事態となった。各地域においては多数派の独立、少数派の抵抗、さらには主としてNATOは指示に従わないということでセルビア軍事勢力に対する爆撃を行った。

この本は1992年に書かれたので、まだコソボ紛争がおわっていない。しかし、火薬庫といわれた理由が歴史的背景から理解できる。実際民族浄化など、この後にもひどい事件が起きたのである。弱肉強食、強いものが弱いものを強いたげる、醜い争いとなった。
 20世紀末1992年から起きたユーゴスラビアの紛争は日本から遠い国の出来事であった。日本から出来ることは少ない。しかし、何が起きたかは知っておくべきだ。遠いユーゴだが、我々にもなじみの深いヨーロッパには至近なのである。民族浄化とか、イスラム教徒の集団虐殺など衝撃的な報道に驚かされた。当時の大統領ミロシェビッチやカラジッチは人道に対する犯罪行為のかどで戦犯として逮捕された。ボスニアヘルツェゴビナやクロアチアで何故悲劇が起きたか、憎悪と復讐の連鎖が止まらないのか分からなかった。パレスチナ紛争もあり、イスラム教とキリスト教、ユダヤ教などの一神教が原因であり、諸悪の根元という人もいた。バルカン半島の歴史について馴染みが薄く、分かっていることだけで評価するとその様な乱暴な理由付けになってしまう。歴史認識というのは重要である。500年にわたるオスマントルコの支配から解きはなたれた地域は過去の最大領土を自己主張しはじめる。大セルビア主義、大ルーマニア、汎スラブ主義である。民族主義を政治家が煽るとどこかで紛争になる。

ユーゴ紛争が歴史の必然のような出来事であることがこの本から理解できる。ユーゴ紛争はスロバニアとクロアチアのユーゴスラビアからの独立からはじまったが、その前に、ソビエト共産党の支配が無くなり、東欧に民主化の波が押し寄せた。ソ連の雛型のようなチトー体制で冷凍されていたバルカンに民主化と独立の波となって紛争が起きたのである。1989年12月のルーマニアのチャウシェスク政権の崩壊があった。民主化と民族自決の波が生まれた。バルカン諸国は一気に独立を目指すようになった。セルビアは従来のユーゴの中心であり、大セルビア主義の伝統から、これらに反発したのであった。というより、歴史は遡る。第一次世界大戦のきっかけとなったことだが、セルビアの青年が何故オーストリアハンガリー帝国の皇太子を暗殺したのかである。時事問題は新たな出来事に気を取られるが、歴史的背景を見て理解すべきである。その前のバルカン戦争でのロシアのセルビア支援も第一次世界大戦へと向かっていた。さらにはオスマントルコ支配やロシアとビザンチン帝国の関係で起きたことなのだ。ルーマニアのことも参考になった。古い話だがローマ帝国の支配もルーマニアには大きな影響があった。今もルーマニアはラテンなのである。
6つの共和国ースロバニア、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、マケドニア、セルビア、モンテネグロからなるユーゴスラビアの歴史的考察から見なければならない。バルカン半島は半島に沿っていく筋かの山脈が通り、民族が地理的に分断される。ところが大陸や海からは外敵が容易に侵入し、それぞれの民族が分断され、連携しにくい。バルカン半島の先住民構成から確認したい。

 バルカン半島はそもそも、ギリシャではない。マケドニアはギリシャからはスラブ人といわれ、マケドニアという名前を承認しない。スパルタはドーリス人である。トラキア人ーブルガリア、イリュリア人ーアルバニア、ダキア人ールーマニアの原住民であった。ブルガリアは4000年前から黄金文明が栄え、イリアスにも記録されていた。黒海沿岸の遊牧民ブルガル人が移動し、その後南スラブ人が定住、多数派となった。二毛作の穀物やワインの産地で豊かな地域であった。1014年サムエル帝の時にビザンチン帝国のパシレイオス2世と戦いビザンチンに敗北し、1018年に滅亡した。オスマン帝国に支配されるまでビザンチン帝国の属国であった。

 セルビアはステファン・ネマーニャ、聖サヴァが国内統一を図った。1330年ステファン・ドゥシャンがビザンチン、ブルガリア連合軍を打ち破りセルビア帝国最盛期を迎える。ところが、1389年6月28日オスマントルコにコソヴォの戦いで敗北。オスマン帝国ムラト1世対するセルビアラザル王ブルガリア、ハンガリー、アルバニア、セルビア連合は敗北、建国して60年後、セルビアはオスマントルコに支配される。バルカン諸国はかつて一度は周辺諸国を従え、帝国を築いたことがあり、それぞれの国のノスタルジーであり、大セルビア主義、大ユーゴといったナショナリズムの種となる。

1453年オスマン帝国メフメットⅡ世によってコンスタンチノーブル攻略 は完遂された。ウルバンの巨砲、軍船の陸越えによってなされた。ビザンチン帝国の支配は終わり、その後モスクワ公国が第3のローマとしてバルカンに介入してくる。オスマントルコは1529年、1683年の2度のウィーン包囲に失敗した後衰退が始まった。ルーマニアは常にオスマントルコとの抗争と妥協を繰り返した。トランシルバニア(ルーマニア西北部ーハンガリー)、モルダヴィア(東北部ートルコ支配)、ワラキア(南部ートルコ支配)である。15世紀から16世紀ミハイ王によるルーマニア統一がなされたが、ルーマニアはロシア帝国の支配下に置かれる。
 
 ボスニア紛争ではキリスト教徒とムスリムの戦いがあった。ボスニアのムスリムはトルコ系ではない。何故ボスニアにイスラム教徒が多いかーボスニアに多かった異端宗教ボゴミル(マニ教の一派、善悪元論)をカトリック、セルビア正教は布教の中で邪教として迫害したことから、反発した民衆は新しい支配者トルコのイスラム教に改宗したのであった。トルコの支配は宗教的には寛容で西欧のような宗教紛争や迫害はなかった。しかし、搾取や支配は過酷であった。例えば、デウシルメという支配の方法、トルコ支配のため、4年に1回行われるキリスト教徒少年狩りが行われた。彼らはイスラムに改宗されイスラム教育の後、トルコの精鋭部隊イェニチェリに組みまれた。オスマントルコ帝国の支配下では宗教改革も大航海時代もなく、ルネッサンス、自然科学の発達の恩恵、国民国家、産業革命などの西欧社会の発展要素が失なわれた。レハールのオペレッタ、メリーウィドウはモンテネグロがイメージされている。エキゾチックな国のドタバタ恋愛劇で多少軽蔑もある。だが、これを描いたオーストリアハンガリー帝国は崩壊する。だから、オーストリアでも、皇妃エリザベートやマリアテレジアの時代は国民の誇りで、バルカンの小国の貴族や金持ちが、ウィーンでラブゲームを繰り広げる様を上から目線で楽しんだのだ。

 オーストリアハンガリー帝国によるボスニアヘルツェゴビナ併合はその地域に多く住むセルビア人の反発を受け、オーストリア皇太子の暗殺、さらには第一次世界大戦への導火線となった。バルカン戦争によるセルビアの拡大ーマケドニアを領土化によってオーストリアハンガリー帝国との対立がピークになっていた。余談だが、トルコの改革者ケマルアタチュルクはアルバニア系トルコ人であった。
 
 オスマントルコの崩壊とトルコの近代化のため、ケマルアタチュルクは国父となっている。しかし、トルコもアルメニアの独立においては多くの犠牲があり、100万人以上が殺されたという。また、クルド民族問題は今も解決していない。このような複雑な民族と歴史においてよき指導者や、大きな権力がなければ混乱と争いは絶えない。ユーゴ紛争が国連の介入とアメリカの空爆によって収まったことは望ましいとは言えないが現実でもある。しかし、NATOの空爆によって多くの一般市民が殺戮されたこともあり、シリアの内戦などでその教訓が生かされていない。NATOの介入がセルビアの軍事的圧迫を抑制したかどうかも定かではないが、アメリカの積極介入がセルビアの軍事的優位性が崩したことが内戦の終結に向かったのではないかとも思う。しかし、、東西冷戦の体制であったNATOはバルカン紛争では機能しない。残された道は国連の地域紛争における介入ルールが実態に合ったものとなり、人道支援も出来ることと限界をはっきりさせることである。







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1994年はまだソビエトが崩壊して間もない時代だ。ソビエト共産党が活動を停止し、共産党の一党独裁が崩壊したのが1991年。この本が書かれる前に早坂氏はウクライナを旅したことになる。このころのウクライナの旅行記ということはそれだけで貴重だ。
著者の早坂氏はポーランドに留学し、東欧の歴史に関する第一人者である。ウクライナというのは当時の強国ポーランドリトアニアとロシアに挟まれ、コサックを軸に歴史を駆け抜けた。早坂氏のポーランドからみたウクライナという側面はぬぐえないが、それは時代のせいでもあろう。ソビエト崩壊後とはいえ、スターリンやナチスに翻弄され、世界史的にも稀なホロコーストの受難を持ったウクライナの歴史は資料の公開もままならない時代で難しかったはずだ。今や、ウクライナはNATO諸国とロシアの狭間で紛争地帯も包含した世界に注目される地域となった。そうした視点が欠けているのはやむを得ない。しかし、当時のウクライナ知識人の様子は伝わってくる。今や、クリミア半島のロシア併合でロシアが経済制裁を受けている状況や、北朝鮮の問題にロシアが微妙な影を投げかけ、トランプ政権の誕生など予想もつかなかった時代に書かれたことを念頭に読んだが、早坂氏のポーランドとウクライナの歴史的関係に関する膨大な知識に感服した。
普段なじみのないウクライナの歴史であるが、この本を機に自分なりに理解した内容を下に記した。

1.ポーランドとウクライナ

2014年ロシアのクリミア併合は西世界の批判と経済制裁が続いている。さらに、ロシアとの国境周辺では紛争が戦闘の形で繰り返されている。ハリコフ周辺は危険といわれている。しかし、キエフやオデッサ辺りは観光客も多く安全らしい。ポーランド映画の「火と剣」はシェンキービッチの大河小説を映画化したスペクタクル作品で、you-tubeでかなり見ることができる。英語字幕がついているものもあり、筋書きは理解できる。しかし、このドラマはポーランドとコサックの戦いが舞台となっており、コサック側にはイスラム教徒の将軍や、モンゴル人のような衣装の兵も見られ、どのような民族背景があったのか分からなかった。そこでポーランドの歴史を多少読むと、西欧中心の歴史とは別の世界を垣間見る。ポーランドにとって15世紀のポーランドーリトアニア連合国家であった時代が絶頂で、これをヴォスポスポリータといって彼らの郷愁をそそる時代のようだ。ポーランドとリトアニアの連合軍は1410年タンネンベルグでドイツ騎士団に勝利し、後にヨーロッパが30年戦争で疲弊している間、ヨーロッパ最強国であった。華やかな貴族文化も生まれた。ポーランドは貴族の天国で、農民の地獄とも言われ、自国民やウクライナを搾取した。北のロシアは農奴制が始まり、ウクライナのコサックは先はポーランドに反旗を翻すことになった。これがザボロージェコサックのヘトマン(首領)フリメニツキの反乱であった。彼はロシアと組むことでヤレウスラヴ条約にこぎつけ、ポーランドにコサックの土地所有を認めさせ、コサックの国家を作ったが、ロシアに吸収され、第二次世界大戦終結後のフルシチョフ政権まで苦難の歴史を歩んだ。ポーランドやリトアニアもそうだが、大国の間に挟まれた小国が、武力を巨大化させると、結果的には悲惨な物語になっている。これは今日のシリアの内戦や北朝鮮の事情にも繋がる。歴史は繰り返される。ポーランドやリトアニアは日本からも遠く、ウクライナも含め、無縁の世界のように見える。しかし、日本はロシアには近く、軍事上も関係があり、ロシアの国家統治の要である周辺民族国家との関係が、ロシアという国の謎を読み解く鍵でもある。今の政治状況や歴史を読み解くにあたり、ポーランドから見たウクライナ、ロシアから見たウクライナの情報はあっても、ウクライナから見たポーランドやロシアは語られることが少ない。その意味から、東京工業大学の早坂真里教授のウクライナ旅行記は貴重な視点である。

2.ウクライナ旅行記

キエフ公国が成立し、ビザンチン帝国との関係がオスマン帝国によってコンスタンチノーブルが陥落するまで、ロシアはウクライナを中心としていた。ロシアの起源はウクライナでもある。1954年フルシチョフによってクリミアがウクライナに併合された。ウクライナはそもそも共和制であったが東西冷戦下であり、ソビエト共産党の独裁下にあったし、ソ連の支配下にあった。ソ連の崩壊がウクライナをNATOに接近することはロシアには耐え難いことであろう。ヨーロッパでは、ロシアを弱体化させるにはウクライナをロシアから切り離すことが効果的であるとビスマルクは提唱していたという。ウクライナの大平原はヨーロッパの穀倉だった。ポーランドにとってもウクライナを支配した歴史がある。ソ連はウクライナを利用しつくした。帝政ロシアの騎兵はコサックであり、強力な軍事組織として露土戦争で活躍した。ところが、ロシア革命後はソ連の穀倉地帯として共産党ソビエト政権が軍備のために収穫した穀物を簒奪した。このためにウクライナの農民5の20%500万人が餓死、50万人ものクリミアタタールも餓死した。ホロムドールといわれ、世界では人道に対する犯罪行為とされている。サボロージェコサックとタタールは反革命のかどでシベリアに追放され、また、トルコに逃れた。他のドンコサックも同様な仕打ちを受けた。近年復権し、故郷に戻っている。彼らが故郷に帰れたのはソ連の崩壊後であったが、あまりにも大きな犠牲であった。

早坂氏の旅行記ではクリミヤタタールの帰還者との交流がかかれているがコサックにはあまりふれていない。ポーランドからの宗教者、農民問題研究者ヴァレリアン・カリンカの研究論文もあり、旅の目的のひとつであったようだが、何故かホロムドールには触れていない。チャイコフスキーのこと、名前が、我々には馴染みがないと思っていたが、あの大作曲家チャイコフスキーがウクライナコサックの家に生まれた人物とは知らなかった。彼女の思考はポーランド留学の経験からどうしてもヴォスポスポリータ風になるのだろう。ウクライナの歴史は彼ら自身の手によって復元するしかない。

3.コサック

コサック兵は、何百年もロシア皇帝の軍隊として兵役に就いたが、その形態は傭兵的であり、比較的解散が容易で、国庫の負担が軽い、為政者にとってはまことに便利な存在になっていった。そしてコサックの成敗に、コサックを指し向けるということが行われた。最終的には1917年の革命の際、ペトログラードのコサック兵はロシア皇帝を見限った。その後、ロシアの革命政府はコサックに独立の空約束を繰り返すとともに徹底的な弾圧と殺戮を繰り返した結果、コサックは根絶され、今日のコサックはノスタルジアの世界だけに主に存在し、軍事的な重要性はない。

ただ、「コサックをやっつけるのにコサックを使う」式の、グループ間での対立を煽る「戦争マネージメント」のスタイルは、こんにちのウクライナを巡る紛争にもハッキリと見て取れる、常套手段的なロシアの手口は変わらない。

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ユダヤ人とは誰か
第十三支族 カザール王国の謎
アーサーケストラー著 宇野正美訳 三交社

何故東欧やロシア、黒海周辺にユダヤ人が多かったのかが理解できる。ナチスも東欧やロシアに進攻したのは資源確保ばかりが理由ではなかった。
ユダヤ人の絶滅は
彼らの戦争の大義名分であった。

ユダヤ人は紀元70年ローマ帝国にエルサレムを攻略され、パレスチナから流民として脱出したが北アフリカ方向に移住したグループ(セファルディ)と北のシリアからトルコ方向からさらに黒海方向に移住したユダヤ人に分かれ、ヨーロッパにまで移ったグループがアシュケナージウムといい、シオニズムの原点となった。彼らは難民ではなく、移住した先でコミュニティを形成する。ヨーロッパではユダヤ人は迫害され、20世紀に入りパレスチナが約束の地であるとして移住したために、先住のパレスチナ人と衝突し、今日のイスラエルとアラブの対立を招いている。アラブからはアシュケナージウムのユダヤ人は、もともと、カザール国がパレスチナ人でもないのに国教としてユダヤ教に改宗し、カザール国が崩壊した後でヨーロッパに移ったものでアブラハムの子孫ではないという説がある。アシュケナージウムカザール説には無理がある。この書ではカザール国の成り立ちと滅亡の歴史を詳細に記している。カザール国がカスピ海北岸からコーカサスにかけて7世紀に栄え、ビザンチンやイスラムの狭間で緩衝地帯を形成し、巧みな国家運営を行っていた状況を古文書などを駆使して説明している。ディアスポラのユダヤ人はローマ帝国にも流れたと思われ、彼らのシナゴーグがキリスト教の発展に大きな役割を果たしていたはずだ。そもそも、北アフリカのユダヤ人も含め、イスラム教徒はユダヤ人には寛容であることが多く、中世においてもエルサレムには多くのユダヤ人が住んでいた。十字軍は彼らを殺戮した。地中海貿易においてもイスラムのオスマン帝国などにいたユダヤ人がヨーロッパに移ってきたこともあろう。アシュケーナージウムのユダヤ人がカザール国にのみ起源を持つとするには彼らの言語系からみると無理があるという。彼らはトルコのチュルク系であり、今のヘブライ語、イデッシュ語とは共通点があまりにもないからである。ユダヤ人は世界各国でコミュニティを形成し、最近ではナチスの迫害から多くのユダヤ人がアメリカに移住し、ニューヨークや各地でコミュニティを築いている。ヨーロッパにおいても少数派のエスニック集団であり続け、ユダヤ教以外には歴史や文化を共有しているとは限らない。国籍も、文化も、言語も共有していない、宗教のみが同じ文化集団であると見た方が良いだろう。アラブ側がアシュケナージウムのユダヤ人がアブラハムの子孫ではないと言い切る理由もないのである。

ケストラーによるとポーランド、リトアニアのユダヤ人はカザールの末裔であるという。ポーランドには19世紀に500万人のユダヤ人がいた。ポーランドの建国にも深くかかわっていたという。彼らはカライ派というユダヤ教の一派で、古代カザール語を話していたという。彼らが何故かこれを捨て、イディッシュ語を話すようになったかは氏の推理を聞くと、アメリカの日系3世が日本語を話せなくなるようなもので、当時の東欧はドイツの影響が強く、ドイツ系ユダヤ人の言語に切り替わったのである。

モンゴルの進攻によってカザール人は津波のように移動したのではなく、300年くらいかけて、彼らの知識や人材が東欧で重用されつつポーランド、ハンガリー、キエフなどに移っていった。彼らは金銭感覚が評価され、ポーランドでは造幣局長官、塩の専売、金融業における要職を得ていた。こうした傾向は昔から変わらない。彼らはシュテトゥルという独特の共同体村落を形成し、そこから運送業、製粉業、馬屋、職人、毛皮の取引など、カザールの時代の職種を受け継ぎ、13世紀に社会的地位を確立した。第二次世界大戦でドイツ軍がオランダなどで都市のユダヤ人を強制移住させたのと、ポーランドやロシアでユダヤ人の村を襲いアインザッツグルッペンが虐殺していったやり口は違っていた。ヨーロッパのユダヤ人がゲットーを形成したこととは異なっている。ポーランド、ハンガリー、リトアニアのユダヤ人はカザールを起源としていると言って良い。西欧のユダヤ人は当初は金融や商業に圧倒的な能力を示し、財力を蓄えたが、封建諸侯の簒奪、十字軍、ペストの流行、さらには宗教裁判などで絶滅してしまったという。しかし、財産のあまり無いユダヤ人は逃げることもできたであろう。十字軍のために殺されたユダヤ人は地理的に限られたであろう。ペストはユダヤ人に罹患者が何故か少なかったので彼らが毒を撒いたという流言飛語が原因であった。西欧のユダヤ人は多くが東欧に逃れた。このこともポーランドやハンガリーにユダヤ人が多買った理由である。フランス、イギリス、イタリアにもユダヤ人は生き残っていた。例えば、ロスチャイルドがカザール系だったのだろうか。ポーランドやハンガリーがカザール系というのは理解できる。しかし、氏の論うを全ヨーロッパに向けることは無理がある。彼の推論がイスラエルはカザールであるというアラブの批判に繋がるとすれば危険である。
  
  このアーサーケストラーの書はイスラエルでは禁書になっていると言われているが、内容としては第一部でカザール王国の交流と没落について文献学的な考察を行っている。特にアラブの旅行家イブンファドランが周辺民族と興隆する中で見たカザール国、ビザンチンの宮廷に入ったカザール人など周辺の諸国に残された文献からカザール国の隆盛を語っている。ユダヤ教を選択した経緯はケンブリッジ文書などから記録が残っている。ユダヤ教に改宗する前の南ロシアにおけるカザール国は勃興したイスラムの侵入とビザンチン帝国、さらにはカトリックに挟まれ、窮余の策としてユダヤ教を選択しバランスをとった。周辺にはマジャール人、グズ人、ペチェネグ人、アラン人、ポロベツ人などがおりこれらの民族と巧みにバランスを取りながら興隆していた。ビザンチンやオスマントルコがこうした遊牧民の侵攻に苦しんでいたが、カザールはマジャール人などを従えうまくやっていたのだ。しかし、9世紀にバイキングのルス人がノブゴロドに拠点を置き、ビザンチンと交易をドニエプル川からボルガ、ドン川を睨むサルケルに砦を築き、バイキングから10%の税金を取ることを始めた。これがルス人には邪魔になり、結果的には次にカザールが攻撃され滅びる原因の一つとなった。この本ではルス人がルーリックを頭にビザンチンと交易し、さらにキリスト教に改宗したウラジーミル公がキエフ公国を形成するに至る経緯も説明している。この流れがカザールの滅亡につながるのである。

第二部ではカザール国が滅びた後、東欧やロシアに移住したカザール系のユダヤ人の行く末が語られている。カザール帝国最後の100年についてはロシア、カザールの対立から、その滅亡に至る記録が紛失しており、分らない。そこが、ユダヤ人のヨーロッパ流入の未知なる部分で憶測を産むのである。862年のルス人のキエフ占領、さらに913年のイスラム圏への掠奪、侵攻にカザール国は税金を取るどころか、傍観するしかなかった。965年にはカザールのサルケル砦も陥落し、ルス人がウラジーミルの代にキリスト教に改宗、キエフ公国がビザンチンのキリスト教を受け入れたことでカザールの滅亡は加速した。モンゴルの進攻によってポロベツ人やマジャール人などが完膚なきまでに滅ぼされ、西方に離散、カザール国も消滅していくが、カザールのユダヤ人がハンガリー、ポーランド、ロシアのユダヤ人の起源であるということが立証しようと根拠を示し、著者の論理を積み上げている。周辺諸国の文献から痕跡をつなぎ合わせ、推定している。ヨーロッパがローマ帝国、バイキング、さあらには通牧民の移動と民族の混合によって成り立ったことがこの本からもよく理解でき、その意味において貴重な内容となっている。


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聖ロシアの惑乱 野田正彦著

プーチン政権が14年、ウクライナ領クリミア半島を武力で自国に プーチン政権が14年、ウクライナ領クリミア半島を武力で自国に編入し、東部にも軍事介入したことで、ウクライナではロシア正教会離れが急速に進んでいる。15年の世論調査によると、モスクワ系の教会への支持は20%、一方のキエフ総主教庁の支持は44%に伸びた。14年以降、60~70の小教区がモスクワ総主教庁系からキエフ総主教庁にくら替えしたというロシア正教会はモスクワに本拠をおき、ロシアにおけるキリスト教の総本山である。プーチンは熱心な信徒であることは今日よく知られている。
宗教戦争はイスラム教のISのように凄惨な大量殺戮になりやすい。ヨーロッパの30年戦争ではドイツの人口がペストの流行と相まって半分になった。ロシア革命はソビエト政権という唯物論的な共産主義活動が実は宗教改革の無かったロシアにおける宗教戦争であり、ソビエト政権は共産党の一党独裁という「無神論的」党を偶像とする一神教の布教者であった。だからこそ、3000万人もの犠牲が出た。ナチスもカルト集団であった。ウクライナはキエフを中心としたキエフ総主庁がモスクワ総主教庁からの独立を画策している。ロシアのモスクワ宗主教庁傘下の約3万の小教区の3割はウクライナにある。「伝統的な宗教と核の盾がロシアを強国にそひ、国内外の安全を保障する要だ」といっている。
ロシア正教会はプーチン政権の一機関なのである。ウクライナはキエフ・ルーシ公国のウラジミール1世がコンスタンチノーブルから洗礼を受けたことから始まるロシア正教会発祥の地である。ところが、モンゴルの来襲により、ロシア正教は本拠をモスクワに移さざるを得ず、ロシアのツァーリズムと結合するニーコン改革を行い、ロシアの支配階層としての役割を果たした。レーニンは教会を否定、フルシチョフも弾圧した。ところが、スターリンはグルジアの神学生だったこともあり、第二次世界大戦を乗り切るために教会を利用した。かつて、教会で告白するとOGPUに通報されて逮捕されたり、教会はソビエト政権とも癒着を繰り返した。今のキリル宗主教はクレムリンに公邸を構え、親欧米に転じたウクライナを邪悪な一派として闘争を呼び掛けている。
そもそも、プーチンは祖父の代からニーコン改革に異を唱えた古儀式波という家系だったこともあり、ロシア正教の一分派であっった。ロシア革命当時は1000万人の信徒と3000人の神父がいた。革命政権から厳しい弾圧を受け壊滅的な減少となったが近年息を吹き替えしてきた。分離派ーラスコリニキ、スターロオブリャーツィという。今のロシアには西欧からバプテスト、メノナイト派などのプロテスタント、アジアからは統一教会、また、新興宗教がペテルスブルグのべサリオ、キエフの白い兄弟といったカルト集団も生まれ、終末論と救済を軸にロシアにおける精神的空白に取り入っている。ウクライナ正教の分離独立はロシアの解体に繋がる危機と見てプーチンの核の使用発言があったのだ。彼らの危機感は半端ではない。ウクライナ周辺ではコサックの再興、帰還運動、又、ドイツ人コミュニティの復活など民族運動もあり、民族運動としての古来宗教行事を復活させようという偶像崇拝正教といったグループも活動している。1991年のウクライナ独立はサボロージェコサックの夢でもあった。この野田氏の著作はロシアにおける様々な宗教、民族の活動を取材し、旅行記の形でロシアの宗教的実態を我々に示し、共産党政権時代も脈々と流れ続けられたロシア人の宗教世界を見せた作品となっている。

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