カテゴリ:国際政治( 207 )

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モロゾフ夫人の逮捕(モスクワのトレチヤコフ美術館の名画「モロゾワ夫人」)


 チョコレートの季節がやってきた。2月14日のバレンタインデーにチョコレートを贈るという習慣はどう日本に定着したのか。チョコレート業界の販売促進策にに消費者が乗ってしまったのだろうか。土用丑の日の鰻も日本古来の習慣ではないが、現代社会にも定着している。義理チョコなる言葉もあるが、多分日本社会においては、愛とか女性が男性にプロポーズするなどという男女の関係性はなじまず、むしろ義理とか人情の方が好まれるのだろう。チョコレートをギフトにするというのはイギリスのキャドバリーという会社が最初で、きれいな箱に上品に収まったチョコレートで板チョコだったと思うがバレンタインのギフトを始めた。しかし、欧米ではバレンタインデーはカードを贈る日であってプレゼントをするのは日本独自の習慣になっている。バレンタインチョコレートの元祖はモロゾフといわれている。今のモロゾフは一部上場企業で商標名、企業名はモロゾフだが創業者のモロゾフがオーナーではない。
モロゾフ氏は気の毒なことに創業時の共同出資者と裁判になり、和解の結果企業名と商標名モロゾフを剥奪された。しかし、彼の長男がコスモポリタン製菓という会社を再度立ち上げ、2006年まで経営していたが、今は廃業した。ロシア革命から家族で難民になった壮絶な歴史を持つが、モロゾフチョコレートの起源である事には変わりはない。共同事業者葛野友槌は京大を出て材木商になった人物で学生時代共産党シンパであった。共産党の野坂参三は弟で妻竜は葛野家から来た。今のモロゾフに発展した葛野友太郎はモロゾフを葛野に紹介した福田の娘と結婚した。モロゾフは難民であり、日本語も不自由だった弱みを衝かれていたのである。モロゾフの名前とチョコレート事業は最初から葛野に狙われ、難民であることを利用された。和解の条件も彼をソビエト政府に通告し、承諾しないと本国に送り返すぞということで恫喝したものだった。共産党の重鎮だった野坂参三は共同事業者の親戚であり、どこまでかかわったかはわからないが、ソ連のスパイであり、ソ連との関係にモロゾフは驚愕したに違いない。モロゾフは気の毒であり、葛野も野坂もひどい男である。ただ、当時の国情から、満州事変など、日本に来た亡命外国人には社会の目は厳しかった。
モロゾフのチョコレート
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新潟市マツヤのロシアチョコレート
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 バレンタインデーにチョコレートという組み合わせは神戸のモロゾフ洋菓子店が1936年に始めたのである。さらに、モロゾフにいた職人の原さんが1949年にメリーチョコレートを始めた。1958年に新宿伊勢丹で原さんの次男がバレンタインデーフェアを行った。これを機に伊勢丹や不二家が1970年代にバレンタインチョコというキャンペーンを始め全国的に盛り上がり、日本ではこの日1日で1年間の10~13%を売り上げてしまうほどになっている。メリーチョコレートも会社はリーマンショックで破たんし、今はロッテ傘下。

最初のバレンタインチョコレートの広告
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 このモロゾフという名前は帝政ロシア時代の大富豪モロゾフ家に由来する。多くの皇帝派のロシア人が革命を逃れて日本にきた。彼もシアトルに渡ったあと神戸でロシア菓子を売って生計を立てたのが始まりである。ロシア人というのはチョコレートが大好な国民である。新潟に、いまもロシアチョコレートの店マツヤというのがある。モロゾフ家はロシア正教の一派、古儀式派の信者であった。この古儀式派はロシア正教のニーコン改革という国家権力と結合した改革に反発し、キリスト教の原点に戻ろうとする運動であったが、ロシア革命の直前まで弾圧され、ニコライ二世が承認するまで苦難の歴史が続いた。ところが、ソビエト政権になってからの宗教弾圧で悲惨な銃殺処刑や流刑の対象になり、シベリアや満州、中国黒竜江省周辺まで逃げ、さらには日本に白系ロシア人と言われ逃亡を続けてきたのであった。モロゾフ氏は古儀式派と思われる。

この古儀式派は今もロシアとその周辺ラトビア、ポーランドなどに200万人いるといわれている。モロゾフ家は分離派(ラスコリ二キ:ドストエフスキーの罪と罰の主人公の名前はこれから取った)ともいわれる古儀式派の貴族がルーツである。ピョートル大帝の父の時代に最も権力のあった貴族だが、分離派として弾圧された。ニーコン改革でロシア正教は分裂し、教会を皇帝の上に位置付ける体制は逆転し、ロシア絶対王政のきっかけとなった。1671年フェオドシアモロゾワ夫人は逮捕され、ピョートル大帝の迫害の象徴となった。分離派の人々はキリスト教徒としての厳しい生活様式をかたくなに守り、禁酒、銀行から借金をせず、蓄財と勤勉を守る人々で、そうした生活を続けたことから、大富豪や富農になるものが多かった。ロシア革命のときにはまさに攻撃の対象になった。実は今の大統領プーチンもこの古儀式派の家系であり、祖父はモロゾフ家の屋敷に住んでいたレーニンのコックをしていた。レーニンは革命によってこのモロゾフ家のモスクワの屋敷を摂取し晩年はテロを恐れ、そこで暮らしたのであった。ロシア革命の弾圧の対象となった古儀式派の人々は離散し、ソビエト崩壊まで政府の圧迫を受けてきたが、実はロシア革命の支援者であり、中心的な人々を多く生んできた。スターリン時代の外相モロトフなどが代表的だ。ソビエトというのも古儀式派の共同体をコピーした仕組みであり、ヨーロッパ民主主義がプロテスタント教会をプロトタイプにしたのと似ている。古儀式派の人々は多くの優秀な人材を生み、ソビエトのコルホーズなどでも、好成績を収めていたという。モロゾフチョコレートの元祖がモロゾフ家の末裔だとすれば数奇な運命を経て、その一族が日本で生き延びていたのであった。もちろん、日本のバレンタインデーにおいてそんな歴史をかみしめてチョコレートを味わう御仁は自分ぐらいだと思うのだが。

大貴族モロゾフ家は、古儀式派の牙城であったばかりか、当主のボリス・モロゾフ(1590~1661)は、アレクセイ帝の義兄で、かつてはその教育係を務め、実権を握っていた。5万5千人の農奴を所有する大地主でもあった。61年にそのボリスが死に、67年にニコンが罷免されると、アレクセイ帝は、古儀式派の精神的支柱であったモロゾワ夫人(ボリスの弟グレープの夫人)の逮捕に踏み切る。

モスクワのトレチヤコフ美術館でひときわ目立つ名画「モロゾワ夫人」はまさに彼女が逮捕され、信者に見送られながら橇で連行されていくさまを描いたものだ(ワシーリー・スーリコフ作)。彼女はその妹とともに改宗を迫られたが拒否し、土牢で餓死させられた。絵の中で右手を挙げているが、これはニーコン改革で十字を3本の指できるよう強制されることに対する反対の意味で旧来の2本の指を掲げているのである。

近代にはモロゾフ家の家系は、1820年にサッバ・ モロゾフと4人の息子たちが、農奴の身分を1万7000ルーブルで買い戻して自由人になったことから始まる。 彼らが創設した綿紡績工場は、19世紀後半には大工場に成長した。
 モロゾフ家は、20世紀初頭には5万4000人もの労働者を抱え、 その生産額は当時の1億ルーブルをはるかに超す資産家となった。初代のサッバ・モロゾフ、息子のアブラハム、エリセイ、ザハール、 チモフェイ、そのまた息子たちは、ともに事業家でありながら芸術家のパトロンとなり、経済援助を惜しまなかった。
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モスクワのモロゾフ邸
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 ウクライナにはコサックが部族社会のように軍団とロシア正教が一体になった社会が存在した。1649年ポーランドリトアニアと対立していたフメリニツキー率いるコサックがペレヤスラブ協定をロシアと結び、コサックの領土を安堵し、ロシアと同盟を結んだことが、カトリックのポーランドに対する大勢力となり、第二次世界大戦まで、ロシアと対立する原因となった。また、ロシアにとってもロシア帝国を確立した記念すべき協定であった。このフメリニツキもペレスラブ協定もわれわれ日本人は全く習ったことがない。ポーランドはリトアニアとタンネンベルグの戦いでドイツ騎士団に勝利し、大帝国であったのだが、これを機に衰退の一途をたどるのである。
 クリミアもタタールが長く支配し、タタールとの戦いを克服したロシアが勝ち取ったところであり、このセバストポールハクリミア戦争から第二次世界大戦でも多くのロシア人の血が流されたところである。セバストポールは黒海艦隊の本拠地であり、ウクライナの行政化にあってもロシア艦隊の重要な寄港地である。この地をプーチンは住民投票でロシアに編入したことがNATO諸国、特にドイツとアメリカがロシア制裁の急先鋒となりヨーロッパとの関係が悪くなった。しかし、クリミアはウクライナ同様ロシアが歴史的にアイデンティティのためにも大切にしたところで、それがアメリカの策謀によって、グルジアもそうだがアメリカの策謀によってNATOに組み込まれるというのはあまりにも耐えがたいことであり、それが今のロシアの領土感覚である。そのために、12月のプーチン、安部共同記者会見ではロシア側の新聞記者の唐突な質問となったのである。

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 冷戦時、我々はロシアというより、ソビエト連邦として、共産主義国家の代表として、マルクスレーニン主義を学べばわかったような気になっていた。しかし、ロシアというのはロシア人自身もなかなか定義しにくい複雑な構造を持っているようだ。広大な国土、多様な人種、民族、言語、宗教が混在し、国民国家として統治することが難しい構造だ。しかし、今や、プーチンの支持率は85%を超え、今後混迷が予想されるEUやトランプ政権のアメリカよりはむしろ安定した国家ではないか。これをまとめたプーチンはかつてのツアー体制を作ったイワン雷帝やピョートル大帝に匹敵する指導者かもしれない。レーニンやスターリンは国民に人類史上まれな大悲劇をもたらしたリーダー。にもかかわらず二人は歴史的功績も認められている。同様に彼がチェチェン紛争を弾圧し平定したこと、さらに、クリミアを奪還したことは大きな支持につながっており、日本の北方領土に付け入るすきを見せないのは歴史的な経緯があることを日本のマスコミは報道しない。今の時点で北方領土の話が全くできる状態ではないことを安倍総理は分かっているのだろう。プーチンの日本での記者会見でロシアの記者が、ウクライナ問題について質問したことは、ロシアの事情を日本社会に知ってもらいたいというロシア人の願いが込められていたのだ。ロシアを理解するにはキリスト教との関係を先は頭に入れねばならない。
「古儀式派の人々と教会」
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ロシアは共産主義政権時代の唯物主義無神論の経験があるが、実はこの中にもキリスト教の影響は大きく残っており、ロシアの無神論者は今や純粋なキリスト教徒になっているという。歴史的に見て、ロシアの基督教はイスラムのコンスタンチノーブル支配で1453年によって東方教会が崩壊し、その後キエフでキリスト教に改宗した時代からロシア正教として東方教会を引き継いだのである。東方教会は第二のローマであるコンスタンチノーブル、エジプトのアレクサンドリア、シリアのアンティオキア、エルサレムに主教を置いており、988年にキエフのウラジミール大公が改宗したことでロシアに広まった。その後、モンゴルに席巻されたりしたが、イワン三世(1462年~1505年)がモスクワの大公として全ロシアを支配する位置を得たときにモスクワに東方正教は中心を移し、ロシア正教となった。それまで、聖書がギリシャ語で書かれ、守ってきたギリシャ正教が東方教会では中心的な地位を占めていたが、オスマン帝国に支配されてからはロシア正教によって国家と宗教が合体した。そのころ、ヨーロッパでは宗教改革が行われ、プロテスタントが生まれたが、ロシアではこれは無かった。このロシア正教も地域的にも幾つかの派がある。ロシア正教としてニーコン総主教が改革をしたときに反発があり、ロシアでも古代回帰の運動が起きた。プロテスタントもそうだが、キリスト教の改革というのは全く新しいものを作るというより、むしろ原始キリスト教のような創設期の過去に回帰しようという形で行われる。ニーコンの改革に反発し、古代キリスト教に戻ろうというグループが古儀式派と言われ、彼らの改革運動は19世紀まで国家から弾圧された。ロシアというのは3つのルーシーからなり、それぞれが宗教と政治を一体のものとした。ベリコルーシー、ベラルーシー、マロルーシーである。キエフルーシーの末裔としてマロルーシーがあり、コサックが中心であった。ロシアにとって重要なのは、カトリックポーランドと抗争していたフメリニツキーとペレアスラブ協定が1654年に成立し、ロシア帝国の基礎が作られた。その後、300年目にクリミアをウクライナ共和国にフルシチョフが譲渡し、今日のウクライナ紛争の種が植えられたのである。ロシア人がコサックの反乱の物語として隊長ブーリバ、タラスブーリバの物語をゴーゴリが書いたことを記念し、一大スペクタクル映画をその没後100年に制作したことも関係している。
 古儀式派というのはヨーロッパのプロテスタントに相当し、長い間、弾圧を受けてきた。その古儀式派は正式な教会としては認められなかったがゆえに、地下にもぐり、ロシア革命のソビエトの基礎となったと下斗米伸夫氏は「宗教地政学から読むロシア」という著作で述べている。この古儀式派がどのようなサクラメントを行っているかは自分は知らない。しかし、今も、この古儀式派信者は1924年時点で3500万人いたといわれている。唯物論無神論の共産党政権下、こうしたロシア正教の信徒はロシア民衆に根付き、独ソ戦においてもスターリンは彼らを弾圧することはできず、軍事的には利用したのである。ドイツ軍のモスクワ包囲を解放したシベリア師団はシベリア開拓に追われた古儀式派が主力だった。ソビエト崩壊ごロシアでのキリスト教が急速に復権したのだが、信仰は全く失われず、連綿と引き継がれ、プーチンなど現政権においても多くがキリスト教徒なのである。こうした現実は日本のマスコミは全く触れず、朝日新聞を中心に親ソ派が無神論ソビエトを報道し続けたのである。政治と宗教が一体となっていることは今回トランプの大統領就任いても教会で礼拝し、式典で聖書の上に手を置いて宣誓した姿が見られる。キリスト教がどれだけ政治と一体となっているかを日本のマスコミは報道しない。ウクライナやクリミアはロシアにとっての歴史的生命線、これらにNATOが食い込んできたことは約束違反でもあり、耐えられない国民感情といえるのだ。
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 トランプ大統領がアメリカに誕生した。1年前には想像もつかなかった現実にマスコミは右往左往している。テレビの評論家が居並び、アメリカのメディアのお追唱をのたまう醜い日本のマスコミの姿にはがっかりだ。今の日本にとってトランプはマイナスの作用ばかりが目につくが、同盟国であるアメリカの再生は結果的には日本にも良いことではないか。だから、日本にとってのトランプではなく、もう少しアメリカにおけるトランプの役割をマスコミは指摘してもらいたい。
最近はアメリカの真の改革者はトランプに思える。黒人のオバマが大統領になって8年間も全うできたのは大したことだが、国内の多数派を実は満足させることは出来ない。女性大統領も良かったかもしれないが、ヒラリーだったことが失敗のもと。ヒラリーは超優秀だが、アメリカの市民感覚とかけ離れてしまった。民主党にはまともな女性がいないのだろう。トランプの周りにはイワンカもそうだが、優秀な女がゾロゾロいる。アメリカで本当に優れた人は、軍人や金融業にいる。ハーバードやエールといった学歴時代は終わった。彼らは発言はご立派だが、実は無能かもしれない。ロシアもKGBが頭脳集団だ。しかし、未知数なのは、議会運営だろう。トランプの真価が分かるのはこれからで、安倍さんがアメリカに対しては結構覚めた見方をしているのは心強い。メルケルも難民対応でミソをつけている。これからの世界は中国とロシアが軸だろう。そこに安部さんが上手く立ち回ることができるかだ。トランプはあまりにもドメスティックなオッさんだからなあ!国内がゴタついているのだから、世界政治の御社交は他人に任せて当面は自国の再生に専念すべし。トランプが外交に疎いのはあたりまえ。何といっても不動産屋だったんだから。自覚もしている。民主党を代表とするアメリカの「リベラル」勢力はマイノリティ層を取り込み、今回の選挙では過半数の得票を得ていた。アメリカは人種、民族のサラダボールと言われている。しかし、政治となると、それらの選挙公約を実現しなければならない。外交問題においては自国民の票がからんでくるから、常に判断を誤るリスクがある。アメリカの移民たちは出身国から離れた人たちであり、本国に対する批判的な目を持っている。彼らの外交政策は常に出身国から反発を受けやすいのである。アメリカが世界に影響を行使する際の欠点である。今回トランプが内向きになることはアメリカにとってノーマルなことである。評論家たちがアメリカの民主主義や価値観をどう評価しているのかわからないが、そのためにアメリカ国民がどれだけ犠牲を払ってきたのだろうか。これまでのアメリカンドリームはもっぱら白人系、欧米系のアメリカ人が先住民として実現し、それを夢見たラテン系や黒人にその果実を与えることには消極的になる。公平な分配は政府の仕事だろうか。社会主義はかれらにとって敵である。彼らが何代もかけ築いてきたものから分配しなければならない。オバマケアに反発するのは自然なことだ。黒人や後発の移民に機会均等であるべきである。しかし、今日大学に進学する経費など最初から莫大な借金をしなければならず、ハンディがある。オバマケアは彼らエスタブリッシュメントに負担こそあれメリットは無いのだから。アメリカはそもそも人種民族、所得で分断された国家だ。トランプがこうした既得権者の代表なのである。レーガンはトリクルダウン政策で高所得者の税負担を軽減し、彼らが全体を引き上げるという策をとったが成功しなかった。しかし、ベンチャーの育成や規制の撤廃が功を奏し、アマゾンやグーグル、マイクロソフトなどが成功をおさめた。彼らの成功は全世界に影響をもたらした。

 デトロイトなどの五大湖周辺の都市の衰退はアメリカの頭痛の種である。民主党はこれにどう対応してきたのだろうか。製造業の衰退は都市を荒廃させる。都市の衰退は国家の衰退である。カルフォルニアのシリコンバレーやハリウッドは情報産業であり製造業ではない。アップルの発展やグーグルは世界に展開するが、アメリカの雇用に貢献しなくなった。カリオルニア州は全米でホームレスの数は第2位である。ロバートデ・ニーロやメリル・ストリープは独り勝ちで雇用には貢献しない。
  アメリカが世界の問題に介入し、世界の市場に影響を与えることができたのは、第一次、第二次世界大戦において圧倒的な軍事力で戦勝に貢献したからだ。ヨーロッパやソ連は何千万人もの犠牲者で立ち直るのに20年を要した。マーシャルプランで欧州経済を建て直し、冷戦を戦い抜いた。朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ、イラン、イラクと大きな国際問題において失敗を続けてきた。ドルの基軸通貨としての利を得てきたことは唯一成功かもしれない。これはアメリカのユダヤ人資本と情報力による。武器や航空機の製造、軍事技術はアメリカの誇る製造業だが、それ以外の民生品産業は自動車、電機製品、繊維、コンピュータなど、創業者利潤は得たが、今日ほとんどが国際競争力を失いつつある。今後は日本を飼い犬として活用し、イスラエルを尖兵にイスラム国家を牽制することだろう。民主党政権が失敗したことを建て直せば良い

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安部総理の昨年のアメリカ議会演説といい、TPP交渉、G20でのオバマ支援、今回のハワイ訪問と、実はアメリカにこびているだけなのだが、これは政権の安定には必須であり、我が国の国益にも叶っている。悔しいが、全くそうなのだ。それに対して、韓国の朴大統領の中国接近も慰安婦問題へのこだわり、中国の領土問題や元の固定相場制など、アメリカには頭痛の種でしかない。それに引き換え、安部総理は全くもって上手くやっている。韓国も中国も悔しくて仕方がないだろう。沖縄の辺野古移転や演習地変換 などは政府間で話が着いたことでこれも安部政権の成果である。民進党ではできなかった。沖縄の人には悪いが、誰も困らない範囲の交渉。TPPは潰れそうだが自由貿易の旗手を演じることもできた。これも最低現状維持。TPPが経済を再生させる保証ははじめから無いのだから。アベノミクスは成果なし。そもそも期待していない。

過去も、岸、佐藤、中曽根、小泉と全ての対米ごますりで成功し、日米安保、沖縄返還、貿易摩擦などを解決した。何ももたらさず、禍根を残したのは小泉だが、安部はそれよりはかなりましだ。プーチン大統領とは、横綱と三下の相撲で、弄ばれてしまったが、アメリカとは上手くやった。トランプにはIRのお土産で、今後トランプ経営のホテルとカジノが日本にできるのである。何とも分かりやすい図式だ。トランプはこれからどう出るか、難題として、軍事費と自動車輸出でなりふり構わない攻勢に出るだろう。民主党政権時代の相互理解をふみにじってくるかもしれない。その時こそ安部政権の外交力が評価されるのである。安部総理はこれまでの成果に得意満面である。お殿様外交から後世に汚点を残さない成果を祈る。来年がよい年でありますよう。

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東南アジア美術に囲まれ、東洋趣味の極地のようなインテリアのジムトンプソン邸
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上段;キャメロンハイランドの茶畑 下段;ジムトンプソンが失踪した月光荘
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ジムトンプソン失踪を推理する
1968年タイのシルク王と言われたジムトンプソンはマレーシアのキャメロンハイランド、タナラタの丘にある月光荘という別荘から忽然と姿を消した。日本ではニュースにならなかったが。彼はタイシルクのブランド化に成功し、西欧ではジムトンプソンブランドとして、ヴォーグ誌に取り上げられ、また、映画「王様と私」の衣装やデザインにも使われた。プリンストン大学を卒業後、第二次大戦中は諜報機関OSSに所属したが、この組織は戦後CIAになった。東南アジアの美術に造詣が深く、シルクビジネスの成功により大富豪になったことで有名だった。戦後もアメリカの東南アジアの情報通として諜報員との役割も続いていたと言われる。彼の失踪にはあらゆる事件を想定した大捜索が行われ、米軍も支援し、一民間人に対するものとしては異例で話題になった。それだけ彼はアメリカの重要人物であった。
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今なおジムトンプソンのビジネスはタイ経済に貢献している。彼の屋敷は美術館として観光名所になっている。
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失踪当時はアメリカのベトナム戦争が泥沼化しつつあり、マレーシアの山岳地帯、特に北部からタイ国境、ラオス、カンボジャのあたりは共産ゲリラが跋扈していた。だから、CIAとも関係のある彼は共産主義勢力のターゲットになったかもしれない。また、今日も混乱を繰り返すタイの政治家にも人脈があり、アメリカに繋がった彼の存在を邪魔と思うグループもいた。今確かなことは、ジムトンプソンは生きていないということだ。ベトナム戦争が激化する中、タイの国境では麻薬の生産が行われ、タイシルクの生産に必要な桑の栽培を農民に勧めたジム・トンプソンに麻薬組織が危機感を抱いたことも噂になっていた。彼の美術品発掘には遺跡の盗掘も絡み、裏社会の敵もいただろ。彼の失踪の推理上はアメリカのベトナム戦争も捨てがたい関係であるが、これまでに上げた誘拐動機のすべてが絡み合っていたかもしれない。謀略は幾つもの顔をもつことが多い。彼はタイの農村に出掛け桑や蚕の増産や絹糸の製造に力を注ぎ、情報通の彼がケシの栽培を知らなかったはずは無い。諜報機関にとって麻薬は資金源である。中国戦線でも児玉機関などの闇社会が仕切り、岸信介も背後にいた。その甥、安倍晋三を中国は絶対に許さない。今でも多くの人が麻薬の密売に絡んで消されているではないか。オーム真理教のナンバー2村井秀夫も消された。これはイニシエーションに覚醒剤を使ったからで、逮捕されることが明らかになった時点で口封じされた。
戦争の影には諜報やゲリラの資金源として麻薬が結びつくことは歴史の常なのである。戦争においてむしろ麻薬は積極的に使われた。モルヒネは負傷兵の鎮痛だし、かつてはヒロポンが日本軍兵士の眠気を防ぐために使われた。ドイツでは電撃戦で疲れきった兵士を限界まで使うために覚醒剤が使われた。ベトナム戦争ではヘロイン、LSD、覚醒剤が開発された。戦闘の恐怖を乗り越えることも出来る。軍は麻薬の供給源でもある。黄金の三角地帯は今尚健在である。現代も中東の紛争の裏で、アフガニスタンは大きな麻薬拠点であり、ルートである。政府側だけではなくゲリラ側も負傷者にモルヒネは必要だし武器の購入にも資金源となる。
貧しさと戦争、人の不幸と麻薬は結びついている。ネットワークには大抵、軍の輸送ルートが絡みやすい。大量の物資が輸送されるし、横流しされるものは軍需物資や武器にまで及ぶ。そんな中で、麻薬は普通の税関や港湾の検疫などの目を逃れやすいと思われる。

ジムトンプソンは散歩中に虎に食われたという説もあるが、捜索範囲からはそうした痕跡は無かった。しかし、当時は軍事と共産勢力、麻薬は必ず繋がっており、彼がそうした落とし穴に嵌ったかもしれないことは想像できる。松本清張の熱い絹という推理小説もその線で書かれており、なかなかの着眼点である。彼を始末したのは意外にも、身内かもしれない。何故なら、その後、5ヶ月後にマサチュウセッツ州にいた彼の姉も誰かに殺害され、迷宮入りになっているからである。日本の下山総裁事件もそうだが、アメリカという国の裏側には暴力が潜んでいる。ケネディの暗殺もロバートケネディの暗殺も記憶に新しいころである。タイの政敵がわざわざアメリカ在住の姉を殺害しに行くとは考えにくいからだ。CIAのルートを活用してタイシルクの大産業を築いた彼がベトナム戦争の背後にいた産軍複合体や麻薬を資金源とする別のCIA協力者の邪魔者になったことは推定できる。彼はCIAの中で成功し、結局CIAの謀略の中で人生を終えたのではないだろうか。謀略に育てられ謀略の中で死んだ。人生は連続し、栄枯の中に死の理由も存在しているのである。
『ジム・トンプソン――失踪の謎』
   1998年 ウィリアム・ウォレン著という書物も機会があれば、探して読んで見たい。


小説熱い絹に登場するスモークハウス
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1、マラッカ
26日はバスターミナルから長距離バスに乗りマラッカに向かった。11時のバスで約2時間の旅である。
到着後、ホテルプリに向かった。このホテルはマラッカの商人プラナカンの家を改造したもの。お昼はやや遅くなったが、2年前に行ったチキンボールの店に行った。広場にはベンガラ色の教会がある。マラッカのシンボルとなっているオランダ人の作った教会に入った。プロテスタントだから内部はシンプルである。今回は自転車タクシーに乗って市内を30分遊覧した。オランダ船の複製が停泊していた。
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マラッカ名物チキンボール
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暑い日だったのでこの輪タクは助かった。30分20リンギット(500円くらい)
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中国人商人のプラナカンと呼ばれる富豪の家を改装したホテル「プリ」。
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オランダ教会
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17世紀の帆船。ポルトガルの大航海時代の船
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2.ペトロツィンタワー
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クアラルンプールのシンボル的な世界で3番目に高い建物。452mある。このツインタワーは展望台に上るには登録が必要で簡単に登れない。荷物のチェックも厳しい。この所有者は石油公社のもので政府の建物。テロ対策もありエレベータも警官が運転する。気軽に行くならKLタワーだろう。しかし、景観はこちらの方が良かった。

3.キャメロンンハイランド
  築後60年のイングランド風ホテル スモークハウス
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茶畑である。イギリス人が開発したが、戦後、静岡出身の日本人の指導で飛躍的に質が向上した。その歴史はほとんど残っていない。涼しいせいかワッハブ派の黒ずくめのアラブ人の女性が多い。携帯で記念撮影しているが、誰が誰だかわかるのだろうか。奇異な感じ。
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スモークハウスは小説「熱い絹」にもしばしば登場し、小説に登場する捜査員の休憩や食事の場となった。
トランペットフラワーが咲き誇っていた。
Bohtea
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  8月31日のクアラルンプールは独立記念日で道路は規制され、渋滞がひどいということから、王さんが郊外に行こうということで、北に1時間ほどのクアラセレンゴールに出かけた。この町は海辺の港町で、イギリスの要塞があった。第二次大戦中は日本軍も駐屯した。高速を北に1時間、道は空いていた。車中、王さんが「目のマッサージ機」を貸してくれた。日本にはない機械でゴーグルをつけると目玉を圧迫して気持ちが良い。思わず寝てしまった。海辺の町には海鮮料理屋が並んでいた。まだお腹が空いていなかったので、中国風の仏教寺院を見学した。孫悟空からきているようだが、猿が祀られていた。町の中心にも猿が多い。バツーケーブの猿と違い、バッグをひったくったりはしない大人しい猿だ。ニンニクの茎のようなものをあげると美味しそうに食べる。砦の上には砲台と白く輝く灯台がある。丘の上にはトラクターに牽引されたトラムで行く。切符を買って待っている間、猿がたくさんいて寄ってくる。暑い日なのでこのトラムは助かる。砦の上には大きな大砲が海と海岸を睨んでいるが、この大砲で海岸を通る船を狙ったのだろうか。昼食はカニ料理が美味という海鮮料理屋「新海濱海鮮楼」に行く。空芯菜の炒め物と、海老の蒸し物、カニのお粥、焼きそば、サメ肉の揚げ物をいただいた。いずれも美味。この国の料理はあまり器にはこだわらない。洗面器のようなプラスチックの入れ物に。やはりプラスチックのお皿である。しかし、カニの味の沁みたお粥と焼きそばは実にうまく、体裁を超えている。
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ムラワティの丘の上にある灯台。 この丘は、かつてスルタンの王宮があったり、オランダ〜イギリス軍の砦があったところ。トラムで登っていくと楽
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町と丘をめぐるトラム
こんな大砲で一体何発撃てば当るんだろうか。
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猿が放し飼いだが、ここの猿は大人しい
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海辺の町クアラセレンゴールは夜の蛍ツアーで有名
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孫悟空を祀った中国風の寺院
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8月29日KLのミッドバレーを9時30分に出発し、セントラルバスセンター10時45分のバスで、キャメロンハイランドに向かう。高速から一般道に入ると山道となりぐんぐん高度が上がっていく。2時頃標高1600m程の高原町タナラタのバスステーションに着く。現地で生活している「剣士」大手さんご夫妻が迎えに来てくれた。商店街がメインストリートから1段高いところに歩道と土産物店、飲食店が連なり、その前にアーケードのように屋根付きの歩道がある。歩行通路沿いに椅子やテーブルが並んでいる。

タナラタの街並み
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大手さんはこの地に静岡からやってきて8年にもなるという。昼食後、横手さんのお宅を訪問した。ヘリテージホテルのあるエリアの一角でタナラタの中心から徒歩10分の好立地。グリーンハウスというコンドミニアムである。途中でドリアンを買って家で食べることになった。小高い丘の上にホテルと賃貸住宅が並んでおり、その一角にお住まいであった。緑に囲まれ景色もよい。当地にはキャメロン会という日本人会があって日本人のロングスティをサポートしてくれるが、大手さんは会員になっていないという。多分、この会は高齢者の集団で、まるで老人ホームにいるようなもので、当初60代のご夫婦だと入るのには躊躇されたろう。
 ドリアンを食べたが、とにかく臭いがすごい。都市ガスについた匂いを思い出す。しかし、硬く棘のある殻の中にはねっとりと、甘い果肉が種を包んでいる。これを食べたあとは絶対に酒を飲まないでくださいと大手さんは助言してくださった。相性が悪い人がいてお腹の中が大変なことになるらしい。
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大手さんはご自分で木刀を製作され、素振りの稽古をされるそうである。ロングスティ8年目になるご夫妻から、キャメロンハイランドでの生活の気に入った部分やご苦労など、お話を伺うことができた。マレーシア生活の様々な側面を率直に話され、とても参考になった。テレビなどで見る良いことづくめの話とは若干違う。何事も生活の拠点を変えるのは大変なことだというのが実感である。
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ホテルのスモークハウスまではバスターミナルから車で5分ほどだが、山道を登るので歩けば40分はかかるだろう。スモークハウスは英国のカントリーハウス風の西洋館で、美しいイングリッシュガーデンがある。トロピカルな花と観葉植物が珍しい。夕方大手さんご夫妻が車で迎えに来てくれた。
夕食はご夫妻と共にした。ご夫妻の住まいのお隣さんが経営している鍋料理スチームボートのレストラン、鍋料理で、スープが絶品。前日も夕食は鍋だったが、中味は違う。体調も良くなったせいか、こちらの方が美味い。茶畑が見える。この茶畑は年中刈り取ることができる。
BOCH teaというお茶で有名。
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翌日に行ったのが月光荘、管理人が立ち入禁止といってきたが、写真は撮らせてくれた。
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翌日シルク王ジムトンプソンが失踪した現場。月光荘はタクシーで10分ほどだが山の上にある。松本清張がその失踪事件にヒントを得て「熱い絹」という長編推理小説を書いている。CIAのスタッフでもあった彼が失踪した事件は日本ではあまり知られていないが、現地とアメリカでは大騒動になった事件だそうである。あらゆるケースを想定し、捜索したが結局不明に終わった。散歩中虎に喰われたという説もある。この地にはマレー虎が生息している。最近も女性が行方不明になったそうである。トレッキングで人気の場所、自然の宝庫だが、危険もあるのだ。特に危ないのが道路に散見される野犬である。狂犬病のウイルスを持っているものがあり、日本人の長期滞在者が噛まれたそうで、急いでワクチンのある日本に帰国してしまった。狂犬病は潜伏期間が長い。半年後に発病することもあるらしい。発症したら最後、死亡率は100%とのこと。
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さらに、ここにはキングコブラやグリーンスネークのような毒蛇も多い。アマガサヘビ、サンゴ蛇などマレーシアは毒蛇の楽園か。コブラは基本的には蛇を捕食するようで、人間には威嚇することにとどまるようだ。結局皆びっくりして逃げてしまうのでコブラよりはグリーンスネークの小さなやつが家に入ってくる時が危ないそうだ。連中は夜行性で滅多にお目にかかれないが、ジャングルは別とのこと。熱帯には危険が満ち溢れている。泥棒も金持ちと思われている日本人を狙ってくる。タクシーも日本人とみれば吹っかけてくるから油断は禁物。国内生活には無い苦労がある。
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キャメロンハイランドのジャングル。ジムトンプソンもこの森に消えた。熱帯の巨木の上に美しい赤い花が咲き、霧がわく光景は素晴らしい。この森にはオランアスリーという原住民が保護されて暮らしている。彼らは土産物の籠とか、吹き矢、山の果物、タケノコを露店で売っている。特にジャックフルーツが多い。巨大なえんどう豆のようなものも売っているが匂いが強烈だそうだ。彼らは精霊信仰で木彫の仮面が面白いが、非常にシンプルなデザインで珍しとみえ、10万円以上するので出が出なかった。収集家がいるらしい。高原なので雨が多い。傘は突然の雨と野犬対策で必須とのこと。
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渓谷にはところどころ陽が当たっている。それは熱帯森林特有の高い樹の先についた天蓋のような葉の繁茂がきれるところからだった。多少の伐採が樹と樹の天蓋の接続を断ち切れらせているのだ。高度が上がるにつれて、樹林の様相も変わってきた。全てが棒のように高く直立した樹林と、その幹を部分的にしか露出させていない大波のような葉のうねりであった。椰子のような掌状葉から広潤葉にいたるまで、およそ何千何百種もの植物が精力的に自生しているように思われる。林の根方も下草の縺れた繁茂に深く埋められていた。その昏い奥にも、樹上にも、どんな動物がひそんでいるか分からなかった。シダも、日本で見るような地を這うような矮小なものではなく、並木のように亭々と高くそびえていて、その先に葉を傘状に四方へ広げていた。すでにシダの感じはしなかった。
(松本清張 熱い絹262pから)

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2年ぶりのクアラルンプールだが、久しぶりに御目にかかったものがある。この国で1日何度かお世話になるトイレである。ホテルのトイレは清潔だし、洋式なのだが、駅や飲食店となるとそうはいかない。郷に入れば郷に従わざるを得ない。先ずは日本式のウオッシュレットは日本人クラブにしかないだろう。御当地では、すべて水洗であるが、柄杓かホース状のもので手を使って洗うのが原則なのである。
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もう一つ奇異なのが、しゃがみこみ方式でドアに向かって用を足す。逆だと微妙に位置が変わり、水流の関係か、全く流れないことがあるから要注意。そして、紙がないことも多い。救いは、流し損なった山盛りとか、飛び散って便器が汚いようなものは少ない。日本の昔のボッチャン式とか、山小屋のトイレよりはましである。ホテルでも、紙のロールは付いているが、背中側の壁につている。だから、最初に紙を取って用を足す。紙は最初に用意するものである。頭にくるのが、駅などの公衆トイレが有料で、大抵インド人の爺さんなどが2~30セン:日本円で7~10円ほどの金を取る。ところが、そのトイレが汚いのだ。茶色の水があふれて、ケツ洗い用のホースが中に放り込まれている。何でこれが有料なのか全く理解できない。一方ホテルの水洗も、水の勢いがコントロールできないのがあって、猛烈な勢いで出てくるから、痛いのだ。うっかりすると、はみ出した水がパンツを水浸しにすることがあるのも要注意。水量の調節ができるものもある。ただのホースでシャワーになっていないものもある。一般のトイレは基本的には昔の日本式のかがみこみ型である。感心するのが、イスラム寺院のトイレで、ホース洗浄型と、柄杓型と2通りあって、清潔感があった。次が中国寺院のトイレ、最悪がインド人の多いところの有料トイレだった。ドア側に向かって用をたすのに慣れた頃帰国となり、我が家のトイレでホッとした次第。

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