カテゴリ:国際政治( 210 )

1.国際情勢

12月の安部総理・プーチン大統領会談は北方領土問題を経済協力にすり替えられ、主権の問題も双方が譲らず、島内における両国の活動原則となる新しい法制度とは一体なにか、訳のわからないまま終わった。外交だから先方が折れればこちらも折れなければ何も進まない。そもそも、ロシアの領土問題はクリミアとウクライナ紛争が最優先事項である。クリミア半島の編入をしているロシアがそれに比べれば世界から忘れられた北方領土を返還することなどはあり得ない。明らかなドイツの東プロイセン、ケーニヒスベルグ等は占領後戦利品としてヤルタ会談で戦後処理上併合してしまった。軍事的支配と領土とが一体の社会がロシアだ。人もいない尖閣や岩礁のような竹島の領土主張も心もとない我が国が交渉で可能かだが、彼らが軍事基地やミサイルも置く実行支配下の領土を手離すわけがない。右翼連中は日露戦争でもしたいのだろう。ただ、プーチン大統領は東シベリアの開発にはとても熱心だということが分かる。このままでは北方領土問題と経済が不可分とされ、ロシアへの日本の重要な経済問題が領土と絡み暗礁に乗ってしまう。今後10年は動かない。

2.経済価値は政治の下か

千島はロシアにとって将来の北極航路の基地となりうる重要な領土である。その点は日本も同じだ。東シベリアのガス田は日本のエネルギー源として大切である。シベリアは製造業にはロシアの消費地に遠すぎ、輸送コストの点で不利。しかし、石油や天然ガスは日本と韓国という顧客が期待できる資源であり、資源大国の未来を左右する。日本にとって、裏日本はロシアと北朝鮮の国交次第で発展を左右される。国後択捉ならまだしも、歯舞色丹ではあまりにも経済価値がない。東北北陸の活性化には、日ロ平和条約の締結が期待される。

3.歴史的な大転換

ロシアとの国交は幕末以来の大転換点てある。明治維新後の関係は日露戦争で急速に悪化し、ロシア革命から日本はシベリア出兵という関係を経て、ソビエト連邦という体制では我が国とは良好な関係を築くことが難しかった。ロシアも、東西冷戦を経て20世紀の大きな転換点から今は安定した国家体制になり、広大な国土を1億4千万人の人口で支えねばならない。返還要求は続けるべきだと思うが、日本は国後択捉のような些末な領土を主張して経済活動の機会を失うことは大局的ではない。領土問題を経済に優先させる外務省の面子や一部の右翼の資金稼ぎのためにロシアとの経済協力が犠牲になっているような気がしてならない。

4.ロードマップを

政治解決だけで領土問題が解決できるとは到底思えない。経済活動や文化交流、さらには平和条約を締結して初めて話し合いができるのではないか。プーチン自身も経済を領土問題の取引材料にはしないといっている。今のままではお互いの主張を言い張るだけで終わってしまう。経済を先に持ち出すと、政治解決を所管している外務省は面白くないのだろう。会談の成果は無いような報道情報を流しているに違いない。そもそも、国後択捉で経済活動って何か?道路舗装、土木工事とか鮭やカニの缶詰め工場ろうか。観光くらいだろうが、沖縄のようにはいかない。北海道の経済すら沈滞しているのに島で一体何ができるのだろうか。裏日本の諸都市、新潟や秋田とウラジオストックの航空路線やガス田開発を進めてもらいたいものだ。今回の安倍首相のプーチンに対する主張やアプローチはそもそも成果を求めることが難しいので悪くないと思っている。日露関係のロードマップを描く契機である。

<参考1:北海道の経済成長率>
道内の経済は、平成 21 年度の経済成長率(名目)が 9 年連続でマイナスとなるなど、長引く景気低迷
から脱することができない状態にある中、東日本大震災により、水産業被害や観光客の減少、道産食品等に対する海外での輸入規制の強化などの影響を受け、厳しい経済状況が続いている。

<参考2:北海道の生産額>
北海道の総生産額は平成17年度から4年連続で減少しており、平成15年度の 19 兆 8,000 億円
から平成 20 年度には 18 兆 4,000 億円にまで落ち込んでいる。北海道の総生産額にみる経済状況は
厳しいと言える。一方で、産業別の産出額を見ると、全国に占める北海道のシェアは一次産業の農業、林業及び漁業でいずれも10%を超え、他都道府県との比較でも農業と水産業は1位、林業も2位となっている。
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宗教と地政学から読むロシア下斗米伸夫著:日本経済新聞出版社
プーチン大統領の政策の背景 (書評)

  やたら、馴染みのない人名が出てくるので往生したが、それだけ日本人はロシアのことを知らない。社会主義ソ連はスターリンの恐怖政治のことや、マルクス、レーニン主義の難解な理屈しかしらない。満州進攻とシベリア抑留、日露戦争もあったがロシア人については理解不能だ。トルストイやドストエフスキー、オリンピックのバレー、体操競技では親しみがある。北方領土問題では理不尽な態度を和らげない国。
下斗米氏はウクライナ危機の深層を現代ロシアと宗教との関係、国際秩序の変容を文明論、歴史的視点から解き明かしている。特にプーチン大統領の政策の根本は何か、ロシアについて予備知識の乏しい我々には目から鱗である。30年戦争からフランス革命にかけ、ヨーロッパは宗教と政治を分離した。現代の国際関係の基礎となっているウェストファリア体制では宗教的要素を棚上げにして、世界秩序を「主権国家」が織りなすパワー・ゲームとして構想した。共産主義と自由主義の対立を軸にした冷戦もまた、ウェストファリア体制の継続であった。しかし、冷戦の終焉を契機に、イデオロギーに変わる新たな政治の基軸として宗教の役割が見直された。ロシアのクリミヤ編入は西欧とロシアの分離さらにウクライナ自体の東西分裂という構造的問題が次第に明らかになるとともに、世界政治の焦点は、中東危機、IS(イスラム国)問題や難民問題の背景にある宗教に移ってきた。千年にわたる歴史的・宗教的経緯を抜きに、つまり文明論的・宗教的アプローチ抜きに、今のロシアのアイデンティティ、あるいはロシアとウクライナとの特殊な関係は理解できない。
このことを下斗米氏は詳細に説明してくれる。そして、理解するカギとなるのが「モスクワは第三のローマ」という世界観。もともと、17世紀半ば、正教とカトリックとの和解という当時の国際的な潮流に乗ってカトリック的要素を取り入れ儀式改革を進めようとした「ニーコン改革」に反発し、モスクワを聖なる都=「第三のローマ」と信じた「古儀式派」といわれる伝統重視の保守派が唱えたもの。「古儀式派」とこの改革をめぐる分裂は、これまでのロシア論では無視されてきたが、21世紀に入りウクライナ危機により注目されるようになった。なぜなら、この宗教改革をめぐる対立問題が、単に宗教上の争いにとどまらず、ロシアとウクライナ、つまりモスクワとキエフとの関係、そしてウクライナ危機やロシアのアイデンティティというきわめて現代的な問題の源流となるものでもある。さらに、2017年に100年目を迎えるロシア革命の解明にも、ソ連崩壊の理解にもつながる重要な要素であった。ソビエトというのは古儀式派のコミュニテーがモデルであった。この宗派の宗教生活やコミュニティがいかなるものかの説明はほとんどなかったので、自分で調べてみた。これはまさに、西欧のプロテスタントに相当する人々であった。最近バレンタインデーで日本では2月14日にチョコレートを買うが、その元祖、モロゾフもこの古儀式派の流れをくんだ亡命ロシア人であった。ベリコルーシー、マロルーシ、分離派である古儀式派、カトリックに近いユニエイトグループなどがウクライナには入り組み、ウクライナ人も東西に分かれている。ただでさえ複雑な政治にさらに宗教が入り混乱する。プーチンのロシアはどこへ行くのか。文明論的・宗教的アプローチで、政治と宗教とが「交響」する、ウクライナ危機、現代ロシア政治の深層を解き明かす。ロシアにとって中東との関わりは深く、アメリカの比ではない。オスマントルコとの戦い、イスラエルの建国にも関わってきた。オバマのアメリカが中途半端に取り組んだシリア、さらにはイスラエルとの関係、以前のイラク政策の失敗を彼はじっと見続けてきた。昨年のプーチン大統領訪日時に記者会見でロシアの記者がクリミア問題をあえて質問したのは北方領土にこだわる日本に、ロシアにとって重要な関心事はこちらにあり、北方問題の解決はほど遠いことを知らせるサインだったといえる。この本でもウクライナ問題の複雑さは宗教と歴史が入り組み、政治にも影響していることは分かるが、パワーポリテックスの世界はそれでは語りきれないことも分かる。これからの世界で当面プーチン大統領の存在は嫌がおうにも増すことだろう。東シベリアの開発、北極航路の開拓こそロシアの発展を方向付ける。ここに日本の国益がある。しかし、下斗米氏はロシア正教の古儀式派を今のロシアを規定するには今一つ決め手に欠ける。多くのロシアのリーダーが関係していたが、その信仰的なな内実は不明なのである。

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 「トランプ米大統領による中東・アフリカ7カ国からの一時入国禁止や難民受け入れ停止をした大統領令の是非に関し、ロイター通信が全米50州で実施した世論調査で49%の人が賛成し、反対の41%を上回っていることが分かった。」ニュースは反トランプのデモや利害の反する人々、日本ではグローバルな情報産業の経営者などが困惑の発言を報道している。今彼が取り組んでいるのは、新しい彼に協力するスタッフ構築で、選挙の公約は速やかに実行する中で、政府内の敵味方を選り分けている。難色を示した輩は「FIRED]なのだ。 トランプの大統領令についてマスコミはトランプの独善と無知をあげつらうが、感情的な反発が多い。事情を知らないか思惑のある各国首脳の意見など何の意味も持たない。今日、木村太郎が言っていたが、その背景を見なければトランプは単なる馬鹿者である。逆にとんでもない策士だということだ。アメリカの民主主義において、公約の実現は厳しく投票者から評価される。むしろ、投票者からは良くやっているという行動だろうと言っていた。彼は利口な人物で、公約したことは、ただちに実行し、後からでてくる問題に備え、公約実行の結果から来る反発も含め乗り越えていく決断をしてると思う。しかし、選挙のとき、過半数は反トランプだから、今後は議会運営や、弾劾に向けての運動を抑える景気対策ができるかだ。結果は分からないが、アメリカにとっては、クリントンでは出来ないことをやっている。彼を正面から説得したり、近寄らない方が良いかもしれない。安倍さんは慎重に真意を聞き出してもらいたい。国防については、明らかに新たに任命された国防長官はトランプと違うことを言っている。トランプの大統領令に反発するのは<①「所謂リベラル派マスコミ」、②「既成の『ワシントンDC的』政治家」、③「旧発想から抜けられない失敗しつつある旧世界の国家指導者」たち、④おもに①に洗脳され、お仲間のSNSに触発された「多様な(!)世界市民」の皆さん。であることを念頭に今後の動向を見つめたほうがよいであろう。

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モロゾフ夫人の逮捕(モスクワのトレチヤコフ美術館の名画「モロゾワ夫人」)


 チョコレートの季節がやってきた。2月14日のバレンタインデーにチョコレートを贈るという習慣はどう日本に定着したのか。チョコレート業界の販売促進策にに消費者が乗ってしまったのだろうか。土用丑の日の鰻も日本古来の習慣ではないが、現代社会にも定着している。義理チョコなる言葉もあるが、多分日本社会においては、愛とか女性が男性にプロポーズするなどという男女の関係性はなじまず、むしろ義理とか人情の方が好まれるのだろう。チョコレートをギフトにするというのはイギリスのキャドバリーという会社が最初で、きれいな箱に上品に収まったチョコレートで板チョコだったと思うがバレンタインのギフトを始めた。しかし、欧米ではバレンタインデーはカードを贈る日であってプレゼントをするのは日本独自の習慣になっている。バレンタインチョコレートの元祖はモロゾフといわれている。今のモロゾフは一部上場企業で商標名、企業名はモロゾフだが創業者のモロゾフがオーナーではない。
モロゾフ氏は気の毒なことに創業時の共同出資者と裁判になり、和解の結果企業名と商標名モロゾフを剥奪された。しかし、彼の長男がコスモポリタン製菓という会社を再度立ち上げ、2006年まで経営していたが、今は廃業した。ロシア革命から家族で難民になった壮絶な歴史を持つが、モロゾフチョコレートの起源である事には変わりはない。共同事業者葛野友槌は京大を出て材木商になった人物で学生時代共産党シンパであった。共産党の野坂参三は弟で妻竜は葛野家から来た。今のモロゾフに発展した葛野友太郎はモロゾフを葛野に紹介した福田の娘と結婚した。モロゾフは難民であり、日本語も不自由だった弱みを衝かれていたのである。モロゾフの名前とチョコレート事業は最初から葛野に狙われ、難民であることを利用された。和解の条件も彼をソビエト政府に通告し、承諾しないと本国に送り返すぞということで恫喝したものだった。共産党の重鎮だった野坂参三は共同事業者の親戚であり、どこまでかかわったかはわからないが、ソ連のスパイであり、ソ連との関係にモロゾフは驚愕したに違いない。モロゾフは気の毒であり、葛野も野坂もひどい男である。ただ、当時の国情から、満州事変など、日本に来た亡命外国人には社会の目は厳しかった。
モロゾフのチョコレート
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新潟市マツヤのロシアチョコレート
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 バレンタインデーにチョコレートという組み合わせは神戸のモロゾフ洋菓子店が1936年に始めたのである。さらに、モロゾフにいた職人の原さんが1949年にメリーチョコレートを始めた。1958年に新宿伊勢丹で原さんの次男がバレンタインデーフェアを行った。これを機に伊勢丹や不二家が1970年代にバレンタインチョコというキャンペーンを始め全国的に盛り上がり、日本ではこの日1日で1年間の10~13%を売り上げてしまうほどになっている。メリーチョコレートも会社はリーマンショックで破たんし、今はロッテ傘下。

最初のバレンタインチョコレートの広告
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 このモロゾフという名前は帝政ロシア時代の大富豪モロゾフ家に由来する。多くの皇帝派のロシア人が革命を逃れて日本にきた。彼もシアトルに渡ったあと神戸でロシア菓子を売って生計を立てたのが始まりである。ロシア人というのはチョコレートが大好な国民である。新潟に、いまもロシアチョコレートの店マツヤというのがある。モロゾフ家はロシア正教の一派、古儀式派の信者であった。この古儀式派はロシア正教のニーコン改革という国家権力と結合した改革に反発し、キリスト教の原点に戻ろうとする運動であったが、ロシア革命の直前まで弾圧され、ニコライ二世が承認するまで苦難の歴史が続いた。ところが、ソビエト政権になってからの宗教弾圧で悲惨な銃殺処刑や流刑の対象になり、シベリアや満州、中国黒竜江省周辺まで逃げ、さらには日本に白系ロシア人と言われ逃亡を続けてきたのであった。モロゾフ氏は古儀式派と思われる。

この古儀式派は今もロシアとその周辺ラトビア、ポーランドなどに200万人いるといわれている。モロゾフ家は分離派(ラスコリ二キ:ドストエフスキーの罪と罰の主人公の名前はこれから取った)ともいわれる古儀式派の貴族がルーツである。ピョートル大帝の父の時代に最も権力のあった貴族だが、分離派として弾圧された。ニーコン改革でロシア正教は分裂し、教会を皇帝の上に位置付ける体制は逆転し、ロシア絶対王政のきっかけとなった。1671年フェオドシアモロゾワ夫人は逮捕され、ピョートル大帝の迫害の象徴となった。分離派の人々はキリスト教徒としての厳しい生活様式をかたくなに守り、禁酒、銀行から借金をせず、蓄財と勤勉を守る人々で、そうした生活を続けたことから、大富豪や富農になるものが多かった。ロシア革命のときにはまさに攻撃の対象になった。実は今の大統領プーチンもこの古儀式派の家系であり、祖父はモロゾフ家の屋敷に住んでいたレーニンのコックをしていた。レーニンは革命によってこのモロゾフ家のモスクワの屋敷を摂取し晩年はテロを恐れ、そこで暮らしたのであった。ロシア革命の弾圧の対象となった古儀式派の人々は離散し、ソビエト崩壊まで政府の圧迫を受けてきたが、実はロシア革命の支援者であり、中心的な人々を多く生んできた。スターリン時代の外相モロトフなどが代表的だ。ソビエトというのも古儀式派の共同体をコピーした仕組みであり、ヨーロッパ民主主義がプロテスタント教会をプロトタイプにしたのと似ている。古儀式派の人々は多くの優秀な人材を生み、ソビエトのコルホーズなどでも、好成績を収めていたという。モロゾフチョコレートの元祖がモロゾフ家の末裔だとすれば数奇な運命を経て、その一族が日本で生き延びていたのであった。もちろん、日本のバレンタインデーにおいてそんな歴史をかみしめてチョコレートを味わう御仁は自分ぐらいだと思うのだが。

大貴族モロゾフ家は、古儀式派の牙城であったばかりか、当主のボリス・モロゾフ(1590~1661)は、アレクセイ帝の義兄で、かつてはその教育係を務め、実権を握っていた。5万5千人の農奴を所有する大地主でもあった。61年にそのボリスが死に、67年にニコンが罷免されると、アレクセイ帝は、古儀式派の精神的支柱であったモロゾワ夫人(ボリスの弟グレープの夫人)の逮捕に踏み切る。

モスクワのトレチヤコフ美術館でひときわ目立つ名画「モロゾワ夫人」はまさに彼女が逮捕され、信者に見送られながら橇で連行されていくさまを描いたものだ(ワシーリー・スーリコフ作)。彼女はその妹とともに改宗を迫られたが拒否し、土牢で餓死させられた。絵の中で右手を挙げているが、これはニーコン改革で十字を3本の指できるよう強制されることに対する反対の意味で旧来の2本の指を掲げているのである。

近代にはモロゾフ家の家系は、1820年にサッバ・ モロゾフと4人の息子たちが、農奴の身分を1万7000ルーブルで買い戻して自由人になったことから始まる。 彼らが創設した綿紡績工場は、19世紀後半には大工場に成長した。
 モロゾフ家は、20世紀初頭には5万4000人もの労働者を抱え、 その生産額は当時の1億ルーブルをはるかに超す資産家となった。初代のサッバ・モロゾフ、息子のアブラハム、エリセイ、ザハール、 チモフェイ、そのまた息子たちは、ともに事業家でありながら芸術家のパトロンとなり、経済援助を惜しまなかった。
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モスクワのモロゾフ邸
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 ウクライナにはコサックが部族社会のように軍団とロシア正教が一体になった社会が存在した。1649年ポーランドリトアニアと対立していたフメリニツキー率いるコサックがペレヤスラブ協定をロシアと結び、コサックの領土を安堵し、ロシアと同盟を結んだことが、カトリックのポーランドに対する大勢力となり、第二次世界大戦まで、ロシアと対立する原因となった。また、ロシアにとってもロシア帝国を確立した記念すべき協定であった。このフメリニツキもペレスラブ協定もわれわれ日本人は全く習ったことがない。ポーランドはリトアニアとタンネンベルグの戦いでドイツ騎士団に勝利し、大帝国であったのだが、これを機に衰退の一途をたどるのである。
 クリミアもタタールが長く支配し、タタールとの戦いを克服したロシアが勝ち取ったところであり、このセバストポールハクリミア戦争から第二次世界大戦でも多くのロシア人の血が流されたところである。セバストポールは黒海艦隊の本拠地であり、ウクライナの行政化にあってもロシア艦隊の重要な寄港地である。この地をプーチンは住民投票でロシアに編入したことがNATO諸国、特にドイツとアメリカがロシア制裁の急先鋒となりヨーロッパとの関係が悪くなった。しかし、クリミアはウクライナ同様ロシアが歴史的にアイデンティティのためにも大切にしたところで、それがアメリカの策謀によって、グルジアもそうだがアメリカの策謀によってNATOに組み込まれるというのはあまりにも耐えがたいことであり、それが今のロシアの領土感覚である。そのために、12月のプーチン、安部共同記者会見ではロシア側の新聞記者の唐突な質問となったのである。

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 冷戦時、我々はロシアというより、ソビエト連邦として、共産主義国家の代表として、マルクスレーニン主義を学べばわかったような気になっていた。しかし、ロシアというのはロシア人自身もなかなか定義しにくい複雑な構造を持っているようだ。広大な国土、多様な人種、民族、言語、宗教が混在し、国民国家として統治することが難しい構造だ。しかし、今や、プーチンの支持率は85%を超え、今後混迷が予想されるEUやトランプ政権のアメリカよりはむしろ安定した国家ではないか。これをまとめたプーチンはかつてのツアー体制を作ったイワン雷帝やピョートル大帝に匹敵する指導者かもしれない。レーニンやスターリンは国民に人類史上まれな大悲劇をもたらしたリーダー。にもかかわらず二人は歴史的功績も認められている。同様に彼がチェチェン紛争を弾圧し平定したこと、さらに、クリミアを奪還したことは大きな支持につながっており、日本の北方領土に付け入るすきを見せないのは歴史的な経緯があることを日本のマスコミは報道しない。今の時点で北方領土の話が全くできる状態ではないことを安倍総理は分かっているのだろう。プーチンの日本での記者会見でロシアの記者が、ウクライナ問題について質問したことは、ロシアの事情を日本社会に知ってもらいたいというロシア人の願いが込められていたのだ。ロシアを理解するにはキリスト教との関係を先は頭に入れねばならない。
「古儀式派の人々と教会」
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ロシアは共産主義政権時代の唯物主義無神論の経験があるが、実はこの中にもキリスト教の影響は大きく残っており、ロシアの無神論者は今や純粋なキリスト教徒になっているという。歴史的に見て、ロシアの基督教はイスラムのコンスタンチノーブル支配で1453年によって東方教会が崩壊し、その後キエフでキリスト教に改宗した時代からロシア正教として東方教会を引き継いだのである。東方教会は第二のローマであるコンスタンチノーブル、エジプトのアレクサンドリア、シリアのアンティオキア、エルサレムに主教を置いており、988年にキエフのウラジミール大公が改宗したことでロシアに広まった。その後、モンゴルに席巻されたりしたが、イワン三世(1462年~1505年)がモスクワの大公として全ロシアを支配する位置を得たときにモスクワに東方正教は中心を移し、ロシア正教となった。それまで、聖書がギリシャ語で書かれ、守ってきたギリシャ正教が東方教会では中心的な地位を占めていたが、オスマン帝国に支配されてからはロシア正教によって国家と宗教が合体した。そのころ、ヨーロッパでは宗教改革が行われ、プロテスタントが生まれたが、ロシアではこれは無かった。このロシア正教も地域的にも幾つかの派がある。ロシア正教としてニーコン総主教が改革をしたときに反発があり、ロシアでも古代回帰の運動が起きた。プロテスタントもそうだが、キリスト教の改革というのは全く新しいものを作るというより、むしろ原始キリスト教のような創設期の過去に回帰しようという形で行われる。ニーコンの改革に反発し、古代キリスト教に戻ろうというグループが古儀式派と言われ、彼らの改革運動は19世紀まで国家から弾圧された。ロシアというのは3つのルーシーからなり、それぞれが宗教と政治を一体のものとした。ベリコルーシー、ベラルーシー、マロルーシーである。キエフルーシーの末裔としてマロルーシーがあり、コサックが中心であった。ロシアにとって重要なのは、カトリックポーランドと抗争していたフメリニツキーとペレアスラブ協定が1654年に成立し、ロシア帝国の基礎が作られた。その後、300年目にクリミアをウクライナ共和国にフルシチョフが譲渡し、今日のウクライナ紛争の種が植えられたのである。ロシア人がコサックの反乱の物語として隊長ブーリバ、タラスブーリバの物語をゴーゴリが書いたことを記念し、一大スペクタクル映画をその没後100年に制作したことも関係している。
 古儀式派というのはヨーロッパのプロテスタントに相当し、長い間、弾圧を受けてきた。その古儀式派は正式な教会としては認められなかったがゆえに、地下にもぐり、ロシア革命のソビエトの基礎となったと下斗米伸夫氏は「宗教地政学から読むロシア」という著作で述べている。この古儀式派がどのようなサクラメントを行っているかは自分は知らない。しかし、今も、この古儀式派信者は1924年時点で3500万人いたといわれている。唯物論無神論の共産党政権下、こうしたロシア正教の信徒はロシア民衆に根付き、独ソ戦においてもスターリンは彼らを弾圧することはできず、軍事的には利用したのである。ドイツ軍のモスクワ包囲を解放したシベリア師団はシベリア開拓に追われた古儀式派が主力だった。ソビエト崩壊ごロシアでのキリスト教が急速に復権したのだが、信仰は全く失われず、連綿と引き継がれ、プーチンなど現政権においても多くがキリスト教徒なのである。こうした現実は日本のマスコミは全く触れず、朝日新聞を中心に親ソ派が無神論ソビエトを報道し続けたのである。政治と宗教が一体となっていることは今回トランプの大統領就任いても教会で礼拝し、式典で聖書の上に手を置いて宣誓した姿が見られる。キリスト教がどれだけ政治と一体となっているかを日本のマスコミは報道しない。ウクライナやクリミアはロシアにとっての歴史的生命線、これらにNATOが食い込んできたことは約束違反でもあり、耐えられない国民感情といえるのだ。
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 トランプ大統領がアメリカに誕生した。1年前には想像もつかなかった現実にマスコミは右往左往している。テレビの評論家が居並び、アメリカのメディアのお追唱をのたまう醜い日本のマスコミの姿にはがっかりだ。今の日本にとってトランプはマイナスの作用ばかりが目につくが、同盟国であるアメリカの再生は結果的には日本にも良いことではないか。だから、日本にとってのトランプではなく、もう少しアメリカにおけるトランプの役割をマスコミは指摘してもらいたい。
最近はアメリカの真の改革者はトランプに思える。黒人のオバマが大統領になって8年間も全うできたのは大したことだが、国内の多数派を実は満足させることは出来ない。女性大統領も良かったかもしれないが、ヒラリーだったことが失敗のもと。ヒラリーは超優秀だが、アメリカの市民感覚とかけ離れてしまった。民主党にはまともな女性がいないのだろう。トランプの周りにはイワンカもそうだが、優秀な女がゾロゾロいる。アメリカで本当に優れた人は、軍人や金融業にいる。ハーバードやエールといった学歴時代は終わった。彼らは発言はご立派だが、実は無能かもしれない。ロシアもKGBが頭脳集団だ。しかし、未知数なのは、議会運営だろう。トランプの真価が分かるのはこれからで、安倍さんがアメリカに対しては結構覚めた見方をしているのは心強い。メルケルも難民対応でミソをつけている。これからの世界は中国とロシアが軸だろう。そこに安部さんが上手く立ち回ることができるかだ。トランプはあまりにもドメスティックなオッさんだからなあ!国内がゴタついているのだから、世界政治の御社交は他人に任せて当面は自国の再生に専念すべし。トランプが外交に疎いのはあたりまえ。何といっても不動産屋だったんだから。自覚もしている。民主党を代表とするアメリカの「リベラル」勢力はマイノリティ層を取り込み、今回の選挙では過半数の得票を得ていた。アメリカは人種、民族のサラダボールと言われている。しかし、政治となると、それらの選挙公約を実現しなければならない。外交問題においては自国民の票がからんでくるから、常に判断を誤るリスクがある。アメリカの移民たちは出身国から離れた人たちであり、本国に対する批判的な目を持っている。彼らの外交政策は常に出身国から反発を受けやすいのである。アメリカが世界に影響を行使する際の欠点である。今回トランプが内向きになることはアメリカにとってノーマルなことである。評論家たちがアメリカの民主主義や価値観をどう評価しているのかわからないが、そのためにアメリカ国民がどれだけ犠牲を払ってきたのだろうか。これまでのアメリカンドリームはもっぱら白人系、欧米系のアメリカ人が先住民として実現し、それを夢見たラテン系や黒人にその果実を与えることには消極的になる。公平な分配は政府の仕事だろうか。社会主義はかれらにとって敵である。彼らが何代もかけ築いてきたものから分配しなければならない。オバマケアに反発するのは自然なことだ。黒人や後発の移民に機会均等であるべきである。しかし、今日大学に進学する経費など最初から莫大な借金をしなければならず、ハンディがある。オバマケアは彼らエスタブリッシュメントに負担こそあれメリットは無いのだから。アメリカはそもそも人種民族、所得で分断された国家だ。トランプがこうした既得権者の代表なのである。レーガンはトリクルダウン政策で高所得者の税負担を軽減し、彼らが全体を引き上げるという策をとったが成功しなかった。しかし、ベンチャーの育成や規制の撤廃が功を奏し、アマゾンやグーグル、マイクロソフトなどが成功をおさめた。彼らの成功は全世界に影響をもたらした。

 デトロイトなどの五大湖周辺の都市の衰退はアメリカの頭痛の種である。民主党はこれにどう対応してきたのだろうか。製造業の衰退は都市を荒廃させる。都市の衰退は国家の衰退である。カルフォルニアのシリコンバレーやハリウッドは情報産業であり製造業ではない。アップルの発展やグーグルは世界に展開するが、アメリカの雇用に貢献しなくなった。カリオルニア州は全米でホームレスの数は第2位である。ロバートデ・ニーロやメリル・ストリープは独り勝ちで雇用には貢献しない。
  アメリカが世界の問題に介入し、世界の市場に影響を与えることができたのは、第一次、第二次世界大戦において圧倒的な軍事力で戦勝に貢献したからだ。ヨーロッパやソ連は何千万人もの犠牲者で立ち直るのに20年を要した。マーシャルプランで欧州経済を建て直し、冷戦を戦い抜いた。朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ、イラン、イラクと大きな国際問題において失敗を続けてきた。ドルの基軸通貨としての利を得てきたことは唯一成功かもしれない。これはアメリカのユダヤ人資本と情報力による。武器や航空機の製造、軍事技術はアメリカの誇る製造業だが、それ以外の民生品産業は自動車、電機製品、繊維、コンピュータなど、創業者利潤は得たが、今日ほとんどが国際競争力を失いつつある。今後は日本を飼い犬として活用し、イスラエルを尖兵にイスラム国家を牽制することだろう。民主党政権が失敗したことを建て直せば良い

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安部総理の昨年のアメリカ議会演説といい、TPP交渉、G20でのオバマ支援、今回のハワイ訪問と、実はアメリカにこびているだけなのだが、これは政権の安定には必須であり、我が国の国益にも叶っている。悔しいが、全くそうなのだ。それに対して、韓国の朴大統領の中国接近も慰安婦問題へのこだわり、中国の領土問題や元の固定相場制など、アメリカには頭痛の種でしかない。それに引き換え、安部総理は全くもって上手くやっている。韓国も中国も悔しくて仕方がないだろう。沖縄の辺野古移転や演習地変換 などは政府間で話が着いたことでこれも安部政権の成果である。民進党ではできなかった。沖縄の人には悪いが、誰も困らない範囲の交渉。TPPは潰れそうだが自由貿易の旗手を演じることもできた。これも最低現状維持。TPPが経済を再生させる保証ははじめから無いのだから。アベノミクスは成果なし。そもそも期待していない。

過去も、岸、佐藤、中曽根、小泉と全ての対米ごますりで成功し、日米安保、沖縄返還、貿易摩擦などを解決した。何ももたらさず、禍根を残したのは小泉だが、安部はそれよりはかなりましだ。プーチン大統領とは、横綱と三下の相撲で、弄ばれてしまったが、アメリカとは上手くやった。トランプにはIRのお土産で、今後トランプ経営のホテルとカジノが日本にできるのである。何とも分かりやすい図式だ。トランプはこれからどう出るか、難題として、軍事費と自動車輸出でなりふり構わない攻勢に出るだろう。民主党政権時代の相互理解をふみにじってくるかもしれない。その時こそ安部政権の外交力が評価されるのである。安部総理はこれまでの成果に得意満面である。お殿様外交から後世に汚点を残さない成果を祈る。来年がよい年でありますよう。

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東南アジア美術に囲まれ、東洋趣味の極地のようなインテリアのジムトンプソン邸
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上段;キャメロンハイランドの茶畑 下段;ジムトンプソンが失踪した月光荘
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ジムトンプソン失踪を推理する
1968年タイのシルク王と言われたジムトンプソンはマレーシアのキャメロンハイランド、タナラタの丘にある月光荘という別荘から忽然と姿を消した。日本ではニュースにならなかったが。彼はタイシルクのブランド化に成功し、西欧ではジムトンプソンブランドとして、ヴォーグ誌に取り上げられ、また、映画「王様と私」の衣装やデザインにも使われた。プリンストン大学を卒業後、第二次大戦中は諜報機関OSSに所属したが、この組織は戦後CIAになった。東南アジアの美術に造詣が深く、シルクビジネスの成功により大富豪になったことで有名だった。戦後もアメリカの東南アジアの情報通として諜報員との役割も続いていたと言われる。彼の失踪にはあらゆる事件を想定した大捜索が行われ、米軍も支援し、一民間人に対するものとしては異例で話題になった。それだけ彼はアメリカの重要人物であった。
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今なおジムトンプソンのビジネスはタイ経済に貢献している。彼の屋敷は美術館として観光名所になっている。
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失踪当時はアメリカのベトナム戦争が泥沼化しつつあり、マレーシアの山岳地帯、特に北部からタイ国境、ラオス、カンボジャのあたりは共産ゲリラが跋扈していた。だから、CIAとも関係のある彼は共産主義勢力のターゲットになったかもしれない。また、今日も混乱を繰り返すタイの政治家にも人脈があり、アメリカに繋がった彼の存在を邪魔と思うグループもいた。今確かなことは、ジムトンプソンは生きていないということだ。ベトナム戦争が激化する中、タイの国境では麻薬の生産が行われ、タイシルクの生産に必要な桑の栽培を農民に勧めたジム・トンプソンに麻薬組織が危機感を抱いたことも噂になっていた。彼の美術品発掘には遺跡の盗掘も絡み、裏社会の敵もいただろ。彼の失踪の推理上はアメリカのベトナム戦争も捨てがたい関係であるが、これまでに上げた誘拐動機のすべてが絡み合っていたかもしれない。謀略は幾つもの顔をもつことが多い。彼はタイの農村に出掛け桑や蚕の増産や絹糸の製造に力を注ぎ、情報通の彼がケシの栽培を知らなかったはずは無い。諜報機関にとって麻薬は資金源である。中国戦線でも児玉機関などの闇社会が仕切り、岸信介も背後にいた。その甥、安倍晋三を中国は絶対に許さない。今でも多くの人が麻薬の密売に絡んで消されているではないか。オーム真理教のナンバー2村井秀夫も消された。これはイニシエーションに覚醒剤を使ったからで、逮捕されることが明らかになった時点で口封じされた。
戦争の影には諜報やゲリラの資金源として麻薬が結びつくことは歴史の常なのである。戦争においてむしろ麻薬は積極的に使われた。モルヒネは負傷兵の鎮痛だし、かつてはヒロポンが日本軍兵士の眠気を防ぐために使われた。ドイツでは電撃戦で疲れきった兵士を限界まで使うために覚醒剤が使われた。ベトナム戦争ではヘロイン、LSD、覚醒剤が開発された。戦闘の恐怖を乗り越えることも出来る。軍は麻薬の供給源でもある。黄金の三角地帯は今尚健在である。現代も中東の紛争の裏で、アフガニスタンは大きな麻薬拠点であり、ルートである。政府側だけではなくゲリラ側も負傷者にモルヒネは必要だし武器の購入にも資金源となる。
貧しさと戦争、人の不幸と麻薬は結びついている。ネットワークには大抵、軍の輸送ルートが絡みやすい。大量の物資が輸送されるし、横流しされるものは軍需物資や武器にまで及ぶ。そんな中で、麻薬は普通の税関や港湾の検疫などの目を逃れやすいと思われる。

ジムトンプソンは散歩中に虎に食われたという説もあるが、捜索範囲からはそうした痕跡は無かった。しかし、当時は軍事と共産勢力、麻薬は必ず繋がっており、彼がそうした落とし穴に嵌ったかもしれないことは想像できる。松本清張の熱い絹という推理小説もその線で書かれており、なかなかの着眼点である。彼を始末したのは意外にも、身内かもしれない。何故なら、その後、5ヶ月後にマサチュウセッツ州にいた彼の姉も誰かに殺害され、迷宮入りになっているからである。日本の下山総裁事件もそうだが、アメリカという国の裏側には暴力が潜んでいる。ケネディの暗殺もロバートケネディの暗殺も記憶に新しいころである。タイの政敵がわざわざアメリカ在住の姉を殺害しに行くとは考えにくいからだ。CIAのルートを活用してタイシルクの大産業を築いた彼がベトナム戦争の背後にいた産軍複合体や麻薬を資金源とする別のCIA協力者の邪魔者になったことは推定できる。彼はCIAの中で成功し、結局CIAの謀略の中で人生を終えたのではないだろうか。謀略に育てられ謀略の中で死んだ。人生は連続し、栄枯の中に死の理由も存在しているのである。
『ジム・トンプソン――失踪の謎』
   1998年 ウィリアム・ウォレン著という書物も機会があれば、探して読んで見たい。


小説熱い絹に登場するスモークハウス
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1、マラッカ
26日はバスターミナルから長距離バスに乗りマラッカに向かった。11時のバスで約2時間の旅である。
到着後、ホテルプリに向かった。このホテルはマラッカの商人プラナカンの家を改造したもの。お昼はやや遅くなったが、2年前に行ったチキンボールの店に行った。広場にはベンガラ色の教会がある。マラッカのシンボルとなっているオランダ人の作った教会に入った。プロテスタントだから内部はシンプルである。今回は自転車タクシーに乗って市内を30分遊覧した。オランダ船の複製が停泊していた。
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マラッカ名物チキンボール
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暑い日だったのでこの輪タクは助かった。30分20リンギット(500円くらい)
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中国人商人のプラナカンと呼ばれる富豪の家を改装したホテル「プリ」。
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オランダ教会
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17世紀の帆船。ポルトガルの大航海時代の船
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2.ペトロツィンタワー
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クアラルンプールのシンボル的な世界で3番目に高い建物。452mある。このツインタワーは展望台に上るには登録が必要で簡単に登れない。荷物のチェックも厳しい。この所有者は石油公社のもので政府の建物。テロ対策もありエレベータも警官が運転する。気軽に行くならKLタワーだろう。しかし、景観はこちらの方が良かった。

3.キャメロンンハイランド
  築後60年のイングランド風ホテル スモークハウス
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茶畑である。イギリス人が開発したが、戦後、静岡出身の日本人の指導で飛躍的に質が向上した。その歴史はほとんど残っていない。涼しいせいかワッハブ派の黒ずくめのアラブ人の女性が多い。携帯で記念撮影しているが、誰が誰だかわかるのだろうか。奇異な感じ。
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スモークハウスは小説「熱い絹」にもしばしば登場し、小説に登場する捜査員の休憩や食事の場となった。
トランペットフラワーが咲き誇っていた。
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