カテゴリ:Music 音楽( 8 )

ヴィオラダガンバ

 アドベント入りの11月26日(日)午後2時から市ヶ谷の牛込払方町教会で「丘の上のコンサート」として教会会堂を使ったミニコンサートを行った。久方ぶりに会堂の席は満席となった。ソプラノを歌ったのは高橋美千子さん、カンタータなど、バロックが得意だが、フランスで様々なバロックオペラにも出演された方。オルガンは中村文栄さんでオルガンとチェンバロのデユオも行った二刀流。ヴィオラダガンバは井上奈緒美さん。東京芸大からパリ市高等音楽院古楽科、リヨン国立高等音楽院で学んだ本格派。1時間半ほどの短いコンサートだったが、素晴らしい歌声とオルガン、ビオラダガンバの音色を堪能した。バッハのカンタータなどバロックの古楽器演奏ではこのヴィオラダガンバは定番になっている。マタイ受難曲の中にも頻繁に登場する。
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 演奏者が良かったこともあるが、素晴らしい音色であった。この柔らかな音色を持つビオラダガンバが何故、オーケストラで使われないのか不思議に思ったが、その理由がわかった。この弦楽器は弦が羊の腸で作られており、室内の温度や湿度に影響を受けやすく、何曲か引くとだんだん音が狂ってくるらしい。頻繁に音合わせが必要で、オーケストラの長い曲目には向かないのだ。曲目はバッハのアヴェマリアから始まり、グリーンスリーブス、ヘンデル、モーツアルトのアレルヤなどを前半に、後半はクリスマスの歌を中心にシャンパルティエの真夜中のミサ、讃美歌の古歌を6曲続け、最後はアダンのオーホーリナイトで終わった。久方ぶりに生の演奏の良さに感動したひと時であった
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野村 with NISAのテレビコマーシャルで若奥様に扮して、空を飛んだり、明るい笑顔の素敵な女優は誰か、ということで調べてみたら、宝塚の元トップスター 花総まりさんだった。彼女は退団後、4年ほど充電して、最近また、演劇を中心に復帰した方である。自分は宝塚はあまり見たことがない。30年ほど前、1度新宿のコマで見たが、美しい公演でとても楽しかった記憶はあった。テレビCMは次の通りhttp://matome.naver.jp/odai/2137544589650604401
日本の芸能界は、ファッションモデル系とか、映画系、アイドル系などいろいろルーツがあるが、この宝塚系というのも大きなパワーを持っている。特に、彼女達はそのキャリアを利用して、様々な日本のエリートに食い込んでいる。国会議員や官僚の配偶者として相当な数がいるのではないか。公明党系とかばかりではないだろう。特に、中国との交流等では裏方でいろいろな貢献をしているのかもしれない。しかし、芸術とか、演劇等は、反権力とか、庶民のものという先入観があり、大体、歌舞伎の名家とか、宝塚の様な権力者のペットみたいな立場は好きではない。人気アイドルこそ芸能会の原点。しかし、歌手上がりのタレントやモデル系等、姿は良いが、演技や声等なっていない俳優が、自分の欠陥にも気付く事無く、ノウノウと出ているのには嫌気がさす。その点、宝塚はさすがである。
 アメリカでは、アクターズスタジオという登竜門があって、マリリンモンロー、ジェームスディーンとか、卒業生がハリウッドのスターのマジョリーティーかもしれない。俳優というのは、発声、演技、体力など、美醜以外にも多彩な能力を要求される。ヨーリッパなどでも、アイドルだけでは人気は長続きしない。フランスにはコメディフランセーズ、ウィーンのブルク劇場に出れば一流とか、俳優を育成する仕組みがある。また、人気があるのは映画ではなく、オペラ歌手であり、名声は尊敬も併せて得ており、美貌だけではスターにはなれない。その意味において、厳しい修行を得て、選抜されて上昇していく仕組みを宝塚は保っている。この亜流が、AKBであろう。より大衆的な意思決定が働く仕組みが人気の源である。自分は宝塚をあまり好きでなかった理由は、この学校教育的偏差値至上主義の延長にある宝塚の選抜方法が厭だったからだ。そして、その後はまた、星組トップとかランクがあって、宝塚ファンはその世界に酔いしれる。有楽町の宝塚劇場で公演が終わると、楽屋から出て来るスターを待ち構え、ファンがきちんと統制の取れた整然とした隊列でお出迎えする姿は何とも恐怖感を感じる。あれは一種のファシズム。しかし、この花総まりさんは、お姫様役として、大活躍で、ダンス、バイオリン、歌唱など多彩な力量を持ち、かつ、姿も可憐で美しい。じぶんはこの手の顔立ち、気品、明るさ等満点女優だなあと思って見ている。ファンと言えばファンだろう。こんな人周りにはいないからスターなのだ。e0195345_11354051.jpge0195345_11351948.jpg

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 新潟の秋は夕暮れが早い。あの美しい夕日が沈むとすぐに暗くなってゆく。6時を過ぎ、急速に星空となってゆくうちに家路につき、車から降りた。玄関に向かおうとしたその時、クヮー、カーという聞き慣れた鳥の鳴き声が聞こえるではないか。長旅が終わりに近くなった喜びの声だろうか、あるいは、海を越え、疲れきった仲間たちを、もう少しだ頑張れと励ますようでもある。

着陸を前に逆V字型の編隊を維持しながら飛ぶ一団
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 夜空を白く輝くV字型の編隊を組んで、20羽ほどの群れが南西方向に飛んで行く。今年も白鳥の飛来する時期が到来したのである。下越の秋はここから深まり、一気に冬へと向かう。鳥は夜に目が利かないという説は白鳥には当てはまらない。夜間には活動はしないが、帰巣したり、渡る時は夜も構わず飛ぶ。2年前、冬の終わる頃、夕方7時過ぎに、数百羽の巨大な集団が、北の方向に飛んでいった。大きなVが星のように輝き、移動して行く。星明かりに白い白鳥が相当な高度を北の国目指して飛び立って行った。春一番は白鳥がカムチャッカ方向に飛ぶ格好の追い風となる。だから、3千羽もいる瓢湖から数日で姿は消えてしまうほどだ。秋の飛来は何波にもわたり、数十羽の群で特に朝と夕方の決まった時間に編隊が通り、瓢湖や福島潟方向に新発田上空がコースとなっている。白鳥は翼を広げると左右2mほどある大きな鳥である。体は重いから、懸命に羽を使って編隊を守る。編隊の先頭は元気な固体で、一番風圧を受け、これが疲れると最後に下がって次の鳥が先頭に立つ。後ろは前の翼が送った気流に乗れるから消耗が少ない。自然の営みは合理性に満ちている。 昨年その生態に関し、本を探したが、あまり多くない。新潟の白鳥が、シベリアとカムチャッカ半島の2ヶ所から来ることが最近のGPS端末をつけた鳥からの情報でわかったばかりである。

   瓢湖に降下してきた白鳥
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 白鳥が来ると道路添いの自動車備品店が冬のスタッドレスタイヤのセールを始める。冬支度に入るのである。新発田上空で群れから離れ、寄り道をしようという仲間をいさめるように、白鳥は悲しげな叫び声を上げながら通過していく。この風景が一ヶ月も続くと新潟は長く寒い冬になるのである。葡萄も梨もシーズンを終え、あのルレクチェが店頭に並ぶようになると飯豊連峰の頂は白くなり、冬の到来である。

敬和学園大学の横にある田んぼで餌をあさる白鳥。
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冬の間、白鳥は近隣の水田の落穂拾いをする。数十羽が田んぼの畝の中におさまって集団で餌を漁る。勝手に群れを離れて他の畝にはいかない。臆病な鳥だが、中に見張りの役がいて、警戒を怠らない。近寄って写真を撮ろうとすると逃げてしまう。危ない経験をした場所は二度と近づかないそうだ。朝早く集団で飛び立ち、餌場を探して、夕方瓢湖などに戻ってくる。何か言語のようなものも合図として彼らは使うのか。それが自然の為せる技か、白鳥をみると神の節理としか思えない、不思議を感じる。

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 ボロディンの歌劇 イーゴリ公 Prince Igori Polovitsion Dance をyou-tube で見た。幾つかの演出を並べてみる事が出来て面白かった。中でも2014年の収録版のボリショイ劇場の公演のものがすばらしい。Alexander Borodin - Prince Igor - by Yury Lyubimov - music edit by Pavel Karmanov 版で映像も美しい。特に、韃靼の踊りの群舞は圧巻である。http://www.youtube.com/watch?v=CzmIu-VjRCMで見ることが出来る。新しいものがhttp://www.dailymotion.com/video/x1yt0fm_で、これはダンスの振り付けが見事だが、全体の群衆シーンの構成が今回のボリショイ劇場のものにはかなわない。これは全曲を見ることが出来る。ボロディンのイゴーリ公は4幕もあるが、これは2幕目にあり、山場である。このシーンはかなり前のロシアのものもあるし、中国の製作したものもなかなか見事である。もう一つ、サンクトペテルブルクのマリンスキー劇場2013年公演のものも素晴らしいが、ダンスのスケールがやや小さい。2014年のメトロポリタン劇場のものは、斬新な演出で、評論家ごのみだが、自分は突飛すぎて馴染めなかった。あの韃靼の踊りの勇壮な感じが消えてしまい、心象風景が全面に出てしまった。ロシア版はhttp://www.youtube.com/watch?v=gVURal-QYsA で見ることが出来る。
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振り付けはやや古いが、
ボリショイ劇場公演でキーロフバレーと思われ、踊りもすばらしい。バレエの独立した演目としても上演される機会がある 「だったん人の娘たちの踊り」と「だったん人の踊り」にはいくつかの振付のバージョンがある
。韃靼というのはタタール(韃靼)ということだが、ヨーロッパ人にはモンゴルとトルコ方面の騎馬民族との区別ができない。この物語はPolovtianという部族のことだが、これはモンゴルではない。ロシアがモンゴルに支配された時代は彼らの暗黒時代であった。舞台は今ロシアと問題になっているウクライナ、東スラブ人であるイーゴリ・スブャトスラヴィチ公の物語である。実際はウクライナがモンゴルに蹂躙されたときの話と思われる。
 フォーキン版、ゴレイゾフスキイ版が定番化している一方で、最近の公演では各劇場ごとに独自の振りつけをみることも多い。2012年のパウントニー演出、フェドセーエフ指揮で上演のハンブルク歌劇場の公演ではレナート・ツァネラが振付、メトロポリタン歌劇場2013〜14シーズンで上演されたドミトリー・チェルニャーコフ演出のものは全くユニークで草原の中からダンサーが出て来る。今発売されているDVDは1981年収録のボリショイ劇場のもので古典的なボリショイ劇場の舞台デザインで写実的な共産主義政権の好みである。彼らの習性だろうか、解釈を嫌うのである。踊りはゴレイゾフスキー振り付け方。Karmanov 版と似ている。
(ゴレイゾフスキイ版)
ボリショイ劇場の振付である。腰をかがめた動作が多く、女性には膝立ちの動作があるのが特徴的。 「だったん人の踊り」の最後で男性ダンサーがリフトした女性ダンサーをそのままコンチャーク役の歌手が横抱きにしたらこのヴァージョンである。

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 NHKが東日本大震災復興ソングの「花が咲く」をやたら流し続けてきた。作詞は映像監督の岩井俊二、作曲は菅野よう子と宮城県出身の2 人が担当。両者の著作権料は義援金として、NHK厚生文化事業団を通じて被災地に寄付 良い曲である。美しく善意の固まりのような曲。趣味の問題かもしれない。好きな方には申し訳ないが、それが自分には退屈な感じなのだ。ひねくれ者か?いくら良くても、あまり繰り返し聞かされると飽きがくるし、だんだん欠点も見えてくる。とにかく、テンポが単調なのだ。このテンポは賛美歌に似ているが、もっと退屈だ。フィギュアスケートのバックミュージックにはぴったりで、旋律はやたら感傷的である。いかにも、東京の目線、上から目線?のきれいごと。土のにおいがしない。NHK高校合唱コンクールの課題曲にはいいだろうね。歌詞はなかなかの出来だが何を言いたいのかがぼやけている。今はただなつかしいあの人とは震災犠牲者か。遺族にとってはただ懐かしいどころではないだろう。いつか生まれる君にとは何か。輪廻転生か?誰かの未来が見えるとは?私は一体誰でしょう。あの世の犠牲者か。ぎょぎょ!いや、NHKなら「じぇじぇ」と言わねばならぬ。不気味、あの世から誰かが歌っているのだ。恐ー、意味不明の言葉の連続で、やたらオセンチ。自分は詩的素養0だから言う権利はあまり無いのだが。聞いていると滅入る、とか、気持ち悪ーという人もいるのNHK分かってるのかしら。NHKは権力的に時々海外の名テノールとか有名な歌手に歌わせている。たいしたものだ。この単調なテンポが歌手を悩ませる。歌えというから歌っているし、震災復興ソングだからけなす訳にも行かず、一生懸命歌ってくれる。いったいいくらギャラ払ったのか。ウィーン少年合唱団が歌ってたが、あれは何かの義理でしょうね。そして良い曲だと褒めねばならない。作者は国民に聞いてくれて「ありがとう」と言うべきか。

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 NHKの作った名曲は意外にも今も使われている素晴らしいのがある。朝のラジオ体操の唄。パンパカパン、ちゃららららたったらら、たらららぱんぱかぱっぱぱ

そう「ラジオ体操の歌」だ。これを何故復興ソングにしないのだろうか。

1)新しい朝が来た 希望の朝だ
喜びに胸を開け 青空仰げ

ラジオの声に 健やかな胸を
この香る風に開けよ
それ1 2 3

2)新しい朝のもと 輝く緑
さわやかに手足伸ばせ 土踏みしめよ
ラジオとともに 健やかな手足

この広い土に伸ばせよ
それ 1 2 3」

ラジオ体操の前に流れる曲、何度聞いても飽きない。
そのはず。藤浦洸作詞・藤山一郎作曲だからホンマものプロ作品。花は咲くとは大人と子供の差。

日本紀行、新日本紀行で流れる曲。これらは富田勲作曲だから凄いはず。お昼のラジオで流れる「明るい農村」テーマ曲。「昼のいこい」でしたかな~~。メロデイーが農村のイメージ。これも正式復興メロディにすべきではないか。
忘れがたいなんともいえない郷愁。子供の頃、母親がお昼ですよーと呼んでくれたことを思い出す。涙が出そう。それから、中島みゆきのプロジェクトXのテーマソング「地上の星/ヘッドライト・テールライト」スバル。何度聞いても飽きがこない。やはりNHKは番組あっての曲なのだ。これが音楽だけで流行らそうと思うからわざとらしい優等生ごのみの曲になって飽きられる。NHKさん、大衆を操作しようとし過ぎるんじゃないの?

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  世界三大テノールというのがあった。ドミンゴ、カレーラス、パバロッティだ。しかし、三大ソプラノというのは聞かない。というのは20世紀最高のソプラノ、マリア・カラスが群を抜いているからではないか。また、ソプラノの絶頂期はおそらく、それほど長くはないのだ。20年以上も続いたソプラノはシュワルツコップくらいだろう。とにかく、1950年代のマリアカラスは、まさに伝説の人。you-tubeでマリア・カラスの歌声を聴いたのだが、録音の悪さをものともしない迫力。

 世紀の歌姫と言われた彼女の歌声を聴いてみようとyou-tubeを検索。最初に聞いたのが1973年に、来日し、NHKホールで収録されたものだった。げつ!これがマリアカラス?という感じだった。4年後に彼女は亡くなっている。いやはや、日本も当時は高度成長期最後のバブルで、ふんだんにギャラを払って、死ぬ前の彼女を2度も呼んでしまったのだ。50年代は日本はまだ、腹ぺこで貧乏な国、パリやNYでオペラを鑑賞する人は少なかったし、彼女の声はレコードでしか聞けなかった。実際に彼女のオペラを聞いた日本人は殆どいなかったのではないか。オペラは欧州社交界の華、外交官ですらそんな余裕はなかったと思う。彼女の偉大さはオペラにあり、その既成概念を覆し、そこに演劇の要素を注入した。彼女程多くのオペラをこなした人はいない。

  日本公演でも、期待があまりにも大きかったために、その落差に驚いただけで、これはロンドンカムバック講演でも同じだったが、大喝采は受けていた。そのオーラは残っており、鯛には変わりはなかった。一番苦しんだのは彼女だ。残念ながら彼女は離婚悶着やオナシスとの生活とかで9年近くブランクが生まれ、日本に来た時は50才を過ぎ、鍛え抜かれた声は失われて、既に老後の生活に入っていた。しかし、我々はあの30才台の歌姫、虚像を聞いていた。彼女にしてみれば我々の誤解だった。

1956年頃のマリアカラス
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 かくも高名なマリア・カラスだが、彼女の声の絶頂期は1950年台〜65年の間。しかしその最盛期、30歳代前後の彼女の素晴しさは、やはり、歴史に残るものだ。やっとLPが出た時代の寵児だった。長期間の訓練に裏付けられて安定していた彼女の声は、不規則なプライベート生活や、ベルカントの難役を歌い続け、声を酷使した為に急速に失われてしまっていたのだ。結局1965年の『トスカ』の舞台を最後に事実上の引退だった。何と、引退して8年も経ち、日本に来て4年後の1977年に彼女はこの世を去る。このNHKの収録はカラス最後の公演だったようだ。その意味で貴重だが、確か、自分が中学生のころレコードで聞いたカラスの声はこんなもんじゃなかった。彼女の声は、大空に突き抜けるような、力強く、透明なソプラノだった。you-tubeではその絶頂期の歌声にふれることができた。勿論今なお多くのCDが売られている。you-tubeではNHK特集番組、夢伝説~世界の主役たち 1:55.30 「永遠の歌姫(ディーバ) マリア・カラス」 黒柳 徹子 なかにし礼 などの対談が邪魔だが、彼女が12歳の時最初にNYの放送局で歌った録音が聞ける。
(http://www.youtube.com/watch?v=gB63Y69yr8c)
また、1952年の絶頂期の歌声がyou-tubeに入っている。(http://www.youtube.com/watch?v=CmcG8fcVWkk&feature=results_video&playnext=1&list=PL79DCFA2ED7F9FE8A)

you-tubeが凄いと思ったのは、彼女の1947年のスペイン公演も収録されている。1947年イタリアのフェニーチェ座で『トゥーランドット』他の上演でデビューしたわけだから、その直後だろう。もう一度検索したいが残念ながら出てこない。録音は技術的にも良くないが、その力強い音量と、頭の上、いや、天に抜けるような声の力が伝わって来た。何といっても、1962年NYのカーネギーホールでのカルメンのハバネラと、73年のNHKホールでの声とはまるで別人であった。しかし、あの偉大な歌手の最後の歌声という意味に於いてNHKの記録は貴重である。
海外のドキュメンタリーでは
http://www.youtube.com/watch?v=SmuCHVzK9aA&feature=relatedが画像もきれい
彼女を描いたドキュメンタリーは数多い。
2003年に見た映画で「永遠のマリアカラス」というのを思い出した。華やかな舞台から姿を消し、パリでひっそりと隠遁暮らしを送るマリア・カラス(ファニー・アルダン)。美声を失い、愛するオナシスを失い、失意のどん底にあったカラスを救おうとかつての仕事仲間ラリー(ジェレミー・アイアンズ)は一枚の企画書を手に彼女を訪ねる。それは、果せぬまま・・・・・・

ペール・ラシェーズ墓地にあるカラスの墓碑
1977年9月16日、ひっそりと暮らしていたパリの自宅にて53歳の若さで短い生涯を閉じる。とある。

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 かつて、ソニーがウォークマンやCD、VTRと続々とヒット商品を継続して世に送り、常勝、プレイステーションで確立したホームエンタテイメントのシステムが出来上がった。ところが、SONYワールドにほころびが生じている。その象徴が、今年の大量の顧客情報漏洩である。ソニーのゲーム機プレイステーション3(PS3)とプレイステーション・ポータブル(PSP)のネットワーク接続「プレイステーションネットワーク(PSN)」の不正アクセス事件で、7700万件にも及ぶ個人情報流出事件が起きた。ネットワークに入って個人のカード情報が盗まれてしまうなんて、全くの信頼性喪失である。ソニーのシステムは危険を感じさせてしまった。ソニーはブルーレイも、薄型テレビも伸び悩んでいるという。かつて、VHFとベーター対決で敗北し、常勝ムードは消えた。SONYは、録音機や携帯ラジオといった何でもコンパクト、ハンディにする製品で勝負して来た。ところが、大型テレビ、オーディオ、パソコンでは今イチだ。この分野は、むしろ、アップルに侵略されてしまった。この起死回生の試みが、キュリオシティということになる。映像や音楽コンテンツを配信するサービスでネットワークを構築しようという。これまでの豊富なメディアコンテンツがどう生かされ、新たな顧客を生むかである。ソニーは、Qriocity(キュリオシティ)によるプレミアム映像配信サービス 「Video On Demand powered by Qriocity (“キュリオシティ” ビデオオンデマンド)」を2011年1月、日本でネットワーク対応の液晶テレビ<ブラビア>向けに、開始。(Qriocityサービスのサイト: http://www.qriocity.com)
 20世紀フォックス、ユニバーサル、パラマウント、ソニー、ワーナーなどの映画会社が提供する最新のハリウッド映画や話題の邦画および先行・独占配信を含むアニメーション作品などをストリーミング形式で提供する映像配信サービスである。対象機器をネットワークに接続するだけで、高画質(HD)および標準画質(SD)の映像を手軽に楽しめる。サービス開始時には200作品以上のタイトルを準備、順次ラインアップを拡大する。価格帯は、1タイトルあたりHD版が500~1,000円(税込)、SD版が350~700円(税込)。ネットワーク対応の<ブラビア>に加え、その他のソニーのネットワーク対応機器に展開する。ソニーは今もウォークマンで日本でシェア50%を越えているが、アップルが成功した、PC、iPod,iPhon,iPadといったPC機器の統合には大きく遅れを取った。キュリオシティは起死回生の道を切り開くだろうか。

 一方、アップルは今年の秋、iCloudというネットワークを構築する。今年 iTunes による映画コンテンツを配信することができるようになった。その中に、見たい映画があるかどうか。そして、これは料金を払えば保存も可能だ。http://gigazine.net/news/20110607_icloud/このクラウドの前に、iWorksで、ネットワークにメール、データベースなど情報をストックするサービスを作っている。しかし、PCやiPhoneのデータ同期という仕組みが、PCとの円滑なデータ交歓にネックがあり、評判は今イチだった。これを乗り越える形で出て来たのがICloudである。自分がアップルに期待するのは、その知的世界である。勿論、ゲームもあるが、SONYのホームエンタテイメント、家族で楽しむというより、個人で楽しむ、パ—ソナルな世界である。しかし、これは大衆を何処までとらえられるかは不明である。クラウドによって、iPhone, i PadがITunes,写真や動画データがインターネットを通じ、アップルのネットワークとデータベースに直結する。これはPCを介さずともデータの受信や蓄積が可能で、一人5ギガの要量が割り当てられる。アップルを今日の姿に育てあげた、スティーブジョブズ渾身のシステム構築である。この2つの仕組みが、今後の情報世界を一歩進めるだろう。アップルはこれをユーザーフレンドリーに集約したサービスと機器の開発を続けられるか、まt、音楽や映像コンテンツを集められるかに命運がかかる。特に、iPadにおける電子書籍の使い易さと価格である。情報という知的世界をiCloudが席巻するだろうか。

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 ニュースによれば、 公立校の教職員に君が代の起立斉唱を義務づける全国初の条例案が3日、大阪府議会(定数109)で成立した。同府の橋下徹知事が率いる「大阪維新の会」府議団が提出。公明、自民、民主、共産の4会派は反対したが、過半数を占める維新の会などの賛成多数で可決された。
 条例は賛成59票、反対48票で成立。自民の1人が退席した。条例名は「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」。府内の公立小中高校などの学校行事で君が代を斉唱する際、「教職員は起立により斉唱を行うものとする」とした。府立学校など府の施設での日の丸の掲揚も義務化した。君が代の斉唱については、都道府県教委はこれまで、各学校に対し国旗・国歌法や学習指導要領などを根拠に起立斉唱を文書で指示。校長が起立を拒む教職員に職務命令を出し、各教委が従わない教員を処分してきた。大阪府教委も2002年から各学校に指示し、大半の教職員は起立斉唱をしているのが実態だ。大阪府の橋下知事は、入学式や卒業式での君が代斉唱時に教育委員会などの指導に従わず「勃起」しない教職員について「辞めさせるルールを考える」と述べ、排除していく考えを明らかにした。うひゃー!失礼、起立の間違いでした。
 
 公立学校では、やはり、日の丸と君が代には敬意を示さないといかん。それがいやなら、ミッションスクールとか、朝鮮学校でも行けばいい。ミッションスクールでは賛美歌を歌うことはあっても、君が代は流石に歌わないでしょう。自分は市川市の私立、日の出学園の幼稚園と小学校に8年間通っていた。この小学校は、今の平成天皇が生まれた時に設立され、制服も学習院のような蛇腹のついた制服だった。だから、事あるたびに日の丸と君が代を抵抗無く歌っいた。公立学校で、教師達が一体なんでそんなに抵抗するのか、全く知らなかった。分らないくらい自然に君が代を歌っていた。

 でも、あの歌は、何とも、民主国家に相応しくないね。君が代というのは専制君主である明治天皇の感覚が強すぎる。また、我が国は、太平洋戦争の責任追及もいい加減で、一億層懺悔何とか言って、戦争指導者の責任を曖昧にしようとした。原爆記念日で、可愛い子供が、答辞を読んだ。「過ちは繰り返しません?」何それ、彼等は何も間違っていない。子供に言わせて逃げようかってんだ。間違ったのは、当時の、日和見政治家、近衛だとか、頭の狂った軍部、東条ではないか。
 
 東京裁判でもなければ全く反省する気が無かった、性懲り無い国民だからね。今になって、東京裁判はアメリカの茶番だとか、東京裁判史観は間違いだと言っているが、何で、あのときも、その後何十年も言わなかったのか。怖くて言えなかっただけだろう。じゃあ、どんな史観か。まさか、道徳教育で教育勅語を採用しろと言うんじゃないよ。確かに、父母を敬えとか、いい事言っている。でも、何もこれを天皇の権威で言わせることじゃない。モーゼの十戒にも書かれていることで、当たり前。意図は、これに天皇の権威を持って来て、そのご威光で威張り散らそうとした連中の陰謀なのである。そんな弱虫連中ー石原都知事などー総理大臣は怖くてなれない、国家元首ではない人がやたら威張ろうとする、何か権威が欲しい。ご冗談でしょう!堂々と、都立学校で「海ゆかば」を歌おうと言えばいいのに。それほどの自信は無い。だから、いい加減だと言っているんだ。
 
 ミッションスクールで国歌を歌わないのも良くない。彼等は、結構私学助成金に頼って経営している。国民の一員でもある。でも、ミッションスクールが明治天皇を讃える歌を歌わなきゃならないなんて、やはり屈辱。だから、新しい国歌を提唱しよう。それは、あの、故郷という歌だ。東関東大震災の避難施設で、歌手の慰問が来ると、結構歌っていた。その時に、君が代なんぞ歌うアホはいない筈。これがいい。故郷。これを第二国歌にしよう。これなら皆で歌えるぞ。どうだ、相撲は天皇杯が出ているから、君が代だが、これも一緒にもう一つ歌おうではないか。いい歌だ。オーケストラでもしっかり旋律を出せる、メロディーです。
 
1.
兎追ひし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて
忘れがたき 故郷(ふるさと)

2.
如何(いか)にいます 父母
恙(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても
思ひ出(い)づる 故郷

3.
志(こころざし)を はたして
いつの日にか 帰らん
山は靑き 故郷
水は淸き 故郷

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