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 我が家の猫ちゃんの「きゃーこ」はマルクスアウレリウスアウグスチヌスキャーコという名前を今は亡き妻が命名し、長いので通称キャーコといっている。我が家に14年前、野良の子猫が屋根の上でキャーキャー言っていたのを家にいれて以来飼い続けている。自分は犬は何度も飼った経験があったが猫は初めてだった。猫というのは犬とはかなり反応が違う。犬は飼い主の動きに反応する。しかし、猫はむしろジッとうかがっているようで、何を考えているのかわからず、勝手な行動をする。相手の行動を予測する能力には驚かされる。びっくりしたのは、春になると毛が抜けるので、ブラッシングをしていると気持ちよさそうにひっくり返って仰向けになったりするのだが、突然怒ったように引っ搔かれることがある。そのときは、びっくりして額をパッチンと弾いたり対抗措置をしたが、どうもその後の反応が悪く懐かない。何故、そのような行動に出ることが分かった。同様に、体をスリ寄せて来るのはよいのだが、急に噛みついてくる。これも気分が高揚した結果だそうだ。だから、先は引っ搔かれそうになったり、興奮して来る先手を打って逃げるが勝ちということである。もし、急に噛んだり、引っ搔いたりされても、そこは耐えるしかないのだそうである。噛まれて怪我をするほどではないから耐えることができる。あくまでも、嫌われたくなければである。それでも、血が出る時もある。
 犬もそうだが、家庭で飼う動物というのは飼い主の愛情が全てである。猫は名前を呼んでも知らん顔をしている。しかし、後ろを向いても耳はしっかりこちらを向いて注意を向けているのである。最近は、引っ搔かれようと噛みつかれようと、じっと我慢しているおかげで、寝ていると顔を摺り寄せて舐めてくるようになった。自分は絶えず愛情を試されているのである。犬とは違う猫の習性に自分が飼いならされてきたのかもしれない。

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# by katoujun2549 | 2017-06-19 13:21 | | Comments(0)
6時からの昔勤務していた会社の同期会まで1時間あったので、マロニエゲート銀座2の二階にあるサロン・ド・テ アンジェリーナに行ってみた。中は白のインテリアで優雅な感じ。客はご婦人ばかりでその時男性は自分1人だった。違和感はあったが、モンブランを食べたい一心で2人用の窓際の席に座り、早速コーヒーと正規サイズのモンブランを注文した。周りの客はスモールサイズのモンブランであったが自分は食べごたえのあるフルサイズとした。フォークを入れると、中のクリームがしっとり、しっかり詰まっている。マロンクリームも中のホワイトクリームも結構甘い。ここのモンブランは表面が茶色で土台がメレンゲである。これがパリのアンジェリーナの特徴だそうである。日本のモンブランは栗の黄色い色になったものが多い。
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上品な甘味を堪能。
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口にいれるとしゃリっとした底にあるメレンゲの舌触りが心地よい。
コーヒーと合わせて
1520円。やや高めだが、大いに満足した。アンジェリーナのものは自分が東の横綱といっている本八幡のドルチェとは違い、きわめてオーソドックスなモンブランの原型といえるだろう。今度は吉祥寺のアテスウエイのモンブランにチャレンジしたい。

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# by katoujun2549 | 2017-06-12 14:50 | Comments(0)
どアホノミクスの正体 (講談社+α新書) 新書  浜矩子 佐高信

大メディアの報道では絶対にわからないどアホノミクスの正体

(講談社+α新書) 新書


 テロ対策法案(共謀罪)で自民党が暴走している。一党独裁と国会の議論を民進党も一緒になって破壊している。法案の本質的なところは隠されたまま成立してしまった。金田法相のおとぼけた答弁に惑わされ、本質がそれてしまった。安倍政権が目指す一党支配、国会の無力化、安倍独裁の構造が固定化しつつある。安倍政権は新自由主義とか、アベノミクスとか、言葉によって問題の本質をぼかし、国民の目から官邸の目をそらす。そこを逃さず、浜氏はかねてよりアベノミクスには痛切な批判を展開している。浜・佐高という屁理屈、頑固、反骨が会して話すとこんな感じになるのだろう。彼女の舌鋒は鋭いというより、多少えげつないような表現もあり、これだけ徹底的にけなすことができるのもすごい。例えば住友銀行のバブル時の平和相互銀行抱え込みについて寄生虫に寄生虫がついたような状態とか、表現がすごい。こんな調子ではさすがにマスコミも出しにくいのか、当然大メディアは警戒するだろう。彼女は円高も株価も予想は外れているが、もともと、相場のことに経済学者を当てにすることが間違いであるから問題はない。「アベノミクス」が実際には「アホノミクス」どころか、「どアホノミクス」であると喝破している。経済成長2%も、GDP600兆円も目くらましであり、裏があるという。体制迎合的経済学者が多い今日、貴重である。「アベノミクス」の正体は安倍政権は、「どアホノミクス」で国民を騙しつつ、集団的自衛権、安保法制、そして共謀罪法案で、国民を監視しつつ、「戦争国家」作りを進めているというのだ。600兆GDPもその手段に過ぎない。この論法を二人で盛り上げ、マルクスやアダム・スミスを動員し、論陣を張っているが、そもまで持ち出す必要はない。安部は根底は国粋主義であり、そのバックにはさらに過激な連中がいて煽っている。彼らは人権とか民主主義が嫌いだ。天皇親政政治が好きなのだ。人脈、金権、情実が大好きである。面倒な経済は日銀の黒田にさせて、国会は官僚に事務方として対応させれば良いのだ。今日の森友学園、加計学園問題はそうした構造から生まれてボロが出てしまう。憲法問題にしても専門家の議論や党内の意見調整なぞ安倍の頭では無理。岸信介と父親の安部晋太郎の遺産で食っている。だから、民進党の理屈なんぞは聞く耳も頭もない。問題はそれを悪いとも思っていないことである

 安倍政権をアメリカのトランプ政権とも比較しながら議論している。新自由主義と称して「統制」する。働き方改革と称した「働かせ方改革」、貧者が抵抗に向かわず「独裁を支える」。政府の御用銀行ー日銀など、欺瞞的な言葉の使い方だ。この本では安倍政権の資金源ー森友学園、加計学園などの裏に資金源の流れがあることには触れていない。このあたりが教養人の限界か。

 日本銀行を完全に政権の下請機関に取り込み、大企業と富裕層だけが儲かり、99%の国民が困窮化する仕組みを作り上げた。これはドイツでかつてヒトラーがシャハトを利用し、さらにゲーリングを使ってドイツ銀行を乗っ取り、軍事費をメフォ債によって調達し、軍事国家を作り上げた手口に似ている。安倍や麻生にナチスの手口をアドバイスしている連中がいるのだ。「最も毒性の高いブレンドになってしまっている。安倍みたいな人が出現すると、そこに悪知が利く有象無象がそれぞれの思惑を持って集まってくる。」日銀は政府の借金つけ回し窓口となり、政権べったりの黒田総裁、強者の論理しか無い竹中平蔵などを強く批判している。

 安倍政権は今日の加計学園問題や森友学園など怪しい権力の行使がある。日本会議との関係も取りざたされる中、彼の思想やどこに日本を持っていこうとするのか、様々な疑惑がわいてくる。憲法改正や外交のパフォーマンスなど、彼が岸信介の考えを体現しようとしているようにも見える。随分、アナクロニズムである。彼の人柄のよさそうな風貌の裏にはいったい何があるのか、注意深く観察する必要がある。彼を誰が操っているのだろうか。彼はマスコミを取り込んでいることは衆知のことである。官僚の支配を官邸がどのように行っているのか。加計学園問題は官邸と文部官僚の抗争のようにも見える。マスコミも民進党など野党も、さらに追求すべきである。このあたりで安倍政治はストップさせねばならない。


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# by katoujun2549 | 2017-06-08 12:04 | 書評 | Comments(0)
 本書はルトワック氏が2015年来日した時のインタヴューの訳である。氏は大手シンクタンク戦略問題研究所(CSIS)の上級顧問である。中国は2000年以降対外戦略を15年間で3回変更している。最初がチャイナ1(C1)である。平和的台頭であり、国際法を遵守、領海を守り、国際金融取引などを守り産業を発展させてきた。次がC2である。2009年リーマンショックがあり政界経済が低迷する中、中国は驚異的な経済成長を続け、巨万の富としての金融資産を得た。そこで、中国は金の力に頼るようになった。資源戦略などではアフリカの援助によって、しかも、政府幹部の買収も含め、横暴な金権外交を展開した。チャイナ3はC2の行きづまりから出てきた。周辺諸国に対する選択的軍事的攻撃である。日本の尖閣諸島や南沙諸島における領土に関する自己主張と軍備の強化である。九段線という勢力ラインを主張し始める。経済成長がさらに続くとみてフィリピンやベトナムの南沙諸島で自国領土主張を始めた。日本の尖閣諸島に関しても領土問題を主張し、漁船の侵入など国際法を侵害することを躊躇わなくなった。結果的にこれは間違いであることに気づいたのか、今度はC3となる。これまで幅広な領土主張をしてきたが、今度は選択的攻撃という手段に出た。抵抗の無いところには攻撃的に出て、抵抗があれば止めるということである。南沙諸島での石油採掘に関するベトナムに対する軟化策がそれである。日本が東日本大震災で弱ったところに尖閣問題がピークとなり、中国人の上陸や大規模船団の侵入が続いた。政府の抗議や日本の防衛力強化、アメリカの反発から今は手控えている。アメリカは航行の自由作戦を通じ、フィリピン近海諸島の実効支配を軍事的に牽制しはじめた。背景としては中国経済の成長がゆき詰まり、国内問題に手を焼いているからでもある。習近平の汚職撲滅キャンペーンは 中国共産党の体質改善どころか、自身の問題も含め、共産党幹部の離反も起こしかねない。中国の発展は汚職体質と無縁ではない。奇妙だが、汚職は中国経済発展のエネルギー源なのだ。
 ルトワック氏は戦略の性質を逆説的論理と位置付ける。戦略を理解していない人はデータなどによって「最初の一手を繰り出して、その次の手、そしてその次の手を繰り出していけばそれが最終的に勝利につながると考えがちである。ところが、実際には、自分が一手を繰り出すと、それに対する反応が周囲から起きてくる、相手も動くし、状況も変わり、中立の立場にいた国も動き、同盟国も動く、そこにはダイナミックな相互作用があるからだ。」内政に目を向け他国の情報に疎い中国は戦略を間違いやすい。 中国はベトナムに関しても、日本の尖閣問題に関しても読み違いをしている。日本は軍備を増強し、日米同盟を強化、安保法制を整えた。尖閣諸島に軍事的な行動に中国が出れば、日本もオスプレイや上陸作戦の演習を始めるだろう。もちろん今の日本はいたづらに中国を刺激することはしない。また、彼は国家戦略のパラメーターと変数に関して考察する。変数とはその時の国家の決定によって変化する政策である。パラメータは国家そのものの性質、要するに国体のことだ。例えば「英国は軍事的に強力な存在である」というものである。日本が第二次世界大戦でなぜ失敗したか、ベトナム戦争でアメリカは勝てなかったのか、ロシアの戦略と中国の比較などをこの論法で鋭く分析している。日本の真珠湾攻撃は大成功だったが、戦略的にはアメリカの反発も大きく、さらにアメリカ西海岸の攻撃は無理ということで先のない成功であった。戦略的には大失敗となり日本の敗戦につながった。また、リーダーへの情報がどこまで伝わっているかも問題である。習近平には党内部の情報や中国外務省、人民解放軍との間に情報のずれがあるという。かつて、ヒトラーは1945年まで暗殺の企てを乗り越えて命脈が続いたのは彼は良い情報も悪い情報もかなりぎりぎりまで正確に把握していたといいこれが自身の命脈を維持するもとになった。もちろん最後は妄想のような作戦で自滅したのだが。独裁者にはありがちな情報のボトルネックが存在している。
 ルトワック氏はチャイナC4を提案している。それは九段線の放棄である。また、C3、C2の誤りを修正しC1に戻ることだ。また、海洋パワーとシーパワーを区別して戦略を構築することだ。シ―パワーというのは海洋における軍備、戦力のことである。海洋パワーというのは海でつながる諸国との戦略的同盟関係のことである。   
  
習金平の米英外交は失敗続きだ。
エリザベス女王晩餐会のスピーチでは居眠りされてしまった。
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 習近平は、妻で人民解放軍に所属する国民的歌手である彭麗媛との間に、一人娘・習明沢をもうけている。 1992年生まれの彼女は、現在25歳。杭州外国語学校を出て浙江大学外国語学院に入学し、外国語の同時通訳を専攻。 大学卒業後にアメリカに渡り、名門ハーバード大学に入学したというウワサは広まっていたものの、未確認情報のままだった。
 しかし今回、ハーバード大学の名誉教授で、東アジア研究の大家であるエズラ・ヴォーゲル氏が、アメリカ合衆国政府が運営する国営放送「ボイス・オブ・アメリカ」のインタビューに答えたところによると、彼女は確かにハーバード大学を卒業し、すでに帰国したという。

 習近平は訪米時に2回ハーバードの学長と会っている。ハーバードに留学している学生の支援掌握金が中国企業から申し入れられているが、これは当然習の息がかかっている。彼女は最初に会った時にはまだ在学中だったのではないだろうか。鄧小平、江沢民、朱鎔基などの党最高幹部の子弟は皆アメリカの大学に留学している。習近平は、自身が党書記長に就任する1年前には娘を一時帰国させた。彼は汚職追放や腐敗幹部の取り締まりを政策の柱にしているが、批判を避けるために一時帰国させたが、やはり卒業していた。彼の娘は写真なども出ることがなく、母親似の美人ではないかといううわさがあったが、ハーバードの卒業写真から大したことがないことがわかり、日本の眞子様に比べ、習近平似の顔に中国人をがっかりさせたらしい。

 習近平は自信の財産は3鶯円程度と公表しているが、実際は彼の姉の橋橋が巨大な資産を保有し、ファミリービジネスの規模で見なければ正しい認識ではない。彼女が香港に所有している不動産だけで60億円以上の価値があり、父親以来の莫大な資産がある
彼は中国のレアアース販売のほとんどを手掛けている企業の株式の18%を保有している。これだけで時価230億円の価値があるという。
江沢民も、温家宝も同様に莫大な資産を保有している。ファミリービジネスのことは中国人も皆知っている。彼は汚職撲滅や不正摘発をスローガンにしているが、彼の権力システムを保存するために行っており、政敵を叩く手段に過ぎない。彼自身や太子党の仲間に関しては手つかずだという。こんなことでは、いつか習近平がテロに狙われる恐れもあるだろう。しかし、悪い奴ほどよく眠るというパターンもある。今彼が腐心しているのは自身の権力基盤の固定化だろう。

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習近平は、妻で人民解放軍に所属する国民的歌手である彭麗媛との間に、一人娘・習明沢をもうけている。 1992年生まれの彼女は、現在25歳。杭州外国語学校を出て浙江大学外国語学院に入学し、外国語の同時通訳を専攻。 大学卒業後にアメリカに渡り、名門ハーバード大学に入学したというウワサは広まっていたものの、未確認情報のままだった。

しかし今回、ハーバード大学の名誉教授で、東アジア研究の大家であるエズラ・ヴォーゲル氏が、アメリカ合衆国政府が運営する国営放送「ボイス・オブ・アメリカ」のインタビューに答えたところによると、彼女は確かにハーバード大学を卒業し、すでに帰国したという。

習近平は訪米時に2回ハーバードの学長と会っている。最初に会った時にはまだ在学中だったのではないだろうか。鄧小平、江沢民、朱鎔基などの党最高幹部の子弟は皆アメリカの大学に留学している。習近平は、自身が党書記長に就任する1年前には娘を一時帰国させた。彼は汚職追放や腐敗幹部の取り締まりを政策の柱にしているが、批判を避けるために一時帰国させたが、やはり卒業していた。彼の娘は写真なども出ることがなく、母親似の美人ではないかといううわさがあったが、ハーバードの卒業写真から大したことがないことがわかり、日本の眞子様に比べ、習近平似の顔に中国人をがっかりさせたらしい。

 習近平は自信の財産は3鶯円程度と公表しているが、実際は彼の姉の橋橋が巨大な資産を保有し、ファミリービジネスの規模で見なければ正しい認識ではない。彼女が香港に所有している不動産だけで60億円以上の価値があり、父親以来の莫大な資産がある
彼は中国のレアアース販売のほとんどを手掛けている企業の株式の18%を保有している。これだけで時価230億円の価値があるという。
江沢民も、温家宝も同様に莫大な資産を保有している。ファミリービジネスのことは中国人も皆知っている。彼は汚職撲滅や不正摘発をスローガンにしているが、彼の権力システムを保存するために行っており、政敵を叩く手段に過ぎない。彼自身や太子党の仲間に関しては手つかずだという。こんなことでは、いつか習近平がテロに狙われる恐れもあるだろう。しかし、悪い奴ほどよく眠るというパターンもある。今彼が腐心しているのは自身の権力基盤の固定化だろう。

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エドワード・ルトワック著 戦争にチャンスを与えよ 文藝春秋文庫
作者は戦争をすべきと言っているのではない。戦争を避け、平和を守るために何が必要かを述べている。大切なことは政治的なパフォーマンスとか、人道支援といったことを越えた、戦争特有の力学を述べている。中途半端な介入が問題を複雑にし、解決を遠ざけている現実を示しており、さらに、北朝鮮や中国の軍事的な動きに日本はいかに備えるべきかを助言している。歴史の教訓も必要である。戦争は戦術や戦闘より戦略によって決まる。第二次大戦の日本やドイツの敗北の理由とその結果、また、武田信玄、織田信長、徳川家康を例に比較しながら、戦闘、戦術、戦略の意味を説明し、今、日本が何をすべきかを提言している。ヨーロッパおいては1000年間帝国であり続けたビザンチン、また、今も存在感を見せるイギリスを例に戦略を語る。戦争を避け、また、勝利への道は同盟を組むことである。また、戦略というのは直線的思考の裏をかく性格があり、敵の予測不能な行動であることが条件である。戦略はパラドキシカルであるとする。以下の章だてである。
1 自己解題「戦争にチャンスを与えよ」
2 論文「戦争にチャンスを与えよ」
3 尖閣に武装人員を常駐させろ――中国論
4 対中包囲網のつくり方――東アジア論
5 平和が戦争につながる――北朝鮮論
6 パラドキシカル・ロジックとは何か――戦略論
7 「同盟」がすべてを制す――戦国武将論
8 戦争から見たヨーロッパ――「戦士の文化」の喪失と人口減少
9 もしも私が米国大統領顧問だったら――ビザンティン帝国の戦略論
10 日本が国連常任理事国になる方法


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# by katoujun2549 | 2017-06-02 01:17 | 書評 | Comments(0)
gooblogから抜粋記事で紛争の経緯をおさらいする。
ユーゴにおいても共産党による一党独裁を廃止して自由選挙を行うことを決定し、ユーゴを構成する各国ではチトー時代の体制からの脱却を開始する。また、各国ではミロシェビッチ(セルビア)やツジマン(クロアチア)に代表されるような民族主義者が政権を握り始めていた。チトーはセルビア勢力を抑制し、民族や地域の公正な権利に目を配ってきた。ところが、第二次オイルショックの経済不況を克服できず、死去してしまった。大セルビア主義を掲げたスロボダン・ミロシェビッチが大統領となったユーゴの中心・セルビア共和国では、アルバニア系住民の多いコソボ自治州の併合を強行しようとすると、コソボは反発して90年7月に独立を宣言し、これをきっかけにユーゴスラビア国内は内戦状態となる。都市の人口構成が複雑なほど悲惨な結果であった。クロアチアのモスタルでは比較的少数であったセルビア人がクロアチア人に連合したボスニア人らの勢力によって抹殺された。連合して勢力が増すと少数派が叩かれるのであった。

91年6月に文化的・宗教的に西側に近いスロベニアが10日間の地上戦で独立を達成し(十日戦争)、次いでマケドニアが独立、さらに、歴史を通じてセルビアと最も対立していたクロアチアが激しい戦争を経て独立した。ボスニア・ヘルツェゴビナは92年に独立したが、国内のセルビア人がボスニアからの独立を目指して戦争を繰り返した。セルビア国内でもコソボ自治州が独立を目指したが、セルビアの軍事侵攻によって戦争となった(コソボ紛争)。
以上抜粋記事

モスタルの世界遺産スターリ・モストは破壊され、
スレブニツアでは8000人もの市民が射殺された。
この橋は近年再建された。平和の象徴となったが、
民族間のわだかまりは消えていない。

ボスニア紛争終結の数年後、ふたたび、セルビア系治安部隊とアルバニア系ゲリラの衝突が始まった。この紛争は、それぞれの民族に属する住民の間に深い憎悪と不信の溝を作った。紛争終結後、民族対立はいったん沈静化したように見えたが、2003年の春にコソボ全土でアルバニア系住民とセルビア系住民の間に大規模な衝突が起こり、民族融和の道が依然険しいことを国際社会に印象づけた。コソボ西部では、依然としてセルビア系住民は隔離された居住区に住んでおり、国際治安部隊に守られている。一連の紛争では20万人が犠牲となった。ユーゴ解体によって、大セルビア主義の民族主義に立ったミロセビッチ大統領のセルビア軍と各国の独立派が行ったのは戦闘だけではない。それぞれの国にはセルビア人や多くの民族、宗教が混在し、戦争の中で民族を建前に地域の他民族の追い出し、脅迫、女性への性的暴行、虐殺が横行した。他民族に恐怖を与えることにより地域を単純化しようとする民族浄化の行為が繰返され、戦争状態が容易に終わらない事態となった。各地域においては多数派の独立、少数派の抵抗、さらには主としてNATOは指示に従わないということでセルビア軍事勢力に対する爆撃を行った。

この本は1992年に書かれたので、まだコソボ紛争がおわっていない。しかし、火薬庫といわれた理由が歴史的背景から理解できる。実際民族浄化など、この後にもひどい事件が起きたのである。弱肉強食、強いものが弱いものを強いたげる、醜い争いとなった。
 20世紀末1992年から起きたユーゴスラビアの紛争は日本から遠い国の出来事であった。日本から出来ることは少ない。しかし、何が起きたかは知っておくべきだ。遠いユーゴだが、我々にもなじみの深いヨーロッパには至近なのである。民族浄化とか、イスラム教徒の集団虐殺など衝撃的な報道に驚かされた。当時の大統領ミロシェビッチやカラジッチは人道に対する犯罪行為のかどで戦犯として逮捕された。ボスニアヘルツェゴビナやクロアチアで何故悲劇が起きたか、憎悪と復讐の連鎖が止まらないのか分からなかった。パレスチナ紛争もあり、イスラム教とキリスト教、ユダヤ教などの一神教が原因であり、諸悪の根元という人もいた。バルカン半島の歴史について馴染みが薄く、分かっていることだけで評価するとその様な乱暴な理由付けになってしまう。歴史認識というのは重要である。500年にわたるオスマントルコの支配から解きはなたれた地域は過去の最大領土を自己主張しはじめる。大セルビア主義、大ルーマニア、汎スラブ主義である。民族主義を政治家が煽るとどこかで紛争になる。

ユーゴ紛争が歴史の必然のような出来事であることがこの本から理解できる。ユーゴ紛争はスロバニアとクロアチアのユーゴスラビアからの独立からはじまったが、その前に、ソビエト共産党の支配が無くなり、東欧に民主化の波が押し寄せた。ソ連の雛型のようなチトー体制で冷凍されていたバルカンに民主化と独立の波となって紛争が起きたのである。1989年12月のルーマニアのチャウシェスク政権の崩壊があった。民主化と民族自決の波が生まれた。バルカン諸国は一気に独立を目指すようになった。セルビアは従来のユーゴの中心であり、大セルビア主義の伝統から、これらに反発したのであった。というより、歴史は遡る。第一次世界大戦のきっかけとなったことだが、セルビアの青年が何故オーストリアハンガリー帝国の皇太子を暗殺したのかである。時事問題は新たな出来事に気を取られるが、歴史的背景を見て理解すべきである。その前のバルカン戦争でのロシアのセルビア支援も第一次世界大戦へと向かっていた。さらにはオスマントルコ支配やロシアとビザンチン帝国の関係で起きたことなのだ。ルーマニアのことも参考になった。古い話だがローマ帝国の支配もルーマニアには大きな影響があった。今もルーマニアはラテンなのである。
6つの共和国ースロバニア、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、マケドニア、セルビア、モンテネグロからなるユーゴスラビアの歴史的考察から見なければならない。バルカン半島は半島に沿っていく筋かの山脈が通り、民族が地理的に分断される。ところが大陸や海からは外敵が容易に侵入し、それぞれの民族が分断され、連携しにくい。バルカン半島の先住民構成から確認したい。

 バルカン半島はそもそも、ギリシャではない。マケドニアはギリシャからはスラブ人といわれ、マケドニアという名前を承認しない。スパルタはドーリス人である。トラキア人ーブルガリア、イリュリア人ーアルバニア、ダキア人ールーマニアの原住民であった。ブルガリアは4000年前から黄金文明が栄え、イリアスにも記録されていた。黒海沿岸の遊牧民ブルガル人が移動し、その後南スラブ人が定住、多数派となった。二毛作の穀物やワインの産地で豊かな地域であった。1014年サムエル帝の時にビザンチン帝国のパシレイオス2世と戦いビザンチンに敗北し、1018年に滅亡した。オスマン帝国に支配されるまでビザンチン帝国の属国であった。

 セルビアはステファン・ネマーニャ、聖サヴァが国内統一を図った。1330年ステファン・ドゥシャンがビザンチン、ブルガリア連合軍を打ち破りセルビア帝国最盛期を迎える。ところが、1389年6月28日オスマントルコにコソヴォの戦いで敗北。オスマン帝国ムラト1世対するセルビアラザル王ブルガリア、ハンガリー、アルバニア、セルビア連合は敗北、建国して60年後、セルビアはオスマントルコに支配される。バルカン諸国はかつて一度は周辺諸国を従え、帝国を築いたことがあり、それぞれの国のノスタルジーであり、大セルビア主義、大ユーゴといったナショナリズムの種となる。

1453年オスマン帝国メフメットⅡ世によってコンスタンチノーブル攻略 は完遂された。ウルバンの巨砲、軍船の陸越えによってなされた。ビザンチン帝国の支配は終わり、その後モスクワ公国が第3のローマとしてバルカンに介入してくる。オスマントルコは1529年、1683年の2度のウィーン包囲に失敗した後衰退が始まった。ルーマニアは常にオスマントルコとの抗争と妥協を繰り返した。トランシルバニア(ルーマニア西北部ーハンガリー)、モルダヴィア(東北部ートルコ支配)、ワラキア(南部ートルコ支配)である。15世紀から16世紀ミハイ王によるルーマニア統一がなされたが、ルーマニアはロシア帝国の支配下に置かれる。
 
 ボスニア紛争ではキリスト教徒とムスリムの戦いがあった。ボスニアのムスリムはトルコ系ではない。何故ボスニアにイスラム教徒が多いかーボスニアに多かった異端宗教ボゴミル(マニ教の一派、善悪元論)をカトリック、セルビア正教は布教の中で邪教として迫害したことから、反発した民衆は新しい支配者トルコのイスラム教に改宗したのであった。トルコの支配は宗教的には寛容で西欧のような宗教紛争や迫害はなかった。しかし、搾取や支配は過酷であった。例えば、デウシルメという支配の方法、トルコ支配のため、4年に1回行われるキリスト教徒少年狩りが行われた。彼らはイスラムに改宗されイスラム教育の後、トルコの精鋭部隊イェニチェリに組みまれた。オスマントルコ帝国の支配下では宗教改革も大航海時代もなく、ルネッサンス、自然科学の発達の恩恵、国民国家、産業革命などの西欧社会の発展要素が失なわれた。レハールのオペレッタ、メリーウィドウはモンテネグロがイメージされている。エキゾチックな国のドタバタ恋愛劇で多少軽蔑もある。だが、これを描いたオーストリアハンガリー帝国は崩壊する。だから、オーストリアでも、皇妃エリザベートやマリアテレジアの時代は国民の誇りで、バルカンの小国の貴族や金持ちが、ウィーンでラブゲームを繰り広げる様を上から目線で楽しんだのだ。

 オーストリアハンガリー帝国によるボスニアヘルツェゴビナ併合はその地域に多く住むセルビア人の反発を受け、オーストリア皇太子の暗殺、さらには第一次世界大戦への導火線となった。バルカン戦争によるセルビアの拡大ーマケドニアを領土化によってオーストリアハンガリー帝国との対立がピークになっていた。余談だが、トルコの改革者ケマルアタチュルクはアルバニア系トルコ人であった。
 
 オスマントルコの崩壊とトルコの近代化のため、ケマルアタチュルクは国父となっている。しかし、トルコもアルメニアの独立においては多くの犠牲があり、100万人以上が殺されたという。また、クルド民族問題は今も解決していない。このような複雑な民族と歴史においてよき指導者や、大きな権力がなければ混乱と争いは絶えない。ユーゴ紛争が国連の介入とアメリカの空爆によって収まったことは望ましいとは言えないが現実でもある。しかし、NATOの空爆によって多くの一般市民が殺戮されたこともあり、シリアの内戦などでその教訓が生かされていない。NATOの介入がセルビアの軍事的圧迫を抑制したかどうかも定かではないが、アメリカの積極介入がセルビアの軍事的優位性が崩したことが内戦の終結に向かったのではないかとも思う。しかし、、東西冷戦の体制であったNATOはバルカン紛争では機能しない。残された道は国連の地域紛争における介入ルールが実態に合ったものとなり、人道支援も出来ることと限界をはっきりさせることである。







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# by katoujun2549 | 2017-05-26 22:14 | 書評 | Comments(0)
1994年はまだソビエトが崩壊して間もない時代だ。ソビエト共産党が活動を停止し、共産党の一党独裁が崩壊したのが1991年。この本が書かれる前に早坂氏はウクライナを旅したことになる。このころのウクライナの旅行記ということはそれだけで貴重だ。
著者の早坂氏はポーランドに留学し、東欧の歴史に関する第一人者である。ウクライナというのは当時の強国ポーランドリトアニアとロシアに挟まれ、コサックを軸に歴史を駆け抜けた。早坂氏のポーランドからみたウクライナという側面はぬぐえないが、それは時代のせいでもあろう。ソビエト崩壊後とはいえ、スターリンやナチスに翻弄され、世界史的にも稀なホロコーストの受難を持ったウクライナの歴史は資料の公開もままならない時代で難しかったはずだ。今や、ウクライナはNATO諸国とロシアの狭間で紛争地帯も包含した世界に注目される地域となった。そうした視点が欠けているのはやむを得ない。しかし、当時のウクライナ知識人の様子は伝わってくる。今や、クリミア半島のロシア併合でロシアが経済制裁を受けている状況や、北朝鮮の問題にロシアが微妙な影を投げかけ、トランプ政権の誕生など予想もつかなかった時代に書かれたことを念頭に読んだが、早坂氏のポーランドとウクライナの歴史的関係に関する膨大な知識に感服した。
普段なじみのないウクライナの歴史であるが、この本を機に自分なりに理解した内容を下に記した。

1.ポーランドとウクライナ

2014年ロシアのクリミア併合は西世界の批判と経済制裁が続いている。さらに、ロシアとの国境周辺では紛争が戦闘の形で繰り返されている。ハリコフ周辺は危険といわれている。しかし、キエフやオデッサ辺りは観光客も多く安全らしい。ポーランド映画の「火と剣」はシェンキービッチの大河小説を映画化したスペクタクル作品で、you-tubeでかなり見ることができる。英語字幕がついているものもあり、筋書きは理解できる。しかし、このドラマはポーランドとコサックの戦いが舞台となっており、コサック側にはイスラム教徒の将軍や、モンゴル人のような衣装の兵も見られ、どのような民族背景があったのか分からなかった。そこでポーランドの歴史を多少読むと、西欧中心の歴史とは別の世界を垣間見る。ポーランドにとって15世紀のポーランドーリトアニア連合国家であった時代が絶頂で、これをヴォスポスポリータといって彼らの郷愁をそそる時代のようだ。ポーランドとリトアニアの連合軍は1410年タンネンベルグでドイツ騎士団に勝利し、後にヨーロッパが30年戦争で疲弊している間、ヨーロッパ最強国であった。華やかな貴族文化も生まれた。ポーランドは貴族の天国で、農民の地獄とも言われ、自国民やウクライナを搾取した。北のロシアは農奴制が始まり、ウクライナのコサックは先はポーランドに反旗を翻すことになった。これがザボロージェコサックのヘトマン(首領)フリメニツキの反乱であった。彼はロシアと組むことでヤレウスラヴ条約にこぎつけ、ポーランドにコサックの土地所有を認めさせ、コサックの国家を作ったが、ロシアに吸収され、第二次世界大戦終結後のフルシチョフ政権まで苦難の歴史を歩んだ。ポーランドやリトアニアもそうだが、大国の間に挟まれた小国が、武力を巨大化させると、結果的には悲惨な物語になっている。これは今日のシリアの内戦や北朝鮮の事情にも繋がる。歴史は繰り返される。ポーランドやリトアニアは日本からも遠く、ウクライナも含め、無縁の世界のように見える。しかし、日本はロシアには近く、軍事上も関係があり、ロシアの国家統治の要である周辺民族国家との関係が、ロシアという国の謎を読み解く鍵でもある。今の政治状況や歴史を読み解くにあたり、ポーランドから見たウクライナ、ロシアから見たウクライナの情報はあっても、ウクライナから見たポーランドやロシアは語られることが少ない。その意味から、東京工業大学の早坂真里教授のウクライナ旅行記は貴重な視点である。

2.ウクライナ旅行記

キエフ公国が成立し、ビザンチン帝国との関係がオスマン帝国によってコンスタンチノーブルが陥落するまで、ロシアはウクライナを中心としていた。ロシアの起源はウクライナでもある。1954年フルシチョフによってクリミアがウクライナに併合された。ウクライナはそもそも共和制であったが東西冷戦下であり、ソビエト共産党の独裁下にあったし、ソ連の支配下にあった。ソ連の崩壊がウクライナをNATOに接近することはロシアには耐え難いことであろう。ヨーロッパでは、ロシアを弱体化させるにはウクライナをロシアから切り離すことが効果的であるとビスマルクは提唱していたという。ウクライナの大平原はヨーロッパの穀倉だった。ポーランドにとってもウクライナを支配した歴史がある。ソ連はウクライナを利用しつくした。帝政ロシアの騎兵はコサックであり、強力な軍事組織として露土戦争で活躍した。ところが、ロシア革命後はソ連の穀倉地帯として共産党ソビエト政権が軍備のために収穫した穀物を簒奪した。このためにウクライナの農民5の20%500万人が餓死、50万人ものクリミアタタールも餓死した。ホロムドールといわれ、世界では人道に対する犯罪行為とされている。サボロージェコサックとタタールは反革命のかどでシベリアに追放され、また、トルコに逃れた。他のドンコサックも同様な仕打ちを受けた。近年復権し、故郷に戻っている。彼らが故郷に帰れたのはソ連の崩壊後であったが、あまりにも大きな犠牲であった。

早坂氏の旅行記ではクリミヤタタールの帰還者との交流がかかれているがコサックにはあまりふれていない。ポーランドからの宗教者、農民問題研究者ヴァレリアン・カリンカの研究論文もあり、旅の目的のひとつであったようだが、何故かホロムドールには触れていない。チャイコフスキーのこと、名前が、我々には馴染みがないと思っていたが、あの大作曲家チャイコフスキーがウクライナコサックの家に生まれた人物とは知らなかった。彼女の思考はポーランド留学の経験からどうしてもヴォスポスポリータ風になるのだろう。ウクライナの歴史は彼ら自身の手によって復元するしかない。

3.コサック

コサック兵は、何百年もロシア皇帝の軍隊として兵役に就いたが、その形態は傭兵的であり、比較的解散が容易で、国庫の負担が軽い、為政者にとってはまことに便利な存在になっていった。そしてコサックの成敗に、コサックを指し向けるということが行われた。最終的には1917年の革命の際、ペトログラードのコサック兵はロシア皇帝を見限った。その後、ロシアの革命政府はコサックに独立の空約束を繰り返すとともに徹底的な弾圧と殺戮を繰り返した結果、コサックは根絶され、今日のコサックはノスタルジアの世界だけに主に存在し、軍事的な重要性はない。

ただ、「コサックをやっつけるのにコサックを使う」式の、グループ間での対立を煽る「戦争マネージメント」のスタイルは、こんにちのウクライナを巡る紛争にもハッキリと見て取れる、常套手段的なロシアの手口は変わらない。

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# by katoujun2549 | 2017-05-20 18:15 | 書評 | Comments(0)
ユダヤ人とは誰か
第十三支族 カザール王国の謎
アーサーケストラー著 宇野正美訳 三交社

何故東欧やロシア、黒海周辺にユダヤ人が多かったのかが理解できる。ナチスも東欧やロシアに進攻したのは資源確保ばかりが理由ではなかった。
ユダヤ人の絶滅は
彼らの戦争の大義名分であった。

ユダヤ人は紀元70年ローマ帝国にエルサレムを攻略され、パレスチナから流民として脱出したが北アフリカ方向に移住したグループ(セファルディ)と北のシリアからトルコ方向からさらに黒海方向に移住したユダヤ人に分かれ、ヨーロッパにまで移ったグループがアシュケナージウムといい、シオニズムの原点となった。彼らは難民ではなく、移住した先でコミュニティを形成する。ヨーロッパではユダヤ人は迫害され、20世紀に入りパレスチナが約束の地であるとして移住したために、先住のパレスチナ人と衝突し、今日のイスラエルとアラブの対立を招いている。アラブからはアシュケナージウムのユダヤ人は、もともと、カザール国がパレスチナ人でもないのに国教としてユダヤ教に改宗し、カザール国が崩壊した後でヨーロッパに移ったものでアブラハムの子孫ではないという説がある。アシュケナージウムカザール説には無理がある。この書ではカザール国の成り立ちと滅亡の歴史を詳細に記している。カザール国がカスピ海北岸からコーカサスにかけて7世紀に栄え、ビザンチンやイスラムの狭間で緩衝地帯を形成し、巧みな国家運営を行っていた状況を古文書などを駆使して説明している。ディアスポラのユダヤ人はローマ帝国にも流れたと思われ、彼らのシナゴーグがキリスト教の発展に大きな役割を果たしていたはずだ。そもそも、北アフリカのユダヤ人も含め、イスラム教徒はユダヤ人には寛容であることが多く、中世においてもエルサレムには多くのユダヤ人が住んでいた。十字軍は彼らを殺戮した。地中海貿易においてもイスラムのオスマン帝国などにいたユダヤ人がヨーロッパに移ってきたこともあろう。アシュケーナージウムのユダヤ人がカザール国にのみ起源を持つとするには彼らの言語系からみると無理があるという。彼らはトルコのチュルク系であり、今のヘブライ語、イデッシュ語とは共通点があまりにもないからである。ユダヤ人は世界各国でコミュニティを形成し、最近ではナチスの迫害から多くのユダヤ人がアメリカに移住し、ニューヨークや各地でコミュニティを築いている。ヨーロッパにおいても少数派のエスニック集団であり続け、ユダヤ教以外には歴史や文化を共有しているとは限らない。国籍も、文化も、言語も共有していない、宗教のみが同じ文化集団であると見た方が良いだろう。アラブ側がアシュケナージウムのユダヤ人がアブラハムの子孫ではないと言い切る理由もないのである。

ケストラーによるとポーランド、リトアニアのユダヤ人はカザールの末裔であるという。ポーランドには19世紀に500万人のユダヤ人がいた。ポーランドの建国にも深くかかわっていたという。彼らはカライ派というユダヤ教の一派で、古代カザール語を話していたという。彼らが何故かこれを捨て、イディッシュ語を話すようになったかは氏の推理を聞くと、アメリカの日系3世が日本語を話せなくなるようなもので、当時の東欧はドイツの影響が強く、ドイツ系ユダヤ人の言語に切り替わったのである。

モンゴルの進攻によってカザール人は津波のように移動したのではなく、300年くらいかけて、彼らの知識や人材が東欧で重用されつつポーランド、ハンガリー、キエフなどに移っていった。彼らは金銭感覚が評価され、ポーランドでは造幣局長官、塩の専売、金融業における要職を得ていた。こうした傾向は昔から変わらない。彼らはシュテトゥルという独特の共同体村落を形成し、そこから運送業、製粉業、馬屋、職人、毛皮の取引など、カザールの時代の職種を受け継ぎ、13世紀に社会的地位を確立した。第二次世界大戦でドイツ軍がオランダなどで都市のユダヤ人を強制移住させたのと、ポーランドやロシアでユダヤ人の村を襲いアインザッツグルッペンが虐殺していったやり口は違っていた。ヨーロッパのユダヤ人がゲットーを形成したこととは異なっている。ポーランド、ハンガリー、リトアニアのユダヤ人はカザールを起源としていると言って良い。西欧のユダヤ人は当初は金融や商業に圧倒的な能力を示し、財力を蓄えたが、封建諸侯の簒奪、十字軍、ペストの流行、さらには宗教裁判などで絶滅してしまったという。しかし、財産のあまり無いユダヤ人は逃げることもできたであろう。十字軍のために殺されたユダヤ人は地理的に限られたであろう。ペストはユダヤ人に罹患者が何故か少なかったので彼らが毒を撒いたという流言飛語が原因であった。西欧のユダヤ人は多くが東欧に逃れた。このこともポーランドやハンガリーにユダヤ人が多買った理由である。フランス、イギリス、イタリアにもユダヤ人は生き残っていた。例えば、ロスチャイルドがカザール系だったのだろうか。ポーランドやハンガリーがカザール系というのは理解できる。しかし、氏の論うを全ヨーロッパに向けることは無理がある。彼の推論がイスラエルはカザールであるというアラブの批判に繋がるとすれば危険である。
  
  このアーサーケストラーの書はイスラエルでは禁書になっていると言われているが、内容としては第一部でカザール王国の交流と没落について文献学的な考察を行っている。特にアラブの旅行家イブンファドランが周辺民族と興隆する中で見たカザール国、ビザンチンの宮廷に入ったカザール人など周辺の諸国に残された文献からカザール国の隆盛を語っている。ユダヤ教を選択した経緯はケンブリッジ文書などから記録が残っている。ユダヤ教に改宗する前の南ロシアにおけるカザール国は勃興したイスラムの侵入とビザンチン帝国、さらにはカトリックに挟まれ、窮余の策としてユダヤ教を選択しバランスをとった。周辺にはマジャール人、グズ人、ペチェネグ人、アラン人、ポロベツ人などがおりこれらの民族と巧みにバランスを取りながら興隆していた。ビザンチンやオスマントルコがこうした遊牧民の侵攻に苦しんでいたが、カザールはマジャール人などを従えうまくやっていたのだ。しかし、9世紀にバイキングのルス人がノブゴロドに拠点を置き、ビザンチンと交易をドニエプル川からボルガ、ドン川を睨むサルケルに砦を築き、バイキングから10%の税金を取ることを始めた。これがルス人には邪魔になり、結果的には次にカザールが攻撃され滅びる原因の一つとなった。この本ではルス人がルーリックを頭にビザンチンと交易し、さらにキリスト教に改宗したウラジーミル公がキエフ公国を形成するに至る経緯も説明している。この流れがカザールの滅亡につながるのである。

第二部ではカザール国が滅びた後、東欧やロシアに移住したカザール系のユダヤ人の行く末が語られている。カザール帝国最後の100年についてはロシア、カザールの対立から、その滅亡に至る記録が紛失しており、分らない。そこが、ユダヤ人のヨーロッパ流入の未知なる部分で憶測を産むのである。862年のルス人のキエフ占領、さらに913年のイスラム圏への掠奪、侵攻にカザール国は税金を取るどころか、傍観するしかなかった。965年にはカザールのサルケル砦も陥落し、ルス人がウラジーミルの代にキリスト教に改宗、キエフ公国がビザンチンのキリスト教を受け入れたことでカザールの滅亡は加速した。モンゴルの進攻によってポロベツ人やマジャール人などが完膚なきまでに滅ぼされ、西方に離散、カザール国も消滅していくが、カザールのユダヤ人がハンガリー、ポーランド、ロシアのユダヤ人の起源であるということが立証しようと根拠を示し、著者の論理を積み上げている。周辺諸国の文献から痕跡をつなぎ合わせ、推定している。ヨーロッパがローマ帝国、バイキング、さあらには通牧民の移動と民族の混合によって成り立ったことがこの本からもよく理解でき、その意味において貴重な内容となっている。


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# by katoujun2549 | 2017-05-19 07:41 | 書評 | Comments(0)
子供のころ、市川市に住んだが、梅松園という6件の戸建ての長屋のような住宅街があり、近所に住んでいた自分はよくそこの子供たちと遊んだ。その最奥の一軒に和田さんという家があり、未亡人と2人の息子がひっそりと暮らしていた。昭和26年ころ、奥様が亡くなられ、母親がお通夜に行った時のことを今でも覚えている。近隣で太平洋戦争時の高級将校であった和田さんは尊敬されていたが、終戦直後のころ、敗戦の責任者の職業軍人であり、業績を語る人は世間ではいなかった。実際は多くの軍功のある立派な軍人であったと母は言っていた。2人のご子息とご長男のお嫁さんが暮しておられた。沖縄戦で戦死された和田中将のお宅だと子供でも知っており、今も記憶に残っている。沖縄戦では、牛島司令官、長勇参謀長、八原上級参謀が有名であるが、和田中将のことは語られていない。しかし、調べてみると、沖縄の砲兵の責任者であり、この洞窟陣地からの砲撃がアメリカ軍に大損害を与えていたことを知った。米軍司令官バックナー中将も砲撃が命中し戦死した。沖縄の日本軍の大砲の命中精度はアメリカ軍も認めており、驚異的な水準であった。千葉県市川市は国府台に首都防衛の高射砲部隊がアメリカの空襲に対する防衛拠点であったため、和田中将が沖縄に派遣される前に住んでおられたのだろうと推察される。沖縄は今もなおアメリカ軍の重要拠点であるが、アメリカ軍がどれだけ多くの犠牲を払ったかは、数値でも知られている。単なる統計であり、彼らの苦労は一般には意外と知られていないような気がする。映画、パシフィックやハックソーリッジで表現されて初めて知る。記録映画では安全なところからしか撮影されず、凄惨な場面は推定するしかない。もちろん日本は住民の損失も含め、米軍の10倍の損失を出したが、その内容が問題である。沖縄戦ではアメリカ軍の圧倒的な物量と砲爆撃、ひめゆり部隊や集団自決の悲劇が語られることが多い。日本軍の60日にわたる激しい戦いについては語られず、単なる負け戦で括られることが多いのではないか。

(注)アメリカ海兵隊の公式活動報告書でも「(日本兵は)よく訓練され、統制もとれた陸軍兵士で、特に士気の高さと、身体能力の高さは特筆すべきである」とか「日本軍の兵士は常に頑強で機知にとんだ戦法で戦い、絶対に降伏しなかった」等、その能力を高く評価している。

第5砲兵司令部司令官:和田孝助中将は ‐ 野砲兵第42連隊、独混44旅団砲兵隊、各歩兵連隊・歩兵大隊連隊砲大隊砲、師団および独混の速射砲を除く全砲兵部隊を指揮された。和田中将指揮下の部隊は対空砲部隊を除くと以下の通りであった。アメリカ側の軍備はあまりにも大きく比較にならない程で割愛するが、ドイツとの戦いのハイライトであったノルマンジー上陸作戦を上回るものであった。アメリカ軍はオマハ海岸やバルジ戦、イタリア戦線では優秀なドイツ軍に悩まされたが、沖縄ほど厳しい戦いはなかった。特に、特攻機による損失は甚大であった。沖縄は「捨て石」という言葉が誤ったイメージを与えている。まさに本土決戦の雛型であり、日本軍も精兵を送っていた。特攻も含め最後の力を絞って戦った。アメリカも弾薬がつきそうになったほどである。砲兵部隊の内容は物量面では鉄の暴風というほどで、米軍と比較にならないほどであるにもかかわらず、彼らを苦しめた。日本軍かく戦えりであった。

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沖縄の軍司令部地下壕の遺跡

自分は当時の軍司令部の将官を評価する知識は無いが、結果論からは、牛島司令官の下にいた長勇参謀総長の責任が大きく、沖縄日本軍の消耗を加速したように見える。彼は軍人であると同時に、政治力のある人物で、帝国陸軍エリート軍人の典型であった。彼の功績で、沖縄の総動員体制が実行され、陣地構築の動員力は
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素晴らしいものであった。ところが、戦術的には自信過剰で、米軍の物量と合理的な戦闘を理解できなかった。頭脳明晰な八原参謀は後に持久戦を指揮し、米軍に大損害を与えたが、この作戦が、結果的には多くの住民の犠牲を生んだことは否めないだろう。沖縄戦までは天皇陛下も何とか戦況を挽回しようと、沖縄の日本軍に総攻撃を期待していた。長参謀の無謀な突撃戦術はそこからきていた。沖縄の戦いで、米軍もバックナー中将や司令官が戦死しており、彼らにとっても過酷な戦場であった。フィリピンと違い、今日もアメリカが沖縄を手放すことはありえないという印象を持つほどである。日本側の悲劇は伝えようとするマスコミだが、あまりアメリカの損失を報道しない。
沖縄戦の敗北から日本の本土を戦場にすることなく平和を得た我が国の判断は正しかったと思う。一方では、アメリカが九州上陸や本土決戦をあきらめ、原爆投下によって一気に終戦まで漕ぎつけようとしたことは、この沖縄戦が彼らに与えた恐怖からきている。これは歴史の常識である。日本人としては原爆投下のような無差別殺人は許されることではない。アメリカも、実際は日本に原爆投下をしたことは、日本の報復を恐れ、日本が核武装をすることを絶対に認めない原因にもなっている。沖縄の犠牲といってよいのかどうかわからないが、結果的には戦争の終結をもたらし、今日の平和の礎となった戦いであるという評価をきちんとすべきだと思う。沖縄、広島、長崎の悲劇のおかげで今日の日本の姿がある。しかし、ロシアのスターリングラードや、ベルリンなどが軍事基地になっていない。むしろ平和の象徴になっている。沖縄は、残念なことに、今なお軍事拠点である。悲劇の島であったことから早く脱却し、世界平和に貢献する日本の重要な拠点となるように努力すべきだと思う。

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# by katoujun2549 | 2017-05-15 12:16 | Comments(0)
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またもや、メル・ギブソンが監督し、HacsawRidgeという変な戦争映画が昨年公開された。you-tubeで一部を見ることができる。沖縄戦の史実、日本では前田高地の戦いという激戦で、今の浦添市での出来事である。アメリカ陸軍のDesmond T. Dossという衛生兵の物語である。彼は兵役につくが、銃を射つことをキリスト教の信念に基づき拒否し、幾多の弾圧にめげず、衛生兵として従軍、沖縄戦で決死の活躍を見せ、70人以上の負傷兵を救った。その功績でアメリカの歴史で初めて名誉勲章を授与された。そのテーマは素晴らしいのだが、映画表現ともなると、メル・ギブソンの残虐趣味がいかんなく発揮され、実に酷い映画となった。この映画の製作意図は一体なんだろうと思わせる。日本公開は6月だそうだ。沖縄戦の実態は鉄の暴風といった表現、ひめゆりの塔とか、悲惨な物語が多々あるが、アメリカ兵にとっても過酷な戦いであった。この戦いではアメリカ兵は300人以上の戦死者が出たが日本人は10倍であった。この映画では日本兵は残虐な攻撃者で、どんどん機関銃で撃ち殺される。日本兵はまるで、野蛮人のように凶暴である。日本軍は統率においては世界でも名だたる軍隊であったことは無視されている。沖縄戦の特徴は日本軍の巧妙な陣地構築による抵抗がメインで、米軍は日本兵の姿を見ることができないことも多かった。しかし、沖縄戦の現実は実はそのようなことよりも、一般人が軍人以上に殺されたことにある。この映画の舞台となった浦添では住民の半数が犠牲になった。組織的な集団投降もあったが、米軍高官が狙撃されたりすると、住民の虐殺、投降兵の処刑なども行われ、絵で描いたような戦場ではなかった。映画パシフィックではその実態が描かれていた。アメリカは国土が近代戦の戦場になっていない。彼らにとって戦場は外国であり、スポーツのような勝ち負けの世界だ。戦死した兵士のみが過酷さを味わうような表現になるが、実態は一般の人々の恐怖や苦しみ、悲しみは大きく、そこは伝わってこない。商業化されたアメリカ映画の限界かもしれない。
沖縄戦の過酷な状況に関しては、日本の映画界も描くべきではあるが、アメリカの物量、大規模な攻撃の様子が再現できない。お金がかかりすぎるし、彼らの装備なども時代考証がうまくできない 。近年、パシフィックや、硫黄島からの手紙など、アメリカ側から映像が制作されている。これらにおいても、アメリカ軍も必死に戦った。前田高地は嘉数高地の戦いの後4月26日から行われた。嘉数ではアメリカ軍の戦車は30両のうち22両が破壊された。日本軍の反斜面陣地が機能した。しかし、日本軍はこの戦いで兵力の半分を消耗させて結局敗北することになった。日本軍は牛島司令官の下に「典型的なおバカ帝国陸軍軍人」の長勇中将という参謀が前近代的な戦法で突撃を主張して戦力を失い自滅したが、その後、司令官は八原大佐というアメリカにも留学した見識ある参謀の意見を取り上げて持久戦に転じアメリカに大損害を与えた。反斜面陣地の概念図
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映画では今回のハックソーリッジもそうで、日本ではどうしても制作できないのが戦闘シーンなのである。アメリカ側からの日本軍はおバカな突撃をする姿しか映像化されない。東宝映画激動の昭和史シリーズ「沖縄決戦」が1971年に公開されている。日本は中国戦線に関しても映画は少ない。こうしたことが、日本の社会における戦争への反省のつまずきになっているとしたら残念なことである。沖縄では摩文仁の丘が観光地になり、その悲惨さを伝えているが、アメリカとは前田高地から嘉数、シュガーローフ、首里攻防戦が最も激戦であった。日本軍は犠牲は多かったがよく戦った。米国側は1万2520人。何千人もの米兵が戦後もPTSDで苦しんだ。ヨーロッパ戦線では見られない規模であった。日本側はその15倍、18万8136人が亡くなったとみられている。このうち沖縄県出身以外の日本兵は6万5908人。沖縄県出身の軍人・軍属は2万8228人。一般の住民は9万4千人。沖縄県民全体では12万2千人以上、県民の4人に1人が亡くなったといわれている。沖縄戦が終了後、アメリカ兵に強姦された女性は1万人ともいわれ、戦後も沖縄の苦難は続いた。日本映画は沖縄の悲劇の一部しか伝えていない。アメリカは総司令官のバックナー中将も戦死した。日本の牛島司令官も自決したが、両軍の司令官が戦死するという厳しい戦場だった。多くの戦死者、特攻被害を考えると本土決戦でどれだけの被害が出るか恐怖し、原爆の使用に踏み切ったことも現実であった。太平洋戦争において日本軍の近代戦に関する誤りから損害が大きかったこと、沖縄においても多くの作戦の誤りから、必ずしも物量の問題だけではない。結果的には県民の25%を失ったことを考えない歴史認識は誤りである。日本が悲劇の主人公であったわけではないことを国民は知らされていない。
日本側の記録として外間守善氏の「私の沖縄戦記ー前田高地 60年目の証言」を読むことをお薦め致します。

私の沖縄戦記 前田高地・六十年目の証言 (角川ソフィア文庫) 文庫 – 2012/4/25


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# by katoujun2549 | 2017-05-06 22:22 | 映画 | Comments(0)
国土防衛はロシアとの平和条約とハイテク兵器の開発で

⒈経済制裁と兵器開発

北朝鮮の核兵器開発は従来の外交努力が限界となっていることを示している。日本はどうすべきか。ネックとなるのが中国の経済封鎖を無力化するロシアのトンネル的な北朝鮮支援である。中国にはアメリカのトランプ政権が要求を通すだろう。問題はロシアである。アメリカはシリアの爆撃でプーチンとは対立したままである。プーチンはむしろ北朝鮮を煽り、自らの外交カードを有利に使いたい。アメリカも今は戦争などしたくはない。
日本はロシアには経済封鎖に協力してもらわなければならない。そのためにも、北方領土交渉での経済協力ではなく、対北朝鮮防衛のために北朝鮮のロシアとの交易を止めることに見合った貿易量を増やし、北朝鮮の経済封鎖を貫徹し、そのためにも平和条約を締結する。アメリカは日本とロシアの交易が進むことを望まない。しかし、このことがアメリカの軍事利益に通じることをトランプ政権に主張することが良い切っ掛けである。北方領土交渉で経済を交換条件にするのは間違いである。北朝鮮の軍事対決よりはるかに安上がりである。今こそチャンスである。

もうひとつ重要なことはロシアと丸腰で交渉しても何も得られないという現実である。ロシアは歴史的に暴力国家だ。しかし、わが国は兵力では到底ロシアの敵ではない。日本がロシアに存在感を見せつけることができるのは兵器の開発力。核ミサイルを完璧に叩けるのはレールガンとレーザー兵器である。この開発である。実戦配備には膨大な電気エネルギー、1機12万キロワットのエネルギーが必要である。これは既存の原発を利用する。原発は軍事利用すべきだ。何も原発を軍事基地にする訳ではない。その電力をレザー砲とレールガンに振り向ければ良いだけである。原発の周囲はロボットの警備員、ミサイルや侵入者を無力化する超音波兵器で固め、コマンドがどこにいても身動きできないようにすれば良い。従来の大砲の原理は1000年前のものであり、火薬の爆発力以上の速度はでない。弾丸はせいぜい音速の2倍程度だ。レールガンは7倍にまで加速し、火薬を使わないから弾丸の連続発射も可能だ。アメリカでは実用の寸前まで開発が進んでいる。日本の民生技術によって小型化や実用化が進む。
軍事技術は矛と盾であるが、核という矛を持てない以上、盾で備えるしかない。

2.ハイテク兵器

また、海上配備には発電能力の高い専用船を開発し、レーザー兵器とレールガンを備えたイージス艦を建造することである。その為には20年を要するかもしれないが、日本を核武装すするより、はるかに効率的で国内の民意も通しやすい。核武装はアメリカが望まないし国民合意が得られない。日本がこの分野でアメリカと並ぶ先進性を持てば日米が世界の兵器開発の最先端となる。イスラエルはイランの核の脅威に備えアメリカと共同開発で、既に実用段階に入ったレーザー兵器を保有しているという。日本より遥かに核の脅威に怯えるイスラエルに学べば良い。答えは出ているのである。国内では平和主義者の学者が中心に反対するに違いない。そこで、これは宇宙からの飛来物の隕石の破壊研究とか、リニア技術の民生技術の応用とすれば良い。もともと軍事と民生の区分は曖昧だから、日本は民生、アメリカで軍事と分野を分ける。日本のカーボンファイバーやステルス塗料がアメリカでは軍事に使用されている。官民共同で行うことが前提である。大学などという厄介な機関はパスすべきだ。学問的な基礎技術分野は企業研究者をアメリカに留学させて日本の大学はこれもパスすることだ。頭のかたい日本の大学人は無用なのである。こうしたハイテク兵器はイスラエルが熱心に開発し、特にセキュリティでは群を抜いている。超音波兵器は既に実用化されている。原発はこれで守れる。
超音波兵器はLRADといい、電磁波兵器ADSは、サイレント兵器であり、電圧を上げて人体に照射すれば心筋梗塞で死亡してしまいます!

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3.レーザーガンとレールガン

アメリカ海軍の実験中のレールガン
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2014年4月7日、アメリカ海軍は、2016年会計年度中にレールガンの試作機を最新鋭の高速輸送艦ミリノケットに据え付け、洋上での実証試験に入ると発表した。日本では、防衛省の平成27年度概算要求にて、「艦載電磁加速砲の基礎技術に関する研究」を記載している。特に宇宙空間では空気抵抗が無いために、高速で運動する物体の破壊力(運動エネルギー)は発射から命中までの間、ほぼ無期限に保存される事、また電源として大気越しではない太陽光が利用できる事から、レーザーと並んで宇宙兵器の有力候補に挙げられている。
レーザー兵器は電力を使うが、一発当たりのコストは安い。ミサイルの迎撃のロケットは価格がたかすぎる。トレイニングにも制約がある。レーザーが距離的には光の直進性から限界があるが、ミサイルの迎撃や現代の科学力からは最も実戦的である。アメリカがすでに艦船搭載の兵器として実戦配備しているから、アメリカの技術に全面的に依存するだろう。日本としては脊に腹変えられない。その交換技術としてもレールガンは日本が主導すべきであろう。gigazine.netによると

2012年に、ドイツのミサイル開発会社MBDAが40KWのファイバーレーザーを搭載したapproachで、2キロ離れた対象を破壊することに成功。MBDAのマーカス氏は従来のロケットなどの爆発物に比べ、レーザー兵器は標的以外への被害を最小限にすると主張していますが、レーザー兵器の本格的な運用には3年から5年はかかるだろうと予測されています。一方で、ロッキード・マーティン社は、走行中のトラックのエンジンを破壊することができるATHENAと呼ばれるレーザー兵器の存在を既に報告しています。なお、先進技術専門家のポール氏によると、霧が立ち込める場所では、ロケットなどの通常兵器がまだまだ有効であるので、5年から10年ぐらいたてば、レーザー兵器が米軍の一部で本格的に配備されるかもしれないとのことです。

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既に実際に搭載されているレーザー砲
ミサイルや迫撃弾を破壊しており、イスラエルでは実用段階



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# by katoujun2549 | 2017-05-03 15:16 | Comments(0)
ボロディンのオペラ、イーゴリ公は壮大なロシアの異民族との戦いを描いた物語である。しかし、これがどんな史実にもとず、時代的背景があるのか、あまり知識が無かった。調べてみると、これはモンゴルの来襲以前のロシアの異民族との混乱の時代の話である。このオペラはロシアでは人気のある演目でボリショイ劇場改修のこけら落としでも演じられた。you-tubeでも見ることができる。
このオペラでダッタン人の躍りというのがあり、その雄壮かつ美しい調べはこのオペラのハイライトである。しかし、このダッタンというのは正確にいえば誤りで、ポロヴェツ人の踊りというのが正しく、西欧ではpolovitsion danceとされている。ポロヴェツ人もハザール人も13世紀のモンゴルの襲来によって完膚無きまでに破壊され、歴史から消えた。

ボロディンはこの作品を完成させる前の1887年に逝去し、リムスキー=コルサコフグラズノフの手により完成された。楽譜には「このオペラはリムスキー=コルサコフが序幕と第1・2・4幕、第3幕の「ポロヴェツ人(韃靼人)の行進」の編曲されていなかった所を編曲し、グラズノフはボロディンに残された断片を使い、第3幕を構成し作曲し、ボロディンが何度かピアノで弾いた序曲を思い出しながら再構成と作曲をした。」と書かれている。

初演は1890年

この踊りには振り付けが2通りあり、ボリショイ劇場やキーロフ歌劇団などで選択され、最近のものでは 民族衣装を考証し、ロシア的な雰囲気が表現されている。12世紀のことで遊牧民族ポロヴェツ人のことは不明であるが、かなり野蛮な連中だったようだ。彼らは13世紀になるとチンギス汗の子、バトゥに追われ、東欧に逃げる。アジア系のダッタンとは全く別の民族である。ハザール国との国交を目指したイスラム旅行家イブン・ファラドンの記録では、トルコ系のこの地域の民族グズ族は裸で、女も陰部を人前で平気で掻いたりびっくりするほど野蛮な連中とされている。だからオペラでも、ヘソだしスタイルの奔放な衣装で女性は踊るので、エロチックであり、これが意外と史実に忠実ではないだろうか。
http://kotobank.jpより:『イーゴリ遠征物語』は、1185年の春にノヴゴロド・セヴェルスキー公イーゴリが遊牧民ポロヴェツ人コンチャーク)に対して試みた遠征の史実に基づいた物語である[1]。はじめポロヴェツに対して勝利し、やがて敗れ囚われの身となったイーゴリ公が、ポロヴェツ人の協力者を得て脱走し妻ヤロスラヴナのもとへ帰るまでが、韻律散文で書かれている。また作者は、祖国の南方ルーシをこの遊牧民の脅威から守るため、諸侯が内紛を止め団結して立ち上がるよう呼びかけている[2]。本文は南方の古東スラヴ語で書かれており、作者はキエフ人かチェルニーヒウ人であったと考えられる[3]ロシア文学史上高い評価を受け、アレクサンドル・プーシキンが「わが国文学の荒野にただひとつ立つ記念碑[4]」と呼び、ソ連時代に出版された日本語訳の解説などでも「中世ロシア文学の頂点[5]」と紹介される。古フランス語叙事詩ローランの歌』などと比肩される。
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# by katoujun2549 | 2017-04-27 21:26 | Comments(0)

カトリックでは輪廻転生といった考えに関してははっきりNoと言う。中世のフランスで異端カタリ派がそのような考えを持っていた。聖書にもとずく信仰を持っていたが同時に、マニ教やグノーシス的な考え方をもった異端カタリ派がラングドック地方、カルカッソンヌなどで勢力を持ち、多くの諸侯が信奉していた。カルカッソンヌには巨大な城壁をもつ城塞があり、ついにはアルビジョワ十字軍が編成され、カタリ派との戦いが繰り広げられた。当時の時代背景としてローマ教皇庁内部の腐敗に対して、カタリ派のもつ純粋な信仰と、清貧な生活に対して共感を持つ人々も多かった。カタリ派の教義は複雑で自分には説明できるほどの知識はないが、当時腐敗しつつあったローマ教皇庁への批判という意味においては後の宗教改革の布石となったといわれている。 アルビジョワ十字軍によってその拠点、カルカッソンヌがあっけなく落城し、カタリ派のみならず、多くの民衆が略奪暴行処刑によって命を落とし、フランス史における汚点ともなっている。「カルカソンヌを見ずして死ぬな!」と作家メリメが明言し、欧米ではモンサンミッシェルに匹敵するほど有名な、南仏の偉大な世界遺産となっている。全長3kmの城壁内では中世の街並みが広がり、寺院や野外劇場など多くの見所があるが、この城塞都市がカトリックの異端の中心であり、異端審問や大殺戮があった場所であることを観光客はどう見ているのだろうか。カタリ派の信仰は現代のキリスト教信仰にも示唆を与えてくれるが、教義的には誤りであると自分は思う。カタリ派ではこの世は穢れ、魂の救いは清貧の生活と選ばれたものが与えられるとするが、キリスト教では行為義認や自力救済は否定される。プロテスタントもカトリックも同じような禁欲を是とするが、結果は同じでも救いは神によって行われる。輪廻という考えもない。カタリ派はキリスト教の経典を利用した全く別の宗教で、これは今日のエホバの証人や統一教会にもみられる異端の特徴である。

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カタリ派は善悪二元論である。神は天、霊、魂を作った。地、肉体、物質は悪しき神が作った。ヨハネによる福音書を根拠にしているとも言われ、物質世界という悪しき牢獄を脱して真の故郷である天に還ることが人間の救いであると説いた。彼らは信仰共同体を成立させた。カタリ派では完徳者と言って、聖職者階級とは違うのだが指導的な階層で一般信者もいずれ完徳者になるのだが、それまでは普通の生活を営み、多くの一般信者は死を悟った時に唯一の秘蹟であるコンソラメントウム(救慰礼)を受けて完徳者として死去するため、肉体の枷から解き放たれるのである。

南仏では人口の半分がカタリ派となった地域もあった。カタリ派の考えは神・霊・キリストの三位一体を基盤とする神学を有するローマ教会と対立した。キリスト教はパウロの時代から聖書や教会の成立時からこうしたグノーシス主義の考えと戦いを続けてきた。これに対してローマ教会は、異端審問を制度化しアルビジョワ十字軍を送ってカタリ派の殲滅(改宗か火刑)を図る。イノケンティウス3世は、1208年には十字軍の招集を最終的に決断し、異端幇助者たち(南仏の地方領主)の財産を没収するというアメを十字軍に与えた。かくして、シモン・ド・モンフォールが大活躍する。しかし15年を費やしたアルビジョワ十字軍は最終的には敗退する(1224年)。南仏全体を接収するためには、やはりフランス王の出馬を仰ぐしかなかった。こうして異端撲滅とフランス王家による南仏併合が同時進行したのである。1229年のパリ和約によって、シモン7世の広大な領土はフランス王ルイ9世の手に渡ることになった。1244年にはカタリ派の拠点、モンセギュールが落城する。そして、フランスのラングドック進出が最終的に完了したのは1258年のことであった。


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# by katoujun2549 | 2017-04-24 12:16 | Comments(0)
>2016年のノーベル賞はベラルーシの女性作家スベトラーナアレクセイビッチnに与えられ、村上春樹ファンをがっかりさせた。今日その作品の翻訳を手掛けている松本妙子さんを囲む会が中野中央町のモモガルテンという民家改造の喫茶店で行われた。
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チェルノブイリの事故で何が起きたのか、消防隊の死者が出たことや周辺住民の半径30キロメートルのエリアが立ち退きとなり、多くの人々の人生が狂ったのみならず、共産主義の夢がゴルバチョフ政権と供に崩壊していった契機ともなった事件であった。このチェルノブイリの祈りはそこにいた人々のノンフィクション取材による多くの物語を記したものである。死にゆく消防士の家族の声が聞こえてくる。
事故が起きたとき、周辺のアパートに住んでいたのは原発で働く人々だが、皆アパートのベランダから燃えている原発を見ていた。炎から様々な色の光が輝き実に美しく、これを見たいために他人の家に行って見物していた人もいたそうだ。驚くのは逸話、周辺地域では養蜂が盛んであったが、事故が起きたとたん30キロメートル四方の蜜蜂やスズメバチが消えてしまった。政府が事故を発表したのは発生の10日後だったが蜂は1日で逃げてしまった。事故翌日から釣りをるためにミミズを掘っても、どこにもいない。何と1メートル掘ったら出てきた。
昆虫やミミズは何故か危機を直ぐに察知出来たのだそうだ。チェルノブイリ周辺の市場でリンゴを売っていた。汚染されているかもしれないリンゴを買う人などいないだろうと売り子のおばさんに聞いたらよく売れるという。えっ誰が買うのだろうと聞くと、女性が姑のお土産買うんだそうだ。・ーーーというブラッジョークでした。こんな話題もー淡々と語る松本妙子さんのお話の夕べを過ごしました。</div>

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# by katoujun2549 | 2017-04-22 00:06 | Comments(0)
聖ロシアの惑乱 野田正彦著

プーチン政権が14年、ウクライナ領クリミア半島を武力で自国に プーチン政権が14年、ウクライナ領クリミア半島を武力で自国に編入し、東部にも軍事介入したことで、ウクライナではロシア正教会離れが急速に進んでいる。15年の世論調査によると、モスクワ系の教会への支持は20%、一方のキエフ総主教庁の支持は44%に伸びた。14年以降、60~70の小教区がモスクワ総主教庁系からキエフ総主教庁にくら替えしたというロシア正教会はモスクワに本拠をおき、ロシアにおけるキリスト教の総本山である。プーチンは熱心な信徒であることは今日よく知られている。
宗教戦争はイスラム教のISのように凄惨な大量殺戮になりやすい。ヨーロッパの30年戦争ではドイツの人口がペストの流行と相まって半分になった。ロシア革命はソビエト政権という唯物論的な共産主義活動が実は宗教改革の無かったロシアにおける宗教戦争であり、ソビエト政権は共産党の一党独裁という「無神論的」党を偶像とする一神教の布教者であった。だからこそ、3000万人もの犠牲が出た。ナチスもカルト集団であった。ウクライナはキエフを中心としたキエフ総主庁がモスクワ総主教庁からの独立を画策している。ロシアのモスクワ宗主教庁傘下の約3万の小教区の3割はウクライナにある。「伝統的な宗教と核の盾がロシアを強国にそひ、国内外の安全を保障する要だ」といっている。
ロシア正教会はプーチン政権の一機関なのである。ウクライナはキエフ・ルーシ公国のウラジミール1世がコンスタンチノーブルから洗礼を受けたことから始まるロシア正教会発祥の地である。ところが、モンゴルの来襲により、ロシア正教は本拠をモスクワに移さざるを得ず、ロシアのツァーリズムと結合するニーコン改革を行い、ロシアの支配階層としての役割を果たした。レーニンは教会を否定、フルシチョフも弾圧した。ところが、スターリンはグルジアの神学生だったこともあり、第二次世界大戦を乗り切るために教会を利用した。かつて、教会で告白するとOGPUに通報されて逮捕されたり、教会はソビエト政権とも癒着を繰り返した。今のキリル宗主教はクレムリンに公邸を構え、親欧米に転じたウクライナを邪悪な一派として闘争を呼び掛けている。
そもそも、プーチンは祖父の代からニーコン改革に異を唱えた古儀式波という家系だったこともあり、ロシア正教の一分派であっった。ロシア革命当時は1000万人の信徒と3000人の神父がいた。革命政権から厳しい弾圧を受け壊滅的な減少となったが近年息を吹き替えしてきた。分離派ーラスコリニキ、スターロオブリャーツィという。今のロシアには西欧からバプテスト、メノナイト派などのプロテスタント、アジアからは統一教会、また、新興宗教がペテルスブルグのべサリオ、キエフの白い兄弟といったカルト集団も生まれ、終末論と救済を軸にロシアにおける精神的空白に取り入っている。ウクライナ正教の分離独立はロシアの解体に繋がる危機と見てプーチンの核の使用発言があったのだ。彼らの危機感は半端ではない。ウクライナ周辺ではコサックの再興、帰還運動、又、ドイツ人コミュニティの復活など民族運動もあり、民族運動としての古来宗教行事を復活させようという偶像崇拝正教といったグループも活動している。1991年のウクライナ独立はサボロージェコサックの夢でもあった。この野田氏の著作はロシアにおける様々な宗教、民族の活動を取材し、旅行記の形でロシアの宗教的実態を我々に示し、共産党政権時代も脈々と流れ続けられたロシア人の宗教世界を見せた作品となっている。

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# by katoujun2549 | 2017-04-20 18:27 | 書評 | Comments(0)
1.ロシア革命は失敗した

ロシア革命はソビエト連邦という巨大な官僚制国家を生んだ。共産主義という目標のもと、多くの人々が犠牲になった。この事は中国の内戦、文化大革命で、又、カンボジアのポル・ポトの支配でも起きた。共通していることは、市場経済を導入することに失敗し、農業政策を誤り、官僚制の貫徹のために粛清が行われたことで、これは今の北朝鮮でもおきていることである。特徴的なのは、その規模が大きく、犠牲者の数が戦争より多いことである。ロシア革命は今年で100周年となる。ツアー体制の転覆には成功したが、革命のめざした階級のない社会、貨幣の不要な平等な社会の実験は恐ろしい結果とともに失敗した。

2.スターリンの敵は農民

ロシア革命は国内生産力の極端な低下を招いた。NEPという市場経済を一部導入した経済政策である。レーニンは共産制に移行するのが無理と見て、市場経済を導入した。ゴスプランという科学的な統計手法を使い生産と分配、供給の理論を使い、計画経済を進めた。これは間違った理論であったが戦後も続けられ、ブレジネフの時代まで続いた。ネップは10年続き、農村は疲弊し穀物の国家保有量は1913年を100とすると2年間で94%も減少し、10年経っても75%にしかならなかった。このため、餓死者は300万人~500万人にのぼり、クリミヤタタール50万人の死体が放置された。人々は人肉まで食べ始めた。レーニンは対策と称して教会財産の没収を始めた。賛成した聖職者も含め、聖職者達の8000人が処刑された。5ヶ年計画による生産力の増強を行ったが食料の農民からの収奪は続き、備蓄は回復したが農業政策は見事に失敗し、食料不足は続いた。これを富農、中農ークラークのせいにして農村人口の5%40万人を絶滅させるべく追放した。

3.コルホーズ

これはコルホーズという集団化の過程で300万人がクラークのレッテルをはられ追放された。彼らは貧農と違い、実際は生産性の高い農業の担い手であった。1932年に5ヶ年計画は終了したが、500万人~700万人の餓死者が出た。農民の反乱は1930年には300万件、900件以上の武力闘争をOGPUや赤軍が鎮圧した。スターリンの敵は農民であり、その責任をクラークにして貧農の憎悪の対象とし、コルホーズの推進に利用した。農業生産が回復しても、穀物は輸出に振り向けられ、軍備に使われたので都市の労働者の配給は依然少なかった。革命が労働者を中心に行われたかというと、そうでもない。確かにロシアの課題は工業化の遅れであった。工場労働者は1%にも満たなかった。ロシアは農業国だった。工業化の推進は虚三島の悲願だった。しかし、工業化は進み、その成果は軍備増強に向けられた。その結果、独ソ戦には大いに兵器を供給することが出来た。民生品は依然乏しく、これらが供給されるのは戦後、1960年後半まで待たなければならなかった。軍備は収容所列島の強制労働によって進められた。核兵器や宇宙開発の基盤は彼らによってなされたといって良い。民生品の供給不足は女性用の下着や靴下にもおよび、1960年代にソ連のバレー団が日本に来ると団員が下着や靴下を買いあさり、日本の招待者はびっくりしたという。

4.責任者はスターリンだけではない

こうした弾圧を実行したのがモロトフやカガノビッチである。失敗に対して反スターリングループが生まれたが、これに対する大粛清が始まった。1933年春の17回党大会の参加者は4年後1966人中1108人が逮捕され848人が銃殺された。1934年のスターリンの盟友キーロフ暗殺後粛清はピークを迎えた。1936年カーメネフ、ジノビエフなどの旧左派の幹部13人がスターリン暗殺を企てたとして処刑された。OGPU長官ヤゴダもブハーリンとともに銃殺された。次のエジョフは治安担当の党書記となり、中央、地方を問わず辣腕を振るった。
チェリヤビンスク州では4000名の指示に対して14000人を銃殺した。しかし、スターリン、モロトフが1938年に銃殺指令を出したのは3167人、最高裁で最高刑を宣告されたのは1937年から38年で38679人。党幹部、経済官僚、軍人など72,590人が銃殺されたが、地方では5倍の30万人は殺された。エジョフは137万2393人を逮捕、68万1692人を銃殺した。これは正式に裁判を経たものだけで、ゴルバチョフが明らかにした数字である。エジョフが銃殺しようとしたべリアが長官になると彼も銃殺されてしまった。その後のベリアはスターリンの忠実な部下としてその死後も活躍したが、フルシチョフとの権力闘争に敗れ銃殺された。まるで国家がテロリストに乗っ取られてしまった様相なのであった。スターリンが幹部を処刑している情報に一番喜んだのはヒトラーだったという。ソビエト連邦が軍事的経済的に弱体化することはナチスドイツの利益だった。共産党右派が粛清されたことは若手の台頭を後に促進することになる。ブレジネフやアンドロポフなどの成長によって戦後のソ連の発展が用意されたのである。ブレジネフはマルクスレーニンの著作に関心がなかったという。

5.収容所列島

銃殺されなかった者は収容所に送られ、白海バルト運河、モスクワボルガ運河などの強制労働に従事し、多くが死んだ。1938年には225万9000人が収容所に送られた。独ソ戦開始時1941年230万人が収容され彼らは軍隊と経済生産要員に振り分けられた。第二次世界大戦での犠牲も凄惨である。ドイツ軍の捕虜になった者は開戦直後の1941年だけで380万人、全体では620万人であり、そのうち戦後解放されたのは4割、60%のほとんどが餓死した。解放された兵士も捕虜になったことを批判されシベリア送りとなった。レニングラード900日の攻防戦では市民230万人が餓死やドイツ軍の攻撃で死んだ。収容所列島は戦後も存在し、核開発のためのウラン鉱山、輸出のための木材切り出しなどの過酷な労働に従事した。

6.第二次世界大戦

第二次世界大戦で866万8400人が軍人として亡くなり、ペレストロイカ後の調査では国民の2760万人が犠牲となった。確かにスターリングラードなどの激戦で亡くなった兵士もいるが、無謀な突撃や人命軽視の作戦での犠牲も多かった。これだけの犠牲に対して全く反省のないのが、ソ連を支えたモロトフなどのスターリン官僚である。このような国と日本は国防や北方領土交渉でお付き合いしなければならないのである。我々が高校生当時、歴史の教員は共産主義に共鳴したものが多かった。彼らはこのような実態を知っていたが知らん顔をしていたか、本当に知らず、この実験国家をアメリカ資本主義の批判することでソ連を擁護していた。共産主義は歴史の必然とまで説いた。
我々は結果的には歴史の教員に騙されていたのである。彼らは唯物論的な歴史観を持っていた。自分が大学に入り初めてマックスウェーバーや近代経済学を学び衝撃を受けた。東大や京大、早稲田大学や法政大学ではマルキストとその歴史観を持った学者が主流だった時代である。彼らは今どうしているのか。モロトフ同様あの時は仕方がなかったと言っているに違いない。反省のない輩である。共産党は今や赤旗で食っている年金コミュニスト集団なのである。



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ソ連 党が所有した国家 下斗米伸夫著

鉄のカーテンに閉ざされた共産主義体制の牙城ソ連の誕生から崩壊までの政治史教科書といって良い。グラスノスチにより情報公開され、ソ連の実態が明らかになった。ロシア革命は「内戦、階級闘争が逆に巨大な官僚制を作り、そのにないてになることに何の問題も感じていなかった。いな、国家の巨大化を通じて「国家の解体」と社会主義の勝利が可能であるという背理を内包していた。党は自ら組織化し、官僚制となり、その担い手を粛清した上で大衆党と化した。226p」その中でモロトフを軸にその栄枯盛衰を語っている。ソ連の出来事は新聞で断片的な情報しかなかった。ペレストロイカによってその全貌がわかってきた。第二次世界大戦でロシアの戦死者は軍人で800万人、ソ連時代に政治要因によって処断された1150万人は公式数字である。国民全体では2750万人である。
追放移送、食料の没収によって餓死や死亡した国民は1000万人は下らない。スターリン死亡時に収容所には250万人が拘束されていた。その政策のほとんどに関係していたモロトフを軸にソ連の歴史を語っている。我々の世代は資本主義国家アメリカと対立したソ連を教条的にしか学んでいない。ロシア革命は労働者の革命だったのか、1925年時点で工場労働者は191万人と人口の1%しかいなかった。ソ連は農業国だった。ボルシェビキも、SLも農地の解放を訴え、共産党は軍備のため農民の穀物を輸出のために取り上げ、何百万人もの餓死者を出した。平等な社会を標榜し、特権階級ノーメンクラトゥーラを生んだ。物資の適正配分の仕組み、ゴスプランが機能していないのに市場経済を批判した。ロケットや宇宙開発、軍備は収容所列島の強制労働によって実現出来た。そのような仕組みはどこかで行き詰まる。自壊したのも当然であった。この書ではスターリン以降も政策の中核にいたモロトフを軸に、フルシュチョフの権力闘争、ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコ、そしてゴルバチョフの政策を概観できるよう丁寧に書かれている。

ーザリ・カガノーヴィチロシア語: Лазарь Моисеевич Каганович1893年11月22日 - 1991年7月25日)は、ソビエト連邦政治家官僚ウクライナ共産党第一書記、ソビエト連邦運輸人民委員ロシア語版(運輸大臣)を歴任した。また、ヨシフ・スターリンの側近を務めていた。

ヴャチェスラフ・モロトフロシア語: Вячеслав Михайлович Молотов1890 - 1986年)は、ソビエト連邦政治家革命家。ソビエト連邦首相、外相。第二次世界大戦前後の時代を通じてヨシフ・スターリンの片腕としてソ連の外交を主導した。「モロトフ」はペンネームであった。
この2人はソビエト国家=共産党の独裁体制をスターリンと共に半世紀にわたり支えた官僚である。
ロシア革命はレーニンとスターリンによって地獄と化した。NEPと農業政策の強引な推進によって飢餓が生じた。革命時の民主的な統治や自治、組合運動は共産党一党独裁の中央集権に反する、反革命、労働者の敵とされた。革命の始まりだったクロンシュタット水兵と労働者1万5千人が殺害された。レーニンが始めた赤色テロは恐怖政治の始まりでチェカー、GPU、KGBといった秘密警察が逮捕監禁処刑を推進した。歴代の秘密警察長官は皆粛清された。輸出のための穀物調達は略奪と化した。これにより農村は数百万人の餓死者を出す。こうした施策はスターリンとその取り巻きによって実行された。その首謀者がこの2人であり、彼らはソ連崩壊直前まで生き延び、天寿を全うした。
世界はソ連で粛清によって大量殺戮が行われていることは知っていたが、その規模や過酷さはペレストロイカ後の情報公開まで知ることができなかった。ソ連の悲劇はスターリンだけではできなかった。多くの小悪魔達が仕出かしたこと。その筆頭であった2人は大量の犠牲者も革命と社会主義国家実現のため許容されるという考え方を死ぬまで捨てなかった。流石に中国共産党も日本の共産党もこうした事実は知っていたが、反スターリンの立場をとり、自らの社会主義思想を正当化していた。日本共産党の幹部の30人以上がソ連で処刑されている。野坂参三は共産党の最高幹部であったが、100才を越えて、実は日本公安のスパイであったことがソ連からの情報で明かになり除名された。こんな政党が今もなお国会や地方政治に関わっていること自体全く理解できない。彼らの人権抑圧体質は今もかわらない。彼らの社会主義が共産主義とともに破綻した考え方であることを今なお宗教のような理念として保持しているとしたら恐ろしいことである。彼らの理想とする社会は一見理想の国家、平等や人権が守られ、理にかなった統治が行われるかのように見せ、実際は秘密警察や軍隊、裏切り密告が横行する世界なのであるカルト集団のような体質を今なお持った政党がもっともらしく、時の政権に反対意見を述べ、便利なのでマスコミは流すが一体どういう了見だろうか。中国も北朝鮮も全体主義的中央集権統治であり、ナチス以上の国家犯罪を産み出す共産党、共産主義を許すわけにはいかない。




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# by katoujun2549 | 2017-04-13 13:54 | 書評 | Comments(0)
ブータンという国がある。人口70万人の小国。昨年、日本に国王夫妻が来日し、皇室とも親交を結び、マスコミはGDHの高い国として、貧しくとも国民が幸せと思っている国として、紹介されることが多い。我々はブータンに関してはネパールに近いヒマラヤの麓にある農業国位しか知識がない。この国が人権抑圧国家であることも知らない。この国がなぜ成り立っているかというと、ヒマラヤから流れる河川で水力発電を行い、外貨を獲得し、これを医療費や教育費にあて、社会福祉を行って国民の不満を抑え、一部のエリート以外は海外の情報を遮断、国民の個人主義をコントロールし、消費を拡大しない政策を行っている。これは江戸時代の日本のように鎖国政策を行い、情報を遮断、GDPならぬGNH(GrossNationalHapiness-国民幸福度指数)という訳の分からない指標で国民の目くらましをしているのである。ブータンは、政策決定に当たって経済的発展より国民の幸福を優先した政策決定を行うことを国是としている。よく誤解されているように、「GNHが高い=国民すべてが幸せ」な国であるわけではない。この国がネパール人10万人を国外に追放し、彼らが今なお難民生活を送っていることは報道されない。現在ブータンの名目GDPは約20億ドル(2015年、国際通貨基金による)。調査対象となっている189カ国中166位と、世界でもかなり貧しい国のひとつであり、GDPが支配的な評価基準となっている国際社会で存在感を示すには、それ以外の尺度が必要だった。
Huffingtonpost オカチヒロ氏のブログを要約すると次の通り
http://www.huffingtonpost.jp/chihiro-oka/the-country-of-happiness_b_9467046.html

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経済は人間の幸福において重要な役割を果たすが、物質的な豊かさのみならず、精神面、文化の安定と繁栄、環境保全が経済と同様に重要である。経済的な発展は達成しても、同時に独自の文化が脅かされたり環境破壊が進んだりする恐れがある。ブータンでは近年、道路が整備され外国資本と外国人が流入し、税制や教育制度など近代国家としての体制が出来上がり、現在に至っている。といっても近代化が本当に進んだのはここ20年程度のことで、テレビ放送が始まったのは1999年だ。それまではテレビ受信機の所有は原則として違法、インターネットが解禁されたのも同年である。首都への一極集中、貧富格差の拡大、そしてブータン人そのものの価値観の変化に直面している。政府は地方の活性化と農業促進を目指すが、都市部での生活を知った若者は田舎に帰りたがらず、親が子どもに農業をやらせることを望まないという。少子化も進んでいる。環境問題にも熱心に取り組み、無農薬感心が強い。世界の多くの国が半世紀以上をかけて経験したことをブータンはその半分以下の期間でやった。数年前までは世界でも最貧国の1つだったが、水力発電と観光業を主軸に据えた経済政策で国は発展を遂げている。発展途上国の中で貧しいなりに最低限の生活は保障されている。医療は基本的に無料だし大した産業が無いから、失業者が無くならない。医療水準が低いから、金もかからない。その程度なら日本だって無料にできる。2007年に実施された議会制民主主義への移行後、国民によって選ばれた初の政府となったティンレー政権がGNHを前面に押し出したのに対し、2013年の選挙で景気拡大を公約に掲げて当選したトブゲ首相はGNHのプロモーションに慎重な姿勢を見せている。経済界を始め知識人の間では「GNHは諸刃の剣」という意見も多い。経済発展と精神的な豊かさ。近代化と伝統。開発と自然保護。これらのバランスを取ることは難しい。理想の国をめざし、鎖国政策のようなことを行った北朝鮮やソ連のような悲惨さはない。この世の楽園を標榜し、地獄を生んだ中央集権国家は歴史上多いのだ。ブータンはその点平和である。

ブータン政府はGNHの定期的な調査により「心理的幸福」「時間の使い方とバランス」「文化の多様性」「地域の活力」「環境の多様性」「良い統治」「健康」「教育」「生活水準」の9分野で33の指標の達成率を見る。指標には「世帯収入」「識字率」「睡眠」といった数値化が比較的容易なものから、「人生の満足度」「地域社会との関わり」「政治参加」「技芸」など多岐に渡り、達成率が77~100%は「非常に幸せ(deeply happy)」、66~76%は「広範囲で幸せ(extensively happy)」、50~65%を「かろうじて幸せ(narrowly happy)」、0~49%は「幸せでない(unhappy)」と定義される。

2015年の調査では全人口の約1%に相当する7,153人を対象に対面で各人に148の質問をし、「非常に幸せ」は8.4%、「広範囲で幸せ」は35%、「かろうじて幸せ」は47.9%、「幸せでない」は8.8%という結果が出た。若者はともかく、国民の識字率が半分に満たない国の調査なのだ。イギリスのレスター大学のエイドリアン・ホワイト教授の調査(2006年)ではブータンはスウエーデンの次で8位、日本は90位なのだそうだ。日本は中国より低い。しかし、別の調査では逆転している。そもそも、このような主観的な調査にどれだけ意味があるのだろうか。今の日本人でこの国に住みたいと思う人は少ないだろう。


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# by katoujun2549 | 2017-04-12 16:08 | Comments(0)
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「外套」(Шинель)は、1842年出版のニコライ・ゴーゴリの短編小説。本作は近代ロシア文学の先駆けとなり、多くのロシア作家に影響を与えた。ドストエフスキー は、「我々は皆ゴーゴリの『外套』から生まれ出でたのだ」と語ったと言われる。この短編の何が凄いのか、読んだ直後は良く分からなかった。一緒に入っていた「鼻」も読んだ。この外套の主人公も、鼻もロシアの官吏の話である。貴族や将軍の雄大な物語でもない。外套も鼻もある種の空想物語か、何のメタファか自分には見当がつかなかった。外套は糞真面目な大して給料も多くはない公文書の清書を仕事としているアカーキィ・アカーキエヴィチの物語。倹しい下級官吏が必死の思いで外套を買い、これが強奪され、そこから人生が終わってしまう気の毒な話である。取るに足らない庶民の姿をゴーゴリは愛情を持って書いている。彼の作品からはペトロクラードの寒々した街路や、うらぶれた街角のイメージが伝わってくる。鼻はある下級官吏の鼻が無くなってしまい、その鼻が一人歩きするという奇想天外な物語り。村上春樹の小説を思わせる。これが19世紀の初期に書かれたところが凄いのではないか。19世紀にはドイツではホフマン、アメリカではポーが怪奇な世界を描いている。その出発点がこの外套と鼻なのである。確かにスノビズムがあるかもしれない。サロンで話題になるような物語をゴーゴリは書いて、奇想天外な発想を読ませ、皆を唸らせたかった。ところが、そこが天才作家の凄みで、当時のロシア社会や人間の未来までも描いてしまう。外套や死せる魂にも役人や地主階級などが登場人物だが、半世紀後に凄惨なロシア革命が起きるなど予測できなかった。しかし彼はロシアの社会の行き詰まりを描き出していた。ドストエフスキーもトルストイも影響を受けた。鼻のメタファーは強烈だったのだろう。

鼻はショスタコビッチが書いた最初のオペラ。ソビエト社会主義の中で体制側としてスターリンの寵愛を受け、その批判との二枚舌に揺れた芸術家が何故これを書いたか興味深いそれまでの小説にはなかった革新性が二つの物語りの中にあるのだ。死せる魂も今読んでいるところだが、これも死んだ農奴の戸籍を集めるという奇妙な話なのである。19世紀の前半、ナポレオン戦争後のロシアは啓蒙思想や自由主義に揺れていた。ゴーゴリの生きた時代はロマノフ王朝末期のロシアである。ヨーロッパの近代化に遅れ、農奴制度や官僚制の重圧に社会は停滞する。デカブリストの乱『1825年』が鎮圧された後の、閉塞した時代をゴーゴリは生きた。近代化改革を行ったアレクサンドル2世が暗殺され、革命の扉が開く以前の古いロシア時代を生きた。官僚社会を見事に描き、それが当時の読者の共感を得たからこそ名作として残っているのである。ゴーゴリは社会改革者ではないし、フランスのビクトルユーゴのような社会批判を雄弁に語るのでもない。その時代の精神とは何か、自分はロシアの歴史や社会に関する知識もなければこれまで興味もなかった。しかし、昨年の暮れ、you-tubuでロシア映画のタラスブーリバを見て、これが昔のハリウッド映画の隊長ブーリバであり、その作者がゴーゴリであることを知って急に興味がわいたのである。ポーランドの大平原で繰り広げられる戦いの中にあって展開するコサックの父と兄弟の物語りにゴーゴリはロシアの自由な精神と大地が表現されたと思った。彼は他に名作『検察官』を書きこれも官僚制に辟易とした庶民の姿を描き喝采を受けたのだ。ゴーゴリの凄さはまさに彼の生きた時代の精神を見事に描き伝えたところにあるのではないだろうか
。話はかわるが、今なお化石のような社会主義?中央集権国家の北朝鮮の脅威が恐怖に変わろうとしている。世界から切り取られた鼻が一人歩きしてテロをはじめたとしたら。現代にも鼻は生きている。
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# by katoujun2549 | 2017-04-10 00:59 | 書評 | Comments(0)
吉祥寺の東京女子大学前にあるケーキ屋さん
アテスウエイのモンブランが最高との評価がある。モンブランだけのためにわざわざ吉祥寺まで行く気にならないが、一度味わってみたいものだ。しかし、ケーキの味にランクをつけるなら、一体どんな基準だろう。個人の嗜好の要素もあるし、価格も無視できない。自分は大久保駅にほど近いトリアノンのモンブランを標準とし、市川市八幡にあるドルチアのモンブランを東の横綱としたい。web情報だが銀座サロン・ド・テ アンジェリーナ プランタン銀座本店のモンブラン美味いらしいが、価格は485円と高め。市川は370円だからねえ。さすが銀座。

西の横綱
アテスウエイのモンブラン
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東の横綱
ドルチェのモンブラン
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今年の桜は4日ごろから満開が始まった。市川八幡の境川の桜は遅く、2分咲き。中野通りの桜は満開になってきた。
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大ヒットとなった「ラ・ラ・ランド」を新宿東宝シネマズで見た。アカデミー賞も6部門受賞した。安心して見れるし、ミュージカルということで、明るいストーリーと思い、上映ギリギリの予告編も終わったころ、滑り込みでかなり前4列目の席で観ることになった。この映画を一緒に観た人は、 「恋人・気になる異性」と「夫婦」が調査では多く、デートムービーとしての位置づけを獲得している。 脚本・監督はデミアン・チャゼル。主演のミア役エマ・ストーンはアカデミー主演女優賞、セバスチャン役ライアンゴズリンが好演技で素晴らしい作品となった。音楽もピアノのバラードからジャズ、ポップス、ミュジカル音楽と多彩で素敵な作品だった。30年前に何度か行ったLA.ハリウッドの風景、夜景などが思い出深く美しい。ドラマはとことん2人の関係を軸に展開するが、実は多くの脇役が良い味を出している。ライアンゴズリンがすごいのはピアノ演奏は代役なし、エマストーンはダンスも上手い。彼女はミュージカル、キャバレーでも主役になった経験がある。彼をクビにするレストランんのマネージャーなども味のある名優だ。
ハリウッドスターの演技力は大したもの。この作品ロスの風景などと合わせ様々なメタファーが隠されている。グリフィス天文台はジェームスディーンの理由なき反抗の名場面に登場した。2度観る価値もある程奥行きが深い。ミュージカルの部分は2人の夢を描いたものだ。
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昔見たシェルブールの雨傘に似た結末だが、見てのお楽しみだから、印象だけを語ろう。ハリウッド作品の恋愛ドラマとしては渋い演出。高速道路での出会いから始まる恋の予感。渋滞の車列の中で群舞が繰り広げられる。一体どうやって撮影したのか、一時フリーウエイを封鎖して撮影。流石!ハリウッド。冒頭のシーンでこの映画はミュージカルですよと宣言。

映画女優志願のミアはピアニストのセバスチャンと恋をし、それぞれの俳優とミュージシャンという生きる道への理解を深める、将来は2人でジャズライブバーを開くことを夢見る。しかし、セバスチャンは人気ジャズバンドのピアニストとして巡業の日々。とうとうミアは我慢がならず、オーディションに失敗した後故郷のコロラド州ボルダーに帰ってしまう。ところが、最後のチャンスだったオーディションに成功、女優の道を歩む。必ずしも美人とは言えない彼女が、オーデジションに落ち続けるシーンから成功への道に進むにつれ輝きを増してゆく。エマストーンの演技力が光る。
ここから先は意外な展開、ネタバレになるので書かないが、結局女は待てないのだ。あのフランス映画の名作、シェルブールの雨傘もそうだった。昔はイプセンのペールギュントの物語にあるように女性はひたすらまつ。
夢見る男ペールは純情な女ソルヴェイと恋に落ちるが、彼女を待たせたまま放浪の旅に出る。それは19世紀のお話で、今時の女は待ってくれない。自分の道を歩む現代女性の淡い恋の物語。男は寂しい。男はつらいよ!セバスチャンは何だか寅さんにも重なるが、例えがわるい、ムードが壊れるか!
この映画には様々な人生訓もある。成功のためには何かを捨てなければならない。恋愛と仕事、自己主張と妥協、そしてハリウッド万歳と言いたい作品である。
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新築なった東宝シネマズ



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# by katoujun2549 | 2017-04-06 21:28 | 映画 | Comments(0)
2012年に制作されたロシア映画。見たくないものを見てしまったというのが感想。すりガラスをでかいたようなある種の不快感のある後味がした珍しい映画。これはロシア革命時、赤色テロに従事した青年の姿を描いたもの。you-tubeで見ることができる。
Chekist Чекист '1992' Russian film 'Eng-Subs' (full)
1918年8月30日、レーニンが会合での演説を終え帰途につこうとするとき3発の銃声と共にレーニンは倒れた。そのうちの2発が彼の肩と肺に命中した。レーニンは他の暗殺者の存在を恐れ病院への搬送を拒絶した。医者は動脈に接した銃弾の摘出は危険すぎたので手術しなかった。レーニンはどうにか回復したものの、暗殺未遂による負傷が、死因となった脳梗塞に大きく影響したと考えられている。なお、この時現場にいたエスエル党ファーニャ・カプラン逮捕され、即決裁判の後9月4日に処刑されたが、彼女は既に失明同然で犯人は別人だった可能性がある。いずれにしても、この事件から「報復」と称して事件とは無関係の512人もの旧貴族や臨時政府の閣僚を含む政治家、軍人が、ただ帝政派であるとして逮捕、処刑された。赤色テロが始まった。
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レーニンはフランス革命の失敗を引き合いに故意に恐怖政治を作り出した。犠牲者の数は定かではないが、数万人が裁判もなく殺されていった。チェカという国家秘密警察、「反革命・サボタージュおよび投機取り締まり全ロシア非常委員会」の略称。議長はジェルジンスキー。チェーカーとも表記する。後のGPU、KGB。その作業に従事したのは若いインテリのリーダーと、処刑に従事した無教養な、はみ出し者の若者たち。彼等には次第に心を病むものが出てくる。単なる処刑マシーンであり、革命の名のもとに殺人が正当化されてゆく。チェキストのリストに載ったらおしまいだ。地下の収容所に入れられ、呼び出されると五人ずつ丸裸にされ、ドアが五つある部屋に追いやられ、ドアに向かって後ろを向いたとたんに拳銃で頭を打ち抜かれる。そして、天井の穴から効率よく足をロープで縛られて吊り上げられ、表のトラックに丸太のように並べられてどこかに捨てられる。このシーンが延々と続く。

レーニンの罪については評価は曖昧で、ソ連崩壊直前にようやくレーニンがロシア革命初期のころにテロリズムを頻繁に行っていたことが明らかとなり、チェーカーの恐るべき実態も徐々にわかってきたのだという。レーニンの政策で死んだロシア人は餓死や追放、流刑で1000万から4000万人と言われ、殺戮に加担した人も殺されて真実は分からない。

「チェキスト」からは、ソ連秘密警察の根っこの部分にある思想を読み解くことができる。「おれたちは市民法廷じゃない。大量抑圧のための剣なんだよ」「革命は哲学じゃない」などと語り、彼らはテロリズムを行っていると自覚していた。無実の人を大量に巻き込んでいることも知っていたし、目指す革命が平和で平等で豊かで行儀の良い社会を作るとも思っていなかった。暴力と殺戮と即決裁判で、ロシア全土に地獄を作り出していることをよくわかっていた。チェキストの多くは民族的少数派で貧困層に位置し、十分な教育も受けられず、貧困の中で抑圧され、絶望と憤怒の中で少年時代を過ごした人々。銃殺班の多くは17歳ぐらいのティーンエージャーで、やさぐれた非行少年、彼らが今や、どんな金持ちでも貴族でもやりたい放題に殺して良い。彼らはサディストや殺人者・犯罪者、大企業の元熟年労働者、元ロシア兵、、元水兵、地方大学の闘士、非行少年たちなどだった。中には14歳の少年が甲高い声で「革命の名の下におまえを逮捕する!」ととある将軍のアパートを令状もなく急襲したというから驚きである。この作品はそうした不愉快な時代をグロテスクに描いている。怖いものを見たい方にはおすすめである。


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# by katoujun2549 | 2017-04-02 14:39 | Comments(0)

トリアノンという洋菓子店がある。三鷹店 高円寺本店 大久保店と三店がある。大久保の店は海洋ホテル前の大久保通り沿いにあり、大久保駅から100mほどである。この店には新大久保で降りた時よく立ち寄る。昔ながらのケーキ屋さんという感じ。しかし、ここのケーキは全国大会で優勝するなど、味は確か。イチゴのショートケーキなど、古典的だ。世の中数多くのケーキショップがあり、伊勢丹など、デパ地下には超高級なものがひしめいている。もちろん、美味しいもの、斬新なもの、パリの洋菓子直行便など、キリがない。しかし、ここのケーキはある標準を位置し、値段の点、味覚の点など、自分にとっても基準だ。美食にしても、グルメの基準はどこかに持っていたい。いつもモンブランを注文する。先日ベローチェでモンブランを食べたが、甘くて口に合わなかった。自分がうまいと思うモンブランは市川市八幡のドルチア本店のモンブランだ。トリアノンでは、軽食もあり、ここのスパゲティはナポリタン(720円)もミートソース(720円)、昔からある、懐かしい家庭の味。特筆すべきは、ミックスサンドイッチで、720円、パンは薄くもないし、普通だが、実に美味しい。看板メニューのひとつだ。

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アルデンテではないスパ
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お手ごろ価格(400〜450円)
のケーキと

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美味しいサンドイッチとコーヒー(440円)


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日本剣道形についてはは昇段審査の時に試験があるので、剣道を修行している人は必ず学ぶ。剣道連盟の講習会では七段、八段の先生が何十人もの講習者を一度に教えることが多い。もちろん、お手本を見せてくれるのだが、習う方も、普段あまり形の稽古をしていないものもいて、とかく手順に解説を加えただけのものになりがちである。先は順番を覚え、互いの木刀の使い方、形を指導するのだが、実際は真剣を前提とし、また、理合いや気合、気勢といった形の稽古の重要な部分までいかないうちに終わってしまう。刀特有の峰や、角度を生かした捌き方は分からないことが多い。高名な先生から普段の竹刀稽古における応用とか、そこでの理合いの活用が大切であることを話されることもあるが、そもそも、普段あまり真剣にやってこなかったことは反省すべき、よく理解できないまま、日頃は稽古している。しかし、先般、大義塾の藤野圭江先生(七段教士)から、三井住友海上の百練館でご教授頂く機会を得て、これは日頃も形を意識し、竹刀稽古においても忘れてはいけないことを幾つか感じたので、書いてみたい。

 1.理合
  仕太刀は打ち太刀をリードするように、打ち太刀はただ、仕太刀の後で打ち込むのでは稽古にならない。あくまでも、後の先、気持ちを高め、相手が打たなければこちらが出るぞという気迫と気勢を忘れては意味がない。このことは日頃の稽古でもそうで、互角稽古でも常に意識しておかなければならなないことであると感じた。要は打ちこむ前に気勢をもって攻めに入る動作があり、これは足を使って気攻めをするということである。打ち込んだら、必ず出した右足に左足を引きつける。仕太刀に反応して相手が打って来れば出鼻、抜き、応じの技を繰り出せばよい。相互の攻防がそこにあるのは竹刀の稽古も同じではないか。これが一方的に打ちに入ったり、じっとしていたのでは稽古も意味がない。無理して打てばよいというものでもないし、打ってくるのを待つのでもない。中心のやり取りをしながら足捌きによって相手を攻めていくことが大切である。 

2.気合い

剣道において気合は重要である。竹刀稽古では立ち会いで向かい合い竹刀を構えた時に大きく気合いをかける。気合いにより、相手を気で押すのみならず、自分の呼吸も整う。しかし、形では何も発しない。自分には理由は分からない。どの流派でも、形では気合いを入れるのは打ち込んだ時だけである。しかし、呼吸は構えたとき、特に上段の構えでは大きく息を吸い込み、打ち込んだ時には大きな声を発する。中段でも足を進める中で息を吸い込み、打ち込むときに気合とともに一気に吐くべきである。

3.目附

常に相手の目から自分の目線をはずしてはならない。どうしても打つべき部位に目がいってしまう。これは避けねばならない。竹刀稽古でも同様だ。打ちたい部位に目を向ければ相手に動作を予知されてしまう。特に七本目は交差するから離しがちだがそれでも目を離さないのである。この目付の練習はしない稽古でも意識して行いたい。

4.気勢

互いに3歩歩み足で打ち間に入り、仕太刀は気合いとともに打ち込むときに、必ず剣先から3寸の物打ち部位に相手の小手や面が来るように打ち込む。打ち太刀はこれを抜き、擦り上げするなどして、打ち込む。問題はその後である。残心である。この残心が竹刀稽古に生きる。残心の時にただ剣先を付けるのではなく、相手の目と鼻先に向けて制圧する。打った後の気勢を失わないことが大切である。特に三本目の突きの残心に向かう気勢において間髪を入れず、制圧する動作で行いたい。さらに、竹刀稽古においても残心を取れる打ち込みを心がけたい。

5.作法  
正式には入場から始まるが、審査などでは省略される。しかし、日本刀の刃挽きを持った気持ちで木刀を持ち、9歩の間合いを頭に叩き込んでおく。蹲踞で木刀を構えるときも日本刀を抜き、納刀することも大切である。立つときもヨッコラショとならないよう真っ直ぐ頭からつり上げるように立つと美しい。     


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         
 2.形
 3.気合
 4.作法

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# by katoujun2549 | 2017-03-27 13:55 | Comments(0)
1.安倍首相夫人の言葉

森友学園の小学校取用地得問題と、この学校の教育方針が話題になっている。名誉校長に就任した安倍晋三首相夫人の言葉が注目された。名誉校長は辞退したがその言葉は残っている。
瑞穂の國記念小學院は、優れた道徳教育を基として、日本人としての誇りを持つ、芯の通った子どもを育てます。 そこで備わった「やる気」や「達成感」、「プライド」や「勇気」が、子ども達の未来で大きく花開き、其々が日本のリーダーとして国際社会で活躍してくれることを期待しております。という台詞だ。この学校の院長は籠池という日本会議の幹部だ。こんなところに安部首相の本音が露になる。何も悪いことをいっているわけではない。これが安部家の教育観なのだとすると随分高尚だという印象すらある。

2.国家主義

しかし、自分を振りかえって見ると、親というものはこんなことを考えて幼稚園児の子供を育てるのだろうか。自分はレベルが違い、卑しいのかも知れない。政治家の妻として当然の発言なのだろうか。安部家ではこのようにエリート教育を行い、日本のリーダーを再生産しているのかもしれない。自分の子供は健康で、友人に囲まれ、自立し、生計が確保され、良い家族を作ってくれるなら申し分ない。その為には何もエリートである必要はない。
その学院では教育の一貫として教育勅語を斉唱し、日本民族の自覚を高めているのだ。この方法で目的が達成できるのだろうか。はなはだ疑問である。児童が統制に順応する訓練である。軍隊が行進訓練をするのは全体の中の個を見失わせ、集団の圧力で勇気がなくとも敵に立ち向かう仕組みを作るのである。日本の教育は集団訓練を目標に構築されてきた。日露戦争で完成した。それが教育だと思い込んでいる。
 愛国教育を 受けなかった自分でも、日本人に生まれて良かったと思う。友を愛し、家族を守って生きてきた。これからの日本人はそんな教育が必要になっているのか。この学校の教育感覚は全く自分と合わない。あえて自分の国家感覚で、欠けているのは天皇陛下に対する敬愛の念が乏しいことくらいだ。でも、今の天皇の護憲感覚は素晴らしいと尊敬もしている。陛下のために命を捧げる気にならないという程度であれば、それもノーマルなことではないか。金一族に命まで統制された北朝鮮の人々は気の毒だと思うし、北方領土問題や尖閣諸島、竹島については悔しい思いをする。オリンピックの選手を応援し、メダルをとれば嬉しい。籠池さんはさらに意識が高くおそらく、天皇陛下に命を捧げる人なのだろう。そして、そのような人格を持った子供を育てたい。そんな意識では近代戦は戦えないことは第二次大戦で立証されているのであるが。

3.狙いは別の所に

安部首相夫人の言葉とは異質だ。彼は格安の不動産を手にいれるために首相夫人を利用したに違いない。権力に取り入り、国有財産を格安で手にいれようと奔走することで経営内容を良くして保護者を集め子供に教育をしたい。経営と教育を両立させなければ私立学校経営は出来ない。
このような学校に子供を入学させるのは日本の教育観からくるのかもしれない。個人主義の伝統の無かった日本では自己主張は嫌われることが多い。江戸時代は家とか藩はあっても国家や個人は希薄だった。明治になると家制度と国家中心。所属コミュニティ全体のために個人は後回しが善であった。日本の敗戦で家も国家も吹き飛ばされ、個人が核となったが、個人の核となるエゴを馭する思想がないまま、今日に至った。そこを苦々しく思う人が国体だの天皇陛下とか言い出している。先祖帰りみたいな思想で、これが悲惨な結果をもたらしたという反省がない。歴史観が歪んでいる。西欧社会ではモラルの原点はキリスト教だ。教会は人気がないが、神や十戒は今も生きている。

4.日本人の伝統的な思考

日本の中には統制とか躾、競争心、さらに官僚や知的エリートを階層的に尊び上昇することを善とする気風がある。それは明治以来の富国強兵策によって培われ、100年以上にわたり尊重されてきた「美意識」なのである。自由とか平等、人権を抑制しようとする考えに基づく。このような成長モデルは日本的なリーダーの条件なのだろう。世界では特殊な明治の価値観ではないか。国際感覚のなさ、人格的な貧困をー感じる。目的はあるにこしたことはないが達成のために何をするかではないのか。プライドというのは他者の評価から生まれる。ただ自分で得意になることではない。勇気とは社会における公平や公正、正義感、弱者への思いやりにもとずくべきだ。民族や国境を越えた善き友になることは幼児教育の目標にはならないのか。
宝塚歌劇団の卒業式をテレビのニュースで見た。皆さん美女揃い、優等生の集団だ。おやっと思ったのは、何と、あの北朝鮮の美女軍団を彷彿とさせる。選び抜かれ、競争を勝ち抜いてきた。統制された美だ。我が国の勝ち抜き選抜される教育の成果がそこにある。教育には選別機能がある。教員も生徒も生存をかけた受験競争というのは大げさかもしれないが、このような教育からどのような人格が生まれるのだろうか。中国も、韓国も台湾も教育は選別機能だ。そこから何か未来の世界に貢献する人材が生まれるのだろうか。そうは思えない。

5.若者の苦悩

今の若者の苦しみはそうした選別機能への不安だろう。満足する人は少なく、傷つく人がはるかに多い。自分の可能性はどこにあるのか。日本の若者は未来に希望を持っていないことが国際調査で分かっている。そのような教育の仕組みこそ変えるべきではないか。全体主義の遺物のような教育から何が生まれるのか。森友学院のような上から押し付けるような教育に期待している今の若い親たちが描く未来は明るい感じがしない。若者の希望や夢を導く教育であるべきだ。若者が夢を持てない国が栄える事はない。

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# by katoujun2549 | 2017-03-03 16:48 | 教育 | Comments(0)
 1月の末に将棋の竜王タイトルを取った渡辺明氏(九段)の竜王位就任式が帝国ホテルで行われ、臨席する機会を得た。渡辺氏は聖学院中高のご出身で、自分の長男と中学時代は同級だった。仲もよく、中野の小宅に遊びに来たり、長男も彼の家にお泊まりしたりしていた。中学時代から天才と言われ、奨励会のメンバーで、すでに高校生15歳で奨励会を卒後し、プロの道に入っていた。自分の長男は将棋は全く下手で、もちろん渡辺氏と将棋を指したこともない。しかし、彼は競馬が好きで、息子も一緒にダビスタとか、競馬雑誌を読んで楽しんでいた。この将棋の世界は囲碁もそうだが、天才の集まりである。将棋ほどプロとアマの差がある競技は少ないのではないか。普通の将棋ファンでアマの有段者でも、小学生もいる奨励会のメンバーにはかなわない。渡辺氏も10歳で奨励会に入っている。プロも段位は十段まであるが、今は九段が20名である。加藤一二三が先般引退したが、彼も一時代を画した。
タイトルは名人、棋聖、王位、王座、竜王、王将、棋王の七つメジャーである。竜王とか王将、棋聖といったタイトルを取るのはさらに難しい。羽生、谷川、佐藤、渡辺といった6名ほどのタイトル保持者が一人で複数のタイトルを取るので新しい人が入るのは容易ではない。平成7年には羽生が七大タイトルすべてを取ったし、10年くらい5つタイトルを持っていたから、その間というもの他には、平成になって米長、谷川、渡辺、森内、久保、郷田他10名くらいしか取っていないし、彼らは連覇するから、一つだけ一回でもタイトルを取った人は他には数名である。中でも、読売新聞が後援している竜王は賞金も3800万円と最高で、次が名人戦2000万円、棋聖1000万円、王位750万円、王座500万円、棋王500万円、王将300万円と大きな差がある。他には朝日杯将棋オープン戦、NHK杯などがあるが、渡辺氏の取った竜王は断トツであり、4っタイトルを取ったほどの価値がある。
 天才、渡辺氏は小学4年生で小学生名人戦で優勝、中三の3月に四段を取りプロ入りした。20歳で史上最年少の竜王となり、近年(2014年)の棋王戦では羽生に勝っている。羽生とは昨年までに68局対戦し通算34勝34敗で分けとなっている唯一の騎士である。この竜王戦の挑戦者は昨年カンニング疑惑があった三浦九段であったが、彼が辞退したために急きょ丸山九段との対戦となり、接戦を制したもの。将棋連盟の審査では羽生なども含め、7人全員が疑惑を訴えた。しかし、三浦九段の疑惑は本人の否定と証拠がないなど結局シロとなり、谷川将棋連盟会長の辞任という結果になった。このパーティの翌日に谷川氏の辞任の発表があり、三浦疑惑の告発者であった橋下八段と渡辺竜王は微妙な立場におり、今行われている棋王戦の行方も注目されている。
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# by katoujun2549 | 2017-03-02 10:56 | 教育 | Comments(0)
 寅さんで有名な柴又帝釈天。金町から京成線で一駅だが、金町の駅前も50年前に行った当時の記憶もなかったので、全く交通感覚がなく、駅前のバス停から小岩行のバスに乗って帝釈天前で降りた。昔、市川から金町の三菱製紙の工場勤務だった叔父の家に何度か遊びに行った。京成高砂から金町線に乗り換え、ハスの田んぼの中を単線路で2両連結の小さな電車で行ったものだった。車窓からは江戸川の土手と蓮田の緑が美しく、夏になるとハスの花も咲き、白鷺が舞う、夢の世界のようだった。江戸時代の旅人もそんな感慨を持ちながら、帝釈天参りをしたのだろうと思う。今はすっかり埋め立てられ、住宅地の中を走っている。帰りは京成線で金町に行き、当日予定していた亀有のモルドバ料理店に行った。帝釈天はアベックやカメラを持った参拝客で盛況であった。
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(水元公園の写真だが、こんな風景も電車から見られた)

 当山は経栄山題経寺(日蓮宗)と言い、寛永年間(1629)に開基され、開山上人を下総中山法華経寺第十九世禅那院日忠(ぜんないんにっちゅう)上人とし、その弟子の第二代題経院日栄(だいきょういんにちえい)上人が実際の開基である。


板本尊の出現
 この寺にはには昔より日蓮聖人御親刻と言われる帝釈天のご本尊が安置されていた。江戸中期の一時所在不明となっていた。安永年間に至り当山の第九代亨貞院日敬(こうていいんにちきょう)上人は此の寺のお堂が荒廃したのを歎き、その復興を計ったところ、安永八年(1779)の春、本堂改修中の梁上にこのご本尊を見出し、ついにご本尊の再来の法悦にあったのである。その吉日が庚申(かのえさる)に当たったことが、当山と庚申の結縁の始まりになったという。
 
寅さんの映画にある寺と同じだが、参道の商店街は映画の雰囲気と違い、より古色蒼然としたところがある。寺の前には仏具とかだるまのお店とか、駄菓子屋さんがならび、駅に近いところには名物草だんごの店、煎餅や飴、うなぎ屋などが軒を連ねている。こちらの方が寅さんの世界、店員は白い上っ張りを着ていて、映画に出ている店員そのままである。倍賞千恵子さんも白い上っ張りや白いスカーフを頭に着ていたと思う。境内も映画よりは広く感じ、本堂の伽藍にある木彫が素晴らしく、江戸文化を感じさせてくれる。中にある木彫は観覧の対象で有料である。
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金正男がクアラルンプール空港で暗殺された。まるで古代帝国の権力闘争で親族内部の殺しあいの様相、その異常さにマスコミで驚きの解説がなされる。核実験やミサイル発射で世界から制裁を受け、さぞやへたっているだろうとおもいきや、北朝鮮は思いの外お元気なのである。その理由は北朝鮮は日本より凄い資源大国であるからなのだ。世界と仲良くして稀少な資源を売り、不足した食料を輸入すれば国民は豊かになるのだが。自分の一族支配が全てのような構造が国民の不幸をまねいている。しかし、戦前の日本もそれに近い姿だったと自分には思えてくる。天然資源の乏しい日本の資源は人である。

Wikipediaによると

朝鮮半島では「北の鉱工業、南の農業」という言葉がかつてあったほど、などをはじめ北部で様々な鉱物が採掘されてきた。大韓商工会議所が2007年に出した報告書によれば、マグネサイトタングステンモリブデン黒鉛蛍石など7種類の鉱物の埋蔵量が世界トップ10に入る。同年までに把握されている北朝鮮の鉱山は約760か所であり、そのうち30%が炭鉱である。同国の地下資源は200種類以上に達し、経済的価値を有する鉱物だけでも140種類を超えると見られる。

北朝鮮の資源で特筆すべきは無煙炭であり、その質は極めてたかく、製鉄やコークス、練炭、豆炭には欠かせない。中国は輸入を止めるわけにはいかない。

韓国貿易協会の統計によると、北朝鮮の中国への無煙炭の輸出額は昨年11億3218万ドル(約1330億円)となり、前年比で17.6%減少した。北朝鮮の対中無煙炭輸出額が前年比で減少したのは2006年以来。

 輸出量は1543万トンで、前年に比べ6.4%減少した。輸出量が落ちるのは2008年以来。無煙炭は北朝鮮最大の対中輸出品で、昨年の対中輸出に占める割合は39.8%に達している。経済制裁が徹底できない理由だ。この事をなぜマスコミは報じないのか。実は経済制裁が始まる前、10年前までは日本の製鉄会社も輸入していたのである。

 無煙炭の輸出が落ち込んだのは、2013年末の張成沢(チャン・ソンテク)元国防副委員長の処刑が影響したとの見方が出ている。処刑当時、北朝鮮当局は張氏に対し、「石炭をはじめとする貴重な地下資源を(外国に)売り払った」と非難していたことから、北朝鮮が中朝貿易で無煙炭など鉱物の輸出を減らす可能性が指摘されていた。

 2番目の対中輸出品である鉄鉱石も昨年の対中輸出額が2億1858万ドルとなり、前年比で25.7%減少した。2010年以来の低水準となる。


もう一つの資源は人である。北朝鮮は寒さが厳しく、そもそも農業には適していない。気候次第では深刻な食料不足になる。忍耐強い北朝鮮の労働者は過酷な自然の国や3Kの仕事に従事し、賃金を送金している。

 無煙炭と鉄鉱石の対中輸出が減ったのは、北朝鮮の対中輸出額全体が2009年以来のマイナスになったことに決定的な影響を与えたとみられる。国連のマルズキ・ダルスマン北朝鮮人権状況特別報告者は北朝鮮当局が海外派遣国数は17カ国前後に上り、本国に送金された額は年間あたり12億~23億ドル(約1440億~2760億円)とみられると指摘した。

 同報告書によれば、出稼ぎ労働者の総数は少なくとも5万人。派遣国はロシアやポーランドに加え、中国、モンゴル、ミャンマーなどアジア地域、アルジェリアやクウェート、リビア、ナイジェリアなど中東・アフリカ地域。

 労働者は鉱山地帯や森林伐採場、裁縫工場、建設現場などで長時間労働を強いられ、月額給与は120~150ドルに抑えられ、その大半を北朝鮮当局に送金しているという。

北朝鮮の人々は勤勉で、また体格も良い。優れた身体能力で、貧弱な環境から突然、オリンピックの柔道やサッカーで好成績が出る。美人も多いそうだ。彼らが金政権を支える理由は一体何か。

(参考)

北朝鮮における鉱床は、生成時期別に以下のようなものがある



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