2017年 09月 28日 ( 1 )

ナチス強制収容所の看守で戦犯になった人は多いが、実際 何万人も従事していたから、死刑になった看守はほんの一部である。入れ替わりもある。犬の世話係が処刑されていた。彼は証言や自白をリンチを受け、強制された。巨大な施設で、それぞれが、限られた役割を機械の歯車として、働いていた。直接、ガス室送りの選別にかかわった看守や、拷問や収容者の死を招いたものは血祭りになっている。東欧やソ連圏では男女問わず、公開処刑だった。残虐なリンチや暴行は収容者の中から選別された、カポが行い、親衛隊の監督者で権力に任せて暴行に加わったものはむしろ、率としては少ないだろう。ダッハウでは解放時に惨状を見て興奮した米兵が30人以上も銃殺した。銃殺された看守は最後まで残っていた連中で、悪辣なことにかかわった看守はさっさと逃げてしまっていた。戦争を生き延びたアウシュビッツの看守6500人の中で、判決が下されたのは50人未満。

Stutthof強制収容所裁判による
女性看守の処刑
e0195345_13141276.jpg
アウシュビッツ所長ルドルフヘスやクラマー、女性看守のマリアマンデルになれば、責任上死刑は免れないだろうが、イルマグレーゼあたりは、本当にサディスティックなことをしたかは不明だ。そもそも、ニュールンベルグ軍事法廷や東京裁判は法律的な正当性は疑わしい。しかし、政治的なショウとして、あの様な形態を取らざるを得なかった。人類始まって以来の大惨事だったのだから。断罪は必要だったのだが、戦争犯罪は戦勝国がわにもあった。

2015年2月 第2次大戦中にアウシュビッツ強制収容所でユダヤ人ら約17万人の虐殺に関与したとして、殺人ほう助罪に問われた元ナチス親衛隊(SS)のラインホルト・ハニング被告(94)の公判が11日、ドイツ西部デトモルトの地方裁判所で始まった。ドイツのメディアが伝えた。 ハニング被告はアウシュビッツで勤務していた事実は認めているが、虐殺への関与は否認しているという。検察側は、ハニング被告がアウシュビッツで看守として勤務し、1943~44年にナチスによる組織的な虐殺を手助けしたとしている。ドイツではナチスは犯罪として責任追及が今も続き、彼は禁錮4年の実刑判決を言い渡された。
彼にしてみれば何と運の悪いことと嘆くだけだ。アイヒマンですら、無罪になると思っていたという。
e0195345_09084267.jpg
ドイツはナチス犯罪に関しては時効が無い。ナチスを犯罪集団とすることによって国家の生き残りを図ったのである。ナチスを支持したのは国民であり、戦争行為に関しては一体となったのであった。ナチズムに反省しているのかと思いきや、意外にそうでもなかったし、戦後の経済復興とともに忘却すべきというような風潮もあった。1960年のアイヒマン裁判でも、センセイショナルではあったが、ドイツ国民がナチスズムを他人事にしたがる傾向にあった。しかし、1973年のアメリカのテレビドラマ、ホロコーストはドイツ人にも大きな衝撃を与えた。ユダヤ人迫害の実像は世代を超えて伝えられたのである。その前に1956年アウシュビッツ看守を断罪した裁判は困難を極めた。多くの証拠が隠滅されたからである。また、絶滅収容所が共産圏にあって資料が集め難かった。ネオナチや旧ナチスの生き残りも彼らの復権を狙っていた。何を今さら、そこまでやらなくとも、という世論や
マスコミとの戦いがあった。その最大の犯行は民族絶滅であり、これは隠され歴史修正主義者がホロコーストは無かったと反撃し始めたのである。イスラエルにおいても、ユダヤ人の絶滅収容所は不名誉なことと、語りたがらない事柄で、むしろ、ワルシャワのゲットーの蜂起を賞賛していた。しかし、ローゼンタールなどの執拗なナチス犯罪の摘発によって、再び過去を振り返り、国際世論に訴えるようになったのであった。イスラエルはパレスチナとの4次に至る中東戦争でそれどころでは無かった。ドイツは1956年に始められたアウシュビッツ裁判以降ナチスの犯罪性に向き合うことになる。このことは意外な感じがする。ナチスはニュールンベルグ裁判でナチス幹部のうち12人が絞首刑となり、また、ポーランドやチェコなどの占領地でも裁判が行われ、収容所幹部などが裁かれた。ニュールンベルグ裁判以前1946年代にも戦犯が処刑された。また、アメリカによって継続裁判が行われた。ところが、東西冷戦が始まると、ナチスの官僚たちはソ連と対抗するためにアメリカに利用価値を認められ、生き残って活躍していた。戦犯裁判の中では、曖昧な強制収容所収容者の記憶、憎しみに満ちた偽証による冤罪も多かった。チェコやポーランドでドイツ人難民、20万人以上が虐殺され、また、ドイツ兵捕虜が米英軍の扱いの失策により100万を超える死者を出していた。被害者感すらあったのである。1944年以降ドイツの敗色が強まると、ヒムラーは絶滅収容所の稼働を止め、隠蔽工作を始めた。ユダヤ人も終戦交渉の人質や材料にしようとした。トレブリンカ、ソビブル、ベイジエツ、ビルケナウなどの絶滅収容所でのユダヤ人抹殺の証拠は隠滅された。そのため、ガス殺は無かったという主張も生まれた。絶滅収容所はドイツ国外にあり、ドイツ人の意識には上がり難かった。収容所の看守や従事者の数は膨大で、アウシュビッツだけで6000人から8000人もいた。オーストリアのマウトハウゼンではガス殺も行われた。末期には収容者を移動させ、それによって多くが殺された。しかし、彼らの隠蔽工作は、あまりにも膨大な事実の前に隠せるものでは無かった。幾つかの資料が発見されたからである。ドイツ人らしく、几帳面に記録したために、彼らの蛮行はわずかな資料でも十分証拠になるものであり、続々と発見された。また、収容者の生き残りもいたのである。マウトハウゼンは絶滅収容所ではなかったが、ガス室が設置されていた。ここでガス殺された囚人の数は、後のヴェストファーレンでのハーゲン裁判などの調査によると3500人程という。また付属収容所のグーゼン強制収容所にもガス室が設置されていた。絶滅収容所ではないので、ユダヤ人やロマなど人種を理由にしたガス殺は少なく、主にソ連軍の捕虜やチェコ人・ポーランド人などの反体制分子、病人、労働できなくなった者などだった。ここでも1万人につき400人の看守がいて、多い時では看守や様々な職についていた人数は5000人を超えた。証言から看守による暴行や虐待行為も覆い隠すことはでき無かった。この強制収容所裁判では、選別にかかわったかどうかが刑の軽重に関係している。暴行や残虐行為は人が見ていないところでは行われることも多いから、証拠もないのである。大体、収容者は生き延びるのに精一杯で、制服を着た似たような姿の隊員を名前から覚えるのは困難。だから、特別酷い看守や美人は標的になった。
しかし、今ではダッハウの人間の皮膚のランプシェードや、人体の油で作った石鹸、アウシュビッツの死者300万人は嘘である。しかし、それでも150万人という膨大な数は殺されている。その責任を看守達が負わされたのはいかにも気の毒だ。ナチス信奉者のヨーゼフメンゲレはアルゼンチンで、スコルツィーニなどはエジプトで軍事指導者で生き延びた。V2号を開発したブラウンもNASAの創設で、ミサイルや宇宙開発に貢献した。それに対して、歯車に過ぎなかった強制収容所の看守達は惨めだと思う。

映画 戦場のピアニスト ゲットーのユダヤ人カポだが、
彼らも結局はトレブリンカに送られた。
e0195345_09091426.jpg



[PR]
by katoujun2549 | 2017-09-28 17:42 | Comments(0)