2013年 01月 24日 ( 1 )

013.gif1月19日と20日はセンター試験、世の受験生は今年の最初の試練であった。しかし、大学関係者も大変なのである。東京で開かれる試験実施要領や注意事項の研修会に行くことから、学内の説明会、前日からの準備、段取りに入試担当者達と教員、職員等学校を総動員して対応する。この仕事はマニュアル通り一部の間違いも許されない。100点満点が当然と見なされる。特に北国は雪という不確定性を抱え、列車の遅延対策、さらにはエアコンも完璧でなければならない。
今回は長崎の活水女子大で問題用紙が途中退出の受験生に持ち出されて予備校に渡され、監督者がチェックミスを問われ、記者会見に及ぶという事件となった。悪意の行為に対してまで監視するのは大変だ。

JWSSニュースによると 19日の大学入試センター試験で、活水(かっすい)女子大(長崎市)会場の女性受験生(19)が試験時間中に問題冊子を持ち出し、自分が通う予備校の関係者に渡していたことがわかった。試験時間中の問題冊子の持ち出しが発覚するのは初めて。大学入試センターは20日に会見して謝罪した。

 センターと大学によると、地理歴史・公民の試験開始から約30分後の19日午前10時ごろ、5階の教室にいた受験生が一時退出を希望し、問題冊子を手に持って室外に出た。冊子は机の上に置いていく決まりだが、6人いた監督者らは見逃した。付き添い役の係員も、受験生が「もう大丈夫」と言ったため、途中で付き添いをやめた。受験生はその直後、大学の門の付近で予備校関係者に冊子を手渡したという。机に問題冊子が残っていないことに気づいた大学側は、約20分後に1階の自習室にいた受験生を発見。事情を聴いたところ、事前に予備校側から依頼があったことを認めた。大学側は業務妨害の疑いもあるとして長崎県警に通報。予備校関係者は県警に「早く入手して模範解答をつくりたかった。不正をしてまで持ち出すことは頼んでいない」と話したという。

こんな作為にあっては大学は敵わない。問題冊子保有を見逃したことが第一問題だが、予備校側と入念な打ち合わせをしたはずである。センター試験が今や大学入試の重要な選別手段になって、高校生の学習目標として占める位置は大きい。高校教師は本来的な学生の学力向上や自分の教育手法を駆使して授業を進めるべきだが、高校全入時代においては学生のレベルがまちまちで、知的好奇心に訴えるのは無理だと思っているだろう。こうしたテストや偏差値の高い難関校を学習目標にすることが学生と保護者の人気を得る近道だと思っている。保護者と学生、教師も選抜されるということが何よりの喜びである。
アメリカでワーキングプーアが生まれる理由は専門家の供給過剰である。
センター試験と偏差値が支配する今の高校教育だが、これが一体社会に出て何の役に立つのか。文系では私立と国立の大きな差は科目数の多さと数学である。この点国立出身者は基礎学力と忍耐力は学習という点ではしっかりしている。東大、京大、一橋あたりの超難関校受験生はセンター試験は85〜95%取るから、ここはあまり差がつかない。しかし、彼らも含めてこの能力は人間の能力の一部である。100m10秒で走る能力のようなもの。受験生は塾や予備校、家庭教師など、一種の投資をして対応している。その証拠に、難関校子弟の家庭の所得は高い。対策スキルの差である。しかし、このセンター試験があるお陰で日本人の学力は守られている。日本で全国的な学力判定の機会は今や大学受験だけである。わが国の公平な選抜機能はあまりにも少ない。大学入試もAOや推薦入試が横行している。就活がなかったら、日本の若者は腑抜けになってしまうだろう。しかし、その後の勉強が問題である。大学での学習でも、又、社会人になれば別の能力が要求される。歴史の年号を暗記したり、英語の穴埋め問題には意味がない。要は受験のための教育は教育ではない。単なる受験対策。自分の進むみちを自分で決め、学ぶ姿勢と方法を身につければ困難を乗り越えられる。可愛げのある人物、応援したくなる人物に育てる学問こそ求められる。リベラルアーツの目標はまさにそこにある。瀧本哲史 氏(エンジェル投資京大客員准教授)によると、アメリカの教育の優れた点はリベラルアーツ教育を経て専門分野に進むことだという。わが国もこれに習おうとしたが失敗した。それは具体的な教育技術を無視して、学部教育の延長線で行おうとしたからだ。国立大学の教養部では座学を中心に、教師によっては新入生にいきなり自分の研究中のノートをそのまま講義に使うような横着な授業をした。これでは高校生からいきなり専門分野の課題を叩き込まれたようなもので消化不良を起こしてしまう。勉強嫌いの量産である。それでも学生が文句を言わなかったのは難関校の学生の見栄やプライドのためである。だから、一般には普通の学校では教師は飽きさせないよう落語漫談的講義となってしまうけいこうもあった。これではレベルが上がらない。
教養の本質は知識の深さではない。世の中には多様な意見が存在することを認め、俯瞰して比較し、その中からよく選択した上で、主体的な判断をするための考え方を身に付けることである。

現代は全員が賛同する正解はない。先が見えないから自分で課題を設定して問題を解決できるリーダーが求められる。
より高度で進んだ専門知識は大学よりビジネス現場にある。少人数での議論、文章を書くトレーニングが必要で手間がかかえうのである。
IQ と心の知能指数(情動指数、Emotionally Intelligence Quotient)のバランスが大事な要素である。これは必ずしも学力に比例しない。

[PR]