2010年 07月 25日 ( 1 )

 我が国の戦没者の遺骨収集は240万人の海外戦没者のうち51%でしかない。特に、フィリピンは25%で少ない。第二次大戦中の戦没者収集遺骨は千鳥が淵戦没者苑に無名戦死の墓として納骨されている。しかし、日露戦争や満州事変など。大戦前と第二次大戦中の英霊は靖国神社に祀られている。靖国神社は御魂祭りや秋の例大祭などが主要な行事で、むしろその時に参拝すべきなのだ。英霊は8月15日にこだわらずに参拝すべきだと思う。むしろ、政治家の参拝はマスコミへの露出、選挙目当て、遺族会などの顔色をうかがう形で行われてきた。政治的に利用されていたとみてよい。心から弔意をあらわすという国民感情とは別の意図を感じる。

 第二次大戦は太平洋戦争という名称だが、実際は、中国、ビルマ、インドネシアなど、米軍が戦っていない場所でも多くの犠牲者が出た。ところが東京裁判やGHQの思想統制で太平洋戦争となった。歴史的にも地理的にも実際は大東亜戦争という名前が実態には合っている。東京裁判は、戦勝国の報復的行為、茶番であったが、そのために、アジア地域での戦争犯罪はでたらめなBC級裁判で整理されてしまった。BC級の被告は理不尽な裁判で処刑された気の毒な事例が多い。肝腎のアジアにおける日本軍の蛮行は曖昧になっている。東京裁判で首脳部の責任を問われた南京大虐殺は実は実態が明らかではない。それに引き換え、問題にならなかったのがインドネシアにおける100万人の強制労働による死者、満州の731部隊の生体実験、フィリピン戦マニラ虐殺などだ。東京裁判ではアジア人の判事はインドのパール判事で、国際法の専門家は彼だけ、後から中国とフィリピン(ヘラニラ氏)が加えられた。しかし、フリピンは独立を得たばかり、中国は国民党と共産党政権が抗争中で代表といっても国民には認知されていない。この裁判では中国人朝鮮人の強制労働や、慰安婦、ヴェトナムやビルマのことも問題にならなかった。もっぱら、英米蘭軍捕虜の虐待、戦争や民主主義破壊に対する人道上の犯罪への共同謀議が問われた。
 片や日本国内でも、本当は裁かれるべき人々が不問に付された。治安維持法を盾に横暴の限りを尽くした特高や憲兵、満州でごろつきのような活動を行い、麻薬汚染を引き起こした右翼達、日本軍で多くの犠牲を出した作戦の責任者、辻正信や牟田口といった連中は全く処罰されていないか、戦犯から解放された。日本の戦後の戦争責任処理は全く機能せず、アメリカの軍事裁判に助けられた。戦犯逮捕者リストの作成は日本人からの情報がなければできない。

 戦後独立を果したアジア各国は日本に賠償を求め、ODAも含め夫々成果を得たが、日本の加害者としての立場が変わる訳ではない。どう考えてもアジアの占領地における日本軍に対する感情は嫌悪すべきものとなっている。占領地における日本軍の増長振りはいくら独立を促したとか言っても肯定しうるものではない。要するに、被害にあった国々を刺激する行動は国際的に今の国益を損なうのである。8月15日の参拝というのは大戦中の日本の軍部を肯定する行動に映るのだ。戦後65年を経ても今なおアジア諸国からは大戦中の軍部は贖罪されていない状況で首相が8月15日を選んで参拝するのか、その歴史認識のいいかげんさを問題にすべきだ。

 靖国神社のA級戦犯合祀は、靖国神社がサンフランシスコ講和条約と宗教法人の権利を盾に行われ、BC級の合祀は違法な情報漏洩という厚生省の内部協力を得た出鱈目な手順で行われた行為だ。その行為は政治的な色彩を帯びることになる。参拝を強行しても、拒否されても問題になるし、それは神社側の勝手な行動の結果で仕方がないものだと思う。靖国神社の遊就館の展示やその主張は歴史認識を疑う一方的なものである。確かに、日本軍は英米兵の捕虜を虐待したが、ソ連はさらに多くの日本兵捕虜を強制労働に送り、死に至らしめた。そのような反論は別の問題だ。靖国神社側は、英霊として美化するだけでなく、戦争中に行われた戦争の名目で行われた日本軍の破廉恥な行動、他国人と同時に、自国民や軍隊内部においても行われた現実を直視し、平和への活動に労力を傾けるべきである。
 靖国神社で気になるのが、参道に群がる異常な数のテキ屋の屋台だ。焼き鳥、お好み焼き、焼きそば屋といった出店が何故あれほど必要なのか分らない。靖国神社は英霊の祈りの場であって欲しいと思う。このような姿が神社の異様な立場を物語っている。font>

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