西部開拓の足跡を巡る

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巨大な大陸横断鉄道の機関車

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開通時の蒸気機関車
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シェラネバダ山脈を
切り開くため、多くの
中国人労働者が働き、犠牲も多かった。

フロンテアスピリットと西部開拓

アメリカの発展は東部から西部へと19世紀中頃から急速に進んだ。東部からカリフォルニアやオレゴンに開拓は進んだ。そのきっかけが、横断鉄道の開通と、ゴールドラッシュであった。また、連発銃の普及はインデアンの脅威に対抗できるようになった。森林地帯ではインデアンの弓矢の方が遥かに有利で先込め銃は敵わなかった。アメリカのフロンテアはアイオワ州辺りで長い間止まっていた。鉄道もシェラネバダ山脈が行く手を阻んでいた。
1862年にリンカーン大統領が太平洋鉄道法(the Pacific Railroad Act)に署名、セントラルパシフィック鉄道(the Central Pacific Railroad:CP鉄道)が西部側のサクラメントから、また、ユニオンパシフィック鉄道(the Union Pacific Railroad:UP鉄道)が東部側のネブラスカ州オマハから着工した。1863年1月8日に着工が始まった。南北戦争の復員軍人や中国人移民が鉄道建設に動員され、工事の効率が飛躍的に上がった。とりわけ、中国人労働者はロッキー山脈越えやネバダ砂漠横断の難工事にあたるなど大陸横断鉄道の完成に決定的役割を果たした。今日、この中国人の努力と功績、犠牲は顕彰されており、サクラメントの鉄道博物館で展示されている。
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サクラメントは湿地であり、度々洪水に見舞われ、嵩上げ工事に中国人労働者が貢献した。

ゴールドラッシュ時代の採掘者の住居
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西部開拓の第2の波はゴールドラッシュだった。金鉱脈の発見で、サンフランシスコの人口の半分が砂金取りに出てしまったという。その後も中国人や海外からの移民が続く。最初に発見されたのが、Colomaという小さな町の製材所、AmericanRiverの水を使った、動力源の水車を回す小川から砂金が発見された。1848年1月、その話を聞き付けたSutter砦の雑貨商Brannanが製材所に行って確認し、サンフランシスコで騒いだことから大騒ぎになった。最初の発見者は製材所の技士James M Marshalだったが、最初は製材所が機能しなくなるのを恐れて黙っていたが、秘密は破られた。COLOMAの町は4000人もの人口で溢れかえった。発見者のMarshalはその後土地を買い、金の採掘を始めたが彼は上手くいかず、ワインの栽培で成功した。しかし、水晶採掘のビジネスに失敗し、金発見の功績で受けていた年金も半分に削られ、アル中となって1885年に75歳で死んだ。
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この製材所は再現されており、小川は流れが変わって今は跡が残っているにすぎない。
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町に作られた、小さな小学校と教室
西部劇に出てくる。

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by katoujun2549 | 2017-07-12 17:16 | Comments(0)