フェアフィールド、ナパ、サクラメント

フェアフィールド、ナパ、サクラメント

1週間サンフランシスコ郊外の住宅地フェアフィールド市をベースにパイオニア、タホ湖、ヨセミテまで足を伸ばす機会を得た。大学時代の友人H.Steve君の家にホームステイさせていただいた。彼のご長男ご夫妻の案内で日帰りツアーとなった。

1.ヨセミテ
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       この風景はトレッキングしないとみることができない

ヨセミテまでは片道、車で3時間半で行ける。朝の6時45分に出て、大草原から森林地帯にはいると急に高度が上がる。山火事の後が生々しい山道を通り、11時頃ヨセミテ国立公園に到着した。大岩壁、エルキャピタンが迫り、落差739mのヨセミテ滝が目に飛び込んでくる。巨大なハーフドームも見える。これら3名所を一度に見るにはトレッキングをして見晴らしの良い山に上らなければならず、これは諦めた。先ずはヴィジターセンターに行き博物館で世界遺産ヨセミテの観光地としての歴史を学ぶ。ここはインデアンが先住していた。採集生活が中心で、川で魚を取り、狩りで動物を食糧に暮らしていた。彼らの住居は檜肌葺で三角形のテント状のもの。平原のインデアンの革の移動式ではない。高地で冬は雪に閉ざされる。西欧人も毛皮取りの山男しか入ってこない世界であった。ヨセミテ滝を見てお昼になったので、昼食となった。カフェテリアでバッファローのステーキを頂いた。さっぱりとした柔らかい肉であった。結構ヘルシーで美味しいと思った。敢えて言えばもの足りない。ビーフの油っこさが旨味だから、結局健康に悪いほうが美味しいことを改めて思った。
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滝というのはあまり近くに行っても迫力はあるが、美しさはない。遠目が良い。930mの大瀑布であるが3段になっている。この距離からも音は聞こえる。
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エルキャピタンの大岩壁は麓までいった。見上げると大迫力で、岩壁を登坂している人がけし粒のように遠望できた。ここはロッククライミングの聖地なのである。最近、フリークライミングでロープを使わず5時間で登坂した強者がいたそうである。
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                エルキャピタンの雄姿

「ヨセミテ」はミウォーク(Miwok)族により、ヨセミテ渓谷に住むインディアンを指して使われていた言葉とのこと。意味は”those who kill”(「殺し屋たち」という意味)。ヨセミテ渓谷を取り囲むインデアンの部族は、彼らを恐れていた。ヨセミテ族はシエラの東側のモノ・パイユート族を含むいくつかの部族から成り立っていました。パイユートは伝統的に平和的なミウォーク族の敵でした。 さて、ヨセミテ族はヨセミテ渓谷を”Awooni”(アワ二ー)と呼んでおり、それは gaping mouth (註:gapping は「裂ける」、「ぎざぎざになる」)を意味している。景観を守ろうと20世紀までに多くの人々が懸命の努力をした。観光地としての発展と産業開発、自然保護との戦いもあった。しかし、アメリカはここを国立公園として保護することとなった。
スコットランド生まれの博物学者ジョン・ミューアが書いたこの土地についての論文は、社会の科学的関心を引いた。彼は、当時の通説に反対して、ヨセミテ渓谷の地形が氷河によって形成されたことを理論化した最初の人物の1人である。

ヨセミテでは、草地への過度の放牧(特に羊)や、ジャイアントセコイアの伐採が見られるようになり、ミューアは保護を更に推し進める必要があると考えた。彼は、センチュリー・マガジン誌の編集者ロバート・U・ジョンソンなど、ヨセミテを訪れた有力者に、この地を連邦政府の保護下に置くべきだと説いた。ミューアとジョンソンは連邦議会へのロビー活動を行い、それが実おって1890年10月1日にヨセミテ国立公園が設立された。ただし、ヨセミテ渓谷とマリポサ・グローブについてはカリフォルニア州の管理下に残った。また、ミューアは、ヨセミテの高地での放牧を事実上禁止するよう、地方政府の説得にも尽力した。

ヨセミテ国立公園は、1891年5月19日、アメリカ陸軍第4騎兵連隊の管轄下に入り、同連隊がワウォナにキャンプを設けた[27]。しかし、軍には、カリフォルニア州が管轄するヨセミテ渓谷とマリポサ・グローブの環境悪化について介入する権限がなかった。

ミューアと、彼が創設したシエラクラブは、州が管理しているヨセミテ渓谷を連邦政府のヨセミテ国立公園に統合するよう、政府や有力者へのロビー活動を続けた。1903年5月、セオドア・ルーズベルト大統領がグレイシャー・ポイント近くでミューアとともに3日間のキャンプを行った。この時、ミューアは大統領にヨセミテ渓谷とマリポサ・グローブをカリフォルニア州から連邦政府へ移管させるよう説いた。そして、1906年、両地域を連邦政府に移管・統合する法律が成立し、大統領はこれに署名した。

アメリカ合衆国国立公園局は1916年に設立され、ヨセミテも同局に移管された。

1903年、公園北部のヘッチ・ヘッチー渓谷に、サンフランシスコ市内へ水と電力を供給するためのダム建設計画が持ち上がった。ミューアら保護論者(プリザベーショニスト)はこれに反対し、保護論者の主張を受けて、連邦議会は公園の89%に当たる27万4200ヘクタールを「ヨセミテ自然保護区域」に指定した。夏期の交通混雑も大きな問題となった。現在、自動車で公園を通り抜けることは可能であるが、園内では無料のシャトルバスが数路線走っており、これを利用することが推奨されている。
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by katoujun2549 | 2017-07-09 16:49