沖縄戦の真実ー 日本軍かく戦えり

子供のころ、市川市に住んだが、梅松園という6件の戸建ての長屋のような住宅街があり、近所に住んでいた自分はよくそこの子供たちと遊んだ。その最奥の一軒に和田さんという家があり、未亡人と2人の息子がひっそりと暮らしていた。昭和26年ころ、奥様が亡くなられ、母親がお通夜に行った時のことを今でも覚えている。近隣で太平洋戦争時の高級将校であった和田さんは尊敬されていたが、終戦直後のころ、敗戦の責任者の職業軍人であり、業績を語る人は世間ではいなかった。実際は多くの軍功のある立派な軍人であったと母は言っていた。2人のご子息とご長男のお嫁さんが暮しておられた。沖縄戦で戦死された和田中将のお宅だと子供でも知っており、今も記憶に残っている。沖縄戦では、牛島司令官、長勇参謀長、八原上級参謀が有名であるが、和田中将のことは語られていない。しかし、調べてみると、沖縄の砲兵の責任者であり、この洞窟陣地からの砲撃がアメリカ軍に大損害を与えていたことを知った。米軍司令官バックナー中将も砲撃が命中し戦死した。沖縄の日本軍の大砲の命中精度はアメリカ軍も認めており、驚異的な水準であった。千葉県市川市は国府台に首都防衛の高射砲部隊がアメリカの空襲に対する防衛拠点であったため、和田中将が沖縄に派遣される前に住んでおられたのだろうと推察される。沖縄は今もなおアメリカ軍の重要拠点であるが、アメリカ軍がどれだけ多くの犠牲を払ったかは、数値でも知られている。単なる統計であり、彼らの苦労は一般には意外と知られていないような気がする。映画、パシフィックやハックソーリッジで表現されて初めて知る。記録映画では安全なところからしか撮影されず、凄惨な場面は推定するしかない。もちろん日本は住民の損失も含め、米軍の10倍の損失を出したが、その内容が問題である。沖縄戦ではアメリカ軍の圧倒的な物量と砲爆撃、ひめゆり部隊や集団自決の悲劇が語られることが多い。日本軍の60日にわたる激しい戦いについては語られず、単なる負け戦で括られることが多いのではないか。

(注)アメリカ海兵隊の公式活動報告書でも「(日本兵は)よく訓練され、統制もとれた陸軍兵士で、特に士気の高さと、身体能力の高さは特筆すべきである」とか「日本軍の兵士は常に頑強で機知にとんだ戦法で戦い、絶対に降伏しなかった」等、その能力を高く評価している。

第5砲兵司令部司令官:和田孝助中将は ‐ 野砲兵第42連隊、独混44旅団砲兵隊、各歩兵連隊・歩兵大隊連隊砲大隊砲、師団および独混の速射砲を除く全砲兵部隊を指揮された。和田中将指揮下の部隊は対空砲部隊を除くと以下の通りであった。アメリカ側の軍備はあまりにも大きく比較にならない程で割愛するが、ドイツとの戦いのハイライトであったノルマンジー上陸作戦を上回るものであった。アメリカ軍はオマハ海岸やバルジ戦、イタリア戦線では優秀なドイツ軍に悩まされたが、沖縄ほど厳しい戦いはなかった。特に、特攻機による損失は甚大であった。沖縄は「捨て石」という言葉が誤ったイメージを与えている。まさに本土決戦の雛型であり、日本軍も精兵を送っていた。特攻も含め最後の力を絞って戦った。アメリカも弾薬がつきそうになったほどである。砲兵部隊の内容は物量面では鉄の暴風というほどで、米軍と比較にならないほどであるにもかかわらず、彼らを苦しめた。日本軍かく戦えりであった。

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沖縄の軍司令部地下壕の遺跡

自分は当時の軍司令部の将官を評価する知識は無いが、結果論からは、牛島司令官の下にいた長勇参謀総長の責任が大きく、沖縄日本軍の消耗を加速したように見える。彼は軍人であると同時に、政治力のある人物で、帝国陸軍エリート軍人の典型であった。彼の功績で、沖縄の総動員体制が実行され、陣地構築の動員力は
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素晴らしいものであった。ところが、戦術的には自信過剰で、米軍の物量と合理的な戦闘を理解できなかった。頭脳明晰な八原参謀は後に持久戦を指揮し、米軍に大損害を与えたが、この作戦が、結果的には多くの住民の犠牲を生んだことは否めないだろう。沖縄戦までは天皇陛下も何とか戦況を挽回しようと、沖縄の日本軍に総攻撃を期待していた。長参謀の無謀な突撃戦術はそこからきていた。沖縄の戦いで、米軍もバックナー中将や司令官が戦死しており、彼らにとっても過酷な戦場であった。フィリピンと違い、今日もアメリカが沖縄を手放すことはありえないという印象を持つほどである。日本側の悲劇は伝えようとするマスコミだが、あまりアメリカの損失を報道しない。
沖縄戦の敗北から日本の本土を戦場にすることなく平和を得た我が国の判断は正しかったと思う。一方では、アメリカが九州上陸や本土決戦をあきらめ、原爆投下によって一気に終戦まで漕ぎつけようとしたことは、この沖縄戦が彼らに与えた恐怖からきている。これは歴史の常識である。日本人としては原爆投下のような無差別殺人は許されることではない。アメリカも、実際は日本に原爆投下をしたことは、日本の報復を恐れ、日本が核武装をすることを絶対に認めない原因にもなっている。沖縄の犠牲といってよいのかどうかわからないが、結果的には戦争の終結をもたらし、今日の平和の礎となった戦いであるという評価をきちんとすべきだと思う。沖縄、広島、長崎の悲劇のおかげで今日の日本の姿がある。しかし、ロシアのスターリングラードや、ベルリンなどが軍事基地になっていない。むしろ平和の象徴になっている。沖縄は、残念なことに、今なお軍事拠点である。悲劇の島であったことから早く脱却し、世界平和に貢献する日本の重要な拠点となるように努力すべきだと思う。

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by katoujun2549 | 2017-05-15 12:16 | Comments(0)