エマニュエル・トッド「問題は英国ではないEUなのだ」文芸春秋

 問題は英国ではなくEUなのだ

 エマニュエル・トッド氏が、イギリスのEU離脱原因となったヨーロッパの事情、これからの世界の動き、さらにトッド氏の歴史認識と方法論に関して書かれている。今の日本が中国や韓国に気を取られているうちこの十年の間ヨーロッパでは大きな変化が生まれ、21世紀の中盤は危機を迎えようとしていることに気が付かなかった。これは警告の書である。
 彼の歴史人口学という科学的な手法による歴史解釈と世界の諸問題を洞察する力量に驚かされる。日本は戦後、地政学の視点を失った。かつては、和辻哲郎、ヒットラーの右腕学者であったハウスホーファーなどは枢軸国の理論につながったということで排斥された。しかし、今こそ地政学的な見方は重要である。世界が地理的な位置、気候、人種、家族構成、出生率などで発展に差があり、統一などという概念からは程遠いことも現実だ。しかし、フランスが18世紀に生み出した、自由や平等の概念は今日もなお生き続け、国家形成の重要な要素として尊重する方向と、中国やロシアなど、国家の維持を優先させる方向と今もせめぎ合いを続けている。
 今日、冷戦構造の崩壊以来、アメリカの一人勝ちは、今やアメリカが世界の警察官にはなり得ない状況に転じた。中国の自己主張に対して日本は苦悩してきた。21世紀の前半はアメリカ、中国、ロシア、ドイツが大国として先進国を方向付けている。そこに、フランスやイギリス、日本がどのような役割を果たせるかである。イギリスは国民投票でEU離脱を決定した。これに対して最も怒ったのはドイツのメルケルである。フランスはすでに金融面でも経済面でもドイツに従わざるを得ず、オランド大統領はメルケルにお伺いを立てる立場に成り下がっている。イギリスは自己決定権がEUの中で失われつつあり、特に重要な移民の問題ではデリケートである。当然の話である。メルケルはシリア難民の受け入れを宣言し、喝さいを浴びたが、難民はいずれ北欧やイギリスにも流れてくる。イギリスが通貨をユーロにしなかったのは賢明である。通貨が統合されると、産業の格差に応じた為替調整機能がなくなり、産業が停滞すると労働者はドイツに低賃金労働者として吸収される。ドイツではこうした労働者と、一般国民は区別され、移民は結婚も同化もうまくいかない。若者が減少し続けているドイツの繁栄はこうした移民の上に成り立つ。この構造もいつかは危機を迎えるだろう。その時は周辺国も共倒れである。これを支えてきたイギリスはこんなEUから政治的に支配されるよりは、むしろ、アメリカやカナダというバックアップの方が親近感がある。
19世紀、 イギリスは産業革命の担い手であり、議会制民主主義発祥の国である。自由と平等というフランスの伝統はむしろイギリスと結びついた方がフランスの未来を明るくするのに、統制的なドイツと付き合っている。リベラリズムはそのメリットを一部の支配階級が握るだけで国家の基盤である中産階級以下の層には恩恵がない。イギリスの離脱投票者の判断はイギリスの国家としての自立性を取り戻す行為であり、歴史の必然なのだというのが彼の主張である。
 この本の75Pから185Pは彼の歴史分析の方法とその人口学からみた2030の予測である。そして、後半は世界、特に中国の未来、多発テロに対するフランス国民の行動、キリスト教、特にカトリックの衰退とヨーロッパの近代史を解説している。内容のあつみと読み応えのある著書である。

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by katoujun2549 | 2016-10-31 17:12 | 書評 | Comments(0)