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2015年新発田の台輪

 東京のお祭りではお神輿を担ぐことがお殆どだが、新潟県では山車、台輪というきらびやかな飾りの車に人が乗って、笛を鳴らしたり太鼓をたたいて町をめぐる。新発田の台輪も200年以上続いた諏訪神社の祭礼と結びついた庶民の祭りである。江戸時代に藩主溝口公の肝いりで始まったという。諏訪神社でお払いを受けた後、下り台輪といって自分の町内に戻るのだが、なんせ、道がこのような山車を通るようにできていないから、交差点で先を争うと大変である。この台輪、だれが運転しているのか、イマイチはっきりしない。車は3輪で、ときおり、煽りといって、前後に地面を叩きつけるように跳ね上げ、地面に落とす。だから、中にいる人は大変である。先頭に乗っている人も振り落とされないようにバランスを取らなければならない。

煽っている最中の台輪
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 新発田の諏訪大社から出てきた台輪は第四銀行新発田支店の交差点に続々と集まり、一斉煽りと称して全部の車を跳ね上げる。ダンダンダンと地面を車の轍と支えの角材がアスファルトの地面を叩く。いったい何でこんなことをするのかは分らない。交差点から自分達の町内に戻ろうと、それぞれの台輪がタイミングが合ってしまい鉢合わせするとか、先に帰ろうと争い始めると大変である。そもそも方向舵があるような便利な山車ではない。パイロットがいるわけでもなく、山車は綱で60人ほどで引くだけだから、双方の引き手がぶつかってしまう。1台に100人近い氏子が引きあい道路でぶつかると身動きできない。そこで殴り会いとか、押し合いが始まる。これで死者が出たこともある。

 けんか台輪である。江戸のお神輿でもよく喧嘩になっていた。祭りと喧嘩はつき物だった。そもそも、変える方向も道路も決まっているのだから、ぶつかり合わないように方向指示をきちんとして、責任分担すればいいのだが、それが曖昧だからぶつかり合ってからの対応となることも多い。今回、案の定、引き手がぶつかり合って押し合いが始まり、提灯が飛んだり、殴り合いが始まった。しかし、けが人が出るといけないと判断した片方の台輪が引き下がったために、急に圧欲が弱って乱闘は治まったのだ。これを見て、まるで、日本社会の縮図だなあと思った。わが国ではざまざまなセクターが課題を進行させている。ところが、方向もルートもわかっているのにぶつかり合うようなヘマナ運行があり、しかもぶつかり合うと収めるのが大変である。こうした現象は組織や社会のいたるところにある。安保法案をめぐる国会運営も然りである。戦争なども、リーダーが間違った方向を指示するためにおきる混乱の一つである。祭りと言う非日常の世界、ここでは不条理がまかり通る。諏訪の御柱だって、一体何であんな危険なことをするのかわからない。人間、町全体が馬鹿になるのを楽しむのである。

by katoujun2549 | 2015-08-31 15:33 | 国内政治 | Comments(0)