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新潟県聖籠町の二宮邸と北区の福島潟



二宮邸の薔薇と福島潟

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五月の末、土曜日、新潟県聖籠町の二宮邸の薔薇を見、その後いつもの福島潟に行ってみた。昨年も二宮邸の薔薇は素晴らしかったが、今年も昨年同様美しかった。やや時機は後半にかかった感はあったが、大小、様々な種類の薔薇が咲き誇っている。バラ園としては小さな方で、例えば、千葉県の京成バラ園とか、神代植物公園のようなところは、他の植物や施設もある。この二宮邸は天神潟の水辺にある二宮邸のかつての豪農の屋敷という雰囲気を味わう事だが、入場者を楽しませるものが不足しているせいか、退屈する人もいるだろう。新発田や聖籠に住む人に取っては身近でお手軽な目の保養のために毎年楽しみな所である。今年は朝祷会の皆さんと一緒だった。その後福島潟に行った。聖籠インターから新新バイパスに乗り、豊栄インターから10分ほどで到着。この二つの訪問先は自分が新発田に来て2年になるがお気に入りの場所である。

福島潟は近年大きく埋め立てられ、写真の様なスケールと姿になったが、この福島潟以外に、新潟市周辺には鳥見潟とかいくつかの湖沼が残っている。

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新発田周辺ではかつて、紫雲寺潟というのもあり、江戸時代に米作農地拡大の為に大工事の後埋め立てられてしまった。信濃川阿賀野川の蛇行と日本海から吹き付ける季節風によって海側は砂丘になり、河川の出口が埋って海に出られなくなった水流が湖沼になるのである。これがしばしば洪水の原因となり、新潟の治水は頭痛の種であったが、これが米作に適していると見た江戸幕府や新発田藩がここを灌漑、開墾し一大穀倉地帯とした。今日も、日本各地では水害があるが、水田を拡大し、治水は江戸時代に殆ど完了し、日本の国土保全に大きな貢献をして来たのである。この福島潟と二宮邸とはこのことで結びつくのである。どの町にも水田耕作で成功し豪農になった家が残されている。阿賀では伊藤文吉邸、五十嵐邸、新発田では市島邸、聖籠町では二宮邸である。




by katoujun2549 | 2014-06-22 10:50 | 国内政治 | Comments(0)