カジノは三本目の矢か?
自分はかつて、カジノは都市の活性化に貢献すると考え、何とか日本にもカジノが出来ないかと考えた事があった。カジノ=賭博と考え、女性の識者などがヒステリックに攻撃しているのを見て、この人達は、カジノを見た事があるのだろうか。一体どんなことを認識し、リスクを判断しているのか不思議に思った。多分、カジノは巨大なパチンコ屋であり、そこではヤクザが跋扈し、賭博が公然と行なわれる魔窟のようなものとお考えなのだろう。ラスベガス、マカオ、シンガポールなど、巨大な施設が出来、夜の世界をイルミネーションが輝いている。こうした、不夜城の様な場所は日本では、銀座、新宿、六本木、地方では博多の中州、大阪の南やキタ、札幌のススキ野であろうか。そうした繁華街は健全で、カジノは不潔ということなのだろうか。新宿がいかに風俗の店とか、いかがわしい町であるかをご存じないのだろうか。カジノというのは実際はそうした既存の繁華街とは比較にならない洗練された、安全で、多くの人に愛される場所なのにである。
反対グループの背景として、パチンコ業界がある。現在のパチンコはほとんど国際的にはスロットマシーン化した先端技術のようなパチンコ台でできあがっているのである。かつては30兆円産業だったが、今は縮小し、20兆円を切ったと言われている。しかし巨大な産業であることは依然として事実である。多くの腐敗や犠牲者がいることを見なければならない。カジノを法制化し、環境を整えると、こうした違法なパチンコや競輪、競馬、競艇などの賭博産業にも影響があるのだろうか。実は、自分はあまり無いと思っている。カジノを作るということは、日本に人工的な銀座や新宿が出来ると事だと思っている。カジノは競輪など、低所得者がそこにはまって財産を失うことは稀である。それはカジノには低所得者もいるし、カジノに嵌って依存症になる人は確かにいるので、その対策もきちんとしているのである。クレジットカードの信用から、また、依存症の判定がなされると入場出来ない仕組みもある。パチンコ依存症になっている人がどれだけいるのだろうか。競輪競馬も、もの凄い数であるにもかかわらず、対策もなされていないのとは対照的である。カジノは今後次期臨時国会でおそらく議論され、東京オリンピックを目処に実現されるであろう。国が国民に対して、常に学校教育の様な型にはまった文化を押し付ける時代には限界がある。既に若者の文化は学校教育を超えて来た。社会民主素主義的な教養文化は実は民衆はつまらないのである。カジノは日本の文化にも貢献する。例えば、どれだけ、日本の芸能人でトップは別だが、ダンサーやミュージシャンが食べて行けるのだろうか。エンタテイメント分野にカジノの果たす役割は大きい。セリーヌディオンのショーやシルクドソレイユの曲芸などはカジノで育って行った。日本はもっとエンタティメントに力を入れなければならない。かつて、歌舞伎も江戸では高級で、庶民の遊びでは無かった。もちろん、天井桟敷では楽しむ事が出来たが、日本の庶民のエンタテーメントはあまりにも貧しい。芸術家もエンタテーナー、映画関係者が貧困に喘いでいるようでは日本の国際社会における地位は上がらないだろう。カジノはそうした人々にも働き場を与えることができる。お金持ちは巧みに税金を払わないように逃げ回っている。日本は源泉徴収によって真面目な市民の納税率は非常に高い。カジノでお金持ちからたっぷり富を還流させ、そうした文化の貢献をしていただきたい。ヨーロッパのオペラとか、演劇、エンタテーメンととカジノの結びつきは太く、これは常識である。モンテカルロバレー団が何故世界有数のバレーなのか想像してもらいたい。経営をきちんとしなければ繁栄しないのは当たり前だが、東京や、大阪のみならず、裏日本、沖縄など地方を活性化させるにはカジノは実際多いの貢献するだろうと思われる。