ハンナ・アレント

 昨年、彼女の映画が公開された。イェルサレムのアイヒマンという彼女の著書を巡っての物語である。彼女はドイツに生まれ、若き哲学者として、ヤスパースやハイデッガーと親交を重ね、戦後の国際政治学において独自の地位を得た。特に、冷戦時代から米国の衰退にいたる20世紀の国家と歴史を読み解く上で彼女の見方は欠かせない。彼女はハイデッガーと不倫恋愛状態となり、20世紀の哲学の総括的なポジションを得たといってよいだろう。もともと哲学者であり、神学にも造詣が深く、ティリッヒ、ブルトマンなども学んでいる。映画は彼女のアイヒマン裁判との関わりを中心に描かれている。アレントはユダヤ人としてドイツを追われ、さらにアメリカに逃れた。ドイツのナチス政権が何故生まれ、それはスターリンの社会主義政権とどう違うのか。何故、ユダヤ人はドイツで抹殺されねばならったのか。彼女の著作、全体主義の起源、人間の条件などで、国家、民族、そして革命を政治学者として述べ、20世紀政治哲学の小惑星と言われた。
 ナチスの大物戦犯の一人、アイヒマンがイスラエルのモサドによって1960年に逮捕され、イエルサレムで裁かれ、死刑になった事件にてアーレントは裁判を傍聴、その著書の中で「悪の凡庸さ」という表現を使った。「悪の凡庸さ」は、人類史上でも類を見ない強制収容所でのホロコーストという悪事は、それに見合う怪物が成したのではない。思考停止し己の義務を淡々とこなすだけの小役人的行動の帰結として起こったとする記述はイスラエルから強い反発を受けた。アレントはさらに、ナチスのためにゲットーに追われたユダヤ人にも問題があることを指摘した。そうしたアレントの哲学的思考による解釈は今や常識となった。しかし、当時はそうではなかった。




ハンナ・アレント:全体主義の起源 Wikipediaより
19世紀のヨーロッパの政治秩序を構成していたのは絶対主義の王政に基づいた国民国家であった。国民国家は文化的同一性に立脚して統一的集団として確立された。この国民の枠組みとは別に成り立っていたのが階級社会である。つまり富裕層や貧困層などの諸階級から成り立っている階級社会であり、これは国民を文化的に同一だとした国民国家と本質的には矛盾するものである。当時のヨーロッパの政治秩序においてはこの国民国家と階級社会の衝突は見られることはなかったが、その中でユダヤ人は階級社会から隔絶されており、また平等な国民の一員として国家に保護されていた集団であった。そのために国家に対する不平不満が生じるとその矛先がユダヤ人に向けられるようになる。これが全体主義に向かう前段階であった。アーレントは『反ユダヤ主義』が表面化した事例としてドレフュス事件に言及している。
国民国家の体制に次第に大きな影響力を及ぼすようになったのが資本主義であり、資本家は政治への介入を積極的に行うようになる。資本主義、人種主義、そして官僚制の混合として帝国主義が出現する。帝国主義は資本主義の原理によって資本の輸出を推進しながら行政によって権力の輸出をも推進する。この帝国主義の膨張活動にとって国民国家は支障となり、階級社会から脱落した人々であるモッブが移民となって植民地化に乗り出していった。加えて人種主義は国民とは異なる外見的な差異を持つ集団を自覚させることで植民地の支配を正当化し、また官僚制は植民地の支配に適当な政令を発令することで、帝国主義の特徴である半永久的な膨張政策を進展させた。イギリスやフランスは植民地を海外に求める海外帝国主義が可能であったが、ドイツやロシアはその海外展開に遅れたために欧州大陸内方面に植民地を求める大陸帝国主義を余儀なくされた。海外への膨張を遮られた大陸帝国主義は、次第に国民国家により構成された政治秩序を超えた汎民族運動と連携しながら、人種主義(種族的ナショナリズム)の性格を強めることになる。
20世紀においては国民国家とそれに伴う階級社会が転換することになり、少数民族や人権問題の出現、大衆社会の成立が認められる。国内政治において政党が代表していた階級社会が消失したために、政党によっても代表されない孤立化した大衆が表面化したのである。ソ連について言えば、スターリンが農業集団化と有産階級の撲滅により個々を孤立無援にすることで、大衆社会を成立させたとする。この大衆は自らの政治的発言を階級政党とは別の政治勢力として集約しようと試み、プロパガンダを活用する全体主義運動を支持することになった。全体主義は大衆の支持を維持するために、また全体主義が体制として機能するためにはテロルとイデオロギーが重要である。テロルは法の支配によって確立されていた自由の領域を排除し、イデオロギーは一定の運動へと強制することで全体主義を制度化した。全体主義体制が問題であるのは、「個人性をまったく殲滅するようなシステムをつくること」にある。
[PR]
by katoujun2549 | 2014-05-14 11:52 | 国際政治 | Comments(0)