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マリア様

 キリスト教の中で、カトリックはマリア様に関しては殆ど神に近い扱いであり、むしろ、イエスキリストより、信仰の対象として信徒に近い存在である。マリア像も拝むし、かつて、キリスト教が日本に渡来したとき、人々は観音様の慈悲とマリアを入れ替えて、信仰の対象として浸透したといってよい。
ところが、宗教改革以来、ルターは聖書のみということで、以降のプロテスタント教会においてマリア様の存在はクリスマス以外には殆ど語られない。
 マリアという名前は、日本で言えば、花子さんとか、典型的な名前の一つで、聖書にも、マグダラのマリアとか、ラザロの兄弟のマリア、マルタの姉妹のマリア、復活の時にはヤコブの母マリアとか沢山のマリアが登場する。福音書においてマリアが登場するのは何といっても、マタイ伝とルカ伝にはイエス誕生の物語が語られている。しかし、ヨハネ伝、マルコ伝にはその記述はなく、洗礼者ヨハネの存在が大きい。マルコ伝は最初に書かれた福音書といわれ、何故マリアが出てこなかったのだろうか。自分の推測ではQ文書(福音書の論拠となる資料)が書かれたときには、マリアは生きており、マリアの残した記録はマリアの元にあって、その部分はマリアの死後に纏められたという推測も出来る。自分の事はそれにつけ加える形でマタイ伝、ルカ伝ではイエスの誕生とマリアに関しての逸話が書かれている。有名な処女受胎告知と、イエスのベツレヘムでのクリスマスの物語、ザカリアとエリザベツの話などである。しかし、マルコ、ヨハネにはそのイエスの誕生の物語は全く触れられていない。何故そのような構成になっているのだろうか。聖書の福音書をイエスの言行録とすれば、イエスの伝道と十字架こそ大切な事柄で、何も、生い立ちに関してはあえて触れていないということであろうか。また、マタイ伝やヨハネ伝は、編纂にあたった時代背景や、教会形成の段階が影響しているのかもしれない。
 とはいえ、イエスの誕生に関して、さらに、初期の教団の状況を記録し、また、語れる人はマリアとイエスの兄弟しか存在しないだろう。また、マリアも、かなりイエスとは行動を共にしている。さらに、イエスの幼少期にはマリアの宗教観が強く影響していた事は間違いない。ユダヤ人の家庭では母親がその子供を教育するのである。特に、イエスの宮詣の時期まではマリアの教育が無ければ成長しない。これは常識である。マリアはイエスの十字架以降も存命し、その生い立ちや伝道中の事柄を証言したに違いない。いや、それ以上に、イエスの思想の根源はマリアの宗教観だったかもしれない。それを考えると、プロテスタントのマリアに関する扱い、あるいは研究はもう少し低手に出会っても良いと思う。カトリックのマリア崇拝、また、昇天まではやり過ぎだと思うが、これもヨーロッパの宗教事情が絡んでいるのだろう。キリスト教伝道のために、マリアを大きく取り上げざるを得なかった。それではプロテスタントはどうか、日本においては仏教において観音様の慈悲を慕うという感性は根強い。日本のプロテスタントがなかなか、カトリックに及ばない原因はその辺りにある様な気がする。

by katoujun2549 | 2014-03-24 14:50 | キリスト教 | Comments(0)