ギュンターグラス著 「蟹の横歩き」池内 紀訳 集英社

 ノーベル賞作家、ギュンターグラスの作品である。ナチスの「歓喜力行団」で活躍した旅客船「ヴィルヘルムグストロフ号事件」がテーマである。ギュンターグラスはブリキの太鼓で一躍世界に知られるようになった。自分は映画しか見ていない。奇妙な映画だった。東プロイセンの海辺の町に生まれた成長の止まった障害を抱えた少年の物語。ナチスの勃興に異常な興奮と警鐘のような太鼓を鳴らすシーンが印象的だった。又、近年、彼は元武装SS隊員だったことを告白し、非難を浴びていた。そのような意味からすると彼のナチス観はかなり本物だということである。ドイツはワイマール共和国から、カフカの小説「変身」に描かれたザムザ、さなぎから羽化した昆虫のように変質した。それがなぜ可能になったのか、ドイツ人が民主主義も社会主義もかなぐり捨て、国家社会主義ーナチスに共感したのか。ナチスは新しい社会を映画をはじめ、様々な仕掛けで演出した。ベルリンオリンピック、アウトバーンやフォルクスワーゲン、そしてこの歓喜力行団の船であった。ヨーロッパに根強い階級社会から抜け出す象徴が、等級の無い客船、グストロフ、そして親衛隊。ナチスは多くの底辺の人びとに、国家社会主義に未来があるかのごとく虚構を見せた。そして最後はあからさまになった出鱈目である。難民も軍人もいっしょくたに詰め込み、潜水艦対策も行わず、しかも、荒海を頼りに航行灯までつけて出港した。ベルリン攻防戦まで一直線に進んだナチスの崩壊を物語る断末魔が生まれた。日本も沖縄戦の前に対馬丸が米海軍の潜水艦に撃沈され1418人が犠牲になったが、ドイツの場合、犠牲者の数が突出している。ソ連海軍はサハリンからの避難民の船も無差別攻撃して、小笠原丸と泰東丸が沈没して1,708名以上が犠牲となった。ソ連の蛮行は許しがたい。戦争に正義など無いのである。

 大戦末期、ソ連軍は東プロイセンに侵攻し、ケーニヒスベルグなどから多くの難民がダンチヒ経由の船でドイツ本土に逃げようとした。そのときに、このグストロフ号は1万人ほどの難民を乗せ、ゴーテンハフェン港から航行の途中、ソ連潜水艦S13に発見され、3本の魚雷により沈没した。8千人を超える人々が凍てつくバルト海に沈んだ。その半数が子供だったといわれる。マイナス13度の真冬の海に沈んだ。水温は2度で、荒れた海面に沈んだ。タイタニックの比ではない、世界の海難史上最大の悲劇であった。タイタニックは大富豪や美女を乗せていたが、グストロフは疲れ切った難民、傷病兵、女子供、ナチスの海軍軍属であった。この船以外にもS31は2月にはシュトイベン号、4月にはゴヤ号と2隻の難民船を沈め、2万人以上の死者を出した。ところが、事件は東西冷戦下、ソ連によって封印された。撃沈戦果を出した船長は英雄の称号はもらえず、勲章だけを得た。あまりのひどさにソ連は封印したかったのだ。生き残った1200人ほどの人々の中に、妊婦もいた。救出時に産気づいて一人の男の子を出産した。その母親と、戦後成長して記者になったこの作品の語り部、そしてその子供が戦後3人三様の立場で、この船の遭難を語る。母親は東ドイツで指物師として戦後を生き、共産党政権下を巧みに生きる。遭難中に生まれた長男は、冴えない記者として西側に渡り、有能な妻に離婚される。長男はインターネット上で、ネオナチ的論陣をチャットする。それぞれが、戦中、戦後、現在を、行ったり来たり、蟹の横ばいのように真っすぐに真実に向かわず、過去を語って行く。ヒトラーが政権を取って、ドイツを掌握し、歓喜力行団のツアーで労働者を骨抜きにしていく。船名はスイスで暗殺されたナチス幹部の名前であった。当初はアドルフヒトラー号とする予定であったが、暗殺事件を巧みにプロパガンダに利用した。大戦末期ドイツ海軍は東プロイセンから250万人の難民を避難させることに成功したが、その陰に大きな犠牲が生まれていた。

 ソ連軍の東プロイセン侵攻は虐殺事件を生んだが、それから逃れようと200万人を超える難民が発生した。彼らは厳冬の逃避行中に女子供を含む多くが亡くなった。ようやく行き着いたドイツから船に乗ってさらに本土に行く途中に再び災難に出会ったのである。また、難民の多くがドレズデンに逃れたが、ここでも、イギリス空軍の爆撃を受け何万という死者を出した。ズデーテン地方のドイツ人も、終戦後チェコ人の迫害と逃避行で20万人と言われる多くの犠牲を生んだ。ドイツの大戦末期の犠牲者、特に民間人の死者は最後の1年間に急増した。ソ連兵の蛮行は今では知れ渡っているが、この船を撃沈した S13にはそれなりの正当性もあり、また、難民のみならず、傷病兵、軍人も乗せていたドイツ側にも非があった。潜水艦側も、船長が出航前の飲酒等の不始末を起こし、反逆罪で告訴されようとしたのを挽回しようと、積極的にドイツ避難船を攻撃したという。ギュンターグラスの視点は今になって明らかにされた第三帝国の崩壊の姿を明るみに照らし出している。

第二次大戦後ドイツ人で占領国などから追放されたドイツ民間人は1200万人でれそのうち200万人が死んだという。確かにナチスはホロコーストを生んだが、周辺諸国の報復もすざまじかった。だから、戦後ドイツの贖罪ばかりを追求することはできなかった。1986年に発表された調査 (Die deutschen Vertriebenen in Zahlen. Gerhard Reichling. 1986 ISBN 3-88557-046-7) によると、民族ドイツ人の追放は次の通りである。

1945年以前のドイツ東部から7,122,000人
グダニスク(ダンツィヒ)から279,000人
ポーランドから661,000人
チェコスロヴァキアから2,911,000人
バルト三国から165,000人
ソ連から90,000人
ハンガリーから199,000人
ルーマニアから228,000人
ユーゴスラビアから271,000人
追放された民族ドイツ人の総数は11,926,000人である。1950年には人口の自然増加によって12,400,000人になった


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by katoujun2549 | 2013-10-09 17:40 | 書評 | Comments(0)