野戦郵便から読み解く普通の「ドイツ兵」 小野寺卓也著 山川出版

 アメリカ映画などで見る「ドイツ兵」は全く見事な悪役である。彼らがいなければ戦争映画は成立しない程である。彼らは傲慢で、まるでロボットのような兵士、皆機関銃を持ち、そして、映画の主人公にいとも簡単に撃ち殺される。タランティーノ監督の「イングロリアス・バスターズ」のナチスやゲシュタポはなかなかの強力悪役だが、この映画でも、見事に屠殺といっていいようにブチ殺される。最後はナチの幹部もろとも映画館で焼き殺されるという塩梅だ。他の映画でも、ドイツ兵は無機質な秩序だけで動き、時には卑しく、助兵衛である。最近のドイツ映画ではさすがに人間性のあるドイツ兵の主人公がヒューマニックに描かれるようになった。映画U-ボートとか、ヒットラー最後の12日間、スターリングラードなどである。我々はそうした映画や、記録映画のナチス的な軍隊の行進とか、マシーンのように大砲を打ちまくったり、戦車に乗った戦争マシーンのような映像を見ることが多いのである。しかし、この本ではドイツ兵が家族にあてて送った手紙を集めて解釈し、その文章から生身のドイツ兵が伝わってくる。彼らは1944年の夏以降、急激に悪化する戦局の中で、死に直面し、家族あてに手紙を書いた。23人の元ドイツ兵の手紙である。これを見るとナチ党員だったのは6人である。彼らは戦地から検閲をくぐり、かなり自由に思いを寄せているという印象である。この中で、戦争を遂行してきた軍の責任と自分自身を明確に分けている。兵士も、その家族も被害者であって、野蛮なロシア兵から守らねばならないというトーンが行動の柱となっている。ドイツはあくまでも文明国である。そして、侵攻した国々は皆ドイツより劣っている。ロシアは不潔だし、フランスは信用ならない。イタリアはいい加減な国といった先入観から抜け出していないところが面白い。
 義務や秩序、清潔であることや精神を大切にする国民の心情が表れているものも多い。逆に、ロシア兵の野蛮さ、ロシアやポーランドを不潔で文化的に劣った地域であって、戦地にいる手紙の主が望郷の念にかられている切ない心情も垣間見ることができる。聞け、わだつみの声といった日本の学徒兵の手紙や遺書にも似たところがある。自分の故郷やその家族への愛情と、なぜ自分は戦わなければならないのか、戦局の悪化に対してどう考えたらよいのかなどは、やはり、検閲を意識しているのかもしれない。ドイツの戦地での暴力性はほとんどオブラートに包まれ、自己の正当化が強く出ており、むしろ被害者である。ロシアやイタリアなど、侵攻した土地でのパルチザンに対する戦いなども経験した兵士も少なからずいた。しかし、彼らには正当性があり、攻撃してくる連中は卑劣なギャングどもなのである。これはどこの戦争国家の国民もそうで、日本も鬼畜米英などと言っていたのだから理解できる。この本から何を読み取るかである。それはやはり、ナチスのイデオロギーが兵士たち、国民にどのように浸透し、彼らの兵士としてのエネルギーになっていたのかである。この本により見出したいのは、ナチスとは一体何かである。反共産主義、反ユダヤ、民族共同会、反女性解放、生存権、人口政策、暴力崇拝、戦友意識、ヒトラーへのカリスマ的崇拝、ナチス体制に対する主体性や心情などである。しかし、この手紙群からはそうした特徴はあまり見られなかった。むしろ、伝統的な生活信条や人種蔑視、偏見、被害者意識の方が強くでている。大戦末期の救いようのない状況を前に、「可哀そうなドイツ」を何とか守らねばならなかった。日本と違い、ドイツは国土を戦場として総力戦を戦った。その心情たるや日本と大きく違うと思いきや、意外と似通った部分が多い。この本の巻末にある整理がナチス国防軍兵士の心情を表している。「主体性の剥奪」と「過剰な主体」である。この二極の中から、あのドイツ兵の暴力性が引き出されたということである。

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by katoujun2549 | 2013-08-02 16:44 | 書評 | Comments(0)