怒りの地方私立大学
教育界という慣れぬ世界に身を置く身分ですが、不条理な話に驚いたり、新鮮な体験の日々を過ごしております。この際、愚痴ですが、いくつか書かせてください。国は大学4年間では無理なのに国際競争に勝つ人材を作れとか言います。英語も喋れなかった自分の学生時代を振り返ってもらいたい。高級役人は国民の金で海外のエリート校に行って満足しているが、本当は現地の学生と対等に卒業しているわけでもない。しかも、海外に人脈のある人がどれだけいるのだろうか。外務省ですら。アメリカのおこぼれ情報で食っているだけですよね。そもそも立地や授業料に優位な国立、規模や伝統に差がある大学を結果だけ見て差別化している理不尽。原則も作らずに競争原理で選別しようとしたり、企業経営者も大学教育は役に立たないとか勝手なことを言います。大学教育を受けた知的資産を活用できない企業には非は無いのか、人を育てる気もないのかと言いたくなる。就活にしても、学生はご苦労様で、キャリア支援は大切な仕事になったが、大学は職業斡旋機関ではない。
大学は淘汰の時代などとマスコミは平気で言う。乱脈融資でつぶれた興銀や長銀じゃあるまいし、合併したり、淘汰された大学の学生や卒業生のことを考えてもらいたい。会社と学校は違うことを考えたこともない財界人が偉そうに競争原理発言をする。自分の学生時代がつまらなかった恨みを晴らしているのでしょう。600校以上ある大学のうち、首都圏にあるエリート校は別にして、殆どの私学は、どちらかというと高校では成績の優れなかった層が来るのです。出来の良かった学生のうち、授業料の安い国立大学に行けるのはわずかです。国立大学に行く学生の家庭はむしろ私立よりも年収は上位だという説もある。東大や京大の学生の家庭は皆上位層です。高等教育の担い手は今やゆとり教育のお陰で生まれた出来の悪い高校生を一手に引き受けている私立大学ではないか。そういえば、昔、不動産業は住宅供給者として欠陥住宅の元凶のように言われ、監督されたが、不動産会社の供給がなければ住宅難は解消されなかった。日本人の教育への考えはマスコミも含め、やはり、官僚的上から目線でしかない。現実の本当の姿を見ないで好きなことを言っているだけです。
教育というのはタダでは出来ない。ところが、高校まで公立学校があるから、保護者も高い学資を払う覚悟が無い方もおられる。びっくりするのは車を買ったので授業料を延納したいと平気で言ってくる保護者がいる。文句ばかりで、何らかの打開策は無いのか。それは簡単である。国は教育については国の根幹と考え、私立学校に入りたいという向学心のある学生に学校を通して給付型の奨学金を出すことにつきる。実際、大学進学をあきらめた高校生のうち、25%は上位4分の1以上の学力があるという調査結果もある。とにかく、日本人は金は出さないくせに、文句を言えるという環境にどっぷりつかってきた。日本は今こそ教育投資を出発点に再生すべきである。OECD諸国並みに教育予算を充実させ、新規設備投資は学校を中心に優遇し、建築業者を喜ばせる事である。道路やダムではない。経済再生は人作りからという定石から進めればいいのである。そのために、教育に競争が無くてもいいとは言わない。少なくとも、貧富の差を補うように、平等な競争を準備し、給付型の奨学金を拡大することである。公的な貸与型の奨学金は債権回収に苦労しているが、それによって、回収コストもいらなくなるだろう。まあ、そうした給付は世界では常識であるが、非常識な日本人はすぐにばらまきと言って非難するに違いありませんがね。