“ミルトンメルツァー”の「ネバートゥフォゲット」とホロコースト

ホロコーストと“ミルトンメルツァー”の「ネバートゥフォゲット」(新樹社)を読んで。

 ナチスのホロコーストでいつも疑問に思うのが、何故、ユダヤ人はあれほどまでに、ナチスの攻撃に無抵抗だったのか。まるで、屠殺場に向かう家畜のように死に向かっていったのか。それはナチスによって巧妙に仕掛けられた罠があってなされたことである。ナチスが政権を取ってから様々な試行錯誤を経て、作り上げた殺人システムが機能したのである。この実態を平易な表現で、子供たちに聞かせるように語り継いでいる。ユダヤ人をゲットーに閉じ込め、飢餓に陥れる。絶滅収容所に送り込むためには、飢えた人々にパンを支給する事を餌に集合させ、そこから一網打尽に皆を輸送ルートに乗せて行く。巧妙な仕掛けなのである。アウシュビッツに到着しても、まさか、着いたらすぐに選別され、あっという間にガス室に送り込まれるとは誰も思わないだろう。人間は環境を変えられると判断力が低下する。そこを突いて行く。
 
 アウシュビッツの死体焼却場(クレマトリウム)は1944年に破壊され、証拠隠滅された。しかし、だからといって、ガス室がなかったとかホローコーストを否定する事にはならない。多くの証拠が有り余るほど存在する。
 
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 もし、ヒットラーがいなかったら、20世紀の戦争における死者の数は大きく減り、1千万人以上が死なずにすんだろう。というのは全く見当違いの推論である。そもそも、戦争の原因はほとんど、ヒットラーにあるからだ。日本でも、日独伊三国同盟がなければ太平洋戦争は起きなかっただろう。もちろん、もし、スターリンがいなければ、当時のソ連における多くの犠牲者は何千万人という単位で減る。スターリンは国内の粛清と経済政策の失敗による飢餓、民族強制移住だけで1000万以上は殺している。ヒットラー以上の殺人者はスターリンである。しかし、とにかく、20世紀最大の悪役は彼としてもいいだろう。数百万というユダヤ人の死者はヒットラーに責任がある。彼は、あの、偏執狂的な反ユダヤ思想の原点であるし、これを画策したのも彼だからだ。しかも、その反ユダヤ思想というのが、全くの誤解による、いい加減な産物だ。でたらめな人種理論により、ユダヤ人のみならず、ロマやロシア人など、当時のドイツ人から異質と思われる人々が抹殺の道をたどらざるを得なかった。この点、これほどの徹底した殺戮が行われたのは人類の歴史に例を見なかったのである。
 
 この20世紀最大の悲劇を、実にコンパクトにまとめたものが、この「ネヴァー・トゥ・フォアゲット(Never to Forget)ミルトン・メルツァー著」である。これまで、ドイツのナチスと世界大戦時の蛮行に関しては多くの研究があり、ここで取り上げるまでもない。しかし、この著者は、当時の人々、ユダヤ人やその子供たちに視点を置いて、ナチス政権がどのようにドイツを支配し、ユダヤ人迫害が始まったのか、そしてこれらは一般市民の中でどう受け取られていたのかを語っている。だから、この著書のなかで、当時の人びとの証言が多く含まれている。家庭の中、あるいは収容所の経験者、さらにそこでの子供たちの姿、ゲットーの中の生活など、あの大戦での死者の立場ですべてが語られる。もちろん証言をするのは生き残りの人びとである。ナチスによる、ユダヤ人絶滅計画の全貌が、これほど分かりやすく、歴史のまっとうな解釈により説明された著書は類を見ないだろ。夜と霧、ルドルフ・ヘスのアウシュビッツ収容所の告白記など、多くの著作や映像、さらに、シンドラーのリストなどの映画も製作された。しかし、その巨大な実像は未だに解き明かされたとは言えない。この本では、あのコルチャック先生とその孤児たちが収容所に向かう情景が描かれている。胸を締め付けられる光景が表現されている。

 ホロコーストは前段階がある。ユダヤ人の追放や差別からはじまり、水晶の夜事件、ドイツ軍のポーランド侵攻、そして、独ソ戦におけるキエフや各都市でのアインザッツグルッペンの殺戮、さらに収容所列島の発展の経緯など、ナチスのユダヤ人絶滅の作業は様々な変遷と時間的経過を経ている。そして、その実行状況は必ずしも一貫していない。それだけに、歴史の中で多くの謎が含まれる。そこを突いて、ホロコーストは無かったとか、ガス殺は無かったといった、いい加減な批判や反論がなされる。ホロコーストを知らなかった人々がその実態を知ることは容易ではない。ドイツ国民もそれを知らない世代が増えている。二十世紀は戦争の世紀といわれる。第一次、第二次世界大戦、ロシア革命、中国革命、その他諸紛争を入れて2億人以上が殺戮された稀有な世界史的な出来事があった。ものすごい数である。これだけの人びとの人生が、そして生活が奪われ、後世の人はそれを語り継がれるべきだとすれば、途方もない作業があるだろう。しかし、その仕事こそ、二度と悲劇が生まれないようにする方法なのである。死者の数が単なる統計で思い起こされるようになったとき、その悲劇は再び繰り返されるからである。

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by katoujun2549 | 2013-07-16 16:08 | 書評 | Comments(0)