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市島邸 新発田の豪邸

 これまた、豪農の館か。というより、新発田の名門、市島家の屋敷である。市島家は、新発田に溝口一族が輪島から移ってきた時に、一緒に来て、農地の開発に貢献した。当初、溝口家の新発田藩は5万石であった。これを新田開発により実質10万石まで成長させたことに貢献した。実質30万石あったという説もある。明治維新後も農地を拡大し、日本の多額納税者の2位となった。第四銀行の設立に関わり、また、早稲田大学の大隈重信とも親交して、大学に財政支援を行なった。そんな関係か、新発田には早稲田の卒業生が多く、また、今も新発田高校からは慶応にはあまり行っていない。東京の私立大学として早稲田の方が人気があるようだ。新発田においては、今もその親戚筋で市島酒造という酒蔵が、銘酒「夢」とかおいしい日本酒を作っている。新潟の生んだ教養人で詩人、会津八一もこの家の親類筋である。その市島家の屋敷が新発田の豊浦にあり、これを見学する機会を得た。この屋敷の門が立派。非常に繊細なつくりで、屋根の勾配が柔らかい。入ってすぐ右にかつての土蔵を改造した博物館がある。この中には市島家の歴史や雛人形、婚礼用品などが飾られている。親族である会津八一の書、大隈重信が訪問した時の写真など貴重な文物が多い。北方文化博物館の伊藤文吉氏はただの豪農という感じだが、市島家は地域の文化に大きな貢献をした事が分かる。
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by katoujun2549 | 2013-05-10 10:16 | 国内政治 | Comments(0)