孫文は満州を日本に譲るといった:満州浪人の影響

 2011年は辛亥革命100周年であった。昨年香港映画1911にもなってジャッキーチェンが軍事部門の指導者であった黄興を演じて話題になった。中国の革命家たちが日本の民族主義、そして、日露戦争に勝利した日本の近代化政策に触発されていたことは明らかだ。そして、内田良平の黒龍会、玄洋社の頭山満や萱野長知、キリスト者宮崎 滔天といった大陸浪人達が、辛亥革命を物心両面から支援してきた。日活の創始者梅川留吉、政治家の犬飼 毅などの存在が孫文の活動を支えた。このことは映画では全く触れられていないし、多分中国の歴史においてもあまり表には出しにくいことなのであろう。

 第一次革命が成功する前、日本に亡命滞在し、支援を求めていた当時、孫文は、革命成功のためには満州を日本に譲ってもよいとまで言っていた。これに刺激された内田良平などは、領土的野心を露骨に抱き、後に彼が中国で最も屈辱的といわれる、対華21カ条要求の素案を作ったといわれている。この条約は後に5.4運動として、排日機運をもたらし、中国との関係のみならず、日本を侵略国家とする理由になった。孫文の領土問題に対する見解がどのように変化したのだろうか。21ヵ条は実は当時の袁世凱かが提案してきた取引内容でもあったのである。このあたりが、ナチスドイツの侵略、特にバルバロッサ作戦などと同列に扱われることは残念である。何も日本は欧米のように、最初から侵略を計画していたのではなく、日露戦争後の利権政策でもあった。いわゆる東京裁判史観では、この条約から日本は侵略国と位置付けられてしまう。
 
 全ての満州浪人が領土に対する利権の考えを持っていたわけではないが、彼らの考え方が軍部にも影響を与え、次第に日本の中国侵略に正当性を与えるきっかけになった。北一輝は陸軍の青年将校に影響力があった。このことは王柯編「辛亥革命と日本(藤原書店)3民権、国権、政権ー辛亥革命と黒龍会」に詳しい。彼らは清朝を崩壊させ、中国を近代化することが日本の利益にかない、また、満州を大陸経営の基盤とすることに国益との一致を見たのであった。孫文は辛亥革命を成功させるために日本の支援を求めていたが、当時は一介の革命家であった。彼が中国で頭角を現す過程では宮崎らの協力が大きかった。孫文は日本に対して本心から感謝していただろう。とはいえ、領土問題を何も政府に言っていたのでもなく、日本からの支援を得るための便宜的発言であった。それに対して、頭山などは彼は売国的と非難していたくらいである。孫文は、第一次辛亥革命が成功、臨時大統領になるとすぐに、中国の領土定義において清朝の領土を継承することを宣言した。個人的な意見から、大統領としての主張には大きな方針変更がある。そのことに対して内田は孫文と決別し、満州国の立役者であった川島速波と結託し、満州分離政策を推進した。


 孫文が満州を日本に譲ってもよいといったことは一時期の革命派の意見であった。孫文自身の記憶にも根強くあったと想像できる。彼は革命後、袁世凱に大統領の地位を譲ってしまった。そして、袁世凱は革命派との妥協のために、国内紛争が続けば満蒙を日本に取られることを訴え、これを材料にして大統領の地位を得た。賢い孫文はこれを見通していたに違いない。その後、孫文は領土を条件に日本政府の国家承認を得ることに反対した。ただ、彼は1911年、記者会見で満蒙の現状に対する質問に答え、蒙古は必ず領土回復すると言っているのに、満州に関しては言及しなかった。これは革命派が満州に関しては領土としての認識が薄かったことを示してはいないだろうか。辛亥革命前は、とにかく満州族の清朝を倒すことに全精力を注いでおり、中国とは18省であると革命派は考えていた。しかし革命後は、袁世凱をはじめ多くの主張をまとめる都合もあり、満州を領土とすることに方針転換したのであろう。1911年、革命が成功すると孫文はあっさり、中国は22省に分かれ、蒙古、新疆、西蔵が加わることを言及している。1912年1月1日孫文は中華民国の建国を宣言し、南京での臨時大統領就任にあたり、国家の基本は人民である。漢、満、蒙、回、蔵の諸地方を一つにして一国家とすると宣言したのであった。孫文は、満州族から漢族の手に政権奪還を果たしたのだから民族の統一を果たしたと考えたのである。1919 年に起きた5・4運動は反日反帝国主義運動であり、これを機に共産党が台頭してくる。パリ講和会議で日本の対華二十一箇条要求が承認されたことに反対し 、政府にベルサイユ条約の調印拒否を約束させたのである。辛亥革命の成果に対する日本の貢献はこれで無に帰したといえよう。

 孫文と日本の親密な関係は5・4運動以降冷える一方であったし、日中戦争を経て太平洋戦争において取った日本の帝国主義的行動は、全く正当性を欠いたものであった。このことは満州事変から始まる日本の中国侵略のきっかけになり、東條英機などの軍人が中国人をチャンコロという侮蔑的な発言をするようになり、軍部をのさばらせ始めた。歴史は、様々な局面があり、時の流れとともに変化する。一点だけをとらえて自らを正当化することは正しい歴史認識とはいえない。軍部はドイツの人種政策にも共感し、ファシズムとみなされても仕方ないほど、全く弁解の余地がない。今の右翼たち、石原慎太郎などがのたまう、太平洋戦争肯定論などは歴史の反省を無視したものである。日本と中国の不幸がそこにある事を忘れてはならない。

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by katoujun2549 | 2012-07-18 16:33 | 国際政治 | Comments(0)