オレンジシテイ訪問

アイオワ州オレンジ市のチューリップフェスティバル

サイスダコタ州スーフォールズ市空港から2時間ほどでアイオワ州の小さな町、オレンジ市に到着した。この町は人口6000人ほどでここの中心にあるノースウエスタンカレッジが最大の集団で4000人程が学んでいる。大学を中心に営まれている街である。敬和学園 とは姉妹校として後援会のオレンジ会が交流を続けてきた。
5月17日はこの町のチューリップフェスティバルということで、パレードやエキジビションが企画されている。この町を開拓したのは改革長老派のオランダ人であった。蘭英戦争による母国の敗北後、オランダ人は西部に新天地を目指して移住して行った。シカゴ以西のアイオワ州、ダコタはスーインデアンの土地であったから、当然彼らとは衝突が始まった。この地がノースウエスタンというのは、当時のフロンティアがこの辺りであったことからくる。その後、南北戦争以降この地は急速に開拓が進んだ。サウスダコタ周辺は映画ダンスウィズウルブス(主演ケビンコスナー)、 原作はコマンチだが映画ではスー族になっており、この周辺の大草原が圧倒的なスケールの映像をたのしませてくれた。「大草原の小さな家(Little Houses on the Prairie11:NBC制作)」の舞台となったところでもある。この物語は1870〜1880年のことであった。主人公インガルス一家はウィスコンシン州、カンサス、ミネソタ州と移り住んで行った。ひたすら広大な豆とトウモロコシ畑が続いている。まるで映画のシーンのような農家が大草原にポツンと建っていた。日本の幕末に維新の志士が影響を受け、また、東京大学設立に尽力したフルベッキもこうしたオランダ移民の子弟として牧師の道を選び、日本に渡った一人であった。
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この地域はスー族インディアンとの接触が常に問題であり、また脅威でもあった。欧米人が持っていた南北戦争までの先込め式の単発銃では数秒で1本の矢を射るスーインディアンには対抗できなかったが、連発銃の登場で彼らを圧倒し始めた。オランダ人たちはここに教会を建て街を形成し、学校、さらには大学を建設する。大学を中心に街づくりが行われている。農業関連のみならず、ペイント製造会社本社も誘致し、ベンチャー企業に倉庫のようなオフィススペースを提供している。ここから育った企業も幾つか大きく成長しているようだ。単に工場誘致だけではないところがアメリカ的。

North Western Colledgeの学生が街を案内してくれた。男性のスゥエーデンからの留学生は今年卒業で、これから薬科大に進学しさらに6年勉強するという。後の女性二人は、南米コロンビア、中国からの留学生であった。市民ホールではオランダの民族衣装を着た若者達のショウがあり、終わると外のテントでフライドチキンとビールの昼食。

1時からメインストリートでパレードがはじまった。オランダのイメージや各種団体の山車が数十台登場。新発田市の山車が1台欲しいところ。次回は考えたい。この町出身の戦没者の名前を刻んだモニュメントと在郷軍人の行進に全員が起立した。オランダの民族衣装を着た人々がブラシで道路を清掃して水を掛け合う。最後は、ミドルスクール、ハイスクール、カレッジ、各種団体のマーチバンドが続き、とても賑やか。ここのマーチバンドはLAのローズボールのパレードにも出場しているんだとか。パレードが終わったら、再び街を見学、100年前の判事さんの家とか、小さな博物館にインデアンや開拓時代の農具なども展示してあった。この街を見て、ふと、スティーブンキングのホラー映画、ITを思い出した。平和な小さな街に、突然道化師の格好に身を隠した悪魔的怪物ベニーが現れる話。それを昔の弱虫高校同窓生が敢然と立ち向かい、戦う。彼の小説にはこうした平和な一般市民を突如襲う悪魔の話が出てくる。キングの小説は東部のメイン州の町デリーであるが、この町もアメリカのどこにでもある、キングのスタンドバイミーに出てくるような街なのである。そんなことでもなければ全く静かで平和な田舎町オレンジシティである。

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by katoujun2549 | 2012-05-28 16:00 | 国際政治 | Comments(0)