南京大虐殺は無かったか 河村たかし、何じゃー

 1.河村たかしの南京からの訪問団への発言

 河村名古屋市長が、「南京大虐殺は無かった」発言をした。このために、南京市からは名古屋市との姉妹都市解消騒ぎになっていることがニュースになった。中国では南京で日本軍が30万人以上の民間人を虐殺し、その記念館が観光客に公開され、反日感情を高めている。南京大虐殺は東京裁判にも取り上げられ、死者20万人とされ、日本の平和に対する犯罪行為として、裁かれた。司令官、松井石根大将はその責を取って、戦犯として絞首刑になった。国民党の宣伝が共産党に引き継がれ、誇張された。しかし、不思議なことに、当時戦った国民党軍の蒋介石は、南京でこのようなことがあったことを台湾から日本人に抗議したことはない。むしろ、松井大将の死を悼んでいたという。この事件を拡大してプロパガンダに使うのは、南京と関係なかった共産党であった。いかにもヒステリー気味、共産主義者特有噓八百ではないか。

 江沢民などの中国政府の一派は、いまだに日本軍の蛮行を誇張してこれを取り上げ、反日感情を煽ろうとする。諸外国に蹂躙された記憶を忘れない為というが、実際の中国の悲惨さは実は内戦と共産党政権の失政にある。当時、日本軍に包囲された南京市民は多くが市街から避難し、10万人程しか市内にはいなかった。なぜ、これが30万人以上に膨れ上がるのか、多くの識者はここに疑問を呈している。河村たかし氏はまさにこのことがいつまでも日中間の刺のようになっている歴史認識を改めようとしている。まことに勇気ある言動である。しかし、暴言でもある。

2.中国の捉え方
 しかし、彼の意図にそって事は進まない。彼等はもっとしたたかであって、これは一南京市の問題ではなく、戦後の中国の対日政策、政府の見解も連なり、むしろ、虎の尾を掴んだだけで、何もこれでは動かないだろう。象の腹を蹴飛ばしたようなことになって、相手は暴れるだけで何も得られない。今後ネットによる嫌がらせ、政府からの抗議、南京市の批判など名古屋市は対応に追われるだろう。そうした混乱を河村市長は予測していただろうか。
 歴史を中国の側から見る視点を失わない方がいい。中国は日本を爆撃したリはしていない。戦場となったのは中国。本当の日本軍の無茶苦茶な行為は戦争末期だったはずだ。秦氏の説では南京では3〜5万人くらいという数字である。大きな数値であるから、全くなかったという主張は通らないだろう。というより、中国は、日本軍の中国での戦争行為の象徴として取り上げているのであって、否定するならば日本軍の中国侵略も無かったと言うに等しい。そのレトリックにどう答えるかを用意せずにいきなり南京大虐殺は無かったという事だけを主張しても反感を惹起するだけであろう。他国が戦場になれば当然多くの蛮行が起きる。戦場になった国民の立場に立たないと問題はこじれるのである。実際、日本軍との戦いで多くの中国人が亡くなった。さらに国共内戦、共産党支配の中での死者はその比ではない。でもこのことを言っても始まらない。歴史認識の問題は友好使節団に話すべき事ではないのである。沖縄で一少女が海兵隊に暴行された時の事を思い出すべきだ。昔はニュースにならなかったことかもしれない。しかし、今は違う。過去の事は現代では何十倍にも大きくなる。虐殺は無かったといえば、中国側は0ではないことを理由に攻撃して来る。所詮敵わない議論なのだ。30万人という規模は無かったといっても始まらない。無かったという言葉尻だけを取り上げられるのである。

3.南京事件とは
 そもそも、南京事件は、日中戦争(支那事変)初期の1937年(昭和12年)に日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際、約6週間から2ヶ月にわたって中国軍の投降した便衣兵、一般市民などを殺したとされる事件である。東京裁判は1946年だから、9年も前の、しかも、戦場での出来事だから、証拠は証言以外には無い。この事件は日本でも研究者が、多くの研究を行い、民間人の死者数はさらに不明である。そうした中で虐殺があったか、無かったかも含め、死者数を論争することは全く意味がない。推測こそできるが、どのような状況で何が起きたかを理解する必要はある。しかし、一方では、政治の世界では歴史認識とか、領土問題から外交に入るのは絶対にタブーである。
 Wikipedia では次の説明がなされている。
 「南京事件以前にも、日本軍は移動中に上海、蘇州、無錫、嘉興、杭州、紹興、常州のような場所でも捕虜や市民への暴行・殺傷・略奪を続けていたとされ、日本軍将兵の従軍日記や回想録から、進軍中にそれらが常態化していたのではないかと疑われている。一方で、「中国軍が民間人を巻き込むため国際法で禁止されている便衣戦術(ゲリラ戦術)を採っていたため」という理由や、中国軍が後退する中で後に来る日本軍に陣地構築の資材や建物など、利用できるものを何も与えない為に、中国人自身による民間人への暴行・殺傷、民家焼却を行う空室清野戦術によると見る向きもある。また兵士の日記についても通常一兵卒が所持する事が出来ないはずの万年筆で毎日の様に記録されていることから、従軍中にそのような余裕はなく捏造ないしは誇張されたものであるとする指摘もある。上海から南京まで追撃される中国軍に従軍していた『ニューヨーク・タイムズ』のティルマン・ダーディン通信員は、上海から南京へ向かう途中に日本軍による捕虜や民間人の殺害や略奪を目撃したことはないし、聞いたこともないという証言をしている。」当時の陸軍は世界有数の統率の取れた軍隊だった。しかし、従軍記者であった石川達三は行軍中の蛮行を書いている。真偽も不明だが、軍紀違反は秘密裏に行なわれ、南京事件も軍の指示ではないが、当時の松井司令官はその報告を受けて激怒したというから何かあった事は確かだろう。

4.歴史認識と研究

 秦 郁彦(はた いくひこ)『南京事件 虐殺の構造』中公新書 1986における研究が我が国では最も常識的な分析と言われている。もちろん日本の右翼などにはこれも否定し、ただの幻であったと主張する。嫌なのは石原慎太郎とか、あの横暴な軍部まで肯定しかねない人たちが勢いずくことだ。東京裁判を全て否定するグループはその傾向である。日本軍は第二次上海事変で南京に行くまでに日本側は3ヶ月で戦死者10076名、戦傷者31866名、合わせて41942名の死傷者を出し、日露戦争の旅順攻略にも匹敵する凄残な消耗戦であった。さらに南京までの進撃中や、南京市街戦でも多くの犠牲をだしたが、勿論中国軍も10万人以上の戦死者を出している。特に、南京が包囲される時に、中国軍は脱出させなかった為に、多くの兵が取り残され、しかも、脱出しようとした兵士は自軍の督戦隊によって殺されている。市街から脱出出来なかった兵士は便衣に着替えて市民の中に紛れ込み、年齢もまちまちで、少年を含んだ兵士が占領した日本軍に摘発され処刑された。この際、市民も中には混じっており、また、摘発中に強姦や略奪が無かったとは言えない。そこを被害者である中国は主張しているので、後の1941年以降三光作戦も実施した日本軍の蛮行はあったから、全くなかったと加害者の日本は言えない。そもそも、第二次上海事変自体、国際的には中国側の攻撃も、民間地区を爆撃し、ホテルなどを破壊して多くの犠牲を生んでいるし、国民党軍は、当時のドイツから支援を受け、ゼークトなどの軍事指導のもとに、日本軍を叩きにかかったのである。日本軍は我慢を重ねた上で出兵している。国民党軍は当時の最新鋭であったチェコの機関銃を多く保有し、日本軍をトーチカに引きつけて犠牲を強いた。彼等の蛮行で多くの中国人が死んだが、それも日本軍のせいになっている。
 アメリカでは歴史を検証することもなく、議会や裁判で、何も知らない米国人に反日的な意識を植え付けて、金銭的な利益も上げようとする輩がいて、真実も何もあったものではない。日本軍をナチスと同列にして自己主張する危険性を孕んでいる。

5 河村たかしの狙い

 河村氏の言うように、第二次上海事変当時は中国人の日本軍に対する印象は必ずしも悪くなかった。というより、恐れていたし、中国人は強いものには従順なのだ。八路軍が勢力を伸ばすにつれ、その巧みなプロパガンダに影響され始めた。国民党軍は略奪暴行が多く、むしろ彼等は自国軍を恐れていた。南京でも城内にいた中国軍は親日と思われる市民を殺害したり、横暴で、多くの死者が出ていたという。自分の知る範囲では、日本軍は駐留中、そこの土地の家族に迎えられて楽しくやっていた連中もいたのだ。自分の父親が南京で好意的に受け入れられたことを感謝すればそれで良かった。しかし、覆水盆に戻らずである。河村市長はそのことを言いたかったのだろう。彼は、今、橋下旋風に押されて名古屋では失望感が強い。そこを挽回する為に言いたい事を言ったマスコミ受け狙いの危険な行為だとも言える。

[PR]
by katoujun2549 | 2012-02-23 12:23 | 国際政治 | Comments(0)