ふたたび不道徳教育講座 ブロック.W著

不道徳教育講座(再掲)  ブロック.W 橘 玲訳 講談社

 昔、1920年代、アメリカに禁酒法によって、密売酒に群がるギャングがはびこり、マフィアの温床になった。禁酒という道徳行為が違法行為の温床となってしまった。禁酒法を廃止したからといってギャングも消えたわけではない。彼等は今、麻薬に群がっている。これはFBIの活躍で映画アンタッチャブルでもおなじみだ。といえば格好はいいのだが、FBI は警察権力が盗聴、強引な家宅捜査などをするようになり、市民の人権侵害に対する感受性を鈍らせ、決して社会の平和にとっては好ましくなかった。ギャンブル、麻薬など、国家が取り締まりを厳しくすればする程裏社会がはびこるのである。そのため、オランダとか、スイスなどは合理的に考えてあまり厳しく規制しない。スイスでは、50万人が、年間100トンのハシシュとマリファナを消費していると推測されている。モルヒネ中毒者も治療するという条件でモルヒネを支給される。まあ、死にたきゃご勝手にというわけ。オランダではコーヒーショップというと大麻を吸うところになる。オランダにおけるコーヒーショップ ( Coffeeshop ) とは、個人使用のための大麻を販売している小売店のことである。地方自治体により認可されている。 オランダにおける喫茶店は、コーヒーハウス ( Koffiehuis ) である。アムステルダムには飾り窓という売春合法地帯があり、東欧などから出稼ぎに来る。ただ、感染症、依存症に対する更生施設や、カジノ狂いでギャンブル依存症になった人間の登録と入場拒否など、依存症対策をすることで政府は責任を果たしたということだろう。この本ではぽん引きとか、違法と思われる行為をする人間の能力を高く評価している。だから不道徳教育なのである。

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 社会主義は共産主義も、ナチスも成功した部分は、生産力の増大化である。ソ連はあの第二次大戦時、膨大な軍備を築いてナチスに抵抗した。ナチスも、世界中を相手に戦う物資を生み出した。ところが、最大の弱点は分配である。ソ連のゴスプランは失敗であった。計画経済はバランスの良いものづくりと、消費の要求に応えられなかった。ゴスプラン(ソ連国家計画委員会)とは、ソ連における生産計画を決定する国家組織。ソ連における計画経済を実現するために、経済動態を把握し、需給のバランスを計算した上で具体的な計画を立案した。当時の共産主義経済学者はこれを数式で管理しようとしてそれが可能である事を示そうとしたが、その数式はインチキであった。多くの農村が荒廃し、何百万人もの餓死者が出た。
 これは中国でも同じである。内戦に成功した毛沢東であったが、経済政策はそうはならなかった。1958年の大躍進政策は全くの失敗であった。大量の鉄増産のための「土法高炉」と呼ばれる原始的な製造法による量のみを重視し、使い物にならない鉄くずが大量に生産された。農村で「人民公社」が組織されたが、農民の生産意欲を奪い、無謀な生産目標に対して実際よりも水増しされた噓の報告書が作られた。発動されてから数年で2000万人から5000万人以上の餓死者を出した。これを糊塗する為に文化大革命が行なわれたことを日本のインテリは当時気がつかなかった。

 スターリンは失敗したが、ヒトラーが戦争を仕掛けて来た為に、ソビエト社会主義の利点が発揮されることになる。自己の利益を国家に優先させて生産や戦場に向う。犠牲は大きいが、大きな結果を得て来た。共産主義国家は結果的に戦争時以外、物品の製造も失敗し、多くの無駄な製品を作り続け、国民は不良品に我慢することになった。ナチスもそうだが、そのため、闇経済とか、人種差別を経済の構造に組み込まざるを得なかった。彼等の原理には無理があり、噓をつかなければならなかった。彼等は常に強制収容所とか、収容所列島を必要とし、そこで収容された人間を3K労働に従事させてきた。中国の今日の成功は市場原理と資本機能の導入にある。資本主義経済の生み出す魅力的な商品、生活用品、家電、ファッションなどに社会主義は負けた。

 ところが、資本主義は市場という機能によってそこを解決している。市場の要望に応えながら、一時的には不経済があるが、需要と供給のバランスが解決する。
 富の偏在に不満な国民は、改革を要求するか、自分も金持ちになろうと務める。未来に夢を描くことができる。多くの富への可能性のある人々は戦争で全てを失いたくないだろう。自分達の立場を守る為には戦争も辞さないだろうが、その道には様々なブレーキがある。これが先進国である。
 資本主義は、生産と消費のバランスはいいのだが、利潤の処理に成功していない。だから、富の偏在、所得格差を生んでしまう。金持ちには税金で対応してセーフティネットを築けばいい。しかし多くの富を築いた者は権力も握るから、そうはさせじと政治に介入して格差を一層拡大する。

 同じ書名で三島由紀夫のものがある。これも、日本的社会で常識としてきたものを、ある種の個人主義で切って捨てるような面白みがあった。が、これはリバタリアンについての本である。リバタリアニズムとは、国家の機能を縮小し、市場原理によって社会を運営しようという政治思想。この本では、売春婦、麻薬密売人、ポン引き、闇金融など、を擁護することによって、"不道徳"な行為に対する人々の偏見を挑発し、その背後にある"国家"を考えさせる。全てが個人の幸福に収斂する。国家が国民の福祉を増進するというのは幻想である。その例として、アウシュビッツ、ソ連の強制収容所や中国の文化大革命のように、近代国家成立後におこった信じがたい災厄のほとんどが国家の巨大な権力が引き起こしたことである。これに対して市場機能が果たす役割を重視している。
 
 国家が果たしている役割のほとんどすべては市場で提供されうる。できる限り国家の権限を縮小し、小さな政府にすることが望ましいと考えている。夜警国家論である。これを竹中平蔵や小泉政権は政治的スローガンに利用し、規制緩和も、郵政改革も中途半端に終わってしまい、今やかえって前より病状は悪くなっている感じだ。リバウンドというのは一層深刻だ。
 
 アダム・スミスが「神の見えざる手」と国富論 (the Wealth of Nations)でいった市場機能は、官僚機構が生み出すもろもろの政策とは関係がない。アダムスミスは人間の理性とか、悟性にもとづき、他人と自分という関係における道徳的な規範や自己規制によって社会の調和を図る事を期待していた。だから、何も、勝手に自由気ままな結果が平衡状態をもたらすとは言っていない。そこは誤解ではないか。アダムスミスの国富論の骨子は、道徳情操論という哲学論に前提として展開されている。リバタリアン経済学者ハイエクは法哲学者でもある。彼が、アダムスミスが国富論で言っている神の見えざる手をそのよう解釈するるはずはないのだが。

 しかし、政府のアフリカ諸国への援助、日本のODAの失敗を思い起こさせるような指摘もなされる。貧困に対する”援助”は、実際のところ何の役にも立たず、かえって相手国の経済に打撃を与え続ける結果につながり、自国の市場機能が育たないため、援助中毒から抜けることができなくなっている。国家が支援したものは必ず、先方の未成熟な国家機構を介するから、結局援助は一部の官僚や権力者に横取りされてしまう。多くの先進国が過ちを犯して来た。

 アメリカのリバタリアンはいわゆるリベラリズムにおける、国家の機能を組合とか、ボランティア、自発的団体に置き換えようとするもので、その経営には高度の技術を必要とする。これを実際にこなせるのは、神のごとき人材である。これをヨーロッパに置き換えると、結果的にはナチスのようになってしまうのではないか。結果的に超国家主義になってしまう。ロシア革命が人類初の自由な、階級の無い国家を志向して全く逆の結果になった事が思い起こされる。統治という事はリバタリアンでも放棄はしていない以上、この権力という代物は無菌状態の中で一気に増殖する病原菌のような陳腐な権力すら抑止できないのではないか。オウムなどもそうだ。一部の宗教団体とか、アーミッシュのようなアメリカの政治や経済と隔絶された中でしか実現できないものだ。実際、過激なテロとか、ゴールドウォーターのような極右を生み出す温床になっている。
 
 オバタリアンと違ってリバタリアンは過激派で、イスラム原理主義者並みに危険である。オクラホマ州で連邦政府ビルを爆破したのもリバタリアンだ。そして、ユダヤ資本が制圧しているかに思えるアメリカでも、リバタリアンだけは別で、なんせ、自給自足、独立独歩を旨とし、あらゆる国家の干渉を排除しようという過激な連中がいる。行き着く先はアナーキズムとなるのである。

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by katoujun2549 | 2012-01-16 10:26 | 国際政治 | Comments(0)