トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所 中田整一著


トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所 中田整一著 講談社創業100周年記念出版
第32回講談社ノンフィクション賞受賞

この本に関して保坂正康氏が書評を寄せている。http://book.asahi.com/review/TKY201005040109.html参照

 アメリカ陸海軍は1942年12月にカリフォルニア州バイロンに秘密捕虜尋問センター(暗号名トレイシー)を開設した。トレイシーは2年7カ月間、日本語に堪能なアメリカ軍将校が各地で捕虜になった日本軍将兵の中から重要情報をもつ者を選抜し、尋問した。総数2342人の捕虜が1万387回の尋問を受け、1718件の報告がワシントンに送られた。

 この内容は当時も戦後も一切秘密で、とくに日本側の捕虜は後ろめたさもあり決して洩(も)らさなかった。著者は、今はワシントンの国立公文書館で公開されている内部文書に目を通し、現地を訪ね、一部関係者の取材を含めて、トレイシーの実態を人道上の視点をもちながら読者の前に示した。アメリカが賢かったのは捕虜達を丁寧に扱ったことである。食事はもちろんであるが、尋問も、一定の捕虜としての立場を分らせるために、命令的な口調はあったが、丁寧に語りかけた。戦後、この尋問の事が表面に出なかったのは、尋問後に捕虜達が別室で会話した内容を盗聴していたことが、ジュネーブ条約に違反したからであるし、日本人も自分達が尋問に対して、抵抗せず、何でも話してしまったことから戦後帰国してもそのことを恥として誰にも言わなかったからである。その結果、近衛兵であった捕虜は、皇居の中に関して、詳細な配置図をかけるまでに答えているし、三菱重工の製造工程の位置などを話している。その為に、名古屋の三菱重工零戦工場は正確に爆撃された。

 日本人が戦争やビジネスにおいても情報を大切にしないことで、大きな損失を招いた事例は事欠かない。というより、アメリカのルール違反を起こしてでも情報を取ろうとする徹底したやり口には日本は全く無力である。1995年のアメリカ大和銀行の約960億円の巨額不正会計処理問題についてはCIAが徹底した盗聴を大和銀行だけではなく、政府内にも仕掛けていたと言われる。彼らは、日本経済は株価さえ下落させれば壊滅的になるのを見通していた。一方、日本財務担当者は、株が何%下落しようと何の心配もしないでBIS基準なども受入ていた。しかし日本経済が壊滅的になり気づいた頃、あわてふためいた頃は手遅れだった。さらに国内の外交重要情報がアメリカに筒抜けになっていたのだから何をしても無駄だった。当時、監督省庁であった大蔵省が隠蔽工作をしたこともばれてしまい、アメリカから大和銀行が追放された。日本の信用は凋落し、S&Pやムーディーズによる格付けが引き下げられることによるジャパンプレミアムがついた。その時以来、日本経済は低迷を続けていることを日本人は忘れてはいないだろうか。今、議論が行なわれているTPPで日本はどれだけ情報を集められるであろうか。

中田氏はトレイシーのみならず、ワシントン、フォートハントの秘密尋問センターの活動も調査している。そこにおいては佐官級の捕虜から、ヨーロッパ戦線末期にベルリンで捕虜になった、ドイツ駐在武官、さらには大島大使の尋問も行なわれた。捕虜達は自国への裏切りと、アメリカの実際の姿を目の当たりにして戦争を終わらせたい気持との葛藤に悩む。捕虜達の中からはさらに、サイパン発の対日宣伝放送がはじまり、また、そのスタッフに加わる者もいた。日系二世達は開戦前の日本しか知らない。戦争末期に捕虜になった兵士は国内の事情をある程度知っており、同時代の日本人に呼べかけるべき内容が分っていた。この本の最後に、トレイシーで捕虜の尋問に当たった、尋問官ウッダードは戦略爆撃調査団の1人として、日本の戦後政策にも関わることになる。彼は、靖国神社の存続と、宗教法人法の設立に関わった。彼は、戦後2年も経った時点で靖国神社の存続を決めたスタッフであった。戦争遂行に大きな役割を果した靖国神社は、終戦直後であれば廃止の憂き目に合ったはずであるが、ウッダードがその任に当たった時は、既に冷戦も始まっており、靖国神社の解体は困難になっていた。信教の自由の問題にも取り組みつつ、神社を宗教法人として存続させることになったのである。その担当官であり、日本文化への深い洞察が戦後の日本においても発揮された。

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by katoujun2549 | 2011-12-09 09:48 | 書評 | Comments(0)