大震災後に日本が克服すべきものを考える

 日本という国の欠陥をどう乗り越えるか―知恵を集めるー

 天変地異や大きな犯罪、事故が歴史の転換点に発生し、また、歴史の変化を促進する。しばしばそれらは対になっている。かつては、関東大震災(1923年)が国の財政を危機的状態に追い込み、室戸台風(1934年)も大きな影響を与えた。日本はその活路を満州進出、さらには軍閥の跋扈をもたらし、第二次世界大戦への狂気が始まった。

 戦後、伊勢湾台風と三池争議の後日本は脱石炭から高度成長へ、さらには阪神大震災とオウム真理教事件がバブルの崩壊といった歴史の転換点に発生している。チェルノブイリ原発事故とアフガニスタン侵攻はソ連の崩壊を促した。
今回の東日本大震災と福島原発はどのような転換点をもたらすのだろうか。

 阪神・淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日(火)、同じ年の3月20日にはオウム真理教の地下鉄サリン事件があった。この年は戦後50年であり、当時、連立政権(自社さ連立政権)では社会党の村山富市氏が首相であった。談話として、政府の考えを述べた。これが、今の政権にも影響を与えているようだ。「今日の日本の平和と繁栄を築き上げた国民の努力に敬意を表し、諸国民の支援と協力に感謝する第一段、平和友好交流事業と戦後処理問題への対応の推進を期する第二段、「植民地支配と侵略」によって諸国民に多大の損害と苦痛を与えたことを認め、謝罪を表明する第三段、国際協調を促進し、核兵器の究極の廃絶と核不拡散体制の強化を目指す」第四段からなる。あれから、17年も経ったのである。今年は日米開戦70年となる。この、2つの事件は、デフレ時代から抜け出せない現在、3月11日の東関東大震災と福島原発の前奏曲だったとすると日本はこれから大きく変わる。

 当時、大震災の対応、また、オウムの対応に関しても、警察、消防、営団地下鉄、さらには国の指導者達に過失とか、失敗が見られた。これらは反省され、新たな事態にうまく機能したのだろうか。当時も突発的なことであり、また、裁判とか、様々な事情により反省より隠蔽や忘却、事件の風化が故意に行なわれたのではないか。事件に対応して懸命に作業を行った警官や消防士、命を失った駅員など、末端の人々が立派な仕事を行なった反面、行政の指導者やこれまでの体制の機能不全が指摘された。そうした批判や反省は今回どう生かされたのだろうか。

 今回も、東北の被災地の現場では、国際的に賞賛される程の被災者と消防、自衛隊、警察などの懸命の対応、また、東電原発の従業員の命がけの作業が伝えられた。ところが、政争に明け暮れ、事故の立場を優先し、時には情報を隠蔽したり、政治的効果をねらうあまり、復興に向けての計画もその内容より一首相の面子ばかりを期待した対応が目立った。要するに組織的な対応と言う点では全く機能不全だった。防波堤を軽々と越える津波。これまでの防災努力を自然は蹴散らした。立派な防波堤、鉄筋の建物はそれなりに効果を上げて、明治時代と比べ物にならない人口の集中のわりには死者は少なかったのかもしれない。

 阪神大震災では村山首相が自衛隊の出動に躊躇し、後に批判を浴びた。今回は自衛隊の出動と米軍の支援「ともだち作戦」が仙台空港の復旧を手始めにフル稼働し、前回の反省は生かされた。ところが、不測の事態だった原発においては、菅直人首相の政治家としての貧弱さが露呈し、とんでもないミスが多発した。混乱の回避を口実に、政権の責任回避をはかる言動、自己の影響力の間違った行使—事故現場への首相の視察と指示など、中枢部の現実にたいする構想力、さらには洞察力が全く見られなかった。原発の破損に対する認識、住民保護、国際支援など褒められたものが皆無であった。しかも、情報を隠蔽し、かつての最悪の事態となった大本営発表が繰り返され、東電共々、官僚が前例のない自体に全く対応できないという本質的な欠陥をあからさまにした。

 要するに不測の自体に対する我が国の対応の下手な点は、変わらなかったのだ。阪神大震災と違って今回は火災や倒壊による被害は無かったし、原発の爆発でも死者が出ていない。ところが、放射線汚染が大規模に広がった。多くの被災者、さらには町が廃墟となった。阪神大震災を遥かに越えた被害が生じ、産業機能の破壊、かつての敗戦時の荒廃を思わせるような大災害であった。そうした事態を乗り越える見通しを与える施策は未だに生まれていない。それどころか、首相の退陣と民主党内部のまとまりの無さが露呈し、かつ、野党の人材も乏しいことが国民の失望を生んでいる。

 あの村山談話とそっくりな菅直人の脱原発発言は核廃絶宣言に似ている。尖閣列島における屈辱的対応はまるで濡れ衣のような慰安婦問題への謝罪を思わせる。あのオウム真理教事件は地下鉄サリン事件の前年の松本サリン事件から始まっていた。年末にはオウムが化学物質を製造していることが1月1日の読売新聞で報道されたにも拘らず、政府は手を打てなかった。霞ヶ関駅周辺での病原菌散布とか危険な兆候は多くあったにも拘らず、警視庁も政治も動かなかった。不測の事態には対応できないし、想定外という言葉に代表される、洞察力の無さである。今と同じではないか。

 我が国はこの難局をどう乗り越えるのか。先は歴史に学ばねばならない。その一つは、指導者の弱体は昔からの事で、戦争中、東条英機がリーダーとしてもっと強力であれば、開戦にいたるような軍閥の跳梁を押さえ、また、停戦を模索しただろう。日和見であったからこそ、惨めな敗戦を迎えた。大戦前、日本の政治は迷走し、毎年首相が変わっていた。それに対して、軍閥の横暴を制御できなかった。今の日本のボトルネックは、軍閥に変わる財務官僚の専横とマスコミである。我が国の歴史においてはドイツのヒトラーのような人物が専制を行なう事は想定しにくい。日本人はそうした拘束を伴う独裁を好まない。問題はかつての軍閥に重なる財務省を中心とする官僚の横暴だ。彼等はどこからもチェックされない。

 これらマスコミと官僚をいかに制御できるかに日本の将来はかかっている。しかし、震災復興に関しては、行なうべき事は、漁業を軸にした産業インフラの復旧、高層化を含む都市計画、医療福祉インフラの統合ということに尽きるのではないか。工業レベルの復旧は企業が復興する。問題は以前から脆弱だった漁業、農業、医療だ。それらを全部一緒に回復することが出来ない理由を明らかにした上で、手順を示せばいい。それぞれ効率の良い大型のセンター施設を作る。漁業インフラの回復、電気、水道、下水、廃棄物処理からすすめ、医療福祉とすればいい。農業は最後でいいのではないか。途中で不満は出るだろうが理解して頂くしかない。事を複雑にする必要はないのである。原発は少なくとも、教訓として、これまでのような無制約に近い数量の膨張を抑え、あくまでも補完的エネルギーとして位置づけ、安全性を高める工夫を行なえばいい。瓦礫は撤去ばかりではなく、固形廃棄物を使った防災拠点、避難塚のようなものだって新たに作ればいい。何も全て灰にする必要は無いだろう。エネルギーも新しい資源を開発するチャンスである。噓はやめよう。原発が無くても今だってやって行ける。でも、これだけ巨大なインフラを作ってしまったのだから、安全を確保しながら使って行かざるをえない。そのためには大きなコストがかかり、今までのような低コストの発電手法ではなくなるのである。原発の情報を開示し、危険性や国民負担をきちんと開示することだ。地熱、小規模河川の水力発電など、新たなエネルギー源を開発するいいチャンスだ。災いを転じて福となそう。

 政治のリーダーも、官僚も、そして報道も、日本人の生み出したもの。これらを非難しても、天に唾しているような感じが残る。そもそも、我が国は、地震、台風、津波と、不測の天然災害に見舞われて来た。それは全てを予測して対応すると膨大な労力と費用がかかる。だから、国民性として、後手の対応の方が易しいことを体感しているのかもしれない。もう諦めの境地だが、これも一種の知恵か。その中で、三権分立、民主主義、報道の自由など、社会のバランスを保つ仕組みは、成熟しており、それは戦前の比では無い。国際社会も突飛な政治指導者を認めないだろう。これからの若い人達、そして高齢者、「なでしこジャパン」に代表される世界一評判のいい女性の奮闘が頼りではないか。これからの5年は我慢の国になるだろう。民主党の代表選挙もあるが、もう小澤、菅、鳩山の顔を見たくない。あまり馴染みの無い鹿野さんとか、新鮮味では前野さんの戦いを見たいところである。その間の人材の育成、教育の立て直しから取りかかる事が大事だ。


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by katoujun2549 | 2011-08-19 20:48 | 国際政治 | Comments(0)