「ふしぎなキリスト教」 橋爪大三郎・大澤真幸 講談社現代新書

書評 「ふしぎなキリスト教」
 橋爪大三郎・大澤真幸 講談社現代新書

この本は3部構成となっている。

1部 一神教を理解する 起源としてのキリスト教
2部 イエス・キリストとは何か
3部 いかに西洋を作ったか
という構成である。大きなテーマ設定だが、内容は日本人が疑問に思う事を宗教社会学の立場で、イスラムや神道などと比較しながら説明している。

 西欧文化や科学にはキリスト教が基盤になっているというが、どの部分に、どんな影響があるのか、説明しろと言われると、影響されている哲学や、科学、社会の問題に造詣がないと説明できない。2人の著者は、バックグラウンドがしっかりしており、細かなところでは疑問もあるが、興味深い諸説を披露している。全体としては教会史、キリスト教史、キリスト教概論であるため、神学者あたりからはいろいろ問題の多い解釈が指摘されるだろう。三位一体論など、歴史上多くの論争を繰り返してきた内容が含まれるからだ。聖書を読んでいないひとにはこれが限界だろう。それぞれ、一面的な解釈で断定しているから、これ以上踏み込んだ解釈は間違ったサイン、方向性になる。聖書を全く読んだ事がない人が、これで読んだ気になることは残念な事である。とはいえ、これだけの内容を1册に盛り込んだところは立派である。

 日本人が西欧を考える時に、どうしても理解し難い壁になるのがキリスト教である。特に近代においては西欧自体が脱キリスト教の様相を呈したからだ。これを比較宗教社会学的な観点で説明しようとしている。イスラムとは何か、ユダヤ教は何か、同じルーツであるのにキリスト教とどう違うのか。また、日本人が何故一神教に抵抗を感じるかも説明される。19世紀から20世紀にわたり、歴史学や社会科学はキリスト教信仰という世界から一線を画し、教会の制約を超えたところに筒学や科学の発展があった。特にマルクスはキリスト教を拒否するように、科学的に社会を分析し、労働価値、貨幣、政治体制、そして唯物史観が世界の思想を席巻したかのように見えた。反論、批判も強かった。哲学の世界でもニーチェやフォイエルバッハはキリスト教を人間の創作として批判した。しかし,ニーチェもキリスト教会は否定したものの、聖書の世界、キリストについてはむしろ、好意的ですらある。マルクスは神とキリスト教を否定すればするほど、自らを宗教的な絶対視、理論の律法的な教条化を招くことになった。西欧社会において精神世界や社会制度の底流になっているキリスト教の本質とは何か、そして、その基盤になっているユダヤ教との関係を、日本人の感覚に立って、二人の対談、質疑応答という形で、教会の解釈とは距離を置いて語っている。

 聖書を多少読んだ人なら、福音書の奇跡物語とか天地創造の予備知識があれば理解できる内容である。聖書は本来、教会の礼拝と信仰において理解されるものである。二人の対談は、学問的にはアバウトであるが、学者の話は厳密性にこだわり、重箱の隅をつついたような話になり易い。門外漢には取りつく島が無いが、この本では幅広い見方で大いに楽しませてくれる。これがこの本の意図だろう。ユダヤ教の本質を語る時に、マックスウェーバーの古代ユダヤ教からもしっかり引用している。古代ユダヤ社会の「カテリート」と言う制度。50年毎に借金を帳消しにし、奴隷を開放するヨベルの年といった社会福祉的な仕組み、創世記からアブラハム、古代ユダや社会の成立から、士師の時代、預言者とは何か。旧約聖書に書かれていることが分かり易く解説される。そして、一神教と多神教の違いや儒教、仏教との比較も分かり易い。比較宗教社会学的な視点である。

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教徒の三宗教は共通の神を崇めている。ユダヤの神というのは他の世界の神、その他の宗教とは全く異質の発展を遂げて来た。創世記の神、アブラハム、イサクの神、そしてモーゼの神と同じではあるが、民族の受け止め方が違っている。何故、偶像崇拝を拒否するのか、出エジプトからカナン侵攻における戦いの神。そして、イザヤ、エレミヤ、捕囚時代の神、神の一貫したユダヤ民族への関わり方と歴史的変遷が語られる。ヨブ記における神はその理解を薦めさせてくれる。旧約聖書全体が、神の姿を語っているのである。

 聖書を読むと分らなくなるのが、旧約聖書の神話と歴史が混在して、何処から神話で、どの辺りから歴史になるのか、新約聖書ではたとえ話で、常識的な感覚を越えたふるまいを神様の目からは賞賛されたりすること。また、物理法則を越えた奇跡物語があることである。これを現代人がどのように解釈するか。この本でも試みている。放蕩息子のたとえ、不正を褒められた下僕の話、5000人の空腹を満たした奇跡、イエスが水の上を歩いたことなど。しかし、こうした奇跡を我々の常識で解説したり、何らかのトリックという説明をすると、全てが無意味になり、単なる道徳になってしまう。これらを信じるというところに宗教としての価値と、信仰の力が生まれるのである。この本でも、そうした本質を否定している訳ではない。しかし、可能な限り、信仰を持たない人の疑問には答えようとしている。また、信仰を持った人も、未信者が通常持つ疑問や、キリスト教が与える、様々な影響に関して知識・教養として知っておくべき事が盛りだくさんに語られている。

[PR]
by katoujun2549 | 2011-08-16 20:34 | 書評 | Comments(0)