原発の闇を暴く 広瀬 隆 明石昇二郎 集英社新書

書評:原発の闇を暴く ー忘れてはならないー
広瀬 隆・明石昇二郎著 集英社新書

 福島原発事故の処理と住民対応のまずさは国際的にお恥ずかしい限りである。この本は今回の原発事故にかこつけ、原発推進者をターゲットにした魔女狩りのような内容になっている。著者は7月15日、本書に出ている彼等、原発関係の勝俣恒久・斑目春樹等の責任者、委員や学者らを業務上過失致死傷害で刑事告発している。本書は弁護士の無い裁判か。
  しかし、この本で示された原発マフィア達がいかに原発を擁護し、また、食い物にして来たかも分る。二人の反原発論者の言いたい放題といったところ。ただ、成る程という説もあって興味をそそる。例えば、自然エネルギーでは20年を経ても原発の電力分を100%代替することは不可能、原発を推進するための格好の口実になってしまう。今議論が必要なのは、天気や風の気まぐれに頼る自然エネルギーではなく、コンバインドサイクルのような安定供給できる方式であると主張している。

 慶応大、藤田祐幸助教授 エネルギー経済統計によると、原子力エネルギーが無くても電力需要は不足しないというデータもある。広瀬氏はこれまで、電力量は化石燃料、水力でまかなわれ、それを必要としなかったとする。問題は10年後も右肩上がりに電力需要が増加するかである。経済成長がこのままでは電力需要も伸びず、原発は必要ないだろう。しかし、これは全国合計値であって、原発依存度の高い関西、九州はどうだろうか。9電力で電力の融通がうまくいくか、地域別に見る必要がある。そこが、この問題の難しいところ。学問的には全くその通りだが、現実は厳しい。

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「菅首相は7月29日、記者会見で「計画的、段階的に原発への依存度を減らす」との考えを強調した。政府が中間発表した工程表では、原発への依存度を下げるため、今後3年間、国民的議論を行い、30年から50年までに自然エネルギーも含めた新たなエネルギーのベストの組み合わせを実現するとしている。」至極まっとうな話だと思うが、そんなことよりも、どうやってこれを実現するかだ。国民に考えろとでも言うのだろうか。無責任な話だ。政府は最適バランスを先は提案しなければならない。結果は保証される訳でもない。情報が公開され、安全と廃棄物を考えれば原発がいかに高コストであるかが分り、国民負担を拒否すれば、電力会社は手を出さなくなる。代替エネルギーが風力や太陽光では全く対応できないことにも触れていない。そうした現実に彼は全く答えてないし、自然エネルギーといった空論では反菅直人陣営を説得できないだろう。むしろ、9電力の中でバランスよく発電しているところを優遇するとか、送発電分離、供給独占を分散するようガイドする方が現実的ではないか。

 今回、中部電力の浜岡原発を廃止の方向にしたが、中電は安全という観点からは現実的なエネルギーバランスを守って来た。これは芦浜や珠洲の立地に失敗し、結果的に、主流はLNG火力となって、これこそ、今後の中心。浜岡が無くてもやって行けることを証明しているのである。孫正義がしゃしゃり出て、太陽光とか、風力などを推進するようなイメージだが、これら自然エネルギで日本の電力がまかなえない事は分かりきった話である。原発の発電方法は原子力で生まれた熱を使い高圧水蒸気でタービンを回す、発電装置としては、原始的な機械エネルギーとしてロスの多い手法だと思う。中電の川越火力や上越火力ではLNGなどを使い、何十ものコンパクトなタービンを回し、効率が良く、川越では480万KW,上越でも238万KWという大容量を実現している。LNGは燃焼後水蒸気を出すだけで環境にも良い。東電は同方式の富津LNG火力504万KWでこれは福島原発1〜6号基まで全部470万KWが稼働した場合よりも大きいのである。コストは高いが採算の取れる方式だ。

 日本の電力が9電力会社と政府,学会、マスコミによって国民不在の形で世界でも高価な電気代を国民に押し付けて来たことが白日のもとに曝され、今回の事故で原発がコストのかかる、未来エネルギーではなく、政策を転換すべき時に来ていることを分らせてくれる。エネルギ―の独占を廃し、その多様化、LNG,燃料電池、化石資源で日本は充分対応できるのである。それを原子力という我が国では制御できない技術に頼って来た。まるで、昔の軍部に牛耳られていたかのごとくである。電力会社の中でも、原発派と化石燃料派が勢力争いをし、政治の後押しで原子力派が勝った結果である。この体制は敗戦を迎えねばならないということだ。
 本書は原発の周辺にはびこっている様々な噓をあからさまにしてくれる。

 3・11の地震・津波による福島原発事故対応は菅直人、民主党の統治能力、東電の官僚体質、さらには原発の安全神話を崩壊させ、また、政府や東電の混乱を明るみに曝した。今回の原発事故に対してはマスコミ報道の作為的報道や、情報分析の甘さも指摘された。このことを本書は鋭く突いている。特に、御用学者や原発に詳しいはずの専門家が事故の事になると、全くいい加減なコメントを寄せている。こうした、我が国の原発周辺技術、対策の貧弱さを暴いている。政府発表のデタラメさ、東電の混乱などが時系列的に整理されると、もうめちゃくちゃ。国民の立場に立てば、今回の事故でチェルノブイリのような死者は出ていないとは言えない。波江町双葉病院など3病院に入院していた高齢者患者10人は避難を待つ中で亡くなっているではないか。被爆した子供達が今後どれだけ発ガンの恐怖を味わうのか、被害者の立場による議論が必要なのだ。避難区域で放置され、死骸になった猫達、路上に彷徨う犬達を哀れと思う。合掌。

 次に放射能汚染の恐怖、外部被曝と内部被曝の区別もつかないで、安全な被爆線量とか、報道では権威ある学者の口から検証したかのごとく報道された。しかし、実は何も分かっていなかった。セシウムは筋肉,放射線要素は甲状腺、卵巣、ウランやプルトニウムは肺と生殖器に、コバルトは肝臓、ストロンチウムは骨に蓄積される。それぞれ、汚染線量も半減期も違う。13日の1号機の爆発、さらに15日の3号機の大爆発を枝野官房長官は屋家の崩壊と表現。3号機はまるで核爆発のような状態なのに。実は2号機はもっと深刻だった。このときから、首都圏に至る広範囲の放射能汚染が始まっていた。原発事故現場とその同心円圏ばかりを報道しているうちに、東京や神奈川まで到達、足柄茶でみられたようにホットスポットも生まれていた。原発の北西方向の放射線量が高いのに、波江町や飯舘村の人々はそちらに避難し被爆してしまう。新聞でいわれる半減期というのは何もどこかに消えて半分になる訳ではなく、DNAを破壊しながら散って行く。だから、半減期が短いから安全とは限らず,短いなりに破壊力は大きい。

 言葉だけが解説され、報道される。中越地震で新潟柏崎刈羽原子力発電所では想定以上の震動で危機は破損し、危険な状況だったことも隠蔽された。懸命の努力で復旧し見事に正常化されたとみるのか、それとも危険な例とするのかで見方が違う。原発後の安全保安院と東電、そして政府のちぐはぐな認識の中からは隠蔽したとしか見えない。地震被害や放射能被曝危険性を過小評価する原子力御用学者、経済産業省と電力会社との癒着、さらに原発がいかに事故が多く、安全は神話であったかが明らかになる。電力会社に支配された地方自治体、マスコミの実態。かつての大本営発表に追随した新聞と同じであった。70年を経て変わらぬとは。

 米軍の特殊部隊が動くが、政府は協力を断る。炉心は溶融していた。枝野官房長官は放射線漏れは無いといったが、米軍の空母ジョージワシントンは太平洋側に逃げてしまった。一体何だ。フランスやドイツは自国民に帰国の段取りをとっていた。奴らは、知らないのではない。日本人が知らなかっただけなのではないか。我々は被曝国なのに科学的データは実は乏しく、むしろ、海外の方がチェルノブイリなどの経験から被曝の恐ろしさを学習していた。実際、核兵器を持っている国は軍で事故を起しており、資料は豊富だ。政府は情報の出し方も分からなかった。頭隠して尻隠さず、隠蔽も直感的に感じられた。デタラメ情報を流し続ける政府や菅直人首相が脱原発とか言っても何の信頼感もない。また、報道のいい加減さも明らかにしている。危機に弱い日本の政治とシステム。これをあからさまにしたのが本書である。


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by katoujun2549 | 2011-08-12 22:37 | 書評 | Comments(1)
Commented at 2011-08-15 11:48 x
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