アンダーグラウンド 村上春樹 地下鉄サリン事件

 

アンダーグラウンド 村上春樹著について:地下鉄サリン事件
ー忘れてはならないー

 17年前、1994年6月に日本の長野県松本市で、猛毒のサリンが散布され、死者8人・重軽傷者660人を出した事件があったことはご記憶であろう。戦争状態にない国で一般市民に対して初めて化学兵器が使用されたテロ事件であった。この実行犯がオウム真理教であることに注意が向いたのは6ヶ月後であり、当初、被害者の夫である河野さんが犯人扱いされた冤罪問題でもあった。翌年1月の阪神淡路大震災があり、3月20日に地下鉄サリン事件が実行された。丸ノ内線、日比谷線、千代田線であった。ところが、少なくともこの事件の記憶は、風化しつつあるのではないだろうか。我々は忘れっぽい。潔さと同居した日本人の欠陥だ。

 災害は自然によるのだが、テロや戦争は人間の暴力の最たるもの。そのテーマで小説家が暴力を表現するにはどうしたらよいのだろうか。殺人事件なら死体の無惨な有様を描くこともあるが、難しい。サリン事件のような毒ガスのテロは前代未聞である。映像では殴り合いや銃撃戦は全くフィクションでもリアルに表現する。ところが、こうしたシーンも文章では一番表現しにくい。

 村上春樹がなぜ、オウム真理教の地下鉄サリン事件に関するノンフィクションを書いたのだろうか。彼は、作品において、現代における暴力—政治、権力、戦争といったことを取り上げている。海辺のカフカでは戦争中の日本の疎開児童が体験した不思議な出来事、ねじ巻鳥クロニクルではノモンハン事変での残虐な処刑、1Q84では宗教の暴力性が描かれた。

 村上春樹は地下鉄サリン事件でのマスコミ報道が、少しも被害者の実際の体験を伝えていないことに疑問を持ち、さらに事件がどのように発生し、被害者の目線で何が起きたかを追究している。確かに、テレビの映像では見る事の出来ない、アンダーグラウンド、地下鉄という場で13人の死者、500人の重軽傷、被害者は6000人に上ると見られる。9・11以外では世界的規模のテロである。この衝撃はアメリカの方が強かった。

 サリンの置かれた5本の地下鉄、実行犯の概略と実行犯の取った行動、オウム内での地位、役割、性格などについて書いている。被害者のインタビューは1人ずつ面接方式で行なわれた。村上春樹の感じた風貌や家族関係、職業、自宅の大まかな場所や生活、その後に「インタビュー」となる。最初はいつもはどのような生活をしていたか、どのように事件現場に出会い、どんな風景を見てどのように行動したか、そして、今どうなっているかが質問の内容である。オウム真理教の犯行として整理がついたかの用に見えるが、教団の異常性、破壊活動に目を奪われ、実は多くの被害者のことが詳細に報道されてこなかった。頭痛、視力の低下、職場の無理解、そして何より心の傷に悩まされていた。遺族もまたかけがえのない人を失った。その苦しみや悲しみは伝わってこなかった。そして多くの人々が再び日常に組み込まれて行く。

 地下鉄の路線によって、サリンの袋は処理の状況が違っていた。丸ノ内線池袋行きでは、終点で折り返し時の残留物点検で見逃され、往復で被害者を出している。警察の情報は当初、サリンではなくシアン系という情報だった。病院独自の判断で、サリン対応が行なわれたから良かったものの、この治k連では我が国の危機対応のまずさがあらわになった。当時は村山政権で、今と似ている。オウム真理教内部のテロへの実行に向けての流れは、かつての特攻決定から末端に向う、意思決定にも似ている。村上氏はこの点にもふれ、いつも割を食う民衆と前線部隊の姿を、第二次世界大戦と重ねている。
 丸ノ内線は霞ヶ関を通過する。サリン事件がこの路線で起きた事は知っていた。しかし、サリンの袋を破ったのが霞ヶ関であったが、電車は動いている。被害が出たのは、新宿から中野坂上駅であった。ここはいつも自分が出入りする駅ではないか。患者が搬送されたのは中野総合病院。これもよく行くところである。自分とも全く接点が無い訳ではなかったし、場合によっては被害者になるおそれもあった。あの時の報道では、築地駅の周辺で人々が横たわり、搬送された場面ばかりが流された。自分の関係しているところで起きていることには無頓着だったのだ。

 被害者、被害者の親族、営団関係者、治療した医者、弁護士にインタビューをしている。しかし、その被害者の仕事も生活も誰一人として同じ状況では無い。そんな人達にインタビューすることによって地下鉄サリン事件の全貌、そして真実に迫ろうと試みた。かれが、この作業によって蓄積したイメージや被害者の心の世界、さらにオウム真理教事件のような現代の若者の行動について作家のモチベーションとイメージを蓄積し、1Q84を創作するに至った。ノンフィクションを基盤にフィクションを書くという小説創作への手順が興味深い。ユダヤ人の強制収容所の出来事なども、シンドラーのリストで描かれているが、殺された人々から見れば実際はそんなものではない。そこで、毒ガス「チクロンB」の恐怖を体験した人々はこの世にいない。映画ではクロード・ランズマン監督の「ショア(SHOAH)」がホロコーストの証言だけを集めた長編で1985年のフランス映画。上映時間9時間30分もあり、これにあたるが、表象の限界を感じる。

 日常生活に没頭していた人々が、突然直面したサリンのテロ。そして治療を経て、再び日常に戻って行く人、PTSDに悩む人。後遺症に苦しむ人などが語るが、自分に何が起きたか、受け止め方は怒りと諦め、そして忘却。気がつかないうちに自分の乗った地下鉄を二度と乗らないように避けているひと。多くの人が電車から降りた時に症状を発症している。視野狭窄、呼吸困難、咳や震え。ここで問題になるのが、マスコミ報道で知ったことと、さらに奥行きのある真実の差である。サリン被害という一つの現実に対して、これ程までに様々な受け止め方がある。真実は一つではない。しかし、報道ではオウム信者がサリンの袋を破り、周囲の乗客や駅員が慌てふためき、地下鉄の出口で横たわる姿の映像が何度も放映される割には何も分からない。真実というのは事実を書いただけでは伝わらないし、映像にも限界がある。

この本はサリン事件という素材を使った村上春樹のデッサン集といったところだろうか。デッサンを積み重ね、そこから大きな絵を構想していく。絵画の大作描く手法だ。だから、やたらと分厚くなる。証人というのは自分の出来事のみを語る。複数の人々の証言から異なる証言と現実が浮かび上がり、読者の印象に残って行く。これは、小説には無い、効果が期待される。人間の心に残る世界にも真実がある。童話や神話の価値はそこにあって、単なる噓とか、作り話とはいいきれない。メタファーの世界を構築することによって真実は伝わるのではないか。村上春樹は小説というフィクションがどこまで人に真実を伝える力があるかを追究している。この本の資料としての証言の量、本の厚みはそこを狙った結果である。

 




(http://logsoku.com/thread/hato.2ch.net/news/1292861533/参照)
1995年に発生した地下鉄サリン事件の最終的な被害者数が
6286人(うち死者13人)に上ることが20日、警察庁のまとめで分かった。 オウム真理教による事件の被害者に給付金を支払う救済法の認定作業で、 捜査や公判、労災資料などから同庁が6226人を把握。 このほかに自ら名乗り出た人が60人いた。

 救済法は2008年12月に施行。
地下鉄サリンや松本サリンなど教団による8事件で、1日でも通院歴がある被害者に給付金を支給する。 同法は今月17日に申請期限を迎え、8事件の合計被害者数は6583人に上った。
これまでに申請者の96%に当たる5857人に計28億640万円を支給。
申請内容を精査中のケースを含め、最終的な支給総額は約30億円に上るとみられる。
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by katoujun2549 | 2011-08-11 16:33 | 書評 | Comments(0)