団塊の世代にろくな政治家がいない理由

 自分は昭和22年生まれ、団塊の世代だ。菅直人も鳩山由起夫、仙谷由人も団塊世代。名古屋市長の河村たかし、今や、同世代が政治や国のリーダーだが、混乱を引き起こすばかりでろくな事をやっていない。というより、大した人材がいない。これは何故だ。40年前、大学紛争やベトナム反戦運動の時代に学生であったり、その後政治家を目指した人達が今、政界で脚光を浴びている。民主党の議員に多いのは、かつて野党、革新と言われた時代の名残であろう。だが、政権党となると厳しい批判をうけることになった。公明党の山口、社民党の福島は半まわり下の次の世代であり、今やこの世代から猛烈な批判を受けている感じがする。自民党の谷垣禎一は昭和20年生だから団塊とは違う。とはいえ、彼も東大紛争の中で騒乱に顔を背けて勉強していただろう。そんなところに彼の小ささが見え隠れする。我が国では歴史が風化しやすい。政治の世界は当選回数など序列が厳しいようだ。だから、世代別の動きをみると分かり易い。
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 はっきり言って、当時から国家とか世界を考えながら政治運動をしたり、大きな組織を率いて来た団塊世代リーダーは今はいない。彼等は亡くなったり、政治から離れてしまった。菅直人や仙谷は第四列と言われ、学生運動では後塵を拝した連中である。仙谷は東大紛争で安田講堂に立てこもったが、機動隊が入る前に脱走した。誰もやらない、若い人がやらなくなった政治に取り組んだお陰で今の彼等がある。むしろ、次の世代、松下政経塾出身新しいポスト団塊世代が後に続いた。政治が家業である二世三世よりましだ。当時のリーダー日本大学の秋田明大は地元で細々と暮らし、東大の山本義隆も今は予備校教師である。全共闘運動は結局何も生まなかった。失敗であったが、あのときの問題意識は間違っていなかった。戦略を生み出すリーダーが不在で方法が拙劣だった。これは今も同じである。彼等が政治家として立派な人材かどうかは分らないが、団塊の世代で政治家として可能性のある人達は何処に行ってしまったのだろう。そうした間隙をぬって今のリーダーが生まれた。

 団塊の世代は昭和22年生まれをピークとして数が多い。大学受験において急に厳しい競争が始まり、一流大学に入るために浪人生活を送る人も多く、自分の経験ではクラスの65%くらいが一浪ニ浪という状況だった。ところが、今やそれが逆転、学校を選ばなければ、全入という時代なのである。自分の親の時代は、大学に行くのは同世代の僅か2〜3%で、高い学費を負担できる恵まれた家庭に生まれなければ行けなかった。もっとも、高等師範から文理大とか、陸士、海兵など貧しい家庭からも優秀な人間は上昇する機会はあった。大学出というだけで社会の上層部に入り、ホワイトカラー、月給取りという選ばれた人々であった。更に、自分の父親の大正生まれ世代は戦争で40%が亡くなっていた。又、女性は大学には行っていない。女性の最高学府は女子高等師範学校(今のお茶の水女子大学)だから、帝大など優秀な女性の門が閉ざされていた。

 今日、難関と言われる東京大学、京都大学などの最も優秀な学生が集まる医学部や法学部には女子の比率が上昇し、一橋大の法学部も半分が女子である。しかも毎年卒業式の総代には女性が何人も選ばれるのである。自分達の親は、戦争で苦労し、勉強もままならなかった反省から子供達に夢を託した。団塊の世代は大挙して大学受験し、大学側も門戸を広げた。そこで、大学側も学生定員の拡大を始め、マスプロ教育といった大学生の大衆化が始まった。そこで起きたのが、こうした社会変動に答えた私立学校の経営的対応で、設備投資と授業料の値上げであった。貧しい親のなけなしの収入を子供の学資に当てていた家庭も多かった。授業料の値上げにもかかわらず、教師の質や学生に対する教育環境はむしろ悪化した。学生の不満は爆発。その頂点が日大全共闘と、早稲田、中央などの私立大学の学園紛争であった。

 一方、国立大学も学生はかつてのエリート教育で研究者を育てるためのカリキュラムでは通用しないことを感じ取っていた。経済学部ではマルクスが講義で教えられても、社会は資本主義であり、企業戦士の道が数年後には待っていた。英語の授業ひとつとっても高校や予備校の授業の方が丁寧だった。大学教育や文部省の矛盾に学生は鋭く反応した。大学人はこれまで象牙の塔の中で学生の支配者であったが、全く時代の要請には答えず、旧態依然の講義とテストで学生を選別していれば良いと思っていた。大学改革は、その受益者であるべき学生が行おうとした。これを押さえ込もうと大学管理法が施行された学園では既に平常化と無気力が始まっていた。当時の当事者の考え方は政府と戦後体制そのものの考え方であり、これに多くの若者が反発した。時はベトナム戦争で繰り広げられる資本主義国家の領袖アメリカの暴力的干渉が頂点に達していた。平和運動ー反戦と沖縄、さらに成田闘争と過激な運動は続いたが、戦争に加担している企業、三菱重工本社前の爆弾テロまで発展した。学生運動もここで一般学生はついて行けなくなった。その時前後して起きたのが日航よど号ハイジャック事件であり、赤軍浅間山荘事件であった。

 学生運動がそのまま政治の登龍門ではないが、団塊の世代が社会人として修行期間に入った70年代の空白は現在の政治家の層がきわめて薄くなった理由である。そのとき、たまたま政治家になる機会を得た、二世三世議員や市民運動家の成れの果てが今のリーダー達だ。日本の為に大きな戦略と命を賭けた政治ができる人物は西郷隆盛以来登場しない。

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by katoujun2549 | 2011-07-07 13:12 | 国際政治 | Comments(0)