誤解 その2 東京裁判史観と歴史修正主義

 東京裁判史観に影響された人がいる。「第二次世界大戦で日本はアジア諸国に災禍をもたらした。謝罪すべきだ。戦争は一部の軍国主義者が引き起こした。講座派とか、マルクス主義的歴史解釈は大体その線である。東京裁判の下した判決の内容は正しく、満州事変にはじまり、大東亜戦争に終わった、日本が関係した各種事件、事変、戦争は、すべて日本が東アジアおよび南方諸地域を略取し、支配しようとした、被告たちの共同謀議に基づく侵略戦争であって、戦前、戦中の日本のなした各種行為、行動はすべて「悪」であった。日本が支那を侵略したために、太平洋戦争に突入したなどという歴史観。昭和3(1928)年以降の日本国の対外政策・外交方針は一口に言って侵略的であり、道義にもとるものである。武力行使を発動したときには、常に国際法で言うところの戦争犯罪を伴っていた。」という。 戦前の日本は間違いという二者択一的な考え方のように見える。これは何も特殊な考えではない。昭和の時代の人達、特に戦争体験者は、知識人でも、作家、司馬遼太郎とか、五味川純平など皆その歴史観の影響を受けていた。

  自分は日本の近代史における最大の惨禍であった第二次世界大戦と日本において最も必要な見方は
何故多くの犠牲を生み、それはどのような人々であり、軍や政治が果した役割が何であったかという事だと思う。責任論もあるだろう。そこで、いかなる転換点が結果をもたらしたかである。神でもなければ余りにも巨大かつ広範囲の歴史の全体を見る事は難しい。膨大な資料を使った科学的に出来事を分析する歴史学の手法は荷が重い。

 シロオトなりにできることはある。全体像を捕えるよりも、個々の出来事を検証し、事象にかかわる歴史を再構築する。沖縄では何が起こったか、特攻はどのように計画されたかなどである。東京裁判も歴史修正主義もどれだけ事実を語っているのだろうか。自分の理屈に都合の良い事例ばかりを集めて構成された歴史、それらをもう一度見直すことから見えてくるものが何かである。軍内部の無責任な計画や、アジア諸国での日本軍の蛮行は一部しか断罪されていない。

  一方、「東京裁判はアメリカを中心に勝者が敗者を捌く茶番であった。日本軍はむしろ、アジアへの西欧列強の支配をはねつけ、アジアに独立をもたらした。中国でも戦闘で破壊を引き起こしたが、それは限定的で南京大虐殺なども中国の反日キャンペーンである。日本軍は世界でも有数の秩序ある軍隊で、その証拠に、終戦によって、武装加除も、中国や東南アジアからの撤退、帰国も見事に果した。大平洋戦争も欧米のABCDラインに包囲され、資源を遮断されたことに対する正義の戦いだった。日本は欧米の陰謀と物量によって敗北したにすぎない。」という、いわゆる歴史修正主義の立場が生まれて、教科書を考える会とかが、新たな歴史解釈を展開した。一面は間違っていない。しかし、その主張者の意図が何かだ。これは戦後の占領政策から生まれた日本の現在の体制、特に平和憲法を骨抜きにしたがる人がこの考えである。日本にパワーポリティックスを復活させたいのだ。

 一体どうしてこのような論争が起きるのか。我が国の敗戦と、その惨禍について認識を故意に曲げた結果であると思う。その背景には、戦後の占領政策とアメリカに迎合した政治家や学者、さらには、ソ連に支配されるリスクに備えてマルクス主義史観にもとずく歴史観を展開した知識人、これを左翼とする。全くその恩恵を受けなかった集団においては、何とか、アメリカの占領政策や親米的な考え方を修正したいという、これを右翼とすれば、それらが両極である。この両者のような極端な立場を選択するということは一般には実際のところ少ない。しかし、一旦論争を始めるとどちらかになってしまう。特に政治の世界においては、正しいか、間違いかの選択を迫られることが多い。政治はそうした両極を睨みながら現実に対してバランスの取れた政策を実現することではなかったか。

 東京裁判において、日本という敗者が、欧米ソという勝者によって裁かれ、一方的に軍部や政治指導者が戦犯になった。彼等が政治的に犯罪という行為にかかわったかというと、かなり曖昧である。BC級となると、冤罪も多かった。アメリカ軍に戦争犯罪は無かったのか。沖縄の10万人の民間人はどのように亡くなったのか。東京空襲を行なった、戦略爆撃の発案者将軍ルメイは自らを戦犯だと言った。原爆はどれだけ非人道的な軍事行動だったのか。毒ガスや一般市民への無差別攻撃は戦争犯罪である。これらも彼等の犯行だ。戦争というのは政治の延長であると言ったのはクラウゼヴィッツだが、あれは皇帝を中心とする時代の戦争に過ぎない。今の戦争は一般国民を巻き込んだ犯罪に等しい行為である。ベトナムやイラク、アフガニスタンも同じである。

 戦後の日本人は敗戦をどう受け止めたかである。Jダワーの著作「敗北を抱きしめて」によれば多くの日本人が復興の為に手段を選ばなかった。過去の戦争指導者が、敗北に国を導き、多くの若者や市民を死に至らせ、国民に莫大な損害を与えた責任者として、彼等を断罪した東京裁判を受け入れた。少なくとも黙って見ていた。軍事行動の過ちによって多くの兵を戦死させた参謀、将軍は裁かれていない。辻正信大佐とか、インパール作戦の牟田口廉也中将などだ。そもそも、東京裁判は歴史認識としては、あまりにも一方的である。日本の占領地で起きた戦火に巻き込まれた多くのアジア諸国は東京裁判の蚊帳の外であった。戦争の犠牲になった人々の目から歴史を書くべきだ。

 特攻隊や、多くの戦争の中で貢献した人々の功績は失われた。このことが、国を守るための国民の義務も気持も萎えさせ、特に、領土問題において、政治家に勇気を失わせてきた。これは、戦勝国の狙いでもあった。映画やマスコミは戦争において貢献した多くの若者を抹殺した。日本人を去勢しろという戦略があった。我が国の映画で、日本軍がいかに戦ったかを描いたものは極めて少ない。沖縄戦を描いたひめゆりの塔や特攻戦記物くらいで、もっぱら被害者的な姿のものだ。日中戦争を描いた映画は無い。戦後こうした映像を避けたからであり、日本人は欧米映画の戦争ばかりを見ていた。

 一方、修正史観のグループは、過去における日本の過ちを見過ごそうとし、さらに、全く反対の事例で歴史を歪曲しようとする。日本軍はそれほど規律ある統制された軍隊だったのだろうか。一旦暴走すると止まらない、始末に負えない集団だったのである。中国では残虐行為を行なわない秩序ある部隊であると胸を張って言えるのか。彼等は食料を何処で手に入れ、民衆、特に婦女子に指を触れなかったのだろうか。日中戦争の時に、日本軍のモラルが頽廃していたことを嘆く記録は多く残っている。沖縄で民間人を壕から追い出した日本兵が多くいた事を説明してもらいたい。集団自決を促すような沖縄人に対する教育を誰が行なったのか。軍の命令があったかどうかという歴史論争以前のことだ。東京裁判で明らかにされなくとも多くの日本軍の犯罪行為が記録されている。

 中国軍は弱かったのか?彼等はドイツやチェコ製近代兵器を持ち攻撃してくる。一方日本軍は常に新兵で構成される最前線の実態があり、兵の消耗が激しかった。長年の戦争で優秀な兵士に鍛えられた中国軍にどれだけ苦戦を強いいられたか。当時のニュースは勝ち戦ばかりだが。国民の周囲には特高や憲兵が目を光らせ、過剰な思想統制を行なっていたことはすっかり忘れられている。当時の人々の暮らしが不安に満ちた時代だったことは多くの人々が証言している。何故、無謀な作戦が行なわれ、何十万人という兵士が餓死、同様に護衛のない輸送船で撃沈され、戦地にも行かずに水死、あるいは前途有為の若者が特攻隊で失われたのか。これらはアメリカ軍のせいだろうか。それらに対してどんな批判や反省をしてきたか。特攻の指導者は戦後も生き延び、国会議員や団体、企業の要職に就いた。これらは犯罪行為に近く国民が裁くべき事だった。

 英米の植民地軍を排除したのは日本軍だが、現地の人々に失望と反感をもたらしたことを書かない。ビルマやインドネシアで軍の作戦に独立運動を利用したにすぎない。こうした歴史の歪曲を行なおうとする結果、アジア諸国、特に中国からの蟠(わだかまり)は容易に消えない。中国や韓国の歴史は相当にご都合主義的だそうだが、国家の歴史観なんぞはそんな物。国会議員の中にも、そうした偏向した歴史観を愛国主義とはき違えた人々が、しばしば暴言を吐いて、大臣を辞めることになったではないか。これらは抗議するアジア諸国の陰謀なのだろうか。彼等はアジアの市場が我が国に取ってどれだけ大切で、国益を損なったことを理解していない。民主党政権の弱腰を非難する資格があるのだろうかと思う。戦争に対して反省をした日本人の築いた平和を守る事に努力する事が、戦後の成長を生み、平和憲法がアメリカの軍事圧力の盾となり、貢献したことまで否定するのではないだろうか。戦争には正義も悪も無い、愚かな行為というだけである。その愚かな行為を行なった軍部を擁護する暇があったら、今の若者に平和の尊さを語ってもらいたい。



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by katoujun2549 | 2011-06-19 19:13 | 国際政治 | Comments(0)