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映画 シャッターアイランド

 
 タクシードライバーのマーチンスコセッシ監督2010年作品でデカプリオが刑事役ということで話題になった映画であった。結末を知ると、ナアーンだということで、種あかしをしたマジックのように二度は観たくなくなる。謎解きゲームを楽しむようなドラマ仕立てである。

1.物語と解釈

 デカプリオは過去にトラウマを持つ刑事テディを好演している。レイチェルという3人の娘を殺した女性が失踪したことを機に、精神病院の実態を探るという使命をもって、相棒チャックと共にボストン沖にある孤島の精神病院アッシュクリフを訪ねる。この精神病院は凶悪殺人を犯した精神疾患のある囚人の収容所である。彼は同僚と離れて勝手に患者を面談する。この精神病院が非米活動委員会が経営し、人体実験の場でありそれを暴くため、テディは自分がFBI捜査官であるという。医師達や患者に接していくうちに、彼は幻覚を見る。大戦中、ダッハウ占領で見たナチス将校の自殺や、監視兵虐殺のシーンがトラウマになっているのがテディということが前提だ。このダッハウの事件は歴史的には実際にあった出来事。頭痛に悩まされ、ジョン・コーリー医師(ベン・キングスレー)から薬を分けてもらう。自分がかつて大戦中に強制収容所で見た光景、さらに彼の妻が放火で死んだ夢を見る。この映画を見ていると、異常な精神病院が人体実験を行ない、人間を廃人にしているかのような印象である。50年代の精神病院はこんな所だったのかもしれない。確かにここの医師達にとっては患者は実験材料に過ぎないのかもしれない。廃人風の患者、老婦人などが異様な雰囲気をを醸し出すが、全く筋書きの中では背景に過ぎない。不気味さを出す演出。そこで、彼は放火犯レディスが収容されていると睨んでC棟を探す。ここは昔の砦跡に回復の見込みの無い患者が劣悪な環境で閉じ込められている。テディは自分がこの精神病院に閉じ込められつつあることを感じ、逃げ出そうと考えるようになる。突然彼の探しているレイチェルは発見される。彼の目的は終わるが、ハリケーンが島を襲う。

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 そのあたりから、話が逆転、実はテディは本当は精神病で、彼も妻殺しの暴力性のある殺人者患者であることを臭わせ始める。前半の物語が実は彼の幻覚であったという物語の進行が見えてしまう。ロボトミー手術を行なうと彼が信じる灯台で真実が明らかになる。コーリー医師が、薬物治療を行ない、相棒チャックは実はテディの主治医であった。このどんでん返しに、今ひとつキレがないのがこの作品の残念なところ。狂っているのがどちらなのかを曖昧にして、最後でひっくり返そうという製作意図が今ひとつ作り込めなかった。彼が周囲に暴行を働いたり、危険を犯して断崖を下りたり泳ぐシーンが一体真実なのかが、見ている方が混乱してくる。崖の洞穴に暮す、収容所の女医と会うシーンは幻覚だろう。あんな所で暮らせるわけがない。最後まで、どちらが現実か分らないように構成したことも考えられる。精神病によって暴力を振るう犯罪者とこれをロボトミーや投薬によって押さえ込もうとする医師のどちらが暴力的なのか、人間の暴力性を1950年代の精神病の治療という背景を使って表現しようとしたのか、どうも良くわからない。コーリー医師は患者の幻覚を自覚させる先進的な治療を行なう医師にも見える。この映画の分析に関して、

http://eiga-kaisetu-hyouron.seesaa.net/article/152545210.htmlで
ブログでの解説がある。ご興味のある方はご参照下さい。

 デカプリオを何度も見たいファンなら、もう一度観て。細かなシーンの分析をしてみると良いだろうが、小生にはそれだけの気力が湧いてこない。マックスフォンシドーが、ナチス系の医師を臭わす怪しい役柄で登場し、いかにも、スティーブンキングのゴールデンボーイ(98年)のナチス残党であるかのような色を最初は見せるが、結局はただの精神科医であった。コーリー医師の対話や患者のトラウマに正面から向う治療によって、テディは、自分が戦争PTSDの結果、アル中になり、妻が精神異常に追い込まれることに無関心な仕事中毒の刑事であった。妻が3人の子供を溺死させたことを防げなかったうえ、ショックで妻を拳銃で撃ち殺した。その自分を責めているということを自覚させるに至る。最後は、自分に対する結末として、敢えてロボトミーに自分を差し向けるという行為に出るシーンで映画は終わる。ネタバレで申し訳ないが、大監督の作品だけに期待が大き過ぎた。

2.精神の病の難しさ

 サイコスリラーでもない。精神病の問題を提起しているのだろうか、良くわからない。確かに精神病患者が自分が正気であると思い込んだときが一番始末に負えない。周囲が怪しいと思い込んでいる場合は治療前の最悪の状態である。この映画ではかつて、暴力性のある患者に行なわれていたロボトミーが観客に恐怖心を与える最悪の治療であったと言いたいのだろうが、50年代に実際、暴力的な患者にはそれしか方法がなかった。その後、向精神薬が開発され、患者を押さえつけるだけの目的、意欲を奪い、運動能力を奪うように使われたこともあった。この方法は20年前まで取られていたし、電流を流して静かにさせる「電パチ」も行なわれていた。脅迫性幻覚障害、被害妄想性の精神障害は統合失調症の中に位置づけられる。今はジェイゾロフトとか、副作用の少ないものが使われている。かつてはセレネースなどである。これらは、患者の妄想から睡眠に脳内の興奮を抑える薬でこそあれ、恐怖感のある幻覚を起こさせる薬ではない。とすると、デカプリオのテディが演じた過去のフラッシュバックは薬のせいでは無く、彼自身の病気の世界とみるべきだろう。暴力も人間性のひとつであり、これを外科的に除去すると、廃人になってしまう。

3.映画の問題点

 この作品は、まかり間違うと、統合失調症は犯罪や暴力を引き起こす危険な精神病という偏見を与えかねなない。実際の精神病患者は、自分の苦しい状態から逃れたいと思って、懸命に暮らしている人が多い。家族も大変である。自分の夫や子供がそうようになったらどんな事になるか想像してもらいたい。世の中には誰かが精神を病み、そうした困難に直面しているご家庭は20世帯に一つぐらいはあるのだ。皇太子ご一家ですらそうである。犯罪は病気よりも、失業とか、周囲の無理解から発生しており、危険なのは被害妄想性のグループである。精神病者の暴力は社会的な原因が多いのである。犯罪発生率は一般人と変わらない。精神病の患者は積極的な殺人行為や暴力を行なう程元気な人ではない。しかし、外見からは分らないから不気味なのだろう。その不気味さを観客の恐怖心に結びつけて作品にしようとして失敗したといえよう。


by katoujun2549 | 2011-06-01 22:38 | 映画 | Comments(0)