一刀斎夢録 (下) 浅田次郎

 斎藤一という、不可解な人物を軸に、維新、そして明治という日本の近代のはじまりを描こうとする。勝沼の戦いに敗走した新撰組は会津に向かう。白河の戦いから始まる戊辰戦争である。これは幕府方の敗走のはじまりでもある。近藤は流山で斬首、土方や沖田は会津で新たな活動の場を得る。斎藤も新撰組の手勢を率い、白河の戦いに臨む。戦意の劣る幕軍の将官に失望しつつ懸命に戦う斎藤、しかし、薩軍700人対3000人という優勢にも拘らず、幕軍は白河城を放棄してしまう。

 斎藤一は新撰組が五稜郭における土方の死で終わり、維新が西南戦争で完結していく様子を見届ける。藤田五郎と名を換える。西郷の死は武士の時代の終焉でもあった。浅田次郎は西南戦争が西郷と大久保の画策で、西郷が武士の世を終焉させる為に仕組んだ戦争であると解釈している。さらに、彼が明治という時代を見つめながら余生を過ごして行く姿を描いていく。歴史は、時の勝者によって書き換えられる。しかし、民衆から見た歴史もその側面から新しい時代の精神によって光をあてられ、書かれる。かつては、新撰組は勤王の志士の不倶戴天の敵として描かれ、鞍馬天狗に成敗される集団だった。当時の通念は読売新聞記者下母澤 寛が、永倉新八などの生き残り新撰組隊員へのインタビューによって書いた「新撰組始末記」に覆された。新撰組隊員の一人一人も個性ある若者達であった。明治政府によって作られた歴史は、日本の敗戦によって崩壊した。徳川家康も、新撰組も復権し、軍神、乃木希典は無能な将軍に堕ちた。明治政府の築いた世は江戸時代より幸福な社会を実現しただろうか。この小説では斎藤一と、彼が部下にした少年兵との出会いが、伏線になったいるが、彼が「終わらざる夏」を書き、大戦末期の日本を描いた理由と結びつけて、この本を読むべきだと思う。乃木大将の殉死により明治が終わり、大正が始まったところから物語が始まっている。浅田次郎が織り込めたかった事は、今年は大正100年、日米開戦70年という時代背景を念頭にしていることを考えたい。

 日本軍の合理精神の欠如は、日露戦争の勝利と、乃木希典の精神論によって始まった。乃木の殉死は西南戦争の時の軍旗を奪われた事を理由にしている。当時は、軍旗がそれほど大事にされていなかったが、美意識としての武士道を戦場に持ち込んだのが乃木だ。斎藤に言わせれば糞袋の集団。というより、立派な志を持った若者が銃弾により糞袋になってしまった。機関銃を前に行なわれた旅順攻撃の肉弾突撃の愚は反省どころか肯定され、第二次大戦の多くの戦場で万歳突撃の玉砕を生んだ。第一次大戦で、戦車と毒ガスという近代兵器の洗礼を受けなかった日本の軍事通念は、欧米に10年以上の遅れをもたらした。乃木への同情が児玉源太郎などの合理主義を凌駕し、陸軍では精神論が合理的判断を狂わせ、不敗神話がまかり通るようになった。

 戦場では多くの失敗があるが、糊塗するために精神は都合が良かったのである。その結果、日本は成功体験も、失敗の反省も生かす事が出来なくなった。男子の4割、200万人の大正世代が戦死した理由がここにある。20年という歳月は長いようで短い。一世代が軍国青年に育つに充分の時間である。国民が神国日本のマインドコントロールを受け、大陸侵略と欧米との対立を生み、無謀なアメリカとの対決に至る道はこの日露戦争後の明治に始まったのである。戦争に必要なものは物量ではなく精神であるとされるようになる。ノモンハンも日本軍の敢闘精神が賞賛され、犠牲の数は問題にならなくなる。ところが、犠牲者が多ければ多い程、軍部は戦果を捏造し、それが死者に報いるかのような錯覚を生んだ。特攻が止められなかったのは犠牲者が累積し、失敗を認める事ができなくなったからだ。国家の指導者が斎藤一のような冷徹な現実感覚を失った時、明治は終わり、軍国主義への道を歩み始めたのである。それを国体というなら、出発点が乃木希典の殉死という行為であり、終末が特攻であった。

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by katoujun2549 | 2011-05-24 12:31 | 書評 | Comments(0)