靖国神社と特攻の英霊

靖国神社と戦没者を廻る政治の動きをどう見るか
ー門田隆将著ー「蒼海に消ゆ」を読んで

 特攻基地であった知覧記念館を訪れた政治家は多い。都知事の石原慎太郎や小泉純一郎元首相はその政治的発言、行動にも影響を受けている。しかし、ここは慎重であるべきであろう。特攻を崇高な行為とし、彼らを神として出撃させた軍部の姿勢と、国を思い、家族のために散った学徒兵とは対極的な位置付になるのではないか。靖国神社は国家神道として、政治と戦争による戦没者を結びつけて来た。政治家が参拝することがその意味においては当然とも言える。国民の側や遺族側からは思想、信仰の自由という観点からは参拝を強いる事は出来ないし、その逆もあろう。

  特攻に関しては靖国神社参拝からは切り離すべきである。神社が祀るのは勝手だが、彼らも、隊員同士、また、上官から再び靖国で会おうと誓った建前の世界と、彼らの個人の心情とは全く内容を異にしている。戦争指導者と彼等のような犠牲者がおなじ場所で何故祀られねばならないのか。蒼海に消ゆでも、松藤先輩は靖国とか、天皇のことを全く触れてはいない。後に続く世代のためと言っている。多くの若者が、故郷の家族、 子供たち、母や妹を思いながら出撃した事が分かる。殉じた学徒兵の行動と軍部戦争指導者の責任は分けて考えるべきだ。彼らはあくまでも人柱として命を捧げた。

 一方、戦争指導者達は、大西中将などを特攻遂行者として、彼らの責任面から逃れて来た。特攻は1944年のフィリピン戦から始まったのではない。真珠湾での特殊潜航艇でも行なわれた。回天、震洋、桜花など、以前から兵器も開発され、学徒を特攻要員として振り向けようとした。自発性という建前は卑劣な責任逃れである。戦争は自発的に行なうものではない。特攻隊員という集団マインドコントロールがあっただろうし、本当に望んだ人もいたかもしれないが、失敗する確率が高くなっても中止する勇気が指導部にはなかった。45年の6月以降は殆ど成功の見込みがないのに、時には複葉機の「赤とんぼ」などで出撃させられたのである。世界の戦争史でも例を見ない陰湿な計画であった。しかも、特攻員は地方の農家出身者が多く、軍人の子弟は少なかった。勿論この作戦においては源田実や瀬島隆三等の参謀達、昭和天皇の関与は覆い隠せない。特攻は軍部の日和見的戦争指導の成れの果ではないか。こうした指導部の無責任に対して、学徒兵は実に見事な潔さで、命令に従った。

  特攻隊員は国民の鏡として、末長く称えられるべきである。全く正反対な立場であるにも拘らず、彼らを賛美したり、追悼することが軍国主義的な行為であると位置付けたり、逆に、軍拡などに利用する勢力も問題である。もっと正面から彼らに向き合い、何らかのご縁のあった人々、特に彼らを送り出した大学などが、末長く顕彰して行くことではないかと思う。戦争による犠牲者には、それぞれ異なる局面と、事情がある。インパール作戦の戦没者、フィリピンへの輸送船が撃沈されて亡くなった兵士や民間人、原爆、空襲での犠牲者など、それぞれを丁寧に追悼し続けることが意味があり、十把ひとからげには出来ない。自分は特攻に殉じた学徒兵には皇居の中に、きちんと碑と記念会館を建て、無名戦士の墓と併せて多くの参拝者が集う場を設けるべきだと思う。そうでもなければ未だに遺骨収集も未完の南洋諸島、シベリア抑留者などの霊は安息出来ない。今年の日米開戦70年について未来の国防と平和貢献について議論する時を持つ事も大切だが、国に殉じた人々の行為を記念する事を忘れてはならない。

[PR]
by katoujun2549 | 2011-05-10 15:17 | 国際政治 | Comments(0)