テロと軍事行動 これからのテロ問題と日本の特攻

 日本の政治家、特に、民主党、社民党などの国際テロや戦時の不法行為に対する認識が浅いのではないかという場面がある。危機管理の弱さは社会党など、かつての村山政権でも指摘されていた。長い間、テロ対策を考える立場に無かった政党の弱さである。テロというのは革命などでの反体制勢力が、政治主張や、支配者の統治能力への疑惑を増す為に企ててきたもので、古くはローマ帝国時代も、ユダヤ人のゼロテ(熱心党)などが行なっていたことが歴史記録にある。また、帝政ロシアへの革命グループ、あるいは、日本では江戸幕府に対する江戸や京都での辻斬りなど、古くから政治的主張の一つなのである。日本では、かつて赤軍やオウムなどのテロがあり、多くの市民が犠牲になってきた。70年代の三菱重工爆破事件や警視総監邸爆弾事件などがあった。ゲリラ戦は戦争の一形態として認識される。テロはこれまで警察によって対応された事で戦争とは位置づけされていなかった。国際テロにおいては全く新しい形である。アメリカはこれを戦争と位置づけている。警察機能を越えた武力を持った敵に対して、警察を軍隊化するにはナチスの武装親衛隊のようなものを作らざるを得ない。これは国家においても、市民からも好ましい事ではない。警察力で対応できるレベルに相手の武力が減退するまでは軍事的に対応すべきである。

 国家が行なう殺人行為は制度的に容認されている。その一つが死刑制度であり、国際的には戦争である。戦争は、ジュネーブ協定によって一定のルールがあり、捕虜の虐待を防ぐために、兵士の交戦ルールが定義されている。我が国は、この事に対する認識が薄かった為に、沖縄などでは住民の悲劇を生み、また、死して虜囚の辱めを受けずという戦陣訓があり、兵士がそのために玉砕などの犠牲を生んだ。また、敵の捕虜虐待などで、戦後、多くの戦犯が処刑されている。戦争において軍事行動のルールでは、制服や標章など、市民とは区別しなければ保護されない。イスラエルでのジェニン虐殺としてイスラエル兵の蛮行が報道されたが、これも犠牲になった市民の多くがテロ参加者でもあったことをイスラエル側は抗弁している。このことを検証せずに一方的にパレスチナ側の証言だけを報道する。こうした、マスコミの無知はかつての日本軍と同じ体質である。

 ジュネーブ条約の交戦規定に関して、産經新聞(5/9)でのコラム「野口裕之の安全保障読本」が参考になる。ゲリラや「おとり」作戦はハーグの陸戦規定で適法である。しかし、ジュネーブ条約第一追加議定書では、降伏を装い油断した相手への攻撃、民間人を装い奇襲する背信行為、15歳以下の児童を兵士とすることも第一第二追加議定書、児童の権利に関する条約など、国際法により禁じられており、マスコミはこのこと前提に記事を書かなければならない。新聞などが、パレスチナでイスラエル兵の攻撃を非難するが、パレスチナ側はこうした常識を無視した行動に出ている。民主主義が全てを解決するとは思っていないにも関わらず、批判の為の批判を行なう事が我が国には多い。全て話し合いとか、交渉で解決しろというのは無理な事が世界では常に起きており、我が国といえども例外ではない。攻撃される側の抵抗権とか防衛権を尊重すべきではないだろうか。
 
 現実的にはジュネーブ条約通りにはなっていない。東京大空襲、広島長崎原爆、ドイツのドレスデン爆撃はどう釈明するのか。常に、戦勝国は断罪されていないことが問題である。そうした矛盾をテロリスト側は突いてきているのである。この問題を突き詰めるならば、戦争に公平を求めることは無理な話、だから絶対反対、必要悪の存在は認めず、軍隊の廃止にまで行き着く論理である。我が国の特攻がどのようなインパクトを大戦において与えたかは想像に難くない。ジュネーブ条約も無視、沖縄では民間人も含めた攻撃が行なわれ、航空機が特攻してくる。そのような戦争において、気が狂ったような民族日本人はむしろ、原爆で破壊すべしと言う世論がわくのも当然である。極めて稀に、特攻で戦死した操縦士を礼を持って水葬にしたケースもあったが、概ね悪魔の仕業として、徹底的に撃ち落とし、生存者も救わないケースが多かったと言われている。
you-tubeに特攻生存者を銃撃して殺す記録を見る事が出来る。アメリカ人の大半が日本への原爆投下を容認しているのは、沖縄や特攻での日本の行動が原因であることを忘れてはならない。
http://www.youtube.com/watch?v=2XfSClIbMh0&playnext=1&list=PL835A90A672529581

 今回、オサマ・ビンラディンがアメリカによって殺害されたことに、批判が多く出ている。確かに、彼は冷戦時代、アメリカの対アフガニスタン政策を知り尽くし、裁判でこれらを暴露されては困るのだろう。国際法廷にかけろというのが確かに正論である。しかし、テロリストに対して交渉しろとか、裁判にかけろといっても、無理な場合は軍事行動しか無いだろう。交渉よりも、交渉のテーブルに爆弾を投げつける相手にどうしろと言う事なのだ。民主主義は司法、立法、行政の三権が分立して成立している。だから、軍事や警察においても、そうした手続きが煩雑であり、その弱点を突いてくる彼等に対して対抗措置を考えずに批判することは無理がある。ビンラディンが目指していた社会はイスラム法の支配による、カリフ政治であって、これは既に、エジプト、リビア、シリアなどにおいて破綻している。アメリカは既に政治的には過去の存在であるビンラディンを殺したのである。この殺害によって彼の存在が亡霊のように蘇ってくる。これから何が出てくるか分からない新たなテロ時代が始まろうとしている。

[PR]
by katoujun2549 | 2011-05-09 20:18 | 国際政治 | Comments(0)