オサマ・ビンラディン殺害は不正解、テロの連鎖が続く

 9・11の首謀者、オサマビンラディンが2日、イスラマバードでSEALSの攻撃で死亡した。アメリカ同時多発テロ事件は、2001年、航空機を使った4つのテロ事件は、全世界に衝撃を与えた。これはアメリカのイラク、アフガニスタン出兵の口実となり、今日に至っている。こうしたことを虎視眈々と狙っている勢力がある。元副大統領チェイニーがCEOだった会社ハリバートンなどは大儲けだ。あれから10年、その間、インドネシア、スペインやイギリスで起きた事件以外に大きなものは起きていない。しかし、新たな緊張を望む人達は次の計画を練り始める。要はテロ組織が壊滅したわけでは無い。癌を手術で取っても、転移が進むようなもの。今後は武力ではなく、経済支援などで世界の不満分子の温床を縮小できるかにかかっている。ビンラディンを殺害したのは失敗であった。周囲の護衛は殺しても、彼だけは逮捕し、アメリカに送るべきだった。多分、パキスタン政府の主権問題など、始末に困るという理由だろうが、この結果、再びテロの応酬が始まるかもしれない。全世界が迷惑するのだ。複雑な世界を理解しないアメリカ人ガンマンが引き起こした不始末、愚かな事をしてくれたものである。アメリカはこの結果を引き受けなければならない。
 
 
 
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 まるで、ゾンビのように、次から次へと再生して襲ってくる。分解された怪物が、破片を集めて再生したり、小さな破片が成長して元の何倍もの数になって襲って来る姿が、SF映画で見られるが、これはまさに、アメリカ人のテロへの恐怖を物語っている。一つを潰しても後から後から襲ってくる。アメリカ人のメンタリティではとにかく、ガンで撃ち殺す方法しか頭に無い。ヨーロッパ、日本などの古い共同体が基盤になっている社会では相互監視が可能だが、これに対する自由を標榜している国是から、テロには弱い。下手をするとかつてのマッカーシズムの再来とか、魔女狩りのようになってそちらの犠牲が今度は大きくなる。テロリストは憎しみを煽るとか、復讐が目的であるから、社会改革のビジョンはお粗末である。彼等の行為を正当化する、ユートピア思想があればいいのである。その格好の材料がイスラムであるということで、本来のムスリムとは異なる解釈をコーランに行ない、自己正当化を行なっている。そこを、一般のムスリムも自分達の信仰上の不満を彼等で解消する形で、今回のパキスタンやサウジアラビアでもアルカイダの活動を支持する勢力が耐えない。

 テロでも、戦争でも犠牲になるのは、市民である。兵士も市民から生まれ、また、軍事基地より都市の住民が攻撃の対象になる。要するに弱い者苛めの応酬である。これから、アメリカの軍事行動は収まるのだろうか。国民の合意が得られない戦争は続けることが出来ない。だから、先般のリビア攻撃をアメリカはミサイル攻撃に限定せざるを得なかったし、これも批判されている。戦争を遂行するのは市民ではない。張本人はアメリカの産業・軍事共同体である。これらの指導者は世界中に別荘を持ち、テロのターゲットになりにくい。被害者は民衆だ。だから、彼等はさらなる陰謀を企て、時にはテロをも利用して世界の富をあさり回る。ブッシュもオバマも彼等の隠れ蓑であり、また、大統領は国民との調整機関である。大統領は国民を扇動できるならば、途端に彼等の利益を実現する方向に向かう。今後、魅力の無いアフガニスタンよりアメリカのターゲットは美味しいイランになるだろう。

 テロの防止が難しいのは、これを推進する組織の把握が困難である事だ。特に国際化した組織は、治安行政に失敗した国を選び、現地のアンダーグラウンド勢力に結合して潜伏する傾向にある。アルカイダのような国際的な活動を行なうグループを封じ込めるには、各国が国際組織を編成して、協調していくしか制圧する方法は無い。今回のオサマビンラーディン殺害により、彼等の組織情報が米軍の手に渡った事は大きな成果だろう。パキスタン政府との関係も明らかになる。しかし、そもそも、テロ組織は分解しても、再び再生する単純な組織である事が多く、だから、専制的な指揮命令である。革命政権が民主国家からかけ離れた、独裁政治になり易い理由がそこにある。社会主義はマルクス主義を標榜したが、政治イデオロギーとしては不完全であった。一経済理論であるマルクスの考えを政治理念にすりかえたところに、社会主義の失敗がある。社会主義は資本主義を抹殺するほどのビジョンを持っていない。民主主義は、君主制のリスクを分散して、責任を曖昧にする仕組みが、時として指導者の横暴を抑制するのである。意思決定能力は弱いが、指導者のもつリスクを回避する点で、社会を永続的に維持することができる。この歴史の智慧を教育は伝えなければならない。再びマルキシズムや宗教政治が複雑化した今日の統治機構にそぐわないことを明確に示すことが歴史学者の使命である。経済学などの社会科学は従来の理論を批判すること、あるいは修正する事から社会理論として成立して来た。資本主義の批判から生まれたマルキシズムが未完成だった共産主義を修正できずに、これを宗教のように教条化したところに限界がある。資本主義は過去においてケインズやクルーグマン、スティグリッツによって修正されてきた。その点柔軟である。資本主義経済も新たな修正を行い、時代に適合する生体のような機能がある点有利である。しかし、原発事故のような大きなリスクに何処まで耐えられるかが問題である。

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by katoujun2549 | 2011-05-04 11:30 | 国際政治 | Comments(0)