ドイツ、ナチス、ヒトラーと歴史修正主義の愚

ナチスとヒトラー
 ドイツは国家の存亡をかけてナチス時代の総括を行なわざるを得なかった。そのため、実はヒトラーの実像は分らなくなってしまったし、我々の知識レベルはかなり偏ったものであると思う。それらは殆どテレビ等のマスコミや小説などで得た知識である。歴史とは捏造されるものであり、時代が変われば新たな資料にもとづく解釈も行なわれる。だからといって、イランが言うようにホロコーストが無かったとは到底思えない。ユダヤ人の収容所証言も、ドイツ人が言うナチス論もかなり偏ったものである。しかし、悪意に満ちた歴史修正主義者の問題提起にはうんざりさせられる。彼らの微に入り、細に入った証拠提示は、過去の全てを打ち消そうとする悪意が満ちている。

 ナチスの悪名高い人種政策とユダヤ人やロマなどの少数民族の絶滅行為は人類全体の問題として負の歴史的事件である。一体このような事を誰がやったのか。全てがヒトラーのせいになっている。これはドイツ人にとっても都合がよく、こうした方向でナチスの犯罪は整理されているが、実際にはヒトラーは自分で指示できることは僅かであった。ヒトラーというのは結構優柔不断で、何事も躊躇する事が多く、ユダヤ人の絶滅を明確に指示した証拠は無い。彼が冴えていたのはポーランド侵攻までで、パリ占領が得意の絶頂であった。彼はイギリスと和平に持ち込みたかった筈だが、そうはいかなかった。イギリスは断固戦う意志を持っていた。北アフリカ戦線は緒戦は景気が良かったがエルアラメインで敗北した。後は連戦連敗である。西部戦線も含め、破滅の道をひた走り、その中で半病人のようになり、精神も病み始めた。彼はポーランド侵攻が英仏の反発をあれほど受けるとは思っていなかったふしがある。特にスターリングラードで第6軍が消滅した後は、殆ど彼のこれまでの軍に対する影響力も、政治力も後退の一途であり、ボルマンやゲーリング、ヒムラー等の「悪」達が仕切っていたようである。特にハイドリッヒ暗殺後1943年以降のドイツは彼らに牛耳られたのである。1943年まではナチスのユダヤ人抹殺作戦は進行し、特にポーランドではアウシュビッツ・ビルケナウ、トレブリンカ、へウムノなどで行なわれた。それらでどの位行なわれたのかは証拠が隠滅され、良くわかっていない。親衛隊の行動を理念的に支えていたヒトラーは、彼らの計画を知っていただろう。様々な残虐行為に対する日和見が彼らのような小心者の姿勢であった。ヒトラーの役割は理念や方針を出す事だったが、彼がハイドリッヒにやらせた事は結構悪辣だった。偽科学的人種理論や遺伝理論により、ドイツ国内の5000人以上の身体障害者や精神病者、遺伝的なハンディを負った人が年齢を問わず安楽死させられた。この時もヒトラーは具体的には指示を出さず、安楽死の正当化と、一定の範囲の対象者に行なうべきであるといる指示を出している。その辺りが、狡猾なところ。彼に罪無しとは言う事は出来ない。彼は殺人システムを考案したのである。国全体がそれに巻き込まれるような仕組みを作り、自分は抽象的なことを言っていたに過ぎない。彼が第三帝国の中心人物として断罪されるのが当然であるし、ナチスが組織犯罪である事は論を待たない。

 ホロコーストはヒトラーの言動が根拠になっているが、実行したのはヒムラーとハイドリッヒであり、さらにはドイツ国民全体がこの問題には責任がある。システムという仕組みに組み込まれると自己の行為は全体が見えない。そして自覚が無い。運ぶ役割、選別する役、スウィッチを押す人、片付ける人、それぞれの職務が忠実に実行されるに過ぎない。さらに、ナチスだけではこれ程までの事は出来なかった。この政策を実行する部隊がSS(親衛隊Schutzstaffel)であり、ゲシュタポである。しかし、彼らに情報を提供し、協力したドイツ人も多いのである。また、人種差別や強制収容所の存在を黙認していた人々、ユダヤ人を差別し、彼らが収容所外でもつらい労働についていることをむしろ歓迎していた人々も多かった。アウシュビッツやへウムノ、トレブリンカなどは外国にあったが、ベルゲンベルゼンやダッハウはドイツ国内であるし、それ以外の中継収容所や監獄は無数にあった。知らなかった訳は無いが、知らぬ存ぜぬととぼけたドイツ人は多い。

 アウシュビッツというとやせ衰えた収容者や人骨、死体の山を思い浮かべると思う。しかし、実施にはそうした写真は殆どがダッハウ、ベルゲンベルゼン、トレブリンカなどのものである。あらゆる収容所で選別が行なわれていたが、大戦末期になると彼らは貴重な労働力であった。選別によって生き残った収容者を労働させなければならず、一定の食事も与えていたのだ。しかし、当時、国内のドイツ人も窮乏し、収容者どころではなくなった。ドイツと周辺地域のあらゆる輸送路が連合軍に爆撃され、食料の供給もままならなくなった。ここを歴史修正主義者は鬼の首を取ったようにホロコーストは無かったという論拠にする。ナチスは証拠隠滅を大戦末期に熱心に行なった。へウムノなどは施設も死体も見つからない。徹底した証拠隠滅が計られた。そこで、証拠証拠ということは犯罪者の側に立った主張としか思えない。実証された「歴史事実」を、一部史料や証言の矛盾を繰り返し突くことにより、「歴史事実」全体を否定する手法であり、ネオナチなどの常套手段となっている。ナチスが戦争前から行なって来た事、さらには自国民ですら、特に東プロイセンの住民や兵士の死を統計的にしか扱わない、さらに死者に対しては冒涜ともいえるゴミ処理のような扱い、一連の出来事の延長に全てがあることで十分である。民族主義という大義のもとに人間の尊厳を無視する人々は今日も健在であり、世界中、日本の中にも、テロリスト、アメリカやロシアにも無数に存在する。

 最大の収容所であるアウシュビッツとダッハウ殺人工場は戦争末期に証拠を隠滅し、実際の状況を残した写真は極めて少ない。収容所に運ばれて、貨車から出され、選別を受けている映像が殆どで、後は解放時のものである。勿論何百万人もの収容者がいた筈だが、75%が選別され、すぐにガス室に送られた。やせ細る前に殺されていた。残りの人間は奴隷労働に従事する為に、巨大な収容施設で生活していた。勿論そこからも、選別は進み、数ヶ月で入れ替わっていた。生き残った比較的元気な収容者の記録しかない。

 ではあの骸骨のような収容者や悲惨な死体は何かと言うと、大戦末期にアウシュビッツなどソ連軍の侵攻を逃れて移送されてきた収容者がそこに入って来た為に、管理不能となり、チブス、赤痢などの伝染病で死んだり、餓死し始めた人々なのである。アンネフランンクもそうした中での犠牲者であった。全ての収容所にガス室があったわけでゃない。だから、イランのアフマディデジャネ大統領がホロコーストは無かったというのはどの時代のどこの収容所を基準にしているのかによって数字が変わることを指摘し、ユダヤ人の計算は偏っていると言っている。しかし、クレマトリウムと言われるガス殺人部屋はアウシュビッツで証拠隠滅しても、同様なものがトレブリンカ等にあれば、より効率的なものがビルケナウにあったことが証言されている。今はアウシュビッツ・ビルケナウでは140万人という数字が通説である。当初の300万人からはずいぶん下がったが、それでも膨大な数字である。

 世界平和という意味においてはアウシュビッツ、そして、ホロコーストは大きな課題である。アンネフランクは可哀想だ。日本はオランダと戦った国なのである。オランダのサンダカンで蘭英軍捕虜3000人が餓死した事をオフィセンチムに行った人々ー日本人は知っているのだろうか。ホロコーストはヨーロッパで起きた事件である。我々日本人は中国、さらには大平洋諸国に与えた戦争の災禍に多くの関心を向けるべきだと思う。ヨーロッパ旅行のついでに世界平和ではない。日本人からは逃れることは出来ない。


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by katoujun2549 | 2010-12-15 00:06 | 国際政治 | Comments(0)