1945年のドイツ 瓦礫の中の希望 テオ・ゾンマー著

書評「1945年のドイツ」 瓦礫の中の希望 
(テオ・ゾンマー著;山木一之訳)

 ドイツの第三帝国が崩壊すると同時に東西冷戦が始まった。そこで20世紀の後半の世界秩序が決定された。この経緯は学校では教えることができない。我が国にはろくな資料も無ければ、日本人が歴史を学ぶ希少な機会である高校生に教える人がいない。何故なら受験では出題されないからだ。現代史は、今日の国際情勢、経済、社会に見識が無ければ教えられない。教える人材があまりにも乏しいのである。
 この著者は1945年の直前、ドイツの東部戦線が崩壊寸前の1944年末から、ヤルタ会談、ベルリン陥落、ポツダム宣言、さらに占領の期間1945年末までのドイツをドキュメンタリ―タッチで描き出している。我が国の敗戦時の記録に関しては、J.ダワーの敗北を抱きしめてという名著がある。ベルリン陥落のドキュメントとしては「ベルリン陥落1945 」(アントニー ビーヴァー、Antony Beevor、 川上 洸訳)という大作もある。我が国の大戦に関する歴史観はアメリカが中心で、ソ連や中国の目線からは語られない。ドイツの敗北ーライヒの崩壊が急速に進んだのは1944年のヒトラー暗殺失敗以後であり、当時はまだ、東部戦線の戦線は維持され、西部戦線もまだ、占領地内の戦いが膠着しつつあった時期である。これが、ヒトラーのアルデンヌ攻勢の失敗により、これに引き抜かれた戦力のバランスが東部で崩れ、ソ連軍の侵攻を早める結果となった。北アフリカ戦線やDデイ、バルジ突出部の戦い、イタリア戦線など、西側の戦記は映画などで我々も良く知っている。しかし、東部戦線となると、スターリングラードの悲劇やクルクス戦車戦くらいしか日本人には知られていないが、実際は、ドイツ軍のモスクワとレニングラード包囲失敗後は、デミャンスク包囲戦、コルスン包囲戦、ドニエプル渡河、ケーニヒスベルグ包囲戦など、ベルリン市街戦に至る多くの山場があったのである。そこにおいて、ソ連が取った愚かな作戦で、多くの赤軍兵士が命を落としている。これら全てがヒトラーのせいになっている。

 この本で明らかにされたのが、東プロイセンの悲惨な状況だ。厳寒のマイナス20度の中を200万人の住民が難民となり、100万人が凍った干潟の上を逃げ、何十万もの人々、主に老人子供が死んで行った。これは赤軍に追われた人々の情景として満州で日本人が受けた惨劇と同様であった。赤軍が占領した町に残った人々は赤軍のあらん限りの略奪、暴行を受けた。これら戦争犯罪は裁かれていない。さらに、よく似ているのが避難民を乗せた船の撃沈事件だ。我が国の南樺太避難民の船小笠原丸、第二新興丸、泰東丸が国籍不明の潜水艦により撃沈され1600名以上の犠牲者が出ている。ドイツではグストロフ号で1万人、7000人のゴヤ号他何隻もの避難船が潜水艦で撃沈され、多くが水死した。同じ事件が起きている。ところが

 国土が戦場となり、首都ベルリンのみならず、ミュンヘン、フランクフルト、ハンブルグなどの大都市が爆撃により廃墟と化し、1200万人のドイツ国防軍が崩壊、多くの市民が犠牲となったドイツの悲惨さは我が国の比では無い。独ソ戦では500万人の兵士が失われた。西部戦線も含め、無事に帰還した捕虜は500万人でしかない。赤軍の捕虜になったドイツ兵は悲惨である。300万人がシベリアに抑留され、帰国できたのは僅か100万人である。連合国側の捕虜になったドイツ兵も多くが飢餓と重労働で死んでいる事は知られていない。ドイツでは飢餓や瓦礫の撤去に加え、ナチス党員の処分や非ナチ化という国民の意識改革が行なわれねばならなかった。ソビエト支配下の東ドイツ、ウルブリヒトという共産党指導者の登場、そして、英米仏連合国支配下のドイツと異なる歩みを始める。多くの難民の発生、捕虜の帰還と抑留、戦犯の処刑、処分、廃墟を前にした絶望的状況にドイツ国民は耐えざるを得なかった。
 
 このドキュメントの圧巻はヤルタ会談とポツダム会談の記録である。その主人公はスターリンとチャーチルである。ルーズベルトは健康悪化でほとんど影響力を出せなかった。ヤルタ会談のポイントは占領地域の画定、賠償問題、ポーランド政府の行く末と領土である。スターリンの強欲ともいえる要求、200億ドルのドイツの賠償、ドイツ工業の二年間の解体、10年間の物納といったもので、ドイツを破壊し、生存権を奪うことであった。しかし、こうした要求はソ連に警戒感を抱く西側諸国の抵抗を受け、その矢面に立って交渉したのがチャーチルであった。ナチスドイツに国土を蹂躙され、兵士1200万人、民間人2000万人が死んだ復讐とはいえ、ソ連の野蛮な仕打ちも歴史に残るものだ。どっちもどっちなのだ。

 ポツダム会談ではトルーマンがスターリンに抵抗した。東西冷戦が始まり、この力関係の中でドイツは壊滅を免れるのである。トルーマンはスターリンとの交渉中に原爆の開発を伝え、交渉を有利に進めようとした。ポツダム会談においてドイツは既に降伏し、チャーチルは去り、イーデンが後任であった。ポーランドとドイツの国境をオーデル川、東西ナイセ川とする。1937年以降のヨーロッパでのすべてのドイツが併呑した領土の返還と、オーストリアのドイツからの分離。ドイツの民主化、非武装化、非ナチス化。1945年2月のヤルタ会談での合意を踏まえたドイツ、オーストリアの分割統治とベルリン市とウィーン市の分割統治。(ポツダム協定)ナチスの戦争犯罪の追及。ドイツ金融資産の没収、配分などで激しいやり取りが繰り広げられた。そして、日本に対する無条件降伏要求も重要な協議事項となった。このとき、ベルリンの壁崩壊までの長い道のりが始まるのである。このときのスターリンに対する西側諸国の懸命の説得、交渉がこの本では生々しく伝わってくる。 ドイツは分断され、国家として解体の方向にあったことは同じ敗戦国日本とは事情が違う。しかし、東西冷戦が始まり、西と東に分断されるところで再生への出発を迎える。1945年のクリスマスはまさにその地点にいた。飢えは国全体を覆っていたが、連合国の支援や彼ら自身の工夫により、最悪の状態を脱しつつあった。彼らは自分達の国
家がナチスという犯罪行為であったことを認め、自らの悲惨を受け入れざるを得なかったのである。
 


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by katoujun2549 | 2010-11-30 21:23 | 書評 | Comments(0)