北方領土とロシア

 
1.ロシア(ソ連)の主張ー領土交渉に100%満足はあり得ない

 メドベージェフ大統領が北方領土を訪問し、日本政府は遺憾の意を表したが、ロシア大統領にはカエルの顔にションベンといったところ。ソビエト軍は第二次大戦末期、8月6日に参戦、千島(クリル)諸島を一連の軍事行動で手中に収めた。その後、実行支配を続け、その領海内に侵入した日本の漁船を容赦なく拿捕、時には銃撃された。我々日本人は、ソ連の理不尽な北方領土占領に憤りを感じ、今日に至ってきた。しかし、そもそも、ソ連と日本の戦争に対する認識が、ちぐはぐな事を最近になって知った。 
 我が国はポツダム宣言を受諾、8月15日に降伏したのだから、その後の軍事行動は無効だと思ってきた。ロシア側の対日戦勝記念日は何と9月2日である。これは1945年に米戦艦「ミズーリ」上で、日本が降伏文書に署名した日である。ソ連にしてみれば、ヤルタ会談で参戦は決まり、満州、南樺太、千島が占領する事は既に国際的に話がついていたことで,実効支配の為に日本のポツダム宣言受諾後も戦闘行為を続けた事は正統だと主張している。
 領土問題に関して、これを解決する気なら、国内向けのメッセージだけではことを複雑にするだけである。相手のいい分もよく研究しなければならない。交渉はどこかで妥協し、足して2で割るかしない。ごり押しは戦争となってしまう。我々も、無防備な満州開拓団が牡丹江などでソ連軍に悲惨な目に会い、蛮行の限りを尽くされた。その、8月15日以降のいわれなき仕打ちも伝えることを忘れてなならない。ソ連の戦争犯罪は全く断罪されていない。ポーランドのカチンの森事件、東プロイセン非難民140万人に行なったソ連兵の蛮行とならぶ、満州における日本人避難民への犯行である。これだけのことをやらかしたソ連はナチスを非難する資格なんぞ無いのだ。

2.ソ連がやった事

 9月2日をロシアが「対日戦勝記念日」にしたという事は、ロシアも8月15日の終戦後に侵略した事に対し問題を感じ、その後の侵略を正当化しようとしているのだろう。歯舞(ハボマイ)に関しては9月2日以後に侵略しているソ連は、日本がポツダム宣言を受諾(8月15日)した後も樺太・千島での武力侵攻をやめなかったということである。攻撃により日本人に多数の犠牲者が続出したので、日本軍は自衛戦争を継続し、8月25日すぎ、いや地域によっては9月になっても続いていた。特に、北支方面軍では、根本中将指揮のもと、ソ連軍に対する防衛戦が8月末まで果敢に行なわれ、そのお陰で4万人の中国残留民間人と、中国で終戦を迎えた日本軍100万人の武装解除、帰国が蒋介石の協力のもとになされた。ソ連軍への抵抗により、満州のように多くの開拓民の悲劇、関東軍の70万人にのぼるシベリア抑留という無情な結果に至らなかった。このことは、門田隆将氏の根本博中将伝「我が命義に捧ぐ」に詳しい。ソ連軍が侵攻した地域で、暴虐の限りを尽くしたことは、独ソ戦で、東プロイセンの住民たちにした同様の行為で、その体質が明らかであった。

3.過去の戦争を直視しない日本 

 我が国は今になって、硫黄島や沖縄の戦いを回顧するようになったが、終戦時の戦闘状況を歴史的考察をせず、統計的なデータも国民に明らかにしていない。また、その状況もかなり偏ったもので、最近の映画、the Pacificなどではその悲惨さが民間人を巻き込んだ為に起きた事が明らかにされている。日本映画、ひめゆり等に象徴される沖縄戦は果たして実態をあらわしているのだろうか。より悲惨な実態があるのではないか。勿論、終戦直後はそれどころではなかったのだろう。大戦末期にはビルマ北部、拉孟騰越、満州だけではなく、南樺太、千島においても凄惨な戦いが行なわれ、多くの日本人が犠牲になった。一方、ロシアは、満州進攻を、強力な日本軍を多くの犠牲を出しながら打ち破った勝利の戦いとして歴史的にも大きく国内で喧伝してきた。日本人の対ソ連戦争観はソ連の火事場泥棒的進攻として、被害者感覚でしか語られてこなかった。この差は大きい。千島列島には、日本軍将兵約7万人が守りについていた。8月18日午前2時すぎ、カムチャッカ半島から13キロの占守(しゅむしゅ)島に、突然大艦隊が現れ、砲撃を行い上陸を開始した。護衛艦艇24隻、上陸用舟艇30隻、輸送船だった。

4。千島の戦い

 樺太師団(第88師団)の兵力、装備は、千島、北海道地域の重点防衛のため飛行機や戦車、大砲などもとられ、きわめて劣悪な状態になっていたが、千島列島(占守島、幌筵島)の兵力、装備を比較(ソ連側の資料)すると、火砲、飛行機、重機で劣るほかはまず同等で、日本側には満州などから持ってきた戦車(42両)があり、上陸したソ連兵に対して使用し、戦果をあげた。日ソ両軍には多くの死傷者が出た。日本軍戦傷者約1000人(死亡者700人)に対して、ソ連軍死傷者は3000人(死者1000人以上。2500という説も有力)。ソ連軍に日本軍の3倍近い犠牲者がでている。満州でもソ連軍に対して8万人の日本軍が戦死したが、ソ連軍も3万人の死傷者を出している。ソ連軍は、8月18日から9月3日にかけて日本軍の協力のもと、全千島列島の日本軍の武装解除を行い、北方四島までも占領した。そもそも、ソビエトの自軍の戦傷者に関する統計は社会主義政権下で隠蔽され、いい加減なのである。
 終戦当時としては、北海道が攻撃侵略されなかったので運がいいと思っていたかもしれないが、ヤルタ会談によっって行動したソ連には最初からその気はなかったとは言い切れない。前線司令官が日本軍恐れるに足らずとなれば侵攻するつもりであったという資料もある。しかし、幸いな事にソ連は北海道北部(留萌)侵攻を断念した。南樺太と千島日本軍の健闘のお陰である。

5.ロシア側の主張

 彼らロシアの方から見ると、国際条約なんてものは軍事占領の後から勝った方が理屈をつけるものだという形で自己正当化が徹底される。満州、南樺太、千島で多くの犠牲者を出した戦争によって占領した地域は絶対に手放そうとはしない。満州、樺太、千島での日本軍将兵の絶望的な戦いを我が国政府は歴史的にも無視して来た結果、戦後世代には、理不尽なソビエト軍の火事場泥棒的な行動だけが記憶に残っている。先は戦争に負けた国が置かれた不利な状況を巻き返すことがどれだけ困難な事かである。それを、簡単にロシアが交渉に乗るかのごとく、これまでの政治家が国民の期待を高めるような言動をしてきたことが問題なのだ。それ以前に、満州でのソ連との戦いや、軍人や政府関係者の引き上げにおける卑劣な行動、開拓団を盾に使った日本軍、さらには、ソ連での抑留の実態に国民的な教育、説明を行なってこなかった政府の怠慢なのだ。沖縄の島民を日本軍が盾にし、自決比追い込んだ歴史を教科書から取り除こうとする勢力だの存在。シベリア抑留者の数も犠牲者の数も、実際には公表の70万、死者6万人ではなく100万人、死者35万人という研究結果もあり、これだけの差を説明できるものはない。帰還者47万人から推定したものに過ぎないのではないか。それでも、ドイツの捕虜の扱いよりはマシだった。

6.国民に現実を説明すべきだ

 我が国政府は、自らの負い目から、国民に敗戦の分析、総括をきちんとしてこなかった。このことが、国民に誤った戦争観をもたらした。あの、無茶苦茶な帝国陸軍軍部、出鱈目な海軍軍令部の実態は一部の歴史家は明らかにしたが、国民的な議論や共感を得ていない。当時の戦争指導者や同調者の犯行ともいえる過失、国民を抑圧した行為等、擁護する人も多い。そんな中で領土交渉が出来るだろうか。
 日本は日ソ不可侵条約から、ソビエトの満州侵攻、千島占領、南樺太侵攻、満州開拓民衆の悲劇、
シベリア抑留に至る一連の事件を国民的に歴史認識し、さらには当時のスターリン政権による戦勝国の処理を含めてきちんと国民に説明した上でなければ、北方領土の落着点は見出せない。

 かつて、鈴木宗男がムネオハウスを建てたり、経済的な互恵関係を築こうとした努力は方法として正しかったのではないか。日本が今ロシアに対して影響力を行使できるのは経済力や技術しかないのだから。

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by katoujun2549 | 2010-11-28 22:06 | 国際政治 | Comments(0)