文明の道 NHK

NHK 文明の道 アイハヌム バクトリアのギリシャ遺跡

今、戦火に苦しむアフガニスタンだが、かつて、素晴しいギリシャ人の都市が繁栄した。そのきは円形劇場やギムナジウム(学校)神殿や王宮といった施設が作られていた。NHK文明の道ではCGで、この街を再現した。劇場、ギムナジウム(学校)、神殿、王宮等が見事に並んだ感動のシーンであった。この遺跡が、20年間の戦火で破壊されつつある。2000年以上前の都市は現在のアフガニスタンの街、カブールなどよりも文化的には優れているかのようにも見える程である。科学は発展したが、文明は後退した好例だ。
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 アレキサンダー大王は今のアフガニスタンから、さらにインドまで侵攻した。NHKが製作した「文明の道」はその足跡を巡っている。ペルシア帝国を征服したアレキサンダー大王は、次にインド遠征を目指す。アフガニスタンとパキスタンの境目であるカイバル峠を越え、パキスタンにはいり、更にインダス河を越えパンジャブ地方に進軍した。今でもカイバル峠付近にアレキサンダーの道が残っている。ここで、部下の拒否にあってやむなく引き返し前323年スーサに帰還した。アジアとギリシャの接点ではガンダーラ美術等仏教においてもギリシャ彫刻の影響が見られる。

 王の死後、後継者たちが継者戦争を起こすが、結局は、マケドニア(~前146年)、プトレマイオス朝エジプト(前305年~前30年)、セレウコス朝シリア(前312年~前64年)に分裂してしまう。いずれもローマ帝国(滅ぼしたときはローマ共和国)に滅ぼされた。アフガニスタンの北の国境を流れるオクサス川流域を古来バクトリアと呼んでいた。中国の僧、玄奘の「大唐西域記」にあるトカラ(都貨羅)国にあたり、イスラム以後トハリスタンと呼ばれた地方。  


1964年代に発見され、1965年からフランスが発掘にあたったこの遺跡は「月の貴婦人」=アイハヌムと呼ばれていた。紀元前3世紀ごろに栄えたギリシア・バクトリアの都の一つだと思われる。
アイハヌム遺跡はアムダリア川(ギリシア文献ではオクサス川)とコクチャ川の合流点、三角形の突角にある東西約2キロメートルにわたるギリシア的な都市遺跡であり、中央アジアで初めて発掘されたギリシア風都市です。仏像の形でギリシャの影響が強い事は知られていた。しかし、この遺跡の発掘によってヘレニズムがアジアの奥深くまで浸透したことが明らかになった。

 バクトリア王国は紀元前175年頃にヒンドゥークシュ山脈を越えてインド北西部のパンジャーブ地方に勢力を拡大するが、紀元前162年頃にはヒンドゥークシュ山脈以北(バクトリア地方)と以南(パンジャーブ地方)で別々の王家を立てるようになった。パンジャーブ側の王家で有名なのがメナンドロス王で、仏教に深い関心を示したことで知られている。仏典『ミリンダ王の問い』のミリンダがこの人である。バクトリア地方のギリシア人は紀元前145年頃に来襲してきた「スキタイ(サカ)」という遊牧民の「アシオイ」「パシアノイ」「トカロイ」「サカラウロイ」という4つの部族に滅ぼされた。パンジャーブのギリシア人たちはその後もしばらく生きながらえ、その地にギリシア文化を植え付けたが紀元前75年頃までに消滅した。
桜蘭や敦煌を築いた月氏が侵攻したこととの関係はまだ解明されていない。
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by katoujun2549 | 2010-09-23 13:44 | 国際政治 | Comments(0)