居合

 剣道と居合い、両方練習している人は多い。剣居一体として、全日本剣道連盟でも居合いを学ぶことを推奨している。海外の剣道愛好者は剣道全体に関心を持って、両方を生真面目に学んでいる人が多い。自分は全剣連の制定居合いを10本まで形だけは憶えたが、最近はサボっている。意味が分かるまで練習を続けるという武道の基本ができていないのだ。居合いには多くの流派が現代に残っている。全国地域にわたり独特の居合流派が残っている。岩国には伯耆流、中津では福沢諭吉が取り組んだ立身流など。全剣連で定めた制定居合い12本。大森流、英信流を多数派とする。居合いや古流は流派がやたら多い。達人たちの自己主張の結果だろう。

 テレビ大河ドラマ龍馬伝で武市半平太の道場で居合いを皆が練習しているシーンがあった。時代劇の楽しみは時代考証をどこまで極めるかだ。居合いの形、袴などの結びの方法なども念入りに考証されている。土佐では長谷川流、長谷川英信流、無双直伝流、無雙神傳流等さまざまな流派名が名乗られ、藩校その他で指導されていた。幾つもの派があったと思われるが、明治以降残った二派が谷村派と下村派と呼ばれ、流派名は谷村派は無双直伝英信流を、下村派は無雙神傳英信流と称している。

 居合は基本的には抜き付け、切り込み、あるいは切り下げ、納刀、残心という動作から成り立っている。状況に応じて水平に払ったり、斜め、真上からの切り込み等縦横に斬りつけ、後からの敵にも突いたり、振り向き様に切ったり、ある種の想定をしながら工夫されている。とっさの事態に即応するという基本的な姿勢が居合いは鞘のうちが大切だという言葉になっている。剣道の正眼の構えからの切り込みや、上段と比較すると、構えという段階が無い分切り込む時間が早い。だから、敵と対峙した時も一瞬剣道より早い剣さばきとなる。示顕流の居合いなどは、下から切り上げるため、大きな距離を取れるので、相手の意表を突くことができる。一太刀で切るのではなく、二の太刀でとどめを刺す技が殆どである。最初の抜き付けで相手の目の上などを切り、戦意を失わせて、とどめの切り込みで制圧し残心をもって納刀する。坂本龍馬も京都で暗殺されたとき、横に額を払われ、二の太刀で頭上を切り下げられている。下手人は居合いの達人ということが分る。

 抜き打ちという相手の予想に反した動きで制圧する技だから、これを相手に読まれては勝負にならない。龍馬伝で皆が一緒に居合いを稽古していたが、ここは合点が行かない。居合いの稽古というのは他人が見ていないところでひっそりと行なわれたと聞く。昭和の剣聖、中山博道は四国に行き、風前の灯火となった英信流の谷村派と下村派を学んで、自ら夢想神伝流を開いた。細川義昌に長谷川英信流下村派を、森本免久身に長谷川英信流谷村派(註:江戸時代に谷村派、下村派という名称は無く大江の系統が後にそう称した)を学んだ。彼は、朝の4時に起き、師の居合いを吸収した。中山博道は芸術のような居合いを天覧試合において披露している。彼の居合いの稽古も、だれも見ていないところで一人毎朝行なったそうである。一日千本抜いていたというから凄い。

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by katoujun2549 | 2010-09-18 10:16 | 武道・剣道 | Comments(0)