特攻の悲劇

海軍で予備学生の墓場と云われた元山航空隊(七生隊)の青木泰二郎司令は、 自らの武勲を誇るために多くの特攻を命じたが、 敗戦確実を知るや昭和20年(1945)8月11日、兵を置き去りにして元山空(朝鮮)から一部の上級幕僚、ならびに家族ともども 日本に逃亡した。こうした「現象」はソ連の侵攻における関東軍においてもあったし、さらには、ビルマ戦線などの前線においても数多く、日本軍の上層部は相当に腐敗していたと考えられる。軍部は前線の苦悩や敵軍の戦力についても見て見ぬふり、軍事インフラである輸送、食料、武器弾薬に至るまでの基本要素を整えないまま、多くの作戦を行なった。
特攻は自発性という虚構をもとに多くの下士官を犠牲にしながら、その責任にあたる隊長は殆ど出撃していない。口では後に自分も続くと言っておきながらである。特攻というのは開戦時から既に海軍では特殊潜航艇や回天の設計等始まっており、特攻が軍内部で組織的に準備され、軍部内で責任を逃れる謀略も行なわれていたことは明らかである。特攻での戦死者は殆どが学徒兵であり、職業軍人は極めて少ない。こうした戦略のシステムを誰が、どのように構築したかを明らかにしなければ、戦死者の霊は報われないだろうと思う。また、8月15日がやってくる。この日は敗戦の日である。そこでの犠牲者である国民、特に特攻隊員の冥福を祈る日でもある。
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by katoujun2549 | 2010-08-05 13:45 | 国際政治 | Comments(0)