ベルリン物語 都市の記憶をたどる (平凡社新書 519) 川口マーン惠美=著

 ベルリンの帝国議事堂を見学したのは2002年であった。その屋上には近代的なガラスのドームが見られる。この帝国議事堂は、ナチスの台頭と関係が深い。というのはゲッペルスが首謀者だと推測されるが、ナチスは議会政治を否定し、これに放火してしまい、その犯人を共産党のせいにして、共産党の弾圧を開始したのだ。

 1933年ヒトラーが首相になった時ナチの 人気は派手なデモンストレーションに反して期待はずれだった。帝国議事堂放火事件後の総選挙でナチスの得票率は43%、ベルリンでは34%共産党は24%も取った。第2党の社会民主党は議席数を1つ伸ばし、千人以上が逮捕された弾圧下の共産党は81議席もあった程。兎に角議事堂燃やして議会を開けなくしたうえ反対派を妨害したインチキ議会で全権委任法成立させた。途端に突撃隊SAの恫喝、コーペニックの血の週間による140人に上るテロ犠牲者はリンチされ無惨な姿で土左衛門となった。中には知事やエリートも多くいた。日本の2.2.6もそうだが恐怖が独裁者を誕生させた。ドイツの政治は暴力団に乗っ取られた。恐怖支配とはいえ何でドイツ人がこんな不正を容認出来たのか不思議なこと。ロシア革命の恐怖とかインフレ、ベルリンの風紀の乱れといった社会環境も暴力的な実行力に喝采したグループを生んだ。ユダヤ人攻撃はまさに国民の期待に応える形だったのだろう。 
 
 思い当たるのはビスマルクが国家目標達成のために議会を無視し、しかも栄光のドイツ帝国を築いて普仏、普襖戦争 に勝利した記憶が忘れられなかった!それにもかかわらず大戦に負けたドイツ。インフレで儲けるユダヤ人を横目に憎しみが煽られた。不正や他人の苦しみを前に、良き時代を取り戻すために見てみぬふりをするようになった。それにしても、自分の兄弟が精神病や不具だからと7万人も安楽死させたり、共産党でもない人権活動家、牧師、批判記事を書いた記者などが政権奪取前後にナチにより十万人も殺された。ドイツ人はそれほど他人に無関心なのか。公共が個人に優先し汚職や異人種のいない、清潔な都市をそんなに希求したのか?人間は自分を守るためには平気で他人の苦痛を見てみぬふりする種族か。

 ビスマルクから東西を隔てた壁の崩壊にいたるベルリンの出来事を、カイザーウイルヘルムの皇太子夫妻の館、ポツダムのチチェリエンホフの由来から、ナチスの台頭の舞台としてのベルリン、ドイツ参謀本部のヒトラー暗殺未遂事件、ソ連軍の侵攻とベルリン市民の苦悩、東西分断と壁の物語など、それぞれの時代におけるベルリンの表情を物語っている。一種のドイツ文化考である。
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by katoujun2549 | 2010-05-03 12:13 | 書評 | Comments(0)