「グラーグ ソ連集中収容所の歴史 」  

「グラーグ ソ連集中収容所の歴史 」アン・アプルボーム (著), 川上 洸 (翻訳) 白水社
 
 ソ連の東西南北全域にわたって散在していた労働収容所の一大ネットワークの歴史である。グラーグ(GULAG)とはもともと「収容所〔ラーゲリ〕管理総局」(Glavnoe Upravlenie Lagerei)の略称だ。ソルジェーニツインが収容所列島、イワンデニゾビッチの一日で世界にその実態を明らかにしたのはソビエト崩壊前であった。その決死の努力は、世界に大きな衝撃を与え、理想社会に遥かに遠い共産主義政権の実態を暴いた。ソ連のアフガン侵攻、それから、ペレストロイカ、グラースチノチとなり、ゴルバチョフ、エリツィン、プーチンそしてドミートリー・メドヴェージェフの今日、ロシアはどう変わったのだろうか。近年、ロシア政権内部にKGB出身者が多くおり、スターリンの復権を画策しているという。歴史は繰り返すのだろうか。

 戦後、日本も、インフレだとか、食糧難、受験地獄や通勤難等いろいろあったが、平和な国にいて良かったとつくづく思う。それにしてもソビエトとは恐ろしい国だ。地獄を平気で作り、それに怯えた国民ひとりひとりが自分のことで精一杯だったのだろう。彼らは寒さに強い事がわかります。そんな国にいて平気なんだから凄い。日本のマルキストは知らん顔だ。モンスター、スターリンの存在も大きいが、これを支える官僚組織のなせる技だ。マルクス・レーニン主義と共産主義、ソ連、日本の共産党との関係をもっと説明しろ。社会保障を拡大し、大きな政府になればなるほ国家、そして官僚は肥大する。さらに悪魔が小悪魔を量産するように、国民を悪魔化しようとする。国家とは常に、ボランティアを求めている。そうした国家機構の恐怖を我々は知らない。民主主義や国民生活に国家が介入する恐怖を味わった事の無い我々は無防備だ。彼らは、ちょっとした隙をついてくる。例えばアダルト漫画の規制に東京都が走った事だ。無神経な石原知事に盲従する都職員の姿が眼に浮かぶ。確かに、ひどい漫画もある。でもこれは民主主義国家では官僚が表に出る事ではない。作家がきちんと自主規制組織を作って、これに違反した出版物は印刷会社、東販などの配給会社が本屋から閉め出せば事足りるのだ。官僚がおせっかいに、介入する裏には、民衆を支配しようとする裏技が秘められている。ツァーの支配が長く、文盲の多い国では、そうした知性は育たない。世界で一番自由で、豊かになる筈の革命後のロシアが地獄になった姿だ。歴史の通過点とするにはあまりにも大きな犠牲であり、その実態が葬り去られそうなのだ。著者の意図はそこにある。

 第二次世界大戦でソ連は2000万人が犠牲になったという。しかし、その責任は何処にあったのか。多くの犠牲者が収容所からも出ている。ドイツの侵攻に追われるように西部地区の収容所は急遽閉鎖された。その際、閉鎖時に多くを銃殺、移動中の疲労死や何も無い新しい収容所での餓死や病死なども犠牲者に含まれるだろう。また、スターリン支配は戦後8年間も、その死まで続き、グラーグはゴルバチョフの時代まで続いた。グラーグは当初は白海のソロヴェツキー(ソロフキ)群島で革命政権の秘密警察、チェカのジェルジンスキーが設置し、旧体制の貴族、地主、資本家、白軍兵士、反革命分子を収容した。さらに、トロツキストやSL、ボルシェビキなど、政権内部の権力争いに敗北した人々も送り込まれた。ところが、スターリンの大粛清のあたりから大量の収容者が囚人として送られ、また、シベリアを始め多くの収容所が建設された。何百万人もの処刑と餓死、病死、この世の地獄が作られた。
 最初は粛清のためであったが、スターリンはチェカ、GPU、OGPU、KGBと秘密警察を改組し、その度毎に長官を銃殺してきた。その理由は謎である。特に酷かったのが、エジェフである。彼は、スターリンの実直な僕として、命令に馬鹿忠実に殺しまくり、権力をほひいいままにし、多くの収容所を作った。やり過ぎの感があり、スターリンは自分の評判が落ちるのを警戒するに至って、彼を処刑、次に来たのが最も信頼されたベリアであった。今までの集大成のような人物。ベリアはスターリンの意向を受け、収容所の労働力供給源化を企画実行した。彼はグルジア系であり、スターリンは結局同郷人しか信用しなかったということだ。ベリアがフルシチョフのスターリン批判の中で、やはり処刑されている。

 「グラーグ」はポーランド出身の女性著者 アプルボームの2004年ピュリッツァー賞を授賞した大作である。当初の政治犯収容所から、ソビエト経済の労働力供給源としての強制労働収容所への変化を時代背景とともにペレストロイカでの公開資料を元に明らかにして行く。こうした、非人道的な地獄がどのように生まれ、そこにどんな人が収容され、どのように生き死んだか、ソルジェーニツイン以来の詳細な記録である。
 労働力確保の収容所となったために、グラーグの性格は変化する。あまりにも、多くの収容者が集められ、また、仕事も高度化して行くと、多くの上級技術者も確保しなければならない。例えば、木材の切り出しは外貨獲得には不可欠だったが、製材の技術は不可欠である。彼らが働いてくれなければ何も生まれない。だから、全てを消耗する収容所には出来なかったのだ。次第に、これが、シベリア開拓と産業基盤の重要な施設となっていく。しかし、その構造自体が高度情報技術や、ハイテク技術を気づいて行く上ではボトルネックになる。ポルポトもそうだが、彼らの産業構想そのものが失敗であるにも拘らず、それを隠蔽するために、官僚達がさらなる犯罪的なシステムを構築して行く様が良く描かれている。我が国のシベリア抑留もそうしたスターリン支配の中で行われた。最初の1年間で10%以上が死んだが、当時のソ連ではむしろいい方であった。彼らにしてみれば、お客さんだったのだろう。

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by katoujun2549 | 2010-04-15 13:52 | 国際政治 | Comments(0)